此岸からの風景
<日本灯台紀行 旅日誌>オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです
2023
06/07
Wed.
10:10:56
<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版
Category【灯台紀行 紀伊半島編】

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編
#5 四日目(1) 2021年3月23(火)
樫野埼灯台撮影1
紀伊半島旅、四日目の朝は、半島の先端、串本町の駅前ビジネスホテルで目を覚ました。
<6時前後に目がさめる 1、2時間おきにトイレ ひと晩中眠りが浅い>。さてと、昨日は<(夜の)7:00 引き上げ 途中ファミマで夕食調達 7:30 ホテル着 ざっと風呂 食事 日誌 9:15 このあとモニターしてねる>。要するに、記述する事柄はほとんどなかったようだ。先に進もう。
<6時半起床 朝の支度 朝食・パン 赤飯にぎり 牛乳など ウンコはでない 7時半出発 樫野埼灯台(へ向かう) 30分くらいかかる。駐車場からけっこう歩く。疲労を感じる。灯台はおもった通り ほとんど撮影ポイントがない。360度周囲を歩く>。
<帰り(戻り)道 トルコ(の)みやげ物屋による 絵皿を見ていると 奥から主人がでてくる。大きなもので1万以上 中ぐらいのものでも7、8千円する。きれいな色合いが、なんだかふ(腑)におちない 主人に製作(方法)などを聞く 答えはあいまいな感じ 値段のことを言うと つぎたし(継ぎ足し)た皿なら2000円ほどだと見せてくれたが、そもそも商品ではないだろう ていよくことわり(店を)出る それにしても朝から徒労。トルコの海難事故とか 天皇が見にきたとか そんなことはどうでもいいのだ>(そのようなことにはさほど関心がないのだ、と読み換えていただきたい)。
<灯台は個性的な形(をしていた) なんと形容していいのかわからない>。まったくもって、情景描写は苦手だ。だが、撮った写真がある。それを参考にして、この時の撮影情況を多少なりとも思い出してみよう。
立派な橋(串本大橋)を通過して、島(紀伊大島)に渡った。大きな島で、森の中をかなり走った。その行き止まりに、駐車場がある。トイレやちょっとしたカフェもあり、定期バスの停留所もあった。駐車場の先は、車両進入禁止の道路で、カメラを一台、肩から斜め掛けして、ぶらぶら歩きだした。たしか軽い方のカメラだったと思う、望遠カメラも三脚も必要ない、と事前の下調べで判断していた。
広々した道の両側には、大きな碑や土産物店が点在していた。そうだ、たしか、桜の木があって、満開だった。道の行きつくところは、広い芝生広場になっていて、二百メートル位先に<樫野埼灯台>が見えた。見えたと言っても、灯台の敷地は背丈ほどの塀にがっちり囲まれている。灯台の頭が少し見えた程度だ。
芝生広場の入口左側にトイレがあった。たしか、大きな案内板もあった。念のために用を足す。というか、公衆トイレを見ると、尿意がなくても、なんとなく入ってしまう。いわば、ワンちゃんの<マーキング>に似ていないこともない。
灯台へと続く、この芝生広場の小道の両側にも、碑や銅像などが点在していた。観光地の雰囲気だな、と思った。ま、いい。目指す灯台は、すぐ目の前だ。灯台の敷地の前で立ち止まった。<樫野埼灯台>と墨守された大きな木の表札?が、門柱の左側にかかっていた。
敷地に足を踏み入れると、右側にガラス張りの資料館のような建物があった。係員の姿は見えず、建物には入れない。ということは、敷地内は入場無料ということだな。向き直ると、思った通り、というか下調べしたとおり、ロケーションが非常に悪い。二階建てくらいの高さの灯台だが、手前左側には大きな木があり、右側には案内板がある。灯台の全景を撮るとすれば、この樹木と案内板が、どうしても画面に入ってしまう。右に振っても、左に振っても、敷地が狭いので、いかんともしがたい。
それに、灯台の左横に、かなり大きな、筒状の螺旋階段が併設されている。灯台の首のあたりまで登れるようだが、こんなに大きな構造物を灯台の横にわざわざ作って、歴史的にも価値のある、美しい灯台の景観を台無しにしている。
とはいえ、登れるのなら登ってみよう。タダだしね。高い所に登りたいのは、自分だけでもあるまい。鉄製の白い螺旋階段を登る。たしかに、見晴らしがいい。観光客にとっては、日本最古の石造り灯台より、太平洋を一望できるこの光景の方が<ごちそう>だろう。気分がいい。
眼下、右手下には、資料館の黒っぽい瓦屋根が見える。瓦の継ぎ目がところどころ白い漆喰?で補修されているのだろうか。いま写真で見ると、その補修跡が幾何学模様になっている。屋根のデザインだったのか?ともかく、なぜか<沖縄の民家>を想起した。<南国>を感じた。さらに、視線を飛ばすと、遥か彼方に岬があって、あっちからもこっちが見えるような位置取りだ。なるほど、あそこが<海金剛>だな。右側面から、樫野埼灯台の全貌が見える唯一の場所だ。下調べで見つけた景勝地で、この後、当然ながら、寄ることになっている。
その前に、いちおう、灯台の周りを360度回ってみた。海側の塀の前には、一つ二つ、崩れかかった木のベンチ置いてあった。灯台は、かろうじて画面におさまるものの、新緑の低木などに邪魔され、ほとんど写真にならない。要するに、この灯台は、前からも後ろからも、むろん左右からも、写真はあきまへん!
灯台の敷地を出た。今一度、門柱の<樫野埼灯台>の表札を見た。その表札を画面左にいれて、敷地の奥にちらっと見える灯台を撮った。灯台写真というよりは、記念写真だね。それから、念のために、塀の外回りを歩いた。樹木が繁茂していて、鉄柵のある断崖からは、ほとんど何も見えなかった。
ただ、西側からは、塀越しに灯台が多少見える。海も少し見える。とはいえ、このアングルだと、灯台よりは、塀の方が主役になってしまう。黒ずんだ、長方形の大きな石を積み上げた塀は、その重厚さ、堅牢さにより、<時代>を<昔>を強く感じさせる。存在感がある。写真を撮り始めた。位置取りを変え、かなりしつこく撮った。ま、絵になる構図だったのだ。
無駄足だったな。駐車場までの長い道を、たらたら歩いて戻った。途中、ひやかしで、トルコの土産物屋に寄ったり、銅像に近づいて、案内板に目をやったりした。やや観光気分だった。
駐車場のトイレで用を足して、車に乗り込んだ。すぐそばの定期バスの停留所に、若い女性がいた。サングラス越しにちらっと見たような気もする。ナビの画面で一応は確認して、<海金剛>へ向かった。分かれ道に案内板があり、すぐに着いた。途中、道の両側に民家並んでいたが、人の姿はなかった。多少広めの駐車場で、トイレがあり、資料館(日米修好資料館)のような建物が正面にあった。
樹木が覆いかぶさった、アーケード状の遊歩道をぷらぷら行くと、海側に凹んだ、人一人が展望できるようなスペースがあった。三脚を担いだまま、二、三歩、踏み込んだ。下は断崖絶壁だが、柵があるので安全だ。なるほど、ここの海景は素晴らしい。三角形の岩が、いくつも海から突き出ている。あとで撮りに来よう。この時は、一枚だけ撮って、遊歩道に戻った。
さらに少し行くと、視界が開けた。展望スペースらしき場所に出た。一段高くなったところには東屋もあった。ちなみに、遊歩道に覆いかぶさっていた樹木は椿だ。一、二輪咲いていたので、あっと思ってよくみると、幹がすべすべだ。椿のアーチとはオツなものだ。帰りに何枚か写真を撮った。
さてと、展望スペースからは、遥か彼方、岬の先端に<樫野埼灯台>が豆粒くらいに見えた。望遠カメラを持ってきたから、早速、断崖際の柵沿いに三脚を立てて撮り始めた。明かりの状態もまずまず、素晴らしい展望である。が、いかんせん、距離がありすぎる。400ミリの望遠では、勝負にならない。
ま、それでも、柵沿いに移動しながら、ベストのアングルを探しながら撮っていた。だが、ここにも観光客だ。見晴らしのいい柵沿いの展望スペースは、ほんの七、八メートルしかない。夫婦連れが、自分のすぐ隣にまで来て、そこをどかんかい!といった雰囲気だ。遠慮という概念を持ち合わせていないらしい。
となれば、移動せざるを得まい。先ほどちょっと寄った、遊歩道沿いの、極小の展望スペースへ移動して、観光客をやり過ごした。だがしかし、そのあとも、観光客が入れ替わり立ち代わりやって来る。そのたびに、重い三脚を担いで、極小展望スペースへ退避したり、後ろの東屋のあたりへ行って、反対側の海景などを眺めたりした。
天気はいいし、明かりの具合もいい。最高の海景だった。だが、肝心要の、灯台写真が撮れたような気はしなかった。あまりにも遠い。樫野埼灯台が小さすぎる。デジカメの800mm超望遠でも撮ったが、解像度が粗くて、写真にならない。あきらめきれない。明日、もう一度来てみよう、と折り合いをつけた。まったくもって、きりもない話だ。
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2023
05/31
Wed.
17:46:44
<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版
Category【灯台紀行 紀伊半島編】

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編
#4 三日目(2) 2021年3月22(月)
メモ書きの説明
紀伊半島旅、三日目の午後から夜にかけてのメモ書きに、少し説明を加えた。
梶取岬灯台の撮影を終えて、岬を下りた。途中で<落合博満・野球記念館>の案内板がまた目に入った。なぜこんなところに?と今度は思った。 いま調べると、ここ和歌山県太地町は、落合博満の故郷らしい。なるほど!
長い坂を下り切ると、右手に、閑散とした漁港がある。ハンドルを右に切って、中に入る。広々とした係船岸壁に車を止めた。坂の途中から見えた、赤い防波堤灯台が、すぐ近くに見える。だが、手前の高い岸壁に邪魔されて、写真にならない。
周りを見回すと、沖の方に小島があり、そこに何やら小さな灯台が立っている。さらに目を細めると、はるか沖合にも、同じような小島があり、その上にも、同じような形の灯台が立っている。400ミリ望遠では勝負にならない。ポーチにくっ付けているデジカメを構えて、光学800ミリズームで見てみた。たしかに灯台だ。ま、言ってみれば、ミニ灯台だ。それも二つも。長閑な海景に心が和んだ。
で、この光景をもう少しちゃんと写真に撮っておきたいと思い、場所を移動した。要するに、多少なりとも高い位置からがよろしいのではないか。漁港を出て、少し坂を上り、道路際の駐車スペースに車を入れた。外に出て、重い400ミリ望遠カメラを肩に掛け、えっちらおっちら、坂を登り始めた。車で上がった時は、坂の傾斜など全然気にならなかった。だが、いざ自分の足で登るとなると、この坂はかなり急だ。それに長い。
要するに、平場の漁港から、岬の上へと上がる坂だ。半分くらい登って、息が切れた。もういいだろう。海側には歩道がないので、崖際のガードレールに体を寄せて安全を確保した。そして、海を見た。お~、いい景色!小島のミニ灯台もちゃんと見える。ただ、距離があるだけに、写真的には、なかなか難しい。
新兵器?のデジカメの光学1600ミリズームでも撮ってもみた。だがこれは、解像度があらすぎて、モノにならないことが、帰宅後にわかった。でもこの時は、なんとなく撮れたような気がしていて、六万円で買ったデジカメが役にたった、と気分良く坂を下りた。そうそう、この坂の山側には歩道があり、車を気にすることなくゆっくり歩けるのだ。ぶらぶら行くと、歩道上に鯨がデザインされたマンホールがあった。立ち止まって、つくづく見た。<ご当地マンホール>だな。面白いと思った。
<1:30 このまま 串本町のホテルへ行くか それとも もう一度 梶取灯台を撮って そのまま潮岬灯台の夜の撮影に入るか迷う とにかく まだ時間はある 梶取は二回目 さして時間はかかるまい ということで梶取へ行く 明かりの様子がさきほどとは全然違う 撮りにきてよかった>。
付け加えることがあるとすれば、午前中に比べて、観光客や、犬の散歩をする人が目に付く。次から次へとなので、画面に入り込んでしまう。だが、これはいつものことで、致し方ない。頓着せずに撮った。あとは、きれいに刈り込まれた芝生の上に、大量の糞が、一塊ずつ、ところどころにあった。黒くてコロコロしていたから、これはヤギとか羊とかのものだろう。しかし、辺りに、そうした動物の姿は見えない。意味が分からなかった。
が、そのうち、どこからともなく作業服を着たおじさんが現れて、箒と塵取りを使って、糞をきれいに取り除いていた。今思えば、この公園に隣接するホテルのような、老人ホームのような、きれいな建物と関係があるのかもしれない。そこで飼っている動物を散歩させに来た、ということかな、となると、作業服のおじさんは、その施設の従業員なのか、いや、あの作業服は町役場の臨時職員のようでもあった。ますます訳が分からない。
だが、とにもかくにも、この灯台は、よく整備された、見通しのいい、素晴らしい場所であることに変わりはない。天気もいいし、桜もちらほら咲いていたし、立ち寄ったことに、十分満足していた。
<3:00 いちおう潮岬灯台へ向かう が 途中で気が変わって ビジネスホテルに荷物をおき 撮影に行くことにした なにしろ ホテルは灯台へ行く前に 目の前を通るのだ>。メモ書きの最後のほうが、日本語として成立していない。ようするに、ホテルは灯台へ向かう途中にあるので、寄ったとしても時間的に問題はない、という意味だ。
<3:30 ホテル着 チェックインして 荷物を部屋にはこぶ 受付の女性の応対はよい 自分より一回りくらい若いだろうか やや四角張った面立ち 美しいタイプ 自分の好みかもしれない ま そんなことはいい>。JR串本駅近くの、場末のアパートのような、このビジネスホテルについては、あとで記述することにして、先に進もう。
<3:45 灯台までは15分 (灯台付近はマップ)シュミレーション済みなので (迷わず)有料駐車場に入り ¥300払う 夜おそくまで置いておくが大丈夫かと聞く 耳が遠いいのか 二回ほど聞き返される 75歳(くらいの)後期高齢者のじいさん(だった)>。潮岬灯台の根本に到達するには、ここに車を止めて、小道を百メートルほど歩くようだ。ただし、敷地が狭いので、写真的には難しいだろう、と調べはついている。それに、今日のところは、灯台に夕陽を絡めて撮るつもりなので、灯台には背を向け、道路を歩いて、東側の見晴らしスポットへ直接向かった。
<4:00 撮影開始・・・>。この見晴らしスポットは、正式には<和歌山県朝日夕陽百選(潮岬)>と言って、夕陽が見える観光名所だ。道路際に位置していて、断崖際には柵がちゃんと設置してある。海と灯台に向かって、木製のベンチがいくつかあり、先端の方には小さな東屋が立っている。道の向かい側にはホテルなどが見える。
<陽はまだ高い ゆっくり(撮影)ポジションなどをさぐる 五時すぎても陽が高い 五時半ようやく陽が傾きはじめる と いきなりバイクの音 じじいが三脚をうしろにくっつけて写真を撮りにきたようだ 一瞬 あいさつして 夕日の落ちるポジションを聞こうとおもった だがやめた 白髪の意地の悪そうなじじいだ>。
<そのうち ミケ(猫)がどこからともなくあらわれる 人になれていないようで 近づくと逃げていった すこしたって ベンチに座っていると ミケが目の前を走りぬけていった 道路のむこうに民家がある そこでかわれているのだろう>。
<じじいの友達がきた 大きな声でしゃべりはじめた 6:00 もうひとり じじいの知り合いがきた。要するに 夕陽を撮りにくるのが日課なのだろう 6:15 水平線近くに雲があり日没は(見え)ない じじたちは帰っていった そのあとのブルーアワーもたいしたことなかった 灯台の光線 あかりが見えはじめる7:00頃までねばる 寒い 防寒対策は十分にしてきた ただしダウンパーカでなく ダウンベストを持ってきてしまった それでも十分あたたかかった>。
見晴らしスポットには街灯がない。すでに真っ暗だ。写真も、十二分に撮ったし、引き上げよう。額につけたヘッドランプの明かりを頼りに、滑らないように、転ばないように、慎重に歩いて、道路に出た。そのままガードレールに沿って少し歩いて、駐車場に着いた。広い駐車場には、自分の車しか止まっていなかった。料金徴収の小屋も無人だった。
朝っぱら動き回っていたわりには、疲れてもいなかったし、なぜか、さほど腹も空いていなかった。途中で、何か食べたのだろうが、今となっては思い出せない。あたりはうす暗く、人の気配もない。だが、どことなく腹がすわった感じだ。怖くもなく、寂しくもなかった。いわば、平常心だ。いや、限り無く<自由>だったのかもしれない。
追
読み直してみると、夕暮れの潮岬灯台の撮影をしていながら、その記述がほとんどない。肝心なものが抜けていませんか?おそらく理由はこうだ。<肝心な物=灯台>は、写真に山ほど撮ったわけで、記述する必要性を感じていない。どのような位置取りで、どのようなカメラ操作をして撮ったか、そんなことは、今となっては、思い出すのも、記述するのも億劫だ。百歩譲って、写真の勉強、写真の腕をあげるという意味では、<記述>も多少役に立つかもしれない。だが、最近はその情熱も下火になっている。
もう一つは、灯台撮影時の文学的記述だ。これは、<旅日誌>の執筆当初から、かなり頑張って挑戦してきた事柄だ。だが、苦労が多い割には、たいして面白くならない。風景描写や情景描写、さらには、内面心理の動きや感情の色彩を記述することは、自分にとっては、かなり難しい。至難の業、といってもいい。ありていに言って、小説家のようには書けない。ま、書けたら面白いだろうなとは思うが、目指すところはではない。穴をまくってしまったわけだ。
もっとも、撮影記録にしても、文学的記述にしても、衒いなくすらすら書ければ、書くことにやぶさかではない。だが、脳髄から絞り出さねばならない情況では、やはり、シカとして通り過ぎたほうがいいだろう。でっちあげた文章ほど、胸糞悪い物はない。・・・最後の文章は削除したほうがいい。<あのブドウは酸っぱい>。自己正当化の、最たるものだ!
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2023
05/22
Mon.
08:14:40
<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版
Category【灯台紀行 紀伊半島編】

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編
#3 三日目(1) 2021年3月22(月)
梶取埼灯台 撮影(1)
紀伊半島旅、三日目の朝は、津市内の、大手ビジネスホテルの部屋で目が覚めた。<5:45 起床 昨晩もほぼ一、二時間おきにおきにトイレ 眠りが浅い>。<>=山カッコ内は、メモ書きからの転用なので、いちおうは事実なのだろう。事実というものが、この世に存在するとしての話だが。
さてと、<6:45 朝食 二階の食堂 バイキング形式 ビニール手袋でトングをつかむ さほど混雑もなく 気分よく自室に戻る 便は出ない>。この大手ビジネスホテルは、朝食バイキングがウリで、何回か利用している。仕事とか出張できている人が多くて、ほとんどは作業着の男たちだ。観光客は少ない。雰囲気的には、ま、好きな方だ。
<7:30 出発 車庫から出る時 左側の(路駐している)車に視界をさえぎられ 車が来るのがわからなかった あわやぶつかる所だった でかいランクルで 狭い道なのにスピードを出しすぎ ヒヤッとする>。自分の不注意よりも、路駐の車とランクルにイラっとした覚えがある。ランクルに乗っている奴にロクな奴はいない。ま、これも、偏見であることに間違いない。
県庁などが見える大通りを抜けて、<津>インターへ向かう。そうか、三重県の県庁所在地は<津>だったのか!どうでもいいことに感心しながら、高速に入る。<伊勢道―紀勢道―有料道路>と乗り継いで、熊野市からは一般道に入り、さらに、新宮、那智勝浦方面へと向かう。
途中、きれいな<道の駅>のようなところに寄り、トイレ休憩。ついでに、那智黒石の招き猫を買う。大きさ的には、大中小とあったが、ケチって一番小さいものにした。ま、これは亡きニャンコへのお土産だな。あとは、般若心経が胸に印刷されている黒のTシャツを買った。こっちは、そのうちまた四国巡礼をするときに着るつもりだ。場所柄的に、熊野、新宮、那智とくれば、いまだに山岳信仰のメッカで、自分にも、多少の信仰心が蘇ったのかもしれない。
まあ~、一種の衝動買いだな。ちなみに、般若心経の黒Tシャツは、帰宅後すぐに袖を通した。まったく似合っていなかった。むしろ、悪趣味だ。はたして、これを着て、四国の札所を巡る日が来るものなのか、いまのところ定かではない。
熊野古道にも那智の滝にも寄らず、結局は、バカげた妄想の中を漂いながら<ほぼ予定通り、11:30頃に梶取埼(かんとりさき)灯台に着く>。港(太地漁港)を左手に見ながら、急な坂を上り、ナビの案内に従い、うねうね行くと、行き止まりに小さな駐車場があった。
梶取埼灯台は、きれいに手入れされた公園の中にあった。緑の芝生はきっちり刈りこまれ、驚いたことに、二、三本、桜が咲いている。灯台に桜、これは、めったに見られる光景ではあるまい。そばにあったトイレで用を足し、気分良く、撮影開始だ。
そう、距離的には100メートルほどだろうか、真正面に灯台があり、背後には海が見える。灯台の右側は多少広くなっているので、横からも撮れる感じだ。歩き出すと、すぐ右手に大きなクジラが鎮座している。<鯨供養碑>。いちおう記念写真だ。そういえば、さきほど入ったこぎれいなトイレの前にも、捕鯨を主題にした大きなレリーフがあった。それに、灯台のてっぺんの<風見鶏>が、<風見鯨>になっている。これは面白い。
後々になって、気づいたのだけど、ここ太地町は、昔から捕鯨が盛んな土地で、最近では、イルカの追い込み漁が問題になり、反対派などが押しかけ、ひと騒動あったところだ。そんなこととはつゆ知らず、灯台巡りの道すがら、通り道にロケーションのいい灯台があるので、たまたま寄ったまでだ。なんとも脳天気な話だ。
自然保護や環境保護、捕鯨やイルカ追い込み漁については、あまりに問題が大きくて複雑なので、ここでは、ノーコメントとしたい。賛成、反対、どちらの人たちも、いわば体を張って闘っているわけで、部外者が、ちょろっと無責任な発言をするような問題じゃない。それが良識というものだろう。いや、良識もヘチマもない。ここは黙って、通り過ぎよう。
…いつものように、撮り歩きしながら灯台に近づいていった。さほど巨大な灯台ではないが、これまでに見たことのない、ちょっと変わった形をしていた。というのは、頭というか顔というか、とにかくてっぺんの方に、海の方へ突き出たベランダがあり、そのベランダの先端部には大きなレンズが設置してあった。つまり、この灯台は、海を照らすレンズを二つ持っているのだ。
その時は、わけがわからなかったが、今調べると、それは、<梶取埼ナミノリ礁照射灯>という、ほとんど読めないような名称だが、要するに、付近の岩礁を照らして、船舶の安全航行に寄与している、ま、灯台のような機能を持つ設備だった。<灯台>に<照射灯>が併設さている結果、いわゆる、一般的な灯台の形が変則的になっている。変った形、いや、個性的な形になっている、と言い換えておこう。
それと、灯台付近にはソテツ?のような植物があって、南国ムードが漂っている。思えば、三月にしては、かなり暖かくて、快適だった。和歌山といえば、すぐに紀州みかんを連想するのは、かなり貧しい想像力と言わねばなるまいが、温暖な気候であることに間違いはない。
灯台の根本に到着した。登れる灯台ではないので、回りをぐるっと歩きながら、かなりの仰角で写真を撮った。もっとも、東側は、ほとんど<引き>がないので、撮らなかった。いずれにしても、近すぎて写真としてはモノにはならない。
と、何やら案内板だ。なになに、と読む前に、まず写真を撮った。あとでゆっくり読めばいい。要するに、さらに海に突き出ている一段低くなった岬の先端部に、鯨を捕っていた頃の<狼煙場>があるようだ。好奇心を多少刺激され、加えて、灯台を海側から撮れるので、ここは行くしかあるまい。
たしか、階段状の小道を十段くらい降りて、また登った。と、両脇が木立になり視界がなくなる。したがって、灯台を、海側から撮る位置取りとしては、小道を少し登ったあたりがよい。梶取埼灯台の全景が見える。ただし背景は空、右側に、少しだけ断崖と海が見える。この時はここで引き返した。<狼煙場>よりも来るときに見かけた漁港の防波堤灯台が気になっていたのだ。
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2023
05/08
Mon.
17:55:12
<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版
Category【灯台紀行 紀伊半島編】

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編
#2 二日目 2021年3月21(日)
時間調整
2021年3月21日、日曜日。昨晩は、慣れない車中泊で、ほとんど熟睡できなかった。それにしても、真夜中の断続的な野太いエンジン音と爆音が、想定外だった。どこの誰だか知らないが、忌々しい感じがした。
朝の6時過ぎには目が覚めていた。だが、もう少し寝ていようと思った。何しろ今日は小一時間走って、午後の3時過ぎに<津>インター近くのホテルにチェックインするだけだ。
日除けシェードの隙間から外を見ると、まだ薄暗くて、土砂降りだ。午後の3時まで、どこで暇をつぶすかな?雨だし、写真も無理だろう。もっとも、<津>付近の灯台などは調べていなかった。というのも、当初の計画では、<津>インター付近のホテルに夕方着き、一泊して、翌朝すぐに移動を開始するつもりだったからだ。
雨音や車の出入りの音、人の声などを聞くともなく聞きながら、小一時間、横になったまま、寝ているでもなく、起きているでもなく、なんとも中途半端な、しかし、なぜか懐かしい、平安な時の流れに身をゆだねていた。
<津>か~~?海が近いし、港がある筈だ。港があれば、そこには必ず灯台がある。雨降りだから、写真は撮れないまでも、海岸縁でぼうっとしているのも一興だな。だんだんと意識がはっきりしてきた。
7時半に起きた。車内で朝の支度をした。細かくは、書かない。まずおしっこ缶に排尿。これですべての缶が満杯になった。次に、ブラシで髪をとかし、洗面桶に少し水を入れ、手ですくって、顔を何度か洗った。さらに、口に少し水を含み、歯磨き粉をつけない歯ブラシで、歯を磨いた。そのあと、口の中にある水を、洗面桶に、ぺっと吐き出した。朝食は、昨日買っておいた牛乳と赤飯おにぎり、それに菓子パンだ。まったく食欲がなく、しかも、赤飯握りは、バサバサで食えたもんじゃない。半分残した。
そのうち、かすかな便意を感じ、トイレに行きたいような気がしてきた。だが、外は土砂降り。濡れネズミはごめんだな。とたんに、便意が消えてしまった。そうだ、<津>付近の灯台だ。ナビで調べてみた。あ~、<贄埼灯台>。漢字が読めないので、名前がわからない。とはいえ、ネットの<灯台サイト>で何度か目にした名前だ。ま、行ってみるか。
午前9時前、雨の中、鈴鹿パーキングを出発。やっぱり、この歳になって、車中泊なんて無理だよな。とはいえ、無理なことがわかったわけで、後悔はなかった。
<津>の市街地を通り抜け、ナビの案内に従った。ものの一時間もたたないうちに、現地に着いた。<贄埼=にえさき灯台>は、通行禁止の防潮堤の終点に立っていた。ま、<通行禁止>ではあるが、車が通れる。しかも、都合がいいことに、終点に車一台分くらいの駐車スペースがある。念のため、防潮堤の上で、何度か切り返して、車の向きを変えておいた。すぐに逃げられるように、だ!
外に出た。<残念>が二つ重なった。ひとつ目は雨。土砂降りではないものの、降っている。車に常備している大きめのバスタオルでカメラを保護した。頭は、パーカのフードをかぶった。これで撮影できないこともない。だが、ふたつ目の残念だ。灯台は小ぶりながら、石垣の上にのっかっていて、昔の木製の<灯明台>のような形をしている。造形的に面白い。ただし、ロケーションが最低。うしろは民家、そばに電柱と電線があり、緑色の網フェンスできっちり囲まれている。これでは、撮りようがないではないか。
防潮堤を下りた。そこは海岸ではなく、道路だった。目の前に大きな施設があり、高速船のような船が止まっている。なんなのかよくわからない。海沿いに大きな駐車場もあった。ちなみに、この施設は<津エアーポートライン>。対岸の愛知県<中部国際空港>との間を高速船で往復しているらしい。HPには、コロナでずっと休止していたが、19日から再開と書いてあった。
防潮堤の下の道路も、行き止まりで、Uターンするようになっていた。振り返って、灯台を見ると、今度は、反り返った防潮堤が目の前にど~んとある。写真にならん!だが、しつこく、防潮堤の先端まで行って、灯台の全体像を画面におさめた。と言っても、空は空白、電線が斜めにかかった灯台は、まったく絵にならない。石垣の上に立つ<灯明台>的なフォルムが面白いだけに、残念だと本気で思った。
雨は、依然として降っていた。だがまだ、かろうじて写真が撮れる状態だった。向き直って、海のほうを見ると、三角形の赤い防波堤灯台が見えた。近くに白い防波堤灯台も見えたが、こちらの方は、灯台の形を成してない。単なる白い鉄柱のような感じだった。この、雨に煙る名も無き小さな灯台たちを、写真に撮れたらなあ~、とちらっと思ったような気がする。バスタオルで、雨からカメラを保護しながら、何枚かは撮った。
雨足が少し強くなってきた。引き上げ時だ。車に戻った。まだ午前中の十時過ぎだった。昨晩の車中泊のせいだろう、眠気が差してきた。車を止めて、ゆっくり仮眠できる場所をナビで探した。近くに<ヨットハーバー>があり、海岸沿いに車を止められそうだ。行ってみるか。
来た道を、ぐるっと戻る感じで、川ひとつ渡り、海岸沿いの広い駐車場に着いた。車が数台止まっている。隣が<ヨットハーバー>だ。しずかな場所で、仮眠場所にはぴったしだ。窓にシェードを貼りつけ、後ろの仮眠スペースに滑り込んだ。持ち込んだ厚手の布団を一枚掛けたような気もする。暑くもなく寒くもない。横になった途端、眠ってしまったのだろう。目が覚めた時には、昼の十二時を過ぎていた。
頭がすっきりしていた。雨もやんでいた。外に出た。カメラを手にして、目の前にある防潮堤に近づいた。都合がいいことに、階段があり、砂浜におりられた。空も海も鉛色。風が強くて、波が荒い。
視界の左方向に、先ほど見えた三角の赤い防波堤灯台が見えた。距離があるので、ポシェットに括り付けているデジカメの超望遠などでも撮った。天気が悪く、そのうえ逆光気味だから、きれいには撮れない。記念写真にしかならない。それでも、しつこく撮っていたのは、きっと、いまいる場所、時間、気分などが気に入ったからだろう。意味もなく、ちょっと感傷的になっていたのかもしれない。
車に戻った。ホテルのチェックインまでには、まだ時間がある。再度、ナビを見て、付近に何かあるか探してみた。目と鼻の先に<海浜公園>がある。行ってみるか。防潮堤沿いの細い道を少し走ると、道沿いに、なにやら、それらしき場所があった。ただし、海に面しているわけでもなく、普通の駐車場だ。いったん中に入って、すぐにUターンした。
細い道をさらに行くと、なんとなく行き止まり。いや、右直角に道があり、防潮堤の上に出てしまった。防潮堤の上は、というか、正確には、防潮堤の下の道は、かなり広くて、海岸沿いに、ずっと伸びている。車は一台も止まっていない。いや、一台だけ黒いワンボックスカーが止まっていたな。看板があり、むろん、通行禁止だ。景色はいいが、ここに車を止めるわけにもいかないだろう。そのままバック、何回か切り返して戻った。
その後は、また先程のヨットハーバー隣の駐車場へ行って、二度目の昼寝をしたのだと思う。目が覚めた時には、雨は上がっていた。3時少し前だと思う。
・・・唐突だが、ここで言い訳をしておこう。というのは、今現在の日時は、2022年1月2日だ。どういうことなのか、要するに、この旅日誌は、昨年の春先、旅後に、ここまで書いて、放棄してしまったものなのだが、多少の時間が過ぎて、やはり完成させようと思いなおして、書き始めたものなのだ。
旅後の旅日誌の執筆を、灯台旅の約束事としていたにもかかわらず、あっさり反故にした理由は、今となっては、こまごま書くのも煩わしいが、苦労の多い割には実りの少ない駄文にすぎない、とある時確信したからであり、その結果、何かが書けていたように思っていた自分と駄文に嫌気がさしてしまったのだ。ま、ケツをまくったわけだ。
ところがだ、時間の経過とともに、気分も変わり、この<紀伊半島旅>と次の<出雲旅>の旅日誌の執筆は断念したものの、そのあとの<男鹿半島旅><網走旅>の旅日誌は、ちゃんと脱稿した。こうなると、ますます上記二つの旅日誌が書かれていないのが、気になる。整合性がないではないか!いや別に、そんなことはどうでもいいのだけど。
とにかく、気分的には、この二つの、<紀伊半島旅>と<出雲旅>の旅日誌を完成させたいという気持ちが強くなってきた。とはいえ、今更、その当時のことが、思い出せるのか?ま、やってみるしかないな。さいわい、メモ書きと撮った写真が残っている。それを頼りに、頭の中の暗闇を歩き始めてみよう。
・・・午後三時になった。ホテルにチェックインできる時間だ。ナビで見つけた<すき家>で夕食を調達して、幹線道路沿いの大きなビジネスホテルに入った。といっても、細かい事はもちろんのこと、断片的なイメージすら浮かんでこない。まあ、勘で書いていこう。すぐに<風呂、日誌、くつろぐ>。おそらく<牛丼>だろうが、どのタイミングで食べたかも、今となっては、忘却の彼方だ。
なにも、そんなことを思い出すために、苦労することはないだろう。だが、そうした事どもをないがしろにすると、そもそものところ、記述することが、なにもなくなってしまうかもしれない。ま、いい。<明日からの写真撮影 花粉症がひどい はなづまり すでに450キロ以上走っている>。いちおう、メモ書きは転記しておこう。
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2023
04/26
Wed.
14:11:06
<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版
Category【灯台紀行 紀伊半島編】

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編#1
#1 一日目2021-3-20
プロローグ~出発
2021年3月20日土曜日。午後9時。今いる場所は、新名神鈴鹿パーキングエリア。これから車中泊。外は土砂降り。なんで、こういうことになったのだろう。少し説明しておこう。
紀伊半島灯台巡りの実行を本気で考え始めたのは、3月に入ってからだった。当初は、新幹線・電車・レンタカーの旅を考えていた。何しろ、紀伊の国は遠い。500~600キロある。だが、依然として、年初からのコロナ感染による<緊急事態宣言>が解除されない。それに、寒いしな~。
とはいえ、月一回の灯台旅を心づもりしているのに、前回の旅からは、すでにまる3か月以上たっている。多少、うずうずしている。名古屋までの新幹線の時刻表や運賃、それに近鉄電車の鳥羽へのルート、駅近くのレンタカーやホテルなどをネットで調べた。調べているうちに、実際の行程が、まざまざと目に浮かんできた。と、なんだか、電車旅がめんどくさくなってきた。
やはり、自分の車で行くのがいい。荷物もたくさん持っていけるし、何しろ自由度が全然違う。500キロだろが600キロだろうが、途中で一泊すればいいわけで、ケチな話、その宿代を考えても、レンタカーを借りるよりは安くあがる。それに、車で行くなら<コロナ感染>のリスクも下がる。
車で行くのが一番いいのだけれども、何しろ距離が、と運転体力に関して弱気になっていたのだ。それに、運転時間が長くなれば、その分事故の可能性も増えるわけで、万が一のことも考えられないこともない。いや、これは、ちょっと思っただけだ。
ごちゃごちゃ考えていても、埒が明かない。快に流れる有機体の傾向に身をゆだねよう。紀伊半島の旅、今回も車で行こう、ということに相成った。
決断した後は早かった。すぐに、実際の行程を詳細に検討しだした。これまでの高速走行の経験から、まあ、1日400キロくらいが限度だろう。一時間に60キロ移動するつもりで走るなら、高速運転もさほどきつくはない。つまり、1日8時間運転して、480キロ進めるわけだ。今回の場合<津>がそのあたりだ。いや正確に言えば、<津>までは400キロだ。
<津>で一泊して、次の日に200キロ移動する。このうち半分は一般道で、検索によれば、約4時間かかる。ということは4時間半とみればいい。ちょうど昼頃、通り道の<梶取岬灯台>に寄る。この灯台は目的地の30キロ手前、那智勝浦辺りにある。ネット画像で見る限り、ロケーションがよい。ここで、2時間ほど寄り道をしたとしても、紀伊半島の先端、潮岬灯台には、日没前の3時か4時頃までには到達できるだろう。何しろ、お目当ての<潮岬灯台>は夕日がきれい、らしいのだ。
ところで、今回の旅の計画は、天候の問題などもあり、二転三転、いや四転五転している。その経過は、もういいだろう。思い出して何の得になる!決定事項となった最終計画だけ書き記そう。
21日・日曜日は雨、この日に400キロ走って<津>まで移動、ホテルに泊まる。次の日から二日間は晴れそうなので、紀伊半島の東側?を200キロ南下、和歌山県へ移動。<串本>駅付近のビジネスホテルに三泊して、<潮岬灯台><樫野埼灯台>の撮影。25日の木曜日、午前中は雨予想。この間に、200キロ北上して、三重県伊勢志摩方面へ移動。<鵜方>駅付近のビジネスホテルに三泊。<大王埼灯台><安乗灯台><麦埼灯台>の撮影。最終日は500キロ走って、自宅に戻る。
出発の前々日の金曜日には、すべての手配を済ませ、念入りな現地マップシュミレーションも終了。むろん、車への荷物の積み込みも完了していた。
出発前日の、土曜日になった。雨はまだ降っていないが、いまにも降り出しそうな空模様。昨日来から、なんとなく胸騒ぎがしていて、出発日の天候を、しょっちゅうスマホで確認していた。実を言うと、御殿場付近からの箱根の山越えが気になっていたのだ。三時間降水量が16mmくらいあり、かなり多い。雨の日に出発する、というのも気が重いが、高速道路で強い雨風に出っくわすのは、もっと嫌だ。以前、若い頃に暴風雨の中、東名を名古屋から東京まで走った経験がある。あれはかなりきつかった!
時刻は、午後の一時半だった。このまま、ぐずぐずしていてもしようがない。決断した。出発を一日前倒しして、雨の降らないうちに箱根の山を越えてしまおう。宿は、いまから予約できるはずもないので、今から、走れるだけ走って、高速のパーキングで車中泊だ。天候的には、暑くもなく、それほど寒いということもないだろう。
幸いなことに、と言うべきか、旅の用意はすべて完了していた。あとは着替えだけだ。何と言うか、せっかちというか、小心というか、当初の計画をあっさり反故にして、前日の午後二時に出発してしまった。このへんは、かなり気ままで、多少小気味よかった。
五、六時間、曇り空の中、高速を走った。東名から伊勢湾岸道に入るあたりで、雨がパラパラ降ってきた。同時に暗くなってきたが、夜間運転が目に眩しいこともなかった。ふと、二十年ほど前の、眼発作を思い出した。あの時は、車のヘッドライトが異様に眩しくて、夜間運転など、まったく不可能だった。失明の危機を脱して、今こうして、自在に車を運転できる自分が、不可思議であり、奇跡のようだと、内心ニヤリとした。
・・・というわけで、これから、土砂降りの鈴鹿パーキングで車中泊をしようというわけだ。おもえば、この車で車中泊をしたことは、一度もない。いわば初体験だが、食事、洗面、就寝、排尿などのシュミレーションは、ちゃんとしている。問題はない。と思ったが、歯磨きの際に、ちょっとした齟齬を感じた。コップを持参するのを忘れたのだ。ま、今日のところは、歯磨き粉は使わずに、歯ブラシを水にぬらし、口の中でごしごしして、その後は、飲み込んでしまった。汚いと思えば汚いが、ま、臨機応変、そんなこともできるんだ。
その後は、まだ眠くなかったので、ちょっと長いメモ書きをした。30分ほどして、それにも飽きて、21時15分、耳栓をして消燈。しかし、23時半ころ、車の野太いエンジン音に驚かされて、目が覚めた。もっとも、おしっこタイムでもあり、おしっこ缶にイチモツの先っちょを差し入れて、粗相の無いように排尿した。この行為も、なんだか滑稽で面白いとさえ思えてきた。
350mmのオシッコ缶は、この時のために、4、5本、持参している。問題ないと思っていたが、あにはからんや、1時間おきくらいの排尿で、朝になるまでには、すべての缶がいっぱいになってしまった。夜間頻尿なのだろうが、ガキの頃から、おしっこは近いほうだったから、この時は、ほとんど意に介さなかった。それよりも、一晩で出した、おしっこの量に、やや驚いた。こんなに水分を取った覚えはないよな、と。
あと、例の、野太いエンジン音が、一晩中、やはり、1時間おきくらいに聞こえてきた。しかも、なぜか、駐車場内で、かなりの時間アイドリングをしている。その振動音が不快で、寝付けない。そのうちには、爆音を轟かせて、遠ざかっていくが、少しすると、またやって来る。同じようなことが、4、5回あったような気がするが、あれは、幻聴だったのか?いや、そうではないだろう。何しろ、ここは<鈴鹿>だ。その種のスポーツカーが集まってくる場所だったのかもしれない。車中泊地の選択をまちがったな。翌朝、寝不足の頭でそう思った。
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2023
04/15
Sat.
09:31:53
<灯台紀行 旅日誌>2020年度版
Category【灯台紀行 愛知編】

<灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#17
伊良湖岬灯台撮影6~エピローグ
自動ドアの前に立った。仄かな、上品な香りがした。ユリのお花たちをちらっと見たが、暗くて、はっきり見えなかった。外に出た。まだ真っ暗だ。目の前の交差点の青信号が、やけに鮮やかだった。恋路ヶ浜の駐車場までは、ほんの一分だった。車が数台止まっている。装備を整え、カメラ一台、肩掛けして、三脚を手に持った。左側の砂浜と海を見ながら、遊歩道を歩きはじめた。釣り人は、居るにはいるが、ほんの数人だった。
予定通り、日の出前に、灯台に着いた。迷わず、西側撮影ポイントに向かった。石塀をよじ登り、乗り越え、波消し石たちの間に下り立った。たしか、磁石を見たような気もする。くるくる回る針の赤い方を、文字盤の<北>に合わせるのだ。そのときの文字盤の<東>が、東方向だ。間違いない、灯台の左下あたりから、陽が昇ってくるはずだ。ただし、左側の山がせり出していて、灯台との間に見える水平線の範囲が狭い。はたして、あの狭い所に、本当に陽が昇ってくるのか、確信はなかった。
数個の、大きな波消し石にまたがった形で、三脚を立てた。その際、垂直を確保するために、三本ある足のどれかを、この時は二本だったが、短くして、安定を図った。思い出していただきたい、波消し石たちは、全体的に見れば斜めになっている。したがって、個々の波消し石の関係も、これに準じるわけだ。斜めの場所に、三脚を置けば、当然、三脚も斜めになるか、あるには、傾斜がきつい場合には倒れしまう。真っすぐに立てるには、足の調整が必要だ。
三脚を真っすぐに立てる、ということは、写真撮影においては、基本中の基本だ。ただし、この基本を守るのは、なかなか難しい。つまり、何をもって、垂直の基準にするのか?ふつうは、地面だろう。だが、地面が水平なら、わざわざ、三脚の垂直を確保するまでもない。三本の足を均等に伸ばして、そのまま置けばいいのだ。
しつこいようだが、斜めの場所に三脚を立てる場合は、三本ある足の長さを調整するしかない。だが、その際、垂直の基準をどこに置くのか?これは、足ではなく、三脚の真ん中の棒(センターポール)だ。この棒が、真っすぐ下に向かっているならば、三脚の垂直は確保されている。だが、棒が下に真っすぐ向かっているかどうか、どう判断すればいいのだ。棒を横から見て、天地に対して真っすぐになっていれば、ま、一安心だ。
だが、その辺の判断が微妙だ。一例をあげれば、この棒を、反対側、ないしは、左か右から見ると、やや曲がっていることが、非常に多い。そうなると、また、三本の足の調整をしなければならない。経験的には、一発で、三脚の垂直が確保されたことはない。二回、三回と、この作業を繰り返すことが多い。厳密になればなるほど、この作業の回数はふえるわけで、いつまでたっても、写真撮影が始まらない。したがって、ある程度のところで妥協して、撮影を開始する。この時もそうだった。
日の出は、六時四十五分頃だ。昨晩、スマホで調べた。とはいえ、すでに、五十分を過ぎている。山側の水平線が、少しオレンジに染まっているが、まだ太陽は見えない。あれ~と思っていると、そのオレンジが、見る見るうちに濃くなって、いわばみかん色だ。おお~と思いながら、リモートボタンを押していた。と、おいおい勘弁してくれよ。人影だ。それも、いままさに、太陽が出てくる水平線の真ん前と、灯台の横だ。
伊良湖岬灯台の、というか伊良湖岬の日の出を見に来たカップルだな。というのも、灯台のすぐ下の波消し石の上で、男が、石塀や階段の上でポーズを取る女を撮っているからだ。あの位置からでは、日の出は入っても、灯台は画面におさまらない。灯台には興味がないわけで、ひたすら、日の出をバックに、彼女の写真を撮っている。二人の姿は、黒いシルエットだったが、その行動は、手に取るようによく見えた。
おりしも、みかん色が極まって、日が昇ってきた。水平線ぎりぎりの、小さな火の玉。まさに、この瞬間を撮りに来たのに、男女の黒いシルエットが、邪魔をしている。早くどかないかな、と思いながら、写真を撮り続けていた。幸いなことに、火の玉が少し大きくなって、水平線から、二、三センチ上に上がった頃に、二つの黒いシルエットは消えた。だが、火の玉はそろそろ限界に近づいていた。<丸>は、しだいに<空白>になり、その周辺を黄色の輪が取り巻き始めた。
あとで、この時の写真をよく見ると、正確な意味での日の出は見られなかったようだ。つまり、太陽は、水平線近くにたなびく雲の上から出てきたように見える。ま、それでも、この時は、帰宅日は撮影しないですぐ帰る、という自分なりの旅の流儀を反故にし、なおかつ、天気予報にも、男女の黒いシルエットにもめげずに、伊良湖岬灯台の日の出を撮った、と思っていた。
戻そう。不思議なもので、水平線の、ほんの数センチ上に来ただけで、太陽は、<火の玉>から、一気に黄色い光の環に変身する。もう<丸>は見えず、中心が<空白>の黄色い同心円が光り輝いている。光が強すぎるのだ。こうなった以上は、日の出の撮影を終了せざるを得まい。移動して、東側の撮影ポイントで、朝日に染まる灯台を撮ろう。
愚痴を言っても始まらないし、言いたくもないのだが、もういい加減、この動作は勘弁してもらいたい。足を石塀にあげるたびに、足のどこかがツリそうになる。だが、そうもいくまい。また石塀によじ登り、乗り越え、危なっかしい足取りで、波消し石たちの中に立った。
思った通り、灯台の胴体が、ほんのり赤く染まっている。海の色は深い群青色で、水平線付近が白っぽい。だが、空は上に行くにしたがって、しだいに、暗い水色へと諧調していく。目にも、心にも優しい色合いだ。そして、全体的には、夜明けの、というか早朝の、静かで、厳かな雰囲気が漂っていた。日の出の時ほどは、劇的でないにしても、撮らずにはいられない光景だった。
東側でひと通り撮り終え、今度は、階段へ向かった。登るとき、多少足が重かった。だが、多少だ。撮ることに夢中、アドレナリンが出ていたのだろう、肉体的な疲労に関しては、鈍感になっていた。一、二回、登ったり下りたりしながら、これ以上、もううまくは撮れない、と思えるまで撮った。千載一遇の機会、いや、ひょっとしたら、もう二度と来られないかもしれない。万全を期した。
これで、三つの撮影ポイントをすべて回ったわけだ。階段に腰かけ、一休みした。目の前には、しだいに赤みが消えていく、伊良湖岬灯台があった。一応、仕事?は終わったわけで、少しぼうっとしていた。灯台のすぐ後ろを、小型漁船が、勢いよく横切っていく。元気なもんだ、と思っていると、少し間隔を置いて、次から次へと現れる。なるほど、ツルんで仕事をしているんだな。その小さな船団が、どこへ向かい、なにを捕っているのか、ふと思ったが、皆目見当がつかなかった。頭が働かなかったのだ。ただ、波しぶきをあげてを疾走する、おもちゃのような漁船が、見ていて楽しかった。
そうこうしているうちに、小さな漁船たちは、目の前から消えて、海は静寂を取り戻した。灯台は赤みがすっかり取れ、白っぽくなっていた。立ち上がった。引き上げた。だが、階段を下りたら、未練が出た。最後にもう一回だけ、三つのポイントを回って帰ろうと思った。
まず、西側ポイント。また石塀によじ登り、乗り越え、斜めになった波消し石たちの中に立った。太陽は、すでに、灯台の首のところまで登っていた。この場合、画面に太陽を入れたら、写真にならない。ので、灯台の頭で太陽を遮って、写真を撮った。この方法?は、ここ何回か試している。自分では面白いと思っている。画面全体が黄色くなり、もろ、逆光なのに、灯台もかすかに黄色に染まる。いわば、浅黄色だ。この世の光景とも思えないが、良しとした。
次に階段に、また登った。しかし、全体的な見た目は、先ほどと、ほとんど違わなかった。ただ、灯台がさらに白っぽくなっていて、白でも朱でもない、何とも形容しがたい色になっていた。明らかに、朝日に染まっている灯台の方がいい。もう、撮ってもしょうがない。だが、なおしつこく、階段を下りながら撮っていた。あとは、最後にもう一回、石塀によじ登り、乗り越え、波消し石の上に立って、東側ポイントから、灯台を撮った。撮りながら、ここも、もう撮ってもしょうがないなと思った。
実質的には、伊良湖岬灯台の撮影は、終わっていた。とはいえ、気分的には、立ち去り難く、遊歩道を、後ろ向きに歩きながら記念写真を撮った。もちろん時々ふり返って、後方の安全は確認した。いよいよ、山影で、灯台が見えなくなる時がきた。立ち止まった。やはり、立ち去り難かった。あの時、何を思っていたのだろうか、よく思い出せない。また来る、あるいは、絶対また来る、とは思わなかったような気がする。ただただ、立ち去り難かっただけだ。
前に歩き出した。五、六歩歩いて、ふり返った。灯台は、山影に隠れてしまい、もう見えなかった。さてと、これから、六、七時間、車の運転だ。うんざりはしなかった。今回で七回目の灯台旅、高速運転に慣れてきた。六時間くらいは、へっちゃらだ。気分が変わって、帰宅モードになっていた。
そうだ、<あさりせんべい>を買っていこう。うまいようなら、小粒みかんと合わせて、友人へのお土産にできる。<柿>へのお礼だ。というか、<自然の甘味>には<自然の甘味>で応えたかった。だが、<田原街道>沿いに、土産物屋の女将が教えてくれた、<あさりせんべい>の店はなかった。聞き間違えたのか、それとも、見過ごしたのか、どちらにしても、もうどうしようもなかった。とはいえ、六、七個の小粒みかんだけでは、理由はともあれ、お土産とは言えないだろう。なので、高速に乗った後も、サービスエリアごとに止まって、<あさりせんべい>を探した。
しかし、どこにもそのようなものは置いてなかった。渥美半島の名物、銘菓だと思っていたが、これも勘違いだったのかもしれない。とにかく、もうこれ以上は無理だと思い、浜松のサービスエリアで、<エビせんべい>を買った。うまいかどうかは、試食できなかったのでわからない。とはいえ、小粒みかんを手渡す体裁が整ったわけで、気持ち的には多少すっきりした。
伊良湖岬、恋路ヶ浜駐車場を<8:40 出発>。事故渋滞もなく、午後三時過ぎには、友人のオフィスに着いた。うまい、と小粒みかんを食べながら、友人が言った。<自然の甘味>を知る人間だ。お愛想ではあるまい。それに、少し歓談したら、運転疲れがとれた。その後<16:00 帰宅 片付け 夕食>、とメモにあった。
<愛知旅>2020-12-6(日)7(月)8(火)9(水)10(木) 収支。
宿泊四泊 ¥25900(Goto割)
高速 ¥16900
ガソリン 総距離940K÷20K=47L×¥130=¥6100
飲食等 ¥5100
合計¥54000
<灯台紀行・旅日誌>2020愛知編#1-#17 2021-1-10終了。
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2023
04/06
Thu.
09:15:44
<灯台紀行・旅日誌>2020年度版
Category【灯台紀行 愛知編】

<灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#16 ホテル
駐車場に戻ってきた。リアドアを開け放し、ゆるゆると装備を解いて、車の中を整理していた。自分の車の後ろあたり、バイクと車のヘッドライトが眩しい。大柄のバイク野郎は、何やらスマホで調べている。隣は、黒い<レクサス>だった。今晩泊まる宿でも調べているのか?アイドリングの音が気に障る。星を眺め、波音に耳にすませていたことが、ウソのように思えた。そのうち、轟音を響かせ、バイクは出て行った。あとに四輪の<レクサス>がぴったりついている。やっぱり連れだったんだ。暗闇に、ちょっと、ギャング映画のワンシーンのようだった。
ホテルの駐車場に着いた。車が数台止まっている。建物を見上げると、数か所、窓に明かりが見える。なんとなく、車の台数と、窓の明かりの勘定が合わないような気がした。おそらく、裏手のシングル部屋に客が泊まっているのだろう。少し説明しよう。今日の昼間、ホテルの裏側の道を通った際、このホテルが崖際に立っているのを発見した。つまり、自分の今いる駐車場と裏の道との間には段差があり、いわゆる<崖屋造り>になっていたのだ。
崖に建っているのだから、表から見た一階は、裏から見れば二階になる。したがって、このホテルの受付は、見た感じでは、駐車場のある一階から、地下一階に下りたところにあったのだが、じつは、裏の道から入れば、そこが一階であり、駐車場のある上の階は、まさに二階だったわけだ。そういえば、エレベーターにも、地下一階という表示はなく、一番下の数字は<1>だった。
ついでに、もう一つ付け加えるならば、自分の宿泊した広めの部屋は、すべて南向きで、窓も広い。一方、裏側の部屋はすべてシングル部屋で、窓も小さく、北向きだった。値段的にも、¥2000以上の開きがあった。常日頃の<セキネ>の習性を考えれば、なぜ安い方に泊まらなかったか?答えは、たんに空いていなかったからにすぎない。それに<Goto割り>も適用されるからね。ちなみに、このホテルのシングル部屋に泊まって<Goto割り>を適用すれば、素泊まり一泊で約¥3500。さらに<地域クーポン券>も¥1000ほどはゲットできるから、いわば<ゲストハウス>並みの値段で泊まれたはずだ。
うす暗いホテルの出入り口に立った。自動ドアが開いて、中に入った。と、仄かな、上品な匂いだ。下にずらっと並んでいる大きめな植木鉢、ユリのお花たちだった。意外だった。というのも、以前、実家で咲いていたユリの匂いは、まるで公衆便所並みだったからだ。ま、匂いというものは、きつすぎると、耐えられん!だが、この時は違った。暗がりの中で、静かに咲いている、ユリのお花たちは、かそけく、甘く切ない香りを放っていた。美人の匂いだった。
螺旋階段を下りた。そこだけが明るい受付カウンターの前で、トートバックを下におろした。<ぢん>と呼び鈴を鳴らした。今回は、一拍半おいて、声が聞こえた。反応が、段々早くなっている。女主人は、機嫌がいいのか、愛想がよかった。どうでした、と聞いてきた。そうだ、昨晩、いや、今日の朝だったかな?灯台や朝日や夕日などを撮りに来たことを、ちょっと話したのだ。
曇ってて、朝日は出なかった、と答えた。その後、カウンター越しに、五、六分話をした。女主人は、かなり雄弁で、星空を撮りに来たプロの写真家の話をしながら、その写真家から送られてきた星空の写真を、カウンターの後ろから取り出して、見せてくれた。写真には、灯台が写っていなかった。正直な話、星空の写真に、それほど興味はない。自分としては、ユリのお花たちの話を聞きたかった。すごく良い匂いで、素晴らしく咲いている、と話を向けた。
案の定、女主人が丹精しているようだ。花好きのお友達からもらったもので、そう言われるとうれしい、初めて言われた、と顔がほころんだ。ほかにも、ブーゲンビリヤもきれいに咲いているし、入口付近が、温室のような感じになっているんでしょうね、と応じた。さらに、カウンターに、深紅のバラが活けてあったので、お花が好きなんですね、と改めて、女主人の顔を見ながら言った。彼女は、聞かれもしないのに、私は赤が好きなんです、と答えた。情熱的なんですね、と立ち去り際に言葉を残した。女主人の、まんざらでもなさそうな表情が、ちらっと見えた。伊良湖岬の、女丈夫だった。
ホテルに着いたのは、夕方の六時頃で、食事をして、メモを書いた。さらに、その後、風呂に入って頭を洗ったらしい。そのようなメモ書きがノートに残っている。夕食は、その日の朝、ファミマで買った弁当だった。旅先で、わざわざ頭を洗ったのは、ちょうどその日が木曜日で、洗髪の日にあたっていたからだ。ほぼ、一日おきの洗髪は、多少長髪になった今日日、欠かせない日課になっていた。何しろ、二日、ないしは三日あけると、頭がくさい。もっとも、旅先だったから、念入りには洗わなかった。
そうだ、風呂では体を横たえ、昨日にもまして、ゆっくりくつろいだ。そして、風呂あがりには、二本目のノンアルビールを痛飲した。そのあと、荷物整理をして、明日の朝、すぐに出られるようにした。もっとも、朝食用の食材は座卓の上に置き、飲み物は冷蔵庫に入れたままだ。
と、その時だった、というのはウソだが、とにかく、灰色の厚手のカーテンを閉めた時に、プリントされている花柄をちらっと見た。何と、深紅のバラだった。この部屋は窓が大きい上に、都合四枚ものカーテンがかかっている。目の前に、手のひら大の、少しくすんだ深紅のバラが、滝のように流れている。<私は赤が好きなんです>。女主人の言葉が、頭の中で聞こえた。
さて、寝るか。明日は帰宅日だが、今朝撮れなかった伊良湖岬灯台の日の出を撮りに行く。もうひとがんばりするつもりだった。幸いなことに、明日は、すべての時間帯に、晴れマークがついている。日の出は、たしか六時四十五分くらいだったと思う。目覚まし時計を五時にセットした。夜の八時過ぎには寝ていたと思う。
・・・灰色の厚手のカーテンを開けた。深紅のバラは、もう目に入らなかった。外はまだ真っ暗だ。まず着替えた。その次に洗面を済ませ、朝食。ウンコは、多分出なかったと思う。持ち込んだすべての持ち物を、ゴミは別として、カメラバックとトートバックに詰めこんだ。そのあと、ベッドや座卓まわりを、ざっと整頓した。忘れ物はない。と思ったが、念のため冷蔵庫と金庫を開けてみた。カラだった。静々と部屋を出た。うす暗い廊下を少し歩いて、エレベーターで一階に下りた。というか<1>を押した。
いつ来ても、このホテルの一階はうす暗くて、受付カウンターだけが明るかった。プラ棒についている鍵を、カウンターの上に置いた。ほかに鍵は置いてなかった。サビた呼び鈴をちらっと見た。<ぢん>と鳴らして、女主人に挨拶していくか、ちょっと迷った。目の端に、大きな花瓶が映った。胴のまるっこいその花瓶の絵柄も、たしかお花だった。首を少し回して、差してあるバラのお花たちを見た。昨晩と同じで、カウンターからの白熱電球の光を受けて、深紅がくすんでいる。とはいえ、そのお花たちが、みなこちらを向いて、少し笑っている。カウンターの鍵を、手で、きちんとそろえた。女主人を起こすのはやめて、静かに螺旋階段を登った。
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2023
03/20
Mon.
09:43:38
<灯台紀行 旅日誌>2020年度版
Category【灯台紀行 愛知編】

<灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#15
伊良湖岬灯台撮影5
<12時30~2時 イラコ 撮影>。メモの走り書きは、自分にすら読めないようなヘタクソな字だ。なぜ、字がこれほどヘタクソなまま、一生を終えることになったのか?やはり、小学生の頃、ちゃんと字を書くことを覚えなかったからだろう。勉強などは大嫌いだったのだ。もっとも、その後も、きれいな字を書くための努力は、一切してこなかった。野球やバスケのためには努力したが、きれいな字を書く努力は、不遜にも、努力するに値しないと思っていたのかもしれない。
人生の半ば過ぎにワープロができ、その後、パソコンを使うようになった。字が下手だ、というコンプレックスからはほぼ解放された。自分の書いた字を、人に見られること、見せることがなくなったからだ。だが、それが、いいか悪いかは、微妙な問題だ。字をきれいに書く必要がなくなったからには、おそらく、今後、字がうまくなる可能性はほとんどない。ひるがえって、かりに、ワープロもパソコンもなかったなら、人生の最後、やることもなくなった頃に、ひょっとしたら<ユーキャン>か何かで、硬筆講座を受けてみよう、などと思ったかもしれないのだ。
益体もないことだ。話しを戻そう。二時まで曇りマークがついていた、というのは、思い違いかもしれない。曇り空なら、12時30分から、撮影を開始するはずがない。いや、ちょっと待ってくれ。この日の午後の、一発目の撮影画像は、恋路ヶ浜駐車場にあった石のモニュメントで、時刻は<12:55>になっている。しかも、その後の画像を見ると、雲は多いものの、多少陽射しが差している。ということは、まずもって、二時まで曇りマークがついていた、というのは、思い違いだった可能性がある。それとも、天気予報がころころ変わって、頭が対応できなかったのか?あり得ない話ではない。もっとも<12:30>に撮影を開始した、ということに関しては、これは、メモしたときの完全な思い違いだ。
撮影画像がなければ、こうした思い違いが、思い違いとみなされず、看過されていっただろう。ならば、いっそのこと、撮影画像の時間など無視して、書き進めようか。その方が、気楽だ。だが、そうなると、この旅日誌は、ますます、日誌らしからぬ、フィクションの領域に近づいてしまう。ひとつの思い違いに、さらなる思い違いを重ねていけば、内容的には、これはもう、正確な意味での旅日誌ではなく、旅日誌風のフィクションになってしまう。
自分としては、できるかぎり<思い違い>のないように書いていきたい。でなければ、あとで読んだときに、<思い違い>が<思い違い>ではなくなり、実際にあったことのように印象されてしまう。結果、さらなる<思い違い>を重ねてしまうことになるわけで、そういうデタラメなことだけは、避けたいのだ。
雲は多いが、多少の陽射しがあった。と書き出せばよかった。ま、いい。曇天でなくて、よかったよ。そう思いながら、石畳の道を歩いたような気がする。太陽の位置は、すでに、目線、45度くらいのところにあった。この時間、夏場なら、真上にある筈だ。景観的には、いい感じで、海が、黄金色に輝いている。さほど風もなく、心地よい。
伊良湖岬灯台が見えてきた。東側から始めて、下調べした撮影ポイントを回り始めた。石壁の上、波消し石の上、正面付近の土留め壁の前、階段、さらには、西側からも撮った。だが、どのポイントも、空の様子がよろしくない。日差しも弱く、写真に元気がない。こういう時は、ムキになって撮ってもだめだ。一応、昨日は撮れたと思っている。がっかりはがっかりだが、致命的ではない。あっさり引き上げた。
<2時30~3時30 車で休ケイ>。これは、撮影画像のファイル情報で裏が取れている。ほぼ、間違いない。さて、それにしても、小一時間、車の中で何をしていたのだろう。後ろの仮眠スペースで、横になっていたのか?それとも、運転席で靴をぬぎ、体を横にして、ドアに背中をつけ、助手席の窓やダッシュボードに足を投げ出していたのだろうか?よくは思い出せない。ただ、駐車場の奥の方にある、<幸せの鐘>を見に行こうかな、とちょっと考えた。鐘の音が聞こえたのかもしれない。たが、行かなかった。車の中でぼうっとしているほうが、心地よかった。
時計を見た。三時十五分くらいだったかな?外に出た。車のリアドア―を開け放して、装備を整えた。ポシェットに、ダウンパーカの小袋を結びつけ、カメラ一台、肩掛けにして、手に三脚を持った。ネックウォーマーも指先の出る手袋もしていた。陽は、大きく傾き、ややオレンジ色っぽくなった海がきらきら光っている。風がないので、寒くはなかった。ただ、水平線近くにたなびく雲が気になった。きれいな日没、昨日のような、線香花火の火玉は出現しないかもしれない。
これでもう何回、灯台の周辺を巡ったのだろう。今回も、撮影ポイントを律儀に回った。夕陽は、思った通り、分厚い雲にさえぎられ、ほとんど見えない。だが、もうダメかなと思った刹那、水平線のほんの少しうえあたり、雲と雲の間だ。不定形の太陽が、オレンジ色に輝き始めた。おっと!気合が入った。カメラのファインダーに目を押し付けた。そして、ほんの一瞬だった。不定形の太陽が、ほぼ水平線上で、黄色に閃光した。海も空も灯台も、おもいっきり、オレンジ色に染め上げられた。
その後は、時間が目に見えるようだった。少しずつ、少しずつ、かすかに、かすかに、光と色が消えていった。静寂。しかし、その静寂を破るように、西側の水平線上に、なぜか、濃いみかん色の帯が現れた。夕陽が落ちた後の、まさに<ブルーアワー>だった。念のため、東側の空の様子も見に行った。深い、濃い青だった。だが、好みとしては、西側の空だ。何枚か慎重に撮って、西側に戻った。ほんの数分にもかかわらず、空の様子が、かなり変化していた。暗くなり、みかん色の帯は、諧調しながら群青色になっていく。空の上の方へ吸い込まれていくようだった。
三脚を立てた。シャッタースピードを見て判断したのではない。あたりの暗さから、手持ちで撮るのはもう無理だ。自然に体が動いた。ファインダーを見て、構図を決めた。高い群青色の空に、オレンジの光をまとった、横一文字の雲が流れてきた。時間の経過とともに、その雲は、しだいに竜のような形になって、空に覆いかぶさった。しかし、それも一瞬だった。オレンジ色の竜がしだいに霧散していき、そのあとには、さらに暗くて深い群青色の空が広がっていた。
ほぼ、完全に陽は落ちて、<ブルーアワー>も終わった。暗い海に、船の明かりが小さく見える。みかん色の帯も、色が暗くなり、細くなった。灯台の目が、なおいっそう明るく光り出し、対岸の小島からも光が届く。神島灯台から光だ。そろそろ、引き上げ時だな。最後に、もう一度、ファイダ―をじっくり見た。画面左上に、二つ、三つ、小さく何か光っている。星、か?カメラから目を放して、夜空を見上げた。三つ、四つ、西の空に、星が光っていた。
真っ暗な石畳の道を、ヘッドランプで照らしながら、駐車場へ戻った。充実した心持だった。それに、全然寒くない。むしろ快適だった。途中、またしても、波の音が聞こえた。立ち止まって、耳をすませた。すぐ近くでザブ~ン、すると、こだますようにサブ~ン、サブ~ン、ザブ~ンと聞こえる。だが、その間にも、どこかザブ~ン、サブ~ン。さらにその間にも、今度は遠くの方でザブ~ン、ザブ~ン、ザブ~ン。これが、まさに<潮騒>だったのだ。恥ずかしながら、<潮騒>というものが、どういうものなのか、いまのいまに至るまで、存じ上げませんでした。
波の音を聞きわけられたので、さらに気分がよくなった。ふと、夜空を見上げた。いや、<ふと>じゃない。ネットで見た、伊良湖岬灯台の写真を思い出したのだ。背景に、天の川と無数の星が写っていた。伊良湖岬は、星空がきれいで有名なんだ。ほんとにそうなのか?夜空を見上げた。目を凝らした。いやというほど、たくさんの星が見えた。立ち止まって、しばらく眺めていた。真ん中へんで、光ってるのが北極星かな?また波の音が聞こえてきた。闇の中で、サブ~ン、サブ~ンと、こだましていた。
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2023
03/13
Mon.
17:21:51
<灯台紀行 旅日誌>2020年度版
Category【灯台紀行 愛知編】

<灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#14
伊良湖岬港・防波堤灯台撮影
ホテルの駐車場を出た。<田原街道>をほんの少し北上して、すぐ左折した。ファミマ往復の際、車からちらっと灯台が見えたのだ。閑散とした港の中に入って行った。正面は海で、行き止まり。右に曲がって、魚市場の前をそろそろ走っていくと、駐車場があった。公共の施設であることを確かめて車を乗り入れた。どんぴしゃり、すぐ目の前に、白い防波堤灯台が見える。
車から出た。右手はきれいな砂浜で(ココナッツビーチ伊良湖、というらしい。)そばに大きなホテルが立っている。正面には防波堤があり、その先端に灯台が立っている。迷わず、防波堤の上に登り、歩き撮りしながら近づいていった。だが、近づくにつれ、根本に居る釣り人が邪魔に思えてきた。釣り人は、灯台の台座に座ったり、立ち上がったりしながら釣りをしている。明らかにその場所が気に入っているらしく、釣り道具や荷物を回りにとっちらかしている。占拠しているわけだ。写真としては、灯台と釣り人が重なってしまい、絵面が汚い。まあ~、これは宿命なのだろうか。防波堤灯台の周り、とくに根元には、平日だろうが休日だろが、必ず釣り人がいるんだ。
結局、根元まで行かないで、途中で引き返した。というのも、根本まで行って、釣り人と目を合わすのも嫌だったし、ロケーション的にも、灯台のフォルム的にも、是が非でも撮りたい、というほどでもなかったからだ。それに何よりも、曇り空だ。写真が撮るような天気じゃない。移動。いま来た道を戻った。ただし<田原街道>へは戻らないで、そのまま、まっすぐ、フェリー乗り場の方へ向かった。と右手、岸壁側に、広い駐車場がある。雰囲気的に、駐車しても大丈夫そうな感じだ。車を乗り入れた。
車から出て、辺りを見回した。高速船の係船岸壁が目の前にある。なるほど、あれで<神島>に行くことができるわけだ。ちなみに<神島>には、灯台50選に選ばれている、神島灯台がある。それに、この灯台は伊良湖岬灯台のペア灯台だ。あと、<神島>は三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台となった島らしい。今回訪問を見送ったのは、次回の旅で<鳥羽>へフェリーで渡るわけで、その鳥羽港から、市営の船が出ているようなのだ。<菅島>という島にもシブい灯台があるようなので、一日かけて、この二島を巡るつもりでいる。
立ち入り禁止の岸壁際に立った。隣では爺さんが釣りをしている。海の向こうに、さっきの白い灯台と、別の防波堤の先端部にある赤い灯台が見えた。目に映っているのは、左側に赤い灯台、右側に白い灯台だ。だが、頭の中で、瞬時に、陸に向かって、右は赤い灯台、左は白い灯台と判断した。なるほど、これが防波堤灯台の決まり事だ。赤いのも見に行ってみるか。なぜか、そっちの方の空だけが青空だった。
赤い防波堤灯台を目指して走りだした。途中にはフェリー乗り場がある。その手前の、大きな建物の前が駐車場だ。建物は<道の駅 伊良湖クリスタルポルト>。車から出て、入口へ行った。自動ドアが開かない。扉に額をくっつけて中を覗くと、電気がついていない。閉店中なのか、休業中なのか、何の張り紙もなく、告知もされていない。実は、昨日も、この建物には、ちょっと寄っている。その時も閉まっていた。今日と全く同じ状態だった。休業中なのだ。と、腰の曲がった婆さんが近寄ってきて、自分と同じように、自動ドアに額をくっつけて、店内を見回している。やってないみたいよ、と声をかけると、じろっと見ただけで返事もしない。ぶつぶつ言いながら、立ち去っていった。
そうそう、どうでもいいことだが、昨日この建物に寄ったとき、建物内にあるトイレに寄って、大きなウンコをしたのだ。建物には入れないが、なぜか、トイレだけは、24時間使用できるようになっている。つまり、トイレの扉は、駐車場に面していて、鍵がかかっていないのだ。それに、予想外だったのは、温水便座だったことだ。ただ、座るときには、やや抵抗感があった。が、便意には勝てなかったわけだ。
とはいえ、昨日の、どのタイミングで、トイレに寄ってウンコをしたのか、正直な話、よく覚えていない。いや、昨日は<小>で、この日が<大>だったのかもしれない。気持ちを集中して、思い出そうとすれば思い出せるだろう。しかし、今はそんなことに、エネルギーを使っている場合ではない。この旅日誌を早く書き終えることの方が重要だ。そもそもの話、ウンコをした日を確定することに、さほど意味があるとも思えない。
移動。フェリー船の、乗船口の前を通って、岸壁の行き止まりまで行った。そこは、防波堤で区切られた、駐車場、というか駐車スペースで、その防波堤の、はるか彼方に、赤い防波堤灯台が見えた。一瞬たじろいだ。あそこまで歩いて、撮りに行きべき灯台なのか?とはいえ、時間的な余裕があった。つまり、スマホの天気予報を見る限り、二時までは曇りマークがついている。もっともこれもおかしな話で、朝見た時には、曇りマークは十一時までだった。まだ、昼前だった、とにかく、伊良湖岬灯台は、二時までは写真にならないわけで、時間調整が必要だったのだ。
車の中でぼうっとしていてもしようがないだろう。防波堤の上、というか下を歩くだけで、危険もない。体力を消耗することもない。すいません、すいませんと言いながら、釣り人の前を通って、赤い灯台に近づいた。ところが、やっぱり、根元に釣り人がいた。今回も、根元の手前で、これ見よがしに写真を撮った。
なぜか、赤い灯台の背後だけが青空になっていた。写真的には、さっきの白い灯台よりはましだろう。だが、フォルムがパッとしない。撮影位置が局限されているわけで、防波堤の先端に立っている灯台を、真正面から撮るだけだ。それに、防波堤の上は、さほど広くないから、左右に少し動いて、横にふったとしても限度がある。何よりも、釣り人が灯台の根本に居座っているのだから、絵面汚い。こっちも、写真にならないだろう。
引き返した。短時間に、二度も同じ釣り人の前を通ることに、少し気が引けた。防波堤の下の通路は、人一人が通るのがやっとの幅で、釣り人が座りこんでいれば、まったく通れない。だが、釣り人たちは慣れたもので、こっちがすいませんと言う前に、体をよけてくれた。プロレスラーの<蝶野>みたいなおじさんも、指にタバコをはさんで手で、自分の足をまたいで行け、と合図を送ってきた。気配を感じて、かなり前から、立ち上がっている人もいた。恐縮したふりをして、五、六組の釣り人の前を通った。
駐車場が、かなり近くに見えてきた辺りで、爺さんに声をかけられた。この爺さんには、さっきも声をかけられていた。なにを撮りに行くんだ。この先の灯台です。黄緑色のウィンドブレーカーを着て、白髪だった。そばに、同じような年恰好の奥さんがいた。今回は、うまく撮れたかい、ときた。その後、かなり長い立ち話をした。あまりに長くて、途中で、防波堤に座りこんで、話を聞くことになってしまった。
結局は、この爺さんも、釣れない釣りをしていて、暇だったのだろう。そこに、自分が、ニコンのでかいカメラを二台ぶら下げて、のこのこやってきたわけだ。恰好の、暇つぶし相手が、ネギまで背負ってきたのだから、話しかけないわけには行かないだろう。つまり、爺さんも写真をやっているようなのだ。だから、話の中身は、だいたいは写真に関することだった。
鳥を撮っているとか。ミラーレスカメラがどうのこうの、型落ちのカメラの方が得だとか、あるいは<伊良湖ビューホテル>には、年に一回、珍しい鳥を撮るためにカメラマンが終結するとか、こちらが聞いてもいないのに、ホテルの展望台からの景色が最高なので、撮りに行けばいいとか、延々としゃべっている。途中、奥さんも参戦してきて、スマホで撮った写真などを見せてくる。何度も、腰を上げかけたが、その都度、獲物を逃すまい、と言わんばかりの話しぶりで、引き留められた。ま、こっちにも時間的余裕があったからね。
十五分くらいは、爺さんと、ある事ないこと、話していたような気がする。流石に飽きてきて、爺さんの話している最中に、腰を上げ、では、と言って、その場を後にした。車に戻って、一息入れた。来た時に止まっていたキャンピングカーはなかった。さっきの黄緑色の爺さんの車かもしれない、と話の途中でふと思い、もしそうならば、キャンピングカーには多少興味があったので、その話がきけるかもしれないと思い、長話に付き合っていた、という気がしないでもない。ま、いい。また、外に出た。二時までにはまだ時間があった。岸壁の前に立ち、フェリーが入港してくる様を、面白半分に観察しだした。
まずは、係船岸壁で、作業員がフェリーの接岸準備をしている。門型クレーン?を使って、大きな鉄板を下におろしているように見える。おそらく、あの上にフェリーの車両ゲートがのっかるんだ。準備が整うと、フェリーが、バックでゆっくり入ってくる。作業員が、動き回っている。と、船尾が開いて、ゲートがゆっくり下りてくる。思った通りだ。作業員が、そのゲートを、岸壁にぴったり固定する。少し間があって、始めは徒歩の人間が十名ほど、次に、乗用車が、これまた十台ほど、最後に、バイクが五、六台、フェリーの腹から飛び出してきた。人間も車もバイクも、どこか、晴れがましく、元気に明るい世界へ出て行った。
この一部始終を見終わって、意味もなく、感動していたような気がする。風もなく、十二月にしては、暖かい陽気だった。防波堤の彼方に、黄緑色がみえた。さっきの爺さんと奥さんが、連れ立って、こっちに向かってくる。釣れない釣りを終わりにしたようだ。
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2023
03/04
Sat.
09:31:24
<灯台紀行 旅日誌>2020年度版
Category【灯台紀行 愛知編】

<灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#13
伊良湖岬灯台撮影4~ホテル
灯台に到着した。まだうす暗かった。灯台の目がときどき光っていた。とはいえ、朝日が見えない以上、気合が入らない。おざなりな感じで、シャッターを押した。それでも一応、撮影ポイントはすべて回った。東側の石畳の道、石塀の上、波消し石の上にも立った。ただ、西側の波消し石の上では、ちょっとした不注意で、尻もちをついた。飛び歩きした際、下の波消し石が濡れていたのだ。そこに勢いよく足をおろしたものだから、まるで絵に描いたように、すってんころりん。幸い、怪我もせず、カメラも無事だった。おそらく、カメラを持っている状態で転ぶのは、これが初めてだろう。常々、転んだら一巻の終わり、と自分を戒めていたのだ。とくに、高価なカメラを買ってからは、最大限の注意を払っていた。にもかかわらず、この体たらくだ。
身体もカメラも無事だったからいいではないか、とは思えなかった。そういう問題じゃない。カメラを破損したら、撮影旅行は即中止。それに、石の角に頭でもぶつけて、意識でも失ったら、この時間帯、誰にも発見されず、助かる命も助からない。あるいは、足の骨でも折ったら、車の運転もできない。400キロの道のりを、どうやって、骨壺の中で待っている、ニャンコがいる自宅に戻ればいいんだ。
とはいえ、一方では、この朝の椿事を、冷静に分析した。昨日来の、波消し石の飛び歩き、階段の上り下りで疲労がたまっている。いわゆる、足にキテいる。それに、早朝、頭と体が、まだ目覚めていなかった。不注意は、たんなる不注意ではなく、ある意味、必然だった。くわばら、くらばら。
西側の石塀の上に戻った。夜が完全に明けて、白けた感じだった。加えて、曇り空だから、風景に色合いがなく、写真的には、撮ってもしょうがない感じだった。だが、何枚かは撮った。最後に、山側の階段に登って、灯台を撮った。朝っぱらの曇り空が背景だ。ごくろうさん!まったくもって、写真にならない。すぐに階段を下りた。無駄足だった。だが、無駄骨だとは思わなかった。曇り空でも、来ないわけには行かなかったろう。後悔するよりはましだ。
石畳の道を、右手に恋路ヶ浜を見ながら、駐車場へと戻った。夜があけて、釣り人の数も少し減ったように見えた。頭の中では、この後の予定を考えていた。まずは、食料の調達だ。昨晩、ホテルの女性が教えてくれた、田原街道のファミマに行こう。その後いったんホテルに戻り、朝食。問題はその後だな。伊良湖岬港の防波堤灯台を撮りに行く。そのついでに、フェリー乗り場を下見しよう。伊良湖岬からフェリーで対岸の鳥羽へ渡り、周辺の灯台を撮る。次回の灯台旅は、もう決まっていたのだ。
ホテルの前を通過した際、車の時計を見たような気がする。八時ちょっとすぎていた。ま、五、六分走ればつくだろう。<田原街道>を北上して、ファミマへ向かった。ところが、走れども、走れども、ファミマの看板が見えて来ない。多少、不安になったころ、やっとありました!20分以上かかった。ちょっと走って、という女性の言葉を思い出した。この辺りでは、車で20分走ることが、ちょっと走って、ということなのか?それとも、彼女の言葉の選択が間違っていたのか?ま、どっちでもいいか。
ファミマで、しこたま食料を仕入れた。<地域クーポン券>を¥2000分、ほぼきっちり消化した。戻り道は、さほど長く感じなかった。ホテルまで、どのくらいかかるか、わかっていたからね。ま、それにしても、ちょっとコンビニに行ってくるだけで、小一時間かかった。渥美半島先端部の人口密度が、いかに低いかを、はからずも、実感したわけだ。
ホテルに着いた。自動ドアは、手でこじ開けようとする前に、目の前ですっと開いた。中に入った。その際、踊り場?に、大きなユリの鉢植えがたくさんあることに気づいた。いや、昨晩来た時から、気づいてはいたが、それが何なのか、よく見なかっただけだ。じっと見た。白に赤の斑が入った大輪のユリの花だ。どの鉢の花も、ほぼ満開で、踊り場の右半分くらいがお花で埋まっている。それに、ブーゲンビリヤの大きな鉢植えもある。こちらも深紅のお花がこぼれんばかりだ。ほかにも、プランターの中で黄色いお花が咲いている。明らかに、このホテルには、お花の好きな人がいて、丹精しているのだ。
螺旋階段を下りた。明かりはついているが、受付には誰もいない。にもかかわらず、カウンターの上に、プラ棒の鍵が、四、五本置いてある。どういうことなのか、早朝に出ていった客の物としか考えられないだろう。サビた呼び鈴を押すべきかどうか、ちょっと迷った。つまり、鍵は持っているわけだし、受付を呼び出す必要はない。早朝に出ていった客もそう思ったからこそ、黙って鍵を置いていったのだろう。
もっとも、あの時、もう一つの理由を思いついていた。それは、ホテルの受付が、カウンターに鍵を置くことで、これから出勤してくる掃除係りに、きょう掃除する部屋を、いわば無言で指示しているのだ。そういえば、四、五本あった鍵は、乱雑にではなく、比較的きれいにまとめて置いてあった。ま、どちらでもいいことだが、とにかく、両者に共通することは、要するに、人手がない、ということだろう。つまり、必要もないのに、呼び鈴を鳴らすのは、迷惑なのだ。
エレベーターに乗って、部屋に戻った。花柄のカーテンを開けた時、あっと思った。踊り場のお花を丹精している人と、この部屋の内装を選んだ人は、同一人物だろう。それに、人手のないことを考えれば、昨晩の受付の女性が、このホテルの女主人に間違いない。なるほどね、と思いながら、朝飯を食べた。おにぎりと菓子パン、牛乳、それに小粒みかんを何個か食べた。それで十分だった。食べ終わった途端、眠気がしてきた。ベッド際の灰色の花柄カーテンを、今度は閉めて、横になった。小一時間、いや、午後になっても曇りマークがついている、ゆっくり、昼寝ならぬ、朝寝だな。
静かだったせいもあって、すぐに寝込んでしまったようだ。目が覚めたのは、九時半過ぎだった。持ち込んだ目覚まし時計を見たような気もする。小一時間ねむったわけだ。眠気はなく、元気になっていた。すぐに身支度を整え、部屋を出た。一階に下りて、受付の錆びた呼び鈴を押した。一拍半くらいおいて、声が聞こえ、昨晩の女性が現れた。朝から晩までいるのだから、間違いない、彼女が、このホテルの女主人だ。出かけてきます、と言って鍵をあずけた。その時、何か聞かれたような気もするが、忘れてしまった。
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2023
02/22
Wed.
17:43:52
<灯台紀行 旅日誌>2020年度版
Category【灯台紀行 愛知編】

<灯台紀行・旅日誌>2020 愛知編#12
ホテル~伊良湖岬
メモには<夜の撮影 5時15分までねばる>とある。となれば、恋路ヶ浜駐車場にたどり着いたのは、五時半前だろう。すでに、完璧な夜になっていた。とはいえ、駐車場は真っ暗ではなかった。街灯が光っていたし、トイレの明かりが煌々としていた。土産物店はすべて閉まっていたが、車がけっこう止まっている。暗い浜辺で釣り人の姿を見ていたので、夜釣りをしている連中の車だと思った。この雰囲気なら、車中泊ができそうな気がした。
ホテルまでは、ほんの一、二分だった。三叉路沿いに、駐車場があり、その奥に五階建ての建物が見える。駐車場には何台か車が止まっていた。見上げると、明かりのついている窓がいくつかあった。入口付近はうす暗い。自動ドアを入ると、中もうす暗い。と、目の前に螺旋階段があった。階段の手すりの間から、下の明かりが見える。受付らしい。階段を下りた。
なんだか、雑然とした狭いロビーだ。受付には誰もいない。カウンターの上に視線を落とし、呼び鈴を眼で探した。サビていて色が変色している。鳴るのかなと思って、指でたたいた。<ち~ん>という金属音ではなく、<ぢん>!こもった音がした。様子を窺がった。三拍ほど間があいて、正面のドアの向こうから女性の声がした。
出てきたのは、中年と老年の間くらいの女性だった。愛想はいい。館内の説明をひと通り聞き終え、コロナ関係の書面に署名した。その際、免許証を見せた。二泊分¥10400を前金で支払い、その後に<地域クーポン券>¥2000分を渡された。こちらが聞く前に、従業員なのか女主人なのか判断に迷う、その女性が、クーポンの使える店を教えてくれた。前の道をちょっと走ったところにファミマがあるから、そこで使ってしまった方がいい。前の道って?とうしろを振り返り、そのファミマの方向を指さした。そうそう田原へ行く方よ、と間髪入れず女性が答えた。
渥美半島に入り、自分が走ってきたのは、太平洋岸だ。伊良湖岬灯台へは、本来なら、三河湾側の<田原街道>を南下するルートが一般的らしい。自分の場合、赤羽根灯台に寄ったので、太平洋岸を走らされたわけだ。とにかく<田原>と言われてピンと来なかったのは、来るときに通過していなかったからだと思う。女性のほうは、てっきり、自分が<田原街道>を南下してきたのだろうと思っている。片方だけの思い違いだけなら、まだ会話になる。この時がそれだった。
部屋に入った。意外に、というか、かなり広い。ベッドが二つ、それに、八畳ほどの畳の平台が真ん中に置いてある。座卓やテレビはその平台の上にある。この和洋折衷の変なつくりは、明らかにリフォームしたものだろう。本来は和室の部屋だったものを、壁も床も天井も、いったんすべて取りはらい、その一角にユニットバスを設置し、洋室っぽい感じに仕上げたのだ。完全に洋室にして、ベッドをずらっと並べるよりは、畳の平台を置いて、布団で大人数が泊まれるようにした。これなら、かなりの人数、七、八名の大家族でも大丈夫そうだ。
照明とか、カーテンとかを、ちらっと見た。明らかに女性の趣味だなと思った。ぼろホテルを誰かが買い取って、内装だけはほぼ全面リフォームして、営業しているのだろう。ただし、一点だけ、この部屋には優れたところがあった。それはバスタブで、体を横たえて入れる洋風タイプだった。ユニットバスのバスタブは、そのほとんどが、膝を曲げて入るタイプらしい。たしかに、これまでのホテルで、足を伸ばして入れるバスタブはなかった。それに、バスタブが長いということは、その分、ユニットバス全体が広い、ということだろう。たしかに、ある意味、不釣り合いなほど、このホテルのユニットバスは立派だった。洗面台の鏡も大きいし、便座周辺にも余裕がある。したがって、風呂、洗面、排便、この三つに関しては、かなり快適だった。
風呂から上がり、ノンアルビールをあおって、カレー味のカップ麺やせんべい、ビスケット、小粒みかんなどを食べた。何しろ、三時頃に<大あさり定食>を食べた後、何も食べていないわけで、夕食抜きで寝るわけにもいかないでしょう。
土産物屋で買った小粒みかんは、思いのほかうまかった。小さいから、五、六個食べたと思う。この、ほのかな<あまみ>。ふと、先日食した柿のことを思い出した。友人に温泉に連れて行ってもらったとき、彼が、冷凍保存した庭の柿を持って来ていて、一緒に食したのだ。何と言うか、自然の<あまみ>だ。柿の木とまわりの風景が目に浮かぶようだった。翻って、旅先で食べた小粒みかんの<あまみ>が、渥美半島の自然や風土、そこで暮らす人間の生活を想起させてくれた、のか?あり得ない話でもない。
<7:00 ねる>とメモにある。ずいぶん早寝したものだ。疲れていたのだろうか、いや、そればかりではない。明日の朝、六時に起きて、伊良湖岬灯台の日の出を撮りに行くのだ。そうそう、その件を、受付の女性に話したら、24時間、表のドアは開いてますから、鍵は持って出て下さい、とのことだった。不用心だなとちらっと思ったが、その方が、こっちも世話なしでいい。
あくる朝、目覚まし時計の助けは借りず、六時前に起きて、くすんだ灰色の、厚手の花柄カーテンを開けた。じゃ~~~ん、曇り空。なんで!とすぐにスマホのお天気サイトを見た。なんと、午後の二時過ぎまで曇りマークがついている。話が違うだろう。今回の旅は、四日連続で晴れマークがついているから、わざわざ予定を前倒しして来たんだ。がっくり、ベッドに倒れ込んだ。このまま二度寝しようか、と思ったが、すでに完全に目が覚めている。また眠れるとも思えなかった。
ふてくされた気分だったのか、時間がなかったのか、髭もそらず、歯も磨かず、顔も洗わないで、もちろんウンコもしないで、畳の平台に、きれいに並べて脱いだ衣服を、ひとつずつ取り上げて身に着けた。水くらいは飲んだのかもしれない。カメラ二台入っているカメラバックを背負い、しずしずと部屋を出た。
たしか、受付の女性は、二階から出られると言ってたな。エレベーターを二階で降りた。だがしかし、螺旋階段の向こうにある自動ドアには近づけなかった。というのも、階段そのものが、廊下の透明な仕切り板で、ぐるっと、きっちり囲われている。廊下を行ったり来たりした。檻に入れられているみたいだった。誰かに、こんなところを見られたら、怪しまれるだろう。二階から出られますよ、という女性の声が、頭の中で聞こえた。あれは何だったのか、自分の聞き違いか、それとも、ほかに、自動ドアに近づく手立てがあるのか。もう一度、二階全体を見回した。絶対無理だ。エレベーターに乗って一階に下りた。
説明しておこう。このホテルは、実は一階が地下一階で、二階が一階なのだ。要するに、斜面に立っているのだろう。となれば、一階ではなく、地下一階から、螺旋階段を登って、これまた、二階ではなく、一階に上がり、自動ドアを手でこじ開けて、外に出たことになる。この記述の方が正確だろう。そもそも、二階から出られますよ、というのも変な話ではないか。二階から<も>出られますよ、というのなら、変ではないが。
とにかく、外に出た。まだうす暗かった。だが、どこを見回しても、雲が厚く堆積していて、朝日が昇ってくる気配はない。ほんと、灯台が近くでよかったよ。これが、車で三十分走るとしたら、絶対に行かない。朝日は見えないし、きれいな写真が撮れっこない。なのに、伊良湖岬灯台へと向かっていた。まあ~、朝の散歩だよ。自分の不条理な行動に言い訳した。いや、ふてくされた気分をなだめたのだ。
駐車場に着いた。思いのほか、車が止まっている。夜釣りならぬ朝釣りだな。ま、たしかに、日の出前後は、魚がよく釣れる。ガキの頃、休みの日は早起きして、近くの池によく釣りに行ったものだ。早朝と夕方が、釣りの<ゴールデンタイム>だったような気がする。遊歩道を歩き始めた。砂浜にも、岩場にも、釣り人がいる。なかでも目についたのは、ほとんど海の中にある岩場に、10メートル間隔で並んだ、全身黒づくめの釣り人達だ。五、六人が、横一列に並んで、盛んに竿を振っている。と、すぐそばを、小型漁船が横切る。とたんに、波しぶきが上がって、釣り人が見えなくなるほどだ。
漁船は、釣り人達に嫌がらせをしているのか?と思うほどに、至近距離をこれ見よがしに走りぬけていく。むろん、釣り人達は、抵抗できない。なかには、危うく、岩場から、海の中へ落ちそうになっている奴もいる。たしかに、小型漁船の方は、生活がかかっている。一方、釣り人の方は、ま、言ってみれば<遊び>だ。自分が漁師だったら、生活費や子供のことで、女房と喧嘩した翌朝などは、平日に釣りなんかしている連中に、波しぶきのひとつも浴びせかけたいと思うかもしれない。いや、気の荒い漁師だ。海に落としたろうか、くらいのことは思うかもしれない。ま、ほかにもっと正当な理由があるのだろう。
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2023
01/07
Sat.
09:54:13
<灯台紀行 旅日誌>2020年度版
Category【灯台紀行 愛知編】

<灯台紀行・旅日誌>2020年度 愛知編#11
伊良湖岬灯台撮3
串刺しパイナップルを、食べ歩きしながら、車に戻った。パイナップルもうまかった。来るときに見かけたビニールハウスで作っているのかもしれない。その後は、車の中で時間調整したような気がする。日没は四時半だから、三時半に灯台に着いていればいい。運転席で少しぼうっとしていた。
窓の外に、土産物屋や旅館などが見える。何軒かは休店している。さらに、よくよく見ると、左端の五階建てくらいの旅館も休店しているようだ。すべての部屋の窓に白いカーテンがかかっている。一階の入り口、自動ドアもカーテンで覆われている。コロナの影響か、季節的なものなのか、夏場だけの営業なのか?あそこに泊まれれば、最高だな。おそらく、伊良湖岬灯台に一番近い宿だろう。
時計を見た。三時十分を回っていた。さてと、夕景の撮影だ。カメラ二台を肩掛け、首掛けして出発した。陽が落ちた後の寒さ対策で、ポシェットに、ダウンパーカの小袋も結びつけた。ちょっと説明しておこうか。ユニクロのコートタイプのダウンパーカで、色は黒。たたむとかなり小さくなって、付属の小袋に収納できる。軽くて暖かい、優れ物だ。
じつは、これは、自分が、デイサービスへ行く老父のために買ったものだ。週二回、ほぼ九時前後にデイサービスの白いバンが迎えに来る。冬場の、玄関から車までの防寒対策だ。軽くて暖かいので、老父も気に入っていた。白いバンに乗り込む、黒いダウンパーカの、老父の後ろ姿が思い出される。甲種合格の元日本兵は、97歳まで生きた。親父が死んですでに五年以上たっていた。
伊良湖岬灯台へと至る、遊歩道を歩き出した。太陽は思いのほか低くなっていて、海が、黄色っぽくなっている。きらきら光っているのは、海面が強風にあおられているからだろう。といっても、さほど寒くはなかった。防寒対策は万全で、そうだ、たしか、ネックウォーマーもしていたし、指先の出ている手袋もしていたと思う。むろん、パーカのフードをきっちりかぶり、上下、デサントの最強ウォーマー、ブレスサーモを着用していた。これでなお寒いのなら、小袋からダウンパーカを取り出して着込めばいい。何しろ、寒さの中、ふるえながら、おしっこを我慢して撮ったって、誰もほめてはくれないし、風邪をひくのが関の山だ。
灯台に着いた。太陽は、真正面の海の上、目線よりやや高い位置にあった。ためしに、太陽を画面に取り込んで、灯台を撮ってみた。むろん、ほぼ<ノーブラインド>で。目に悪いからね。モニターすると、案の定、太陽の中心部は白色、というか白飛びしていて、空白、と言った方がいいだろう。これはいただけない。もっとも、同心円状に、少しずつ黄色っぽくなるが、それでも、写真として成立しない。となれば、太陽は画面から出てもらおう。
波消し石の上、石塀の上、さらには、灯台正面付近の土留め石の辺りで、写真を撮った。みな、下調べした撮影ポイントだ。そのポイント間の移動なので、体は楽だった。その場その場で立ち止り、画面をじっくり見て、ベストの構図を探った。一番楽しみにしていた、山側の階段を登った。振り向くと、灯台の横で太陽が黄色に燃えている。位置的に、太陽は画面から外せない。灯台のすぐ横にあるからだ。これでは写真にならない。水平線ぎりぎり、線香花火の火の玉になるまで待つしかない。
だが、このままぼうっと、階段に腰をおろして待っているわけにもいかない。また下に下りて、ポイント間を移動しながら写真を撮った。ほぼ同じ位置取りだが、刻一刻と明かりの具合が変わっている。灯台の見え方も、周囲の色合いも変わっている。撮っても撮っても追いつかないような気がした。時々姿を見せる観光客の目に、バタバタ動き回っている自分が、どう映っているのか、などとは考えもしなかった。なにゆえに、目の色を変え、夢中になっているのだろう?余人には理解できないと思う。正直言って、自分にも理解できないのだ。
そうこうしているうちに、太陽はさらに低くなり、黄色の丸が小さくなってきた。とはいえ、直接見るとかなり眩しい。それに、中心部が白飛びしているから、形はまだ見えない。それでも、ファインダー越しに見ると、なんとか写真にできるかもしれない、と思った。山側の階段に急いだ。階段を登りながら、写真を撮った。太陽は、灯台の左横にあり、中心部は空白、その周りが黄色の輪になっている。さらにその周辺の空と海がオレンジ色に染まっている。灯台はといえば、画面のほぼ中央、やや下に位置している。沈む太陽を、腕組みしながら眺めている、といった感じだ。まさに思い描いていた絵面だった。
階段を登り切って、踊り場に着いた。太陽が線香花火の火の玉になるまで、まだ少し時間があった。ここでゆっくり眺めていてもいいのだけど、気が急いていた。バタバタっと階段を下りて、灯台の正面付近、遊歩道の山側の土留め壁に体を寄せて、今度は、遊歩道越しに灯台をしつこく撮った。むろんその左横には、いままさに水平線に落ちる太陽があった。この時、すでに、太陽は、小さな火の玉になっていた。要するに、いつ地面に落下しても不思議はない。こうしちゃいられない。また、階段に急いだ。
階段を登りながら、下調べしたポイントで、じっくり構図の微調整をした。すなわち、カメラのファインダーを見ながら、幅1メートルほどの階段を、右に左に少しずつ動いて、ベストの構図を探した。背景は、オレンジ色に染まる海と空、それに、晴れた日の夕方、水平線近くに、数分間だけ現れる小さな火の玉だ。そんなロケーションで、伊良湖岬灯台を、なんとしても撮りたかった。むろん、撮れたところでカネになるわけでも、褒められるわけでもない。趣味で撮っているだけだ。しかし、趣味だからこそ、妥協は許されないのだ。
火の玉が、水平線にかかり、少しずつ欠けていき、とうとう消えてしまった。最後の最後まで、きっちり撮った。撮れたと思った。それに、たとえ撮れていなくても、まだ、明日があるさ。暗くなった階段を、悠々たる気分で下りた。さてと、今度は<ブルーアワー>だ。
遊歩道に下りると、そうだ、書くのを忘れていたが、日没前後、どこからともなく観光客が集まってきて、灯台の正面付近は、ちょっとした<蜜>になっていた。だが、その観光客たちも、陽が落ちた途端、蜘蛛の子を散らすようにいなくなっていた。いや、辺りがかなり暗くなってきたから、人影が目立たなくなったのかもしれない。それはともかく、いまは観光客にかかずらわっている時ではない。西側のポイント、東側ポイント、それから正面付近のポイントから、灯台の背景となる空の様子、色合いを見て回らなければならない。
陽が落ちた後の数十分間を、写真用語で<ブルーアワー>という。何度も同じことを書くなよ。ま、その<ブルーアワー>になれば、当然のことだが、灯台に陽射しはない。したがって、灯台は、暗がりの中に立っているだけだ。となれば、せめて、背景の空が、とびきり、とまでは言わないけど、かなりきれいでないと、写真としては面白みがないだろう。
というわけで、今回は西側ポイントから灯台を撮ることにした。そう、昨日の野島埼灯台も、西側ポイントから撮った。なぜか、日没後は、東側の空の方が、きれいな色合いになるようだ。おそらく、陽が沈んだ後も、西の空からは、まだかすかに光が出ていて、その光が、東側の空に反射するからだろう。それと、その西側からの光は、かすかながら灯台にもあたるわけで、露出的にもいいのかもしれない。
ところが、<ブルーアワー>が終わって、ほぼ暗くなると、今度は、西側の空がきれいになる。水平線の近くが、濃いオレンジ色になり、空の色も、群青色だ。その諧調は美しいが、灯台は、ほぼシルエットになってしまう。と、ここまでは、手持ちで撮れた。だが、さらに暗くなり、灯台の目が光り始め、夜の海に船の明かりが見えだすと、極端にシャッタースピードが落ちて、手持ちでは撮れなくなった。というか、モニターしてみて、ピンボケしているのに気づいたのだ。
あ~あ、なぜ三脚を持ってこなかったのか!夜まで粘って、がんばって撮るつもりでいたのに、三脚のことは、すっかり忘れていた。あたりは、すでに真っ暗になっていた。撮影終わり!強風の中、遊歩道を駐車場の方へと戻った。足取りは重かったが、先ほど、西側ポイントでダウンパーカを着込んでいたので、寒くはなかった。と、波音が聞こえてきた。耳をすませた。生れてはじめて聞く、波音のハーモニーだった。ちなみに、恋路ヶ浜の潮騒は<日本音風景100選>に選ばれている。
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2022
12/10
Sat.
22:15:20
<灯台紀行 旅日誌>2020年度版
Category【灯台紀行 愛知編】

<灯台紀行・旅日誌>2020年度版 愛知編#10
伊良湖岬灯台撮2~土産物店
階段から降りて、灯台の正面に立った。伊良湖岬灯台が、いくら小ぶりとはいえ、至近距離では上半分、画面に入らない。ま、そういうことは、この際関係なかった。あくまでも記念写真だ。上半分が写っていなくても問題はない。あとは、扉とか手すりとか、細部をじっくり見た。ただし、ほとんど記憶されていない。ただ、近くで見ると、錆が流れている箇所が意外に多かったような気がする。灯台50選に選ばれている、有名な灯台なのに、やや、ほったらかしだ。もっとも、何年かおきには手を入れているのだろうから、修繕前だったのかもしれない。
その後は、来た方とは反対方向、つまり、フェリー乗り場の方へ少し歩いた。遊歩道は、右側の山の縁に沿って、ゆるい右カーブだ。ふと振り向くと、灯台はすでに死角になっていた。ということは、もうこれ以上、前に進む必要はない。回れ右。少し戻った。山側が広くなっていて、ちょっとした広場になっている。ベンチもある。座って休憩した。
ベンチに座った位置からでも、灯台は、見えることは見える。ただし、左から山の斜面がせり出していて、写真にはならない。景観ともいえない。少しの間、ベンチに座って、体を休めた。が、静寂はすぐに破られた。がやがやと観光客が来た。立ち上がった。気まぐれだろう、そばにあった、モニュメントや歌碑のそばに寄って、ちらっと眺めた。初めて見る名前だ。疲れていて頭が働かなかったのだろうか、覚えようともしなかった。
さてと、今度は東側の波消し石の上から、灯台を見てみよう。石塀に近づいた。見ると、一個一個の石の表面に、和歌なのか俳句なのか、なにか刻字されている。伊良湖岬に関する、万葉集の歌かなと思い、近寄って、文字を眼で追った。まったく意味が取れない。和歌なのか俳句なのか、文字は、石塀を構成している石に、一首ずつ、軒並み刻字されている。あの時は、それが何を意味するのかわからなかったし、わかろうとも思わなかった。
注釈 伊良湖岬灯台へと至る石畳の道は、別名<いのりの磯道>=<磯丸歌碑の道>と呼ばれている。<磯丸>とは江戸時代後期の、渥美半島の漁夫歌人<糟谷磯丸>のことで、石に刻字された句は、磯丸の作品<まじない歌>だったらしい。
まず、カメラを二台、肩から外して、石塀の上に置いた。身軽になり、両手を石塀の上についた。次に、右足をあげて石塀の上に、足先をのせた。その足先を支点にして、ぐいと踏ん張り、石塀の上に飛び乗った。そのあとは、身をかがめてカメラを一台ずつ手に取り、一台は肩掛け、もう一台は首にかけた。そして、灯台を眺めた。ごくろうさん!灯台も水平線も、斜めにかしいでいる。波消し石の上を飛び歩くのは、もううんざりだったが、しかたない、やるしかないだろう。どの石の上から見れば、灯台の垂直と水平線の水平を確保できるのか、この目で確認しなければならない。
もっとも、今回は、多少手抜きした。というか、灯台との距離が、おのずと決まってきて、さほど前後に動く必要がなくなった。のみならず、構図的な問題で、左右の動きも、狭い範囲内でおさまった。つまり、灯台の左側からせり出している山を、どの程度画面に取り込むかが最大の問題で、この問題に決着がつけば、すなわち、その位置が東側のベストポジションになるのだ。
灯台からの距離は、およそ20メートル。足を置く波消し石は、石塀と波際のテトラポットのほぼ真ん中辺り。波消し石の形や、周囲の布置、特徴を頭に入れて、石塀に戻った。さほど時間はかからなかった。いま思えば、かなり疲れていて、ややいい加減になっていたような気もする。
撮影画像で確認すると、時間は、午後の二時前だ。朝六時に起きて、四時間ほど運転、小一時間赤羽根灯台を撮り、その後も、ずっと伊良湖岬灯台の撮影。とくに、波消し石の飛び歩きがきつかった。石畳の道を、駐車場の方へと戻った。右手には、恋路ヶ浜が広がっていた。だが、何か他のことを考えていたのだろう。景観に感応することもなく、うつむき加減に歩いていた。足が少し重い。疲れを感じた。
駐車場に着いた。そこそこ車が止まっていた。風は強いが好い天気で、さほど寒くもない。観光地の雰囲気が漂っていた。カメラを車の中において、目の前の公衆トイレへ行った。まずまずきれいだった。<大>の方は、洋式で温水便座がついていた。もっとも、公衆トイレの便座に座るのは、さすがに抵抗がある。とはいえ、切羽詰まっているときには、関係ない。幾度となくお世話になったことがあるじゃないか。
車に戻って、運転席で一息入れた。そういえば、今晩食べる食料を買いそびれている。ホテルの場所は、来るときに確認していていた。ここから車で二、三分のころにある。素泊まりだから、夕食は調達しなければならなかったのだ。すっかり忘れていたよ。駐車場の敷地外に、道路を隔てて、五、六軒土産物屋が並んでいる。<大あさり定食>の文字が目に入った。夕飯には早すぎるが、食べておいた方が無難だな。なにしろ、渥美半島に入ってからは、コンビニの看板を、ほとんど見ていないのだ。
コロナ禍の中、できれば外食はしたくなかった。だが、致し方ない。構えの一番いい店を選んで中に入った。だが、中は雑然としていた。一組客がいたが、食べ終えるところだった。<大あさり定食>を頼んだ。なかなか出てこない。テーブルをひとつあけて座っていた先客も引き上げた。まだ出てこない。とはいえ、ゆっくり構えて待っていた。夕方の撮影までには、まだ時間があったのだ。
店頭で、愛想のいい女将さんが、さっきからなにか焼いている。あれが<大あさり>なのだろうか。そうらしい。女将さんが声をかけると、奥の方から、ご飯や味噌汁がのった四角い盆を持ったあんちゃんが現れて、女将さんから<大あさり>を受け取り、盆にのせて持ってきた。ようやく飯にありつけた。
デカいハマグリのような感じだが、味が大振りで、やはり<あさり>だと思った。しかも、焼き方が下手で、固くなっている。まあ、いい。あさりの味噌汁があったので、ご飯のおかずはそれで十分だ。とはいえ、ゴムのような<大あさり>四個、完食いたしました!あと、デザートのかわりだろう、小さなみかんが半分、それにメロン半切れが小鉢に入っていた。そのみかんが、わりとおいしかった。
食べ終わって、店の真ん中に、雑然と並べてある土産品を見ていた。女将さんがすっと寄ってきて、バイクで来たの、と声をかけてきた。いや、車でと答えると、そうよネ、これじゃさむいわよネと言って、自分の服装を下から上へと眺めなおした。たしかに、下は紺のウォーマー、上も紺パーカ、髪の毛が伸びていて、ざんばらだし、爺のバイク野郎と見られても不思議はない。
そのあと<あさりせんべい>のことなどを聞くと、まだ多少色香の残っている女将さんは、聞かれもしないことまで元気よく喋っている。見ると、小粒みかんの箱がいくつも置いてあって、小分けして売っているようだ。小分けをさらに小分けして売ってくれないかと、女将さんに言うと、息子に聞いてみないとわからないと言葉を濁した。折りしも、店頭に客が来て、女将さんは<大あさり>を焼きはじめた。
二十代そこそこの息子が、どこからともなく現れた。小粒みかんの<小分けの小分け>の件を女将さんから聞いたにもかかわらず、シカとしていて、こっちに返事が返ってこない。めんどくさいので、それでいいわ、と言って、小分け袋を買った。息子は急に愛想がよくなって、箱の中のみかんを二、三個手でつかんで小分け袋に入れて、渡してきた。
定食代込みで¥1800くらい払った。帰り際、息子は、かん高い元気な声で<おとうさん、はいこれ>と言って、串刺しのパイナップルを、冷蔵庫の中からさっと取り出し、手渡してきた。おそらくは漁師の息子なのだろうが、商売慣れしている。まだ若いが、女将さんにとっては頼もしい息子なのかもしれない。
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2022
11/07
Mon.
08:52:26
<灯台紀行 旅日誌>2020年度版
Category【灯台紀行 愛知編】

<灯台紀行・旅日誌>2020年度版 愛知編#9
伊良湖岬灯台撮影1
海沿いの広い石畳の道を歩いていくと、ススキの生えた崖の横から、伊良湖岬灯台が、突如として現れる。なるほどこれが、と一瞬立ち止まり、さらに少し歩いて、よく見える場所まで移動した。意外に小ぶりで、こじんまりしている。防波堤灯台よりは大きいが、巨大な沿岸灯台の三分の一くらいしかない。しかも、丸っこいから、可愛い感じがする。ただ、長い間、強い海風や雨に晒されてきたのだろう、全体的に少し汚れている。手すりや扉などの錆が流れて、シミになっている箇所もある。
真っ白な灯台は、むろん好きである。とはいえ、多少経年変化している灯台は、それにもまして好きだ。やはり、画像よりは実物の方がはるかにいい。これはと思い、一気に撮影モードに入った。下調べの段階では、撮影ポイントは二つ、東西の側面からで、まずは、西側の腰高の石塀に登った。少し高い所から、目の前に広がる<灯台のある風景>を見回した。
伊良湖岬灯台は、まさに、波打ち際に立っていた。といっても、人間の背丈くらいの、コンクリの土台の上にあるから、直接波を受けることは少ないだろう。灯台の背後には水平線が見えた。ただ、今いる位置からだと、灯台も水平線も、傾いているように見える。つまり、灯台を垂直に見立てると、水平線がもっと傾き、水平線の水平を確保すると、灯台がさらに傾いでしまう、というおなじみのジレンマに直面した。
補正作業の、最近の傾向としては、<灯台の垂直>が最優先で、<水平線の水平>は、そのためには多少妥協する、という感じになっている。ま、それにしても、灯台と水平線が十字クロスする地点がベストポイントなわけで、その場所を探すべく、腰高石塀から海側の大きな波消し石の上に飛び移った。むろん、波消し石は、その上に、人間が都合よくのれるよう形をしているわけでもなく、配置されているわけでもなかった。
となれば、<沢登り歩行>を選択せざるを得まい。足を置ける場所を、目であらかじめ選択して、一歩一歩移動することになった。ただし、今回は、その選択がなかなか難しい。というのも、ランダムに置かれている波消し石の間には、大きな隙間がある場合もあり、飛び移るのに危険を感じることがあった。もちろん、その場合、たとえ足をのせる場所があっても、その石は選択から除外せざるを得ない。
しかも、波消し石のほとんどが、一抱えするほどの大きさだ。なので、行きたい方向に存在する石の数が少ない。いきおい、足場を選択できる場所も少なくなり、行きたい方へ行けないこともしばしばだった。その時は、迂回するしかない。しかし、迂回したとて、当初に目指した方向へ行けるとは限らない。むしろ、これまた、行けないことの方が多く、さらなる迂回を強いられた。ときどき、石の上に斜めに立って、周りを見まわした。だが、目指していた方向には、なかなか近づけなかった。
いまこの瞬間、あの時の自分の行動を思い返してみると、なんだか、かわいそうな気もするし、滑稽な感じでもある。というのも、あの膨大な波消し石たちは、全体としては、多少の傾斜を伴って、波打ち際のテトラポットへ向かって配置されていたわけで、要するに自分は、おおむね斜めに敷き詰められた、大きな石の間を登ったり下りたり、飛び移ったり、飛び下りたり、さらには、へっぴり腰で、四つん這になって、這い上がったりしていたことになる。<この世は舞台、人間は、そこで右往左往する役者だ>。まいったね。
話しを戻そう。目指した所へ、正確にはたどり着けなかったかもしれない。だが、目指す方向へは、おおよそ近づけた。しかも、迂回に次ぐ迂回で、写真的には、膨大な波消し石たちの、どの場所がだめで、どこがより有効なのかが理解できた。ま、いわば、足で稼いだわけだ。もっとも、灯台と水平線が十字クロスする地点は存在せず、あくまでも、その近似値で満足するほかなかった。ま、多少は補正ができるので、問題はない。
西側からの、ベストポジションを、おおむね確定できたので、その場所の石の形とか、全体の布置を記憶した。今日の午後、そして明日の撮影のためだ。いましがたの作業、大きな波消し石の間を飛び歩くことなど、もうやりたくなかった。そう、肝心の灯台の写真だが、波消し石の間を移動する際、その都度こまめに撮っていたので、枚数的にも、構図的にも、不安はなかった。一枚や二枚、気に入った写真が撮れているはずだ。
腰高の石塀から、下の石畳の道に下りた。その際、一気に飛び下りることはしなかった。あぶないでしょ。まず、塀の上に尻をつき、腰かけるようにして、両足を下に垂らした。ちなみに、腰高塀の上は、五十センチ幅くらいあった。それから、片手を尻の脇について、その手のひらを支点にして、ひょいと体を浮かせ、足を石畳におろした。そこでまた、灯台に向き直った。構図としては、右側に石畳の道が大きく入り込んでしまう。やや人工的な感じがして、気に入らない。ま、それでも、撮り歩きしながら、灯台に近づいていった。
灯台の正面、ちょっと手前の石畳の道が、山側に少し広くなっている。土留め石に(おしゃれなことに石塀などと同じ質感の大きな石だった)体をあずけながら、カメラを灯台に向けた。レンズの最大広角24ミリで、ぎりぎり、画面におさまる。とはいえ、画面の中での灯台が大きすぎる。大きく写し込んでも、かならずしも、被写体が際立つということにはならない。逆に、圧迫感が生じて、しつこい感じになることもある。撮影画像の選択作業の中で、最近得た知見だ。先に進もう。
灯台の正面に来た。と、山側にコンクリの階段がある。見上げると、もう少し高い所まで行けそうだ。気持ちが動いた。下調べでは見つけられなかったポイントだった。数段上がっては振り向き、その都度、構図を決めて写真を撮った。背景に大きく海が広がっていて、すごくいい。この階段は、幅は1メートルほどで、三階くらいの高さだったと思う。登りきったところは、いわゆる、踊り場で、一息つける。この一番高い位置からだと、水平目線が灯台の頭とぶつかる。灯台の高さも、やはり三階くらいだったわけだ。
踊り場の左手には、かなり急なコンクリ階段が続いていた。幅は人間ひとりが通れるほどで、しかも、中央に金属の手すりがついている。階段が、手すりで縦に二分割されているので、歩ける幅はさらに狭くなり、かなり歩きづらい。もっとも、手すりは下りる時の滑落防止、および、登るときの補助としてちゃんと機能していた。実際に上り下りしてみると、歩きづらさを補ってあまりあるほどの効果があった。
手すりにつかまって、階段を登り始めると、灯台は死角になる。しかも、両脇は鬱蒼たる樹木で、左右の視界も全くない。階段は、おそらく三階ほどの高さだが、半端なく急なので、途中で一息ついたほどだ。上りきったところは、開けていた。山側を見上げると、さらに一段と高い所に、レーダー塔(伊勢湾海上交通センター)のようなものが見える。ただし、海側は樹木で覆われ、展望はない。
さらに見回すと、何やら、歌碑もある。右手には舗装路が見え、どうやら、ここが行き止まりらしい。だだし、正面の崖、というか山の斜面を登って、レーダー塔まで行けそうだ。とはいえ、ネット検索した限りでは、施設の中には入れそうにもない。それに、なんだか疲れていたのだろう、全然行く気になれなかった。歌碑にもちょっと近寄ってみたが、名前の知らない歌人で、案内板も読む気になれなかった。灯台は見えないし、レーダー塔へ行くには大変だ。無駄足だった。
急な階段を、手すりにつかまって下りた。金属の手すりがありがたかった。踊り場で立ち止まり、右を向くと、目の前に灯台があった。階段を下りながら、1メートル間隔で、灯台の写真を撮った。むろん、その都度モニターしたが、どの場所がベストポイントなのか、やや決めかねた。どの構図の写真にも、海を背景にした灯台の、何と言うか、優しい佇まいが写っていたのだ。もっとも、ちゃんと決める必要もなかった。短い階段だし、全部撮っておけばいいんだ。大した手間じゃない。
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2022
09/17
Sat.
06:04:47
<灯台紀行 旅日誌>2020年度版
Category【灯台紀行 愛知編】

<灯台紀行 旅日誌>2020年度版 愛知編 #8
赤羽根防波堤灯台~伊良湖岬
渥美半島の太平洋岸、赤羽根海岸に着いたのは、<11:00>頃だったと思う。正確には、<道の駅あかばね ロコステーション>の駐車場に入ったわけだ。まず、そのアカぬけた施設のトイレで用を足した。自販機で缶コーヒーを買って飲んだような気もする。見回すと、あった。防波堤の先端に、もろ、逆光の中、お目当ての赤羽根防波堤灯台が見えた。だが、かなり遠いぞ。車を海岸沿いの駐車場へと移動した。ほんの二百メートルほどだが、灯台までの距離を稼いだことになる。ジジイの習性だ。
周辺は、芝生広場になっていて、整備されていた。トイレの建物も、公衆便所とは呼べない感じで、凝ったデザインだ。いまネットで調べて知ったのだが、この辺りは、<太平洋のロングビーチ>と言って、サーフィンの名所だそうな。外に出た。あまり気乗りしなかった。というもの、逆光なのだ。どう考えたって、きれいには撮れないでしょう。それに、遠すぎないか!
ぶつぶつ言ってもだめだ。ここまで来て、撮らないで帰るわけにはいかないだろう。防波堤灯台へ向かって歩き始めた。何やら工事をやっている。さらに近づくと、防波堤は立ち入り禁止、工事用のバリケートで仕切られていた。だが、簡易的な可動式のバリケートを並べているだけだから、簡単に突破できる。それに、灯台の近くには釣り人が何人かいる。立ち入り禁止など、まったく関係ない。ほとんど、何の罪悪感も感じないで、バリケートをまたいだ。
灯台に近づくにつれ、逆光よりも、その根本あたりにいる釣り人が気になってきた。なぜって、画面に、もろ入り込んでしまうのだ。赤羽根防波堤灯台は、よくよく見ると、赤羽根港の右岸側の先端にある。つまり、カタカナの<コ>の字の、下の横線の左側の先端に位置しているのだ。むろん、<コ>の字の開いている方に海があり太陽がある。いま自分はその<コ>の字の下の横線上にいて、左に向かって歩いている。先端に灯台があり、その手前に釣り人いる。邪魔なのだが、どうしようもないではないか。
だが、さらによくよく見ると、その<コ>の字の下の横線の、左側先端から、真下に少しだけ防波堤がある。つまりどういうことか、釣り人を少しかわして、灯台を横から撮ることができるということだ。ま、その位置取りに一縷の望みを託して、とりあえずは、強風の中、危ないからなるべく防波堤の真ん中に寄り、撮り歩きしながら先端に近づいた。灯台の根本に着くと、その周りを、ぐるっと360度回った。柵があるわけでもなく、すぐ後ろは海だ。突風が来て、よろよろっと、そのまま海の中へドブン、という可能性がなくもない。強風だったが、幸いにも、突風は来なかった。
先端の赤い灯台は、防波堤灯台とは言え、自分の背丈の三倍以上はあった。その根元に居るのだから、魚眼レンズでも使用しない限り、その全体は撮れない。要するに、写真が撮れる位置取りではない。したがって、灯台の周りをまわる必要もなかった。回ったところで、面白くもおかしくもなかった。だが、ここまで来た記念だ。灯台の、赤いぶっとい胴体をアップで撮った。
一応は、被写体に可能な限り近づき、その周りを360度回って撮影ポイントを探す、という写真撮影に関しての、自分なりの流儀を貫いたわけだ。だが、この時は、まったく意味のないことだった。<流儀>などよりも、身の安全や体力の温存を優先すべきだ。同じような過ちを、これまで、幾度となく繰り返してきたような気がした。
防波堤に座って釣りをしている爺を見た。こちらの思惑など、千に一つも理解していないだろう。ま、いい。逆光だし、この位置取りでは、灯台の見栄えもさほど良くない。いまだ可能性が残っている短い防波堤の方へ行った。ま、たしかに、多少はいい。だが、逆光も釣り人の爺も、さほどかわすことはできず、灯台のフォルムもイマイチだ。無駄足だった。苦労して、ここまで歩いてきた自分が、もう自分でも理解できなかった。
戻った。はるか彼方に、車を止めた駐車場が見えた。あそこまでまた歩くのかと思って、うんざりした。とはいえ、辺りの景色は素晴らしかった。とくに、弧を描いた砂浜がきれいで、波打ち際がエメラルド、海の色はマリンブルーだった。人影がほとんどないのに、もの悲しい感じはせず、南の島のような雰囲気だ。自分にはそぐわないが、いやではなかった。
<11:45 出発>とメモにある。と、これ以前の出来事をひとつふたつ付け加えておこう。駐車場に戻って、着替えをして、こじゃれたトイレで用を足した。着替えに関して言えば、寒いのに、歩き出すと背中にだけ汗をかく。この現象は、カメラバックなどを背負っていればなおさらで、背中だけが、なぜこれほどまでに蒸れるのだろうかと、今更ながら思った。こじゃれたトイレに関しては、野次馬根性というか、冷やかし半分、中がどんな感じか見てみたかったのだ。ワンコが片足を高く上げて、電信柱にオシッコをひっかける、マーキングに似ていないこともない。
<12時30分 伊良湖 着>。八時ころ出発したのだから、四時間半たっていた。途中、赤羽根灯台で小一時間引っかかっていたのだから、実質、三時間半かかった。ま、予定通りだな。と、気まぐれだ、少し時間を戻そう。赤羽根海岸を後にして、伊良湖岬へ向かっていくと、じきに、見上げるような岬のてっぺんに白い大きなホテルが見える。なるほど、あれが<伊良湖ビューホテル>か。旅に出る前、一度予約に成功したホテルだ。値段的には、<Goto割り>適用で、確か一泊素泊まりで¥10000ほどだった。下を通り過ぎながら、泊まってみたかったなと思った。ちなみに、キャンセルしたのは、日程上の問題で、致し方なかったのだ。
さてと、伊良湖岬に着いた。灯台へ行くには、<恋路ヶ浜駐車場>に車を止めて、海岸沿いの遊歩道を10分ほど歩いていくしかない。駐車場は無料、広くて、トイレもあり、ちゃんと管理されている。土産物店などが五、六軒、敷地の外に並んでいて、食事もできる。外に出て、まず、太陽の位置を確認した。正面の海の上、冬だから、角度的にはさほど高くない。きれいな写真が撮れる位置にある。
おそらくは、カメラ二台を肩にかけ、三脚を手に持って、歩き始めたのだと思う。砂浜沿いの遊歩道は、途中、ちょっとだけ砂で覆われていて歩きづらかったが、おおむね石畳の道で、問題はない。うしろを振り返ると、きれいな砂浜が弧を描いていて、断崖の上、岬のてっぺんに伊良湖ビューホテルが見える。右側は、崖で、山が迫っている。五分ほど歩くと、左側の砂浜が切れて岩場になる。だが、岩場が続くわけでもなく、波打ち際は、じきにテトラポットでガードされるようになる。
波打ち際と遊歩道との高低差、ないしは、距離は十メートルくらいある。テトラが波際の最前線で、二重、三重の防御だ。さらに本隊は、大きな石たちで、遊歩道の縁まで段々に積み上げられている。が、いま思えば、この大きな石たちは、波際対策のみならず、景観を配慮しての配置だったようにも思える。というのも、かなり広い遊歩道の左側、すなわち海側には、腰高の大きな石を並べて作った塀があり、狭いながらも、その上を歩こうと思えば歩けるほどだ。
要するに、かなり金のかかった、凝った造りともいえる。その石塀のすぐ外側に、無機質なテトラポットが積み上げられていたら、これはもう興ざめだろう。波際最前線のテトラは、致し方ないとしても、目の届く範囲は、やはり、石塀や石畳と同じ材質の石を配置して、全体的な統一感を演出する必要がある。つまり、この遊歩道は、単なる遊歩道ではなく、ある一つのコンセプトに基づいて制作された芸術作品だったのかもしれない。
だが、この遊歩道は、よいことばかりでもなかった。灯台に近づくにつれ、なにかが刻字されている石が目立ち始めた。近寄ってよく見ると、俳句らしきものが刻字されている。それも、一つや二つではない。軒並みだ。大きな石の表面を削って平らにし、そこに、俳句を彫り込んでいるのだ。俳句に興味がなく、鑑賞できない者にとっては、ほとんど無視するほかあるまい。だが、ためしに、一つの石に近寄って、刻字されている俳句を眼で追った。やはり、何のことかよくわからない。むろん説明もない。お手上げだった。
いま調べてわかったことなのだが、遊歩道の石に刻字されていたのは、江戸時代後期の、渥美半島の漁夫歌人<糟谷磯丸>の<まじない歌>だったらしい。そして、この石畳の道は、別名<いのりの磯道>=<磯丸歌碑の道>というそうな。てっきり、伊良湖岬に関係する俳句や和歌だと思っていたが、ああ、勘違いでした。
とはいえ、句碑、歌碑が多すぎないか?ありていに言えば、いくら地元の有名な歌人とはいえ、石塀の表面に、軒並み俳句や和歌を刻字して並べるのは、あまりに心無い。もう少し、配列の美しさ、読みやすさへの配慮があってもよかったのではないか。たとえば、数を減らして、石塀の石とは別個の石に刻字し、歌碑、句碑とすることもできたろう。そもそも、和歌や俳句は、石にではなく、心の中に刻字されてしかるべきものだ。無筆の歌人<糟谷磯丸>も、観光客がふと立ち止まって、自分の歌を心の中で反芻することを、望んでいるのではなかろうか。
広い石畳の道、巨石を並べた腰高の長い石塀、膨大な波消し石、それに波の音、海、空。伊良湖岬灯台への道は、清々しい。それだけに、句碑、歌碑の設置、展示方法の齟齬が残念だった。
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