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此岸からの風景

<日本灯台紀行 旅日誌>オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです

2023

12/05

Tue.

07:55:36

<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版 

Category【灯台紀行 男鹿半島編

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<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島編

#6 二日目(1) 2021年7月15日

大広間で朝食

入道埼灯台撮影3

時間調整

男鹿半島旅、二日目の朝は、最果ての温泉旅館の一室で目が覚めた。すでに朝の六時半だった。昨晩の記憶は定かではなく、<走り書き>にも何時に寝たかは書いてない。だが、おそらく、夜の十時過ぎには寝ていたのだろう。寝不足感はない。夜中に、物音もしなかったし、熟睡できたほうだ。洗面などをすませ、着替えた。七時半に、二階の大広間で朝食、という予定になっている。

七時半少し前に部屋を出て、大広間へ行った。入った途端にカビ臭い。これは、自分が匂いに敏感だから、といったレベルの話じゃない。かなりカビ臭い。ま、文句を言うわけにもいかず、席に着いた。その際、ちらっと大広間を見回すと、かなり遠くに、年配の夫婦連れが一組だけいた。

席に着くと、どこからともなく<ゆりやん>が現れて、ご飯とお茶、味噌汁を持ってきてくれた。目の前のお膳には、朝食とはいえ、かなりたくさんのおかずが並んでいた。ほぼ完食してしまったが、まずくはないが、うまいとも思わなかった。あと、<ゆりやん>のよそってくれたご飯だけでは、ものたりず、すぐ近く置いてあった電気釜まで行って、茶碗に山盛りのごはんをよそった。これだけ食べれば、夕方までもつだろう。

電光石火、あっという間に平らげて、満腹。ただ、添えてあった<ヤクルト>は、部屋で飲もうと思って、手をつけなかった。食後、お茶をのみながら、今一度辺りを見回した。またカビ臭いにおいがしてきた。なるほど、たしかに、大広間だ。半分で仕切ってあるが、それを取り除けば、小さな体育館くらいの大きさはある。

ちなみに、舞台もあった。最盛期には、あそこで<なまはげショー>や<歌謡ショー>が繰り広げられたのかもしれない。経験的に言えば、<ストリップショー>もやっていたはずだ。若い頃、バイト先で、半強制的に連れていかれた社員旅行での出来事だ。ストリッパーや社員たちの俗悪さに、慄然としたものだ。

お茶を飲み終えて、すぐに席を立った。またカビ臭いにおいがした。老夫婦は、まだ食べている最中だった。大広間を出ると、横の調理場から、<ゆりあん>が出てきた。<ごちそうさま>と声をかけると、丁重に<お気つけて行ってらっしゃいませ>とか言って頭を下げた。訛りはなかったような気がする。

部屋に戻り、<ヤクルト>を飲んだ後に、出発準備をした。ふと思いついて、カメラで室内の様子を、二、三枚撮った。むろん明日のチェックアウト時でもいいのだが、同じことだろう。だが流石に、ユニットバスの扉は開けなかった。<ヤスデ>がトラウマ?になっている。排便は、多少出たので、気分はよかった。<シュール>なトイレではあるが、温水便座はちゃんと機能していた。

下におりた。受け付けカンターへ行き、金属製のベルを<チン>と押すと、奥からすぐに女将が出てきた。マスクをしているので、表情はよくはわからない。とはいえ、笑顔でお愛想を言っている。鍵をあずけ、美人の声を背中に受け、広い玄関口に立った。下を向くと、自分の軽登山靴が、きちんとそろえて置いてある。さらに少し離れたところに、男物と女物の靴が二足、並んでいる。大広間に居た老夫婦のものだろう。とすると、泊っていた客は、三人だけか!どおりで人の気配がしないわけだ。

<8:00出発>と手帳に書いてある。外に出た。朝から暑い。今日も快晴、雲一つない。駐車場には、何台か車が止まっていた。宿泊客は、自分のほかには老夫婦だけだから、誰の車なのだろう?ほかにも宿泊客がいたのかな、どうでもいいこと思いながら、車に乗った。ナビはセットしなかった。灯台への道順は覚えている。というか、出てすぐ左に曲がって、突き当りを右に行けばいいだけだ。

<8:30 入道埼 さつえい>。灯台前の駐車場には、一、二台、車が止まっていた。土産物屋はまだ閉まっている。閑散とした感じだったが、朝から陽射しが強く、すでにげっそりするほどの暑さだ。灯台はといえば、東からの斜光を受けて、いい塩梅だ。まだ太陽が低いので、広場の緑も鮮やかだった。

<撮影は午前中>と、なにかで読んだ覚えがある。たしかに、陽が昇るにつれて、地上の色合い、とくに緑色が、黒っぽくなっていく。きれいには撮れない。とはいえ、自宅から700キロも離れた、この最果ての地に来て、午前中だけしか撮らない、なんてことはあり得ないだろう。

写真がきれいとか汚いとか、そんなことは問題ではない。午前、昼、午後、夕方、夜と、最低限、このバリエーションだけは撮るつもりでいた。時間とともに変化する灯台と、その風景を、この目で確かめたいと思った。なぜだかわからない。とにもかくにも、丸一日、灯台と向き合うつもりで、ここまで来たのだ。カメラは、その行為をサポートしてくれる相棒だし、写真はその行為の記録なのだ。

まずはじめに、道路際から、灯台の正面を撮った。次に広場の遊歩道に入って少し撮り、そのあと、遊歩道から草深い中に入った。みな、構図的には、昨日とほぼ同じだ。だが、明かりの具合で、写真が全然違う。なにしろ、広場の緑が鮮やかだ。これは、東からの斜光のおかげだ。なので、断崖に近づけば近づくほど、つまり西側に移動していくと、いきおい逆光気味になり、緑の鮮やかさが失われる。太陽が東側にある時に、西側から撮れば逆光になる。おわかりいただけるだろうか。

したがって、二日目午前の撮影は、広場入口から、ほんの50mほど移動しただけだった。とはいえ、同じルートを戻ったのではない。復路は、往路よりは、灯台に対して、遠目を歩いた。見え方が多少はちがうだろう。もっとも、構図的にはたいして変わらないから、ほとんど意味はなかった。そうはいっても、同じ道を戻るわけにはいない。それが、自分で決めた撮影流儀だからだ。しかし、暑いということもあり、やる気がでない。とりあえずは車で休憩だな。まだ<9:30>だった。小一時間の撮影だが、むせかえるような暑さに、げんなりしていた。

車に戻った。エアコン全開で、水分補給をしたような気もする。靴と靴下を脱ぎ、さてと、これからの予定を考えた。少なくとも、あと一、二時間、お昼までは、この明かりの延長上の情景で、見え方に劇的な違いはあるまい。終日、入道埼灯台で粘るつもりでいたものの、あまりに暑すぎる。それに日陰もない。

そこで、日程の都合でカットした男鹿半島の南側、<塩瀬埼灯台>と、その付近にある<ゴジラ岩>を見に行くことにした。距離的には往復で一時間半くらい。遅くとも午後の一時には戻ってこられる。移動中は、車のエアコンがきいているから涼しいだろう。一息つけるし、男鹿半島の縁をたらたら走るのも一興だ。<10:00 出発>、駐車場を後にした。

男鹿半島は、地図で見る限り、何とも形容しがたい形をしている。半島の首根っこには、干拓されてしまった<八郎潟>がある。半島自体は、親指を立てたような形で、西側の日本海に突き出ている。親指の先っちょに入道埼灯台があり、今走ろうとしている<塩瀬埼灯台>と<ゴジラ岩>は、その下側の小指あたりにある。その間の距離はおよそ25キロ、時間にして三十分くらいらしい。ちょこっと行って帰って来るにはちょうどいい。なにしろ、昼過ぎには入道埼灯台に戻ってきて、一応は、太陽の一番高い時間帯にも、写真を撮っておきたいのだ。

走りだした。山が急角度で、海に落ち込んでいる。右側は海で、道路の下は断崖絶壁だ。左側は、剥き出しの、垂直に切り立つ岩場で、つまり、なんというか、山の斜面に道路を作ったのだろう。素人目にも、難工事がうかがえる。幸い、ほとんど車は走っていない。時速40キロくらいで、ゆっくり走りながら、景色を楽しんだ。

道路わきには、ところどころに展望スペースがあった。帰りに寄ってみよう。そのうち、下り坂になった。下りきったところは、漁港になっていた。真っ青な空と海。少し沖合の消波提に、赤い灯台(戸賀港南消波提灯台)が立っている。すごく目立つし、いい感じだ。ただ以前のように、写真として、モノにしてやろうという気にはならなかった。最近は、写真的に見栄えのいい、大型灯台の撮影に重きを置いているからだ。とはいえ、この海景は、撮っておきたい。

道路沿いに、細長い駐車スペースが目に入ったので、ハンドルを左に切った。公園というほどでもないが、なぜか、縁にアジサイがたくさん植えられている。満開だ。海とアジサイの取り合わせが新鮮だった。外に出て、道路を渡り、道路際の防潮堤に寄りかかりながら、湾の中の赤い灯台を見た。あまりにも遠目過ぎる。それよりも、左の方に、白い灯台(戸賀灯台)がある。こちらのほうは、やや近目だが、まるっきり絵にならない。

写真はほとんど撮らず、すぐに出発した。海岸沿いに大きな施設が見えた。<男鹿水族館>だ。横に、広い駐車場もある。ここも帰りに寄ってみよう。道は、ここからまた上り坂になる。山深いというか、秘境だな。さらに行くと、左側の切り立った岩場に、落石除けのフェンスとか鉄のアーチとかが目立ってくる。そのうち、がけ崩れの補修工事なのか、片側通行になる。そういえば、二、三日前、秋田県には大雨が降ったのだ。

ま、ヤバイ場所であることに間違いはない。と、また道が下り坂になり、砂浜が見えた。目的地が近い。きょろきょろしながら、ゆっくり行くと、岩場の上に灯台らしきものが見えた。あれだな。ただし、道路際の駐車スペースを改修工事しているようで、止められない。あれ~、という間に、通り過ぎてしまった。しかも、いけどもいけども、駐車できる場所がない。

猛暑だった。長い距離は歩きたくない。いい加減行き過ぎて、Uターンした。ふと見ると、工事用フェンスの横に、<ゴジラ岩はここから>という案内板があった。だが、周りに、駐車場がないのに、どうやってここまで来るのか?それに、灯台へと至る岩場の降り口にも、<立ち入り禁止>の看板がある。車を止められたとしても、灯台に近づくことはできないのだ。あきらめよう。工事中の灯台をチラッと横目で見て、来た道を引き返した。

復路は、来る時に目星をつけておいた、水族館の駐車場や道路際のアジサイの咲いている小さな駐車スペース、さらには、山道の展望スペースなどに、何回も止まりながら、防波堤灯台や海景を撮った。観光気分になっていて、ま、記念写真だね。

坂道の途中にあった展望のいい駐車場には、大きな<なまはげ>がいた。比較的きれいなトイレもあり、用を足したあとに、カンカン照りの中、<なまはげ>を撮った。漁港を見下ろす断崖の柵際には、色の褪めたパラソルが二つ並んでいて、その一つの下に、大きな日除け帽子をかぶったおばさんが座っていた。どうやら、サザエなどを売っているようだ。

そのうち、どこからともなく黒い軽のバンがやってきて、黒シャツの中年男がおばさんに、なにか盛んにしゃべっている。はじめは客かなと思ったが、かなり気安い感じだ。知り合いなのかもしれない。男は大声でしゃべっているが、早口であるうえに、訛りがきつい。話の内容はよく理解できない。一方、おばさんの方は、訥々とした感じで、言葉少なげに応対している。

おばさんをちらっと横目で見た。大きな日除け帽子で、少し影になっていたが、色白で顔立ちがいい。漁師の女将さんなのだろうか、<秋田美人>だ。とっさに、あの野郎、おばさんに気があるなと思った。この最果ての地でも、色恋沙汰が進行中だ。おばさんはともかく、声の大きい、あつかましい中年男に、心の中で舌打ちした。すぐに女にちょっかいを出す、どこにでもいるタイプの男だ。軽薄な野郎だ。いや、ひょっとしたら、やっかんでいるのかもしれない。気軽に女性を口説ける男が羨ましいのだろう。ここでもう一度、舌打ちした。今度は自分に、だった。

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2023

11/27

Mon.

09:19:43

<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版 

Category【灯台紀行 男鹿半島編

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<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島編

#5 一日目(5) 2021年7月14日

最果ての温泉旅館

ほぼ午後七時半に宿に着いた。受付で、愛想のいい女将からの挨拶を受け、エレベーターに乗った。部屋に入ると、座卓の上に夕食が並べられていた。シャワーでも浴びたい気分だったが、腹が減っている。でも一応、ユニットバスを覗いてみた。先ほど、駆除し損ねた<ヤスデ>が気になっていたのだ。

そうよ、チェックイン時に、ユニットバスを確認した際、桶に隠れていた<ヤスデ>に出っくわしたのだ。え~~~~~!と思った瞬間、奴は、排水溝の中に逃げ込んだ。どうしようもないではないか。ぴたりとドアをしめた。這い出る隙間なないよな、奴を閉じ込め、ユニットバスには絶対入るまいと思った。

<ヤスデ>の姿は見えなかった。いや、気持ち悪いので、よくは確認しなかった。ところがだ、夕食の席に着く際、脇にあったポットをどかしたら、黒い影が急に動き出した。畳の上を、たくさんの足が大慌てで動いている。ややパニックになったが、すぐ冷静になり、駆除するものはないかと、辺りを見回した。新聞紙か雑誌があれば最高だが、そんなものはどこにもない。仕方ない、座卓の上にあった茶色い案内冊子を手に取り、狙いを定めた。うまく仕留めた。だが、もうこれ以上書く気がしない。殺生はしたくはなかったのだ。

気持ちを取り直して、夕食の席に着いた。食べるものが山ほどある。ほとんどが魚料理で、量も多い。とくに刺身はうまかった。場所柄なのだろう。完食して、満腹だ。さてと、寝る前に温泉だな。ポシェットとカメラを、備え付けの金庫に入れた。金庫の鍵は、冷蔵庫の上のカップ入れの後ろに隠した。まずもって、小心なのだ。

バスタオルとペラペラの手ぬぐいをもって、エレベーターで二階に下りた。温泉の入り口には、青い暖簾がかかっている。<男>の文字が白抜きしてある。温泉には誰もいなかった。まずまず広くてきれいだ。湯船では、手足を伸ばして、ゆっくりくつろいだ。食事と温泉は、まずまずだが、部屋が汚すぎる。一泊¥11500。値段的に、高いのか安いのか、判断に迷った。

部屋に戻った。座卓の上に、食い散らかした夕食が、置きっぱなしだ。このまま、というわけにもいかないだろう。受付に内線電話をかけると、例の愛想のいい女将が出て、下げに伺いますとのこと。少したって、廊下で音が聞こえた。ドアを開けると、紺の作務のような服装の、白いマスクをした<ゆりやん>のような若い女性がいた。

仲居さんというか、旅館の従業員は、婆さんばかりだと思っていたので、やや意外だった。彼女は、アルバイトなのか、ぎこちない感じで、控え目だ。ふと思いついて、財布から、千円札を一枚取り出し、彼女に渡した。別に下心があったわけではない。ある程度の旅館に泊まったら、仲居さんへの心付けは、マナーだろう。昭和の時代には、それが当たり前だった。彼女は遠慮したが、出したものを引っ込めるわけにもいかず、やや強引に受け取らせた。

今の時代でも、仲居さんに心付けをするのがマナーなのか、よくわからないので、ネットで調べた。やはり、<心付け>の習慣は、いまだに活きているようで、とくに、何か特別なことをしてもらったら、感謝の意味で渡した方がいいらしい。ただし、財布から現金をだして、そのまま渡すのはNG。なにかに包んで渡すのが礼儀らしい。急なときには、テッシュでもいい。なるほど、そこまでは気が回らなかった。ま、その点は、勘弁してもらおう。

<ゆりやん>は食器類を廊下に出し、ふり返って、丁重に、おやすみなさいといって、部屋から出て行った。マスクをしているので、器量のよしあしは、しかとは判断できない。だが、色は白いような気がした。秋田美人、という言葉が思い浮かんだ。雪国で、陽に当たることが少ないので、色白なのだという。一見もっともらしい話だが、本当なのか?

ちょっと調べてみると、秋田県は日照時間も少ないらしいので多少蓋然性があるようだ。あとは、ウソかホントか、大昔、ロシアやヨーロッパから渡ってきて人達の、白人しかもっていないウイルスの遺伝子が、十人に一人の割合で残っているからだ、という説もある。そのほか、温泉とか食べ物とか、きりもない話だ。

とはいえ、日本三大美人(京美人、秋田美人、越後美人)という俗説の中に、雪国が二つも入っている。そういえば、<雪女>も美人の妖怪だ。雪と美人は、なにか関わりがあるのかもしれない。思えば、受付の女将も美人だった。自分の都合の良いことだけが、脳裏に浮かんできて、勝手に思い込んでいるだけだ。なかば迷信のような、俗説を信じてはいけない。

座卓の横の布団に寝転がった。布団は、温泉に行く前に自分で敷いておいた。横になると、クッションがよくないので、押し入れからマットレスをもう一枚出して二枚重ねにした。枕も、もう一個出して、二つに重ねた。部屋は汚かったが、敷布や布団カバーは、パリッと糊がきいていて、気持ちよかった。一瞬、<ヤスデ>がまだどこかにいるような気もしたが、考えないことにした。

蒲団の上に座りなおして、手帳に、日誌を走り書きした。そのあと、のどが渇いたので、飲み物を買いに、二階に下りた。猛暑での撮影と温泉とで、脱水気味なのかもしれない、などと思った。薄暗い館内に、人の気配はなく、なんとなくかび臭い。自販機の前に立った。ビールはあるが、ノンアルビールはない。コーラを買って、戻った。

寝る前に、歯磨きだ。歯ブラシは持参している。歯磨き粉は、洗面台に置いてあった、アメニティーの白い小指ほどのチューブを使った。その際、破った紙片を捨てようと、下にあった、ゴミ箱を見た。普通、ゴミ箱には内側にレジ袋のようなものがぶせてある。掃除する時に手間がかからず、ゴミ箱も汚れないからだ。そういえば、小さな鏡台の横にあったゴミ箱も、いわば<裸>だった。なんとなく、汚らしい感じがした。

歯を磨きながら、洗面所周りを見た。設備が古いのは致し方ない。だが、掃除が行き届いていない。いや、汚い。それに、壁紙が茶系のストライプ柄、床もこげ茶色なのに、洗面器の色がきれいなピンク色だ。そうだ、便器もピンクだった。なぜ、一般的な白でなくピンクを取り付けたのか、理解に苦しむ。

そう、最高にシュールだったのは、トイレだ。一応、温水便座だから、自分にとっての最低ラインはクリアしている。だが、使用中に、辺りを見回すと、床、天井、壁が、それぞれ、まったく異なった材質のフローリングや壁紙で内装されていて、色合いにも統一感がない。これあきらかに、その都度、劣化した部分を、一か所ずつ交換修繕したからだろう。むろん、その中に、ピンクの便器も入るわけだ。

建物自体は、おそらく、1970年前後に建てられたものだと思う。高度成長時代になり、庶民の団体旅行が流行り出した時期だ。この最果ての<男鹿半島>も、<なまはげ>を売り物にして、<ディスカバージャパン>の波に乗ったのだろう。

とすれば、すでに築五十年以上たっている建物だ。部屋が古くて汚いのは値段相応、ということで、客も我慢する。だが、トイレ、風呂、洗面所など、水回り系の不備にはクレームをつける。旅館側としても、最小限の修繕はせざるを得ない。一気に修理すると修理代がかさむから、不備なところだけを修理する。いきおい、ちぐはぐな感じになる。それが、トイレという狭い空間の中では、ことさら際立ったのだろう。

それにしても、このデタラメな内装は、人間の美的観念を大きく逸脱している。意図してデザインできるものではない。と考えると、居心地の悪かったトイレ空間が、なにやら<シュール>な感じがしてきて、じっと座っていることが、それほど苦痛ではなくなった。生理的な嫌悪感ですら、ある程度は、知性で相殺できる。哲学的知見の実証例のような気がした。

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2023

11/20

Mon.

09:09:15

<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版 

Category【灯台紀行 男鹿半島編

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<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島編

#4 一日目(4) 2021年7月14日

入道埼灯台撮影1

男鹿半島の先端、入道埼灯台に着いたのは午後の三時半頃だった。快晴で、空は真っ青だ。陽は少し傾きかけていたが、真夏の太陽が、ギラギラしていた。広い駐車場には、前を走っていたキャンピングカーのほか、二、三台の車が止まっているだけだ。それと、横一列に、五、六軒並んでいる土産物屋は、すでにシャッターを下ろしていた。閑散としている。だが、さびれた感じはしない。広々していて、気持ちのいいところだ。

灯台の周辺は、芝生広場になっていて、緑が鮮やかだった。正面には、海があり、少し上に、まともに見られないほど眩しい太陽があった。車から出て、さっそく磁石で方位を確認した。灯台は、やや北西方向にあり、夕陽と絡めて撮るのは難しいかもしれない。つまり、灯台と夕陽の間には、かなりの距離があり、自分のカメラの画角では、両者を一枚の写真におさめることはできそうにない。ま、これは、予期していたことだ。ネットには、そうした、夕陽と絡んだ入道埼灯台の写真は、ほぼ一枚もなかった。これは、灯台と太陽の位置関係からして、物理的に無理なのだろう。

駐車場と芝生広場の間には道路があった。といっても、通る車はほとんどない。左右を気にせず道を渡り、広場に入った。芝生だと思った緑のじゅうたんは、少し背の高い牧草のような草(芝草)で、ところどころにアカツメグサが群生している。白黒の灯台との距離は、そうだな、70~80mくらいかな?思ったほど巨大ではない。

左側には資料室のような平屋の建物が立っている。右側にも、何とも形容しがたいが、骨だけになった雨傘を逆さに立てたような、無線アンテナ(中波無線標識か?)がある。さらにその横に、灯台よりも大きなレーダー塔(無線方位信号所)が立っている。景観という観点に立てば、邪魔といえば邪魔だな。だが今日日、これらの鉄の構造物は、灯台付近に、必ずといっていいほど併設されている設備で、致し方ない。

カメラ一台を首にかけ、撮り始めた。念のために、予備の電池を一個、黒いポシェットの中に放り込んだ。ためし撮りなので、すぐには、灯台の正面にはいかず、広場の中の遊歩道を歩きながら、五、六歩行っては、立ち止まり、灯台にカメラを向けた。遊歩道の先には、なにか黒っぽいモニュメントが立っている。広場の中にも、それよりは小さい物体が点在している。ま、これらは、眼前に広がる、緑のじゅうたんと灯台と空との、いわば全体的な布置の中では小さなもので、ほとんど気にならない。

遊歩道からそれて、草深い中を、海へ向かって少し行くと、断崖になっているようだ。用心して、三、四歩前で立ち止まる。臆病で、爺になっているので<断崖>を覗きこむようなことはしない。行き止まりだということを確認して、こんどは<断崖>沿いに、モニュメントの方へ行く。

ちなみに、広場に足を踏み入れた時から、灯台の全景は見なくなり、資料室の屋根越しとなる。しかも、灯台と水平線を一つ画面におさめるには、<断崖>に近づきすぎてもよくない。広場の真ん中あたりが、一番マシ、ということだ。

撮り歩きしながら、モニュメントに到着した。自分の背丈以上あり、黒い石の立派な構造物だった。回りに円形状の腰掛もあり、そばに、むろん、案内板もあった。だが、気持ちが急いていたので、案内板は見なかった。とういうのも、灯台周りの探索を早く済ませ、いったん宿に入って、再度、日没の一時間前くらいから、撮影したかったからだ。いわゆる<ゴールデンタイム>だ。

なんというか、瑣末なことばかりが気にかかる。例えば、今回の場合、宿の夕食は、七時からということになっている。部屋に持ってきてくれるそうだが、それにしても、チェックインが七時過ぎるのはまずいだろう。ちょうどこの日、日没は午後七時十分ころだ。夕食と日没の時間が重なっている。どっちか取れ、というなら、最初で最後の夕陽のきれいな男鹿半島に来ているんだ、日没の撮影を取る。ま、旅館の夕食も、楽しみではあるが、千載一遇、夕陽に染まる入道埼灯台を逃すわけにはいかないだろう。

とにかく、早く、灯台周りの探索を終えねばならない。いま居るモニュメントの位置は、灯台から50m位離れた断崖沿いだ。ということは、海に背を向けている。構図としては、灯台が真ん中にあり、その左側に、資料室の建物、雨傘の骨組み(無線標識)、巨大なレーダー塔が横並びしている。快晴だから、空は<青>。要するに、水平線が見えない分、奥行き感、遠近感がなく、平板な構図だ。

最近は、写真の奥行き感、遠近感にこだわっている。というのも、自分で撮った灯台写真を選別する際、そこに、水平線があるかないかで、写真の見え方が全然違うのだ。写真の中に水平線があると、単純に言って、開放感がある。灯台の垂直は視線を上下させ、海の水平線はそれを左右に動かす。さらには、焦点距離が伸ばされ無限大になる。左右上下、遠近の、この目の動きが、奥行き感、遠近感、さらには解放感といったことの身体的根拠なのかもしれない。

それはともかく、最近の撮影では、構図的、絵面的な<ベストポイント>に、さほどこだわらなくなってきた。灯台という構造物と付近の景観が、あるていど調和しているなら、ベスト、ベターは、事後の選別の際に決めればいい。むろん、これまで通り、撮影の際は、いちおう灯台の周りを360度撮り歩くが、やみくもに全方位的に撮りまくることはなくなった。つまり、灯台と水平線がひとつ画面におさまる場所を重点的に撮るようになった。構図や絵面の美しさよりも、写真の中にある遠近感や開放感の方が面白いと感じているわけだ。

したがって、海を背にしてしまうと、とたんに、撮影テンションが下がった。空の景色がよければ、まだましだが、<青>一色だ。とはいえ、灯台の裏側も見て回らないわけにはいかないだろう。断崖に沿って、撮り歩きを始めた。おそらく、一時間以上はたっている。猛暑だ。体力的には、もう限界に近かった。うんざりしたのを覚えている。

入道埼灯台撮影2

入道埼灯台は、地形的に280度くらいの展望=明弧があるらしい。つまり、海から見た場合、灯台の光が見える範囲が広い。陸地から見た場合は、要するに、ぐるっと海が見わたせるわけだ。したがって、西側だけでなく、北側の展望もいい。目を細めると、はるか遠くに、細長い陸地が見え、そこに、巨大風車が等間隔に並んでいる。それがどのへんなのか、頭の中で考えた。能代あたりだろうか?ま、いい。

北側からの、灯台はといえば、こんもりした林にさえぎられて、上半分が見えるだけだ。まるっきり写真にならない。林に沿って、遊歩道のような道がある。このままいけば、灯台の正面に出られるだろう。と、断崖の下に遊覧船が止まっているのが見えた。そばに看板もある。<遊覧透視船>。なるほど、海がきれいだから、船底から海底を覗くような仕掛けになっているのかもしれない。ただし、<欠航中>。

断崖に近寄って、下を覗きこんだ。渡船場があり、その先端に遊覧船が係留されている。手前には、大きな建物があり、オレンジ色の屋根に<遊覧船待合所>と書いてある。炎天下の中、ひとっ子一人いない。船も看板も建物も、ふるびて時代がかっている。さびれた観光地だ。だが、ここからの景色が絶景であり、海の色が驚くほどきれいであることに、間違いはない。

こんもりとした樹木に沿って歩いた。そこが唯一日陰になっている。すぐに、灯台の正面側、つまり、駐車場の北側にでた。右を向くと、広めの遊歩道の先に、灯台資料館が見えた。トイレがすぐそばにあったので、用を足した。

さてと、灯台は資料館の右側にある。だが、距離が近すぎる。それに、周辺に巨大なレーダー塔など、いろいろごちゃごちゃしていて、まるっきり写真にならない。とはいえ、一応、灯台を見に行った。

資料館の受付は閉まっていた。灯台内部に入れるのは、午後四時までらしい。もっとも、暑さでぐったりしていたので、登るつもりもなかったが。灯台周りにも、いろいろな案内板があった。だが、目を通す気力もなく、とにもかくにも、灯台の入口の前まで行った。

ここまでは、比較的遠目から見ていたので、灯台のその巨大さに、ちょっとびっくりした。見上げると、ぶっとい白黒の胴体の先、つまり灯台の頭部は、死角になってよく見えない。したがって、いわゆる<灯台>のフォルムではない。むろん、写真も撮らなかった。とはいえ、あした体調を整えて登ってみようと思った。いや、ここまで来たんだ、登るべきだと思った。

灯台に背を向け、駐車場沿いに歩いていくと、シルバーの小さな車がポツンと止まっているのが見えた。自分のレンタカーだ。ふと、気まぐれを起こし、また、広場に踏みこんだ。灯台に正対した。同じ構図だが、さっき来た時とは、明かりの具合が違う。念のためだ。まだ、気力、体力に余力が残っていたのだろう。

車に戻った。午後五時少し前だったと思う。宿までは、十分足らずだ。チェックインだけ済ませ、夕方の撮影のために、すぐに戻ってくる、という予定を立てた。遅くとも、午後六時過ぎには撮影を再開できるだろう。一息入れて、駐車場を出た。意外に疲れていない。新幹線で来たからな、と思った。高速道路を何百キロも運転してきたのではない。疲労度が全然違うのだ。

<男鹿温泉郷>に入って、突き当りを右に行くと、十階建てくらいの大きな旅館がいくつもある。その一角に、予約した旅館があった。外見はそんなに悪くない。それに、受付の女性が、おもいのほか愛想がよくて、ま、美人だった。ところが、エレベーターに乗って、部屋に入ると、とことん老朽化している。畳こそ、すり切れていないが、壁はシミだらけ、縁がめくれている。さらに洗面所も、風呂も、かなり汚い。二泊だから、我慢だな。それに今は急いでいる。部屋の汚さにこだわっている場合ではない。

すぐに下に下りて、受付の女性に、戻ってくるのが午後七時半過ぎになることを伝えた。部屋に食事を運んでおいてくれるとのこと。これで安心して、出かけられる。ビジネスライクだが、それにしても、愛想がいい。

予定通り、午後の六時過ぎに、入道埼灯台に戻った。黄色っぽくなった太陽は、水平線の三十センチくらい上の辺りまで下がっていた。だが、依然として、まぶしくて、まともには見られない。日没は午後七時過ぎだ。

遊歩道の入口から、芝草広場に足を踏み入れた。すぐに道からそれて、草深い中に入った。灯台と水平線が一つ画面に入る場所を、カメラで確認しながら、ぶらぶら撮り歩きした。断崖に近づきすぎても、よくない。灯台が見切れてしまうのだ。流石に、暑さはおさまってきて、辺りが、なんとなくオレンジ色っぽい。

芝草広場には、アカツメクサのほか、名前の知らない白い花なども咲いている。お花たちを踏まないように歩いた。だが、ま、ここは勘弁してもらう、おそらく踏んづけているだろう。

さてと、太陽がかなり下がってきた。今や水平線のほんの少し上にある。その夕陽と灯台とをひとつ画面に収めたいのだが、両者に距離がありすぎて、構図的なバランスが悪い。ま、それでも、道路際の広場への入口辺りがベストだろう。三脚を車に取りに戻った。その際、ふっと辺りを見回すと、なんとなく人影が増えたような気がした。入道埼は、夕陽の名所だから、観光客たちが、日没の時間に集まってきているのだ。

沈む夕陽と灯台を一つ画面入れる。入道埼灯台の、そんな写真は見たことがない。要するに、地理的関係で無理なのだ。だがそうでもないぞ。道路際に並んでいる木の柵沿いに三脚を立てた。そばに、若い女の子が二人、スマホを夕陽に向けている。

夕陽と灯台をひとつ画面に収めることはできる。ただし、夕陽は左端、灯台は右端。構図的には、はなはだ心もとない。とはいえ、ちょっと真剣になって撮った。まさに<ゴールデンアワー>だった。刻一刻と、太陽が水平線に近づいていく。空も海も広場も灯台も、ますますオレンジ色に染め上げられていく。周辺にいる誰もが、スマホやカメラを夕陽に向けていた。妙に静かだった。

夕陽が水平線に到着した。周囲が、少しざわついたような気もする。自分も、灯台をそっちのけにして、その光景を撮った。黄色の丸は、水平線にかかると、あっという間に半円になり、姿を消した。その間五分くらいだろうか?とたんに、神々しい雰囲気は霧散して、ざわざわしはじめた。広場の中、断崖やモミュメント付近にいた見物客たちが戻ってきた。午後の七時十五分頃だった。

この後の<ブルーアワー>は、明日撮ることにして、自分も車に戻った。駐車場の車やバイクは、あっという間に、蜘蛛の子を散らすように引き上げていった。あとには、自分の車と、例のキャンピングカーしか止まっていない。あたりは薄暗くなっていた。キャンピングカーは、今晩ここで車中泊するのだろう。

水平線に沈む夕日は、たしかに美しいし、希少価値がある。ただし、今回は、さほど感動しなかった。写真としても、記念写真の域を出ていない。<日没>は、本当に美しいのか?べつに、それほどでもないよな。いつもの天邪鬼だ。宿へ向かった。

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2023

11/14

Tue.

07:08:43

<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版 

Category【灯台紀行 男鹿半島編

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<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島編

#3 一日目(3) 2021年7月14日

移動2

仙台駅では数人降り、数人乗ってきた。次の停車駅の盛岡駅でも、同じような感じだった。と、アナウンスが耳に入ってきた。車両を切り離し、盛岡駅からは、進行方向が逆になるらしい。どういうことなのか?自分が乗った<こまち11号>は実体的には、<はやぶさ11号>と<こまち11号>が連結されたもので、<はやぶさ>の方は、いわゆる東北新幹線で、新青森まで行く。一方<こまち>の方は、盛岡で切り離されて、在来線を走って、秋田まで行く、というわけだ。

と、ここからはいま調べたことだが、本来、新幹線と在来線とでは、線路の幅が違う。これは、たしか、小学生の頃に教わったことがある。となると、新幹線である<こまち>は、盛岡から秋田までの区間、在来線を使うことはできないのではないか?これは、半分は正解で、半分は間違い。在来線の田沢湖線(盛岡~大曲)と奥羽本線の一部(大曲~秋田)のレール幅を改良工事で大きくして、新幹線が走れるようにしているのだ。

時間と空間を戻そう。二時間足らずで、盛岡駅に着き、車内アナウンス通り、列車が反対方向へ動き出した。なんだか変。戻っている感じがする。だが、もっと変なことに気づいた。線路に柵がない。スピードが遅い。待ち合わせとか言って、頻繁に停車する。なんだこりゃ~!車両は新幹線だが、内容的には<特急>だ。しかも<待ち合わせ>ということは、<単線>だ。

秋田新幹線<こまち11号>は、大宮駅から秋田駅まで、およそ三時間半だ。だが、大宮から盛岡まで二時間弱で着いた。となれば、あとの一時間半が、盛岡から秋田までの走行時間となる。これからまだ、一時間半も、たらたら行くのか、と思いながら、窓の景色を眺めた。山間部をぬって走っている感じで、何の面白みもない。雫石、田沢湖、角館、大曲と停車して、秋田駅には、予定通り、一時ちょい過ぎに着いた。

駅構内は閑散としていた。改札は<PASMO>で何の問題もなく、ピッと通過できた。東口から、長い階段を下りて、外に出た。駅前広場は、整備され広々としている。その分、さらに閑散としている。すぐ近くのNレンタカーまで、キャリーバックをごろごろ転がしながら歩いた。梅雨明け十日!雲一つない晴天、こりゃあ~、猛暑だな。

Nレンタカーの事務所に入って、手続きをした。予約は、14時からだから、四十五分ほど早い。その分、追加料金を¥1000、取られた。請求書が出てくる前に、何も説明がなかったので、少しごねた。係の若者は、ではいったん契約解除して、やり直しますかと聞いてきた。だが、この暑い中、時間をつぶす所もないし、すでに現地入りしているわけで、男鹿半島へ向けて、早く出発したかった。そのままでいい。カードで支払いを済ませ、用意してあった車に乗った。

出雲旅の時と同じだ。灰色の<スイフト>だった。ナビの操作などを、ちょっと教えてもらい、すぐに出発した。その際、<入道埼灯台>まで、高速でも一般道でも、あまり変わらない、と係の若者がアドバイスしてくれたので、一般道を選択した。どちらも、ほぼ58キロ、二時間弱の行程だ。

一時間半くらいだと思っていたが、二時間かかるのか!秋田に泊まらなくてよかったよ。それに、高速を使わないのなら、¥1000オーバーしたぶん、差し引きゼロだ。みみっちいことを思いながら、秋田の市街地を走り抜けた。道は広く、きれいな大きな町だった。

その時は思わなかったが、帰路、同じルートを通った時に、ふと思った。市街地に、これだけ大きな道があるのは、<空襲>を受けたんじゃないか、と。いま調べたら、カンが当たっていた。

1945年8月14日の夜から、翌15日にかけて、B29が130機飛来。海岸沿いにある製油施設と、市街地が被害を受け、250人以上が犠牲になった。<土崎大空襲>。大日本帝国が、米軍から受けた、最後の空襲だった。そういえば、自分の住んでいる埼玉県の熊谷も、同日、ほぼ同時刻に空襲を受けている。<熊谷空襲>。1945年8月15日。敗戦の日に、ここでも、多くの人命が失われている。この二つの空襲は、今から76年前だ。かなり前とはいえ、自分の生まれる、ほんの七年前のことだ。自分にとっては、そんなに昔のことじゃない。

市街地を抜けると、左手に海が見えた。海岸沿いに、大きな施設が見える。そう、秋田には、たしか海底油田があったはずだ。となると、あれは製油施設だな。片側二車線の広い道を、気分良く、さらに行くと、巨大な<なまはげ>の立像が二体、目に入った。ハンドルを左に切って、<男鹿総合観光案内所>の駐車場に入った。

車の外に出た。暑い!キャリーバックからカメラを取りだして、巨大な<なまはげ>を何枚か撮った。正面からは、逆光だ。うしろに回って、出刃を振り上げている後姿も撮った。おもしろい!近寄って、どんな材質でできているのか、触ってみた。硬かったが、樹脂のような感じだった。

施設の中に入り、お土産を物色した。小さな<なまはげ>の置物があった。中に何か入っていて、カラカラと音がする。¥770の、手のひらに収まる程度のものを買った。ただ、いま思い出してみると、顔が赤いのと青いのがある。たしか、どちらも出刃と桶を持っていたような気がする?

帰宅後に調べてみると、例の、巨大な<なまはげ>も、ネットで出てくる<なまはげ>の画像も、ほぼすべて<出刃と桶>は青い<なまはげ>が持ち、赤い<なまはげ>は<御幣=ごへい>という棒の先にひらひらした紙がついているものを持っている。ちなみにこの<御幣>は、神様であることの印らしい。

ベッドの背もたれの上を見た。ニャンコの白い骨壺と愛知旅で買った<三毛の招き猫>が並んでいる。その前に、紀伊半島旅で買った那智黒石の小さな招き猫と顔の赤い<なまはげ>がいる。やはり<出刃と桶>を持っている。これは、おかしいだろう?赤い<なまはげ>は<御幣>を持っているはずだ。これは、たんなるミステイクなのか?あるいは、素材的に<御幣>を作るのが難しかったのか?

ヒマなんだから、真相について調べることもできるだろう。だが、めんどくさい。それに、<なまはげ>は地域、地域によって、多種多様らしい。赤い<なまはげ>が<出刃と桶>を持っていることも、許されるのだろう。

なお、この<出刃と桶>は、炉端で低温火傷したときにできる<かさぶた>を削り取って入れるものらしい?しかし、この説明は説得力に欠けるな。<出刃>を振りかざす<なまはげ>は、暴力的で、恐怖を呼び起こす。持っている<桶>は<出刃>で切り刻んだ、人間の部位を入れるものではないのか?怖いもの見たさが、恐ろしいイメージを喚起する。

あと、赤い方が爺、青い方が婆で、二人は夫婦らしい。<なまはげ>が夫婦であったというのも、驚きだが、頭が大きくて、わけのわからないアイテムを持っている姿は、アニメのキャラクターのようで、滑稽味がある。しかし、幼児にとっては、今でも恐怖の対象だし、一方、大人にとっては、郷愁の産物となっている。自分も、<なまはげ>には、なんとなく魅かれるところがある。

巨大<なまはげ>を後にして、男鹿市の手前で<なまはげライン>に入った。その際、どこの港なのか?海に突き出た長い防波堤の先に、灯台が小さく見えた。帰りに寄ろうと思った。(この防波堤灯台は、船川港の<船川防波堤灯台>だと、今調べてわかった)。小一時間、さほど山深くもない山間部を、貸し切り状態で走った。そのうち、点在する民家もなくなり、少し急な登りになった。

さらにナビに従っていくと、道は平らになり、半島の上に上がったようだ。と、<男鹿温泉郷>という看板が見えた。なるほど、宿はあっちの方だなと思いながら、さらに直進。すると、右側にチラッと海が見えた。木立があり展望はよくない。どうやら絶壁になっているようだ。

前を向くと、本格的なキャンピングカーがたらたら走っている。道が狭いから、追い抜くことは危険だし、それに億劫だ。と、道の両側に民家が建てこんできた。灯台が近いなと思った。案の定、正面の建物の上に、白黒の灯台の上半分くらいが見えた。やっと着いたよ。途中、ちょっと寄り道したものの、秋田駅から入道埼灯台まで、やはり二時間ほどかかっていた。

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2023

11/07

Tue.

07:43:25

<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版 

Category【灯台紀行 男鹿半島編

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<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島編

#2 一日目(2) 2021年7月14日

出発

今年の梅雨入りは早かった。五月の下旬あたりから、天気がよくなかったので、梅雨明けは早いだろう、と予想していた。案の定、七月の中旬からは、天気予報に、晴れマークがずらっと並んでいる。一瞬迷った。灯台に行くべきか、行かざるべきか!灯台熱も、以前ほどではなく、それに、金もかかるしな。とはいえ、このまま、ずるずると、なし崩しのような、ジャズと読書の日々もつまらない!

ま、気分転換に、行ってみるか、と決断した。もっとも、気分的なことや金銭的なこと、それに体力的なことも考慮して、旅の日程は縮小した。つまり、灯台旅の流儀を少し変えた。まず、標的としている灯台だけを撮る。そのほかの、近辺の灯台には目をつぶる。次に、実際の撮影期間は、一日にする。前後の日は、予備として考える。

こうすれば、灯台旅は二泊三日に縮小できる。一日目は移動と予備としての夕方撮影、二日目は朝から晩まで撮影、三日目は予備としての午前撮影と移動。期間が短ければ、体力的にも金銭的にも、負担は少ない。これで、ますます気が楽になった。

ということで、七月十二日に、旅の手配と準備を始めた。例の旅館が、ちょうど、14日、15日と連泊できる。新幹線もレンタカーもネットで予約できた。旅の準備も、二時間ほどで終了。前日に、パッキングすればいいだけになった。それに、行くところが一か所なので、事前の調査も、さして時間がかからない。

入道埼灯台の、ネットにあげられている画像をざっと見て、どのあたりがベストポジションなのか検討した。だが、以前のように、綿密には検討しなかった。ま、熱が冷めている証拠だ。それに、実際に行ってみないことには、正確な判断はできないだろう。いや、現地に行っても、正確な判断などできないのだ。

とにかく、入道埼灯台は、周辺が芝生の広場で、その周りを360度見て回れば、何とかなるだろう。あ~あ、いつもの感じだ。かなり<てきとう>になっている。

小学校での担任のY先生に、学級委員でありながら、掃除をさぼったり、適当な学習態度がよくない、というようなことを通信簿に書かれた。なんだか、その時は、叱責されたような感じがして、気持ちが重かった。ややトラウマにもなっていた。だが、いま思えば、一般的な価値観で、人間を一刀両断にしているわけで、いまでは<てきとう>ということが、それほど悪いこととは思えない。むしろ、<てきとう>である方が、よいこともある。ま、思想、哲学的には、昭和の小学校の教員をはるかに超えてしまったわけだ。

灯台撮影に関しては、かなり<てきとう>に考えて、次に進んだ。日程については、少し書き残しておこう。14日9:32分の大宮発、秋田新幹線<こまち11号>に乗る。そのためには、七時過ぎには自宅を出て、最寄り駅から電車に乗らなければならない。さらに、逆算して、五時半に起きれば、七時には出られる。さらにさらに、五時半に起きるということは、前の日、夜の九時に寝ればいいわけだ。

さてと、前置きが長くて、失礼しました。ついに、第十回目の灯台旅、男鹿半島旅が始まる。前の晩は、予定どおり、すべての準備を完了して、夜の九時にベッドに入った。だが、眠くない。当たり前だ。いつもは、だいたい、午前零時前後に寝ているわけで、寝られるはずがない。で、最近の習慣で、ベッドで読書。ジャズ関連の本だ。うかうかと読んでしまい、あっという間に、十一時近くになってしまった。いかん、いかん。消燈。

灯台旅も慣れてきたので、しかも、車で高速運転するわけでもないので、気楽だった。以前のように、遠足の前の小学生みたいに、緊張して眠れないということはなかった。とはいえ、一、二時間おきに、夜間トイレ。これは、ま、いつもの習慣だ。で、ふと目覚まし時計を見たら、すでに午前五時過ぎになっていた。よく寝られた方だ。眠気はない。すっと起きた。

整頓、洗面、朝食・豆腐入りのお茶漬け、バナナ、牛乳。排便は小量。そのあとに、着替えた。どんな<出で立ち>なのか、たまには書き記しておこう。

足元は<ダナー>の灰色っぽい軽登山靴。中に、こげ茶色の厚めの靴下をはいている。ズボンは、おなじみになった<ギャップ>のホワイトジーン。ウェストが少し緩いので、太目の黒いベルトをつけた。上は、中に茶色のTシャツ、羽織るものとして、同じく茶色の長袖シャツ。これは、やや麻っぽい風合いである。あと、首に、浅黄色の綿マフラーを巻いた。ま、これは手ぬぐい代わりだな。自分で言うのもおかしいが、全体的に若作りで、70歳にもなろうとしている爺には見えないかもしれない。頭の毛も黒々としていているしね。

あとは小物。ベルト通しに磁石と腕時計をくっ付けた。<エース>の黒のポシェットを肩掛けし、そのストラップに黒い袋を取り付け、中に<ニコン>のコンデジを入れている。青色スカイのバックパックを背負い、キャスター付きの、飛行機持ち込み可能な黒いカメラバックを手で引きながら移動するつもりである。

いざ、出発。おっと、ニャンコに<行ってきます>というのを忘れた。だが、もういいだろう。<ペットロス>からは回復していたし、ニャンコのことは、ほとんど思い出さなくなっていた。

移動1

大宮に着いたのは、八時過ぎだったと思う。通勤時間帯だったので、車内が混んでいた。一応、周りの目を気にして、バックパックを、前に抱えるように背負った。背中でなく体の前面に背負ったわけだ。かなり大きなものだったので、胸が圧迫され、息苦しいような気がした。が、がまんした。

車内でバックパックを、前に抱えるという習慣は、最近のものだ。通勤、通学の際に、手持ちのバックではなく、バックパックを背負うことが常態化した結果で、車内での小競り合いが増えたからだろう。たしかに、自分も、電車の中で、背中をどんと押されるような経験をしたことがある。バックを背負っている奴は、それも、バックが大きければ大きいほど、他人にぶつけていることに気づかないのだ。

狭い車内、他人とぶつかったら、目礼したり、すいませんとか何とか、ちょっとした言葉をかけあえば、全然問題はない。だが、ドカンとぶつかってきて、知らん顔、いや本人は気づいていないのだから、知らん顔ではないのだが、ともかく、シカとされると、やや気分が悪い。小心で、臆病な自分でさえ、虫の居所が悪ければ、文句のひとつでも言いたいところだ。そんなこんなで、多少混んでいる電車では、バックは前に抱えるというマナーが定着したのだろう。自分もそれに従って、朝の通勤電車に乗り、大宮駅に着いた。

大宮の駅は、久しぶりだ。きれいになり広くなっていたので、新幹線の乗り場はすぐにわかった。ポシェットから<PASMO>を取り出し、右手の掌の中に包み込むように持って、改札口の所定の場所に押し当てた。すると、ピッと音がして、小さなゲートが開いた。ほ~、ちゃんと通れたよ。

JR東日本の<えきねっと>というシステムで、事前予約していて、料金もすでに引き落とされている。PCで予約ができ、しかも、手持ちの<ICカード>で改札を通過できるなら、事前に駅まで行って、切符を予約したり、買ったりという手間が省け、かなり楽ちんだ。そういえば、以前、テレビでこのシステムのことを宣伝していたっけ。

だが、疑り深い性質であるからして、新しい物やシステムには、多少の警戒心が働く。心のどこかでは、なにか齟齬があって、通れなかったらどうしようと思っている。出発時刻の一時間以上も前に着いたのは、そうした不安が払拭しきれなかったからでもある。一時間もあれば、たとえ不都合があったとしても、処理できるだろう。

ちなみに、不安の源泉は、普通の切符ではなくて、15%割引の<トクだ値>という切符で予約したからだ。この切符は、列車、日時の変更ができない。しかも、乗り損ねたら、それでおしまい。払い戻しされないようだ。いや、全額ではないらしいが、とにかく、予約した<こまち11号>大宮発9:32には、絶対に乗らねばならないのだ。ま、金のことを考えなければ、絶対に乗らねばならない、ということはない。

もっとも、<PASMO>で改札を通過できたといっても、秋田駅ですんなり出られるという保証はない。まったく疑り深い性質だ。だが、秋田駅まで行ってしまえば、齟齬があろうがなかろうが、そんなことは、たいした問題ではない。

で、案ずるよりは産むがやすし。あっさり、新幹線乗り場へ入った。出発までには、まだ時間がある。ホームには上がらず、待合室のような、広場のような所で、時間調整だ。ぐるっと見まわし、ちょうど、案内板が見えるベンチが空いていたので、そこに腰掛け、くつろいだ。

案内板には、まだ<こまち11号>の文字はなかった。ぼうっとしていると、七、八メートル離れたとここで、爺たちが三、四人、立ち話をしている。それもでかい声で。マスクはしているが、騒々しい。このコロナ禍の中、公共の場所で、なぜあんなにでかい声でしゃべっているのか、やや不快である。思うに、声のでかさと知性とは反比例するようだ。いや、これは偏見だろう。

さてと、九時十分も過ぎた頃、案内板の中の<こまち11号>の文字を、再再度確かめ、長いエスカレーターに乗って、ホームへ上がった。マナーに従って、エスカレーターの左側に立ち、キャリーバックは、立ち位置の一段上に置いた。お行儀がいいことだ。

出発時間には、まだ二十分も早いが、数人すでに待っている。まずもって、日本人は気が早い。並ぶほどでもないので、ベンチに腰掛けた。ふと思いついて、そばの自販機で、アルミボトルのコーヒーを買った。一口、二口飲んで、ちゃんと蓋を閉めた。あとは、車内に持ち込み、飲むつもりだ。

九時二十分頃に、鼻先がひゅっと赤い<こまち>がホームに入ってきた。あわててコンデジを取り出し、一枚撮った。自分の後ろには、大きなバックを抱えた、大学生たちが五、六人いた。おそらく、野球部か何かの合宿だろう。<14号車>と案内のある場所から、列車に乗った。

急かされるような感じで、列車内の通路に立ち入ったが、座席番号をど忘れして、一瞬、通路で立ち往生してしまった。後ろに人の気配がしたので、すぐに座席側に入って、大学生たちをやり過ごした。その後、手帳で座席番号を確かめて、再度通路を歩き出す。と、今度は大学生たちが、通路で、荷物を棚にあげたりしていて、通れない。無理して、横を通り抜けようとしたら、後ろから、すいません、というような声が聞こえた。あたふたしている後輩の非礼に気づいて、先輩がフォローしたわけだ。まあ~、若いのに、礼儀正しい。いや、むしろ、若い奴の方が、中高年より、礼儀正しいような気がする。ただし、若い女は、全くダメだな。いや、これも偏見だね。

窓際の席に落ちついた。あっという間に<こまち11号>は走りだした。黄色っぽい、クッションのいい座席で、足元も広い。ひじ掛けの内側に黒いボタンがあり、押すとリクライニングできた。むろん、リクライニングするときに、後ろを確認した。座っている人がいたら、一言、ちょっと下げます、とか何とか言うのがマナーだろう。ただし、このマナーは、必ずしも守られていないような気がする。いきなり、前の座席が、がくんと倒れて来る、というような経験が、自分にすら、二、三度ある。

今回は、そんな気遣いは無用。コロナ禍での、平日の秋田行きだ。ちらっとうしろをふり返えると、例の大学生のグループのほかは、四、五人しか乗っていない。ガラガラだ。軽登山靴を脱いで、くつろいだ。そのあとは、条件反射的に、窓の外の景色を眺めていた。これから旅が始まる、というようなワクワク感は、まるでなく、気分的には平静だ。ただ、久しぶりの新幹線、やっぱ速いなと思った。前橋ありからは、さらにスピードが上がり、風を切る音が大きくなる。すこし怖い感じがした。

いま調べたら、<こまち>の最大スピードは、320キロくらいあるらしい。どおりで、一時間ほどで仙台に到着してしまうわけだ。

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2023

11/04

Sat.

08:59:06

<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版 

Category【灯台紀行 男鹿半島編

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<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島編

#1 一日目(1) 2021年7月14日

プロローグ1.2
前回の出雲旅から、ほぼ三か月がたっている。この間、何をやっていたのか?正直に言えば、ほとんど何もやっていない。いや、ちゃんと生活していた、ともいえるだろう。何回か、旧友と日帰りで温泉に行ったし、その旧友に刺激されて、五十年ぶりに、またジャズを聴き始めた。

あとは、前々回の紀伊半島旅、前回の出雲旅の撮影画像の選択、補正だ。旅日誌を脱稿し、撮影画像の補正を終えてから次の旅に出る、という自分で決めた約束事を破って、前回も、前々回も旅に出てしまった結果である。つまりは、灯台旅二回分の撮影画像の補正をしなければならなかったわけだ。ちなみに、この時点ですでに、<旅日誌>の方は、書くことを放棄していた。理由はいろいろあるが、詳細はあとにしよう。

蛇足ながら、もう少し正確に言えば、前々回の紀伊半島旅から帰ってきて、撮影画像の補正だけは、いちおうやったのだ。<いちおう>というのは、いつもの画像編集ソフトを使わないで、PCに付属している簡易的な画像編集アプリを使って、手を抜いたというか、手間を省いたのだ。

実際のところ、時間も短縮できたし、労力も、いつもよりかからなかった。だが、うかつにもその時は気がつかなかったが、画像の解像度が低くて、とてもじゃないが、画像投稿サイトにアップできる代物ではなかった。したがって、ま、それなりの手間をかけた補正作業が、すべて無駄になってしまったわけだ。

このことに、かなりうんざりして、紀伊半島旅の画像補正をほったらかして、いわば、宿題を残したままで、出雲旅に出てしまった。本来ならば、この宿題は、出雲旅から帰宅した後に、いの一番で果たさねばならぬものだったが、帰宅後、一週間くらいは、持病の<痔>が悪化して、PCに向かっての、神経を使う補正作業ができなかった。

宿題の量が、倍増しているにもかかわらず、体力的にそれらに取りかかれない。気力的にも、旅疲れということがあって、あのときは、なんだか、何もかもいやになってしまった。ちょうど、試験で<O点>でもいいや、と開き直った感じだ。なにしろ、宿題などはやりたくない、という気持ちが自分を圧倒していた。

こうなると、元も子もない話になってしまうのが、いつものことだ。灯台撮影そのものに対する、懐疑が出てきた。金と時間と体力とを使って、と言いたいところだが、<時間>に関しては除外しよう。<時間>はいくらでもあるのだ。とにかく、灯台旅、旅日誌、灯台写真に対する熱が少し冷めてしまったようなのだ。これには、ニャンコを看取って、ほぼ一年がたち<ペットロス>からも回復したことが影響しているのだろう。

それと、撮影旅行としては、紀伊半島旅が八泊九日、出雲旅は五泊六日で、日程が長かったこともあり、灯台撮影そのものに対して、体力の限界を感じたことも、<懐疑心>ができきた要因のひとつだと思う。

それならば、これまでの撮影流儀を変更して、手を抜けばよかったのではないか。しかしそれができない。その辺は、融通が利かない、愚図だ。どうしても、ゼロか百か、という思考回路が優勢で、一度決めたことを、状況に応じて変化させるということができない。それが、いまにして思えば、人生の挫折と喪失感につながっている。ま、いい。話がでかくなりすぎた。

前回の出雲旅から、今回の男鹿半島旅まで、三か月空いてしまった理由は、おそらくこうだ。<ペットロス>による心の空白を<灯台旅>に夢中になることで、いちおうは乗り切ったわけで、<灯台旅>の実存的な必要性が後退したのだ、と。悲しみや苦しみから逃れるために、なにかに夢中になる必要がなくなったのだ。撮影画像の補正作業に身が入らずに、たらたら、だらだらと三か月過ごしてしまった所以である。

ところで、目先の課題は見失っていたが、目先の楽しみを見つけたことも確かで、そのことが<灯台旅>への執着をさらに弱めた。高校生の頃に熱中して聞いていた<ジャズ>だ。しかも、今回は、旧友が同好の志であることから、彼とジャズ談義を楽しむことができるようになった。趣味というものは、同好の友だちがいると、余計に面白くなるもので、アマゾンやユーチューブで、終日ジャズを聞くようになってしまった。

それに、高校生の頃もそうだったが、ジャズ関連の本を読むようになった。自分にとって<読書>というのは、一種の<麻薬>と同じで、その時間は<人生の憂さ>を忘れさせてくれる。だが、その<読書>は、二十年前に眼病を患い、目が悪くなってからは、ほとんどしていない。目が疲れるし、実際問題、細かい字が見えにくいのだ。

ところが、眼病が寛解した今、意外にすらすらと、疲れもせずに読むことができた。昔の習慣を取り戻せたわけで、要するに、体力の限界が試されるような、灯台旅に出なくても、ジャズと読書で、その日その日を、やり過ごすことができるようになったのだ。

一時は、灯台旅など、もうやめてしまおうかと思ったりもした。だが、倍増した宿題、すなわち、灯台旅二回分の撮影画像の補正を、まがりなりにも、すべて終えた時、なんだか、宙ぶらりんな気持ちになった。灯台旅を、ここでやめるわけにはいかないだろう。たとえ、灯台熱が冷めたとしても、だ。

というのは、かなり近い将来、おそらく、三年か五年か、あるいは、三か月先かもしれない、体力的な問題で、否応なく、灯台旅ができなくなることが予想されるからだ。まずもって、灯台は辺鄙なところに立っていることが多い。そこまで行くことが大変だし、その撮影となると、急な岩場を登ったり下りたりと、体力勝負という一面もある。この一年の灯台行で、いやというほど実感したことだ。

<健康年齢>という概念があるが、自分の場合<灯台年齢?>はおそらく、あとわずかであろう。それに比べて、ジャズと読書は、灯台旅に行けなくなっても継続できる趣味だ。そんなことを考えているうちに、やはり、また灯台旅に出たくなった。要するに、灯台旅ができるのは、今しかないのだ。しかしながら、旅の当初の動機や目的は、すでに過去のものとなっていた。<ペットロス>は解消していたし、絶景を求めての<写真撮影>にも、さほど魅力を感じなくなっていた。

それよりは、車を運転し、あるいは新幹線や飛行機に乗って、最果ての灯台まで行き、写真を撮ることが、いつまでできるのか?自分の、その体力と気力の限界を見極めたいと思った。灯台旅ができなくなるまで、灯台旅を続けることが、灯台旅の目的となったのだ。

本末転倒と言えないこともない。だが、灯台に魅せられて、灯台を見に行くとか、写真を撮りに行くとか、表層的な、世間向けの言い訳は、もういいだろう。灯台旅を続けながら、灯台の写真を撮り続けることは、すなわち、自分と向き合うことだ。また、話がでかくなりすぎた。能書きはこのくらいして、先に進もうではないか。

プロローグ2

さてと、世の中、四回目の緊急事態宣言が出されている。自分の住んでいる地域にも、蔓延防止措置が発出されている。コロナだよ!もう一年半以上にもなる。もっとも、こっちは、そんなことにはお構いなしに、灯台旅を九回も敢行している。幸い、感染はしていない。だいいち、感染しそうな所へは行かないし、臆病だから、マスクとか手洗いとか、神経質なほど徹底している。とはいえ、感染しない、という保証はない。

七月の三十日に、コロナの一回目のワクチン接種が決まっている。十回目の灯台旅はそのあとだ、と心づもりしていた。だが、予想に反して、梅雨が早くあけそうだ。次なる獲物?は、すでに決まっていた。男鹿半島の先端にある、入道埼灯台である。白黒の灯台で、ロケーションがいい。それに、秋田県には足を踏み入れたことがないし、<なまはげ>のいる男鹿半島なんて、面白そうじゃないか。

ただし、だ。宿の予約に難儀した。以前にも書いたが、宿は、灯台に近ければ近いほどいい。これは説明する必要ないだろう。で、灯台に近い所に、といっても五、六キロ離れているが、男鹿温泉郷があり、そこの旅館に泊るのがベストだ。

だが、旅館なので、お一人様での予約プランがない。宿泊できない。ただ一軒だけ、お一人様が可能な旅館がある。一泊二食付きで¥11500、ま、安い方だ。しかしながら、天気との兼ね合いもあり、なかなか二泊、三泊といった連泊の予約が取れない。

男鹿半島、入道埼灯台へは、新幹線で秋田駅まで行き、レンタカー移動となる。秋田駅から入道埼までは、約58キロ、一時間半以上はかかるだろう。秋田駅周辺にはビジネスホテルがたくさんあるので、予約は取りやすい。だが、いかんせん、灯台まで遠すぎる。往復三時間、四時間前後の道のりは、限界を超えている。と、思いついて、能代駅の付近も検索してみた。能代から入道埼までは、約50キロ、ネットには、一時間と書いてあるが、一般道なのだから、やはり、一時間半くらいはかかるだろう。

秋田駅も能代駅も、ダメ。ほかにないのか?これらの街と灯台の間には、もちろん、何軒か旅館・ホテルのようなものがある。が、お決まりのように、お一人様では泊まれない。まれに、一、二軒、お一人様プランもあるにはあるが、高い!一泊二食で¥18000もする。けち臭い話だが、男鹿半島へ行くには、新幹線とレンタカーで、五万以上かかるのだ。節約できる箇所は、宿泊場所しかない。結局、例の男鹿温泉郷の、お一人様プランのある旅館しかないわけだ。

四月の後半に出雲旅から戻ってきて、あっという間に五月、六月が過ぎ、七月になった。梅雨真っ盛りではあるが、画像補正をなんとか終えると、気持ちが、また灯台旅に向いてきた。旅日誌はと言えば、とうとう書かなかった。もっとも、三月の大旅行、紀伊半島旅に関しては、当初は書く気でいた。が、なんとなく気乗りしないまま、ずるずると時がたち、書こうかなと思ったときには、時間がたちすぎていて、書くことが思い浮かばなかった。

四月の出雲旅では、旅に出る前から、旅日誌は書かないことにしていた。そうだな、旅日誌のことについて、少し触れないわけにはいかないだろう。

何はともあれ、2020年の七回目までの灯台旅に関しては、長文の旅日誌を書いた。まったくもって、精も根も尽き果てるような作業ではあったが、書き抜いた。2021年の八回目の旅、八泊九日の紀伊半島旅に出かけたのは三月だった。前の旅、愛知旅からは、おおよそ四か月くらいたっていた。年初から、コロナの緊急事態宣言が出ていたし、寒い!ということが、旅に出ることをためらわせていた。むろんそればかりでもなかったと思うが、いまでは、よく思い出せない。

とにかく、その間に、ふと思いついて、旅日誌を朗読して、ユーチューブにアップしようとした。試作を作り、聞いてみた。まるっきり面白くない。朗読など、とんでもない!文章そのものが、面白くないのだ。そんな文章のために、何百時間も費やしたなんて、まったくもって、ばかげている。ま、百歩譲って、自分だけの覚書、という意味でなら、冗長な文章も許せるだろう。

しかし、この長文の旅日誌は、ブログにアップし、HPにも掲載するつもりだった。自分のためだけじゃない。人様に見せる、読んでもらう、発表するつもりで、書かれたものだ。だいいち、そうした動因なしには、長文の旅日誌など、書けなかったろう。

自分の文章を、自分で朗読してみて、その浅薄さ、稚拙さを、認めたくなかったが、認めざるを得なくなったのだ。

しょうがないだろう、要するに、書きなぐった文章だ。それをおこがましくも、なにかひと仕事しているような気分になって、アップしていたのだから、バカに付ける薬はない。少しの間、自己嫌悪に陥った。そして、旅日誌は、もう書くまいと思った。

話しを戻そう。七月の初旬に、灯台旅二回分の画像補正を終え、ほっとした。とりあえず、やるべきことはやった。宿題は終わったのだ。しかし、ある意味では、表層的な、目先のやるべきことが終わっただけで、本当にやるべきことは、依然として残っていた。ふん、やるべきことなんか、本当はないんだが、やるべきことがないと、どうにもこうにも、身を持て余してしまう。

本当にやるべきことは、と自分に言い聞かせていることは、<モロイ朗読>の新・改訂版を作ることだ。あるいは<マロウン>の朗読、あるいは<名づけえぬもの>の朗読だ。

いちおう、三つとも、ちょっとは手を出してみた。<モロイ朗読>新・改訂版は、始めの<1-1 書き出し>の録音は完了した。しかし、なぜか、その後が続けられない。<モロイ>新・改訂版は、一番実現可能な<やるべきこと>ではあるが、それとて、今の精神状態では<そこ=モロイ>に戻っていくのが辛いのだ。

<マロウン>に関しても<1-1>は朗読して録音した。だが、こちらは、どうにもこうにも、重すぎる。なにしろ、死の床についている爺さんの独白だ。絵空事で、文字を音声化することならできる。だが、言葉=文章を、自分に引き付けて発語=朗読するには、それなりの覚悟というか、感情移入が必要だろう。今の自分には、その覚悟もないし、死の床についている爺さんへの感情移入もできない。ま、いつかは、できる時が来るさ。あと五年もたてば、俺だって、病気や死が現実問題になるんだ。ということで、あっさり保留にしてしまった。

ついでながらに書いておくと、<名づけえぬもの>も、少し朗読した。しかし、こっちは、<マロウン>よりも、なお遠い。雲をつかむような感じだ。朗読なんて、とんでもない!ということで、こちらもあっさり保留にした。

ということで、やはり、目先の課題としては、灯台旅が照準された。旅の準備をし、実際に旅をするとなれば、頭の中の<空白な時間>は霧散するし、ウソでも、偽善でも、何かをやっていれば<やるべきこと>からは解放される。いや、<やるべきこと>をやらない口実にはなる。いや、多少先延ばしすることができるのだ。

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2023

10/24

Tue.

08:07:45

<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版 

Category【灯台紀行 紀伊半島編

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<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編

#17 九日目 2021年3月28(日)
帰宅
エピローグ

帰宅日の朝も、近鉄志摩線、鵜方駅前のビジネスホテルで目が覚めた。このホテルにも三連泊したことになる。

<6時起床 7時出発 13時30分自宅着>。帰宅日のことで、まず思い浮かぶことは、<伊勢神宮>前の道路を通過したときのことだ。ふと、寄ってみようかな、と思った。そう思っただけで、結局は寄らなかったが、千載一遇の機会なのに、なぜ寄らなかったのか?帰宅することに気が急いていたからだろう。べつに早く帰っても、待っているのは、骨壺の中のニャンコだけだが、ともかく、観光気分にはなれなかった。それと、<伊勢神宮>に限らず、神社仏閣を見学することが、いまいち億劫な気がしている。要するに、つまらないのだ。

旅の最後のメモ書きにも、行間には<つまらない>という心情が流れていた。懐疑的な言葉が書きなぐられているのだ。<・・・従来通りの<旅日誌>を書くことに懐疑的 ・・・変更(して)<灯台のある風景>として、スナップを入れることにする。・・・ホテル到着後のモニター、灯台写真もスナップも枚数だけ多くてロクなものはない。・・・あるいは<大王埼灯台物語><安乗埼灯台物語>として、日誌風のエッセー(にしようか、しかし)物語は大げさだろう>。<旅日誌>を書くことを、この時点で、ほぼ断念していたようだ。で、結局、この<灯台紀行 旅日誌 紀伊半島編>は、帰宅後には書かれなかった。流石に、撮影画像の選択、補正はしたけれどね。

話しを帰宅日のことに戻そう。<伊勢神宮>には寄らぬまでも、道路沿いの<赤福>の立派な店舗を見て、お土産に買っていこうか、とも思った。だが、まだ時間がはやくて、店は閉まっているようだった。そのあとの記憶は、ほとんどない。スナップ写真も一枚もない。思いだそうとしても、思い出せない。

ただ、かなりの蓋然性をもって言えることは、高速に乗ってからは、ほぼ一時間おきにトイレ休憩をした、ということだ。高速走行に関して、一時間走ったらトイレ休憩、と自分の中で決めていたからだ。それから、そうだ、眠気に襲われることもなかったし、極端な疲労感もなかった。東名から圏央道に入った時には、もう一息だ、と思ったような気もする。そして、最寄りの圏央道のインターで降りて、見慣れた一般道に入った時には、ほっとしたにちがいない。

たしか、比較的明るい曇りの日だった。駐車場に車を入れて、荷物や機材を一階のアトリエに運び入れた。紀伊半島から、意外に早く戻ってこられたし、身も蓋もないほどには疲れていなかった。やるべきことを終え、手荷物だけ持って、階段を登り、二階の自室のドアを開けた。その際、誰にというわけではないが、いわば、虚空のニャンコに、ただいま、とやさしい声でつぶやいた。そのあとは、とにもかくにも、昼寝だ。旅の気分を一掃して、日常に戻るのだ。

・・・自分としては、八泊九日の旅は、これまでで最長かもしれない。二、三日は、何もしないでぼうっとしていた、と言いたいところだが、この男の性質上、そうもしていられない。翌日から、撮影画像の選択と、補正の作業を始めた。なにしろ、期間が長かった分、撮影枚数も多い。1000枚は軽く越えていたと思う。かなりしんどかった。

それでも、<旅日誌>を書くことは断念していたので、その分、気は楽だった。なにしろ、画像の選択、補正の作業には、かなり慣れていて、なかば自動的にできるようになっていたからだ。多少、語弊はあるが、頭をそれほど使わなくても済む作業で、そのかわり、集中力と判断力、それに忍耐力とが求められる。ま、短期決戦ならば、頭を使う作業よりは得意かもしれない。

ともかく、この作業は、二、三週間くらいで完了したと思う。先が見えてきた段階で、心は早くも、次なる灯台旅へと向かっていた。飛行機で出雲まで行って、そのあとはレンタカー、日本一高い<出雲日御碕岬灯台>へ行く計画だ。島根県は、埼玉から陸路で行くには、あまりに遠すぎる。

ただ、画像編集の作業を終えた後に、ふと、何か物足りないような、もの忘れをしたような気分になった。若い頃に勉強した心理学の用語を借りれば、<超自我>が疼いている感じだ。やるべきことをやらずに、遊び呆けている時に、どこからともなく滲出してくるものだ。たいていの場合、そんなものは無視して、<自我>に身をゆだねて、<快>に流れてしまう。それで済んでしまえばいいのだが、往々にして、自分の場合、そうはいかないようだ。

というのは、精神力というか、気力がないので、長文の<旅日誌>は書けないが、メモ書きにちょっと毛が生えたくらいのものなら書けるだろう。旅の記録として、そのくらいは残しておこうかと思ったのだ。そして、実際に、すこしだけ書いてみた。しかしながら、これとて、多少の精神力は必要で、一度弛緩した神経細胞を復元するのは容易なことではない。すぐに頓挫してしまった。<もの>を書く、という精神状態からは、程遠い所に居たわけで、気持ちが<内>ではなく、<外>へと向かっていた。内省よりは行動だ。いわば<物狂い>の状態が<超自我>を圧倒していた。

で、結局は、<旅日誌>どころか、<旅の記録>もろくに記述しないまま、一か月後には、いそいそと<出雲旅>へと出かけてしまった。比較的楽な、画像の選択補正という作業だけは終わらせて、最低限のことはやったのだと、自分に言い聞かせたのだ。<自己欺瞞>というには、言葉が大仰すぎる。だが、<なにか>に言い訳して、べつの<なにか>に身を委ねたような気がする。これだけは確かだ。

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編 #1~#17 終了。

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2023

10/17

Tue.

04:42:30

<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版 

Category【灯台紀行 紀伊半島編

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<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編

#16 八日目(2) 2021年3月27(土)

大王埼灯台撮影4

波切漁港散策

ナビに、大王埼灯台を指示して、安乗漁港をあとにしたのは<11:00>頃だった。岬を上り下りして、海岸に出た。防潮堤際の、ちょっとしたスペースに車を止め、目の前に広がる弓なりの浜辺を見回した。逆光でまぶしかった。手前の砂浜の、すぐ先の海中には、一文字の消波堤が、幾本も横並びしている。景観的には、あまりよろしくない。この時は、なぜこんなところに波消しテトラが並んでいるのか、よくわからなった。今思えば、自分が立っていた防波堤もかなり高かった。高波が押し寄せ、防潮堤を乗り越え、道路際の民家に被害が及ぶかもしれない。いわば、危険個所だ。生命財産を守るため、景観の問題は度外視して、海中に消波堤を設置したのだろう。

さらに、視線を、弓なり海岸の、はるか彼方に向けると、海の中に、黒い点々がたくさん見えた。半端な数じゃない。あきらかにサーファーたちだ。ヒマな奴が大勢いるなあ~、と思いながら記念写真を一枚だけ撮った。調べてみると、やはりサーフィンの名所で<国府(こう)の白浜>とあった。

<大王埼灯台 11時半着>。灯台に一番近い有料駐車場には、けっこう車が止まっていた、ような気がする。気丈夫な漁師のおかみさんといった感じのおばさんが、次々に入ってくる車から、料金を徴収していた。

スカッとした青空ではなく、なんとなく、ぼんやりした空だった。弱い日差しだったが、撮影には問題ない。この日も、重いカメラバックを背負ったのだろうか、この男のことだから、おそらくは、背負ったに違いない。灯台へと至る、細い遊歩道を登り、まずは<八幡さま公園>だ。岬の灯台は、明かりの状態がイマイチだったので、断崖の柵際でひと通り撮って、粘らずにすぐ移動した。灯台の正面を通り過ぎ、防潮堤沿いの階段を一段一段、ゆっくり下りた。別に疲れていたわけじゃない、眼下の海が、あまりにもきれいだったからだ。

よく見ると、浅瀬に岩礁があって、海の色がコバルトブルーだ。岩礁は、かなり広範囲で、ところどころに岩の頭が露出している。そこに沖からの波が押し寄せ、砕けて、白いしぶきが上がっている。天然の防波堤といった感じで、漁船なども、この浜へは近づけまい。人間の出入りがない分、海の色が、なお一層きれいなのかもしれない。

階段を下りきって、崩れかけた旅館の前を通り過ぎ時、ガラスの引き戸のむこうに、黒っぽい人間の上半身が見えた。ちらっと見ると、髪を後ろに結んだ三十代くらいの女性だった。一見してサーファーだとわかった。じろじろ見ることはしないで、すぐに視線を戻した。いまだに、臆病というかシャイですな。少し笑って、会釈したっていいじゃないか。それができれば、もっといろいろな女性と付き合えたかもしれないぜ。爺の繰り言だ。目の前の浜にサーファーはいない。岩礁だらけで、サーフィンなどはできまい。女性サーファーだと思ったのは、勘違いかも知れない。

防潮堤の行き止まりまで来た。振り返って、岬の灯台を撮った。今おりて来た長い階段も、しっかり画面におさまっていた。ただし、逆光になっていて、写真にはならない。それに午後になると、日陰になってしまうのだ。それでも、神社の鳥居などを脇に入れ、すこし構図を探った。だが、無理だった。

さて、どうしようかと、目の前の長い石段を見上げた。今日は写真撮影の最終日だ。この上の、見晴らし公園から、今一度、海中の防波堤灯台を撮ってみようか。思い切って、石段を登り始めた。途中で、足が重くなり、息が切れた。とはいえ、これしきの階段でと、すこし意地になって一気に登った。やはり、重いカメラバックは背負っていたのだ。

登り切って、一息入れて、神社の方へ歩き出した。今日は明るい雰囲気の、陽気な静けさが漂っていた。突き当りを右に曲がって、木立の中を進むと、椿がたくさん落ちていた。その赤が、むき出しの地面の上で生々しかった。

見晴らし公園からの眺めは、予想に反し、イマイチだった。というのは、薄い雲が出てきて、青空が少ししかない。これでは、曇り空の先日とあまり変わらない。海に突き出た長い防波堤も、その先端にある灯台も、青空と光り輝く海があってこそ、写真になるわけで、二、三枚撮って、あっさり引き上げた。ま、それでも、先日の曇天の写真よりは、多少陽射しがある分、ましだろう。おしよせる徒労感を払いのけた。

ながい石段を、ゆっくり下りた。鳥居をくぐって、防潮堤の上から、岬の灯台を眺めた。当然ながら、日陰になっていて、写真を撮る気にはなれない。ただ、海の方に、多少日が当たっているところがあり、コバルトブルーがきれいだ。夕暮れまでにはまだ時間がある。最後にもう一度、浜に下りてみようか。向き直った。

防潮堤の、浜へと下りる階段付近に、若い女性が二人、互いに記念写真などを撮ったりしているのが見えた。人気のない、日陰の海岸で、しなやかな生き物が、声を発しながら動き回っている。俺が若者なら、近づいて行って、声でもかけたいくらいだ。だが、爺ではあるし、自分の性格からいって、旅先で女の子をナンパする度胸などない。

わざと、女の子たちを無視するようにして、浜に下りた。砂利浜を歩きながら、灯台の立っている岬へ向けて、最後の記念写真を撮った。崩れかかったテトラポットも撮った。打ち寄せる波も撮った。そうこうしているうちに、背後が静かになった。女の子たちがいなくなった日陰の海岸は、波と戯れる、無数の砂利たちのざわめきで満たされた。

旅の最後の日、やや感傷的な気分になったのだろう。自分へのお土産として、いわゆる<那智黒石>を拾い始めた。中指の爪くらいの大きさがいい。つるつるしていて、流線型の、形のいいものを探した。最初は<16個>だけ拾うつもりだった。だが、興に乗って、手のひら一杯ほどの石を拾い上げ、ポケットに入れた。そのうちの一つを取り出し、口の中に入れた。<モロイ>の言うように、この<おしゃぶり石>は、飢えと渇きを、不安と孤独を、癒してくれるのだろうか?石は、すこし苦くて、しょっぱくて、埃っぽい味がした。ただ、口の中で転がすと、滑らかで、気分が落ち着くような気がしないでもなかった。

再度、<八幡さま公園>に戻った時には、陽が傾きはじめていた。灯台と岬にもろ西日が当たっていて、全体的にオレンジっぽい変な色合いになっていた。それに、空の色合いも、上空に薄い雲にかかっているのだろうか、さえない水色だ。もっとも、さほど残念でもなかった。この位置取りからの写真は、すでにゴマンと撮っている。なかには、わりとよく撮れているのもあったような気がしていたからだ。

それよりも、断崖の柵際に群れ咲く、ムラサキダイコンが気になった。これまでは、灯台の前景としてしか画面に入れていない。お花たちを主役にしてみよう。背景は、海と空だけだ。おりしも、画面左側から貨物船が現れた。船体が、きれいなミントグリーンだった。布置的には、西日を横から受ける形となり、色かぶりが減少して、花の紫、葉の緑、海の青、空の水色などが、見た目に近い感じで、撮れていた。それに、岩礁に砕ける波なども入っている。全体的にさわやかな感じで、自分の好きな抒情的な光景だ。もっとも、写真的にはたんなる記念写真だ。すでに、本筋の灯台写真の撮影は終わっていて、観光気分で写真撮影を楽しんでいたのだろう。

さらに陽は傾き、灯台とは反対側の、はるか彼方の岬の上に、目視できない、巨大な光の塊が出現した。落日までは三十分くらいだろう。さてと、ここで引き上げだな。今日は夕陽や夜の撮影はしないで、早めに引き上げることにしていた。明日が、帰宅日ということもあるが、夕陽にしろ、夜の灯台にしろ、昨日、十二分に撮っている。たとえ今日粘って撮ったとしても、昨日以上のものが撮れるとも思えなかった。それに、今日は薄い雲がかかっている。きれいな夕焼けにはならないだろうし、だいいち、すでに頭も体も弛緩していて、やる気が起きない。意識しなかったが、長旅で、体力、気力ともに、限界だったのかもしれない。最後に、今一度、太陽が沈む方角を見たような気がする。水平線近くの海がきらきらと銀色に光っていた。

<八幡さま公園>を立ち去る時、何回この公園を上り下りしたのだろうかと思った、ような気もする。遊歩道を下りきった所には、ちょっとしたスペースがあり、顔をあげると、防潮堤沿いに弓なりの浜が広がっていた。落日間近の銀色の海が、さざめいている。若者四人の黒いシルエットが、その狭いスペースを占拠して、海を眺めながら話をしていた。男だけで旅行に来ているのだろう、<青春>がちょっとだけ羨ましかった。

海に背を向け、なだらかな坂をぶらぶら歩いて、有料駐車場に向かった。両側には民宿や土産物屋がならんでいる。まずは機材を車におろし、軽登山靴をサンダルに履き替えた。まだ明るかったので、再び、カメラを一台首にかけ、駐車場の周辺を探索した。土産物屋の店先には、青い金網の上に、アジがひらかれて、きれいに並んでいた。一瞬、土産に買っていこうかと思った。ま、アジの干物は好物だ。だが、即座にその考えを打ち消した。まずもって、明日帰るわけだし、一晩、アジの干物を車の中に置くわけにもいかんだろう。生臭いにおいが、車内に充満したら、目も当てられない。

次に目についたのは、<海女専用>と書かれた表示板だ。そこは係船岸壁の奥まった一角で、コンクリの敲きが、海に向かって斜めに打ってある。サザエをたくさん獲った海女さんたちの船が陸付けされるのだろうか、あるいは、海女さん専用の駐車場ということなのだろうか、判断に迷った。ま、どっちでもいいけど、周辺には、植木鉢なども置かれていて、使用しているとも思えなかった。<海女>>いう文字に対面するのは久しぶりなので、一瞬、昭和の時代へ戻ったような気がした。

向き直って、その場を立ち去ろうとしたとき、コンクリの敲きと道路との隙間に、ピンクの小さなお花をたくさんつけた、一塊の植物が目に入った。二十センチほどの高さで、どこかで見たような気がした。そばにしゃがみこんで、よくよく見たものの、名前は思い出せなかった。だが、けなげな美しさに打たれて、謙虚な気持ちになった。二、三枚、位置取りを変えながら、写真を撮った。いま調べてみると、どうやら<ヒメキンギョソウ>らしい。海女には姫金魚草がよく似合う、なんてね。

車からは、さらに離れて、道の曲がり角まで来た。小さな漁港だが、防波堤が入り組んでいて、その先端にそれぞれ、白い小さな灯台が見えた。二つとも、先ほど、岬の上の見晴らし公園から見たものだ。ただ、位置取りが全く違うので、同じ灯台とは思えなかった。あと、防波堤には、三々五々、釣り人の姿が見えた。岬の上から見た時は、人間の姿など、ほとんど気にならなかった。平場に下りて来たとたん、同類が気になるらしい。

曲がり角に立ち止まって、さらに念入りに辺りを見回した。小さな漁港の風景だ。対岸には、お寺らしきものがあり、自分がさっき歩いた岸壁沿いの道を、人間が幾人か連れ添って境内の中へ入っていく。神社に登る急な石段も見える。背後は、三角おにぎりを二つ並べたような地形になっていて、左手は神社のある岬、右手は大王埼灯台のある岬だ。意外なことに、その三角おにぎりの谷間辺りに大王埼灯台が少し見えた。しかし、残念かな、ここからでは、位置取りが悪すぎる。<灯台の見える風景>とまでは言えない。

今一度、辺りを見回した。岸壁沿いの道を、このままずっと歩いていくと、道路際に空地のようなものがみえる。<灯台の見える風景>は、布置的には、あそこしかないだろう。ただ、サンダル履きで歩いていくには、ちと遠い。すぐに車に戻った。有料駐車場をあとにして、空地に車を乗り入れた。思った通り、いい感じで、岬に立つ大王埼灯台が見えた。カメラのファインダーを覗き、構図を探りながら、灯台が、漁港とそこに暮らす人間の家々を見守っている、と思った。そこはかとない郷愁を感じた。

ただ、ここは自分の場所ではない、とも思った。自分の場所は、ここから車で高速を500キロ走った、関東平野の西側だ。海もなければ灯台もない、マッチ箱のような家がひしめく住宅街のアパートの一室だ。そのことを時々忘れてしまう。忘れてしまって、息苦しくなる。広い所に飛び出したくなる。だが、飛び出したものの、じきに自分の場所が恋しくなって、戻りたくなるのだ。

八泊九日の、紀伊半島の旅が終わろうとしていた。今の関心は、明日、高速道路を500キロ走破して、無事に自室へと戻ることだ。体は紀伊半島東岸にあったが、心はすでに関東平野へと向かっていた。

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2023

10/11

Wed.

07:57:20

<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版 

Category【灯台紀行 紀伊半島編

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<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編

#15 八日目(1) 2021年3月27(土)

安乗灯台撮影3

安乗漁港散策

<2021.3/27(土)晴れ、午後から雲が多い 照ったり陰ったり 6:30起床 8:00出発 8:30 安乗埼灯台>。

近鉄志摩線、鵜方駅前のビジネスホテルで、二回目の朝を迎えたが、詳細なメモ書きを放棄しているので、昨晩から、この時まで、いったい何をしていたのか、何があったのか、ほとんど思い出せない。ということはつまり、書き記しておくようなことは、何もなかったということだ。だが、今にして思えば、朝、何を食べたかくらいはメモしておくべきだった。その日のはじまりを思い出す、ヒントくらいにはなったかもしれない。

さてと、撮影画像を見直すと、この日の一枚目の写真は、浜辺からすぐの海中にあった、波消しブロックの隊列だ。弓なりのきれい浜だったので、不自然な感じがして、気になったようだ。そうそう、駐車したのは、海沿いの道で、初日にも駐車した、道路沿いの駐車スペースだ。海がきらきら光っていた。それから、これから登りあがる、左手の岬を眺めた。岬の斜面には、おもちゃのような民家が点在していた。

細い坂道を、うねうね登って行った。行き止まりは松林の中で、細長い駐車場に着いた。これで三回目だ。たしか、カメラを二台、それぞれ首掛け、肩掛けして、レストランの裏手に回った。柵を乗り越え、斜面に斜めに立って、午前の明かりの安乗埼灯台を撮った。灯台に日が当たってなくて、イマイチな感じだ。と、遠慮がちな、心配するような感じの声が聞こえた。<おちないように気をつけなよ>。

カメラから目を放して、声の方を向くと、乳母車を引いた、小柄な、腰の曲がった老婆だった。柵を乗り越えていることを、やんわり諌められた、と思ったので、すぐに柵から出た。そのあと、柵沿いの小道を歩きながら、老婆と少し世間話をした。毎朝の散歩だという。海難碑の前に来ると、老婆は立ち止り、その前を素通りしていく観光客たちを、やや激しい調子で揶揄した。いつも思っていたことなのだろう。

海難碑について尋ねると、謂れなどを、いろいろ教えてくれた。かなりの物知りで、耳もさほど遠くない。ただ、碑を無視する観光客たちへの怒りはおさまらず、これ以上話し相手になっていても時間の無駄だ。灯台の前を通り過ぎ、東屋へ向かうところで、老婆に別れ告げた。

東屋には寄らないで、というのは、老婆がしつこく話しかけてきそうだったからだが、さらに奥の松林の中へ入った。木漏れ日の中、崩れかけた建物があり、門の前に、これは何だろう?<灯台の目>が、鉄枠にがっちりと保護され、ランタンのような形になって、台座の上に立っていた。

建物は、<旧灯台資料館>らしい。新しい資料館は芝生広場側にあり、その裏手に、ひっそり残されたままになっている。<灯台の目>は、案内板によれば<・・・300ミリ灯ろうと300ミリレンズを組み合わせたもので、防波堤灯台や鎧埼、石鏡(いじか)灯台等、岬にある小型灯台に使われているもの・・・>。とある。

あの時は、案内板を写真に撮っただけで、よく読まなかったわけで、てっきり、安乗埼灯台の、交換されたレンズだと思った。ま、それにしても、少し錆がきている、このオブジェの風格に恐れ入って、何枚も写真を撮った。ほぼ打ち捨てられた物なのに、存在感が半端ない。

そのあとは、今来た道を戻る形で、撮り歩きしながら、レストランの裏手に戻った。その際、芝生広場をチラッと見回した。例の老場の姿はどこにも見えなかった。そして再度、性懲りもなく、柵を乗り越え、斜面に斜めに立って、安乗埼灯台のベストショットを狙った。陽が高くなり、明かりが少し回ってきていた。先ほどに比べて、灯台の左側が明るい。四角柱に陰影がついている。海と空、岬と灯台、それと、右端に伐採を免れたひょろっとした松を一本だけ入れて、慎重にシャッターを押した。

これで、安乗埼灯台の撮影は終わった、と思った。引き上げ際に、レストランに付帯しているトイレに寄った。おしゃれできれいなトイレだった。だが、自分には、ちょっと場違いな感じがした。それは、レストランも同様で、せっかくなのだから、記念に<芋スイーツ>を食べてもよかったのだが、若い家族づれや女性が好みそうな、こじゃれた雰囲気の中で物を食するのは、今の自分には似つかわしくないと思った。

車に戻った。ナビの地図画面に、行き先の<安乗漁港>を指先でポイントした。<安乗漁港>には、赤と白の防波堤灯台があり、下調べの段階でも寄ることにしていた。もっとも、昨日も行こうとしたが、なぜか、ナビが道を間違え、行きつけなかった。今日は時間もあるし、必ず行き着くつもりでいた。

岬の狭い坂をゆるゆる下り始めた。天気がいいのと、この日が土曜だったので(これは今気づいたことだが)、登ってくる観光客の車が意外に多い。そもそもが、すれ違いの難しい狭い坂道だ。何回か、止まったり、端に寄せたりして、対向車をかわしていると、眼の先に、例の乳母車の老婆が見えた。狭い坂道の端で、ややあぶなげだ。

助手席の窓を開け、サングラスを取って、老婆に<元気でな>と声をかけた。老婆は、一瞬、驚いたような顔でこちらを見たが、すぐに声の主が、先ほど広場で立ち話をした男だと気づいて、窓の方へ寄ってきた。そして<あんたもな>と応じた。愛想のない、少しケンのある声だった。年寄り扱いされたことに、少しイラっとしたのかもしれない。あの婆さんなら、ありそうなことだ。

旅中に、自分としては珍しく、人間に話しかけたわけで、おそらくは、かなり気分がよかったのだろう。いい天気だったからな。それに、いくぶんかは、狭い坂道を、車の往来を気にしながら、乳母車に縋って歩く老婆への、いたわりの気持ちがあったのかもしれない。いや、まてよ、優越感だったのかもしれない。

そのあとは、運転に集中した。ナビの細かい指示に忠実に従い、脇道に入り込み、狭い坂を下って、漁港らしきところに出た。だが、赤い防波堤灯台はどこにも見えない。複雑な地形で、入り江がいくつも重なっている。係船岸壁に沿って細い道が曲がりくねっていて、道路際には民宿や民家が軒を連ねている。長閑かな漁港の光景と言えないこともない。だが、人の姿が全くない。このままで行きつけるのか、多少不安になった。そして、無情にも、なぜか、ナビの案内が終了してしまった。

とはいえ、ここは行くしかないでしょう。速度を落とし、身を乗り出すように前方を見ながら走った。行き止まり、ということもありうるな。最悪の場合は、狭い道をバックで戻ってくるしかない。思っただけで緊張した。だが、幸いにも、彼方先に、赤い防波堤灯台がちらっと見えた。道もまだ続いている。そして、道の切れたところが終点で、比較的広い係船岸壁になっていた。車が何台も止まっていて、なるほど、釣り場になっている。やっと着いたわけだ。

適当なところに車を止めて、外に出た。両腕を天に突き上げて、少し伸びをしたのかもしれない。そしてすぐに、散歩がてら、カメラ一台を肩掛けして、撮り歩きを始めた。少し離れた、向かって左手の防波堤の先には赤い灯台、右手のすぐそばには白い灯台があった。セオリー通りで、これは外海から入り江に入ってくる船舶から見れば、右舷が赤、左舷が白、ということになる。いずれにしても、昼は紅と白との色で、夜は赤と緑との点滅光源で、必ず、お出迎えしてくれるペアの防波堤灯台だ。

しかしながら、両者ともに、形がいまひとつだった。むろん、布置の関係もある。絶対にものにするという覚悟があれば、異なったベターな、ないしはベストな位置取りを探しただろう。だが、この時は、その気になれなかった。いや、防波堤灯台の造形に関しては、最近は、やや淡白になっている。写真的な主題が、いわば<防波堤灯台のある風景>に横滑りしているのだ。とはいえ、やはり主役の灯台の姿形は気になるものだ。

ちなみに、赤い灯台は<安乗港沖防波堤東灯台>という名前で、海中に設置された<消波提>の先端にある。形は、ここから見る限り、吉田拓郎の<赤燈台>という曲で歌われている<胴長ふとっちょ>型だ。一方、白い灯台は<安乗港弁天防波堤灯台>という名前で、係船岸壁の先端にある。鉄骨やぐら型で、言ってみれば<火の見櫓>のような形をしていて、灯台らしくない。それと、なぜか、係船岸壁の灯台の根本には、必ず釣り人がいる。この時もそうだった。

風もなく、穏やかで、いい天気だった。しかし、カメラを持って歩いている以上、どんな灯台にしろ、どんな風景にしろ、撮らないわけにはいかないだろう。なにしろ、そのためにわざわざ、自宅から500キロ以上離れたところに来ているのだ。

さてと、赤と白の灯台を、ひとつ画面に入れると、あまりに普通すぎて、写真にならない。かといって、個別に撮ってみても、背景が、やはり何気なさすぎる。海があり、彼方に黒々した岬が見えるだけだ。そのうえ、灯台の造形そのものに、さほどの魅力を感じていないのだから、手の打ちようがない。とはいえ、いつもの習慣で、可能な限りは、灯台に近づいた。しかし、この時は、距離的に近づけば近づくほど、灯台は、というか、灯台の垂直感からは遠ざかってしまった。まったく写真にならん!

あっさり、写真はあきらめた。あとは、ぶらっと散歩だな。岸壁を歩きだした。すると、変な物たちが目に入ってきた。打ち捨てられた錆びた錨とか、ぶっとい友綱とか、漁船の舳先にあるレーダーのような機械とか、さらには、対岸のがらんとした倉庫や水揚げ場などだ。面白半分、興の向くまま、また写真を撮った。撮ったところで、意味のないことは百も承知していた。<不在>を撮ることは、俺の腕では無理なのだ。だが、なにしろ、いい天気だった。気分がよかったのだろう。記念写真だよ。

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2023

10/02

Mon.

07:41:40

<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版 

Category【灯台紀行 紀伊半島編

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<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編

#14 七日目(3) 2021年3月26(金)

安乗埼灯台撮影2

大王埼灯台撮影3

紀伊半島、灯台巡りの旅、七日目の午後は、安乗埼灯台の二度目の撮影と、大王埼灯台の三度目の撮影だった。

<12:30 移動 13:30 安乗埼灯台>到着。この日の安乗埼灯台の撮影画像を見直してみた。というのは、まったくなにも思い出せないからだ。もっとも、画像を見ても、その時の実感やら、その場の空気感やらは蘇ってこなかった。したがって、書き記すことは、何もない。いや、ひとつだけ、浮かび上がってきたことがある。足取りと、この唯一のイメージだけを書き記して次に進もう。

昨日下見したので、撮影ポイントは、ほぼ押さえていた。ひとつ目は、レストランの裏手だ。天気は、昨日とはうってかわって、さわやかな快晴だった。今日は、ためらうことなく、柵を乗り越え、崖に斜めに立った。この場所だけが、樹木が伐採されているのだ。おそらくは、柵際から、灯台がよく見えるようにする配慮なのだろう。

そのおかげで、アングル的には、左側に大きく海を取り込んで、岬に立つ四角柱の灯台をしっかりと撮ることができた。自分的には、ここが、安乗埼灯台のベストポイントだと思う。ちなみに、撮影画像からは、柵際の、伐採を免れた二本の松の木を、どんな感じで、画面に取り込むか、苦労した様子が記録されていた。

次に向かったのは、灯台の正面だ。受付小屋の前にある八重桜が満開で、鮮やかだった。受付小屋は、灯台の敷地外、門柱の左脇にあった。入場料を払うと、仕切り板の向こうに居る人から、<ありがとうございました>と丁寧な言葉が返ってきた。

老年の男性の、穏やか声だった。この声の感じが、この日の安乗埼灯台での、記憶にしっかりと刻まれている唯一の(音声的)イメージだ。たかが、三百円の入場料を払って、これほど感謝の念がこもっている<ありがとうございました>を聞いたのは、初めてだ。受付の老年男性は、おそらくは、パートだろう。なおのこと、人間として立派だと思った。

入場料を払って、狭い門柱の間を通り抜け、敷地に入った。廊下のような通路の先に、灯台が聳え立っていた。これは、写真的には難しい。灯台の垂直を、この直線的な通路が邪魔している。灯台と通路とが一直線にならないように、通路を右に左にと寄りながら、撮り歩きして、灯台前の階段に到達した。灯台の全景は、これ以上進むと撮れない。ということは、ま、ここからは観光だ。気楽な気分で、その五、六段のコンクリ階段を登り、扉のぽっかり開いている灯台の中に入った。

いやその前に、いつもの癖で、灯台の周りをぐるりと回ったような気がする。裏側、というか北側には、灯台に付帯している機械室のような建物があり、その白壁に、安乗埼灯台の絵が描かれていた。むろん、落書きなどではない。灯台の特徴を見事にとらえている。絵心のある画家の作品だと思った。

あとは、デジカメの望遠を使って、はるか彼方の岬に立っている灯台を撮った。あんなところにも灯台があるのか、と意味もなく感心した。その時も、今になっても、その灯台の名前はわからない。…追 どうやら、<鎧埼灯台>だったらしい。

灯台の中に入った。内側の壁には、色の褪めたポスターやら写真やらが、べたべた貼ってあったような気もする。いちいち写真に撮らなかったので、あるいは、ほかの灯台だったかもしれない。螺旋階段は、中型灯台だから、それほど長くなく、さして息切れすることもなかった。小判型の扉をくぐって、展望デッキ?に出ると、まさに絶景で、ほぼ360度、海が見回せた。ここでも、なんか気になる、北側の、海の中に突き出た防波堤の灯台にカメラを向けた。あとは、眼下の、これから行くつもりの西側の東屋などを眺めた。意外に高いので、少し怖いような気がした。高い所は苦手なのだ。

螺旋階段を下りて、灯台の中から出た。コンクリ階段を下り、通路を後退しながら、撮り歩きして、敷地の外に出た。受付の前を通り過ぎる時、ちらっと中を見ると、シルエットになった人間の上半身が見えたような気がした。と同時に、<ありがとうございました>と、穏やかな老年男性の声が聞こえた。通り一遍の<ありがとうございました>ではなない。またしても、感謝の念というか、心がこもっていた。

灯台の正面を去るときに、今一度振り返って、左側の満開の八重桜と、手前の小さな花壇、それに、狭い門柱の間から見える灯台を撮った。ごちゃごちゃしていて、灯台写真にはならないが、記念写真としてはいいと思った。

あとは、断崖際の柵沿いの小道を、振り返りながら、撮り歩きして、東屋へ行った。左側から岬がつき出しているので、先ほどの、レストラン裏手からのアングルとは、なんと言うか、正反対になる。それに、そう、ちょうど、大王埼灯台の<八幡さま公園>からのアングルに酷似している。手前の断崖の分厚いコンクリ補強なども同じような感じだ。ただ、安乗埼灯台は四角柱、大王埼灯台は円柱、という違いはある。ま、とにかく、<デジャブ=既視感>に似た感覚を一瞬、味わったような気がする。

やはり、レストラン裏手からのアングルがベストだな、と思ったのだろうか、東屋からの撮影は、さほど粘りもせず、あっさり終わりにした。芝生広場を横切りながら、樹木の上に半分くらい見える灯台を何枚か撮って、車に戻った。一息入れて、ナビに<大王埼灯台>を指示し、安乗埼灯台をあとにした。午前と午後では、明かりの状態が違う、明日は、午前中に来よう、と思った。

<15:00 移動><15:30 大王埼灯台>。どこをどう走ったのか、ほとんど思いだせない。ま、とにかく、大王埼灯台に一番近い駐車場に、再入場した。料金受領書の紙切れをダッシュボードにおいて、フル装備で出発した。フル装備というのは、カメラ二台、三脚一台、予備の電池すべて、防寒着、ペットボトルの水、お菓子類、と言ったところだ。

撮影ポイントは、ほぼ決まっていた。すなわち、まず西側の<八幡さま公園>に登り、午後の明かりで灯台を撮る。次に、灯台の前を通り過ぎ、撮り歩きしながら階段を降りて、防潮堤の終わりまで行く。神社の鳥居があるところだ。さらに、砂利浜の海岸に下りて、西日を受けた岬の灯台を狙う。日没前に、この日の日没は午後五時半頃だったと思うが、<八幡さま公園>に戻って、夕陽の撮影、日没後には明かりの灯った灯台を撮る。朝っぱらから動き回っている割には、かなり元気で、やる気十分だった。

すでに二回、回っているルートだが、快晴の日の午後の明かりは柔らかくて、景色が優しく感じられた。とくに、<八幡さま公園>からの、灯台を主題にした風景には、郷愁、とでも言っておこうか、ある種のせつなさを感じた。だが、東側の階段、防潮堤、さらには、砂利浜からの風景は、逆光のため、画面が黒っぽくなり、あまりよろしくない。それでも、この日は、目の前に広がる海や、打ち寄せる波にも、しばしばカメラを向けた。マリンブルーやコバルトブルーが入り混じった海には、西日が差し込んでいたし、波打ち際の砂利たちが立てる音が、心に響いてきて、心地よかった。

<八幡さま公園>に戻って来たのは、午後の四時半過ぎだった。日没が、五時半過ぎだったので、一時間前からスタンバイだ。この時、太陽は、すでに西に大きく傾いていた。風景全体が、オレンジ色っぽくなっていて、灯台も、やや茜色に染まっていた。崖際の柵沿いで、ひと通り撮って、反対側の崖際の柵へ行った。はるか彼方、画面右から岬がせり出している。そのシルエットの少し上に、目視できないほど眩しい光の塊があった。要するに、太陽は、水平線にではなく、この岬の横腹の中に落ちていくのだ。

そのあとの、日没までの時間は、かなりせわしないものだった。灯台側と落日側との柵の間を行ったり来たりしながら、太陽の落下にともない、刻一刻と変化していく眼前の光景を、逐一撮影した。だが、太陽が赤い球となって、岬のすぐ上辺りに見え始めてからは、落日側の柵際に張り付いて、火の玉がゆっくりと、それこそ、じれったいほどゆっくりと落ちていくのを、数十秒おきに撮った。

そんなものを撮っても、しょうがないだろう、などとは思わなかった。なにか、厳粛な雰囲気の中で、撮らずにはいられなかった。<感動>を安売りしたくないが、毎度のことながら<落日>には、無条件に感動する。これは、<類>としての古い<DNA>なのだ、とでも言っておこう。

さてと、火の玉が岬の下に落下した後は、灯台側の柵の前に移動した。夕空がほのかに青い。その青が、少しずつ、深い紺色に変わっていく。そして、点灯。意外なことに、大王埼灯台の目は真っ赤だった。世界が、紺碧の天空に支配されていく中で、色彩的にはきれいだな。ちなみに、大王埼灯台のレンズは、<閃白赤互光 毎30秒に白1閃光 赤1閃光>ということで、今になって思えば、たしかに三十秒に一回くらい、赤い目がこっちを向いて、ぴかっと光っていた。

ただし、白い光は、まったく見えず、横一文字の光線も、確認できなかった。もっとも、これまでの経験からして、灯台の発する光線を撮るのは至難の業で、撮れたためしがない。すっかり諦念していて、漆黒の闇を照らす横一文字の光線に挑戦しよう、などとは思わなかった。点灯している、しかも、しっかりと目がこちらに向いている夜の灯台が撮れればいいのだ。

長い一日が、終わろうとしていた。あたり一面、暗闇になり、下からのライトで、多少明るくなった灯台の輪郭が見えるだけだ。数十秒おきに巡ってくる、灯台の赤い目にも慣れっこになり、これ以上粘っても、この光景が夜明けまで続くわけで、意味がないだろうと思った。引き上げだな。大きくため息をついた、かどうかはさだかではない。ただ、撮影モードが解けて、脳が少し弛緩したのだろう、中天に満月が見えた。

おお~、灯台と満月の取り合わせもいいね。とはいえ、両者は離れすぎていた。広角で、一つ画面に入れると、灯台も満月も極端に小さくなり、灯台などは、完全に傾いている。これでは写真にならない。理想を言えば、灯台の横とか、少し上に満月があれば、構図的にはベストだ。だが、明かりの問題もある。<夜空=闇>と<満月=光>とには露出差がありすぎる。月を撮るのもまた至難の業なのだ。

撮るのを、あっさり諦めた。ただ記念にと、いったい何の記念なのだろう、満月だけにカメラを向けた。月の微妙な色合いなどは、端から期待していない。とはいえ、モニターすると、完全に白飛びしていて、ただの白色の円になっている。やっぱり、こうなるよな。何度か経験しているので、さほど残念でもなかった。

さてと、引き上げだ。向き直って<八幡さま公園>から降りようとした時だ。陸地側に、点々と明かりが見えた。それが意外に多い。やさしい光景だった。と同時に<モロイ>の一節を思い出した。≪夕方になると・バリーの明かりの方を向いて、それが次第に輝きを増していき、それからほぼ全部が・一度に消えてしまうのを眺めたものだ。怯え切った人間どもの、まばたく小さなけち臭い明り。そして思うのだった。もしもこんな不運に遇わなかったら、今頃はあそこにいたかも知れないのに、などと!≫。備考 著者・サミュエルベケット 訳者・安藤元雄 筑摩世界文学大系82モロイ 筑摩書房1982

もちろん、思い出したのは、この文章そのものではなく、文章によって喚起された、読者としての自分の情感的なイメージだ。それは、いってみれば、追放された者のわずかばかりの郷愁だ。たまには、俺にもカッコをつけさせてもらおう。

こうして、長い一日が終わった。2021年3月26日の金曜日の夜だった。この時、紀伊半島の、とある岬の、とある展望公園に自分が居たなんて、誰が信じるだろうか。これが<奇跡>というものなのだろう。

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2023

08/09

Wed.

07:38:25

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Category【灯台紀行 紀伊半島編

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#13 七日目(2) 2021年3月26(金)

麦埼灯台撮影

七日目の二か所目の撮影地は、大王埼灯台から南西方向へ20キロほど下った麦埼灯台だ。地理的には、伊勢志摩地方の最南端である。

<10:30 移動 11時 麦埼灯台着>。ナビに、麦埼灯台を指示してから、そのあと、どこをどう走ったのか、ほとんど思い出せない。しっかりとしたイメージが出てくるのは、民家の立ち並ぶ細い道を、うねうねと走った先にあった、日当たりのいい漁港だ。その(片田)漁港は、幾本もの防波堤に守られていて、浜沿いに、係船岸壁がずっと続いている。広々しているわりには、漁船の数が少ない。人の姿も見えない。静かな場所だった。

麦埼灯台は、観光灯台ではないので、付近に駐車場はない。道が狭くて、路駐もできない。これは、事前の下調べでわかっていた。とはいえ、車はどこかに止めなければならない。グーグルマップで調べていると、灯台のかなり手前に漁港があり、その係船岸壁の一番端に駐車できそうだ。というか、ここしかないのだ。だが、私有地だろう、無断駐車が可能なのか?とやや不安であった。

漁港の入り口には、関係者立ち入り禁止の看板もなく、ロープも張ってない。自由に出入りできそうだ。これ幸いと、ゆるゆると岸壁に入り込み、行き止まりまで行った。目の前には海に突き出た防波堤があり、背後の防潮堤には、都合のいいことに、うえの道に上がる階段がついていた。大きなワゴン車も一、二台止まっていて、あきらかに釣り人の車だ。ここなら、駐車しても、とがめられることはないだろう。

少しやる気になっていた。身体が、いわゆる、撮影モードに入っている。防潮提の階段を登り、道に上がった。灯台など、どこにも見えない。だが、カンを働かせて、灯台があるであろう方向へと、防潮堤沿いの道を歩き出した。しかし、じきに道は行き止まり。さてと、見回すと、左手の方に、ゴミの集積所があり、民家が見える。近づいてみると、<麦埼灯台>の案内板があった。

案内板の矢印に従って、進んだ。すぐに分かれ道になるが、そこにも案内板があり、矢印に従って、右に曲がった。民家が点在する林の中の細い道だ。少し坂になっている。あれ~と思って、進んでいくと、なんとなく、行き止まりになってしまった。

間違ったかな。今来た道を戻った。と、庭の手入れをしている女性がいたので、道をたずねた。教えてくれたのは、さらに林の中に入っていく、道なき道だ。半信半疑で、教えられた方向へ進む。軽自動車一台がやっと通れるほどの坂道だ。両脇には背の高い竹が鬱蒼としていたが、木洩れ日がいい感じだ。そんなことよりも、この先に本当に灯台があるのかと少し疑った。だが、方向的には間違いないとも思った。

さして長い坂でもなかった。登りきったところは、当然ながら、少し高い位置だ。正面少し下、竹林に挟まれた視界の真ん中に、白い灯台がちらっと見えた。その向こうには、水平線があった。やっと見つけた、というほどの感動ではない。だが、文字通り、目の前がパッと開けた感じがして、気持ちが明るくなった。

どれどれどれ、灯台に近づいていった。お決まりのように、灯台の近くには、小さな公衆トイレがあり、剥げかけた案内板があった。(文飾的にはこの方がいいが、これは間違いだ。最近設置した感じの立派な案内板だった。)とにかく、まずもって、裏?からは、まったく写真にならなかった。中型灯台だが、地上部に四角い建物が付属していて、灯台の底部を隠している。ほかにも、電信柱が横にあり、その電線が、灯台の胴体にかかっている。見た目、なんとなく、雑然としている。

裏がだめなら正面だ。岬の突端部、海側に回ってみた。海側には、小さな東屋があり、休憩できそうだ。もっとも、休憩している場合でもない。向き直って、灯台に正対した。だが、これまた、お決まりのように、引きがなく、灯台の全景は撮れない。さてと、見回すと、海女の姿をかたどった白い看板のようなものが目についた。なるほど、記念撮影用だ。で、海女さんをパチリと一枚撮ったのか?いま撮影ラッシュを見直すと、このちょっとあと、海を背景に、シナを作った、ややセクシーな海女さんの看板を一枚だけ撮っていた。よほど気分がよかったのだろう。

東屋を囲っている柵の下には、断崖沿いに、コンクリの小道があり、防潮堤に付帯している階段まで続いていた。ということは、下の海岸に下りられるということだ。階段に近づき、下を覗き見た。岩場になっている。下りないわけにはいかないだろう。とはいえ、写真的には、ほぼ無理だった。画面の下半分はコンクリの反り返った防潮提で、その上に、灯台がちょこんと見えるだけだ。これでは、完全に、防潮堤が主役だ。別に、防潮堤を撮りたいわけではないのだ。もっともこの場所は、観光で来た家族が、磯遊びするには最高の場所だろう。見渡す限り、穏やか海だった。

念のために、岩場づたいに、左手に回り込んでみた。灯台は死角になり、ほとんど何も見えない。ついでに、右手というか東側にも回り込んだ。岩場はさらに狭くなり、首が痛くなるほど見上げても、灯台は見えなかった。そのあと、また東屋まで戻って、気晴らしに、海女さんの看板を撮ったのだろう。そして、最後の望みとも言うべき、というのは、これまでに麦埼灯台の、まともな写真は一枚も撮れていないわけで、灯台の西側にある広場へ行った。

断崖沿いの、雑草の繁茂した細長い広場だった。柵沿いに、崩れかけたベンチが、いくつかあった。もろに陽が来ていて、眩しい。この広場は、灯台の斜め右後ろに位置しているものの、灯台が、わりとかっこよく見える。アングルとしては、こうだ。中央やや左寄りに灯台、右側には海があり、水平線が見える。ま、お決まりの構図だな。断崖沿いの柵とベンチを入れて、雑草で緑に染まっている手前の広場から垂直にパンする。明かり的には、やや斜光気味で、申し分ない。

だが、ここでも、例の<ジレンマ>に悩まされた。お馴染みの、灯台の垂直と、水平線の水平の両立だ。ま、今回は、岬と水平線との<ねじれ>関係がきついので、両立どころか、水平線を画面に取り込むことさえ、かなり難しい。つまりは、灯台が、画面の左寄りではなく、中央寄りになり、広場左側のなんということもない木立が、やけに目立ってしまう。

こうなれば、ベストポジションもヘチマもない。<ローラー作戦>開始だ。ほぼ一メートル間隔で、広場の周囲を撮り歩きした。あとは、例の<ジレンマ>から逃れるために、灯台だけをアップで撮ったりもした。しかし、これは、その場でモニターした時、一目で、モノにならないと思った。

時間にして、どうだろう、三、四十分集中して撮影していたのだろうか、<ローラー作戦>を終了して一息入れた。日差しがきついが、柵沿いのベンチに座って、今一度撮影画像のラッシュを見た。すべてが、箸にも棒にもかからない、と言う程ではなかった。少し安心した。

さてと、立ち上がった。目の前の海が広々している。キラキラしていてきれいだ。目を細めると、はるか彼方に、小さな島が二つあり、その右側に、灯台らしきものが見えた。先程、漁港の防潮堤沿いの道から見えた、海の中に浮かんでいた灯台だ。デジカメの望遠を利かせて、確かめた。岩礁に立つ深緑色のロケットのような形をした灯台だった。

カタチが、ごつくて、いかにも時代を感じる。なんであんなところ一基だけ立っているのか?と思いながら、デジカメで何枚も撮った。そのうちには、ロケット灯台の横を、小さな漁船が真一文字に疾走していく。三角の高波を次々と乗り越え、波しぶきをあげている。勇ましいというか、爽快だね。でも、あんなことは、俺にはできないな、と思った。

引きあげだ。その際、色とりどりのお花をつけて、広場一面に咲き乱れている雑草たちに、多少心が動いた。観光客が大勢来る広場だったら、雑草も生えないだろう。だが、ここには、ほとんど誰も来ない。雑草の繁茂がそれを証明している。そういえば、こんなにいい天気なのに、人の姿が全くない。虫や草や木、青空や太陽の息づかいが聞こえる。いや、これは比喩だ。それほど、静かだった。

東屋の下のコンクリの小道を歩いて、戻った。ダメもとで、というか記念写真のつもりで、見上げるような感じで、灯台を撮った。むろん、手前に、東屋や柵が入ってしまう。そればかりか、このとき、改めて気づいたのだが、幟をたてるような、かなり長い竿が立っていた。竿は先のほうで直角に曲げられていて、その曲げられた棒の先端は紐で、柵に固定されている。どのような用途で使用されているものか、その時も、今も正確にはわからない。ただ、写真的には、非常に邪魔だ。灯台の左横での存在感が強すぎる。人間の気配、漁民の雄々しい生活を直感したのかもしれない。

少し坂になった小道を登り、灯台を追い越した。公衆トイレの手前あたりだっただろうか、立ち止まって振り返った。もろ、逆光だ。視界が暗くなり、灯台はよく見えなかった。名残惜しい、とは思わなかった。その場を立ち去るときに、忘れ物はないかと振り返る、いつもの癖に近かった。忘れ物はない。向き直って、竹林の中の坂を下りた。木漏れ日というよりは、背後から陽が差し込んでいて、妙に明るかった。

竹林の坂を下りきって、少し視界が開けた。道をたずねた女性の姿を眼で探したが、ひとっ子一人いない。突き当りを左に曲がり、からっぽのゴミの集積所をチラッと見て、防潮堤沿いの道に出た。途中で止まって、海の中の緑色のロケット灯台を、またデジカメで撮った。構図的にも距離的にも、無理だとわかっていたが、写真にしたかった。未練だな。

さらに行くと、防波堤の先端に赤い灯台が見えた。ちょうど、車を駐車したあたりだ。出発するときは、前へ前へと、気持ちも体も急いていたのだろう、赤い防波堤灯台のことは、ほとんど目に入らなかった。だが、今は、気分的にはフラットになっていたし、そのうえ、いやおうなく目の前に見えるのだ。反射的に、カメラを向けた。

そのあとは、防潮堤の上を、撮り歩きしながら、自分の車へと向かっていった。防潮堤の下は浅瀬の岩場で、海の色がコバルトブルーだ。驚くほど透明で、瑞々しい。撮れないとわかっていても、カメラを向けないではいられなかった。

防潮堤の階段を下りた。そばに、白いワゴン車が何台か止まっていた。明らかに仕事車で、作業着を着た男たちが三、四人、防波堤の上に居る。何か話しながら、赤い灯台の方へ向かっていく。灯台の見回りだなと思った。

車に乗った。ナビに<安乗埼灯台>を指示して、出発した。広い岸壁をゆるゆる走って、漁港を後にした。いや、気まぐれだ。ユーターンして、少し戻った。中途半端な所に車を止め、カメラをもって外に出た。逆光の中、防波堤の赤い灯台が、何か言っている。いや、そんなことはない。だれかに促されて、そのハードな光景を撮っただけだ。撮っておかないと、あとで後悔するような気がしたのだ。

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2023

08/02

Wed.

06:04:28

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#12 七日目(1) 2021年3月26(金)

大王埼灯台撮影2

紀伊半島旅、七日目の朝は、近鉄志摩線の鵜方駅近くのビジネスホテルで目が覚めた。

<6時半起床 7時半出発 8時大王埼灯台>。おそらくは、旅も後半になり、疲れてきて、詳細なメモを書くのが嫌になったのだろう。したがって、今からは、思い出す、という精神的な労力が、多少必要となる。面倒ではあるが、ボケ防止のために、頭を使ってみよう。

近鉄志摩線の鵜方駅近くのビジネスホテルは、国道に面していた。大王埼灯台までは、この道をほぼ一直線に南下(正確に言えば南南東下)すればいい。かなりいい道で、走りやすかった。しかし、普通の市街地走行とほぼ変わらないので、面白みはない。書き残しておくことがあるとすれば、<甲賀>という地名のことだ。たしか、公園かなにかの名前になっていて、大きな案内板が目に付いた。<甲賀>といえば、条件反射的に<伊賀>だろう。<忍者>だね。

その忍者の里が、ええ~、この辺なのかと思った。しかしこれは、まったくの勘違いだったことが、先ほど調べてわかった。徳川家康の<伊賀越え>で有名な、甲賀衆は現在の滋賀県甲賀市付近が本拠地だったらしい。敵対関係にあったとされる<伊賀衆>は、その少し南の三重県の西部だ。それと、甲賀は<こうが>と発音するものとばかり思っていたが、<こうか>とも読み、この方が一般的らしい。したがって、眼にした案内板の甲賀の文字も<こうか>と読む。要するに、二重の勘違いをしていたことになる。ま、それにしても、子供の頃に夢中で読んだ、忍者漫画は面白かった。<伊賀の影丸>が最初で、そのあとの、白土三平の<サスケ>と<カムイ外伝>が特に好きだった。比較的幸せな時代だった。

ジジイに戻ろう。8時過ぎに大王崎の有料駐車場に着いたのだろう。たしか正面の小屋に料金を払いに行ったような気がする。愛想のいい爺が出てきたので、再駐車できるかと聞くと、領収書のような紙切れを渡され、それ見えるところに置いてくれと言われた、のかな?よくは思い出せないが、いい天気だったことは確かだ。

昨日の下見で、撮影ポイントは二か所だけだとわかっていた。一か所目の<八幡さん公園>に登った。もろ、逆光で写真にならない。とはいえ、いちおうは撮ってみた。またあとで来よう。あっさり公園から下りて、うす暗い急な遊歩道を上った。灯台の前を通り過ぎ、今度は、急な階段を下った。防潮堤沿いの崩れかかった旅館をちらっと見て、砂利浜に降り立った。ここが二か所目の撮影ポインドだ。明かりもほぼ順光、灯台に当たっている。砂利浜を歩き撮りしながら、灯台の立っている岬へと向かっていった。

狭い砂利浜で、背後には防潮堤がそびえたっている。さらに行くと、砂利浜はなくなり、かわりに、テトラポットが防潮堤の前にゴロゴロと寝そべっている。なるほどね、すぐ上には例の旅館があった。波しぶきをテトラが防御しているわけだ。この先は、行けないこともないが、じきに法面加工の断崖で行き止まりだ。

それに、岬のほぼ真下あたりに来ている。すでに灯台も見えない。引き上げようかな、と思ったが、浜の行き止まりに、羊羹のような形をした巨大なコンクリートがある。これは、明らかに、防潮堤を波しぶきから守っている代物だ。いわば、テトラのかわりに設置したのだろう。それにしても、中途半端な感じで、不自然さが際立っている。

なにかの衝動に駆られたようだ。テトラに足をかけ、羊羹コンクリートの上に登った。別にどうということもない。周りを見回した。海がきれいで、広々していて気持ちがいい。ただ、弧になった砂利浜の反対側の断崖が、無残に崩れていて、赤肌をさらしている。しかも規模が大きい。それに、長い間、放置されたままなのだろう。ま、復旧工事の法面加工も並大抵じゃない。予算がないんだな。

滑らないように、というのは、羊羹の上は時々波しぶきに襲われ、濡れていたからだが、慎重に巨大コンクリートの上から下りた。前を見ると、波打ち際に、テトラが一基、砂の中にほとんど埋まりかけている。これまた不自然な光景だと思った。ほとんどの仲間は、防潮堤際でごろごろしている。したがって、このテトラ君だけが猛烈な波しぶきに耐えきれず、波打ち際まで転がり落ちたのだろうか?いや、ひょっとすると、犠牲者はもっといて、砂の中にたくさん埋まっているのかもしれない。

とにかく、波打ち際に太い腿が一本、天に向かって突き出している。近づいてみると、コンクリの表面が風化していて、中の砂利が見えている。貝なども付着している。記念にと、いちおう、周りの風景も入れて写真を撮った。さらに、おもしろ半分でテトラ軍団に近づくと、最前線の兵士たちも、かなり風化している。のっぺりした、不愛想な灰色のコンクリが、いい塩梅にオブジェ化している。灯台と絡めて、撮れないものかと、少し真面目になってアングルを探った。だが、無理だった。背景の灯台が小さすぎる。それに、浜辺の風化したテトラポットなどは、よほどの思い入れがない限り、いくらなんでも、写真にはならないだろう。

砂利浜に足をとられながら、防潮堤の上に戻った。いまさっき下りてきた急な階段を見上げた。また<八幡さま公園>に戻って、灯台を撮ろう。例の崩れかかった旅館の横を通り過ぎた時、ガラスの引き戸越しに、中をチラッと覗き見た。誰もいなかったが、いい感じで日が差し込んでいる。日向ぼっこには最適だなと思った。

防潮堤が終わる所からは、急な階段だ。左手は海、絶景!右手は断崖で、石を積んだ壁で補強してある。この石の壁には、なぜか、ところどころに大きな暗渠があり、それがドクロの目と鼻のように見えて面白かった。それと、コンクリで塗り固めた壁よりも、趣があり、きれいに積みあげられた石たちには、どこか人間的な温かみがあった。職人の技が、人間の生活を守り、違和感なく、自然の風景の中に溶け込んでいるように思えた。

階段を登り切ったところには、桜の木が一本あって、白い花が咲いていた。少し手前で立ち止まって、記念に一枚だけ写真を撮った。この<記念に一枚>というのも、わけのわからない衝動のひとつで、やや<マーキング>に似ていないこともない。

そのあとは、灯台の敷地に入った。入場料を払い、灯台の正面に回ってみた。というのも、大王埼灯台の特徴として、正面、というか、海側から見た造形が独特なのだ。何本もの柱で支えられた回廊?が灯台の底部を構成している。それが、タコが八本の足で立っているように、自分には見えるのだ。ただ、惜しいかな、引きがない。自分のレンズでは、タコ足を含めた灯台の全景が、画面におさまり切れなかった。

灯台にも登ってみた。上からの眺めは最高だった。南側は、まさに大海原。西側には、<八幡さま公園>。展望スペースの全景が見えた。さらに、北側には、上半分に錆のでている電波塔があり、その背後には、思いのほか、人間の住居が密集していた。大海原とマッチ箱のような住居との対比が、なぜか小気味よかった。やはり、これもいわば<神の目>なのだろう。自分が、ちっぽけな住居で生活している、ちっぽけな人間だということを一瞬、忘れさせてくれる。

灯台内部の大きなレンズや、どてっぱらのガラス窓から見える外の景色などを、冷やかし半分に撮りながら、極端に急で狭いらせん階段を降りた。そのあとすぐに灯台の敷地を出た。太陽がだいぶあがってきていて、薄暗い遊歩道の、ところどころに、日が差し込んでいる。再度<八幡さん公園>に上がった。岬に立つ大王埼灯台を横から狙った。天気もいいし、ちょうど灯台の右半分に明かりが当たっている。今が勝負時だと思って、気合が入った。

断崖の柵際を行ったり来たりしながら、右側の水平線と灯台の垂直が確保できるベストポジションを探した。だが、そもそものところ、水平線と、灯台の立っている岬は、<ねじれ>の関係になっている。水平線の水平を確保すれば、灯台が傾くし、灯台の垂直を確保しようとすれば、水平線が傾く。

とはいえ、このジレンマは、おなじみのものだった。もっとやさしい条件、たとえば、灯台だけを撮るときにも、水平線だけを撮るときにも、このジレンマは出現してくるのだ。つまり、ほとんどの場合、自分の立ち位置と、地上の事物が、正対していることはない。<ねじれ>の関係だ。ならば、そういう時にはどうするか、カメラを少し傾けて、画面内での灯台の垂直とか水平線の水平を確保するのだ。

ただし、こうして撮った写真は、画面内のほかの事物に<不自然さ>を強いる。ので、最終的には、画像編集ソフトを使って、画面内にあるすべて事物の、水平、垂直を補正せざるを得なくなる。ようするに、その時自分の見たものが<本物>だとすれば、シャッターを押した瞬間から、ウソがはじまり、さらには、補正作業で、ウソの上塗りをしていることになる。

しかしながら、こうも考えられる。そもそものところ、果たして、自分がその時見たものが<本物>だったのか?そう思っているだけなのではないか?<知覚>そのものを懐疑すると、真偽の境は曖昧になる。実際には存在しえない、写真の中の<風景>を何度も見ていると、それが<本物>に思えてくる。そのうちには、カメラやソフトでウソにウソを重ねた風景が<本物>になってしまう。実視から幻視を錬金する行為とは、ある意味では<イカサマ>だろう。だが、<空中に花挿す行為>だとロマチックに語ることもできるのだ。

大王埼灯台が見える断崖の柵際で、行ったり来たりしながら写真を撮っていた。そのうちには、どこがベストポジションなのか、よくわからなくなった。だが、<ローラー作戦>よろしく、ほぼ一メートル間隔で撮っているのだから、なんとかなるだろう。それよりも、柵際に群れ咲いている<ムラサキダイコン>に、やや感傷的になっていた。お花たちをこの風景の中に取り込むことができないだろうか。何枚も何枚も、同じような構図で撮った。岬も灯台も断崖も、海も空も太陽も、そして風も光も、全ての物が、紫色の小さなお花たちの脇役にまわった。

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2023

07/26

Wed.

07:49:20

<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版 

Category【灯台紀行 紀伊半島編

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<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編

#11 六日目(2) 2021年3月25(木)

安乗埼灯台撮影1

紀伊半島旅の六日目の午後は、昼頃、大王埼灯台から安乗埼灯台へと移動した。

<移動 安乗埼(あのりさき)灯台へ向かう 30分ほど(かかる) けっこうある 最後は 防潮堤の上を走り 狭い道をうねうね行った (その)つきあたりに広い駐車場=これも了解済み 小雨の中 下見 芝生広場 柵沿いに東屋 こじゃれた建物 芋スイート店 有名なのか 中にけっこう人がいる 車(に戻る) 腹がへり 菓子パンをむさぼり食う>。

このメモ書きを書いたのは、むろんこの日の夜である。かなりいい加減になっている。少し書き足しておこう。

ナビを安乗埼灯台にセットして、大王崎を後にした。そのあと、どこをどう走ったのか、よく思い出せない。イメージが出てくるのは、海岸沿いの比較的広い道だ。右手に防潮堤があって、砂浜は見えない。道路沿いに駐車スペースがあったので、車を寄せる。外に出ると左手に岬が見えた。岬のどてっぱらに道があり、両側に民家が並んでいる。あの坂を登った先に、灯台があるのだろうと思った。灰色の空だ。海を見ることはせず、すぐにまた車を走らせた。

海岸沿いの道から、ナビの指示に従い、右方向へとハンドルを切り、防潮堤沿いの道に上がった。かなり狭い。さらにその先には、短い橋のようなものがあり、対面通行はできない。橋の前でスピードを落として通過。要するに、これで、安乗埼灯台のある岬に渡ったということなのだろう。

一気に坂を登る。ほぼ登りあがったあたりからは、さらに道が狭くなり、両脇民家の、くねくね道だ。退避する場所もないし、向うから車が来たらどうするんだ。ひやひやしながら走っていると、案の定、目の前に車が現れた。このままいけば、正面衝突だ。あわててブレーキを踏んだ。多少広くなった所があったので、車を端に寄せると、何とかすれ違いができた。

こんな狭い道の先に灯台の駐車場があるのだろうか?それがあるのだ。事前にグーグルマップで検索、了解済みだった。目の前に、こんもりした駐車場が見えた。松の木などが周りに生えている、かなり広い。しかも無料なのだ。平日にもかかわらず、車がけっこう止まっていた。どこに止めようかな?と思いながら、入っていくと、正面突き当りに建物が見えた。

実を言うと、この後の、安乗埼灯台の下見については、ほとんど何も思い出せない。だが、時間軸にそった撮影画像のラッシュがある。それらの画像を参考にしながら、この日の下見を再構成してみる。

軽い方のカメラだけ持って、建物の裏手に回った。がけっぷちに柵がしてある。その並んだ柵の先に、灯台が、ちょこっと見えた。柵を乗り越えて、がけっぷちに踏みこめば、もう少し灯台がよく見えるだろう。だが、やめた。というのも、建物はレストランのようで、今自分の居る場所は、その窓際の席から丸見えなのだ。人目を気にしたわけだ。それに、今にも雨が降り出しそうな空模様だった。写真にならない。危険を冒してまで踏み込む場所じゃない。そもそもが、今日は下見だろう。

それよりも、柵の向こうの海の中に、陸地側から海側へと、不自然なほどに突き出した防波堤が見えた。その先端には灯台が立っている。さきほど、大王崎の神社の岬で見たのと同じような仕様で、防波堤は、波消しブロックでがっちり覆われている。曇り空ということもある。なんとなく物悲しい、寒々とした、すっからかんな風景だ。カメラを向けた。

対岸は、入り組んだ地形になっていた。こんもりした岬が折り重なっている。おそらく、懐の深い入り江になっているのだろう。したがって、今見えている、防波堤灯台は、漁港(安乗漁港)に入る船のためのものだ。となれば、対岸にはペアの赤い防波堤灯台がある筈だ。

目を細めて探す。たしかにあるが、遠すぎてよく見えない。横着して、望遠カメラを持ってこなかったことを少し悔いた。いや、800ミリ望遠が利くデジカメを、ポーチにくっつけて、いつも携帯しているのだから、それで見たのかもしれない。ただ画面が小さいから、なおさらよく見えなかったのだろう。まあ、いい、とにかく、明日は望遠カメラも持ってこようと思った。

下見を続けよう。灯台を目指して、柵沿いに歩き始めた。灯台は、岬の先端部に位置している。途中、左側に花壇のような場所があり、何かの記念碑が立っていた。灯台の入口の前にも小さな花壇があり、八重桜が満開だった。曇り空だから、色合い的には、イマイチだが、濃い紅色に心が和んだ。向き直ると、敷地の門柱の前に小さなプレハブがある。なるほど、受付だな。入場料=参観料を払うのだろう。むろん、この日は、灯台に登る気も、敷地の中に入る気もなかったので、素通りした。

灯台に背を向けて、さらに柵際を歩いていくと、東屋があった。ちょうど断崖際に立っていて、左手の展望がいい。海だ。むろん灯台も見える。おそらく、ここからのアングルが、安乗埼灯台のベストポイントだろう。ただ、先ほど<八幡さん公園>から見た大王埼灯台の景観と、酷似している。おそらく、灯台手前の断崖の補強された法面が、ほぼ同じ位置にあることが、その主なる理由だろう。

もっとも、この二つの灯台とかぎらず、岬に立つ灯台を横から見た場合、岬が右からせり出しているか、それとも左なのか、の違いがある程度で、それほど大きな違いはない。と、最近では思っている。とはいえ、灯台そのものの形は、唯一無二のもので、安乗埼灯台と大王埼灯台に関して言えば、前者は四角柱、後者は円筒型だ。まあ、自分にとって、灯台巡りの旅の楽しさは<灯台のある風景>を見つけることが、第一義的ではあるが、灯台の歴史を知り、その造形の美しさを堪能することも、楽しみの一つではある。そういった意味では、安乗埼灯台の造形は、なんか面白い感じがして、確実に記憶に残りそうだ。

芝生広場を突っ切りながら、横目でちらっと灯台を見て、そんなことを思ったのかもしれない。いや、これはウソだろう。おそらく、この時思ったことは、芝生広場からは、写真にならない、ということだ。つまり、樹木が邪魔で、灯台の上半分くらいしか見えない。それに遠目過ぎる。雨がぽつぽつ落ちてきた。引き上げよう。

<15時 (安乗漁)港の防波堤灯台に寄るつもりが 道をまちがえる 行き着けない めんどうなので 明日にして帰路 ナビどおりに走っているのに、なんか道がちがう 新しい道(なのでナビが認識できない) 買いかえる決心をする>。ちなみに、いまだにナビは更新していない。二万以上かかると言われたので、我慢することにした。不便なのは旅に出た時だけだ。ケチだなあ~!

<16時過ぎ ファミマで食料(の調達) 筋向いのビルが(今日泊まるホテルだ) 2階が受け付け エレベーターがない 荷物が多いのでちょっとしんどい 中高年の女性 ビジネスライク(の応対) 書くことはない ただ部屋に電気ポットがない 温水便座でない 天井にライトがない うす暗い 窓の外は隣のビル ガラス窓越しに机などが見える これで6000円は高いな! いわゆる安ホテルだ ま いい 風呂 ビール 昼寝 18時すぎに起きて夕食 そのあと日誌・・・>。

朝っぱらから、動き回っていたわりには、さほど疲れていなかった。こんな安ホテルに三泊もするのかと思って、ややうんざりしたような気もする。ただ、非常に静かなホテルだった。それに、目の前にコンビニがあるのも便利だった。

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2023

07/12

Wed.

05:56:07

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Category【灯台紀行 紀伊半島編

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#10 五日目(2) 2021年3月24(水)

樫野埼灯台撮影2
橋杭岩観光

紀伊半島旅、五日目の午後は、樫野埼灯台を、ダメ元でもう一度撮りに行き、ホテルに戻る前に、<橋杭岩>を観光した。

<樫野埼灯台-2回目 照ったり陰ったり 灯台に上る人が多い (撮影ポイントで)何枚も撮る 昨日よりは 空に変化があるのでよい それに (灯台に)陽のあたる感じも やはり 午後のほうがよい (敷地内に一か所、冬枯れた花壇のようなところがあった) その中に分け入って 写真を撮った形跡がある 自分も踏みこんで 撮った なにしろ引きが取れない場所なのだ>。しかしながら、これはよくないことだ。気が引けていたから、腰も引けている。当然、写真もモノにはならなかった。

あとは、敷地から出て、灯台の周りを、塀沿いにぐるっと一周しながら、撮り歩きした。昨日と同じだ。ただ今日は、海側の、断崖の<柵際に、カゴ付きの原チャリ(があった) 無人 下に降りてなにかとっているのかもしれない>。柵から身を乗り出して、下をのぞいてみた。樹木が生い茂り、険しい断崖だ。とうてい人が上り下りできる場所じゃない。と、そばの比較的太い木に、ロープが巻いてあって、下に垂れ下がっている。なるほど、これで、上り下りしているのか。そうまでして、いったい何が採れるのだろう。ま、深くは考えずに、その場を後にした。

灯台の正面に戻って来た。たしか、もう一度<樫野埼灯台>と書かれた、門柱左側にかかっている、立派な表札を眺めた。そして、これが今生の見納めと思ったのだろうか、今一度、灯台の敷地に入った。すでに、写真は撮り終えている。まともな写真が一枚も撮れていないことを、ほぼ確信していた。立ち去り難い気分になったのは、多少の未練も影響していたようだ。

戻り道。<トルコの土産物店(の前)を通る際 なんとなくバツが悪い 主人がでてきて 声でもかけられたらどうしよう 明日来るって言ったでしょ!>。さいわいにも、店の前はひっそりしていて、主人が通りの様子を窺がっているわけでもなかった。いい加減なことを言って、かえってヤブ蛇になることがよくある、と思った。広い通路の真ん中を歩いた。満開の白い桜をチラッと見た。心が軽く、楽しい気分だった。

樫野埼灯台の駐車場を後にした。岬を下り終えたところ、串本大橋のたもとの駐車場は、車がいっぱいだった。<だが無人 密漁か?>寄り道するつもりだったので、肩すかしを食わされた感じだ。そのまま橋を渡って、右折して串本駅の方へ向かった。潮岬灯台の夕景は、すでに二回撮っているので、今日は行かない。そのかわり、ホテルの部屋から見えた、白い防波堤灯台を見に行くことにした。

いちおう、ナビに、その辺りの地点を指示したので、近くまでは行けた。低い防潮堤沿いの道だ。近くに車を止めるスペースはない。路駐した。防潮堤際まで行って、何枚か撮った。ホテルの部屋から見た時は、そこはかとない哀愁を感じた。だが、近くで見ると、なんということはなかった。ただ、湾の出口、海の奥に 串本大橋の全景が見えた。自分がいまさっき通った橋だ。<この橋は 一連アーチの銀色 なんか好きだな>。

執着せずに、移動。<橋杭岩に行く 奇岩が連なる 天然記念物>だ。おとといの日、串本町に入った時、道沿いに大きな駐車場があり、変な形の岩が、海の中にずらっと並んでいるのを、ちらっと見た。時間があれば、寄ってみようと思った。樫野埼灯台はダメだったが、潮岬灯台の方は、まずまずの写真が撮れたような気がしていた。多少なりとも、気分が楽になっていたわけで、観光する余裕ができたようだ。

案内板には<串本から大島に向かい、約850mの列を成して大小40余りの岩柱がそそり立っています。海の浸食により岩の硬い部分だけが残り、あたかも橋の杭だけが立っているように見えるこの奇岩には、その昔、弘法大師と天の邪鬼が賭をして、一夜にして立てたという伝説も伝わっています。吉野熊野国立公園地域にあり、国の天然記念物に指定されています。>とあった。

たしかに、面白い光景であることに間違いはない。スケベ心が出て、モノにしてやろうと写真を撮り始めた。だがなかなか難しい。照ったり陰ったりの天気で、奇岩たちに明かりが当たらない。それに、駐車場の柵際から撮っている限り、海の中に並んでいる奇岩たちとは平行関係にならない。いわば<ねじれの関係>だ。構図的にどうもよろしくない。

駐車場の右端の方へ移動した。係船岸壁が、海に突き出ているので、多少は、奇岩たちとの平行関係がつくれそうだ。でも、それでも不十分だった。浅瀬の岩場の浜だから、下に下りることもできる。位置取りとしては、奇岩たちに近づける。だが、自分と奇岩たちの布置そのものは変わらない。ま、ここで、写真を撮るのをあきらめた。

ただ、奇岩たちの岩肌の質感くらいは、写真におさめたいと思い、陽が当たる瞬間を待った。午後おそくのオレンジ色っぽい西日が、かっと、奇岩たちにきた。何枚か夢中で撮った。だが、モニターすると、結果は最悪で、奇岩たちは、変な感じに赤っ茶けて並んでいた。これなら、まだ、陽のあたらない写真の方がましだ。あ~あ、引き上げよう。

駐車場の柵沿いに歩いて、車に戻りかけた。と、ふと思って、売店のある建物の方へそのまま進んだ。お決まりの<マーキング>だ。売店の中をチラッと覗いて、トイレに入った。きれいに掃除してあった。そういえば、売店の床を掃除している人もいたし、柵沿いの花壇をきれいにしている人もいた。就業時間の終わりに、みなして掃除をするのが、ここの決まりなのか。

いいや、そうじゃないだろう。働いている人が、都会のコンビニの従業員のような不機嫌な顔じゃなかった。おそらく、みなして、この観光資源と施設を大切にしているのだろう。<橋杭岩>、素晴らしい自然の景観だったし、気持ちよく観光できたな、と思った。

ホテルへ帰ろう。来た道を戻った。夕食の調達だが、たしか、駅前の道沿いに<ぎょうざの王将>があったはずだ。寄ってみようかと、左側を注意してみていると、店は休店しているようだった。少しがっかりだ。コンビニ弁当ばかりで飽きていたのだ。でもしょうがない、ファミマによって食料を調達、4時半にホテルに着いた。

ホテルの受付には、老年の女性が座っていた。毎日、受付の人が変わっている。これで三人目だ。みなパートのおばさんなのだろう。<風呂 頭を洗う 相撲を見ながら弁当 鳥唐チャーハン そのうち 隣から 鼻歌が聞こえる 若い奴が一人で歌ってるようだ>。<18時 昼寝 21時に起きる お菓子類を食べる 日誌をつける 21:45分 再度寝る 花粉症がひどい 鼻づまり!!!>。

若い奴の鼻歌、まったく記憶にございません!メモ書きに書いてあるのだから、たしかに聞いたのだろう。それよりも、この時は、遅い昼寝の前に、窓を開けて、外の景色を撮った。泊まっていた部屋が、四階?だったので眺めがよかった。建物の屋根越しに港が見えた。防波堤灯台があり、串本大橋まで見通せた。そこに、おりしも、夕陽が差してきた。本州最南端の港町がオレンジ色に染まった。窓から身を乗り出して、視界に入る風景すべてを写真におさめた。左端に、樫野埼灯台が、小さく見えたのも予想外で、なぜか、うれしくなった。

旅が半分終わった。体力的には、全然問題はなく、明日は200キロ北上して、伊勢志摩の灯台を撮りに行く。多少の感傷と多少の気合いが入り混じった、ほど良い心持だった。窓を閉めるとき、眼下のビルの駐車場が目に入った。車が四、五台止まっていた。ホテルの隣は、さびれたパチンコ屋だった。

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2023

07/05

Wed.

08:39:14

<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版 

Category【灯台紀行 紀伊半島編

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<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編

#8 五日目(1) 2021年3月24(水)

潮岬灯台撮影3

紀伊半島旅、五日目の朝も、串本町の駅前ビジネスホテルで目が覚めた。

<2021年3月24日水曜日 晴れ 雲が多い 照ったり陰ったり あたたかい 7時に起きる 比較的よく眠れる 朝の支度 朝食・食パン、牛乳 排便・でない 昼頃 出先で少し出て すっきりする>。この日は、何時ころホテルを出たのか、記述されていない。だが、ファミマで朝のコーヒーを買い、スタンドで給油し、そのあと、はじめに<潮岬タワー>へ行ったようだ。この日の撮影画像を確認すると、九時ちょっとすぎに、タワーから潮岬灯台を撮った写真があった。

<昨日とはちがった受付の女性(だった) 再入場できるかと聞くと 申し訳なさそうに ダメだという 雲が多く ダメもとで登る 風がないので寒くはない タワーの最上階 屋上みたいなところに登って撮る 400ミリ(望遠)を三脚にセット ポジションとしては 水平線と灯台の垂直を考えると ほぼ一か所しかない 何度も迷いながら 確定する (ま、)ベターな場所だから あとはズームでアングルを変えるだけ 照ったりかげったり 多少イライラしながら 陽のさす瞬間を待つ>。

思い違いなのか?いやそうではない。タワーへの再入場ができないのは、昨日聞いてわかっていたのだ。だから、冷やかしはんぶんで、聞いたのだろう。いや、今日の女性は、どう反応するのか、見たかったのかもしれない。たしか、昨日の女性よりは愛想のいい、かわいい娘だったような気がする。

あとは<そうだ タワーの駐車場のトイレで用便をすませた 外観はやや古びていたものの きれいにそうじしてあった 温水便座 多少の抵抗>。少し説明しよう。最近は、観光地の公衆トイレでも、温水便座によくお目にかかる。<痔>持ちの身にとってはありがたいことだ。だが、便座にじかに腰掛けることに、やや抵抗を感じている。

もっともこれは、温水便座に限らず、洋式トイレでも同じだろう、とおっしゃるのかな?それが、若干違う。温水便座の場合、当たり前のことだが、便座が温かい。この暖かさが、曲者だ。誰だか知らないが、不特定多数の人間が座っていた、ということを、この、ほど良い暖かさは、思い起こさせてくれる。人間の肌のぬくもりだ。そんなことは、正直なところ思い出したくない。便座が冷たくて、ひえ~~としながら、さっと用をすませば、いらんことを思い出さなくても済むのだ。痛しかゆしとはこのことだろう。

次に進もう。<潮岬駐車場 今朝は昨日の爺さんとは別の爺さん(だった) 歩いて(東側)展望スペースへ 犬のクソを踏んだ場所をたしかめる 昼間なら見えたが 夜だったので不覚をとった それにしても 飼い主の不始末に腹がたつ 柵際を位置移動しながら、撮り歩く>。

そのあと<犬のウンコを横目で見ながら、浜へ下りる 道端(坂の途中)にいろいろな花が咲いている 名前の知らない花 見たことはあるが名前の知らない花 ムラサキカタバミ カタバミ 西洋タンポポが目立つ 桜も満開 ただし 色の白い桜が多い><浜には7~8台 車が止まっている 漁船もない 無人 これさいわいと 小さな船溜まりと 岩場の間にある防潮堤の上に登り すこし(海)の方へ歩く はば70センチほど 昨日は強風で歩くのが はばかられた>。

<岬の上の灯台と 波しぶきがあがる岩場が視界に入る 新しいポジションだ うしろから船が来る 振り向きもせず 防潮堤を歩いて岩場へ行く 何か言われやしないかと思った がやがやするので振り返ると 釣り人らしき装備の男たちが 6~7名 船からおりて めいめいの車へ向かっていく なるほど 釣り船だったんだ 非合法の禁漁区と(立て看板に書いて)あったような気がする(が)>。

<そのあと 岩場でゆっくり写真を撮る 波の音がいい ・・・ 岩場の水たまりに 10センチくらいの黒い魚が 取り残されていた 死んでいるようだった。灯台の上には ひっきりなしに人影 今回も灯台に登らなかった 疲労(と) 密になるのが嫌(だった) 三百円払ったのに>。

潮岬灯台の撮影ポイント三か所、すなわち、潮岬タワー、東側展望スペース、東側の岩場で律儀に撮って、樫野埼灯台へ向かった。どのポイントも二回目なので、さほど心は動かなかった。

<移動 樫野埼へ向かう (その前に)海金剛(へ寄る) (遠目から樫野埼灯台を狙う) 三脚を立てる 元気が少し回復 すばらしい海景 (まさに筆舌に尽くしがたい!うまい言い訳の言葉を知っているではないか) 灯台はかなり小さい しずか 途中 ひとりだけ ボウズ頭の 白髪 魚屋のような男がきた 防寒靴をはいていたから バイク野郎かも(しれない) すぐにいなくなったか(と思ったら) うしろの東屋のベンチで ひざをたてて ひっくり返っていた もう一人は 小柄な女性 ちょっとこちらに会釈して 海をスマホでとって すぐにいなくなった ここでも少し粘る>。

海金剛から樫野埼灯台が見える場所は、前にもちょっと触れたが、椿小道の途中にある、ひと二人しか?立てない極小展望スペースと、行き止まりの展望スペースの海沿い柵際、七、八メートルしかない。したがって、この日は、まず極小スペースで撮って、そのあと、海沿いの柵際で粘ったというわけだ。したがって、ボウズ頭も小柄な女性も、海沿いの柵際で粘っていた時に見たのだろう。極小スペースの方は、小道から海側に突き出した場所だから、振り返らない限り、人の姿は見えない。ま、うしろで人の気配がすれば、振り向きもしようが、撮影に集中していたのだろうから、気づいたとしても無視したと思う。

撮影を終え、展望スペースから下りて、椿の小道を戻った。<日米修好館の前に また この(小柄な)女性がいた こちらに気づいて ちょっと会釈して 館にはいって行った なるほど 学芸員なのかもしれない 知的な感じだった 駐車場には おそらくは 彼女のうす緑の軽と 自分の(車)だけだった と 原チャリに乗ったじじいが なにしにきたのか 海を見にきたのか (小道の入り口で)夏ミカン?がなっているのを発見し その辺りを動き回っている>。

少し付け加えよう。おそらくは、小一時間、はるか彼方に見える樫野埼灯台を、望遠カメラなどで撮って、駐車場に戻ってきたのだろう。失われたというか、忘却の彼方にあった、記憶が少し蘇ってきた。駐車場の海沿いの柵際に、無人販売用の、小さな、崩れかかった台が置いてあった。前の日だと思うが、気まぐれに、近寄って、覗いてみた。こぶし大の、ごつごつした夏ミカンのようなものが、幾つか置いてあった。こんなものを、こんなところで買う人間がいるのだろうか?と思ったような気がする。

比較的きれいな公衆トイレで用を足し、さてと、出発しようとしたとき、駐車場の出入り口の方から、乳母車を押した、腰の曲がった老婆が、やってきた。一直線に、無人販売の台へ向かっている。あの婆さんが、庭木にでもなっている、ごつごつの夏ミカンを、乳母車に載せて、持ってきているのだろう。婆さんは、台の辺りで、ちょっと間、何かごそごそしていた。そしてまた、ゆっくり戻って行った。

きっと、この日課が、彼女の生きがいなのだろう。最果ての岬、無人販売用の崩れかかった台、色の褪めた乳母車、ごつごつした、見るからにすっぱそうな夏ミカン、もうこれだけで十分だった。感傷の波しぶきを避けるようにして、<海金剛>の駐車場を後にした。

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