此岸からの風景
<日本灯台紀行 旅日誌>オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです
2020
07/28
Tue.
11:36:36
<灯台紀行・旅日誌>2020
Category【灯台紀行 犬吠埼灯台編】
<灯台紀行・旅日誌>2020#15
...浜に人影がなくなり、灯がともる前の灯台も、薄暗がりの中に佇んでいた。五時半だ、引き上げよう。三脚をたたみ、カメラをバックへおさめた。そうそう、書き忘れていたことがある。午後の休憩のあと、高台の駐車場から浜を見下ろした時のことだ。車が何台か閉鎖されているはずの浜の駐車場に入りこんでいる。あれ、駐車場の開放は、明日からだったはずだ。ようするに、<30日より開放>と告知されているので、早めに開けたのだろう。職員がわざわざ午前零時に開けに来ることもない。その辺は柔軟というか、お役所仕事だ。ま、どうでもいいが、こっちにとっては都合がいい。機材を運ぶ手間が省けるわけだ。
昨日、一昨日と、夜の八時近くまで写真を撮っていた。今日はまだ六時前、気が楽だった。途中、旭市の市街地で、ガソリンを補給。出てくるときに満タンにしてきたが、もう半分以上使っている。値段的に、さほど安くないので¥1000ほど入れただけだ。これで十分だ。けちくさい根性は一生なおらないだろう。
宿に着く前に、コンビニに寄った。三回目だ。まず、ブドウパンに牛乳、それにカツ丼弁当を買った。初日は食欲がなかったが、今日は腹が空いたような気がする。宿に着いたのは七時前。いつものようにすぐ着替えて、温泉に入った。こちらも今日が三回目だ。一応どうでもいいことだが、もっとも、どうでもいいこと以外には、書くことがあるとも思えないが、ともかく、一日目は、こちらに背中を向けた若い男が、湯船につかっていた。自分が入っていくと、それまでは寛いでいた感じなのに、そくそく出て行った。ま、こっちも一人の方がいい。
二日目は、風呂場の入口、下駄箱のところで、おばさんにばったり出っくわした。黒っぽい服を着て、愛想のないのっぺりした顔、猜疑心が目に出ている。よく出くわす人間の表情で、要するに警戒心や嫌悪感が丸出しだ。目礼もしないですれちがった。
他人を嫌な感じにさせる表情は、それだけで罪だと思う。自分もそういう時期があった。まずもって、額にしわを寄せ、目が険しい。人生が不幸なときだ。ある時そのことに気づいて、なるべく、<愁眉>を開くように心がけた。少しはニュートラル表情になったのか、ま、今はそれほど不幸でもないので、嫌な表情はしていないと思う。
三日目は、誰にも会わず、ゆっくり温泉につかった。温泉はさほど気にならなかったが、さすがに、ドライヤーを使う時には、コロナ菌が気になった。もっとも、あたり一帯、足ふきのバスマットも、脱衣カゴも、安全とは言えないだろう。
なるべく、物に触れないようにして、部屋に戻った。ノンアルビールを飲み、カツ丼弁当を食べた。レンジでチンすれば、もう少しうまかったかもしれない。だが、風呂場へ行く途中の、うす暗い物置のような場所に鎮座ましますレンジを、使う気にはなれなかった。
食事が終わり、布団にごろっと横になって、小さな画面のテレビを眺めた。まったく興味が持てず、八時になったので、部屋の電気を消した。あっという間に眠ったのだと思う。ま、静寂だけがこの宿の取り柄なのだ。
四日目。
翌朝は、四時に目覚めた。昨日、八時に寝たのだから、八時間寝たわけだ。そういえば、体も軽い。疲れが取れたような気がした。すぐに支度をして、部屋を後にした。と、その前に、一応、忘れ物がないか、冷蔵庫の中、クローゼットの中などをのぞいた。むろん、というか、性格だろう、布団もたたんで、そのうえ、流し周辺なども軽くふいて、部屋の原状復帰を果たした。
…宿から立ち去るとき、いつものようにふと思い浮かぶのは、今回は思い浮かばなかったが、二二六事件の兵士たちが、一晩泊った宿を去る時、布団もちゃんとたたんで、部屋をきれいにして立ち去ったという、ウソかホントか定かでない逸話だ。
その後の兵士たちの、軍隊内における処遇が過酷であったことを、後に知るのだが、皇軍兵士とは、そのようなものかとその時は思って、印象に残っている。が、いま思えば、上官の命令だったのかもしれないし、あるいは、残酷、残忍な内務班で、整理整頓を徹底的に教育されていたからかもしれないのだ。ま、今更、興奮しても仕方ない。老人の繰り言だ。
例の黄色のカゴに、使用済みのタオルなども入れ、部屋を出ようとした。ふと思いついて、室内の写真を数枚撮った。旅の記念だ。連泊の最後の日だから、鍵は掛けなかった。もう来ることもあるまいと思いながら、エレベーターに乗り一階に下りた。
まだ朝の五時すぎだというのに、受付には、穏やか感じのばあさんがいて<ありがとうございました>と言われたような気がする。鍵をカウンターの上の小さな箱に戻して、自分も口の中で<ありがとうございました>と言ったような気がする。
車に乗り込んだ。今日が最後だと思うと、朝っぱらから元気が出てきた。そうだ、飯岡漁港をちょっとのぞいてみよう。先日行ったときはコロナの影響で立ち入り禁止だった。
少し走ると、先日チューチューブで見た、目の前の大津波で立ち往生した、その自動車から映した、道沿いの民宿が見えた。外観はあの時のままだったような気がする。と、手前を左折して、すぐ左手に<いいおか公園>。前方には高い堤防が見え、その上に人がたくさんいる。釣りをしているのだ。
車をどこに止めようかなどと思いながら、行き過ぎてしまい、ユ-タンして、堤防近くの広い道に路駐。カメラを取り出し、付近の風景などをスナップ。とくに、刑部岬の断崖の上に立つ、飯岡灯台と展望台を、しつこく撮った。物にはならなかったけどね。
少し歩いて、堤防に斜めに掛けてある、たしかアルミ製だったかな、簡易的な階段を数段上る。と、そこはかなり幅広の道?堤防の上に出た。あとで知ったが釣りの名所らしい。それにしても、写真を撮る場所がないほど盛況。まだ朝の五時過ぎだぜ!
釣り人たちの間を歩いて、空いているところを探し、柵越しに太平洋の、何もない海と空を一枚撮った。あの向こうから、大津波が押し寄せてきたのか、という感傷に浸れるような状況でもなかった。要するに、朝っぱらから活気があって、みんな釣りに夢中だ。
これといった収穫もないまま、車に戻った。だが、往生際が悪く、またしつこく、逆光の刑部岬の、豆粒みたいな灯台と展望台を撮った。撮れた気もしなかったが、なぜか気分は上々だった。

...浜に人影がなくなり、灯がともる前の灯台も、薄暗がりの中に佇んでいた。五時半だ、引き上げよう。三脚をたたみ、カメラをバックへおさめた。そうそう、書き忘れていたことがある。午後の休憩のあと、高台の駐車場から浜を見下ろした時のことだ。車が何台か閉鎖されているはずの浜の駐車場に入りこんでいる。あれ、駐車場の開放は、明日からだったはずだ。ようするに、<30日より開放>と告知されているので、早めに開けたのだろう。職員がわざわざ午前零時に開けに来ることもない。その辺は柔軟というか、お役所仕事だ。ま、どうでもいいが、こっちにとっては都合がいい。機材を運ぶ手間が省けるわけだ。
昨日、一昨日と、夜の八時近くまで写真を撮っていた。今日はまだ六時前、気が楽だった。途中、旭市の市街地で、ガソリンを補給。出てくるときに満タンにしてきたが、もう半分以上使っている。値段的に、さほど安くないので¥1000ほど入れただけだ。これで十分だ。けちくさい根性は一生なおらないだろう。
宿に着く前に、コンビニに寄った。三回目だ。まず、ブドウパンに牛乳、それにカツ丼弁当を買った。初日は食欲がなかったが、今日は腹が空いたような気がする。宿に着いたのは七時前。いつものようにすぐ着替えて、温泉に入った。こちらも今日が三回目だ。一応どうでもいいことだが、もっとも、どうでもいいこと以外には、書くことがあるとも思えないが、ともかく、一日目は、こちらに背中を向けた若い男が、湯船につかっていた。自分が入っていくと、それまでは寛いでいた感じなのに、そくそく出て行った。ま、こっちも一人の方がいい。
二日目は、風呂場の入口、下駄箱のところで、おばさんにばったり出っくわした。黒っぽい服を着て、愛想のないのっぺりした顔、猜疑心が目に出ている。よく出くわす人間の表情で、要するに警戒心や嫌悪感が丸出しだ。目礼もしないですれちがった。
他人を嫌な感じにさせる表情は、それだけで罪だと思う。自分もそういう時期があった。まずもって、額にしわを寄せ、目が険しい。人生が不幸なときだ。ある時そのことに気づいて、なるべく、<愁眉>を開くように心がけた。少しはニュートラル表情になったのか、ま、今はそれほど不幸でもないので、嫌な表情はしていないと思う。
三日目は、誰にも会わず、ゆっくり温泉につかった。温泉はさほど気にならなかったが、さすがに、ドライヤーを使う時には、コロナ菌が気になった。もっとも、あたり一帯、足ふきのバスマットも、脱衣カゴも、安全とは言えないだろう。
なるべく、物に触れないようにして、部屋に戻った。ノンアルビールを飲み、カツ丼弁当を食べた。レンジでチンすれば、もう少しうまかったかもしれない。だが、風呂場へ行く途中の、うす暗い物置のような場所に鎮座ましますレンジを、使う気にはなれなかった。
食事が終わり、布団にごろっと横になって、小さな画面のテレビを眺めた。まったく興味が持てず、八時になったので、部屋の電気を消した。あっという間に眠ったのだと思う。ま、静寂だけがこの宿の取り柄なのだ。
四日目。
翌朝は、四時に目覚めた。昨日、八時に寝たのだから、八時間寝たわけだ。そういえば、体も軽い。疲れが取れたような気がした。すぐに支度をして、部屋を後にした。と、その前に、一応、忘れ物がないか、冷蔵庫の中、クローゼットの中などをのぞいた。むろん、というか、性格だろう、布団もたたんで、そのうえ、流し周辺なども軽くふいて、部屋の原状復帰を果たした。
…宿から立ち去るとき、いつものようにふと思い浮かぶのは、今回は思い浮かばなかったが、二二六事件の兵士たちが、一晩泊った宿を去る時、布団もちゃんとたたんで、部屋をきれいにして立ち去ったという、ウソかホントか定かでない逸話だ。
その後の兵士たちの、軍隊内における処遇が過酷であったことを、後に知るのだが、皇軍兵士とは、そのようなものかとその時は思って、印象に残っている。が、いま思えば、上官の命令だったのかもしれないし、あるいは、残酷、残忍な内務班で、整理整頓を徹底的に教育されていたからかもしれないのだ。ま、今更、興奮しても仕方ない。老人の繰り言だ。
例の黄色のカゴに、使用済みのタオルなども入れ、部屋を出ようとした。ふと思いついて、室内の写真を数枚撮った。旅の記念だ。連泊の最後の日だから、鍵は掛けなかった。もう来ることもあるまいと思いながら、エレベーターに乗り一階に下りた。
まだ朝の五時すぎだというのに、受付には、穏やか感じのばあさんがいて<ありがとうございました>と言われたような気がする。鍵をカウンターの上の小さな箱に戻して、自分も口の中で<ありがとうございました>と言ったような気がする。
車に乗り込んだ。今日が最後だと思うと、朝っぱらから元気が出てきた。そうだ、飯岡漁港をちょっとのぞいてみよう。先日行ったときはコロナの影響で立ち入り禁止だった。
少し走ると、先日チューチューブで見た、目の前の大津波で立ち往生した、その自動車から映した、道沿いの民宿が見えた。外観はあの時のままだったような気がする。と、手前を左折して、すぐ左手に<いいおか公園>。前方には高い堤防が見え、その上に人がたくさんいる。釣りをしているのだ。
車をどこに止めようかなどと思いながら、行き過ぎてしまい、ユ-タンして、堤防近くの広い道に路駐。カメラを取り出し、付近の風景などをスナップ。とくに、刑部岬の断崖の上に立つ、飯岡灯台と展望台を、しつこく撮った。物にはならなかったけどね。
少し歩いて、堤防に斜めに掛けてある、たしかアルミ製だったかな、簡易的な階段を数段上る。と、そこはかなり幅広の道?堤防の上に出た。あとで知ったが釣りの名所らしい。それにしても、写真を撮る場所がないほど盛況。まだ朝の五時過ぎだぜ!
釣り人たちの間を歩いて、空いているところを探し、柵越しに太平洋の、何もない海と空を一枚撮った。あの向こうから、大津波が押し寄せてきたのか、という感傷に浸れるような状況でもなかった。要するに、朝っぱらから活気があって、みんな釣りに夢中だ。
これといった収穫もないまま、車に戻った。だが、往生際が悪く、またしつこく、逆光の刑部岬の、豆粒みたいな灯台と展望台を撮った。撮れた気もしなかったが、なぜか気分は上々だった。

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