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此岸からの風景

<日本灯台紀行 旅日誌>オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです

2020

07/30

Thu.

11:01:30

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 犬吠埼灯台編

<灯台紀行・旅日誌>2020#16
ナビをセットし、犬吠埼灯台の、君ヶ浜、東側駐車場へ向かった。ちなみに、ここは初日に下見していて、ぜひとも撮影しようと思った場所だ。つまり、灯台の先端から、弓なりに広がっている君ヶ浜の、ちょうど反対側で、距離はあるが灯台に正対できる可能性があるのだ。何を言っているのか?要するに、灯台の垂直を出すには、灯台に正対するしかないし、そうでない場合、灯台は、必ず傾いでしまう。

そういう場所で、無理に灯台を垂直にすれば、今度は天地が傾いてしまう。…人間の目は、実際には傾いでいる灯台を、あるいは、斜めになっている水平線を、頭の中で修正して、垂直、水平にしてしまう習性がある。写真を撮るときには、要注意だ。

その点カメラは、律儀すぎる正確さで、傾いているものは傾いたまま、斜めになっているものは、斜めのまま、写し撮る。とはいえ、カメラは、レンズ口径や性能にも影響され、<収差>という専門用語すらある。

要するに、水平線に直立する灯台などというのは、頭の中ででっち上げたイメージで、厳密にいえば、実際には存在しないような気もする。ただ、懲りない抵抗として、被写体に正対すれば、垂直は取り易いということだ。これは経験値ですな。

…灯台写真を、最近はネットでたくさん見ている。灯台が<ピサの斜塔>のように傾いている写真が数多くある。自分としては、かなりの違和感があり、そういう写真には、すんなり<いいね>をつけられない。

とはいえ、それは、人それぞれの感覚的なことで、たとえ傾いていても、その人にとっては、問題がない場合もあるのだろう。ただ、自分の場合は、屹立する灯台、垂直に、すっと立つ灯台の姿に魅力を感じるわけだ。それなくしては、意味がなくなってしまう。

だから、ま、あとで書くが、撮った後の落胆が大きい。つまり灯台が傾いているのだ!その結果、その後の綱渡りのような修正作業が、半端なく膨大になる。かなりうんざりだが、傾いたままの灯台を許せない。念のために言っておくが、これはあくまでも、自分だけの問題であり、他人様の写真を、とやかく言っているのではない。それほど偉くない!

さてと、話が、きわどい感じになってしまった。四日目の旅日誌を続けよう。…君ヶ浜の、東側駐車場はさほど広くもなく、下は砂場。高さ1mくらいのコンクリ護岸の前に、ぴたっと車の鼻面をあわせた。そこは、護岸が切れたところで、脇から砂浜へと入ることができる。

できることなら、そうだな、砂浜よりは波の打ち寄せる岩場まで進攻したいところだ。例の垂直の話で、弓なりになっている浜の、灯台とは反対側の頂点が最高なわけだ。だが、そうもいくまい、カメラに波しぶきでもかかったら終わりだ。だから、ぎりぎりのところを選択して三脚を立てた。

そばに転がっていた、丸くて黒いプラスチック、これはブイだろう、ちょうどいい、腰掛に使える。三脚の後ろの砂場に置いて、インターバル撮影の合間、そこに腰かけた。幸運なことに、今日も晴れの予報だった。はるか彼方の灯台を見ながら、誰にも煩わされず、撮影を続けた。

といっても、九時を過ぎたころから、浜遊びをする人が増えてきた。小さな男の子を連れた楚々とした感じの女性、子供と一緒に砂浜の貝殻を拾っている。ほかにもいたが、よくは思い出せない。そう、あとは海の中、波間に例の老サーファーが見えた。

…今調べたら、四日目の撮影は、七時半からになっていた。五時に宿を出て、飯岡漁港によって、それから一走りして、いまここにいるわけだ。もっと早くに着いたと思っていたが、のんびり、時間に関係なく動いていたと見える。

ふと思って、携帯で楽天トラベルを検索。最初に予約して、そのあと取り消した銚子市内のビジネスホテルをみた。お、今日、空いている。迷うことなく予約した。というのも、この後、まだ見るべきところが残っていたのだ。

<地球が丸く見える丘展望台>それに<銚子タワー>。午後から、それらの施設を回って、そのあと190キロの道のりを帰るのか、と思うとちょっとうんざり、無理だよな。ニャンコもいないし、もう一泊していこうという気持ちになったわけだ。ちなみに、連泊した宿の方は検索もしなかった。もう泊まるつもりはない!

…旅の日程を変更したことは、おそらく今回が初めてだ。<自由>を感じた。カネのことも日程のことも二の次で、思いつきで旅を楽しんでいる。そう今にして思えば、算段して旅に出ても、カネと時間に縛られていた。

一応、娘にだけは、もう一泊すると連絡しておいた。泊まるホテルの名も伝えた。と、そばに、ちょっと前からたたずんでいた中年男性から話しかけられた。少し前から気配は感じていたのだ。そう、この旅で話しかけられた人間のうちの一人だ。

携帯が終わるのを待っていたかのように、丁寧な感じで、写真のことについて聞きたいと言う。お、と思い耳を傾ける。最近ニコンの5600を買ったのだが、どうも使いこなせない感じなんです。なるほど、こちらがニコンのカメラを二台、三脚に立てているのを見て、話しかけてきたんだな。

ま、それから、いろいろと、小一時間話した。こっちも暇だったし、多少インターバル撮影に飽きてたしな、彼の方も一人で、駐車場が解禁されたので、久しぶりに海を見に来たのだ、とか言っていた。自分から、五十過ぎとかちらっと漏らしたが、独身かどうかはわからない。仲間とバイクでツーリングなどもしていて、行った先の景色をきれいに撮りたいらしい。

ま、偉そうに、少し初歩的な写真のテクニックを伝授したが、あとでよく考えてみると、でたらめを教えたような気がする。申し訳ない!この場をかりて、丁重に謝りたい。

帰り際に、彼が、いま撮っている写真がネットで見られるんですね、楽しみです、というようなことを遠慮がちに言った。おっと思い、名刺の裏に、投稿サイトの名前とハンドル名を書いて渡した。白っぽいシャツに黒っぽいズボン、地味な感じの少し小太りの、人のよさそうな男だった。

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2020

07/28

Tue.

11:36:36

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 犬吠埼灯台編

<灯台紀行・旅日誌>2020#15
...浜に人影がなくなり、灯がともる前の灯台も、薄暗がりの中に佇んでいた。五時半だ、引き上げよう。三脚をたたみ、カメラをバックへおさめた。そうそう、書き忘れていたことがある。午後の休憩のあと、高台の駐車場から浜を見下ろした時のことだ。車が何台か閉鎖されているはずの浜の駐車場に入りこんでいる。あれ、駐車場の開放は、明日からだったはずだ。ようするに、<30日より開放>と告知されているので、早めに開けたのだろう。職員がわざわざ午前零時に開けに来ることもない。その辺は柔軟というか、お役所仕事だ。ま、どうでもいいが、こっちにとっては都合がいい。機材を運ぶ手間が省けるわけだ。

昨日、一昨日と、夜の八時近くまで写真を撮っていた。今日はまだ六時前、気が楽だった。途中、旭市の市街地で、ガソリンを補給。出てくるときに満タンにしてきたが、もう半分以上使っている。値段的に、さほど安くないので¥1000ほど入れただけだ。これで十分だ。けちくさい根性は一生なおらないだろう。

宿に着く前に、コンビニに寄った。三回目だ。まず、ブドウパンに牛乳、それにカツ丼弁当を買った。初日は食欲がなかったが、今日は腹が空いたような気がする。宿に着いたのは七時前。いつものようにすぐ着替えて、温泉に入った。こちらも今日が三回目だ。一応どうでもいいことだが、もっとも、どうでもいいこと以外には、書くことがあるとも思えないが、ともかく、一日目は、こちらに背中を向けた若い男が、湯船につかっていた。自分が入っていくと、それまでは寛いでいた感じなのに、そくそく出て行った。ま、こっちも一人の方がいい。

二日目は、風呂場の入口、下駄箱のところで、おばさんにばったり出っくわした。黒っぽい服を着て、愛想のないのっぺりした顔、猜疑心が目に出ている。よく出くわす人間の表情で、要するに警戒心や嫌悪感が丸出しだ。目礼もしないですれちがった。

他人を嫌な感じにさせる表情は、それだけで罪だと思う。自分もそういう時期があった。まずもって、額にしわを寄せ、目が険しい。人生が不幸なときだ。ある時そのことに気づいて、なるべく、<愁眉>を開くように心がけた。少しはニュートラル表情になったのか、ま、今はそれほど不幸でもないので、嫌な表情はしていないと思う。

三日目は、誰にも会わず、ゆっくり温泉につかった。温泉はさほど気にならなかったが、さすがに、ドライヤーを使う時には、コロナ菌が気になった。もっとも、あたり一帯、足ふきのバスマットも、脱衣カゴも、安全とは言えないだろう。

なるべく、物に触れないようにして、部屋に戻った。ノンアルビールを飲み、カツ丼弁当を食べた。レンジでチンすれば、もう少しうまかったかもしれない。だが、風呂場へ行く途中の、うす暗い物置のような場所に鎮座ましますレンジを、使う気にはなれなかった。

食事が終わり、布団にごろっと横になって、小さな画面のテレビを眺めた。まったく興味が持てず、八時になったので、部屋の電気を消した。あっという間に眠ったのだと思う。ま、静寂だけがこの宿の取り柄なのだ。

四日目。
翌朝は、四時に目覚めた。昨日、八時に寝たのだから、八時間寝たわけだ。そういえば、体も軽い。疲れが取れたような気がした。すぐに支度をして、部屋を後にした。と、その前に、一応、忘れ物がないか、冷蔵庫の中、クローゼットの中などをのぞいた。むろん、というか、性格だろう、布団もたたんで、そのうえ、流し周辺なども軽くふいて、部屋の原状復帰を果たした。

…宿から立ち去るとき、いつものようにふと思い浮かぶのは、今回は思い浮かばなかったが、二二六事件の兵士たちが、一晩泊った宿を去る時、布団もちゃんとたたんで、部屋をきれいにして立ち去ったという、ウソかホントか定かでない逸話だ。

その後の兵士たちの、軍隊内における処遇が過酷であったことを、後に知るのだが、皇軍兵士とは、そのようなものかとその時は思って、印象に残っている。が、いま思えば、上官の命令だったのかもしれないし、あるいは、残酷、残忍な内務班で、整理整頓を徹底的に教育されていたからかもしれないのだ。ま、今更、興奮しても仕方ない。老人の繰り言だ。

例の黄色のカゴに、使用済みのタオルなども入れ、部屋を出ようとした。ふと思いついて、室内の写真を数枚撮った。旅の記念だ。連泊の最後の日だから、鍵は掛けなかった。もう来ることもあるまいと思いながら、エレベーターに乗り一階に下りた。

まだ朝の五時すぎだというのに、受付には、穏やか感じのばあさんがいて<ありがとうございました>と言われたような気がする。鍵をカウンターの上の小さな箱に戻して、自分も口の中で<ありがとうございました>と言ったような気がする。

車に乗り込んだ。今日が最後だと思うと、朝っぱらから元気が出てきた。そうだ、飯岡漁港をちょっとのぞいてみよう。先日行ったときはコロナの影響で立ち入り禁止だった。

少し走ると、先日チューチューブで見た、目の前の大津波で立ち往生した、その自動車から映した、道沿いの民宿が見えた。外観はあの時のままだったような気がする。と、手前を左折して、すぐ左手に<いいおか公園>。前方には高い堤防が見え、その上に人がたくさんいる。釣りをしているのだ。

車をどこに止めようかなどと思いながら、行き過ぎてしまい、ユ-タンして、堤防近くの広い道に路駐。カメラを取り出し、付近の風景などをスナップ。とくに、刑部岬の断崖の上に立つ、飯岡灯台と展望台を、しつこく撮った。物にはならなかったけどね。

少し歩いて、堤防に斜めに掛けてある、たしかアルミ製だったかな、簡易的な階段を数段上る。と、そこはかなり幅広の道?堤防の上に出た。あとで知ったが釣りの名所らしい。それにしても、写真を撮る場所がないほど盛況。まだ朝の五時過ぎだぜ!

釣り人たちの間を歩いて、空いているところを探し、柵越しに太平洋の、何もない海と空を一枚撮った。あの向こうから、大津波が押し寄せてきたのか、という感傷に浸れるような状況でもなかった。要するに、朝っぱらから活気があって、みんな釣りに夢中だ。

これといった収穫もないまま、車に戻った。だが、往生際が悪く、またしつこく、逆光の刑部岬の、豆粒みたいな灯台と展望台を撮った。撮れた気もしなかったが、なぜか気分は上々だった。

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2020

07/21

Tue.

11:03:03

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 犬吠埼灯台編

<灯台紀行・旅日誌>#14
さあ、午後の撮影の開始だ。一番暑い時間帯は、昨日撮った。今日は、そのあと、二時半から日没前の五時半までにしよう。三時間の撮影が関の山だ。それ以上は冗長、散漫になってしまう。都合のいい理由をでっち上げた。

ほぼ予定通り、午前と同じ場所に、同じように二本の三脚を立て、五分間インターバル撮影を始めた。太陽は西に傾き始め、暑いというほどでもなく、アウトドアが快適だった。カメラと灯台の間にある波打ち際は、大賑わいだった。次から次へと、登場人物が入れ替わった。

小さな子供連れの家族が多かった。それにカップル。ときには高校生の男子だけの集団、小学六年生くらいの仲良し少女たちもいた。真っ白な灯台が、徐々に西日に照らされ、染まっていくことを期待したが、そういう現象は起こらず、海を撮っている望遠の方も、快晴ゆえに、空にはまったく動きがない。

いきおい、写真撮影よりも、波打ち際で遊んでいる人間を見ていることが多くなった。記憶に残っているものだけでも、記しておこう。小さな女の子、赤いボールが波にさらわれた。思い切って自分で捕りに行こうとして、波の中に沈んだ。すぐさま、メタボ体形の父親が、意外にも俊敏な行動で海の中に走りこみ、幼い娘を救い上げた。

小型犬を散歩している女性。寄せ波に、そのワンコは逃げようともせず、そのまま波につかる。そして、引き波の中、しゃがみこんで気持ちよさそうだ。それを幾度となく繰り返す。飼い主の女性が笑っている。大きなストローハットをかぶった若い女性、二人連れ。ひとりは、ヒールを手に持ち素足で波打ち際を歩いている。そのほか、あとからあとから、小さな男の子や女の子が走って登場、波打ち際で歓声を上げている。孫を見守るじいちゃんたち。

一番絵にならないのは、若い男二人連れ、それに男の若者一人。波打ち際は、やはり女子供がよく似合う。・・・そう言えば、地元の老サーファーが、波間に浮いていたな。一、二回、波に乗ったが、すぐに見えなくなり、また波間に浮いている。良い波を探しているようにも見えるが、なにせ、サーフィンをするような波じゃない。この、やや長髪の爺は、昨日、遊歩道を散歩していた。さばけた爺さんがいるなと記憶に残っていた。サーファーだったのね。

・・・陽もだいぶ傾いてきた。陣取っている柵の下、波打ち際に、先ほどの女の子仲良しグループが、インスタにでもあげるのか、スマホで自分たち写真を撮っている。距離的にも近く、要するにすぐ目の前なので、いやでも目に入ってくる。確か四人いたと思う。体つきからして、小6か中1くらいか。海を背にして、三人が並んでポーズを取り、ひとりが撮る。これを交互に繰り返している。写真が撮れたら、ワッと走り寄って、みなでスマホを囲む。実に楽しそうだ。

そのうちは、白っぽい風船を膨らませて、それぞれが手に持つ。シャッターチャンスの、念入りな打ち合わせをして、全員で指を立ててカウントする。と、ひとりの風船が割れて、中から何やら、小さな金色の星のような物が、ぱっと飛び散る。なるほど、面白い演出だ。これを交互に繰り返す。時間なんか関係ない。今の彼女たちに時間は存在しない。見ているだけで、こっちまで楽しくなった。

が、それが、妙な具合になってきた。女の子のうちの、誰かのお姉ちゃんなのか、茶系チェックのスカートに白ワイシャツ、痩せ気味の女子高生がどこからとも現れた。女の子たちを並ばせ、スマホで写真を撮ろうとしていのだが、ポーズの注文など、こまかく指図している。そのあと、スマホを覗いて何やらやっているのだが、その時間が、いやというほど長い。その間、女の子たちはおしゃべりするでもなく、シーンと、神妙に待っている。先ほどの快活な雰囲気がなくなり、白けた感じだ。

女子高生の方は、そんなことにお構いなし。ようやく、スマホから顔を上げ、またあれこれ長い指図をして、スマホを覗きこむ。その繰り返しだ。このあとどうなるのか、すこし気になったが、これといった動きもない。次第に飽きてしまった。こんな状態がかなり続いたのだと思う。あたりがだいぶ暗くなってきた。

今日は、灯台に灯がともる前に引き上げようと思っていた。灯台からの光線が撮れない以上、夜の灯台と対峙する意味はない。ふと下を見ると、女の子四人が、うす暗くなってきた海に背を向けて、まだ座っている。が、ひとりの子が、最後の風船を、合図とともに割ろうとしている。また、快活な声が浜に響いた。女子高生と一緒に指を折りながら、ついに風船が割れた。金色の星屑が、彼女たちの頭に降りかかった。この瞬間を撮りたかったわけだ。それにしても、写真一枚撮るのに、何十分かかってるんだ。ま、余計なお世話だな。

女の子たちは、ワッと女子高生のもとに走り寄り、スマホを覗きこんで、歓声を上げる。うまく撮れたのだろう。やっと解放されたと思ったのは自分だけだろうか、みなして風のように砂浜を走り、灯台の方へ消えて行った。そうそう、立ち去る前に、飛び散った金色の星屑を拾っていた。浜を汚さないように躾をされている。やはり、地元の子たちだ。ちなみに、この<君が浜>は<日本渚・百選>に選ばれているようだ。

人生の、一番楽しくて、美しい、高貴な時間を、今この瞬間、自分たちが生きているなどとは、おそらく思わなかったにちがいない。だが、少女たちよ、いずれそのことがわかる時が来る。それが年を取るということだ。

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2020

07/16

Thu.

12:41:16

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 犬吠埼灯台編

<灯台紀行・旅日誌>#13
その快晴の直射日光を受けながら、五分間インターバル撮影を続けた。いつしか、浜の若者たちもいなくなっていた。きらきらと光る海面は、しだいに右の方へ遠のいていき、海は静かになっていった。ただ、水平線の手前、沖を行き来する船が多くなったような気がする。いろいろな船影があり、速度もそれぞれで、見ていて飽きない。

と、いきなり、背後から声がした。今回の四泊五日の撮影旅行では、二人の男から話しかけられた。その一人、ほぼ爺に近いチャリに乗ったオヤジだ。「昨日も撮っていたよな、仕事か?」高圧的な感じでもなく、普通の感じだったので、その後、しばらく雑談した。内容は、ま、ほとんど忘れたが、覚えていることは、沖を行き来する船についての、爺の話だ。

「望遠で見てみな、あの船止まってるのか?動いているか?」そう言われたので、しかたなしにカメラを覗いた。大きな船影、フェリーだった。「かすかに動いる」と答えた。あとは「あの二艘の船、巻き網漁をしているんだ」と爺が聞かれもしないのにしゃべっている。一応話を合わせて「今は何が捕れるんですか?」「びんちょうマグロ、知ってるだろ」<びんちょう鮪>と聞いて意外だった。マグロなどは、もっとずっと沖の太平洋の真ん中にいるような気がしていたのだ。

そもそも、この爺は何者だ。乗っているは汚いチャリ、早朝の散歩者なのだろうか。ま、どうでもいいが、その爺との雑談もじきに終わって、後姿を目でおった。…なるほど、沖を頻繁に行き来していたのは、漁船なのか。朝っぱらに、仲間と魚を捕って、すぐ近くの銚子港へ売りに行く。漁師、自分のまったく想像もつかない生活をしている人間たち。世界は不可解、でも、俺の知ったことではない!奴らだって、俺の生きている世界は不可解なのだ。

御影の腰掛石の前にしゃがみこんだ。柵に両肘をついて、顎を両手の手のひらに、あるいは、手の甲にのせたりしながら、少年の気分になって、沖を眺めた。辺りを見回しながら、少しぶらぶら歩いたり、ビスケットを齧り、ペットボトルの水を少量ずつ飲んだ。辺りをうかがい人影がないのを見計らって、おしっこ缶に用を足したりもした。退屈なような、無駄なような、意味のないような、それでいて、かけがえのない貴重な時間なのではないかと思ったりもした。

時計を見た、十時半だった。十一時半までは粘るつもりでいた。その一時間が長かった。要するに、六時から撮り始めて四時間半以上すぎている。体力的にも気力的にも、長時間過ぎる。精神が散漫になっていたのだろう。撮影画像のモニターも、かなり雑、おざなりになっていた。撮影しているのか、時間を消化しているのかよくわからない状態。要するに、最後の方は、ぼうっとしていたのだろう。

雲一つない青空、快晴の浜辺で五時間半、写真を撮りながらも、とりとめのない時間を過ごした。昨日のような暑さ、不快は感じなかった。まずもって、海からの風がかなり吹いていて、暑さを和らげてくれた。日射は最大限に厳しかったが、準備と心構えが違った。なんとかやり過ごした。

三脚をたたみ、カメラバックを背負った。五、六歩行きかけたところで、振り返った。忘れ物はないな、念のための行動が自動化している。忘れ物の確認をしないで、一度ならずも痛い思いをしている。砂地を歩いて、高台の駐車場へ向かった。これが意外に体力を消耗する。長い急な階段がきつかった。疲れている。四時起きして動き回っているのだから、当然だ。

車の中は蒸し風呂状態だった。すぐにエアコンを入れて、窓にシールドを張った。ズボンやパーカなども脱ぎ、すぐに横になった。一応、耳栓もした。車のエンジン音が小さくなった。眠ろうと思った。苦労せずに、そのうち、起きているのか寝ているのかよくわかない状態に陥ったようだ。夢心地。…蒸し暑くて不快、エアコンを強くした。またうとうとした。

目が覚めた。二時過ぎだったかもしれない。とたんに大きなくしゃみ、五連発。これは、アレルギー性鼻炎の発作で、非常によくない。というのも、自宅なら<ザイザル>を飲むという選択肢もあるが、眠気とだるさがきついので、旅の間はできるだけ飲まないようにしたいわけだ。ま、さいわい、世の中、マスク着用が常態化しているので、最悪の場合は、テッシュで鼻栓をすることで、しのぐこともできる。

さっと身支度をして、サンダル履きで車の外に出た。疲労が少し回復している。一応、カメラを一台首にかけた。犬吠埼灯台を、広場やや右からスナップするつもりだ。時間的には、午後の光になっていて、思ったとおり、やや赤っぽくなっている。ま、いい、これも一興だ。

<テラステラス>に入った。窓際のカウンター席に座って、昨日と同じカレーを食べた。と、斜め後ろで、中国人か?大きな声でしゃべっている。少し眉をしかめて振り返ると、ソフトクリームをほおばった、間抜け面の若者だ。むろん、咎めるつもりなどはない。が、その後すぐ静かになり、いつの間にか、その一団はいなくなっていた。

すぐに食べ終えて、トイレに寄った。少し排便して、温水で洗浄してすっきりした。ただ、コロナ菌のことが頭から離れず、念入りに手を洗った。きれいな施設だが、トイレに関しては、話は別だ。この時期、外で排便はしたくなかった。神経質なところがある。それに、同じ行動を繰り返す習性もある。同じものを、同じ場所で食べることがよくあった。

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2020

07/14

Tue.

19:03:18

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 犬吠埼灯台編

<灯台紀行・旅日誌>#12
夜道を宿へ向かった。三十分ほどで、さしたる疲労も感じないで現着。途中、昨晩も寄ったコンビニで食料を調達。朝食用に、ブドウパンと牛乳、夕食用には、おにぎり三個とからあげクンを買った。部屋に入ってすぐに着替えて、温泉に入った。麦茶を煮込んだような色の、ぬるぬるの温泉だ。湯船は一つで、三畳ほどの広さ、四方がジャグジーになっている。ゆっくりと腰をほぐした。

独特の匂いが立ちこめていたが、道路側のサッシの窓を開けると、涼しい風が入ってきて心地よかった。脱衣場、その他いろいろなことには目をつぶって、この貸し切り温泉を楽しんだ。そう、湯船に入るとき、足の甲、手の甲が染みた。見ると、真っ赤になっている。顔も焼けた。とくに鼻が赤くなっていた。

部屋に戻って、持参して冷蔵庫に入れておいた、冷えたノンアルビールを飲んだ。うまかったとおもう。というのも、何しろ疲れていたので、いや疲れていたのだろう、そのまま倒れこむように寝てしまった。夕食のおにぎりを食べたのも、よく記憶していない。九時前に着到して、十時すぎにはもう寝ていたと思う。幸い、周りは静かで、物音で目が覚めることもなかった。二、三回、夜間トイレで起きたような気もするが、よく眠れた方だ。

今日の出費、食品・飲み物¥980。

三日目。
朝の四時過ぎに目が覚めた。朝日に照らされて、オレンジ色に染まった障子がまぶしかった。十時に寝たのだから六時間は寝たわけか、と思ったような気もする。すっと起きて、障子をあけ、ついでに重いサッシ窓も開けた。目の前には飯岡漁港、釣りの名所らしく、防波堤の手前に車がたくさん止まっている。

その向こうには刑部岬・ぎょうぶみさきと読むらしい。絶壁になっていて、その上に飯岡灯台と展望台のシルエットが見える。こちらからは逆光だが、輪郭が朝日に照らされ、ほんのり朱色に染まっている。絶壁の中ほどまで、うっすら霧が立ち込めていて、早朝の神々しい光景が広がっていた。写真には撮らなかったが、というのも、埃だらけのベランダに出るが嫌だったし、だいいち、そんな余裕も時間もなかった。

日の出は撮れないとしても、朝日を浴びている、犬吠埼灯台の前に一刻も早く行きたかった。さっと身支度をして、胃の中に、ブドウパンを牛乳で流し込み、部屋を出た。その際、スーパーで使うような黄色のプラかごに、使用済みのバスタオルなどを入れ、小さなごみ箱と一緒に廊下に出した。

これが、この宿における連泊者の唯一の義務らしい。帰ってくると、ドアの横にそのかごが置いてあり、中に新しいタオルと歯ブラシセットが入っている。連泊者の部屋の掃除などは論外というわけか!ま、三日くらいだから問題はないが、これが一週間とか、長期間になったら、どうするのだろう。受付に言えばやってくれるのかもしないが、ま、どうもいいことだ。こっちは忙しいんだ。

ドアの鍵を閉めた。もっとも、鍵のくっついているプラの透明な棒を触るのも、ドアノブも、エレベーターのボタンも、なんか嫌な感じがした。コロナ菌がついていないだろうか?そういうことに関しては、かなり神経質らしい。一階の薄暗い受付には誰もいなかった。半自動ドアの玄関は、24時間開いているそうだから、その点は便利だ。いや、考えようによっては不用心だろう。

車に乗り込んだ。なぜか、少しホッとした。この中にはコロナ菌などいない。それが、安心の多少の理由になっていたのかもしれない。時計を見た。四時に起きたのに、もう五時すぎだ。一応、念のため、ナビを<犬吠埼灯台>にセットした。

道は空いていた。当たり前だ、まだ早朝の五時すぎだ。ほとんど貸し切り状態で、多少見知った、今日で三回目の道を気分良く走った。途中、屏風ヶ浦の高台に差しかかると、長い下り坂の直線道路が、上下に波打っていて、朝日に照らされている。右側にはちらちらと海が見え、左側には巨大風車の林立。飯岡灯台の展望台から見た、東総台地を走っているわけだ。なんだか自分が映画の主人公になった気分だった。

五時半過ぎに、犬吠埼灯台の商業施設、テラステラスの裏側の駐車場についたはずだ。ここは、昨日車を止めた、道路沿いの駐車場よりは一段と高くなっている。浜への上り下りがすこし大変になる。いや、大した距離じゃない。ここを選んだのは、今日の午後、正確には十一時半から二時半までだが、車の中で仮眠をするためだ。こっちの駐車場の端っこが、比較的静かだろうと思ったのだ。真昼間の浜辺の暑さと日射には懲りていた。

誰もいないかな、と思いきや、その、浜が見下ろせる駐車スペースには先客がいた。黒っぽい車で県外ナンバーだったかな、窓に日よけなどをしている。ちらっと車内で仮眠している姿が見えた。一瞬で、日の出を撮りに来たアマチュアの、しかもオヤジカメラマンだなと思った。ま、別にいいさ、目くじらを立てることもない。一台あけて、柵際の狙っていたスペースに車を止めた。

装備をととのえ、浜へ下りた。昨日の教訓を生かして、薄手のパーカ、薄手の靴下、ペットボトルの水も二本持った。とはいえ、昨日来の疲れが残っていたのだろう、カメラバックが肩に重かったし、トートバックも腕に食い込んで痛かった。

少し砂地を歩いて、お決まりの撮影場所についた。カメラを三脚にセットした。昨日と同じ場所に、というのも小石で目印をつけておいたのだが、どうもよろしくない。下が砂地で三脚の足が食い込んでいる。同じアングルが作れない。・・・なにか、三脚の足に敷くものを用意するべきだなと思った。

時計を見た、六時を回っていた。下の浜では、十代の男女が数人、海に入って戯れている。早朝の誰もいない浜辺で、大きな声を出して騒いでいる。どういうつもりなのか。カメラと灯台の間にいるので、否応なく、画面に入ってしまう。ま、いいか。変化があって。

二台のカメラのうち、望遠の方は、海に向けた。ちょうど、朝日が昇ってくる方向だが、いまはもう、立派な?太陽になっていて、その光を受けた海面がきらきらしている。まともに見てしまっては、眼がやられる。

そうそう、今朝は雲一つない快晴だ。こりゃ~暑くなるな、と思ったが、実際には、浜風が強く、直射日光をもろに浴びてはいるものの、さほどの暑さは感じない。もっともまだ朝の六時台だ。それよりも、特記すべきは快晴、雲一つない青空。天気予報を検討して、この二日しかないと決断して出てきた撮影行だが、まさにどんピシャリで、昨日は多少の雲があり、照ったり陰ったりの空。今日は、朝からおそらく終日、100%の快晴!

ま、野外撮影に、青空があることは、それだけでOKだが、欲を言えば、多少雲が流れている方が絵になる。そんな贅沢は言ってられないだろう。晴れただけでも感謝するべきだ。年間、字義通り、雲ひとつない青空が、何日あると思う。正確には知る由もないが、経験で、いや、カンで、いや、あてずっぽうで言えば、二十日以下だと思う。月に一回あるかないか、そんな感じだろう。

…今ネットで調べた。快晴率。快晴とは、雲が青空に占める割合が0%~15%くらいの状態と定義される。全国平均すれば、驚いたことに28日前後だった。もっとも、かなりの開きがあり、埼玉県などは全国最高の61日!ま、どうでもいいことだ。快晴だからといって、必ずしもいい写真が撮れるわけではない。率は高いけどね。ちなみに、千葉県は年間で20日だった!

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2020

07/10

Fri.

11:15:06

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 犬吠埼灯台編

<灯台紀行・旅日誌>#11
三脚を立て、カメラをセットしかかったとき、後方から、マウンテンバイクに乗った若者が数名、大きな声で話しながらやってきた。あれ~、と思っていると、自分から四メートルくらい離れた柵のところで、釣りを始めた。ほぼ等間隔に並んで、四人ほど、かがみこんで釣り針にえさをつけ、海へ向かって、大きく竿を振っている。

薄暗がりだったが、話声と顔つきで、外国人、それも中国人でも韓国人でもなく、東南アジア系の若者だとすぐにわかった。嫌なことに、その中でも体格の一番いい奴が、俺の隣にいる。ふと、集団で、あるいは、あいつらに襲われたら勝てないなと思った。だが、状況から判断して、いちゃもんをつけられる可能性は低い。シカとして、五分間インターバル撮影を続けた。とはいえ、若造に、根拠もなく、びくびくしている自分が情けなかった。

次第にあたりが暗くなった。灯台の胴体の真ん中あたりが、下からの照明で照らされ、そこだけが楕円形に明るくなった。用意してきた、アウトドア用のヘッドランプを頭に巻いて、ほとんど初めての夜間撮影に挑戦した。アジア系の若者たちは、予想に反して、暗くなっても立ち去らなかった。それどころか、懐中電灯を持参していて、手元を照らしながら、盛んにエサを交換しては、大きく竿を振っている。夜釣りに来たんだ!浜風の中、何語なのかな?タイとかベトナムとか、そんな感じの語音が飛び交っていた。

インターバル撮影の合間、若者たちの行動を横目でちらちら追いながらも、刻一刻と表情を変えていく、灯台周辺の光景を全身で感得していた。午後の、あの暑さと比べて、いまはかなり心地よい。むしろ、寒いほどだ。ヒートテックのモモシキをはき、長めのダウンパーカを羽織った。これでちょうどいい。ビスケットを少し齧り、水を飲んだ。腹の調子も少し良くなっていた。この時間に、こんなところで、写真を撮っている。念願がかなっている。世界の前に立っている。自分の人生を生きていると思った。

空と海が、漆黒の闇に覆われ、灯台が光を発し始めた。そう、問題は、あの光線を写真に撮ることだ。ネットで、犬吠埼灯台の写真を、いやというほど検索したが、左真横、一直線の光線をとらえた写真は、わずか一枚にすぎない。しかも、その写真は、<写真素材>として、有料で貸し出されていた。

天と海の間の暗闇を、一直線に走る灯台の光線。なんとまあ、ロマンがあるではないか!前に言った<作品>というのは、この五分インターバルで撮った写真群を、編集してスライドショーにする心づもりだったわけで、ラストは、いや、ラス前あたりに、この一直線の灯台の光線が、ぜひとも欲しいものだ。

ところが、丹念な検索の結果にもかかわらず、灯台の光線を撮る方法は、見つけられなかった。星空とか、夜景とか、それから、光線を多重撮影して、灯台の周りにぐるっとめぐらす方法はあったが、もっとも、多重撮影は自分の頭と腕がついていかないわけで、はなから試すことすらしていない。というよりも、灯台から光線が放射状に出ているというのは、いかにも、作り物の感じがして、いささか趣に欠ける。

だが、いちおう、灯台の光線を撮る方法を、自分なりに調べ上げ、メモしていた。手順はこうだ、モードはM、f値2.8、ss1秒から二分の一秒、ISO8000、いや、ほかにもメモがある。シャッタースピードssが長ければ長いほど光跡の幅が広がるとか、光線がカメラレンズに向かないタイミングをはかるとか、要するに、切れ端のネット知識だ。

実際はすべて役に立たなかった。これらのやり方では、むろんその場でいろいろ試したが、光線は撮れなかった。そもそも、何秒かおきに、ぐるぐる回っている光線を、左真一文字に来た時に写し撮ろうとするならば、シャッタースピードは、かなり早いものでなければなるまい。そんな瞬間は、あっという間に過ぎてしまうのだ。

今思ったのだが、光線が動かず、不動のまま、海を照らしているならば、上記の方法は有効なのかもしれない。いや、これも試していないので、わからない。要するに何もかもわからず、いや、今日の段階では、光線は撮れないのだ、ということがわかったわけだ。得心して、気持ちが覚めた。引き上げよう。カメラを三脚から外し、バックに収納した。

少し前に、二、三人仲間が加わった、アジア系の若者たちは、その後もまじめに?釣りを楽しんでいた。新たに加わった連中は、柵を乗り越え、三メートルほど下の、波消しブロックに降り立ち、座りこみ、釣り糸をたらしている。自分の隣の大柄な若者は、なかでも、釣りがうまいのか、何匹も釣り上げていた。

彼らが、どこから来たのか、何をしているのか、すぐには思いつかなかった。食いつめたような様子もないし、みな立派なマウンテンバイクを持っている。留学生なのかもしれない、あまり深くは考えなかった。考える必要もなかった。ただ、いちゃもんをつけられるのではないかと、最初、びくびくした自分を少し恥じた。

カメラバックを背負う前に、柵に両肘をついて、暗闇に浮かぶ灯台をつくづく眺めた。たしかに、光線は出ている。ある間隔をおき、右の方から光り始め、こちらに向かってピカリ、そのあとは、例の左真一文字の光線を、茫漠とした闇の中に放って、左うしろに消える。この循環を、一晩中続けているわけだ。

ただねぇ~、その闇に放たれる、左一文字の光線は、すごく薄くて、かすかに見える程度のものだ。しかも一瞬!あれを写真に撮ることなど、土台無理なのではないか、自分がネットで見た写真は、何か細工したものではないのかとさえ疑った。ま、いい、光線は撮れなくても、写真はたくさん撮った。撮れたはずだ!

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2020

07/08

Wed.

12:22:17

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 犬吠埼灯台編

<灯台紀行・旅日誌>#10
浜辺から、長い階段を登って、駐車場へ戻った。足が重い、しんどかったような気もする。車の中は、蒸し風呂!すぐにエアコン全開、窓にシールド。パーカやズボンを脱いで、倒れこむように横になった。ちなみに、後部座席を倒して、仮眠できる状態に、車内はカスタマイズされている。ご丁寧に、布団も枕も持ち込んでいた。

来る前にシュミレーションしたように、耳栓をした。犬吠テラステラスの裏側の、この駐車場は一般道に面していたが、なんと正面は老人ホームだった!車の出入り、騒音は、ほとんど気にならなかった。耳栓のおかげか、それとも体が参っていたせいか、すぐに、寝ているとも覚めているともつかないような状態に陥った。エアコンの温度や、車内の不愉快な暑さなどを意識しながらも、ひたすら、だと思うが、体の回復を願っていたような気もする。

ひと眠りしたのだろうか、夢うつつの状態から覚めた。たしか、四時半少し前だったような気もするが、はっきりとは覚えていない。

うん、少し気分がよくなったような気がする。身支度をして、サンダル履きで、そう、カメラも首にかけ、というのは、2020年5月28日4時46分に、西日の当たっている灯台を、広場右側から撮った写真が残っているからだが、その前に、午前中同様、トイレ、そうだ、トイレにも行ったのだ。観光地のトイレとしては、比較的キレイだったが、コロナ感染を意識して、すぐに出てきた。

そのトイレの向かいの、閉まっている土産物屋の赤い自販機で、午前中と同じ、アルミボトルの缶コーヒーを買って、歩き飲みした。まずくはなかった。たしか¥130、安いなと思った。朝、貧しい朝食をとったきりで、その後、ビスケットを少し齧った程度だったが、腹は空いていなかった。

右側は海だった。大げさに言えば、太平洋だ。1枚撮った。あとは、灯台の正面辺りを、観光客気分でぶらついて、これみよがしに写真などを撮ったのだろう。もっとも、コロナ感染の自粛は続いていて、いまだ県をまたいだ移動は制限されていた。かまうものかとシカとして、川越ナンバーで千葉県に乗り込んだものの、灯台付近の観光客の車は、ほとんどが千葉ナンバーだった。まあ、いちゃもんをつけられることもないだろうが、そうなったら、すぐに<すいません>と謙虚に謝ってしまおう。生意気なくせに、小心で臆病な性格が、年を取れば取るほど際立ってきた。

灯台前にある、テラステラスというこぎれいな施設に、このとき入ったのか、よく記憶はしていないが、きれいなトイレで、しかも温水便座で排便して、さらに気分がよくなったような気もする。その後、この施設には旅の3日目、4日目にも立ち寄って、カレーを食べ、トイレにも必ず寄って、気持ちよく排便した。

気分がよくなった。頭がすっきりした。これなら夜の撮影ができそうだ。そう思いながら、車に戻った。装備をととのえ、といっても、午後の不覚を教訓にして、薄手のパーカ、薄手の靴下、トートバックには、ペットボトルの水、ビスケット、念のためにダウンパ―カ、それにおしっこ缶、それだけだ。

…おしっこ缶というのは、車内や撮影中、トイレに行くのがめんどくさいので、アルミのやや口径の大きめなボトル缶のことで、これは何本か持参してきた。つまり、したくなったら、イチモツのさきっちょをその中に突っ込んで、用を足すわけだ。イチモツ、などと大きな口をたたいているが、息子の頭は小ぶりだから、ちょうどいい。ま、どうでもいいことだ。

あとはカメラバックに三脚二本。こっちは、かなりの重さではあるが、苦にはならなかった。もっとも、下り階段だ。浜に下りると、辺りは薄暗くなっていた。午後の五時半を回っていた。まっすぐ、例の撮影場所へ向かった。海風が心地よかった。

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2020

07/06

Mon.

10:47:49

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 犬吠埼灯台編

<灯台紀行・旅日誌>#9
駐車場に戻った。布の大きめなトートバックに、飲料水などを放り込み、重いカメラバックを背負った。長い階段を下って浜へおりた。もう暑くなり始めていた。下見しておいた場所へ一直線に向かい、石の腰掛に荷物を置いた。柵沿いに三脚を二本立て、犬吠埼灯台にカメラを向けた。

三脚は二本持参している。一本はジッツオの使いやすいもの。もう一本はベルボンの、やや使い勝手が悪いもの。それぞれに望遠ズーム、標準ズームつけて撮影するつもりだ。要するに、柵沿いに三脚を二本並べ、近めと遠目で撮るわけだ。

が、いざ実際、二台のカメラで灯台をモニターすると、ベストアングルというものは、ほぼ一か所なので、当たり前だ≪ベスト≫なのだから、多少の近い遠いはあるものの、画面は似たり寄ったりだった。それよりも、正面の海。空があって、雲が流れて、水平線があって、たゆたゆと波が押し寄せている。この風景を撮らないということはない!!!

というわけで、三脚は一本にして、望遠を手持ちで、浅はかにも、海と、ちょっと遠めの灯台を撮ることにした。そして、五分間隔のインターバル撮影を来る前から計画していたので、その手順に従った。

時計を見た。五分経った。三脚につけているカメラのファインダー覗いて、リモコンのボタンを慎重に押す。取って返して、望遠カメラを、後ろの石の上に置いてあるトートバックから取り出す。ぶれないように、柵に肘をしっかりつけて、まず、海を撮り、ほぼそのままの姿勢で、少し体を右にひねり、灯台を撮った。

この作業を、十一時半から、およそ二時半まで続けた。本当は、体力と気力が続いたのならば、日没後までやるつもりでいた。ところがどっこい、そうはいかない。久しぶりのアウトドア、しかも海岸だ。

セッティング作業のうちは、暑さをそれほど感じなかった。太陽の位置を、手のひらを天にかざして確かめ、ほぼ真上だな、などと思った。まだ余裕があった。

ところが、作業がひと段落して、一息ついたら、いきなり息苦しいほどの暑さを感じた。まず、足の甲が、焼けるように熱い。厚手の靴下をはいていたのだ。薄手の物に替えたかったが、車の中だ!!!パーカも厚手の物で、これにも参ったが、薄手は車の中だ!!!

…サンダルは車の中にあるが、この強烈な紫外線、直射日光を、直接浴びることになる。どうしようか?海辺にフードのついたパーカは必須、だが絶対、薄手での物でなければだめだ。撮影の手順を正確に守りながら、次回の教訓だな、などと思った。

何しろ、フードですっぽり、頬の真ん中まで覆い、サングラス、そのうえマスクだ。自分の風体を気にする余裕もなかったが、あとで、夕方になり、車のウィンドーガラスで見たのだが、これではまるでコンビニ強盗だろう!!!どうりで、後ろの遊歩道を頻繁に行き来する人から、話しかけられなかったわけだ。怪しすぎる!!!

…正直いって、海辺の暑さ、要するに紫外線と直射日光は、老人には、自分では老人とは思っていないが、かなりきつくて長時間の滞在は無理だ。もっとも、日陰で寝ているなら話は別だが、自分の場合は、五分ごとに、写真を撮らねばならず、悪いことに、その際には、サングラスを外さざるを得ないという不幸?も重なった。

だが、眼をやられたら最後だろう。二十年前の失明に瀕した時のことを、ちらっと思った。あの時以来、サングラスを手放したことはなく、外出する際には、財布と鍵と同様、必ず身につけている。念のため、今回も、替えのサングラスを用意してきたほどだ。

話を戻そう。カメラのファインダーをのぞく際には、どうしても、サングラスを外さなければならず、その時の紫外線が、やりきれないほど、きつい。こんな体験は今までになく、ほとんど苦行だ。でも、これはまずいだろう!!!何しろ目を守らねばならない。

と、あろうことか、サングラスを掛けたまま、ファインダーを見た。ま、窮すれば何とやらで、むろん、色が変わって見えるが、一発撮りとは違い、ほぼどんな感じに撮れているかは、了解済みだ。空や雲や波が、五分間で、どの程度変化しているかを確かめるだけでいい、のではないか。

眼は、これでだいぶ楽になった。熱中症を警戒して、頻繁に持参した水を、ペットボトルから飲んだ。また、手のひらを太陽にかざした。真ん中より少し西に傾き始めた。足の甲は、撮影中は、柵の陰に置くようにした。休憩中は、靴を脱いで、自分の体の影に入れるようにした。

御影の石に腰かけて、うつむいて、楽しい撮影どころではない、苦行にも似た時間を、じっと全身で受け止めた。五分ごとの撮影が、なんだかなおざり、モニターもしっかり確認していなかったぞ。それに四、六時中、パーカの背中が、焼けるように熱い。なんだか頭がすこし痛い。水はたくさん飲んでいるはずだが、少し気分も悪い、むかむかする。

ぼうっとした頭で、明日もあるぞ、ここで体調を崩すわけには行かないぞ。そうだよな、もう、限界だろう。そう思ったら、急に弱気になった。時計を見た。二時半だった。三時間頑張ったわけだ。迷うことなく、撮影を中止した。

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2020

07/03

Fri.

17:52:16

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 犬吠埼灯台編

<灯台紀行・旅日誌>#8
初陣の夜間撮影を夢中でやっていると、展望台前のちょっとした広場で、何やらうるさい物音が聞こえる。カメラから目を放して、ちょっと見に行くと、はは~~ん、若者がスケボーで遊んでいる。わざわざこんなところで、しかもこんな時間に、といってもまだ夜の七時だが、なんなんだ!!!ま、そのうちやめるだろう。

三脚に戻り、ほとんどわけもわからないまま、カメラをいじくりまわして、その都度モニターした。ま、勉強だな。時間のたつのも忘れ、頭の片隅では、スケボーがうるさいと思いながらも、これ以上はもう、うまく撮れないと思えるまで粘った。

ふ~と一息ついた。周りを見回した。展望台などの人影を確認して、その場を後にした。ちなみに、スケボーの若者も、どういうわけか、一緒に終了。目で追うと、端の方に止めてあった、白い軽のバンに乗り込んだ。仕事帰りか、時間調整か、ま、もうどうでもいい。車に乗り込み、高台の灯台から、坂を下った。バックミラーに、ヘッドライトが見える。灯台の駐車場はどんづまりだから、灯台にいた車であることは間違いない。ひょっとしたらスケボー野郎かも知れない。帰りまでご一緒だ!!!

・・・名前は伏せる。宿泊したビジネスホテルだ。なぜかというと、文句しか出てこないし、それを書けば、営業妨害になるやもしれぬからだ。そこまでの恨みはない。とはいえ、一言だけ言い添えておこう。汚かった!!!一泊¥4500、安いとはいえ、これはないよな、という感じだった。畳が擦り切れていたのだから、あとはご想像にお任せする。

それからもう一つ。食料調達したコンビニのおにぎりが、これほどまずいのかと思うほどだった。もっとも、食欲がまるっきりなくて、さほど腹は立たなかった。とはいえ、朝食用に買ったブドウパンは、まあまあ食べられた。一晩冷蔵庫に入れたにもかかわらずだ。・・・疲れた。かなり疲れた。もう寝よう。宿に八時過ぎについて、十時には布団の中に入った。

一日目の出費・高速¥3820、食事等\1200、宿泊三日分\12900。

二日目。四時過ぎに目が覚める。西側の障子が明るくなり、寝ていられない感じ。それでも、もう少し眠ろう、ということで六時前まで布団の中でぐずぐずする。

六時起床、洗面、朝食・昨晩買ったおにぎり、持参したカップ麺。食欲がないせいか、どっちも、うんざりするほどまずい!!!排便・小。むろん、ぼろホテルには温水便座などはない。…痔持ちの自分にとって、温水便座は必須だが、ま、非常時ということで、流水で肛門をさっと洗う。

身支度をして、八時前に出発。ナビを犬吠埼灯台にセット。途中、長崎鼻のぬぼっとした照射塔を何枚か撮り、さらに、海沿いの道に路駐して、東側から、遠方の犬吠埼灯台を狙った。

胸の高さほどのコンクリの護岸、その上に、重い望遠レンズを置いての撮影。要するに、三脚を立てるほどの景色ではないものの、VRを利かせたところで、手持ちではブレてしまうからだ。とはいえ、あまりに遠目過ぎる。それに、空の色もさえない。今日は朝から晴れの予報なのだが、チェ!!!

ほとんど貸し切り状態の、そのうち右側に海が見えて来る、景色の良い道。気持ちよく、九時前に犬吠埼灯台に到着。駐車場に車を止め、灯台周りの散策。一応、正面、周囲、それから海岸沿いの遊歩道など、スナップしながらぶらつく。

撮影ポイントは二つ、正面やや右側、灯台の窓が少し左側に見えるあたりがいい。もう一つは、遊歩道の終点、白いホテルへ通じる道に上がる鉄階段の踊り場。ただし、画面左下に青い電線がぶら下がってしまう。

この場所には、どう考えても三脚は立てられない。とはいえ、遠目だが、緑の断崖にちょこんと頭を見せている白い灯台、望遠なら何とか絵にできるかもしれない。横着して、望遠レンズを持ってこなかったことを少し悔やんだ。

帰路は、遊歩道を戻らなかった。可能な場合は、復路は、往路とは違う道を歩くことにしている。それに今回の場合、特に、遊歩道の途中の辛気臭いトンネルが嫌だったし、違った道を歩けば、違った景色に出会える可能性も高い。

海岸沿いに建つ白いホテルをちらっと眺めた。場所的に最高だが、オヤジのひとり旅、しかも撮影旅行には不向きだ。むろん宿泊費も高い。豪華な夕食など必要ないし、素泊まりで\10000はいくら何でも高すぎるだろう。

だらだらと坂をのぼった。すこし息切らせながら、海の見える高台に上がった。灯台は一般道の正面に見える。右側は、大げさに言えば太平洋だ。柵のある歩道を少し行くと、なんだか、陶芸店のようなものがあり、さらにその先には、一抱えもする大きな菱形の石に、何やら文字が見える。

立ち止まって、じっくり眺めた。高浜虚子の句碑らしい。<犬吠の 今宵の朧 待つとせん>。最後の<待つとせん>が読めなかったが、案内板があり、了解。口の中で何回か唱え、覚えようとした。おそらくは、例の海岸沿いのホテルに泊まって、部屋からぼうっと霞んだ灯台の明かりを見たのかもしれない。向き直って、太平洋の水平線を見た。すこしばかり、文学っぽい気分になった。

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2020

07/01

Wed.

10:42:15

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 犬吠埼灯台編

<灯台紀行・旅日誌>#7
五時すぎに、再度飯岡灯台、現着。陽は西に傾き始めていたが、まだまだ明るい。フル装備で、展望台の階段を上る。ふと振り返ると、東側の台地―下総台地に巨大風車が林立している。望遠400mmで何枚か撮った。

さらに、海の中にも風車が一基ある・これは銚子市が東電と組んだ、洋上風力発電の実証実験だそうだ・・・世界に飛び出すと、まあ~~いろんなことに出っくわすものだ!冷やかし半分に、パチリと、こやつも一枚撮った。

階段を登りきると、まずまずきれいな展望室。窓があるわけでもなく、ダイレクトに南西側の海が眺められる。要するにベランダ仕様だ。ぐるっと見回して、灯台君を見下ろす位置に三脚を立てた。ところがどっこい、仕切り壁から乗り出さないと、灯台と防波堤が画面におさまらない。

う~ん、しかたない。手持ちでベストポジションを確認、何枚か、かなり慎重に撮った。ちなみに、このポジションは、ネットで見た写真の中では最高のもので、多くの人が撮っている場所だ。むろん、同じ場所から撮ったとしても、自分がそれ以上の写真が撮れるとは、正直思わないが、ま、この場所しかないのだ。

さてと、そうこうしているうちに、ますます陽は傾き、空の色が徐々に変わり始めた。写真の世界でいうところの<ゴールアワー>だ。どの場所がいいのか、うかつにも、夕景のベストポジションは調べていない。

とりあえず、灯台正面に出た。西側の空を眺めると、まさに夕日が落ちつつある。あ~、そうだ、ここは夕日がきれいなところだったんだ。われながら、マヌケな感想だ。問題は、灯台と夕日を画面におさめることだ。

あたふたしながら、三脚を立て、さあ、予行演習してきた、日没の撮影だ。え~~~と、マニュルモード、F値8、ほぼ無限大にピント、ISOオート、ホワイトバランスオート、シャッタースピードの調整で、露出を沈む前は三分の二アンダー、沈んだら適正にする、だったかな???なんだか、頭が真っ白になっていた。おぼつかない。

おりしも、まさに<ゴールデンアワー>、なんだか人影が一気に増えてきた。だれもが夕陽を見に来たわけか!なかでも、若いカップルが多いような気がする。ま、そんなことはどうでもいい、集中だ。ファインダーをのぞきながら、ほぼ初めての夕景の撮影を開始した。

その時は、気分が高揚していて、モニターなどもろくにしないで、リモコンのシャッター音に酔っていた。もっとも、辺りが暗くなってきて、モニターそのものがかなり難しい。そしてついに日没。おっと、灯台の頭にあるライトがうっすら点灯。今度は<ブルーアワー>だ。

シャッタースピードを落として、カメラ内のインジケーターを、適性のゼロに合わせる。辺りは、ほぼ暗い。それでも、かなりの人影。<ブルーアワー>とは日没後の数十分のこと、こっちの方が、空がきれい撮れているように感じた。気持ち的に、少し余裕が出てきたので、ホワイトバランスをいろいろ試してみた。晴れマークのところが一番きれいだな、と判断できるようになった。

そのうち、陽は完全に沈んで、空の色は紺碧から漆黒へと変わっていった。とはいえ、周辺を見回すと、展望台の照明などでさほど暗くはない。と、灯台の頭にある照明が点灯したままで動かない。おやっと思ったが、すぐに得心した。この灯台の役目は、飯岡港に入ってくる漁船の目印だ。光線をぐるぐるさせる必要はない。

ちなみに、灯台のレンズには<閃光レンズ>と<不動レンズ>があるようだ。閃光の方は、レンズが回っていて、結果、光線がぐるぐる回っているように見える。一方、不動の方は、ついたり消えたりするだけらしい。飯岡灯台の仕様は、<不動フランネル式300㎜・明三秒・暗三秒>ということになっていた。

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