此岸からの風景
<日本灯台紀行 旅日誌>オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです
2023
06/07
Wed.
10:10:56
<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版
Category【灯台紀行 紀伊半島編】

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編
#5 四日目(1) 2021年3月23(火)
樫野埼灯台撮影1
紀伊半島旅、四日目の朝は、半島の先端、串本町の駅前ビジネスホテルで目を覚ました。
<6時前後に目がさめる 1、2時間おきにトイレ ひと晩中眠りが浅い>。さてと、昨日は<(夜の)7:00 引き上げ 途中ファミマで夕食調達 7:30 ホテル着 ざっと風呂 食事 日誌 9:15 このあとモニターしてねる>。要するに、記述する事柄はほとんどなかったようだ。先に進もう。
<6時半起床 朝の支度 朝食・パン 赤飯にぎり 牛乳など ウンコはでない 7時半出発 樫野埼灯台(へ向かう) 30分くらいかかる。駐車場からけっこう歩く。疲労を感じる。灯台はおもった通り ほとんど撮影ポイントがない。360度周囲を歩く>。
<帰り(戻り)道 トルコ(の)みやげ物屋による 絵皿を見ていると 奥から主人がでてくる。大きなもので1万以上 中ぐらいのものでも7、8千円する。きれいな色合いが、なんだかふ(腑)におちない 主人に製作(方法)などを聞く 答えはあいまいな感じ 値段のことを言うと つぎたし(継ぎ足し)た皿なら2000円ほどだと見せてくれたが、そもそも商品ではないだろう ていよくことわり(店を)出る それにしても朝から徒労。トルコの海難事故とか 天皇が見にきたとか そんなことはどうでもいいのだ>(そのようなことにはさほど関心がないのだ、と読み換えていただきたい)。
<灯台は個性的な形(をしていた) なんと形容していいのかわからない>。まったくもって、情景描写は苦手だ。だが、撮った写真がある。それを参考にして、この時の撮影情況を多少なりとも思い出してみよう。
立派な橋(串本大橋)を通過して、島(紀伊大島)に渡った。大きな島で、森の中をかなり走った。その行き止まりに、駐車場がある。トイレやちょっとしたカフェもあり、定期バスの停留所もあった。駐車場の先は、車両進入禁止の道路で、カメラを一台、肩から斜め掛けして、ぶらぶら歩きだした。たしか軽い方のカメラだったと思う、望遠カメラも三脚も必要ない、と事前の下調べで判断していた。
広々した道の両側には、大きな碑や土産物店が点在していた。そうだ、たしか、桜の木があって、満開だった。道の行きつくところは、広い芝生広場になっていて、二百メートル位先に<樫野埼灯台>が見えた。見えたと言っても、灯台の敷地は背丈ほどの塀にがっちり囲まれている。灯台の頭が少し見えた程度だ。
芝生広場の入口左側にトイレがあった。たしか、大きな案内板もあった。念のために用を足す。というか、公衆トイレを見ると、尿意がなくても、なんとなく入ってしまう。いわば、ワンちゃんの<マーキング>に似ていないこともない。
灯台へと続く、この芝生広場の小道の両側にも、碑や銅像などが点在していた。観光地の雰囲気だな、と思った。ま、いい。目指す灯台は、すぐ目の前だ。灯台の敷地の前で立ち止まった。<樫野埼灯台>と墨守された大きな木の表札?が、門柱の左側にかかっていた。
敷地に足を踏み入れると、右側にガラス張りの資料館のような建物があった。係員の姿は見えず、建物には入れない。ということは、敷地内は入場無料ということだな。向き直ると、思った通り、というか下調べしたとおり、ロケーションが非常に悪い。二階建てくらいの高さの灯台だが、手前左側には大きな木があり、右側には案内板がある。灯台の全景を撮るとすれば、この樹木と案内板が、どうしても画面に入ってしまう。右に振っても、左に振っても、敷地が狭いので、いかんともしがたい。
それに、灯台の左横に、かなり大きな、筒状の螺旋階段が併設されている。灯台の首のあたりまで登れるようだが、こんなに大きな構造物を灯台の横にわざわざ作って、歴史的にも価値のある、美しい灯台の景観を台無しにしている。
とはいえ、登れるのなら登ってみよう。タダだしね。高い所に登りたいのは、自分だけでもあるまい。鉄製の白い螺旋階段を登る。たしかに、見晴らしがいい。観光客にとっては、日本最古の石造り灯台より、太平洋を一望できるこの光景の方が<ごちそう>だろう。気分がいい。
眼下、右手下には、資料館の黒っぽい瓦屋根が見える。瓦の継ぎ目がところどころ白い漆喰?で補修されているのだろうか。いま写真で見ると、その補修跡が幾何学模様になっている。屋根のデザインだったのか?ともかく、なぜか<沖縄の民家>を想起した。<南国>を感じた。さらに、視線を飛ばすと、遥か彼方に岬があって、あっちからもこっちが見えるような位置取りだ。なるほど、あそこが<海金剛>だな。右側面から、樫野埼灯台の全貌が見える唯一の場所だ。下調べで見つけた景勝地で、この後、当然ながら、寄ることになっている。
その前に、いちおう、灯台の周りを360度回ってみた。海側の塀の前には、一つ二つ、崩れかかった木のベンチ置いてあった。灯台は、かろうじて画面におさまるものの、新緑の低木などに邪魔され、ほとんど写真にならない。要するに、この灯台は、前からも後ろからも、むろん左右からも、写真はあきまへん!
灯台の敷地を出た。今一度、門柱の<樫野埼灯台>の表札を見た。その表札を画面左にいれて、敷地の奥にちらっと見える灯台を撮った。灯台写真というよりは、記念写真だね。それから、念のために、塀の外回りを歩いた。樹木が繁茂していて、鉄柵のある断崖からは、ほとんど何も見えなかった。
ただ、西側からは、塀越しに灯台が多少見える。海も少し見える。とはいえ、このアングルだと、灯台よりは、塀の方が主役になってしまう。黒ずんだ、長方形の大きな石を積み上げた塀は、その重厚さ、堅牢さにより、<時代>を<昔>を強く感じさせる。存在感がある。写真を撮り始めた。位置取りを変え、かなりしつこく撮った。ま、絵になる構図だったのだ。
無駄足だったな。駐車場までの長い道を、たらたら歩いて戻った。途中、ひやかしで、トルコの土産物屋に寄ったり、銅像に近づいて、案内板に目をやったりした。やや観光気分だった。
駐車場のトイレで用を足して、車に乗り込んだ。すぐそばの定期バスの停留所に、若い女性がいた。サングラス越しにちらっと見たような気もする。ナビの画面で一応は確認して、<海金剛>へ向かった。分かれ道に案内板があり、すぐに着いた。途中、道の両側に民家並んでいたが、人の姿はなかった。多少広めの駐車場で、トイレがあり、資料館(日米修好資料館)のような建物が正面にあった。
樹木が覆いかぶさった、アーケード状の遊歩道をぷらぷら行くと、海側に凹んだ、人一人が展望できるようなスペースがあった。三脚を担いだまま、二、三歩、踏み込んだ。下は断崖絶壁だが、柵があるので安全だ。なるほど、ここの海景は素晴らしい。三角形の岩が、いくつも海から突き出ている。あとで撮りに来よう。この時は、一枚だけ撮って、遊歩道に戻った。
さらに少し行くと、視界が開けた。展望スペースらしき場所に出た。一段高くなったところには東屋もあった。ちなみに、遊歩道に覆いかぶさっていた樹木は椿だ。一、二輪咲いていたので、あっと思ってよくみると、幹がすべすべだ。椿のアーチとはオツなものだ。帰りに何枚か写真を撮った。
さてと、展望スペースからは、遥か彼方、岬の先端に<樫野埼灯台>が豆粒くらいに見えた。望遠カメラを持ってきたから、早速、断崖際の柵沿いに三脚を立てて撮り始めた。明かりの状態もまずまず、素晴らしい展望である。が、いかんせん、距離がありすぎる。400ミリの望遠では、勝負にならない。
ま、それでも、柵沿いに移動しながら、ベストのアングルを探しながら撮っていた。だが、ここにも観光客だ。見晴らしのいい柵沿いの展望スペースは、ほんの七、八メートルしかない。夫婦連れが、自分のすぐ隣にまで来て、そこをどかんかい!といった雰囲気だ。遠慮という概念を持ち合わせていないらしい。
となれば、移動せざるを得まい。先ほどちょっと寄った、遊歩道沿いの、極小の展望スペースへ移動して、観光客をやり過ごした。だがしかし、そのあとも、観光客が入れ替わり立ち代わりやって来る。そのたびに、重い三脚を担いで、極小展望スペースへ退避したり、後ろの東屋のあたりへ行って、反対側の海景などを眺めたりした。
天気はいいし、明かりの具合もいい。最高の海景だった。だが、肝心要の、灯台写真が撮れたような気はしなかった。あまりにも遠い。樫野埼灯台が小さすぎる。デジカメの800mm超望遠でも撮ったが、解像度が粗くて、写真にならない。あきらめきれない。明日、もう一度来てみよう、と折り合いをつけた。まったくもって、きりもない話だ。
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2023
05/31
Wed.
17:46:44
<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版
Category【灯台紀行 紀伊半島編】

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編
#4 三日目(2) 2021年3月22(月)
メモ書きの説明
紀伊半島旅、三日目の午後から夜にかけてのメモ書きに、少し説明を加えた。
梶取岬灯台の撮影を終えて、岬を下りた。途中で<落合博満・野球記念館>の案内板がまた目に入った。なぜこんなところに?と今度は思った。 いま調べると、ここ和歌山県太地町は、落合博満の故郷らしい。なるほど!
長い坂を下り切ると、右手に、閑散とした漁港がある。ハンドルを右に切って、中に入る。広々とした係船岸壁に車を止めた。坂の途中から見えた、赤い防波堤灯台が、すぐ近くに見える。だが、手前の高い岸壁に邪魔されて、写真にならない。
周りを見回すと、沖の方に小島があり、そこに何やら小さな灯台が立っている。さらに目を細めると、はるか沖合にも、同じような小島があり、その上にも、同じような形の灯台が立っている。400ミリ望遠では勝負にならない。ポーチにくっ付けているデジカメを構えて、光学800ミリズームで見てみた。たしかに灯台だ。ま、言ってみれば、ミニ灯台だ。それも二つも。長閑な海景に心が和んだ。
で、この光景をもう少しちゃんと写真に撮っておきたいと思い、場所を移動した。要するに、多少なりとも高い位置からがよろしいのではないか。漁港を出て、少し坂を上り、道路際の駐車スペースに車を入れた。外に出て、重い400ミリ望遠カメラを肩に掛け、えっちらおっちら、坂を登り始めた。車で上がった時は、坂の傾斜など全然気にならなかった。だが、いざ自分の足で登るとなると、この坂はかなり急だ。それに長い。
要するに、平場の漁港から、岬の上へと上がる坂だ。半分くらい登って、息が切れた。もういいだろう。海側には歩道がないので、崖際のガードレールに体を寄せて安全を確保した。そして、海を見た。お~、いい景色!小島のミニ灯台もちゃんと見える。ただ、距離があるだけに、写真的には、なかなか難しい。
新兵器?のデジカメの光学1600ミリズームでも撮ってもみた。だがこれは、解像度があらすぎて、モノにならないことが、帰宅後にわかった。でもこの時は、なんとなく撮れたような気がしていて、六万円で買ったデジカメが役にたった、と気分良く坂を下りた。そうそう、この坂の山側には歩道があり、車を気にすることなくゆっくり歩けるのだ。ぶらぶら行くと、歩道上に鯨がデザインされたマンホールがあった。立ち止まって、つくづく見た。<ご当地マンホール>だな。面白いと思った。
<1:30 このまま 串本町のホテルへ行くか それとも もう一度 梶取灯台を撮って そのまま潮岬灯台の夜の撮影に入るか迷う とにかく まだ時間はある 梶取は二回目 さして時間はかかるまい ということで梶取へ行く 明かりの様子がさきほどとは全然違う 撮りにきてよかった>。
付け加えることがあるとすれば、午前中に比べて、観光客や、犬の散歩をする人が目に付く。次から次へとなので、画面に入り込んでしまう。だが、これはいつものことで、致し方ない。頓着せずに撮った。あとは、きれいに刈り込まれた芝生の上に、大量の糞が、一塊ずつ、ところどころにあった。黒くてコロコロしていたから、これはヤギとか羊とかのものだろう。しかし、辺りに、そうした動物の姿は見えない。意味が分からなかった。
が、そのうち、どこからともなく作業服を着たおじさんが現れて、箒と塵取りを使って、糞をきれいに取り除いていた。今思えば、この公園に隣接するホテルのような、老人ホームのような、きれいな建物と関係があるのかもしれない。そこで飼っている動物を散歩させに来た、ということかな、となると、作業服のおじさんは、その施設の従業員なのか、いや、あの作業服は町役場の臨時職員のようでもあった。ますます訳が分からない。
だが、とにもかくにも、この灯台は、よく整備された、見通しのいい、素晴らしい場所であることに変わりはない。天気もいいし、桜もちらほら咲いていたし、立ち寄ったことに、十分満足していた。
<3:00 いちおう潮岬灯台へ向かう が 途中で気が変わって ビジネスホテルに荷物をおき 撮影に行くことにした なにしろ ホテルは灯台へ行く前に 目の前を通るのだ>。メモ書きの最後のほうが、日本語として成立していない。ようするに、ホテルは灯台へ向かう途中にあるので、寄ったとしても時間的に問題はない、という意味だ。
<3:30 ホテル着 チェックインして 荷物を部屋にはこぶ 受付の女性の応対はよい 自分より一回りくらい若いだろうか やや四角張った面立ち 美しいタイプ 自分の好みかもしれない ま そんなことはいい>。JR串本駅近くの、場末のアパートのような、このビジネスホテルについては、あとで記述することにして、先に進もう。
<3:45 灯台までは15分 (灯台付近はマップ)シュミレーション済みなので (迷わず)有料駐車場に入り ¥300払う 夜おそくまで置いておくが大丈夫かと聞く 耳が遠いいのか 二回ほど聞き返される 75歳(くらいの)後期高齢者のじいさん(だった)>。潮岬灯台の根本に到達するには、ここに車を止めて、小道を百メートルほど歩くようだ。ただし、敷地が狭いので、写真的には難しいだろう、と調べはついている。それに、今日のところは、灯台に夕陽を絡めて撮るつもりなので、灯台には背を向け、道路を歩いて、東側の見晴らしスポットへ直接向かった。
<4:00 撮影開始・・・>。この見晴らしスポットは、正式には<和歌山県朝日夕陽百選(潮岬)>と言って、夕陽が見える観光名所だ。道路際に位置していて、断崖際には柵がちゃんと設置してある。海と灯台に向かって、木製のベンチがいくつかあり、先端の方には小さな東屋が立っている。道の向かい側にはホテルなどが見える。
<陽はまだ高い ゆっくり(撮影)ポジションなどをさぐる 五時すぎても陽が高い 五時半ようやく陽が傾きはじめる と いきなりバイクの音 じじいが三脚をうしろにくっつけて写真を撮りにきたようだ 一瞬 あいさつして 夕日の落ちるポジションを聞こうとおもった だがやめた 白髪の意地の悪そうなじじいだ>。
<そのうち ミケ(猫)がどこからともなくあらわれる 人になれていないようで 近づくと逃げていった すこしたって ベンチに座っていると ミケが目の前を走りぬけていった 道路のむこうに民家がある そこでかわれているのだろう>。
<じじいの友達がきた 大きな声でしゃべりはじめた 6:00 もうひとり じじいの知り合いがきた。要するに 夕陽を撮りにくるのが日課なのだろう 6:15 水平線近くに雲があり日没は(見え)ない じじたちは帰っていった そのあとのブルーアワーもたいしたことなかった 灯台の光線 あかりが見えはじめる7:00頃までねばる 寒い 防寒対策は十分にしてきた ただしダウンパーカでなく ダウンベストを持ってきてしまった それでも十分あたたかかった>。
見晴らしスポットには街灯がない。すでに真っ暗だ。写真も、十二分に撮ったし、引き上げよう。額につけたヘッドランプの明かりを頼りに、滑らないように、転ばないように、慎重に歩いて、道路に出た。そのままガードレールに沿って少し歩いて、駐車場に着いた。広い駐車場には、自分の車しか止まっていなかった。料金徴収の小屋も無人だった。
朝っぱら動き回っていたわりには、疲れてもいなかったし、なぜか、さほど腹も空いていなかった。途中で、何か食べたのだろうが、今となっては思い出せない。あたりはうす暗く、人の気配もない。だが、どことなく腹がすわった感じだ。怖くもなく、寂しくもなかった。いわば、平常心だ。いや、限り無く<自由>だったのかもしれない。
追
読み直してみると、夕暮れの潮岬灯台の撮影をしていながら、その記述がほとんどない。肝心なものが抜けていませんか?おそらく理由はこうだ。<肝心な物=灯台>は、写真に山ほど撮ったわけで、記述する必要性を感じていない。どのような位置取りで、どのようなカメラ操作をして撮ったか、そんなことは、今となっては、思い出すのも、記述するのも億劫だ。百歩譲って、写真の勉強、写真の腕をあげるという意味では、<記述>も多少役に立つかもしれない。だが、最近はその情熱も下火になっている。
もう一つは、灯台撮影時の文学的記述だ。これは、<旅日誌>の執筆当初から、かなり頑張って挑戦してきた事柄だ。だが、苦労が多い割には、たいして面白くならない。風景描写や情景描写、さらには、内面心理の動きや感情の色彩を記述することは、自分にとっては、かなり難しい。至難の業、といってもいい。ありていに言って、小説家のようには書けない。ま、書けたら面白いだろうなとは思うが、目指すところはではない。穴をまくってしまったわけだ。
もっとも、撮影記録にしても、文学的記述にしても、衒いなくすらすら書ければ、書くことにやぶさかではない。だが、脳髄から絞り出さねばならない情況では、やはり、シカとして通り過ぎたほうがいいだろう。でっちあげた文章ほど、胸糞悪い物はない。・・・最後の文章は削除したほうがいい。<あのブドウは酸っぱい>。自己正当化の、最たるものだ!
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2023
05/22
Mon.
08:14:40
<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版
Category【灯台紀行 紀伊半島編】

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編
#3 三日目(1) 2021年3月22(月)
梶取埼灯台 撮影(1)
紀伊半島旅、三日目の朝は、津市内の、大手ビジネスホテルの部屋で目が覚めた。<5:45 起床 昨晩もほぼ一、二時間おきにおきにトイレ 眠りが浅い>。<>=山カッコ内は、メモ書きからの転用なので、いちおうは事実なのだろう。事実というものが、この世に存在するとしての話だが。
さてと、<6:45 朝食 二階の食堂 バイキング形式 ビニール手袋でトングをつかむ さほど混雑もなく 気分よく自室に戻る 便は出ない>。この大手ビジネスホテルは、朝食バイキングがウリで、何回か利用している。仕事とか出張できている人が多くて、ほとんどは作業着の男たちだ。観光客は少ない。雰囲気的には、ま、好きな方だ。
<7:30 出発 車庫から出る時 左側の(路駐している)車に視界をさえぎられ 車が来るのがわからなかった あわやぶつかる所だった でかいランクルで 狭い道なのにスピードを出しすぎ ヒヤッとする>。自分の不注意よりも、路駐の車とランクルにイラっとした覚えがある。ランクルに乗っている奴にロクな奴はいない。ま、これも、偏見であることに間違いない。
県庁などが見える大通りを抜けて、<津>インターへ向かう。そうか、三重県の県庁所在地は<津>だったのか!どうでもいいことに感心しながら、高速に入る。<伊勢道―紀勢道―有料道路>と乗り継いで、熊野市からは一般道に入り、さらに、新宮、那智勝浦方面へと向かう。
途中、きれいな<道の駅>のようなところに寄り、トイレ休憩。ついでに、那智黒石の招き猫を買う。大きさ的には、大中小とあったが、ケチって一番小さいものにした。ま、これは亡きニャンコへのお土産だな。あとは、般若心経が胸に印刷されている黒のTシャツを買った。こっちは、そのうちまた四国巡礼をするときに着るつもりだ。場所柄的に、熊野、新宮、那智とくれば、いまだに山岳信仰のメッカで、自分にも、多少の信仰心が蘇ったのかもしれない。
まあ~、一種の衝動買いだな。ちなみに、般若心経の黒Tシャツは、帰宅後すぐに袖を通した。まったく似合っていなかった。むしろ、悪趣味だ。はたして、これを着て、四国の札所を巡る日が来るものなのか、いまのところ定かではない。
熊野古道にも那智の滝にも寄らず、結局は、バカげた妄想の中を漂いながら<ほぼ予定通り、11:30頃に梶取埼(かんとりさき)灯台に着く>。港(太地漁港)を左手に見ながら、急な坂を上り、ナビの案内に従い、うねうね行くと、行き止まりに小さな駐車場があった。
梶取埼灯台は、きれいに手入れされた公園の中にあった。緑の芝生はきっちり刈りこまれ、驚いたことに、二、三本、桜が咲いている。灯台に桜、これは、めったに見られる光景ではあるまい。そばにあったトイレで用を足し、気分良く、撮影開始だ。
そう、距離的には100メートルほどだろうか、真正面に灯台があり、背後には海が見える。灯台の右側は多少広くなっているので、横からも撮れる感じだ。歩き出すと、すぐ右手に大きなクジラが鎮座している。<鯨供養碑>。いちおう記念写真だ。そういえば、さきほど入ったこぎれいなトイレの前にも、捕鯨を主題にした大きなレリーフがあった。それに、灯台のてっぺんの<風見鶏>が、<風見鯨>になっている。これは面白い。
後々になって、気づいたのだけど、ここ太地町は、昔から捕鯨が盛んな土地で、最近では、イルカの追い込み漁が問題になり、反対派などが押しかけ、ひと騒動あったところだ。そんなこととはつゆ知らず、灯台巡りの道すがら、通り道にロケーションのいい灯台があるので、たまたま寄ったまでだ。なんとも脳天気な話だ。
自然保護や環境保護、捕鯨やイルカ追い込み漁については、あまりに問題が大きくて複雑なので、ここでは、ノーコメントとしたい。賛成、反対、どちらの人たちも、いわば体を張って闘っているわけで、部外者が、ちょろっと無責任な発言をするような問題じゃない。それが良識というものだろう。いや、良識もヘチマもない。ここは黙って、通り過ぎよう。
…いつものように、撮り歩きしながら灯台に近づいていった。さほど巨大な灯台ではないが、これまでに見たことのない、ちょっと変わった形をしていた。というのは、頭というか顔というか、とにかくてっぺんの方に、海の方へ突き出たベランダがあり、そのベランダの先端部には大きなレンズが設置してあった。つまり、この灯台は、海を照らすレンズを二つ持っているのだ。
その時は、わけがわからなかったが、今調べると、それは、<梶取埼ナミノリ礁照射灯>という、ほとんど読めないような名称だが、要するに、付近の岩礁を照らして、船舶の安全航行に寄与している、ま、灯台のような機能を持つ設備だった。<灯台>に<照射灯>が併設さている結果、いわゆる、一般的な灯台の形が変則的になっている。変った形、いや、個性的な形になっている、と言い換えておこう。
それと、灯台付近にはソテツ?のような植物があって、南国ムードが漂っている。思えば、三月にしては、かなり暖かくて、快適だった。和歌山といえば、すぐに紀州みかんを連想するのは、かなり貧しい想像力と言わねばなるまいが、温暖な気候であることに間違いはない。
灯台の根本に到着した。登れる灯台ではないので、回りをぐるっと歩きながら、かなりの仰角で写真を撮った。もっとも、東側は、ほとんど<引き>がないので、撮らなかった。いずれにしても、近すぎて写真としてはモノにはならない。
と、何やら案内板だ。なになに、と読む前に、まず写真を撮った。あとでゆっくり読めばいい。要するに、さらに海に突き出ている一段低くなった岬の先端部に、鯨を捕っていた頃の<狼煙場>があるようだ。好奇心を多少刺激され、加えて、灯台を海側から撮れるので、ここは行くしかあるまい。
たしか、階段状の小道を十段くらい降りて、また登った。と、両脇が木立になり視界がなくなる。したがって、灯台を、海側から撮る位置取りとしては、小道を少し登ったあたりがよい。梶取埼灯台の全景が見える。ただし背景は空、右側に、少しだけ断崖と海が見える。この時はここで引き返した。<狼煙場>よりも来るときに見かけた漁港の防波堤灯台が気になっていたのだ。
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2023
05/08
Mon.
17:55:12
<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版
Category【灯台紀行 紀伊半島編】

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編
#2 二日目 2021年3月21(日)
時間調整
2021年3月21日、日曜日。昨晩は、慣れない車中泊で、ほとんど熟睡できなかった。それにしても、真夜中の断続的な野太いエンジン音と爆音が、想定外だった。どこの誰だか知らないが、忌々しい感じがした。
朝の6時過ぎには目が覚めていた。だが、もう少し寝ていようと思った。何しろ今日は小一時間走って、午後の3時過ぎに<津>インター近くのホテルにチェックインするだけだ。
日除けシェードの隙間から外を見ると、まだ薄暗くて、土砂降りだ。午後の3時まで、どこで暇をつぶすかな?雨だし、写真も無理だろう。もっとも、<津>付近の灯台などは調べていなかった。というのも、当初の計画では、<津>インター付近のホテルに夕方着き、一泊して、翌朝すぐに移動を開始するつもりだったからだ。
雨音や車の出入りの音、人の声などを聞くともなく聞きながら、小一時間、横になったまま、寝ているでもなく、起きているでもなく、なんとも中途半端な、しかし、なぜか懐かしい、平安な時の流れに身をゆだねていた。
<津>か~~?海が近いし、港がある筈だ。港があれば、そこには必ず灯台がある。雨降りだから、写真は撮れないまでも、海岸縁でぼうっとしているのも一興だな。だんだんと意識がはっきりしてきた。
7時半に起きた。車内で朝の支度をした。細かくは、書かない。まずおしっこ缶に排尿。これですべての缶が満杯になった。次に、ブラシで髪をとかし、洗面桶に少し水を入れ、手ですくって、顔を何度か洗った。さらに、口に少し水を含み、歯磨き粉をつけない歯ブラシで、歯を磨いた。そのあと、口の中にある水を、洗面桶に、ぺっと吐き出した。朝食は、昨日買っておいた牛乳と赤飯おにぎり、それに菓子パンだ。まったく食欲がなく、しかも、赤飯握りは、バサバサで食えたもんじゃない。半分残した。
そのうち、かすかな便意を感じ、トイレに行きたいような気がしてきた。だが、外は土砂降り。濡れネズミはごめんだな。とたんに、便意が消えてしまった。そうだ、<津>付近の灯台だ。ナビで調べてみた。あ~、<贄埼灯台>。漢字が読めないので、名前がわからない。とはいえ、ネットの<灯台サイト>で何度か目にした名前だ。ま、行ってみるか。
午前9時前、雨の中、鈴鹿パーキングを出発。やっぱり、この歳になって、車中泊なんて無理だよな。とはいえ、無理なことがわかったわけで、後悔はなかった。
<津>の市街地を通り抜け、ナビの案内に従った。ものの一時間もたたないうちに、現地に着いた。<贄埼=にえさき灯台>は、通行禁止の防潮堤の終点に立っていた。ま、<通行禁止>ではあるが、車が通れる。しかも、都合がいいことに、終点に車一台分くらいの駐車スペースがある。念のため、防潮堤の上で、何度か切り返して、車の向きを変えておいた。すぐに逃げられるように、だ!
外に出た。<残念>が二つ重なった。ひとつ目は雨。土砂降りではないものの、降っている。車に常備している大きめのバスタオルでカメラを保護した。頭は、パーカのフードをかぶった。これで撮影できないこともない。だが、ふたつ目の残念だ。灯台は小ぶりながら、石垣の上にのっかっていて、昔の木製の<灯明台>のような形をしている。造形的に面白い。ただし、ロケーションが最低。うしろは民家、そばに電柱と電線があり、緑色の網フェンスできっちり囲まれている。これでは、撮りようがないではないか。
防潮堤を下りた。そこは海岸ではなく、道路だった。目の前に大きな施設があり、高速船のような船が止まっている。なんなのかよくわからない。海沿いに大きな駐車場もあった。ちなみに、この施設は<津エアーポートライン>。対岸の愛知県<中部国際空港>との間を高速船で往復しているらしい。HPには、コロナでずっと休止していたが、19日から再開と書いてあった。
防潮堤の下の道路も、行き止まりで、Uターンするようになっていた。振り返って、灯台を見ると、今度は、反り返った防潮堤が目の前にど~んとある。写真にならん!だが、しつこく、防潮堤の先端まで行って、灯台の全体像を画面におさめた。と言っても、空は空白、電線が斜めにかかった灯台は、まったく絵にならない。石垣の上に立つ<灯明台>的なフォルムが面白いだけに、残念だと本気で思った。
雨は、依然として降っていた。だがまだ、かろうじて写真が撮れる状態だった。向き直って、海のほうを見ると、三角形の赤い防波堤灯台が見えた。近くに白い防波堤灯台も見えたが、こちらの方は、灯台の形を成してない。単なる白い鉄柱のような感じだった。この、雨に煙る名も無き小さな灯台たちを、写真に撮れたらなあ~、とちらっと思ったような気がする。バスタオルで、雨からカメラを保護しながら、何枚かは撮った。
雨足が少し強くなってきた。引き上げ時だ。車に戻った。まだ午前中の十時過ぎだった。昨晩の車中泊のせいだろう、眠気が差してきた。車を止めて、ゆっくり仮眠できる場所をナビで探した。近くに<ヨットハーバー>があり、海岸沿いに車を止められそうだ。行ってみるか。
来た道を、ぐるっと戻る感じで、川ひとつ渡り、海岸沿いの広い駐車場に着いた。車が数台止まっている。隣が<ヨットハーバー>だ。しずかな場所で、仮眠場所にはぴったしだ。窓にシェードを貼りつけ、後ろの仮眠スペースに滑り込んだ。持ち込んだ厚手の布団を一枚掛けたような気もする。暑くもなく寒くもない。横になった途端、眠ってしまったのだろう。目が覚めた時には、昼の十二時を過ぎていた。
頭がすっきりしていた。雨もやんでいた。外に出た。カメラを手にして、目の前にある防潮堤に近づいた。都合がいいことに、階段があり、砂浜におりられた。空も海も鉛色。風が強くて、波が荒い。
視界の左方向に、先ほど見えた三角の赤い防波堤灯台が見えた。距離があるので、ポシェットに括り付けているデジカメの超望遠などでも撮った。天気が悪く、そのうえ逆光気味だから、きれいには撮れない。記念写真にしかならない。それでも、しつこく撮っていたのは、きっと、いまいる場所、時間、気分などが気に入ったからだろう。意味もなく、ちょっと感傷的になっていたのかもしれない。
車に戻った。ホテルのチェックインまでには、まだ時間がある。再度、ナビを見て、付近に何かあるか探してみた。目と鼻の先に<海浜公園>がある。行ってみるか。防潮堤沿いの細い道を少し走ると、道沿いに、なにやら、それらしき場所があった。ただし、海に面しているわけでもなく、普通の駐車場だ。いったん中に入って、すぐにUターンした。
細い道をさらに行くと、なんとなく行き止まり。いや、右直角に道があり、防潮堤の上に出てしまった。防潮堤の上は、というか、正確には、防潮堤の下の道は、かなり広くて、海岸沿いに、ずっと伸びている。車は一台も止まっていない。いや、一台だけ黒いワンボックスカーが止まっていたな。看板があり、むろん、通行禁止だ。景色はいいが、ここに車を止めるわけにもいかないだろう。そのままバック、何回か切り返して戻った。
その後は、また先程のヨットハーバー隣の駐車場へ行って、二度目の昼寝をしたのだと思う。目が覚めた時には、雨は上がっていた。3時少し前だと思う。
・・・唐突だが、ここで言い訳をしておこう。というのは、今現在の日時は、2022年1月2日だ。どういうことなのか、要するに、この旅日誌は、昨年の春先、旅後に、ここまで書いて、放棄してしまったものなのだが、多少の時間が過ぎて、やはり完成させようと思いなおして、書き始めたものなのだ。
旅後の旅日誌の執筆を、灯台旅の約束事としていたにもかかわらず、あっさり反故にした理由は、今となっては、こまごま書くのも煩わしいが、苦労の多い割には実りの少ない駄文にすぎない、とある時確信したからであり、その結果、何かが書けていたように思っていた自分と駄文に嫌気がさしてしまったのだ。ま、ケツをまくったわけだ。
ところがだ、時間の経過とともに、気分も変わり、この<紀伊半島旅>と次の<出雲旅>の旅日誌の執筆は断念したものの、そのあとの<男鹿半島旅><網走旅>の旅日誌は、ちゃんと脱稿した。こうなると、ますます上記二つの旅日誌が書かれていないのが、気になる。整合性がないではないか!いや別に、そんなことはどうでもいいのだけど。
とにかく、気分的には、この二つの、<紀伊半島旅>と<出雲旅>の旅日誌を完成させたいという気持ちが強くなってきた。とはいえ、今更、その当時のことが、思い出せるのか?ま、やってみるしかないな。さいわい、メモ書きと撮った写真が残っている。それを頼りに、頭の中の暗闇を歩き始めてみよう。
・・・午後三時になった。ホテルにチェックインできる時間だ。ナビで見つけた<すき家>で夕食を調達して、幹線道路沿いの大きなビジネスホテルに入った。といっても、細かい事はもちろんのこと、断片的なイメージすら浮かんでこない。まあ、勘で書いていこう。すぐに<風呂、日誌、くつろぐ>。おそらく<牛丼>だろうが、どのタイミングで食べたかも、今となっては、忘却の彼方だ。
なにも、そんなことを思い出すために、苦労することはないだろう。だが、そうした事どもをないがしろにすると、そもそものところ、記述することが、なにもなくなってしまうかもしれない。ま、いい。<明日からの写真撮影 花粉症がひどい はなづまり すでに450キロ以上走っている>。いちおう、メモ書きは転記しておこう。
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2023
04/26
Wed.
14:11:06
<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版
Category【灯台紀行 紀伊半島編】

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編#1
#1 一日目2021-3-20
プロローグ~出発
2021年3月20日土曜日。午後9時。今いる場所は、新名神鈴鹿パーキングエリア。これから車中泊。外は土砂降り。なんで、こういうことになったのだろう。少し説明しておこう。
紀伊半島灯台巡りの実行を本気で考え始めたのは、3月に入ってからだった。当初は、新幹線・電車・レンタカーの旅を考えていた。何しろ、紀伊の国は遠い。500~600キロある。だが、依然として、年初からのコロナ感染による<緊急事態宣言>が解除されない。それに、寒いしな~。
とはいえ、月一回の灯台旅を心づもりしているのに、前回の旅からは、すでにまる3か月以上たっている。多少、うずうずしている。名古屋までの新幹線の時刻表や運賃、それに近鉄電車の鳥羽へのルート、駅近くのレンタカーやホテルなどをネットで調べた。調べているうちに、実際の行程が、まざまざと目に浮かんできた。と、なんだか、電車旅がめんどくさくなってきた。
やはり、自分の車で行くのがいい。荷物もたくさん持っていけるし、何しろ自由度が全然違う。500キロだろが600キロだろうが、途中で一泊すればいいわけで、ケチな話、その宿代を考えても、レンタカーを借りるよりは安くあがる。それに、車で行くなら<コロナ感染>のリスクも下がる。
車で行くのが一番いいのだけれども、何しろ距離が、と運転体力に関して弱気になっていたのだ。それに、運転時間が長くなれば、その分事故の可能性も増えるわけで、万が一のことも考えられないこともない。いや、これは、ちょっと思っただけだ。
ごちゃごちゃ考えていても、埒が明かない。快に流れる有機体の傾向に身をゆだねよう。紀伊半島の旅、今回も車で行こう、ということに相成った。
決断した後は早かった。すぐに、実際の行程を詳細に検討しだした。これまでの高速走行の経験から、まあ、1日400キロくらいが限度だろう。一時間に60キロ移動するつもりで走るなら、高速運転もさほどきつくはない。つまり、1日8時間運転して、480キロ進めるわけだ。今回の場合<津>がそのあたりだ。いや正確に言えば、<津>までは400キロだ。
<津>で一泊して、次の日に200キロ移動する。このうち半分は一般道で、検索によれば、約4時間かかる。ということは4時間半とみればいい。ちょうど昼頃、通り道の<梶取岬灯台>に寄る。この灯台は目的地の30キロ手前、那智勝浦辺りにある。ネット画像で見る限り、ロケーションがよい。ここで、2時間ほど寄り道をしたとしても、紀伊半島の先端、潮岬灯台には、日没前の3時か4時頃までには到達できるだろう。何しろ、お目当ての<潮岬灯台>は夕日がきれい、らしいのだ。
ところで、今回の旅の計画は、天候の問題などもあり、二転三転、いや四転五転している。その経過は、もういいだろう。思い出して何の得になる!決定事項となった最終計画だけ書き記そう。
21日・日曜日は雨、この日に400キロ走って<津>まで移動、ホテルに泊まる。次の日から二日間は晴れそうなので、紀伊半島の東側?を200キロ南下、和歌山県へ移動。<串本>駅付近のビジネスホテルに三泊して、<潮岬灯台><樫野埼灯台>の撮影。25日の木曜日、午前中は雨予想。この間に、200キロ北上して、三重県伊勢志摩方面へ移動。<鵜方>駅付近のビジネスホテルに三泊。<大王埼灯台><安乗灯台><麦埼灯台>の撮影。最終日は500キロ走って、自宅に戻る。
出発の前々日の金曜日には、すべての手配を済ませ、念入りな現地マップシュミレーションも終了。むろん、車への荷物の積み込みも完了していた。
出発前日の、土曜日になった。雨はまだ降っていないが、いまにも降り出しそうな空模様。昨日来から、なんとなく胸騒ぎがしていて、出発日の天候を、しょっちゅうスマホで確認していた。実を言うと、御殿場付近からの箱根の山越えが気になっていたのだ。三時間降水量が16mmくらいあり、かなり多い。雨の日に出発する、というのも気が重いが、高速道路で強い雨風に出っくわすのは、もっと嫌だ。以前、若い頃に暴風雨の中、東名を名古屋から東京まで走った経験がある。あれはかなりきつかった!
時刻は、午後の一時半だった。このまま、ぐずぐずしていてもしようがない。決断した。出発を一日前倒しして、雨の降らないうちに箱根の山を越えてしまおう。宿は、いまから予約できるはずもないので、今から、走れるだけ走って、高速のパーキングで車中泊だ。天候的には、暑くもなく、それほど寒いということもないだろう。
幸いなことに、と言うべきか、旅の用意はすべて完了していた。あとは着替えだけだ。何と言うか、せっかちというか、小心というか、当初の計画をあっさり反故にして、前日の午後二時に出発してしまった。このへんは、かなり気ままで、多少小気味よかった。
五、六時間、曇り空の中、高速を走った。東名から伊勢湾岸道に入るあたりで、雨がパラパラ降ってきた。同時に暗くなってきたが、夜間運転が目に眩しいこともなかった。ふと、二十年ほど前の、眼発作を思い出した。あの時は、車のヘッドライトが異様に眩しくて、夜間運転など、まったく不可能だった。失明の危機を脱して、今こうして、自在に車を運転できる自分が、不可思議であり、奇跡のようだと、内心ニヤリとした。
・・・というわけで、これから、土砂降りの鈴鹿パーキングで車中泊をしようというわけだ。おもえば、この車で車中泊をしたことは、一度もない。いわば初体験だが、食事、洗面、就寝、排尿などのシュミレーションは、ちゃんとしている。問題はない。と思ったが、歯磨きの際に、ちょっとした齟齬を感じた。コップを持参するのを忘れたのだ。ま、今日のところは、歯磨き粉は使わずに、歯ブラシを水にぬらし、口の中でごしごしして、その後は、飲み込んでしまった。汚いと思えば汚いが、ま、臨機応変、そんなこともできるんだ。
その後は、まだ眠くなかったので、ちょっと長いメモ書きをした。30分ほどして、それにも飽きて、21時15分、耳栓をして消燈。しかし、23時半ころ、車の野太いエンジン音に驚かされて、目が覚めた。もっとも、おしっこタイムでもあり、おしっこ缶にイチモツの先っちょを差し入れて、粗相の無いように排尿した。この行為も、なんだか滑稽で面白いとさえ思えてきた。
350mmのオシッコ缶は、この時のために、4、5本、持参している。問題ないと思っていたが、あにはからんや、1時間おきくらいの排尿で、朝になるまでには、すべての缶がいっぱいになってしまった。夜間頻尿なのだろうが、ガキの頃から、おしっこは近いほうだったから、この時は、ほとんど意に介さなかった。それよりも、一晩で出した、おしっこの量に、やや驚いた。こんなに水分を取った覚えはないよな、と。
あと、例の、野太いエンジン音が、一晩中、やはり、1時間おきくらいに聞こえてきた。しかも、なぜか、駐車場内で、かなりの時間アイドリングをしている。その振動音が不快で、寝付けない。そのうちには、爆音を轟かせて、遠ざかっていくが、少しすると、またやって来る。同じようなことが、4、5回あったような気がするが、あれは、幻聴だったのか?いや、そうではないだろう。何しろ、ここは<鈴鹿>だ。その種のスポーツカーが集まってくる場所だったのかもしれない。車中泊地の選択をまちがったな。翌朝、寝不足の頭でそう思った。
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