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<灯台紀行・旅日誌>&<花撮り物語>&<第二次入間川写真紀行>

<灯台><花><入間川>などのフォトエッセー

2020

07/10

Fri.

11:15:06

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

<灯台紀行・旅日誌>#11
三脚を立て、カメラをセットしかかったとき、後方から、マウンテンバイクに乗った若者が数名、大きな声で話しながらやってきた。あれ~、と思っていると、自分から四メートルくらい離れた柵のところで、釣りを始めた。ほぼ等間隔に並んで、四人ほど、かがみこんで釣り針にえさをつけ、海へ向かって、大きく竿を振っている。

薄暗がりだったが、話声と顔つきで、外国人、それも中国人でも韓国人でもなく、東南アジア系の若者だとすぐにわかった。嫌なことに、その中でも体格の一番いい奴が、俺の隣にいる。ふと、集団で、あるいは、あいつらに襲われたら勝てないなと思った。だが、状況から判断して、いちゃもんをつけられる可能性は低い。シカとして、五分間インターバル撮影を続けた。とはいえ、若造に、根拠もなく、びくびくしている自分が情けなかった。

次第にあたりが暗くなった。灯台の胴体の真ん中あたりが、下からの照明で照らされ、そこだけが楕円形に明るくなった。用意してきた、アウトドア用のヘッドランプを頭に巻いて、ほとんど初めての夜間撮影に挑戦した。アジア系の若者たちは、予想に反して、暗くなっても立ち去らなかった。それどころか、懐中電灯を持参していて、手元を照らしながら、盛んにエサを交換しては、大きく竿を振っている。夜釣りに来たんだ!浜風の中、何語なのかな?タイとかベトナムとか、そんな感じの語音が飛び交っていた。

インターバル撮影の合間、若者たちの行動を横目でちらちら追いながらも、刻一刻と表情を変えていく、灯台周辺の光景を全身で感得していた。午後の、あの暑さと比べて、いまはかなり心地よい。むしろ、寒いほどだ。ヒートテックのモモシキをはき、長めのダウンパーカを羽織った。これでちょうどいい。ビスケットを少し齧り、水を飲んだ。腹の調子も少し良くなっていた。この時間に、こんなところで、写真を撮っている。念願がかなっている。世界の前に立っている。自分の人生を生きていると思った。

空と海が、漆黒の闇に覆われ、灯台が光を発し始めた。そう、問題は、あの光線を写真に撮ることだ。ネットで、犬吠埼灯台の写真を、いやというほど検索したが、左真横、一直線の光線をとらえた写真は、わずか一枚にすぎない。しかも、その写真は、<写真素材>として、有料で貸し出されていた。

天と海の間の暗闇を、一直線に走る灯台の光線。なんとまあ、ロマンがあるではないか!前に言った<作品>というのは、この五分インターバルで撮った写真群を、編集してスライドショーにする心づもりだったわけで、ラストは、いや、ラス前あたりに、この一直線の灯台の光線が、ぜひとも欲しいものだ。

ところが、丹念な検索の結果にもかかわらず、灯台の光線を撮る方法は、見つけられなかった。星空とか、夜景とか、それから、光線を多重撮影して、灯台の周りにぐるっとめぐらす方法はあったが、もっとも、多重撮影は自分の頭と腕がついていかないわけで、はなから試すことすらしていない。というよりも、灯台から光線が放射状に出ているというのは、いかにも、作り物の感じがして、いささか趣に欠ける。

だが、いちおう、灯台の光線を撮る方法を、自分なりに調べ上げ、メモしていた。手順はこうだ、モードはM、f値2.8、ss1秒から二分の一秒、ISO8000、いや、ほかにもメモがある。シャッタースピードssが長ければ長いほど光跡の幅が広がるとか、光線がカメラレンズに向かないタイミングをはかるとか、要するに、切れ端のネット知識だ。

実際はすべて役に立たなかった。これらのやり方では、むろんその場でいろいろ試したが、光線は撮れなかった。そもそも、何秒かおきに、ぐるぐる回っている光線を、左真一文字に来た時に写し撮ろうとするならば、シャッタースピードは、かなり早いものでなければなるまい。そんな瞬間は、あっという間に過ぎてしまうのだ。

今思ったのだが、光線が動かず、不動のまま、海を照らしているならば、上記の方法は有効なのかもしれない。いや、これも試していないので、わからない。要するに何もかもわからず、いや、今日の段階では、光線は撮れないのだ、ということがわかったわけだ。得心して、気持ちが覚めた。引き上げよう。カメラを三脚から外し、バックに収納した。

少し前に、二、三人仲間が加わった、アジア系の若者たちは、その後もまじめに?釣りを楽しんでいた。新たに加わった連中は、柵を乗り越え、三メートルほど下の、波消しブロックに降り立ち、座りこみ、釣り糸をたらしている。自分の隣の大柄な若者は、なかでも、釣りがうまいのか、何匹も釣り上げていた。

彼らが、どこから来たのか、何をしているのか、すぐには思いつかなかった。食いつめたような様子もないし、みな立派なマウンテンバイクを持っている。留学生なのかもしれない、あまり深くは考えなかった。考える必要もなかった。ただ、いちゃもんをつけられるのではないかと、最初、びくびくした自分を少し恥じた。

カメラバックを背負う前に、柵に両肘をついて、暗闇に浮かぶ灯台をつくづく眺めた。たしかに、光線は出ている。ある間隔をおき、右の方から光り始め、こちらに向かってピカリ、そのあとは、例の左真一文字の光線を、茫漠とした闇の中に放って、左うしろに消える。この循環を、一晩中続けているわけだ。

ただねぇ~、その闇に放たれる、左一文字の光線は、すごく薄くて、かすかに見える程度のものだ。しかも一瞬!あれを写真に撮ることなど、土台無理なのではないか、自分がネットで見た写真は、何か細工したものではないのかとさえ疑った。ま、いい、光線は撮れなくても、写真はたくさん撮った。撮れたはずだ!

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2020

07/08

Wed.

12:22:17

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

<灯台紀行・旅日誌>#10
浜辺から、長い階段を登って、駐車場へ戻った。足が重い、しんどかったような気もする。車の中は、蒸し風呂!すぐにエアコン全開、窓にシールド。パーカやズボンを脱いで、倒れこむように横になった。ちなみに、後部座席を倒して、仮眠できる状態に、車内はカスタマイズされている。ご丁寧に、布団も枕も持ち込んでいた。

来る前にシュミレーションしたように、耳栓をした。犬吠テラステラスの裏側の、この駐車場は一般道に面していたが、なんと正面は老人ホームだった!車の出入り、騒音は、ほとんど気にならなかった。耳栓のおかげか、それとも体が参っていたせいか、すぐに、寝ているとも覚めているともつかないような状態に陥った。エアコンの温度や、車内の不愉快な暑さなどを意識しながらも、ひたすら、だと思うが、体の回復を願っていたような気もする。

ひと眠りしたのだろうか、夢うつつの状態から覚めた。たしか、四時半少し前だったような気もするが、はっきりとは覚えていない。

うん、少し気分がよくなったような気がする。身支度をして、サンダル履きで、そう、カメラも首にかけ、というのは、2020年5月28日4時46分に、西日の当たっている灯台を、広場右側から撮った写真が残っているからだが、その前に、午前中同様、トイレ、そうだ、トイレにも行ったのだ。観光地のトイレとしては、比較的キレイだったが、コロナ感染を意識して、すぐに出てきた。

そのトイレの向かいの、閉まっている土産物屋の赤い自販機で、午前中と同じ、アルミボトルの缶コーヒーを買って、歩き飲みした。まずくはなかった。たしか¥130、安いなと思った。朝、貧しい朝食をとったきりで、その後、ビスケットを少し齧った程度だったが、腹は空いていなかった。

右側は海だった。大げさに言えば、太平洋だ。1枚撮った。あとは、灯台の正面辺りを、観光客気分でぶらついて、これみよがしに写真などを撮ったのだろう。もっとも、コロナ感染の自粛は続いていて、いまだ県をまたいだ移動は制限されていた。かまうものかとシカとして、川越ナンバーで千葉県に乗り込んだものの、灯台付近の観光客の車は、ほとんどが千葉ナンバーだった。まあ、いちゃもんをつけられることもないだろうが、そうなったら、すぐに<すいません>と謙虚に謝ってしまおう。生意気なくせに、小心で臆病な性格が、年を取れば取るほど際立ってきた。

灯台前にある、テラステラスというこぎれいな施設に、このとき入ったのか、よく記憶はしていないが、きれいなトイレで、しかも温水便座で排便して、さらに気分がよくなったような気もする。その後、この施設には旅の3日目、4日目にも立ち寄って、カレーを食べ、トイレにも必ず寄って、気持ちよく排便した。

気分がよくなった。頭がすっきりした。これなら夜の撮影ができそうだ。そう思いながら、車に戻った。装備をととのえ、といっても、午後の不覚を教訓にして、薄手のパーカ、薄手の靴下、トートバックには、ペットボトルの水、ビスケット、念のためにダウンパ―カ、それにおしっこ缶、それだけだ。

…おしっこ缶というのは、車内や撮影中、トイレに行くのがめんどくさいので、アルミのやや口径の大きめなボトル缶のことで、これは何本か持参してきた。つまり、したくなったら、イチモツのさきっちょをその中に突っ込んで、用を足すわけだ。イチモツ、などと大きな口をたたいているが、息子の頭は小ぶりだから、ちょうどいい。ま、どうでもいいことだ。

あとはカメラバックに三脚二本。こっちは、かなりの重さではあるが、苦にはならなかった。もっとも、下り階段だ。浜に下りると、辺りは薄暗くなっていた。午後の五時半を回っていた。まっすぐ、例の撮影場所へ向かった。海風が心地よかった。

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2020

07/06

Mon.

10:47:49

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

<灯台紀行・旅日誌>#9
駐車場に戻った。布の大きめなトートバックに、飲料水などを放り込み、重いカメラバックを背負った。長い階段を下って浜へおりた。もう暑くなり始めていた。下見しておいた場所へ一直線に向かい、石の腰掛に荷物を置いた。柵沿いに三脚を二本立て、犬吠埼灯台にカメラを向けた。

三脚は二本持参している。一本はジッツオの使いやすいもの。もう一本はベルボンの、やや使い勝手が悪いもの。それぞれに望遠ズーム、標準ズームつけて撮影するつもりだ。要するに、柵沿いに三脚を二本並べ、近めと遠目で撮るわけだ。

が、いざ実際、二台のカメラで灯台をモニターすると、ベストアングルというものは、ほぼ一か所なので、当たり前だ≪ベスト≫なのだから、多少の近い遠いはあるものの、画面は似たり寄ったりだった。それよりも、正面の海。空があって、雲が流れて、水平線があって、たゆたゆと波が押し寄せている。この風景を撮らないということはない!!!

というわけで、三脚は一本にして、望遠を手持ちで、浅はかにも、海と、ちょっと遠めの灯台を撮ることにした。そして、五分間隔のインターバル撮影を来る前から計画していたので、その手順に従った。

時計を見た。五分経った。三脚につけているカメラのファインダー覗いて、リモコンのボタンを慎重に押す。取って返して、望遠カメラを、後ろの石の上に置いてあるトートバックから取り出す。ぶれないように、柵に肘をしっかりつけて、まず、海を撮り、ほぼそのままの姿勢で、少し体を右にひねり、灯台を撮った。

この作業を、十一時半から、およそ二時半まで続けた。本当は、体力と気力が続いたのならば、日没後までやるつもりでいた。ところがどっこい、そうはいかない。久しぶりのアウトドア、しかも海岸だ。

セッティング作業のうちは、暑さをそれほど感じなかった。太陽の位置を、手のひらを天にかざして確かめ、ほぼ真上だな、などと思った。まだ余裕があった。

ところが、作業がひと段落して、一息ついたら、いきなり息苦しいほどの暑さを感じた。まず、足の甲が、焼けるように熱い。厚手の靴下をはいていたのだ。薄手の物に替えたかったが、車の中だ!!!パーカも厚手の物で、これにも参ったが、薄手は車の中だ!!!

…サンダルは車の中にあるが、この強烈な紫外線、直射日光を、直接浴びることになる。どうしようか?海辺にフードのついたパーカは必須、だが絶対、薄手での物でなければだめだ。撮影の手順を正確に守りながら、次回の教訓だな、などと思った。

何しろ、フードですっぽり、頬の真ん中まで覆い、サングラス、そのうえマスクだ。自分の風体を気にする余裕もなかったが、あとで、夕方になり、車のウィンドーガラスで見たのだが、これではまるでコンビニ強盗だろう!!!どうりで、後ろの遊歩道を頻繁に行き来する人から、話しかけられなかったわけだ。怪しすぎる!!!

…正直いって、海辺の暑さ、要するに紫外線と直射日光は、老人には、自分では老人とは思っていないが、かなりきつくて長時間の滞在は無理だ。もっとも、日陰で寝ているなら話は別だが、自分の場合は、五分ごとに、写真を撮らねばならず、悪いことに、その際には、サングラスを外さざるを得ないという不幸?も重なった。

だが、眼をやられたら最後だろう。二十年前の失明に瀕した時のことを、ちらっと思った。あの時以来、サングラスを手放したことはなく、外出する際には、財布と鍵と同様、必ず身につけている。念のため、今回も、替えのサングラスを用意してきたほどだ。

話を戻そう。カメラのファインダーをのぞく際には、どうしても、サングラスを外さなければならず、その時の紫外線が、やりきれないほど、きつい。こんな体験は今までになく、ほとんど苦行だ。でも、これはまずいだろう!!!何しろ目を守らねばならない。

と、あろうことか、サングラスを掛けたまま、ファインダーを見た。ま、窮すれば何とやらで、むろん、色が変わって見えるが、一発撮りとは違い、ほぼどんな感じに撮れているかは、了解済みだ。空や雲や波が、五分間で、どの程度変化しているかを確かめるだけでいい、のではないか。

眼は、これでだいぶ楽になった。熱中症を警戒して、頻繁に持参した水を、ペットボトルから飲んだ。また、手のひらを太陽にかざした。真ん中より少し西に傾き始めた。足の甲は、撮影中は、柵の陰に置くようにした。休憩中は、靴を脱いで、自分の体の影に入れるようにした。

御影の石に腰かけて、うつむいて、楽しい撮影どころではない、苦行にも似た時間を、じっと全身で受け止めた。五分ごとの撮影が、なんだかなおざり、モニターもしっかり確認していなかったぞ。それに四、六時中、パーカの背中が、焼けるように熱い。なんだか頭がすこし痛い。水はたくさん飲んでいるはずだが、少し気分も悪い、むかむかする。

ぼうっとした頭で、明日もあるぞ、ここで体調を崩すわけには行かないぞ。そうだよな、もう、限界だろう。そう思ったら、急に弱気になった。時計を見た。二時半だった。三時間頑張ったわけだ。迷うことなく、撮影を中止した。

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2020

07/03

Fri.

17:52:16

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

<灯台紀行・旅日誌>#8
初陣の夜間撮影を夢中でやっていると、展望台前のちょっとした広場で、何やらうるさい物音が聞こえる。カメラから目を放して、ちょっと見に行くと、はは~~ん、若者がスケボーで遊んでいる。わざわざこんなところで、しかもこんな時間に、といってもまだ夜の七時だが、なんなんだ!!!ま、そのうちやめるだろう。

三脚に戻り、ほとんどわけもわからないまま、カメラをいじくりまわして、その都度モニターした。ま、勉強だな。時間のたつのも忘れ、頭の片隅では、スケボーがうるさいと思いながらも、これ以上はもう、うまく撮れないと思えるまで粘った。

ふ~と一息ついた。周りを見回した。展望台などの人影を確認して、その場を後にした。ちなみに、スケボーの若者も、どういうわけか、一緒に終了。目で追うと、端の方に止めてあった、白い軽のバンに乗り込んだ。仕事帰りか、時間調整か、ま、もうどうでもいい。車に乗り込み、高台の灯台から、坂を下った。バックミラーに、ヘッドライトが見える。灯台の駐車場はどんづまりだから、灯台にいた車であることは間違いない。ひょっとしたらスケボー野郎かも知れない。帰りまでご一緒だ!!!

・・・名前は伏せる。宿泊したビジネスホテルだ。なぜかというと、文句しか出てこないし、それを書けば、営業妨害になるやもしれぬからだ。そこまでの恨みはない。とはいえ、一言だけ言い添えておこう。汚かった!!!一泊¥4500、安いとはいえ、これはないよな、という感じだった。畳が擦り切れていたのだから、あとはご想像にお任せする。

それからもう一つ。食料調達したコンビニのおにぎりが、これほどまずいのかと思うほどだった。もっとも、食欲がまるっきりなくて、さほど腹は立たなかった。とはいえ、朝食用に買ったブドウパンは、まあまあ食べられた。一晩冷蔵庫に入れたにもかかわらずだ。・・・疲れた。かなり疲れた。もう寝よう。宿に八時過ぎについて、十時には布団の中に入った。

一日目の出費・高速¥3820、食事等\1200、宿泊三日分\12900。

二日目。四時過ぎに目が覚める。西側の障子が明るくなり、寝ていられない感じ。それでも、もう少し眠ろう、ということで六時前まで布団の中でぐずぐずする。

六時起床、洗面、朝食・昨晩買ったおにぎり、持参したカップ麺。食欲がないせいか、どっちも、うんざりするほどまずい!!!排便・小。むろん、ぼろホテルには温水便座などはない。…痔持ちの自分にとって、温水便座は必須だが、ま、非常時ということで、流水で肛門をさっと洗う。

身支度をして、八時前に出発。ナビを犬吠埼灯台にセット。途中、長崎鼻のぬぼっとした照射塔を何枚か撮り、さらに、海沿いの道に路駐して、東側から、遠方の犬吠埼灯台を狙った。

胸の高さほどのコンクリの護岸、その上に、重い望遠レンズを置いての撮影。要するに、三脚を立てるほどの景色ではないものの、VRを利かせたところで、手持ちではブレてしまうからだ。とはいえ、あまりに遠目過ぎる。それに、空の色もさえない。今日は朝から晴れの予報なのだが、チェ!!!

ほとんど貸し切り状態の、そのうち右側に海が見えて来る、景色の良い道。気持ちよく、九時前に犬吠埼灯台に到着。駐車場に車を止め、灯台周りの散策。一応、正面、周囲、それから海岸沿いの遊歩道など、スナップしながらぶらつく。

撮影ポイントは二つ、正面やや右側、灯台の窓が少し左側に見えるあたりがいい。もう一つは、遊歩道の終点、白いホテルへ通じる道に上がる鉄階段の踊り場。ただし、画面左下に青い電線がぶら下がってしまう。

この場所には、どう考えても三脚は立てられない。とはいえ、遠目だが、緑の断崖にちょこんと頭を見せている白い灯台、望遠なら何とか絵にできるかもしれない。横着して、望遠レンズを持ってこなかったことを少し悔やんだ。

帰路は、遊歩道を戻らなかった。可能な場合は、復路は、往路とは違う道を歩くことにしている。それに今回の場合、特に、遊歩道の途中の辛気臭いトンネルが嫌だったし、違った道を歩けば、違った景色に出会える可能性も高い。

海岸沿いに建つ白いホテルをちらっと眺めた。場所的に最高だが、オヤジのひとり旅、しかも撮影旅行には不向きだ。むろん宿泊費も高い。豪華な夕食など必要ないし、素泊まりで\10000はいくら何でも高すぎるだろう。

だらだらと坂をのぼった。すこし息切らせながら、海の見える高台に上がった。灯台は一般道の正面に見える。右側は、大げさに言えば太平洋だ。柵のある歩道を少し行くと、なんだか、陶芸店のようなものがあり、さらにその先には、一抱えもする大きな菱形の石に、何やら文字が見える。

立ち止まって、じっくり眺めた。高浜虚子の句碑らしい。<犬吠の 今宵の朧 待つとせん>。最後の<待つとせん>が読めなかったが、案内板があり、了解。口の中で何回か唱え、覚えようとした。おそらくは、例の海岸沿いのホテルに泊まって、部屋からぼうっと霞んだ灯台の明かりを見たのかもしれない。向き直って、太平洋の水平線を見た。すこしばかり、文学っぽい気分になった。

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2020

07/01

Wed.

10:42:15

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

<灯台紀行・旅日誌>#7
五時すぎに、再度飯岡灯台、現着。陽は西に傾き始めていたが、まだまだ明るい。フル装備で、展望台の階段を上る。ふと振り返ると、東側の台地―下総台地に巨大風車が林立している。望遠400mmで何枚か撮った。

さらに、海の中にも風車が一基ある・これは銚子市が東電と組んだ、洋上風力発電の実証実験だそうだ・・・世界に飛び出すと、まあ~~いろんなことに出っくわすものだ!冷やかし半分に、パチリと、こやつも一枚撮った。

階段を登りきると、まずまずきれいな展望室。窓があるわけでもなく、ダイレクトに南西側の海が眺められる。要するにベランダ仕様だ。ぐるっと見回して、灯台君を見下ろす位置に三脚を立てた。ところがどっこい、仕切り壁から乗り出さないと、灯台と防波堤が画面におさまらない。

う~ん、しかたない。手持ちでベストポジションを確認、何枚か、かなり慎重に撮った。ちなみに、このポジションは、ネットで見た写真の中では最高のもので、多くの人が撮っている場所だ。むろん、同じ場所から撮ったとしても、自分がそれ以上の写真が撮れるとは、正直思わないが、ま、この場所しかないのだ。

さてと、そうこうしているうちに、ますます陽は傾き、空の色が徐々に変わり始めた。写真の世界でいうところの<ゴールアワー>だ。どの場所がいいのか、うかつにも、夕景のベストポジションは調べていない。

とりあえず、灯台正面に出た。西側の空を眺めると、まさに夕日が落ちつつある。あ~、そうだ、ここは夕日がきれいなところだったんだ。われながら、マヌケな感想だ。問題は、灯台と夕日を画面におさめることだ。

あたふたしながら、三脚を立て、さあ、予行演習してきた、日没の撮影だ。え~~~と、マニュルモード、F値8、ほぼ無限大にピント、ISOオート、ホワイトバランスオート、シャッタースピードの調整で、露出を沈む前は三分の二アンダー、沈んだら適正にする、だったかな???なんだか、頭が真っ白になっていた。おぼつかない。

おりしも、まさに<ゴールデンアワー>、なんだか人影が一気に増えてきた。だれもが夕陽を見に来たわけか!なかでも、若いカップルが多いような気がする。ま、そんなことはどうでもいい、集中だ。ファインダーをのぞきながら、ほぼ初めての夕景の撮影を開始した。

その時は、気分が高揚していて、モニターなどもろくにしないで、リモコンのシャッター音に酔っていた。もっとも、辺りが暗くなってきて、モニターそのものがかなり難しい。そしてついに日没。おっと、灯台の頭にあるライトがうっすら点灯。今度は<ブルーアワー>だ。

シャッタースピードを落として、カメラ内のインジケーターを、適性のゼロに合わせる。辺りは、ほぼ暗い。それでも、かなりの人影。<ブルーアワー>とは日没後の数十分のこと、こっちの方が、空がきれい撮れているように感じた。気持ち的に、少し余裕が出てきたので、ホワイトバランスをいろいろ試してみた。晴れマークのところが一番きれいだな、と判断できるようになった。

そのうち、陽は完全に沈んで、空の色は紺碧から漆黒へと変わっていった。とはいえ、周辺を見回すと、展望台の照明などでさほど暗くはない。と、灯台の頭にある照明が点灯したままで動かない。おやっと思ったが、すぐに得心した。この灯台の役目は、飯岡港に入ってくる漁船の目印だ。光線をぐるぐるさせる必要はない。

ちなみに、灯台のレンズには<閃光レンズ>と<不動レンズ>があるようだ。閃光の方は、レンズが回っていて、結果、光線がぐるぐる回っているように見える。一方、不動の方は、ついたり消えたりするだけらしい。飯岡灯台の仕様は、<不動フランネル式300㎜・明三秒・暗三秒>ということになっていた。

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2020

06/29

Mon.

10:13:04

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

<灯台紀行・旅日誌>#6
...飯岡灯台下見。小ぶりな、白いタイル張りの灯台で、正面からはどうにも写真にならない。下調べしたように、撮影ポイントは一か所だけ。すなわち、無料の展望台から、手前に灯台を入れ、右側に飯岡漁港の防波堤などを斜めに入れる構図だ。

ま、いい。灯台敷地の柵によりかかりながら、眼下の飯岡漁港を眺めた。つい二、三日前、飯岡漁港に押し寄せる、あの大震災の大津波をユーチューブで見た。おそらく、撮影者が位置していたであろう所に、いま自分が立っている。津波が白い波しぶきを立て、沖から押し寄せてくる。あっというまに防波堤を越え、船溜まりの漁船をいとも簡単に押し流していく。その光景がまざまざとよみがえった。自然は美しく、かつ残酷だ。厳粛な気持ちになった。

気分を変えよう。灯台の周りをぶらぶら歩きながら、写真を撮った。灯台の横の方に、海を臨んだ、漫画チックな<力石徹>の石像があった。飯岡は<ちばてつや>が、戦後すぐに大陸から引き揚げてきたころに生活したところらしい。なぜかちょっと意外な気がした。<あしたのジョー>を夢中で読んだのは、もう半世紀以上前のことだ。

それからもう一つ、飯岡、と聞いて、ふと思い浮かんだのは、<飯岡助五郎>だ。記憶があいまいで、いまネットで調べてみた。あ~~~、思った通り、講談の<天保水滸伝>によれば、笹川繁蔵を闇討ちにした悪親分?だったわけだ。

…子供のころ、なんで聞き知ったのか、映画なのか?よくわからないが、その後、演劇青年をやっていたころ、三鷹で<黒テント>の<チャンバラ>という芝居を見た。その時に<しげぞおぉぉぉ~~~~>という役者の絶叫、突如、過去の記憶が呼び覚まされた。不思議な体験が、いまだに体に宿っている。そうだ、やくざの親分、飯岡助五郎と笹川繁蔵、それに用心棒の平手造酒。面白おかしく尾ひれをつけて、やくざの抗争を講釈師が語っていたのだろう。その、飯岡助五郎の墓が、この近くにあるらしい。…ちょっと行ってもよかったのだが、いまは灯台熱が高じている。いつか、またそのうちだ。

三、四十分ぶらついて、飯岡灯台を後にした。ナビを犬吠埼灯台にセット。目指すは、君ヶ浜の灯台寄りの駐車場だ。ところが、現着してみると、コロナで閉鎖中!!!これには参ったが、すぐに気分を取り直して、灯台下の駐車場へ行く。

車を止め、まずは灯台正面辺りをぶらついて、写真を撮る。犬吠埼灯台は登れる灯台だが、むろんコロナで閉鎖中。ま、こちらはどうでもいい。灯台に登ってしまっては、灯台が撮れないからだ。…昼もだいぶ過ぎている。なのに、腹が空かない。缶コーヒーなどを飲んでやり過ごす。

車に戻り、機材を背負い、浜へ下りた。ちょっとしんどい。撮影ポイントを探しながら、砂浜沿いの護岸縁を歩く。ちょうど、白っぽい腰掛石が五個、等間隔に並んでいるところ。背後には、遊歩道があるものの、ゆったり、誰にも邪魔されず、三脚を立てられる。灯台の垂直を出すにも、まずまずの好位置。何枚か試写して引き上げる。

車の中で時計を見ると、三時半を回っている。飯岡灯台へ戻ろう。日没前の<ゴールデンアワー>、それから明かりのついた灯台の夜間撮影。これが初日の、本気を出す撮影だ...

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2020

06/26

Fri.

10:13:49

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

<灯台紀行・旅日誌>#5
…かなり前から、日本全国の有名な灯台をネット検索していた。そのなかで<日本の灯台>というサイトが、質量とも充実していて大いに参考になった。いや~、これだけの灯台巡り、すごい!写真も説明も丁寧、語り口も謙虚、なにしろ<灯台熱>が半端ない。

ま、それはそれとして、自分の体力を考えると、車で片道200キロ前後の場所までが限界だろう。しかも、ロケーションが素晴らしいところがいい。という基準で、最初に浮かび上がり、二重丸がついたのは、犬吠埼灯台だった。ここは日本灯台50選、世界灯台百選にも選ばれている。それにすぐ近くの飯岡灯台もいい。灯台旅の一発目は、ここしかない!!!

泊る場所は、灯台に近ければ近いほどいい。だが、いろいろと条件がある。旅館やペンションなどは、お一人様で泊まることができそうにもないし、素泊まりでも一万円以上する。民宿には懲りているし、となれば、ビジネスホテルしかない。

最初は、日程も決まらないまま、銚子市内のちょっとお高いビジネスホテルを、念のためのコロナ対策ということで、六月後半に二泊予約した。だが、五月二十五日、急に<緊急事態宣言>が解除になった。そこで、ビジネスホテルを急遽キャンセルして、飯岡漁港近くの安めの宿に三泊することにしたのだ。

・・・話しがなかなか先に進まないな。とにかく、当日は、朝八時に出発、ナビにかなり遠回りさせられ、少しイラついたが、30分ほどで最寄りの圏央道坂戸インターに滑り込んだ。平日だったが道は空いている。ガラガラ!いや、貸し切り状態といってもいい。

すぐに菖蒲パーキング、走り始めたばかりで休憩する気にもなれず、そのまま時速90キロ前後で気持ちよく走る。ただ、次の江戸崎パーキングまでが長かった。いま調べたら、菖蒲からは約80キロ近くもあり、小一時間かかる。すでに三、四十分走っているわけで、ここはやはり、菖蒲パーキングで一息入れておくべきだった。ま、次からの教訓だな。

江戸崎パーキングには、十一時前に着いた。トイレと自販機があるだけの小さなパーキング。人もあまりいない。端っこの方へ行って、体をほぐす。そうそう、トイレ入口の天井近くに、ツバメの巣があり、ヒナたちの黄色の口が見えた。施設内の誰かが大切にしているのだろう。気持ちのこもった張り紙などもあり、気が和む。鳥や花を大切にする人間に悪い奴はいない、というのが持論だ!!!

パーキングで20分ほど休んで、疲労回復。そのあとは、あっという間に大栄インター。東関道の下りに入り、大栄パーキングを横眼で眺めながら、というのも、いざといときには、ここで車中泊しようという腹だ、帰りに寄ってみよう。

東関道大栄で降りた。料金は\3800ほど。自宅からここまで約120キロ、所要時間は二時間。その後はナビに導かれ、東総有料道路に入る。まったくの貸し切り状態、前後に車なし!有料道路だというのだが料金所もなく、気分良く一般道に入る。

地方の県道なのか国道なのか、ほとんどノンストップ状態で旭市の市街地。ここはさすがに、郊外型の大型店が両側にびっしり。ヤマダ、ニトリ、イオンモールなどなど。大きな交差点を右折すると、また貸し切り状態。あっという間に飯岡灯台に着いた。十二時を少し回っていた。総距離160キロ、三時間の行程。あまり疲れていない。気を張っているせいかな?

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2020

06/24

Wed.

10:54:12

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

<灯台紀行・旅日誌>#4
そこで、再び脳裏に浮かび上がってきたのは、灯台巡り、全国の有名な灯台を撮りに行くという計画だった。この計画は、父親を看取った後に思いついたもので、そのために車を買い替え、実際、原発近くの御前崎ルートインに連泊し、御前崎灯台、掛川灯台、清水灯台などを撮影した。そして三泊四日の旅の帰りは、高速を約280キロ走って一気に帰って来た。もっとも、新しい車に慣れていないということもあり、かなり疲れた。思い出すだけでも、帰路の運転はうんざりだ。

…ま、そんなこともあったのだ。その当時は、旅に行くたびに、ニャンコの世話を誰かに頼まなければならず、それのみか、ニャンコのことが気になってしようがない。さっと用を済ませて、なるべく早く帰ってきたかった、というのが偽らざる本音だ。

それに、そのあともいろいろあって、灯台旅の熱はいったんさめ、ほとんど忘れかけていた。それが今になって再燃したのには、次のような理由がある。

先日、ユーチューブに<荒川写真紀行2018>というスライドショーをアップした。エリックサティーのジムノペディを延々、といっても30分ほどだが、繰り返し流しながら、背景に自分の写真を映し出すという趣向だ。

<荒川写真紀行>の写真は、雲と空と、川の流れなどが主題になっていて、ほぼ三か月間、晴れた日には必ず川に出て撮影したもんだ。その何というか、写真たちとサティが、自分で言うのもなんだが、よくマッチしていて、かなり満足している。

ちなみに、サティを繰り返し流すという趣向は、若かりし頃、影響を受けた太田省吾という演出家が<水の駅>という作品で使っている。当時は、ちょっとルール違反じゃないの、とやや懐疑的だったが、四十年ほどたった今でも、その舞台が脳裏に焼き付いている。やはり、感動していたのだと思う。

太田さんは、たしか六十台で亡くなってしまい、主宰していた前衛劇団<転形劇場>も、ほぼ忘却の彼方だ。だからパクってもいいのか、というわけでもないが、自分が若かりし頃、唯一、入ろうかなと思った劇団の、尊敬する演出家へのオマージュ、ということにして、勘弁してもらおう。

あ~、話がずいぶん脇にそれた。五月二十七日水曜日、旅の当日は六時に目が覚めた。さっと起きて軽く食事。そのあと、なんやかんや、いろいろやって、たとえば、家中のコンセントを全部抜いたり、持ち物表をチェックしたりで、ぐずぐずしてしまい、家を出たのは八時すぎだった。

ニャンコを火葬にしたあとは、ベッドの背もたれの上に、白い骨壺を置いて、時々声をかけたりしながら、じっとコロナ騒動が収まるのを待っていた。足止めを食らっていたのだ。五月中は無理だろうと思っていたが、急に政府の<緊急事態宣言>が解除された。といっても、他県への移動はどういうわけか<自粛>。だがもう我慢の限界を超えていた。ちょうど、木・金と千葉県銚子方面には、晴れマークがついている。ほぼ衝動的に飯岡灯台近くの宿を三泊予約してしまった。

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2020

06/22

Mon.

10:22:18

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

<灯台紀行・旅日誌>2020#3
出発の日
2020/05/27(水)くもり。
とうとうこの日が来た。およそ十五年間一緒に暮らしたニャンコ・べビちゃんを看取ってから約二か月弱、新しいプロジェクトが始まる。名付けて<日本灯台紀行>。また、大きくでたもんだ!!!

重度の慢性腎不全、多臓器不全を起こしている、もう助からないだろうという、ニャンコの約一か月の介護。そして最後の二日間は、それこそ、死ぬ苦しみを味わわせてしまった。絶命時、ニャンと短く鳴いて、息を引き取った。

苦しませてしまったという後悔、それに伴う罪悪感。深い悲しみ、気持ちが沈んだ。何十年かぶりに涙がこぼれた。だが、底の底まで気持ちが落ちたとき、このままではだめだ、という心の声が聞こえた。その声に励まされて旅の準備を始めた。

はじめは、九州の筑豊など、炭鉱跡をめぐり歩く旅を思いついた。かなり綿密に調べ上げ、日程表まで組んだ。例えば、九州国際空港に午後遅く到着して、その日は、近くの東横インに泊り、翌日、近くのニッポンレンタカーで車を借りる。そのあとは、田川、飯塚、直方の炭鉱遺構や記念館を三日かけてゆっくり回る。旅の後半は、大牟田・三池炭鉱跡を見て、佐賀国際空港から帰宅の途につく、というものだ。

グーグルマップでシュミレーション走行したり、炭鉱の歴史をネットで調べたりして、ニャンの辛い介護の日々を耐え忍び、この先訪れるであろう大きな悲しみ、べビちゃんの死を乗り越えようとした。

ところが、大方、旅のプラン、イメージが固まったところで、これが人生最後の、自分のやりたかったことなのか、とふと思った。
何か、ちがうような気がした。無理して頑張っているようなのだ。むろん、そういうことも必要だろう。だが、もういいではないか、自分を許す方向へと気持ちが流れていった。

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2020

06/19

Fri.

10:50:06

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

<灯台紀行・旅日誌>2020#2
2020/03/26十七時。
衝動的に、機内持ち込みのカメラバックを買ってしまった。アマゾンで、ロープロフォトストリームRL150という品物、定価よりもかなり安くなっていた。約二万円ほど。

はじめは、ふつうのキャスター付きのスーツケースを物色していた。値段的には、安いのは\5000、高級なのは\50000以上するのもある。そんなもんは~いらない。かといって、あまりに安い物もいかがなものか。いちおうブランド的に<ACE>とか<無印良品>とか調べてみた。ま、\20000も出せば、いい物が手に入りそうだ。

と、ここで考えた。今回の旅でスーツケースに入れていく物は何か、パソコン、カメラなどだ。要するに、重いもの、壊れ物で、バックパックに入れて行くには心もとないのだ。もっとも、今思い出したが、2015年の沖縄旅では、カメラをバックパックの中に入れて行った。あのときは、三泊四日で、衣類も少なかったし、三脚も持って行かなかった。だが、今回は、旅の期間も長いし、そういうわけにもいくまい。

機内持ち込み用スーツケースとバックパック、それにポーチといういで立ちをイメージした。要するに、キャスター付きスーツケースは必須と考えた。が、待てよ、それなら、カメラバックでいいわけで、検索したら、そういう物が\20000程度である。普通のスーツケースの中にカメラを入れて持ち運ぶより、こっちの方がより安全だ。というわけで、ま、衝動買いだな。

・・・昨日などは、夜遅くまで、福岡県について調べていた。観光スポットでは、平尾台というカースト台地が面白そうだ。あとは筑後川昇開橋、門司港レトロ、福岡観光では屋台ラーメン、それに飯塚・田川・直方などの筑豊炭田の遺構探索などがメインになりそうだ。この後、さらに海岸沿いの風景や灯台についても調べてみるつもりだ。

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2020

06/18

Thu.

21:53:02

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

灯台紀行・旅日誌2020#1
プロローグ
2020/03/24.十三時
おそらく、これが最後のひとり旅になるだろう。というのも、あと五年か十年経てば、体力的にも精神的にも、車を運転しての長旅は無理っぽいからだ。いや、わからんけどね。

直接のきっかけは、十五年くらい一緒に暮らしてきたニャンコが、慢性腎不全でいよいよ危なくなってきて、死んでしまう日が迫ってきたことだ。いわゆる<ペットロス>。悲しいことだが、寿命ということか。

・・・旅のことを考えている。このパソコンが使い物になるのか?撮った写真を見ること、日誌をつけること、それにネット検索で情報を得ること。旅中は、おおよそ、この三つだろう。

午後四時、安比奈運動公園・中央駐車場。車中泊のシュミレーション。小一時間、車の中で横になる。今日は比較的快適だった。リアウィンドを少し開け、耳栓、これでだいぶいい。途中、暑くなりエアコンをつける。持参した少し長い棒でブレーキペダルを押し、運転席に身を乗り出しては、指で始動ボタンを押してエンジンをかけた。横着な、楽なことを考えたわけだ。ま、これなら、高速パーキングでの仮眠もいけそうだ。

今日は、不都合が二つ見つかった。ひとつはナビ、2015年版になっていて、圏央道がまだ完成していない。ホンダに問い合わせたら、\22000ほどで更新できるようだ。ただし、時期的に今やるよりは、11月のほうがいい、というわけで、保留。よくよく考えたら、新しい地図も買ったし、古いナビと併用すれば、何とかなるような気がする。更新する必要性もないなと思い直す。

二つ目は、車内ではティファールが使えない。パソコンはちゃんと充電されるのに、なぜかだめだ。自宅の駐車場でもう一度試してみる。例えば、延長コードを使ってみて。…アンペアが絶対的に足りないから使えない、ということがネット検索ですぐに判明。やっぱ、カセットコンロとケトルだな。あと、チェアとテーブルは、グッド。洗面などもしてみたが、こちらもグッド。問題はない。車内での緊急おしっこは、ちょうどいいのがあった。口広のジュース缶で決まりだ。

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