此岸からの風景
<日本灯台紀行 旅日誌>オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです
2020
11/29
Sun.
10:52:23
<灯台紀行・旅日誌>2020
Category【灯台紀行 新潟・鶴岡編】
<灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#10
鼠ヶ関灯台撮影3
小高くなった、灯台周りの狭い敷地から、陸地側を見た。目の下には<恋のいす>があった。赤い鳥居も見える。漁港とか三角の岩山とか、なかば逆光だが、いいロケーションだ。と思ったのだろう、パチリと一枚撮った。お遊びで、ブログに載せようとも思った。灯台の敷地から降りた。案内板のあたりで、コンクリ通路が二股になる。右側が、先ほど、海から登ってきた道。左側は、どこへ行くのだろう?三角岩山(=弁天島)の縁沿いに続いている。まあ、行ってみるか。灯台に背を向けて歩き出した。少し行って振り返り、写真を撮った。太陽が、真上近くにあり、斜め逆光、きれいには撮れない。この位置取りも、午前中に撮っておくべきだったな。
コンクリ通路は、緩やかな下りだった。と、向こうから、年配の夫婦がやってきた。いわゆる、後期高齢者だろう。その旦那と奥さんの距離の置き方が、ややおかしい。つまり、旦那の方は、通路の下の岩場を歩いて灯台へ向かっている。一方、奥さんは、歩きやすいコンクリ通路にいる。サングラスにサンバイザーを被っていたからなのか、二人の顔はよく見えなかった。いや、よく見なかった。
ただすれ違いざまに、左下にいる旦那の表情をちらっと見た。なんだか、苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。ものすごく暑い、ということもある。それにしても、互いに老い先短い夫婦が観光に来ているわけで、もう少し表情を崩してもいいだろう。余計なお世話だが。
三角岩山の影に入った。日陰だ。振り返って、灯台の方を見た。もう、かなり遠くて、写真にはならない。同時に、例の老夫婦の姿も目に入った。旦那は、岩場から、背丈以上高い、コンクリの通路へよじ登ろうとしている。奥さんの方は、コンクリ通路の上から、何か言っている。ようするに、旦那は、意固地になって道なき道を進んで、危険を冒している。奥さんが諌めているわけだ。
と、ふと思った。そうか、コンクリ通路ができる前は、波打ち際の岩場を伝わって灯台を見に行っていたんだ。旦那がよじ登ろうとしている場所には、おそらく、ロープか鎖が架かっていたのだろう。いわば、灯台への、昔の通路で、ひょっとしたら、旦那は、以前、今の奥さんではない、別の女性と一緒に歩いたのかもしれない。その記憶が、あの意固地さの由来だったのだ。おそらく間違いない!
日陰ということもあり、小休止方々、なおも、老夫婦の行方を眺めていた。旦那は、老体に鞭打って、あぶなかっしい感じで、何とか、通路に這い上がった。奥さんの諦め顔が目に浮かぶ。そのあと二人は、やはり少し距離を置いて、灯台の敷地に上がっていった。ふむ、<恋のいす>には腰掛けなかった。日向だからな。
そのあと、二人して、金毘羅様などをちらっと見て、灯台の根本へ行った。さっき自分が休憩していた、日陰だ。奥に旦那のシルエット、手前に奥さんのシルエットが見える。と、旦那のシルエットが半分になった。おそらく<愛のいす>に腰かけたのではないか。そして振り向いて、こっちに来い、と奥さんに呼びかけたのかもしれない。だが、奥さんのシルエットはそのままで、少したって、灯台の縁に腰かけた。シルエットは離れたままで、肩寄せ合って並ぶことはなかった。ま、あの旦那、奥さんに声はかけなかったかもしれない。
もういいだろう。灯台に背を向けた。三角岩山の裏側、というか表側に来た。見上げてみたものの、登れるような道も階段もなかった。それよりも、左手の漁港の向こうに、小さく、白い防波堤灯台が見える。いま思えば、灯台の根本から撮った、赤い防波堤灯台のペア灯台ということになる。近づくには、コンクリ通路からそれて、目の前の防波堤に登り、その上を百メートル以上歩いていかねばならない。
大した高さでもない、いちおう、防波堤に登った。辺りを見回した。炎天下の漁港に人影はない。ところが、防波堤は意外に高くて、幅も狭い。ちょっと危険を感じた。そのうえ、暑くてかなわん!ま、いいか、ということになり、コンクリ通路に戻った。灯台は、完全に三角岩山に隠れて見えなくなった。
少し行くと、朝来た時にUターンした場所に出た。立派な神社が目の前にある。日章旗が掲げてあったかな?目障りな感じがしないでもなかった。とはいえ、観光気分で、鳥居をくぐった。本殿の前に行って、財布から小銭を取りだし、賽銭箱に投げ込んだ。一応、手を合わせ、垂れ下がった太い紐を引っ張って、鈴を鳴らした。さえない音色だった。それと、賽銭箱の前に<おみくじ>があった。一瞬、引いてみようかと思った。だが自制した。意味がないだろう。
そうそう、書き記すのを忘れていたことを思い出した。灯台を去るときに、例の<しあわせの鐘>を、面白半分に鳴らしたのだ。意外に大きな音で、海に響き渡った。と、むかいの防波堤の影から、真っ白なプレジャーボートが、ものすごい勢いで、こっちに突進してくる。一瞬、あれ~まさかと思った。いたずらが発覚したような気持になった。そんなはずはない。なにしろ、ちょっと前、若いカップルが鳴らしていたのを、この耳で聞いているのだ。むろん、勘違いだった。白い波を立て、プレジャーボートは目の前を横切って行った。
どうでもいいことだが、鈴とか鐘とかがあると、意味もなく、鳴らしてみたい衝動に駆られるようなのだ。なぜだかわからない。これまで幾多の神社仏閣で、賽銭箱に小銭を入れたのは、鈴や鐘を鳴らしたいがための手続きだったような気がする。タダで鳴らすには気が引けたのだ。
なお、この<厳島神社>には、面白いものがあった。巨大な錨で、それも三基、形よく並べてあった。何しろ、くっついている鎖の(錨鎖=びょうさ、と言うらしい)一個が、手のひらサイズの大きさだ。なぜ、ここに置いてあるのか、案内板はなかったような気がする。まじめに?何枚かスナップした。ちなみに、この巨大錨は、先ほど書いた、トイレ正面の、背丈ほどの錨の数倍はあった。
これで、午前の撮影は終わり。十二時頃になっていた。鳥居を背にして、ぐるっと辺りを見回した。左手は、漁港。先ほど、その上から見た、防波堤下の道は、関係者以外立ち入り禁止だった。依然として、人影はない。なるほど、漁港全体が工事中なのだ。小さな立て看板を見たような気もする。と、真新しい灰色の防波堤の向こうに、白い防波堤灯台が見えた。道から、立ち入り禁止の漁港に少し入り込む。カメラを構えた。電線が邪魔だ。それに、工事中だけあって、付近が雑然としている。気のないシャッターを押した。
向き直って、駐車場へ向かった。その時、一台の軽自動車がやってきた。なかから、険悪な表情をした爺が出てきた。なぜか、こちらを睨んでいる。ちょっと体が不自由なようだ。その表情は、言ってみれば、激高した人間のそれで、怒りと嫌悪に満ち満ちている。何か、悪いことでもしたのかな、と自分を顧みた。あるとすれば、コロナ禍の中、旅行していることだ。もっとも、それとて<自粛要請>が出ているわけでもない。
ま、シカとして、自販機でスポーツ飲料を買った。と、爺が、道の向こうから、わざわざ自販機のそばまで、不自由な体を引きずってきた。相変わらず、激高した表情で、こちらを睨みつけている。あの体で運転して来たのか?いや、軽自動車から、息子のような、介護者のような、貧相な中年男が、爺のもとへ駆け寄ってきた。今や、二人は自販機の前にいる。
自分は五、六歩離れて、ふり返る。依然として爺が、こちらを睨みつけている。貧相な男が爺の腕を抱えて、無言で、なだめているようにみえた。なんだかよくわからない。自分の風体が気に障ったのだろうか?でかいカメラをぶら下げているのだから、写真を撮りに来た観光客であることは、誰が見ても一目瞭然だ。だが、じいっと何回も睨まれた。意味が分からない。釈然としなかった。
歩き始めると、右側の土産物店から、香ばしい匂いがしてきた。いや、もっと前から匂いには気づいていた。暗い店の中から、シルエットのおばさんが、<いらっしゃいませ>と声をかけてきた。軽く会釈して通り過ぎた。見ると、日向になっている道の方には、ずらっと台が置かれていて、その上に、イカとか魚とかが干してある。みな<ひらき>になった状態で、アウトドアで使う青い乾燥用ネットや、金網の中できれいに並んでいる。エイリアンみたいな形のものもあった。
土産物屋は二軒しかなかった。公衆便所に近い方の店では、二人のおばさんが、何か話しながら仕事をしていた。そばを通り過ぎても、何の反応もない。そのあと、便所で用を足した時、その店の、横壁の剥げかけた看板を見た。<・・・生産組合弁天販売所>とあった。二軒の土産物屋の、おばさんの愛想の違いが、理解できたような気がした。いま調べると、正確には<鼠ヶ関水産加工生産組合弁天販売店>だった。愛想のいい方は<弁天茶屋>。おそらく昔からの土産物屋なのだろう。前者は、漁師のおかみさんたちで、後者は茶屋の女将だったのだ。


鼠ヶ関灯台撮影3
小高くなった、灯台周りの狭い敷地から、陸地側を見た。目の下には<恋のいす>があった。赤い鳥居も見える。漁港とか三角の岩山とか、なかば逆光だが、いいロケーションだ。と思ったのだろう、パチリと一枚撮った。お遊びで、ブログに載せようとも思った。灯台の敷地から降りた。案内板のあたりで、コンクリ通路が二股になる。右側が、先ほど、海から登ってきた道。左側は、どこへ行くのだろう?三角岩山(=弁天島)の縁沿いに続いている。まあ、行ってみるか。灯台に背を向けて歩き出した。少し行って振り返り、写真を撮った。太陽が、真上近くにあり、斜め逆光、きれいには撮れない。この位置取りも、午前中に撮っておくべきだったな。
コンクリ通路は、緩やかな下りだった。と、向こうから、年配の夫婦がやってきた。いわゆる、後期高齢者だろう。その旦那と奥さんの距離の置き方が、ややおかしい。つまり、旦那の方は、通路の下の岩場を歩いて灯台へ向かっている。一方、奥さんは、歩きやすいコンクリ通路にいる。サングラスにサンバイザーを被っていたからなのか、二人の顔はよく見えなかった。いや、よく見なかった。
ただすれ違いざまに、左下にいる旦那の表情をちらっと見た。なんだか、苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。ものすごく暑い、ということもある。それにしても、互いに老い先短い夫婦が観光に来ているわけで、もう少し表情を崩してもいいだろう。余計なお世話だが。
三角岩山の影に入った。日陰だ。振り返って、灯台の方を見た。もう、かなり遠くて、写真にはならない。同時に、例の老夫婦の姿も目に入った。旦那は、岩場から、背丈以上高い、コンクリの通路へよじ登ろうとしている。奥さんの方は、コンクリ通路の上から、何か言っている。ようするに、旦那は、意固地になって道なき道を進んで、危険を冒している。奥さんが諌めているわけだ。
と、ふと思った。そうか、コンクリ通路ができる前は、波打ち際の岩場を伝わって灯台を見に行っていたんだ。旦那がよじ登ろうとしている場所には、おそらく、ロープか鎖が架かっていたのだろう。いわば、灯台への、昔の通路で、ひょっとしたら、旦那は、以前、今の奥さんではない、別の女性と一緒に歩いたのかもしれない。その記憶が、あの意固地さの由来だったのだ。おそらく間違いない!
日陰ということもあり、小休止方々、なおも、老夫婦の行方を眺めていた。旦那は、老体に鞭打って、あぶなかっしい感じで、何とか、通路に這い上がった。奥さんの諦め顔が目に浮かぶ。そのあと二人は、やはり少し距離を置いて、灯台の敷地に上がっていった。ふむ、<恋のいす>には腰掛けなかった。日向だからな。
そのあと、二人して、金毘羅様などをちらっと見て、灯台の根本へ行った。さっき自分が休憩していた、日陰だ。奥に旦那のシルエット、手前に奥さんのシルエットが見える。と、旦那のシルエットが半分になった。おそらく<愛のいす>に腰かけたのではないか。そして振り向いて、こっちに来い、と奥さんに呼びかけたのかもしれない。だが、奥さんのシルエットはそのままで、少したって、灯台の縁に腰かけた。シルエットは離れたままで、肩寄せ合って並ぶことはなかった。ま、あの旦那、奥さんに声はかけなかったかもしれない。
もういいだろう。灯台に背を向けた。三角岩山の裏側、というか表側に来た。見上げてみたものの、登れるような道も階段もなかった。それよりも、左手の漁港の向こうに、小さく、白い防波堤灯台が見える。いま思えば、灯台の根本から撮った、赤い防波堤灯台のペア灯台ということになる。近づくには、コンクリ通路からそれて、目の前の防波堤に登り、その上を百メートル以上歩いていかねばならない。
大した高さでもない、いちおう、防波堤に登った。辺りを見回した。炎天下の漁港に人影はない。ところが、防波堤は意外に高くて、幅も狭い。ちょっと危険を感じた。そのうえ、暑くてかなわん!ま、いいか、ということになり、コンクリ通路に戻った。灯台は、完全に三角岩山に隠れて見えなくなった。
少し行くと、朝来た時にUターンした場所に出た。立派な神社が目の前にある。日章旗が掲げてあったかな?目障りな感じがしないでもなかった。とはいえ、観光気分で、鳥居をくぐった。本殿の前に行って、財布から小銭を取りだし、賽銭箱に投げ込んだ。一応、手を合わせ、垂れ下がった太い紐を引っ張って、鈴を鳴らした。さえない音色だった。それと、賽銭箱の前に<おみくじ>があった。一瞬、引いてみようかと思った。だが自制した。意味がないだろう。
そうそう、書き記すのを忘れていたことを思い出した。灯台を去るときに、例の<しあわせの鐘>を、面白半分に鳴らしたのだ。意外に大きな音で、海に響き渡った。と、むかいの防波堤の影から、真っ白なプレジャーボートが、ものすごい勢いで、こっちに突進してくる。一瞬、あれ~まさかと思った。いたずらが発覚したような気持になった。そんなはずはない。なにしろ、ちょっと前、若いカップルが鳴らしていたのを、この耳で聞いているのだ。むろん、勘違いだった。白い波を立て、プレジャーボートは目の前を横切って行った。
どうでもいいことだが、鈴とか鐘とかがあると、意味もなく、鳴らしてみたい衝動に駆られるようなのだ。なぜだかわからない。これまで幾多の神社仏閣で、賽銭箱に小銭を入れたのは、鈴や鐘を鳴らしたいがための手続きだったような気がする。タダで鳴らすには気が引けたのだ。
なお、この<厳島神社>には、面白いものがあった。巨大な錨で、それも三基、形よく並べてあった。何しろ、くっついている鎖の(錨鎖=びょうさ、と言うらしい)一個が、手のひらサイズの大きさだ。なぜ、ここに置いてあるのか、案内板はなかったような気がする。まじめに?何枚かスナップした。ちなみに、この巨大錨は、先ほど書いた、トイレ正面の、背丈ほどの錨の数倍はあった。
これで、午前の撮影は終わり。十二時頃になっていた。鳥居を背にして、ぐるっと辺りを見回した。左手は、漁港。先ほど、その上から見た、防波堤下の道は、関係者以外立ち入り禁止だった。依然として、人影はない。なるほど、漁港全体が工事中なのだ。小さな立て看板を見たような気もする。と、真新しい灰色の防波堤の向こうに、白い防波堤灯台が見えた。道から、立ち入り禁止の漁港に少し入り込む。カメラを構えた。電線が邪魔だ。それに、工事中だけあって、付近が雑然としている。気のないシャッターを押した。
向き直って、駐車場へ向かった。その時、一台の軽自動車がやってきた。なかから、険悪な表情をした爺が出てきた。なぜか、こちらを睨んでいる。ちょっと体が不自由なようだ。その表情は、言ってみれば、激高した人間のそれで、怒りと嫌悪に満ち満ちている。何か、悪いことでもしたのかな、と自分を顧みた。あるとすれば、コロナ禍の中、旅行していることだ。もっとも、それとて<自粛要請>が出ているわけでもない。
ま、シカとして、自販機でスポーツ飲料を買った。と、爺が、道の向こうから、わざわざ自販機のそばまで、不自由な体を引きずってきた。相変わらず、激高した表情で、こちらを睨みつけている。あの体で運転して来たのか?いや、軽自動車から、息子のような、介護者のような、貧相な中年男が、爺のもとへ駆け寄ってきた。今や、二人は自販機の前にいる。
自分は五、六歩離れて、ふり返る。依然として爺が、こちらを睨みつけている。貧相な男が爺の腕を抱えて、無言で、なだめているようにみえた。なんだかよくわからない。自分の風体が気に障ったのだろうか?でかいカメラをぶら下げているのだから、写真を撮りに来た観光客であることは、誰が見ても一目瞭然だ。だが、じいっと何回も睨まれた。意味が分からない。釈然としなかった。
歩き始めると、右側の土産物店から、香ばしい匂いがしてきた。いや、もっと前から匂いには気づいていた。暗い店の中から、シルエットのおばさんが、<いらっしゃいませ>と声をかけてきた。軽く会釈して通り過ぎた。見ると、日向になっている道の方には、ずらっと台が置かれていて、その上に、イカとか魚とかが干してある。みな<ひらき>になった状態で、アウトドアで使う青い乾燥用ネットや、金網の中できれいに並んでいる。エイリアンみたいな形のものもあった。
土産物屋は二軒しかなかった。公衆便所に近い方の店では、二人のおばさんが、何か話しながら仕事をしていた。そばを通り過ぎても、何の反応もない。そのあと、便所で用を足した時、その店の、横壁の剥げかけた看板を見た。<・・・生産組合弁天販売所>とあった。二軒の土産物屋の、おばさんの愛想の違いが、理解できたような気がした。いま調べると、正確には<鼠ヶ関水産加工生産組合弁天販売店>だった。愛想のいい方は<弁天茶屋>。おそらく昔からの土産物屋なのだろう。前者は、漁師のおかみさんたちで、後者は茶屋の女将だったのだ。


[edit]
2020
11/25
Wed.
11:29:41
<灯台紀行・旅日誌>2020
Category【灯台紀行 新潟・鶴岡編】
<灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#9
鼠ヶ関灯台撮影2
灯台に、これ以上近づくと、写真にはならない。被写体がでかすぎて画面におさまらないのだ。いや、縦位置なら入る。でも<縦位置>は禁じ手にしている。何が何でも<横位置>で撮ることにしている。理由は、灯台を風景の中に開放したいのだ。正確ではない。わかりやすく言えば、灯台のある風景が好きなのだ。横位置の画面は、横への広がりがあり、当たり前だ<横位置>なんだから、風景写真に適している、と思っている。
とにかく、近すぎて灯台はもう撮れない。だが、行けるところまで行く。近づけるところまで近づく、というのが信条だ。<信条>という言葉は大袈裟すぎないか?ま、いい。鮮やかな赤い鳥居をくぐって、灯台の根本まで行った。笑っちゃいけないんだけれども、座面に<恋のいす>と書かれた、背なしの木製ベンチあった。<恋>は赤色、<のいす>は青色になっている。設置したばかりなのだろう、真新しい感じだ。カンカン照りの炎天下でなければ、面白半分に腰かけたかも知れない。
さらに、灯台に近づいた。と、その前に、左手にある<金毘羅様>を見た。もっとも、この時は<金毘羅様>だとは思っていない。赤い鳥居をくぐった先にあるのだから、<神様>を祭っていることくらい気づいてもよさそうなものだ。だが、くすんだステンの柵に囲まれた、石の小さな社を、何かの冗談かなと思ったような気もする。何しろ、背後の高いところに、ジングルベルの鐘がぶら下がっているし、脇には金属製の細いポールが立っていて、てっぺんにピンクの布切れがひらひらしているのだ。おそらく、ちゃんとは見ていない。何しろ、暑くて、早く日陰で休みたかったのだ。
<燈台もと暗し>とはよく言ったものだ。誰が言い出したことなのか、まったく知らないけれど、面白い比喩だ。その<灯台のもと>、根本に近づいたのは、<信条>だけではなく、生理的な欲求も絡んでいた。つまり、灯台の根本には、必ず日陰になっている場所があり、そこで一息入れたいのだ。
鼠ヶ関灯台の正面?灯台本体への入り口のドアは、なんだかにぎやかだった。一番上に赤系統の浮き輪がレイアウトしてある。撮った写真で確認すると、その下は灯台の案内や説明のパンフなどが貼りつけてあるような感じだ。ま、とにかく、レイアウトの色合いがきれいだなと思った。
灯台の根本は、ぐるっと腰かけられるようになっていた。ご丁寧なことに、コンクリ細工の小さな座布団までしつらえてある。思った通り、日陰があり、うれしいことに、涼しい海風が吹いている。とまた、海に向かって、この狭い場所に木製の背なしベンチがある。座面に<愛のいす>とある。仕様は<恋のいす>と全く同じ。<恋>という文字が<愛>に変わっているだけ。まいったな、と苦笑いした。汗びっしょりのロンTを脱ぎ捨て、給水。上半身裸、靴下も脱いで裸足になり、一息入れた。<十時半灯台で休憩>とメモにあった。
八時から撮り始めたのだから、二時間も、炎天下の中で写真を撮っていたことになる。その間、さほど暑いとも、疲れたとも感じなかった。だが、今は、さすがにぐったりだ。涼しい海風も吹いている。ここで、小一時間休んでいこう。背筋を伸ばして、座りなおした。というのも、灯台根本の縁のような腰掛の幅が狭くて、背筋を緩めた楽な姿勢では座れないのだ。つまり、灯台本体に背筋をぴたっとつけて真っすぐに座る方が、まだ楽だ。背中が灯台の冷たさを感じた。首や手足の筋肉を緩めた。頭を垂れた感じで姿勢よく座っている。さいわい、灯台見物の観光客は来なかった。目を軽く閉じて、この後の予定を考えた。微かに波音が聞こえたような気もする。何しろ、さほど高くはないが、断崖の先端に居たのだから。
明かりは、この後、日が昇るにつれて、ますますトップライトだ。灯台はもとより、海も空も断崖も、きれいには撮れないだろう。もっとも、無理して撮ることもない。午前中の、最高の明かりで、写真は五万と撮っている。あれ以上の写真が撮れるとは思えない。とはいえ、午後の明かりはどうだろう。灯台が、また違った姿を見せてくれるかもしれない。
姿勢を変えた。狭い縁の腰掛に、肘を枕にして横になろうとした。だが、これは無理だった。縁の腰掛は、灯台の胴体に沿っているわけで、緩やかにカーブしている。うまく横になれない。その上、心づかいのコンクリ細工の座布団が、腰に当たって痛いのだ。そばにあった、着替え用のロンTを当てがったものの、寝心地の悪さは改善しなかった。
少し我慢していたが、そのうち起き上がった。先ほどよりは、多少緩やかな姿勢で座りなおした。足は曲げずに、投げ出すように前に伸ばした。足先が少し、日陰から外に出た。多少引っ込め、そのまま頭を垂れた。夕陽までは、さすがに待てないよな。日没がおそらく、六時半、それから夜道を二時間半走って、宿に戻る。いや、三条のホテルには戻らず、鶴岡に宿をとる、という手もある。その辺の民宿という手もあるが、これはやはり却下だな。それにしても、ここから、鶴岡市街までどのくらいあるのだろう。
座りなおした。少し頭がはっきりしていた。携帯で、鶴岡までの距離やホテルの予約状況などを調べた。距離は約40キロ、一時間強。ビジネスホテルはたくさんあり、当日予約もできなくはない。だが、翌日の帰路が大変になる。自宅まで、おそらく400キロ以上走らねばならない。あ~、来る前にさんざん考えたことだ。日程的に、夕景の撮影は無理なのだ。また、いつかそのうち、撮りに来ることもあるだろう。自分の気持ちをなだめた。
さてと、なんだか、目が覚めてしまった。といっても、まだ十一時過ぎだ。この暑さ、どう考えたって、二時過ぎまで、撮影は無理でしょう。もう少し、ここでゆっくりしよう。改めて、辺りを見回した。なるほど、いい景色だ。望遠カメラを取りだした。裸足のまま、数歩歩いて、例の<愛のいす>に近づいた。ほとんど何のためらいもなく、座った。目の前には、そう、真っ青な日本海が広がっていた。
眼下の岩場には、カモメのような鳥が一羽、波しぶきを受けながらも、一か所にとどまっている。魚を狙っているんだなと思った。望遠でのぞくと、何やら、目が鋭くて、怖い表情だ。なるほど<ウミネコ>だ。向こうを向いたりして、なかなか表情がちゃんと撮れない。周りに仲間はいない。まさに一匹狼?の、はぐれ鳥だろう。少しの間、岩場にとまっている<ウミネコ>を眺めていた。自分より強いな、と思ったような気もする。
<愛のいす>から立ち上がった。いったんカメラをおさめて、今度は、海岸寄りの、海の中にある赤い防波堤灯台を、柵越しに眺めた。よく見ると、灯台の立っている防波堤は、波消しブロックで全面ガードされている。だから、その赤い物体は、波消しブロックの上に立っているようにも見える。遠目とはいえ、空も海も真っ青、小さいが、紅一点が目立つ。形は、昨日新潟で撮ったものとほぼ同型。だが、ロケーションが違うせいか、別物に見える。どこか、雄々しい感じがする。これはこれでいいなあ~と思った。
十一時半を過ぎていたのだろうか。引き上げだ。灯台の日向側に干したロンTを取りに行った。日射をもろに浴びた。暑いな~!ロンTはすっかり渇いていた。ふと、眼下の岩場を見た。<ウミネコ>はいなかった。いや、海の方へ飛び立っていく姿を見たような気もする。それに、休憩の最後の方に、若いカップルがすぐ近くまで来たような気もする。自分の前を通って、<愛のいす>に二人して腰かけたのだろうか。それとも<恋のいす>に肩寄せ合って座っている姿を見たのだろうか。定かではない。夢、幻か。



鼠ヶ関灯台撮影2
灯台に、これ以上近づくと、写真にはならない。被写体がでかすぎて画面におさまらないのだ。いや、縦位置なら入る。でも<縦位置>は禁じ手にしている。何が何でも<横位置>で撮ることにしている。理由は、灯台を風景の中に開放したいのだ。正確ではない。わかりやすく言えば、灯台のある風景が好きなのだ。横位置の画面は、横への広がりがあり、当たり前だ<横位置>なんだから、風景写真に適している、と思っている。
とにかく、近すぎて灯台はもう撮れない。だが、行けるところまで行く。近づけるところまで近づく、というのが信条だ。<信条>という言葉は大袈裟すぎないか?ま、いい。鮮やかな赤い鳥居をくぐって、灯台の根本まで行った。笑っちゃいけないんだけれども、座面に<恋のいす>と書かれた、背なしの木製ベンチあった。<恋>は赤色、<のいす>は青色になっている。設置したばかりなのだろう、真新しい感じだ。カンカン照りの炎天下でなければ、面白半分に腰かけたかも知れない。
さらに、灯台に近づいた。と、その前に、左手にある<金毘羅様>を見た。もっとも、この時は<金毘羅様>だとは思っていない。赤い鳥居をくぐった先にあるのだから、<神様>を祭っていることくらい気づいてもよさそうなものだ。だが、くすんだステンの柵に囲まれた、石の小さな社を、何かの冗談かなと思ったような気もする。何しろ、背後の高いところに、ジングルベルの鐘がぶら下がっているし、脇には金属製の細いポールが立っていて、てっぺんにピンクの布切れがひらひらしているのだ。おそらく、ちゃんとは見ていない。何しろ、暑くて、早く日陰で休みたかったのだ。
<燈台もと暗し>とはよく言ったものだ。誰が言い出したことなのか、まったく知らないけれど、面白い比喩だ。その<灯台のもと>、根本に近づいたのは、<信条>だけではなく、生理的な欲求も絡んでいた。つまり、灯台の根本には、必ず日陰になっている場所があり、そこで一息入れたいのだ。
鼠ヶ関灯台の正面?灯台本体への入り口のドアは、なんだかにぎやかだった。一番上に赤系統の浮き輪がレイアウトしてある。撮った写真で確認すると、その下は灯台の案内や説明のパンフなどが貼りつけてあるような感じだ。ま、とにかく、レイアウトの色合いがきれいだなと思った。
灯台の根本は、ぐるっと腰かけられるようになっていた。ご丁寧なことに、コンクリ細工の小さな座布団までしつらえてある。思った通り、日陰があり、うれしいことに、涼しい海風が吹いている。とまた、海に向かって、この狭い場所に木製の背なしベンチがある。座面に<愛のいす>とある。仕様は<恋のいす>と全く同じ。<恋>という文字が<愛>に変わっているだけ。まいったな、と苦笑いした。汗びっしょりのロンTを脱ぎ捨て、給水。上半身裸、靴下も脱いで裸足になり、一息入れた。<十時半灯台で休憩>とメモにあった。
八時から撮り始めたのだから、二時間も、炎天下の中で写真を撮っていたことになる。その間、さほど暑いとも、疲れたとも感じなかった。だが、今は、さすがにぐったりだ。涼しい海風も吹いている。ここで、小一時間休んでいこう。背筋を伸ばして、座りなおした。というのも、灯台根本の縁のような腰掛の幅が狭くて、背筋を緩めた楽な姿勢では座れないのだ。つまり、灯台本体に背筋をぴたっとつけて真っすぐに座る方が、まだ楽だ。背中が灯台の冷たさを感じた。首や手足の筋肉を緩めた。頭を垂れた感じで姿勢よく座っている。さいわい、灯台見物の観光客は来なかった。目を軽く閉じて、この後の予定を考えた。微かに波音が聞こえたような気もする。何しろ、さほど高くはないが、断崖の先端に居たのだから。
明かりは、この後、日が昇るにつれて、ますますトップライトだ。灯台はもとより、海も空も断崖も、きれいには撮れないだろう。もっとも、無理して撮ることもない。午前中の、最高の明かりで、写真は五万と撮っている。あれ以上の写真が撮れるとは思えない。とはいえ、午後の明かりはどうだろう。灯台が、また違った姿を見せてくれるかもしれない。
姿勢を変えた。狭い縁の腰掛に、肘を枕にして横になろうとした。だが、これは無理だった。縁の腰掛は、灯台の胴体に沿っているわけで、緩やかにカーブしている。うまく横になれない。その上、心づかいのコンクリ細工の座布団が、腰に当たって痛いのだ。そばにあった、着替え用のロンTを当てがったものの、寝心地の悪さは改善しなかった。
少し我慢していたが、そのうち起き上がった。先ほどよりは、多少緩やかな姿勢で座りなおした。足は曲げずに、投げ出すように前に伸ばした。足先が少し、日陰から外に出た。多少引っ込め、そのまま頭を垂れた。夕陽までは、さすがに待てないよな。日没がおそらく、六時半、それから夜道を二時間半走って、宿に戻る。いや、三条のホテルには戻らず、鶴岡に宿をとる、という手もある。その辺の民宿という手もあるが、これはやはり却下だな。それにしても、ここから、鶴岡市街までどのくらいあるのだろう。
座りなおした。少し頭がはっきりしていた。携帯で、鶴岡までの距離やホテルの予約状況などを調べた。距離は約40キロ、一時間強。ビジネスホテルはたくさんあり、当日予約もできなくはない。だが、翌日の帰路が大変になる。自宅まで、おそらく400キロ以上走らねばならない。あ~、来る前にさんざん考えたことだ。日程的に、夕景の撮影は無理なのだ。また、いつかそのうち、撮りに来ることもあるだろう。自分の気持ちをなだめた。
さてと、なんだか、目が覚めてしまった。といっても、まだ十一時過ぎだ。この暑さ、どう考えたって、二時過ぎまで、撮影は無理でしょう。もう少し、ここでゆっくりしよう。改めて、辺りを見回した。なるほど、いい景色だ。望遠カメラを取りだした。裸足のまま、数歩歩いて、例の<愛のいす>に近づいた。ほとんど何のためらいもなく、座った。目の前には、そう、真っ青な日本海が広がっていた。
眼下の岩場には、カモメのような鳥が一羽、波しぶきを受けながらも、一か所にとどまっている。魚を狙っているんだなと思った。望遠でのぞくと、何やら、目が鋭くて、怖い表情だ。なるほど<ウミネコ>だ。向こうを向いたりして、なかなか表情がちゃんと撮れない。周りに仲間はいない。まさに一匹狼?の、はぐれ鳥だろう。少しの間、岩場にとまっている<ウミネコ>を眺めていた。自分より強いな、と思ったような気もする。
<愛のいす>から立ち上がった。いったんカメラをおさめて、今度は、海岸寄りの、海の中にある赤い防波堤灯台を、柵越しに眺めた。よく見ると、灯台の立っている防波堤は、波消しブロックで全面ガードされている。だから、その赤い物体は、波消しブロックの上に立っているようにも見える。遠目とはいえ、空も海も真っ青、小さいが、紅一点が目立つ。形は、昨日新潟で撮ったものとほぼ同型。だが、ロケーションが違うせいか、別物に見える。どこか、雄々しい感じがする。これはこれでいいなあ~と思った。
十一時半を過ぎていたのだろうか。引き上げだ。灯台の日向側に干したロンTを取りに行った。日射をもろに浴びた。暑いな~!ロンTはすっかり渇いていた。ふと、眼下の岩場を見た。<ウミネコ>はいなかった。いや、海の方へ飛び立っていく姿を見たような気もする。それに、休憩の最後の方に、若いカップルがすぐ近くまで来たような気もする。自分の前を通って、<愛のいす>に二人して腰かけたのだろうか。それとも<恋のいす>に肩寄せ合って座っている姿を見たのだろうか。定かではない。夢、幻か。



[edit]
2020
11/22
Sun.
11:01:44
<灯台紀行・旅日誌>2020
Category【灯台紀行 新潟・鶴岡編】
<灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#8
鼠ケ関灯台撮影1
さてと、車から出た。これは、と思うほど蒸し暑い。もちろん陽射しも強い。だが、ここまで来た以上、暑いの寒いのと言っていられない。カメラバックを背負った。横にあった、公衆便所で用を足した。それなりの臭いがした。便所の正面には、自分の背丈以上の錆びた錨が、どんと置いてあった。なんじゃらほいと思いながら、記念写真をパチリと一枚撮った。
便所の横を回って、浜に出た。緩やかなコンクリの段々があり、背後には一段と高くなった、小さな展望台があった。屋根があるから、多少の日陰になっている。あとで、あそこからも撮ろうと思った。向き直ると、弓なりの浜の向こうに、なぜか、そこだけ凹っと、三角の岩山がある。てっぺんの方に松が密集して生えている。そのまま視線を左に移動すると、鳥居が見え、さらにその先の断崖に灯台が見えた。
浜からは、ちょっと遠目、灯台の垂直もイマイチよくない。だが、左手に、海の中に突き出た防波堤がある。撮るならあっちだなと思いながら、近づいて行った。長い距離ではない。が、そこまで行くにも、二、三歩行っては、カメラを灯台の方へ向けてシャッターを押した。念のためというよりは、できることなら、灯台を全方向から撮りたいのだ。その中からベストのものを選ぶ。
むろん、海側からは撮れないし、今回の場合は灯台の向こう側の浜からも撮れない。砂浜が、ずうっと陸地へ後退しているからだ。それでも、全方向から撮る、という原則は貫きたかった。もっとも、最近は<ドローン撮影>というものがあって、字義通り、全方向から撮ることも可能だ。灯台に関しても、<ドローン撮影>をした動画がユーチューブにたくさんアップされている。空からの、見たこともないアングルだから、面白い。
<ドローン>か!少し食指が動いて、ネットで調べてみた。結果、<ドローン>撮影を請け負う会社があるくらいで、素人が、ちょこっと撮影できるようなものではない、ということが判明した。もちろん、趣味で、小さなドローンを、ちょうど、ラジコン飛行機のように飛ばすことはできるだろう。だが、こっちの目的は、巨大な灯台を、海側から、あるいは、背後から撮るという壮大なもの?で、どう考えても、高度な技術とかなりの金が必要だ。ま、俺に野心があったなら、ドローン技術を習得して、誰も見たことのないアングルで、灯台を撮ることができるかも知れない、などと一瞬アホな夢想をした。
山形県鶴岡市の、鼠ヶ関灯台の撮影に戻ろう。風景撮影は午前中が鉄則、と何かで読んだ覚えがある。別に、それに従ったわけでもないが、午前中の、よい光の中で撮影ができた。つまり、運良く、灯台に光が当たっていたのだ。それもほどよく!思えば、昨日の角田岬灯台にも、光が当たっていた。やはり午前中だ。主要被写体の灯台に光が当たっていないと、何となくさえない写真になってしまう。犬吠埼灯台で経験済みだった。今回は、ある意味、千載一遇のチャンスかもしれない。防波堤を隅から隅まで歩いて、できうる限り、慎重に撮った。
一息入れよう。撮りながら戻り、先ほどの展望台に上がった。といっても、浜よりほんの少し高い程度だが。コンクリのテーブルが二つあり、それぞれに腰掛が左右一つずつある。なるほど、対面して、灯台や夕日が眺められるわけだ。案内板には、海の向こうに夕日が落ちる写真も印刷されている。
一つのテーブルには、横からの日射が当たっている。日陰になっている方に陣取り、まずは着替えた。びっしょりになったロンTを、その、陽の当たっているテーブルの上に広げた。上半身裸のまま、ベンチに腰かけて、給水。一息入れて、バックから、望遠カメラを撮りだした。横着して、三脚は持ってこなかった。すぐそばの車の中にはある。が、取りに行くのが面倒だ。それに、この位置からだと、灯台の垂直がイマイチよくない。必要ないだろう。しゃがみこんで、柵の上にカメラを乗せ、何枚かは撮った。
ろくにモニターもせず、二台のカメラをテーブルの上に載せたまま、海の方を眺めた。上半身裸のままだ。靴下も脱いでいたと思う。夕日がきれいだとは聞いていた。目の前の光景を、頭の中で夕景に変換した。なるほど、確かに海に沈む夕日はきれいだろう。ただし、灯台も岬もシルエットだ。是が非でも撮りたいとは思わなかった。それに、日程的に無理だろう。二時間半かけて、三条まで帰らなくてはならないのだ。
多少の心残りを感じながら、身支度をした。展望台を下りて、辺りを見回した。弓なりの砂浜沿いに、背丈ほどの、頑丈そうなコンクリの防潮堤がある。その下が遊歩道になっていて、灯台の方へ続いている。あそこを歩いてくのが一番楽だ。だが、灯台の垂直を考えるならば、波打ち際を歩きながら撮るのがベストだ。それに、浜が切れたところに、波消しブロックに守られた防波堤がる。あれに登って、先端まで行けば、灯台の垂直はほぼ確保できるだろう。
砂浜を歩き始めた。きれいな砂浜ではない。プラごみなども散乱している。とはいえ、海水は透き通るほどきれいで、断崖に立つ灯台は真っ白、神々しいほどに美しい。近寄れば近寄るほど、そばにある鳥居の赤が目にも鮮やかだ。青空にうっすら雲がたなびき、かすかに波が押し寄せている。これで、海風が心地よかったら、最高だろうなと思った。実際は、歩き始めるとすぐ汗だく、陽が高くなり始めていて、これは危険な暑さでしょう。
砂浜は波消しブロックで終わっていた。その波けしブロックをよじ登って、防波堤に上がった。凹凸のある表面で歩きづらい。とはいえ、灯台は目の前だ。水平線と灯台の垂直が両立している。大小二本の鳥居もはっきり見える。もっとも、灯台見物に来た観光客の姿もはっきり見えた。さいわいにも、人数的には少なくて、若いカップル、爺ちゃんコミの家族、若者一人、若い母親と子供、確かそのくらいだった。煩はしいというほどでもなかった。さすがに最果ての灯台だ。防波堤を行ったり来たりしながら、ゆっくり楽しみながら撮った。
さてと、いよいよ灯台のある断崖に上陸だ。砂浜から上がって、断崖にかかる急な階段を登った。その階段の手すりが、ちゃっちい感じで、半分壊れかけている。見ると、断崖の岩盤に、直接ぶっといフックのようなものが打ち込まれている。なるほど、以前は、この階段すらなくて、フックにロープか鎖を通していたんだ。それを手にして断崖をよじ登る。山の急な岩場などを登るときの仕掛けだ。一、二度経験したことがある。その方が面白かったなと思った。
登るまでは、大した高さの断崖じゃないと思っていた。だが、実際登ってみると、息が切れた。いや、こっちが疲れていたんだろう。それに、もうジジイなんだ。色の塗ってない、しらっ茶けた、大きな木の鳥居をくぐった。と、断崖の上に到着。平場になっていて、コンクリの通路が灯台へと続いている。なんだか、雑然とした感じがしないでもない。
そもそも、自然の岩場、断崖の上に、コンクリの通路があるのが、おかしいでしょう。それに、赤い鳥居、ま、これはきれいだから許せるとしても、その奥の、灯台の真横にある、小さな、ちゃっちい社(失礼!金毘羅様が祭られているらしい)、それに鐘撞台だ。いや、今調べたら、鐘撞台じゃない、<幸せの鐘>というらしい。最近設置されたようだ。とにかく、灯台の周りが、多少ごちゃごちゃしているような気がした。とはいえ、さすがに、コンクリ通路の両側には、ちゃんとした柵があった。何しろ断崖の上なのだ。
案内板を見た。付近が、ちょっと広くなっている。なるほど、ここが、写真の画面に灯台がおさまる限界なのだろう。ネットでも、この辺りから撮ったであろう画像がたくさんあった。ま、文句はない。正面から灯台を撮るには、ここしかないのだ。赤い鳥居を入れて、気合を入れて何枚も撮った。狭い断崖の上を、右に左にと移動して、粘るだけ粘った。もう限界だろう。<金毘羅様>も<幸せの鐘>も<コンクリの通路>も、この際関係ないような気がした。気にならなくなっていた。




鼠ケ関灯台撮影1
さてと、車から出た。これは、と思うほど蒸し暑い。もちろん陽射しも強い。だが、ここまで来た以上、暑いの寒いのと言っていられない。カメラバックを背負った。横にあった、公衆便所で用を足した。それなりの臭いがした。便所の正面には、自分の背丈以上の錆びた錨が、どんと置いてあった。なんじゃらほいと思いながら、記念写真をパチリと一枚撮った。
便所の横を回って、浜に出た。緩やかなコンクリの段々があり、背後には一段と高くなった、小さな展望台があった。屋根があるから、多少の日陰になっている。あとで、あそこからも撮ろうと思った。向き直ると、弓なりの浜の向こうに、なぜか、そこだけ凹っと、三角の岩山がある。てっぺんの方に松が密集して生えている。そのまま視線を左に移動すると、鳥居が見え、さらにその先の断崖に灯台が見えた。
浜からは、ちょっと遠目、灯台の垂直もイマイチよくない。だが、左手に、海の中に突き出た防波堤がある。撮るならあっちだなと思いながら、近づいて行った。長い距離ではない。が、そこまで行くにも、二、三歩行っては、カメラを灯台の方へ向けてシャッターを押した。念のためというよりは、できることなら、灯台を全方向から撮りたいのだ。その中からベストのものを選ぶ。
むろん、海側からは撮れないし、今回の場合は灯台の向こう側の浜からも撮れない。砂浜が、ずうっと陸地へ後退しているからだ。それでも、全方向から撮る、という原則は貫きたかった。もっとも、最近は<ドローン撮影>というものがあって、字義通り、全方向から撮ることも可能だ。灯台に関しても、<ドローン撮影>をした動画がユーチューブにたくさんアップされている。空からの、見たこともないアングルだから、面白い。
<ドローン>か!少し食指が動いて、ネットで調べてみた。結果、<ドローン>撮影を請け負う会社があるくらいで、素人が、ちょこっと撮影できるようなものではない、ということが判明した。もちろん、趣味で、小さなドローンを、ちょうど、ラジコン飛行機のように飛ばすことはできるだろう。だが、こっちの目的は、巨大な灯台を、海側から、あるいは、背後から撮るという壮大なもの?で、どう考えても、高度な技術とかなりの金が必要だ。ま、俺に野心があったなら、ドローン技術を習得して、誰も見たことのないアングルで、灯台を撮ることができるかも知れない、などと一瞬アホな夢想をした。
山形県鶴岡市の、鼠ヶ関灯台の撮影に戻ろう。風景撮影は午前中が鉄則、と何かで読んだ覚えがある。別に、それに従ったわけでもないが、午前中の、よい光の中で撮影ができた。つまり、運良く、灯台に光が当たっていたのだ。それもほどよく!思えば、昨日の角田岬灯台にも、光が当たっていた。やはり午前中だ。主要被写体の灯台に光が当たっていないと、何となくさえない写真になってしまう。犬吠埼灯台で経験済みだった。今回は、ある意味、千載一遇のチャンスかもしれない。防波堤を隅から隅まで歩いて、できうる限り、慎重に撮った。
一息入れよう。撮りながら戻り、先ほどの展望台に上がった。といっても、浜よりほんの少し高い程度だが。コンクリのテーブルが二つあり、それぞれに腰掛が左右一つずつある。なるほど、対面して、灯台や夕日が眺められるわけだ。案内板には、海の向こうに夕日が落ちる写真も印刷されている。
一つのテーブルには、横からの日射が当たっている。日陰になっている方に陣取り、まずは着替えた。びっしょりになったロンTを、その、陽の当たっているテーブルの上に広げた。上半身裸のまま、ベンチに腰かけて、給水。一息入れて、バックから、望遠カメラを撮りだした。横着して、三脚は持ってこなかった。すぐそばの車の中にはある。が、取りに行くのが面倒だ。それに、この位置からだと、灯台の垂直がイマイチよくない。必要ないだろう。しゃがみこんで、柵の上にカメラを乗せ、何枚かは撮った。
ろくにモニターもせず、二台のカメラをテーブルの上に載せたまま、海の方を眺めた。上半身裸のままだ。靴下も脱いでいたと思う。夕日がきれいだとは聞いていた。目の前の光景を、頭の中で夕景に変換した。なるほど、確かに海に沈む夕日はきれいだろう。ただし、灯台も岬もシルエットだ。是が非でも撮りたいとは思わなかった。それに、日程的に無理だろう。二時間半かけて、三条まで帰らなくてはならないのだ。
多少の心残りを感じながら、身支度をした。展望台を下りて、辺りを見回した。弓なりの砂浜沿いに、背丈ほどの、頑丈そうなコンクリの防潮堤がある。その下が遊歩道になっていて、灯台の方へ続いている。あそこを歩いてくのが一番楽だ。だが、灯台の垂直を考えるならば、波打ち際を歩きながら撮るのがベストだ。それに、浜が切れたところに、波消しブロックに守られた防波堤がる。あれに登って、先端まで行けば、灯台の垂直はほぼ確保できるだろう。
砂浜を歩き始めた。きれいな砂浜ではない。プラごみなども散乱している。とはいえ、海水は透き通るほどきれいで、断崖に立つ灯台は真っ白、神々しいほどに美しい。近寄れば近寄るほど、そばにある鳥居の赤が目にも鮮やかだ。青空にうっすら雲がたなびき、かすかに波が押し寄せている。これで、海風が心地よかったら、最高だろうなと思った。実際は、歩き始めるとすぐ汗だく、陽が高くなり始めていて、これは危険な暑さでしょう。
砂浜は波消しブロックで終わっていた。その波けしブロックをよじ登って、防波堤に上がった。凹凸のある表面で歩きづらい。とはいえ、灯台は目の前だ。水平線と灯台の垂直が両立している。大小二本の鳥居もはっきり見える。もっとも、灯台見物に来た観光客の姿もはっきり見えた。さいわいにも、人数的には少なくて、若いカップル、爺ちゃんコミの家族、若者一人、若い母親と子供、確かそのくらいだった。煩はしいというほどでもなかった。さすがに最果ての灯台だ。防波堤を行ったり来たりしながら、ゆっくり楽しみながら撮った。
さてと、いよいよ灯台のある断崖に上陸だ。砂浜から上がって、断崖にかかる急な階段を登った。その階段の手すりが、ちゃっちい感じで、半分壊れかけている。見ると、断崖の岩盤に、直接ぶっといフックのようなものが打ち込まれている。なるほど、以前は、この階段すらなくて、フックにロープか鎖を通していたんだ。それを手にして断崖をよじ登る。山の急な岩場などを登るときの仕掛けだ。一、二度経験したことがある。その方が面白かったなと思った。
登るまでは、大した高さの断崖じゃないと思っていた。だが、実際登ってみると、息が切れた。いや、こっちが疲れていたんだろう。それに、もうジジイなんだ。色の塗ってない、しらっ茶けた、大きな木の鳥居をくぐった。と、断崖の上に到着。平場になっていて、コンクリの通路が灯台へと続いている。なんだか、雑然とした感じがしないでもない。
そもそも、自然の岩場、断崖の上に、コンクリの通路があるのが、おかしいでしょう。それに、赤い鳥居、ま、これはきれいだから許せるとしても、その奥の、灯台の真横にある、小さな、ちゃっちい社(失礼!金毘羅様が祭られているらしい)、それに鐘撞台だ。いや、今調べたら、鐘撞台じゃない、<幸せの鐘>というらしい。最近設置されたようだ。とにかく、灯台の周りが、多少ごちゃごちゃしているような気がした。とはいえ、さすがに、コンクリ通路の両側には、ちゃんとした柵があった。何しろ断崖の上なのだ。
案内板を見た。付近が、ちょっと広くなっている。なるほど、ここが、写真の画面に灯台がおさまる限界なのだろう。ネットでも、この辺りから撮ったであろう画像がたくさんあった。ま、文句はない。正面から灯台を撮るには、ここしかないのだ。赤い鳥居を入れて、気合を入れて何枚も撮った。狭い断崖の上を、右に左にと移動して、粘るだけ粘った。もう限界だろう。<金毘羅様>も<幸せの鐘>も<コンクリの通路>も、この際関係ないような気がした。気にならなくなっていた。




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2020
11/18
Wed.
11:08:37
<灯台紀行・旅日誌>2020
Category【灯台紀行 新潟・鶴岡編】
<灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#7
鼠ヶ関灯台撮影プロローグ
二日目
昨晩は、六時に寝て、九時頃いったん起きたようだ。おそらく、テレビをつけて、持参したカップ麺などを食べたような気がする。小一時間して、また寝たのだろう。いつものように、一、二時間おきに夜間トイレ。物音に煩わされることはなかった。
五時起床。洗面、パンと牛乳で軽く朝食。便意がなく、排便なし。身支度。出る前にちょこっと部屋の整頓をした。エレベーターで一階に下りて、受付にキーを預ける。外に出ると、朝からもう暑い。駐車場には、二、三台車が止まっている。ということは、この大きなホテルに、二、三人しか宿泊しなかったということなのか?もっとも、巨大な立体駐車場もあるから、そっちに止めたのかもしれない。とはいえ、昨晩の感じからして、宿泊客は少なかったに違いない。部屋に出入りする音がほとんどしなかった。こっちはゆっくり眠れてよかったのだが。
六時出発。その前に、お決まりの行動。ナビを鼠ヶ関灯台にセットした。駐車場を出て、ぐるっと右に回り込むような感じで、すぐに高速の入り口。北陸自動車道、三条燕だ。早朝だというのに、意外に車が走っている。しばらく走って、新潟辺りに差しかかると、道が分岐。むろん真っすぐだ。ちなみに右方向は、磐越自動車道、会津の方へ伸びている。さらに行くと、日本海東北道の文字が見える。<日本海東北道>?そんなのがあったのか、初めて知った。いつの間にか、片側一車線になっている。
タンクローリーや、軽自動車が前にいると、途端に車列ができる。とはいえ、インターの出入り口付近になると、追い越し車線が追加される。ここぞとばかり、後続の車が追い越しをかける。ま、自分もその一台だ。そんなこんなで走っていくと、料金所があった。ETCだから、現金は払わない。料金表示板に\2210、とあった。わりと高いなと思った。
目的地の鼠ヶ関灯台までは約140キロ。うち高速走行は100キロ、時間にして一時間半はかからない。だが、長く感じた。とくに料金所を過ぎてからは、退屈だった。片側一車線、車の数も少ない。車間距離をあけて走っていればいいわけで、おのずと、周りの景色などが目に入ってきた。黄緑の稲田の中を、高速道路が突っ切っている。左右には低い山並みが見える。延々と、この景色が続いている。
だが、いい加減飽きた頃、終点になった。<朝日まほろば>というインターで、日本海東北道は終わっていた。要するに、未完成の高速で、おそらく、いずれは、秋田を抜け青森まで伸びるのだろう。それにしても<まほろば>という聞きなれない言葉に、少し惹かれた。あまり聞いたことのない日本語だ。いまネットで調べたら<すばらしい場所>という意味の古語らしい。となると<朝日まほろば>とは、朝日が素晴らしい場所、ということになる。なるほどね~、語音が奥ゆかしい。
その<朝日まほろば>で高速を降りて、一般道をこれから40キロも走らなくてはならない。そうだ、書き忘れたが、高速を下りる前にトイレ休憩した。パーキングの名前はよく憶えていない。一般道40キロ、市街地なら二時間かかるところだが、おそらくは田舎道だ。一時間で走破できるだろう。その準備としてのトイレ休憩だった。要するに、少し気合を入れなおしたのだ。
地図上では、国道7号線だ。山形県へ向けて北上した。道は片側一車線。すぐに山間を走ることになる。ただし、道幅が広く、しかも、信号がほとんどない。走りやすい。60キロ前後で、ずうっと行く。道の両側には、民家が点在している。比較的大きめな、板塀の日本家屋だ。どこか懐かしい。
育った板橋の長屋も板塀だったし、通った小学校の校舎も板塀だった。板塀のくすんだこげ茶色に、昭和を感じた。雪国の厳しい風土も感じだ。おそらくは、日本の近・現代化から切り捨てられた過疎地だろうとも思った。ただよく見ると、玄関口をサッシ窓で取り囲んで、寒気を防いでいる。そういう家が多々ある。人影は全くなかったが、生活の気配はする。小さな製材所も見えた。林業で生計を立てているのだろうか。よけいなお世話だ。ふと<常民>という言葉が脳裏をよぎった。自分の知らないところで知らない人間たちが生息している。どうでもいいことだと思いながらも、いやな感じはしなかった。
そのうち、完全に山の中だ。上ったり下ったり、トンネルをくぐったり、<洞門>と呼ばれる、片側がコンクリの格子になっているトンネルなどもくぐった。県境はどこでも険しい山なんだ、と思った。と、視界が開けた。左側に海。彼方の岬に灯台が小さく見える。ナビの指示に従って、七号線から右にそれて、灯台の見える方へ向かった。やっと着いた。
小さな港に入った。鼠ヶ関灯台は観光地になっているものの、下調べの段階では、付近に駐車場などはない。ま、その時は、港の空いているところに止めてしまおう、とアバウトに考えていた。なにせ、最果ての観光地という感じなのだ。案の定、閑散としている。もっとも、まだ八時二十分だった。メモに記してあった。二時間半くらいかかると思っていたから、少し早かったなと思った。
ゆっくり、辺りを見回しながら、鳥居の見える方へ、車を動かした。なるほど、左側に、五、六台車を止めるスペースがある。公衆便所も横にある。止めるならあそこだな。どん詰まりの神社の前で回転、その道路沿いの駐車スペースに、車を頭から突っ込んだ。二、三台、車が止まっていた。だが、駐車スペースはおろか、港のどこにも人影は見えない。
ちなみに、今ネットで、この鼠ケ関についてちょっと調べてみた。この場所は、義経が、追っ手を逃れて奥州平泉へ落ち延びる際に上陸した地で、そのあと、現在の七号線のあたりにあった、奥羽三大関所の一つ、鼠ヶ関を弁慶の奇計をもって通過したらしい。ま、歴史的にも地理的にも、由緒あるところだね。
それと、鼠ヶ関灯台の手前にあるぼこっとした山は、名勝弁天島といい、昔は、海の中にあったようだ。その付近の小島をつなげて、今では陸続きになっている。なるほど、灯台も絡めて、観光地化したわけだ。さらに、手前の神社は厳島神社といい、弁財天と金毘羅様を祭っているとのこと。夕日が美しいことでも有名らしい。
鼠ヶ関灯台の初点灯が大正14年。その時には、おそらく、陸続きになっていたのだろう。名勝弁天島、義経伝説、厳島神社、灯台、夕日、海産物。とまあ~、観光地の条件はそろっている。古代、中世、近世、近代と、長い間、人々が行き交ってきた場所なのだろう。とはいえ、今現在の雰囲気は、やや寂しい。廃れた感じがしないでもない。もっとも、自分的には、その方が好きだ。



鼠ヶ関灯台撮影プロローグ
二日目
昨晩は、六時に寝て、九時頃いったん起きたようだ。おそらく、テレビをつけて、持参したカップ麺などを食べたような気がする。小一時間して、また寝たのだろう。いつものように、一、二時間おきに夜間トイレ。物音に煩わされることはなかった。
五時起床。洗面、パンと牛乳で軽く朝食。便意がなく、排便なし。身支度。出る前にちょこっと部屋の整頓をした。エレベーターで一階に下りて、受付にキーを預ける。外に出ると、朝からもう暑い。駐車場には、二、三台車が止まっている。ということは、この大きなホテルに、二、三人しか宿泊しなかったということなのか?もっとも、巨大な立体駐車場もあるから、そっちに止めたのかもしれない。とはいえ、昨晩の感じからして、宿泊客は少なかったに違いない。部屋に出入りする音がほとんどしなかった。こっちはゆっくり眠れてよかったのだが。
六時出発。その前に、お決まりの行動。ナビを鼠ヶ関灯台にセットした。駐車場を出て、ぐるっと右に回り込むような感じで、すぐに高速の入り口。北陸自動車道、三条燕だ。早朝だというのに、意外に車が走っている。しばらく走って、新潟辺りに差しかかると、道が分岐。むろん真っすぐだ。ちなみに右方向は、磐越自動車道、会津の方へ伸びている。さらに行くと、日本海東北道の文字が見える。<日本海東北道>?そんなのがあったのか、初めて知った。いつの間にか、片側一車線になっている。
タンクローリーや、軽自動車が前にいると、途端に車列ができる。とはいえ、インターの出入り口付近になると、追い越し車線が追加される。ここぞとばかり、後続の車が追い越しをかける。ま、自分もその一台だ。そんなこんなで走っていくと、料金所があった。ETCだから、現金は払わない。料金表示板に\2210、とあった。わりと高いなと思った。
目的地の鼠ヶ関灯台までは約140キロ。うち高速走行は100キロ、時間にして一時間半はかからない。だが、長く感じた。とくに料金所を過ぎてからは、退屈だった。片側一車線、車の数も少ない。車間距離をあけて走っていればいいわけで、おのずと、周りの景色などが目に入ってきた。黄緑の稲田の中を、高速道路が突っ切っている。左右には低い山並みが見える。延々と、この景色が続いている。
だが、いい加減飽きた頃、終点になった。<朝日まほろば>というインターで、日本海東北道は終わっていた。要するに、未完成の高速で、おそらく、いずれは、秋田を抜け青森まで伸びるのだろう。それにしても<まほろば>という聞きなれない言葉に、少し惹かれた。あまり聞いたことのない日本語だ。いまネットで調べたら<すばらしい場所>という意味の古語らしい。となると<朝日まほろば>とは、朝日が素晴らしい場所、ということになる。なるほどね~、語音が奥ゆかしい。
その<朝日まほろば>で高速を降りて、一般道をこれから40キロも走らなくてはならない。そうだ、書き忘れたが、高速を下りる前にトイレ休憩した。パーキングの名前はよく憶えていない。一般道40キロ、市街地なら二時間かかるところだが、おそらくは田舎道だ。一時間で走破できるだろう。その準備としてのトイレ休憩だった。要するに、少し気合を入れなおしたのだ。
地図上では、国道7号線だ。山形県へ向けて北上した。道は片側一車線。すぐに山間を走ることになる。ただし、道幅が広く、しかも、信号がほとんどない。走りやすい。60キロ前後で、ずうっと行く。道の両側には、民家が点在している。比較的大きめな、板塀の日本家屋だ。どこか懐かしい。
育った板橋の長屋も板塀だったし、通った小学校の校舎も板塀だった。板塀のくすんだこげ茶色に、昭和を感じた。雪国の厳しい風土も感じだ。おそらくは、日本の近・現代化から切り捨てられた過疎地だろうとも思った。ただよく見ると、玄関口をサッシ窓で取り囲んで、寒気を防いでいる。そういう家が多々ある。人影は全くなかったが、生活の気配はする。小さな製材所も見えた。林業で生計を立てているのだろうか。よけいなお世話だ。ふと<常民>という言葉が脳裏をよぎった。自分の知らないところで知らない人間たちが生息している。どうでもいいことだと思いながらも、いやな感じはしなかった。
そのうち、完全に山の中だ。上ったり下ったり、トンネルをくぐったり、<洞門>と呼ばれる、片側がコンクリの格子になっているトンネルなどもくぐった。県境はどこでも険しい山なんだ、と思った。と、視界が開けた。左側に海。彼方の岬に灯台が小さく見える。ナビの指示に従って、七号線から右にそれて、灯台の見える方へ向かった。やっと着いた。
小さな港に入った。鼠ヶ関灯台は観光地になっているものの、下調べの段階では、付近に駐車場などはない。ま、その時は、港の空いているところに止めてしまおう、とアバウトに考えていた。なにせ、最果ての観光地という感じなのだ。案の定、閑散としている。もっとも、まだ八時二十分だった。メモに記してあった。二時間半くらいかかると思っていたから、少し早かったなと思った。
ゆっくり、辺りを見回しながら、鳥居の見える方へ、車を動かした。なるほど、左側に、五、六台車を止めるスペースがある。公衆便所も横にある。止めるならあそこだな。どん詰まりの神社の前で回転、その道路沿いの駐車スペースに、車を頭から突っ込んだ。二、三台、車が止まっていた。だが、駐車スペースはおろか、港のどこにも人影は見えない。
ちなみに、今ネットで、この鼠ケ関についてちょっと調べてみた。この場所は、義経が、追っ手を逃れて奥州平泉へ落ち延びる際に上陸した地で、そのあと、現在の七号線のあたりにあった、奥羽三大関所の一つ、鼠ヶ関を弁慶の奇計をもって通過したらしい。ま、歴史的にも地理的にも、由緒あるところだね。
それと、鼠ヶ関灯台の手前にあるぼこっとした山は、名勝弁天島といい、昔は、海の中にあったようだ。その付近の小島をつなげて、今では陸続きになっている。なるほど、灯台も絡めて、観光地化したわけだ。さらに、手前の神社は厳島神社といい、弁財天と金毘羅様を祭っているとのこと。夕日が美しいことでも有名らしい。
鼠ヶ関灯台の初点灯が大正14年。その時には、おそらく、陸続きになっていたのだろう。名勝弁天島、義経伝説、厳島神社、灯台、夕日、海産物。とまあ~、観光地の条件はそろっている。古代、中世、近世、近代と、長い間、人々が行き交ってきた場所なのだろう。とはいえ、今現在の雰囲気は、やや寂しい。廃れた感じがしないでもない。もっとも、自分的には、その方が好きだ。



[edit]
2020
11/15
Sun.
10:18:42
<灯台紀行・旅日誌>2020
Category【灯台紀行 新潟・鶴岡編】
<灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#6 弥彦観光~ホテル
ナビに従い、弥彦へ向かっていた。いくらも行かないうちに、海沿いの道からそれて、いよいよ山登りだ。といっても、登るのは、わが愛車だが。軽登山靴を脱いで、素足にサンダル履きで運転していたと思う。エアコンの風向きを、顔と足元にしていたので、涼しい風がほてった足先に当たって、気持ちよかった、ような気がする。と、なんだか、狭い、いわゆるヘアピンカーブの連続だ。ちょっと、想定外だった。こんなに急なのか!
…ジムニーで秩父の山々を走り回ったことを、瞬間的に想起した。あの時は、車が小さかったし、悪路用の車だ。だが、今は普通の乗用車。一応今流行りのSUVとはいえ、街中を走る車だ。山道は得意ではないだろう。いや、こんなに急な山道は初めてなので、得意なのか苦手なのかもよくわからない。ちらっと、ナビの画面を眺めた。くねくねくねくね、まるで蛇だ。おいおい嘘だろう!まだまだずっとヘアピンカーブだ。
真面目に?運転に集中した。幸いなことに、対向車にはほとんど出くわさなかった。というのも、曲がる瞬間は、上からの車が見えない。道端が狭いのだから、スピードを出していれば、あるいは、細心の注意を払っていなければ、おそらく、正面衝突は避けられまい。そんな、ヒヤッとした瞬間を何度も経験している。ある意味、対向車も、自分と同じようにスピードを落として、慎重に運転している、と思わない限りは、こんな山道は、こわくて走れないわけだ。いわば、運を天に任せている。
…軽トラの運転手で生活費を稼いでいたころ、時々ふと、運転することが怖くなったことがある。万が一にも、大型トラックがセンターラインをオーバーしてきたら、それでお終いだ。実際、そういう状況で昇天してしまった、顔見知りがいる。しかし、この恐怖は、生活に迫られてではあるが、克服した。つまり、死ぬかもしれない、いや死んでもいいや、と思うことにした。びくびくしながら運転するより、その時はその時だと、穴をまくったのである。ま、まだ若くて、血気盛んだったころの話だ。
まだかまだかと、慎重に運転しているうちに、少し目が回り始めた。いかんいかん、と視点を動かし、さらにゆっくり走った。ナビをちらっと見た。目的地の弥彦山頂は目の前だった。道が平らになった。お~、やっと着いた。ナビの声も消えた。山頂に何か施設のようなものがあるとばかり思っていた。が、何もない。道路際に仮設の駐車スペースがあるだけだ。車が何台も止まっている。半信半疑で、そこに駐車して、外に出た。
弥彦からは佐渡がよく見える、と思っていた。スマホからの情報だろう。たしかに、佐渡は見えた。ただし、逆光の中、ぼうっとしている。目の前には、柵があり、案内板がある。右手には、見上げるような山。草ぼうぼうの中、細い登山道が上へと伸びている。ちらっと見ただけだ。登る気はしなかった。暑い中、あの急な山道を登ったところで、佐渡島は霞んでいるんだ。ま、今思ったことだけれども、あの山のてっぺんが、実質的には、弥彦の山頂だったのだろう。
車に戻った。今日の予定は終了。宿へ行こう。ナビをセットして、走り出した。と、何やら、巨大な展望タワーが立っている。今調べると<弥彦パノラマタワー>というらしい。ガラス張りの、ドーナツ型の展望席がぐるぐる回りながら、細長い塔の上まで上昇していくのだ。たしかに、あの高さなら、展望は抜群だ。一瞬、乗ってみようかなと思った。広い駐車場をそろそろ走り、入口近くまで行った。時間は四時だった。また、体力的なことで、行動が消極的になった。何しろ、今日は、朝の四時から動いているんだ。それにまだ暑いし、山登りもして来たんだ。佐渡島だって、きっと霞んでいるに決まっている。帰ろう!
回転して、駐車場を出た。おそらく、もう二度と訪れることもないだろう、とふと思って、かすかに気持ちが揺れるのを感じた。弥彦山を下りた。下りは、比較的道端も広く、さほど急でもなかった。対向車に出くわすこともほとんどなく、あっという間に下界に下りた。要するに、観光用のルートだったわけで、走りやすいように道を整備したのだろう。わざわざ急な山道を登ってしまった自分がトンマだったのだ。
燕三条のビジネスホテルまでは、30分もあれば着くだろう。一面黄緑色の稲田の中を市街地へ向かっていった。途中、ナビのいく方向が、工事で通行止め。ぐるっと回り道。要するに、本来左折するところを、直進させられ、その後左、左、右と曲がって、本来行くべき道に戻るわけだ。しかし、その迂回路が、信じられないほど長かった。とはいえ、黄緑色の中をぐるぐる走れたのは、面白い経験だった。極端に広い農道、稲田一枚の面積もかなり大きい。埼玉とは、規模が全然違う。異なる風土を感じた。これも旅の面白さの一つなのだろう。
市街地に入る前に、給油した。セルフで値段も埼玉と変わらなかった。ナビで事前に調べたあったコンビニに寄った。比較的感じのいいセブンイレブンで、おにぎり三個、牛乳、菓子パン、唐揚げを買った。全部で千円ほどだ。宿はもう目の前だった。マップシュミレーション通り、ホテルの入口に一番近い駐車場に入った。だが、並んでいる。駐車待ちだ。なるほど、ここはイオンの平面駐車場で、誰もが止めたいわけだ。大きな立体駐車場もあるが、売り場に遠くなる。ちなみに、ホテルはイオンと接続していて、駐車場も兼用なのだ。五分くらい待って、駐車した。
一応、サンダルをウォーキングシューズに履き替えた。カメラバックの重さはさほど気にならなかったものの、飲料水や食料、多少の着替えなどを入れたべージュのトートバックは、かなり重かった。閑散とした<サイゼリア>の横を通り、広い道路に面した、ホテルの正面玄関から入った。あれ、受付が見えない。左手は<銀座>という名のレストラン、右手はロビー。比較的きれいで高級な感じ。受付の文字を見つけて、右手に少し行くと、受付カウンターがあった。
三十代くらいの若い男。対応はビジネスライク。問題はない。コロナ関連や<Go tooキャンペーン>関連なのだろう、書面にチェックして、署名した。そのあと、現金で¥6760払った。二泊でこの値段、安い!だが、いつも冷ややかな眼で見ている日本政府から恩恵なわけで、心の底からは喜べない。領収証は、と聞かれた。欲しいというとチェックアウト時に渡すという。ま、別にどうでもいいことだ。
カードキーではなく、プラ棒についている鍵を渡された。エレベーターに乗り、部屋に入った。まずまずきれい。こんなもんでしょう。とはいえ、気になったのは冷蔵庫。すぐ開けてみた。う~ん、少し冷えている。前回のホテルよりはましだろう。荷物整理して、テレビをつけた、その後シャワー。ま、気持ちよかった。出てきて、お決まりのノンアルビール。今回は、保冷剤をいれた小さな保冷バックに入れきた。冷えている。グラスの紙カバーを外して、注いだ。うまかったと思う。
おにぎり、唐揚げをたいらげ、ベッドに横になった。ふと思って、カメラを取りだし、モニターした。撮れていても撮れていなくても、あとの祭りではあるが、今日の成果を確認して、満足したかったのだ。まずまずだった。天気がよかったからね。ひと安心した。そうだ、まだやることが残っていた。メモだ。テーブルに向かって座りなおした。出発してからのことを、時間軸にそって、思い出そうとした。何時にパーキングに寄ったとか、灯台に何時に着いたとか、昼寝の時間とか、ホテルに何時に入ったとか、ある意味些末なことだ。だが、メモしておかないと、日誌を書くときに苦労する。時間に関しては、まったく思い出せないことがしばしばあるのだ。
今だって、正確には思い出せない。行動の節目節目に、腕時計をちゃんと見て、時刻を記憶しているわけではないのだ。時計なんか、ちらっと見る時もあれば、見ないときもある。だから、前後関係で、類推してメモっている。したがって、やや時間がかかるし、頭を使うのだろう。眠くなってきた。何時頃だったろう、夕方の六時ころかな、メモには<六時ねる>と記してある、一応書き終えて、部屋を暗くした。エアコンは自動から27度にセットし直した。横になった途端、眠っていたと思う。
今日の出費。
宿代二泊¥6760、高速¥5950、ガソリン¥2355、飲食¥1147。



ナビに従い、弥彦へ向かっていた。いくらも行かないうちに、海沿いの道からそれて、いよいよ山登りだ。といっても、登るのは、わが愛車だが。軽登山靴を脱いで、素足にサンダル履きで運転していたと思う。エアコンの風向きを、顔と足元にしていたので、涼しい風がほてった足先に当たって、気持ちよかった、ような気がする。と、なんだか、狭い、いわゆるヘアピンカーブの連続だ。ちょっと、想定外だった。こんなに急なのか!
…ジムニーで秩父の山々を走り回ったことを、瞬間的に想起した。あの時は、車が小さかったし、悪路用の車だ。だが、今は普通の乗用車。一応今流行りのSUVとはいえ、街中を走る車だ。山道は得意ではないだろう。いや、こんなに急な山道は初めてなので、得意なのか苦手なのかもよくわからない。ちらっと、ナビの画面を眺めた。くねくねくねくね、まるで蛇だ。おいおい嘘だろう!まだまだずっとヘアピンカーブだ。
真面目に?運転に集中した。幸いなことに、対向車にはほとんど出くわさなかった。というのも、曲がる瞬間は、上からの車が見えない。道端が狭いのだから、スピードを出していれば、あるいは、細心の注意を払っていなければ、おそらく、正面衝突は避けられまい。そんな、ヒヤッとした瞬間を何度も経験している。ある意味、対向車も、自分と同じようにスピードを落として、慎重に運転している、と思わない限りは、こんな山道は、こわくて走れないわけだ。いわば、運を天に任せている。
…軽トラの運転手で生活費を稼いでいたころ、時々ふと、運転することが怖くなったことがある。万が一にも、大型トラックがセンターラインをオーバーしてきたら、それでお終いだ。実際、そういう状況で昇天してしまった、顔見知りがいる。しかし、この恐怖は、生活に迫られてではあるが、克服した。つまり、死ぬかもしれない、いや死んでもいいや、と思うことにした。びくびくしながら運転するより、その時はその時だと、穴をまくったのである。ま、まだ若くて、血気盛んだったころの話だ。
まだかまだかと、慎重に運転しているうちに、少し目が回り始めた。いかんいかん、と視点を動かし、さらにゆっくり走った。ナビをちらっと見た。目的地の弥彦山頂は目の前だった。道が平らになった。お~、やっと着いた。ナビの声も消えた。山頂に何か施設のようなものがあるとばかり思っていた。が、何もない。道路際に仮設の駐車スペースがあるだけだ。車が何台も止まっている。半信半疑で、そこに駐車して、外に出た。
弥彦からは佐渡がよく見える、と思っていた。スマホからの情報だろう。たしかに、佐渡は見えた。ただし、逆光の中、ぼうっとしている。目の前には、柵があり、案内板がある。右手には、見上げるような山。草ぼうぼうの中、細い登山道が上へと伸びている。ちらっと見ただけだ。登る気はしなかった。暑い中、あの急な山道を登ったところで、佐渡島は霞んでいるんだ。ま、今思ったことだけれども、あの山のてっぺんが、実質的には、弥彦の山頂だったのだろう。
車に戻った。今日の予定は終了。宿へ行こう。ナビをセットして、走り出した。と、何やら、巨大な展望タワーが立っている。今調べると<弥彦パノラマタワー>というらしい。ガラス張りの、ドーナツ型の展望席がぐるぐる回りながら、細長い塔の上まで上昇していくのだ。たしかに、あの高さなら、展望は抜群だ。一瞬、乗ってみようかなと思った。広い駐車場をそろそろ走り、入口近くまで行った。時間は四時だった。また、体力的なことで、行動が消極的になった。何しろ、今日は、朝の四時から動いているんだ。それにまだ暑いし、山登りもして来たんだ。佐渡島だって、きっと霞んでいるに決まっている。帰ろう!
回転して、駐車場を出た。おそらく、もう二度と訪れることもないだろう、とふと思って、かすかに気持ちが揺れるのを感じた。弥彦山を下りた。下りは、比較的道端も広く、さほど急でもなかった。対向車に出くわすこともほとんどなく、あっという間に下界に下りた。要するに、観光用のルートだったわけで、走りやすいように道を整備したのだろう。わざわざ急な山道を登ってしまった自分がトンマだったのだ。
燕三条のビジネスホテルまでは、30分もあれば着くだろう。一面黄緑色の稲田の中を市街地へ向かっていった。途中、ナビのいく方向が、工事で通行止め。ぐるっと回り道。要するに、本来左折するところを、直進させられ、その後左、左、右と曲がって、本来行くべき道に戻るわけだ。しかし、その迂回路が、信じられないほど長かった。とはいえ、黄緑色の中をぐるぐる走れたのは、面白い経験だった。極端に広い農道、稲田一枚の面積もかなり大きい。埼玉とは、規模が全然違う。異なる風土を感じた。これも旅の面白さの一つなのだろう。
市街地に入る前に、給油した。セルフで値段も埼玉と変わらなかった。ナビで事前に調べたあったコンビニに寄った。比較的感じのいいセブンイレブンで、おにぎり三個、牛乳、菓子パン、唐揚げを買った。全部で千円ほどだ。宿はもう目の前だった。マップシュミレーション通り、ホテルの入口に一番近い駐車場に入った。だが、並んでいる。駐車待ちだ。なるほど、ここはイオンの平面駐車場で、誰もが止めたいわけだ。大きな立体駐車場もあるが、売り場に遠くなる。ちなみに、ホテルはイオンと接続していて、駐車場も兼用なのだ。五分くらい待って、駐車した。
一応、サンダルをウォーキングシューズに履き替えた。カメラバックの重さはさほど気にならなかったものの、飲料水や食料、多少の着替えなどを入れたべージュのトートバックは、かなり重かった。閑散とした<サイゼリア>の横を通り、広い道路に面した、ホテルの正面玄関から入った。あれ、受付が見えない。左手は<銀座>という名のレストラン、右手はロビー。比較的きれいで高級な感じ。受付の文字を見つけて、右手に少し行くと、受付カウンターがあった。
三十代くらいの若い男。対応はビジネスライク。問題はない。コロナ関連や<Go tooキャンペーン>関連なのだろう、書面にチェックして、署名した。そのあと、現金で¥6760払った。二泊でこの値段、安い!だが、いつも冷ややかな眼で見ている日本政府から恩恵なわけで、心の底からは喜べない。領収証は、と聞かれた。欲しいというとチェックアウト時に渡すという。ま、別にどうでもいいことだ。
カードキーではなく、プラ棒についている鍵を渡された。エレベーターに乗り、部屋に入った。まずまずきれい。こんなもんでしょう。とはいえ、気になったのは冷蔵庫。すぐ開けてみた。う~ん、少し冷えている。前回のホテルよりはましだろう。荷物整理して、テレビをつけた、その後シャワー。ま、気持ちよかった。出てきて、お決まりのノンアルビール。今回は、保冷剤をいれた小さな保冷バックに入れきた。冷えている。グラスの紙カバーを外して、注いだ。うまかったと思う。
おにぎり、唐揚げをたいらげ、ベッドに横になった。ふと思って、カメラを取りだし、モニターした。撮れていても撮れていなくても、あとの祭りではあるが、今日の成果を確認して、満足したかったのだ。まずまずだった。天気がよかったからね。ひと安心した。そうだ、まだやることが残っていた。メモだ。テーブルに向かって座りなおした。出発してからのことを、時間軸にそって、思い出そうとした。何時にパーキングに寄ったとか、灯台に何時に着いたとか、昼寝の時間とか、ホテルに何時に入ったとか、ある意味些末なことだ。だが、メモしておかないと、日誌を書くときに苦労する。時間に関しては、まったく思い出せないことがしばしばあるのだ。
今だって、正確には思い出せない。行動の節目節目に、腕時計をちゃんと見て、時刻を記憶しているわけではないのだ。時計なんか、ちらっと見る時もあれば、見ないときもある。だから、前後関係で、類推してメモっている。したがって、やや時間がかかるし、頭を使うのだろう。眠くなってきた。何時頃だったろう、夕方の六時ころかな、メモには<六時ねる>と記してある、一応書き終えて、部屋を暗くした。エアコンは自動から27度にセットし直した。横になった途端、眠っていたと思う。
今日の出費。
宿代二泊¥6760、高速¥5950、ガソリン¥2355、飲食¥1147。



[edit]
2020
11/11
Wed.
09:09:01
<灯台紀行・旅日誌>2020
Category【灯台紀行 新潟・鶴岡編】
<灯台紀行・旅日誌>2020#5 新潟・鶴岡編 間瀬港西防波堤灯台
窓のシールドを外して、車を移動した。角田浜の北のはずれまで行った。というのも、浜沿いに民宿が並んでいて、容易には、浜へ出られない感じなのだ。つまり、民宿の敷地を通って行かないと砂浜に出られない。やや不満だった。なぜって、公共の浜辺を民宿が占有しているわけだ。日本全国、やや大袈裟かな、かような現象が多々あるような気がする。むろん、行政に許可をもらっているのだろうが、なんか、釈然としないのだ。
というわけで、民宿の切れた、浜の外れに来た。広い砂地の駐車場だ。外に出ると、これまた、極端に暑い。暑いと思わないことにして、護岸下の、緩やかなコンクリの段々に立った。でかい望遠カメラで灯台を狙った。遠目過ぎる。それに、垂直が取れない。しようがない。浜に下りて、波打ち際まで進攻した。ま、それでもだめだ。というのも、ほぼ逆光の上に、トップライト。紫外線でぼうっとしていて、写真にならない。
それに、海の中には、三々五々、水着姿の人がいる。むろん、砂浜にもいる。男はどうでもいいのだけれど、女性もいる。水着だ。でかいカメラを向けたら、怪しまれるだろう。盗撮してるんじゃないかと。それでなくたって、怪しい格好のオヤジだ。灯台を撮っていることを、無言でアピールしながら撮った。むろん、長居はできない。それに、この暑さだ。粘って撮るような風景でもない。撮影終了。まったくの無駄足だった。
車に戻った。さてと、今日の撮影は終わり!ちらっと、角田岬灯台の夕景を想像した。だが、暑くて薄暗い中、あの急な登山道をまた登るのかと思うと、気持ちが萎えた。体力もあり、時間的にも余裕のある時、しかも季節のいいときに、また撮りにくればいい。とはいえ、少し後ろ髪を引かれた。
ナビを弥彦の山頂にセットした。と、その前に、さっき浜で見た北側の防波堤灯台を見に行こう。ナビで拡大表示すると<巻漁港>らしい。すぐ近くだ。角田浜から出て左折。五分で到着。どん詰まりで、開店休業のような鮮魚販売店があり、その前が割と広い駐車場。かまわず止めて、外に出た。なるほど、奥の方に、確かに白い防波堤灯台がある。ただし、関係者立ち入り禁止の看板が立っている。要するに、漁港の中なのだ。釣り人が入り込んでいるものの、それまでして撮りに行く灯台じゃない。あっさり諦めた。
来た道を戻った。右手が海だ。角田浜を通り過ぎる際、キャンプ場、の文字が見えた。ちょっとした木立に囲まれた狭い場所に、二、三、テントも見えた。でも、だいぶ浜からは離れている。海水浴場は閉鎖されているのに、キャンプ場はやっているんだ。ま、規模が小さいからな。…その後は、うねうねと、海岸沿いを走った。と、海の中に、赤い防波堤灯台が見えた。あとで調べると、間瀬港西防波堤灯台、という立派名前がついていた。逆光ではあるが、海と空は真っ青、その中に一点の深紅。よく目立つ。うまいことに、手前に大きな民宿があり、その前が広い駐車場だ。入るところに公衆電話のボックスがあり、中に緑の電話機が見えた。珍しいなと思った。
民宿の専用駐車場でもないような感じだったので、堂々と駐車して外に出た。一時半頃だった、とメモにある。強い日射をもろに浴びて、うわあっと眉をしかめたような気もする。だが、何かに引かれるように、海の中の、その紅一点に近づいていった。砂浜に下り、波けしブロックを乗り越え、さらには、立ち入り禁止の柵をすりぬけ、人影のない防波堤の下を歩いた。とはいえ、目の前の背丈より高い防波堤を乗り越えないと、紅一点には会えない。
無理かな、と思っていると、なんと、防波堤の先端にアルミの梯子がかかっている。防波堤の上に上がれるのだ。誰が、何のために、わざわざ梯子をかけたのか?ま、そんなことはどうでもいい。細い、頼りないその梯子を数段、踏み外さないように慎重に上った。と、見えました!お目当ての紅一点は、すぐ目の前。海の中の防波堤に立っていた。運のいいことに、角度的にも、美人。だが、モロ逆光というか、トップライトだ。撮れなくてもともと、という気持ちで、ほぼ同じ構図で何枚か撮った。正直言って、ある意味極限的な状況の中で、大げさだな、紅一点にたどり着いた、ということでほぼ満足していた。
引き上げ際に、周りを見回した。自分のいる防波堤に、変な形のものがある。コンクリのしっかりした台座の上に、白い塗装の剥げた、それほど太くない円柱だ。高さ的には小男。その上に、頭の白いライトがついている。それだけではない。円柱には、大小、二つの輪っかが溶接されていて、下の方の径が小さい。いま撮った写真で確認すると、上の輪っかは、太陽電池パネルを支える台座の役割を果たしている。一方、下の輪っかの役割は、ちょっと見わからない。ま、とにかく、こやつも、一応灯台なのだろう。
ところで、防波堤灯台にはルールがあるらしい。ざっくり言うと、港へ向かって、右舷は赤、灯色も赤。左舷は白、灯色は緑。つまり、防波堤灯台は、ペアになっているわけだ。今一度撮った写真をつくづく見る。と、そうかと思った。配置からして、こやつは、紅一点さんのペア灯台、左舷の白い防波堤灯台だったのだ。
変な形になってしまったのは、おそらく、外観が何らかの理由ではく奪されてしまい、骨組みだけが残ったのだろう。下についている小さな輪っかが、その証拠だ。となれば、紅一点さんは、未亡人ということになる。いや、骨組みだけとはいえ、やけに背丈が小さいぞ。間違っているかもしれない。それに、緑の明かりを毎晩灯しているわけで、死んではいない。未亡人は、言い過ぎだろう。ま、それにしても、こう考えると、真夏の真っ青な空と海の中、紅一点さんの寂しげな姿が、ますます鮮明になる。
引き上げよう。堤防にかかっている、小さな梯子を下りた。登るときよりも、危なかった。というのも、軽登山靴は嵩が張っているのに、梯子の段々の幅は狭く、しかも、細い。へっぴり腰で、手を突いて何とか無事に下りた。来た道を戻った。しつこいようだが、暑かった。砂浜で、ふり返り、今一度赤い防波堤灯台を撮った。逆光で、よく見えなかった。遠くに、断崖と海が見えた。手前の浜に、二、三、人影もある。静かだった。いや、心地よい静寂じゃない。炎天下の、うわ~んと唸っている海辺だった。
車に戻った。民宿の前に、黒っぽいオヤジがうろちょろしている。ちらっと見ると、向こうもこっちをちらっと見た。見慣れぬ観光客に対する興味と猜疑心だろう。そんな視線は慣れっこだ。知らん顔して車を出した。三時頃だったと思う。メモで確かめた。さ、弥彦観光だ。
ま、それにしても、予定外の防波堤灯台を撮ることができてよかった。防波堤灯台は、みな似たり寄ったりのフォルムで、ロケーションも似通っている。灯台としては、ほとんど無名で、灯台オタク以外、わざわざ見に来る人もいない。だが、素晴らしい海と空に恵まれれば、孤高の姿が際立ち、感動的ですらあり得る。もっとも、感動しているのは自分だけかもしれない。いや、ネットにたくさんの画像がアップされているのだから、ある種の人間にとっては感動的なのだろう。ある種とは?どういう種類の人間なのか?そのうちゆっくり考えてみよう。

窓のシールドを外して、車を移動した。角田浜の北のはずれまで行った。というのも、浜沿いに民宿が並んでいて、容易には、浜へ出られない感じなのだ。つまり、民宿の敷地を通って行かないと砂浜に出られない。やや不満だった。なぜって、公共の浜辺を民宿が占有しているわけだ。日本全国、やや大袈裟かな、かような現象が多々あるような気がする。むろん、行政に許可をもらっているのだろうが、なんか、釈然としないのだ。
というわけで、民宿の切れた、浜の外れに来た。広い砂地の駐車場だ。外に出ると、これまた、極端に暑い。暑いと思わないことにして、護岸下の、緩やかなコンクリの段々に立った。でかい望遠カメラで灯台を狙った。遠目過ぎる。それに、垂直が取れない。しようがない。浜に下りて、波打ち際まで進攻した。ま、それでもだめだ。というのも、ほぼ逆光の上に、トップライト。紫外線でぼうっとしていて、写真にならない。
それに、海の中には、三々五々、水着姿の人がいる。むろん、砂浜にもいる。男はどうでもいいのだけれど、女性もいる。水着だ。でかいカメラを向けたら、怪しまれるだろう。盗撮してるんじゃないかと。それでなくたって、怪しい格好のオヤジだ。灯台を撮っていることを、無言でアピールしながら撮った。むろん、長居はできない。それに、この暑さだ。粘って撮るような風景でもない。撮影終了。まったくの無駄足だった。
車に戻った。さてと、今日の撮影は終わり!ちらっと、角田岬灯台の夕景を想像した。だが、暑くて薄暗い中、あの急な登山道をまた登るのかと思うと、気持ちが萎えた。体力もあり、時間的にも余裕のある時、しかも季節のいいときに、また撮りにくればいい。とはいえ、少し後ろ髪を引かれた。
ナビを弥彦の山頂にセットした。と、その前に、さっき浜で見た北側の防波堤灯台を見に行こう。ナビで拡大表示すると<巻漁港>らしい。すぐ近くだ。角田浜から出て左折。五分で到着。どん詰まりで、開店休業のような鮮魚販売店があり、その前が割と広い駐車場。かまわず止めて、外に出た。なるほど、奥の方に、確かに白い防波堤灯台がある。ただし、関係者立ち入り禁止の看板が立っている。要するに、漁港の中なのだ。釣り人が入り込んでいるものの、それまでして撮りに行く灯台じゃない。あっさり諦めた。
来た道を戻った。右手が海だ。角田浜を通り過ぎる際、キャンプ場、の文字が見えた。ちょっとした木立に囲まれた狭い場所に、二、三、テントも見えた。でも、だいぶ浜からは離れている。海水浴場は閉鎖されているのに、キャンプ場はやっているんだ。ま、規模が小さいからな。…その後は、うねうねと、海岸沿いを走った。と、海の中に、赤い防波堤灯台が見えた。あとで調べると、間瀬港西防波堤灯台、という立派名前がついていた。逆光ではあるが、海と空は真っ青、その中に一点の深紅。よく目立つ。うまいことに、手前に大きな民宿があり、その前が広い駐車場だ。入るところに公衆電話のボックスがあり、中に緑の電話機が見えた。珍しいなと思った。
民宿の専用駐車場でもないような感じだったので、堂々と駐車して外に出た。一時半頃だった、とメモにある。強い日射をもろに浴びて、うわあっと眉をしかめたような気もする。だが、何かに引かれるように、海の中の、その紅一点に近づいていった。砂浜に下り、波けしブロックを乗り越え、さらには、立ち入り禁止の柵をすりぬけ、人影のない防波堤の下を歩いた。とはいえ、目の前の背丈より高い防波堤を乗り越えないと、紅一点には会えない。
無理かな、と思っていると、なんと、防波堤の先端にアルミの梯子がかかっている。防波堤の上に上がれるのだ。誰が、何のために、わざわざ梯子をかけたのか?ま、そんなことはどうでもいい。細い、頼りないその梯子を数段、踏み外さないように慎重に上った。と、見えました!お目当ての紅一点は、すぐ目の前。海の中の防波堤に立っていた。運のいいことに、角度的にも、美人。だが、モロ逆光というか、トップライトだ。撮れなくてもともと、という気持ちで、ほぼ同じ構図で何枚か撮った。正直言って、ある意味極限的な状況の中で、大げさだな、紅一点にたどり着いた、ということでほぼ満足していた。
引き上げ際に、周りを見回した。自分のいる防波堤に、変な形のものがある。コンクリのしっかりした台座の上に、白い塗装の剥げた、それほど太くない円柱だ。高さ的には小男。その上に、頭の白いライトがついている。それだけではない。円柱には、大小、二つの輪っかが溶接されていて、下の方の径が小さい。いま撮った写真で確認すると、上の輪っかは、太陽電池パネルを支える台座の役割を果たしている。一方、下の輪っかの役割は、ちょっと見わからない。ま、とにかく、こやつも、一応灯台なのだろう。
ところで、防波堤灯台にはルールがあるらしい。ざっくり言うと、港へ向かって、右舷は赤、灯色も赤。左舷は白、灯色は緑。つまり、防波堤灯台は、ペアになっているわけだ。今一度撮った写真をつくづく見る。と、そうかと思った。配置からして、こやつは、紅一点さんのペア灯台、左舷の白い防波堤灯台だったのだ。
変な形になってしまったのは、おそらく、外観が何らかの理由ではく奪されてしまい、骨組みだけが残ったのだろう。下についている小さな輪っかが、その証拠だ。となれば、紅一点さんは、未亡人ということになる。いや、骨組みだけとはいえ、やけに背丈が小さいぞ。間違っているかもしれない。それに、緑の明かりを毎晩灯しているわけで、死んではいない。未亡人は、言い過ぎだろう。ま、それにしても、こう考えると、真夏の真っ青な空と海の中、紅一点さんの寂しげな姿が、ますます鮮明になる。
引き上げよう。堤防にかかっている、小さな梯子を下りた。登るときよりも、危なかった。というのも、軽登山靴は嵩が張っているのに、梯子の段々の幅は狭く、しかも、細い。へっぴり腰で、手を突いて何とか無事に下りた。来た道を戻った。しつこいようだが、暑かった。砂浜で、ふり返り、今一度赤い防波堤灯台を撮った。逆光で、よく見えなかった。遠くに、断崖と海が見えた。手前の浜に、二、三、人影もある。静かだった。いや、心地よい静寂じゃない。炎天下の、うわ~んと唸っている海辺だった。
車に戻った。民宿の前に、黒っぽいオヤジがうろちょろしている。ちらっと見ると、向こうもこっちをちらっと見た。見慣れぬ観光客に対する興味と猜疑心だろう。そんな視線は慣れっこだ。知らん顔して車を出した。三時頃だったと思う。メモで確かめた。さ、弥彦観光だ。
ま、それにしても、予定外の防波堤灯台を撮ることができてよかった。防波堤灯台は、みな似たり寄ったりのフォルムで、ロケーションも似通っている。灯台としては、ほとんど無名で、灯台オタク以外、わざわざ見に来る人もいない。だが、素晴らしい海と空に恵まれれば、孤高の姿が際立ち、感動的ですらあり得る。もっとも、感動しているのは自分だけかもしれない。いや、ネットにたくさんの画像がアップされているのだから、ある種の人間にとっては感動的なのだろう。ある種とは?どういう種類の人間なのか?そのうちゆっくり考えてみよう。

[edit]
2020
11/04
Wed.
10:45:06
<灯台紀行・旅日誌>2020
Category【灯台紀行 新潟・鶴岡編】
<灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#4 角田岬灯台撮影2
さらに少し下ると、分かれ道。まっすぐ行けば灯台。左側に逆Vを切って回り込む。断崖に斜めにかかる階段だ。たらたらと、二、三歩下りては振り向いて、写真を撮った。ちょうど、斜めに落ちる緑の断崖の途中に白い灯台が見える。空も海も真っ青。人影はない。涼しい風でも吹いていたら、立ち止まって、この景色を頭に焼き付けておきたいほどだ。しかし、現実は甘くない。風どころか、きびしい日射に晒されている。感傷に浸る状況じゃない。
階段を中ほどまで下りると、灯台は、断崖の上にちょこんと見える程度になる。それに遠目過ぎて、もう写真にはならない。そのまま振り向きもせず、真っすぐ下りて、一般道の歩道に出た。すぐ左手は短いトンネル。向こうが見える。そっちにはいかないで、手すりのある歩道を行く。断崖の灯台を横から見られる位置だ。カメラを構えた。何枚か撮ったが、どうもよくない。
歩道の手すりをすりぬけ、中に入った。そこは見晴らしのいい、少しひろい場所で、そばに巨大な岩がある。柵のない断崖の上で、危ないから、歩道から入れないようにしているわけだ。ま、危険は承知だ。なるべく、崖っぷちには近づかないで、草ぼうぼうの中を、そろそろ歩いた。見ると、今下りて来た階段の全貌が見える。断崖の上には白い灯台、下には、波打ち際の、断崖を削った遊歩道。義経が舟を隠したという、洞窟も見える。空には、うっすら雲がかかり、海は青のグラデーション。何とも、壮大で、美しい光景だ。でもやはり、この大風景の中で、主役は灯台だろう。もし灯台がなかったら、たんなる自然景観であり、わざわざ撮りに来ることもなかったのだ。
灯台は、ある種の象徴なのだろうか。断崖の白い灯台、人間はそれを見て何を思うのか?いや、自分は何を思い、感じているのか?定かではない。自分の人生や存在を、灯台に投影しているのだろうか。あるいは、男根の象徴として、半ば無意識のうちに魅かれているのだろうか。性懲りもなく、若さや生命力を渇望しているのだろうか。わからない。ただ、真っ青な海と空のなかに、屹立する白い灯台が、美しいと思うのだ。
ここぞと思い、何枚も何枚も、同じような構図で写真を撮った。これ以上撮っても無駄だな、と思うまで撮った。ベストを尽くしたような気もするし、撮り損ねているのではないかとも思った。暑かった。限界を超えた暑さだった。巨大な岩の下が、少しだけ日陰になっている。一息入れたい。だが、草ぼうぼうで、腰をおろすことはできない。バックを背負ったまま、モニターした。大丈夫だろうと思った。いや、頭がぼうっとしていて、正確な判断はできなかったようだ。
引き上げよう。歩道に戻った。少し歩いて、灯台へ向かう階段の前に来た。バックをおろして、給水したような気がする。そして、手すりにつかまりながら、ゆっくり階段を登って行った。途中、何度か止まり、カメラを灯台に向けた。今さっき撮った構図だから、感動はなく、なおざなりにシャッターを押した。灯台に着いた。最後は少し足取りが重かった。本来なら、ここでもう一度休んで、ゆっくり辺りを眺めたいところだ。だが、暑すぎた。早く車に戻りたかった。涼しいのは車の中だけなのだ。
灯台の狭い敷地を右に回り込むと、浜へと降りる階段がある。その階段が、急なうえに、非常に狭い。人一人通るのがやっとという感じ。すれ違いなど、到底できないし、待機場所もない。いやな予感がしていたら、案の定、下から、爺さんが登ってきた。目が合った段階で、爺さんは止まった。どう考えたって、自分がいる以上、上には行けないのだ。なんとか、互いに体を横に向けて、やり過ごした。すいませんと小さな声で言った。だが、愛想のない爺さんで、ちゃんとした返事は返ってこなかった。
これほど急で狭い階段は、経験したことがない。昭和の作りなのだろうな、などと思いながら、浜に降り立った。灯台の上り下りも、死ぬほど暑かった。が、浜辺は、何か種類の違う暑さだった。要するに、むっとする暑さだ。それに、日射が半端なくきつい。脇目もふらず、車へ向かった。幸いなことに、わが愛車はすぐそこに止まっていた。白い車体が眩しかった。
車の中は、蒸し風呂状態だった。月並みの言い方だ。実態を正確に記述していない。蒸し風呂状態どころか、それ以上の暑さだった。焼けるような暑さだ。いやこれは、修飾過多だろう。とにかく、暑くてすぐには入れないような状態だった。エアコンを全開にして、しばらく、ドアを開けておいた。
外で着替えをした。上半身に日射が当たり、痛いように感じた。ただ、足の甲はなんでもなかった。軽登山靴が日射を防いでくれたのだろう、日焼け湿疹はできなかった。車の中に入った。すべての窓にシールドを張り、後ろの仮眠スペースに滑り込んだ。むろん、靴下もジーンズも脱いだ。涼しい風が来る。
ほっとして、横になった。少し頬が熱い、それに軽い頭痛。保冷剤入りバックに入っているペットボトルの水を飲んだ。冷たかった。軽い熱中症かも知れない。少し眠ろう。念のため、耳栓もした。目を閉じて、この後の行動日程を考えた。十一時半頃だったとおもう。九時から撮り始めたのだから、二時間くらい灯台を撮っていたことになる。ま、限界だな。ふっと、意識が遠のいた。
なにか、いろいろ考えていたような気もするが、時計を見たら十二時半を過ぎていた。小一時間横になっていたわけだ。元気が回復していて、気分もよくなった。だが、横になったまま、しばらく考えていた。…この後の予定、浜辺から断崖の灯台を撮る。そのあとどうしようか。宿に入るには早すぎるし、だいいち時間がもったいないだろう。ふと思いついたのは、観光だ。近くに、弥彦がある。
弥彦、という言葉は、小学生の頃から知っている。<国定公園記念切手>の中に、佐渡弥彦、という切手があったからだ。当時としては、きれいなカラーの切手で、金持ちの同級生が、そのシリーズを全部持っているのが羨ましかった。もっとも、当時も今も<弥彦>の実態は知らない。なんで有名なのかも知らない。山があって、神社があって、とその程度の知識だ。だが、その弥彦が目の前にある。
そう、今日の朝、高速を降りて、角田岬へ向かう途中、ふと不思議に思ったことがある。周りは、一面青々とした稲田。なのに、海の方に山が見える。大きな塊が二つあって、右側が目的地の角田岬。その隣が、おそらく弥彦だろう。平野の中に、いきなりそこだけが山なのだ。しかもその向こうは海だ。普通は、山があって平野があって海になる。だが、順番がおかしい。目の前に広がる光景は、平野があって山があって、その向こうに海だ。要するに、平野の中に、ぼこぼこっと大きな山並みが二つある。あまり見たことのない地形だなと思った。
今ネットでちょっと調べた。地形に関しては、海底火山が隆起したものなのか、ほかの理由なのか、詳しく研究されていないとのこと。まいったね!弥彦神社に関しては、越後一の宮と言われ、信仰の中心地だったらしい。現在はロープウェイなどもあり、新潟県有数の観光地でもある。なるほど、関東で言えば、御岳山とか高尾山とか、そういった感じの場所だったんだ。
ま、とにかく、景色も良さそうなので、午後はゆっくり弥彦観光だな、と心づもりして身支度をした。ちらっと、角田岬灯台の夕景を撮ろうかな、と思った。何しろ、夕日のきれいなところなのだ。だが、夕方、暗くなって、あの急な登山道を上がるのかと思うと、気持ちが萎えた。それに、まだ暑いだろう。宿のチェックインは六時になっているし、暗くなって、車を運転するのも嫌だった。要するに、何もかも、体力的なことが絡んでいて、それがやる気をすべて殺いでいる。実存とはこうしたものだ。快に流れてしまうことに、さほど抵抗はなかった。




さらに少し下ると、分かれ道。まっすぐ行けば灯台。左側に逆Vを切って回り込む。断崖に斜めにかかる階段だ。たらたらと、二、三歩下りては振り向いて、写真を撮った。ちょうど、斜めに落ちる緑の断崖の途中に白い灯台が見える。空も海も真っ青。人影はない。涼しい風でも吹いていたら、立ち止まって、この景色を頭に焼き付けておきたいほどだ。しかし、現実は甘くない。風どころか、きびしい日射に晒されている。感傷に浸る状況じゃない。
階段を中ほどまで下りると、灯台は、断崖の上にちょこんと見える程度になる。それに遠目過ぎて、もう写真にはならない。そのまま振り向きもせず、真っすぐ下りて、一般道の歩道に出た。すぐ左手は短いトンネル。向こうが見える。そっちにはいかないで、手すりのある歩道を行く。断崖の灯台を横から見られる位置だ。カメラを構えた。何枚か撮ったが、どうもよくない。
歩道の手すりをすりぬけ、中に入った。そこは見晴らしのいい、少しひろい場所で、そばに巨大な岩がある。柵のない断崖の上で、危ないから、歩道から入れないようにしているわけだ。ま、危険は承知だ。なるべく、崖っぷちには近づかないで、草ぼうぼうの中を、そろそろ歩いた。見ると、今下りて来た階段の全貌が見える。断崖の上には白い灯台、下には、波打ち際の、断崖を削った遊歩道。義経が舟を隠したという、洞窟も見える。空には、うっすら雲がかかり、海は青のグラデーション。何とも、壮大で、美しい光景だ。でもやはり、この大風景の中で、主役は灯台だろう。もし灯台がなかったら、たんなる自然景観であり、わざわざ撮りに来ることもなかったのだ。
灯台は、ある種の象徴なのだろうか。断崖の白い灯台、人間はそれを見て何を思うのか?いや、自分は何を思い、感じているのか?定かではない。自分の人生や存在を、灯台に投影しているのだろうか。あるいは、男根の象徴として、半ば無意識のうちに魅かれているのだろうか。性懲りもなく、若さや生命力を渇望しているのだろうか。わからない。ただ、真っ青な海と空のなかに、屹立する白い灯台が、美しいと思うのだ。
ここぞと思い、何枚も何枚も、同じような構図で写真を撮った。これ以上撮っても無駄だな、と思うまで撮った。ベストを尽くしたような気もするし、撮り損ねているのではないかとも思った。暑かった。限界を超えた暑さだった。巨大な岩の下が、少しだけ日陰になっている。一息入れたい。だが、草ぼうぼうで、腰をおろすことはできない。バックを背負ったまま、モニターした。大丈夫だろうと思った。いや、頭がぼうっとしていて、正確な判断はできなかったようだ。
引き上げよう。歩道に戻った。少し歩いて、灯台へ向かう階段の前に来た。バックをおろして、給水したような気がする。そして、手すりにつかまりながら、ゆっくり階段を登って行った。途中、何度か止まり、カメラを灯台に向けた。今さっき撮った構図だから、感動はなく、なおざなりにシャッターを押した。灯台に着いた。最後は少し足取りが重かった。本来なら、ここでもう一度休んで、ゆっくり辺りを眺めたいところだ。だが、暑すぎた。早く車に戻りたかった。涼しいのは車の中だけなのだ。
灯台の狭い敷地を右に回り込むと、浜へと降りる階段がある。その階段が、急なうえに、非常に狭い。人一人通るのがやっとという感じ。すれ違いなど、到底できないし、待機場所もない。いやな予感がしていたら、案の定、下から、爺さんが登ってきた。目が合った段階で、爺さんは止まった。どう考えたって、自分がいる以上、上には行けないのだ。なんとか、互いに体を横に向けて、やり過ごした。すいませんと小さな声で言った。だが、愛想のない爺さんで、ちゃんとした返事は返ってこなかった。
これほど急で狭い階段は、経験したことがない。昭和の作りなのだろうな、などと思いながら、浜に降り立った。灯台の上り下りも、死ぬほど暑かった。が、浜辺は、何か種類の違う暑さだった。要するに、むっとする暑さだ。それに、日射が半端なくきつい。脇目もふらず、車へ向かった。幸いなことに、わが愛車はすぐそこに止まっていた。白い車体が眩しかった。
車の中は、蒸し風呂状態だった。月並みの言い方だ。実態を正確に記述していない。蒸し風呂状態どころか、それ以上の暑さだった。焼けるような暑さだ。いやこれは、修飾過多だろう。とにかく、暑くてすぐには入れないような状態だった。エアコンを全開にして、しばらく、ドアを開けておいた。
外で着替えをした。上半身に日射が当たり、痛いように感じた。ただ、足の甲はなんでもなかった。軽登山靴が日射を防いでくれたのだろう、日焼け湿疹はできなかった。車の中に入った。すべての窓にシールドを張り、後ろの仮眠スペースに滑り込んだ。むろん、靴下もジーンズも脱いだ。涼しい風が来る。
ほっとして、横になった。少し頬が熱い、それに軽い頭痛。保冷剤入りバックに入っているペットボトルの水を飲んだ。冷たかった。軽い熱中症かも知れない。少し眠ろう。念のため、耳栓もした。目を閉じて、この後の行動日程を考えた。十一時半頃だったとおもう。九時から撮り始めたのだから、二時間くらい灯台を撮っていたことになる。ま、限界だな。ふっと、意識が遠のいた。
なにか、いろいろ考えていたような気もするが、時計を見たら十二時半を過ぎていた。小一時間横になっていたわけだ。元気が回復していて、気分もよくなった。だが、横になったまま、しばらく考えていた。…この後の予定、浜辺から断崖の灯台を撮る。そのあとどうしようか。宿に入るには早すぎるし、だいいち時間がもったいないだろう。ふと思いついたのは、観光だ。近くに、弥彦がある。
弥彦、という言葉は、小学生の頃から知っている。<国定公園記念切手>の中に、佐渡弥彦、という切手があったからだ。当時としては、きれいなカラーの切手で、金持ちの同級生が、そのシリーズを全部持っているのが羨ましかった。もっとも、当時も今も<弥彦>の実態は知らない。なんで有名なのかも知らない。山があって、神社があって、とその程度の知識だ。だが、その弥彦が目の前にある。
そう、今日の朝、高速を降りて、角田岬へ向かう途中、ふと不思議に思ったことがある。周りは、一面青々とした稲田。なのに、海の方に山が見える。大きな塊が二つあって、右側が目的地の角田岬。その隣が、おそらく弥彦だろう。平野の中に、いきなりそこだけが山なのだ。しかもその向こうは海だ。普通は、山があって平野があって海になる。だが、順番がおかしい。目の前に広がる光景は、平野があって山があって、その向こうに海だ。要するに、平野の中に、ぼこぼこっと大きな山並みが二つある。あまり見たことのない地形だなと思った。
今ネットでちょっと調べた。地形に関しては、海底火山が隆起したものなのか、ほかの理由なのか、詳しく研究されていないとのこと。まいったね!弥彦神社に関しては、越後一の宮と言われ、信仰の中心地だったらしい。現在はロープウェイなどもあり、新潟県有数の観光地でもある。なるほど、関東で言えば、御岳山とか高尾山とか、そういった感じの場所だったんだ。
ま、とにかく、景色も良さそうなので、午後はゆっくり弥彦観光だな、と心づもりして身支度をした。ちらっと、角田岬灯台の夕景を撮ろうかな、と思った。何しろ、夕日のきれいなところなのだ。だが、夕方、暗くなって、あの急な登山道を上がるのかと思うと、気持ちが萎えた。それに、まだ暑いだろう。宿のチェックインは六時になっているし、暗くなって、車を運転するのも嫌だった。要するに、何もかも、体力的なことが絡んでいて、それがやる気をすべて殺いでいる。実存とはこうしたものだ。快に流れてしまうことに、さほど抵抗はなかった。




[edit]
2020
11/01
Sun.
10:27:56
<灯台紀行・旅日誌>2020
Category【灯台紀行 新潟・鶴岡編】
<灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#3 角田岬灯台撮影1
高速出口料金は、六千円ほどだったと思う。さすがに、ここまでくると高い。一般道に下りた。ナビの指示に従って走る。道は、平日の朝だけど、田舎だ。さすがに空いている。そのうち、マップシュミレーションでみた風景が目の前に広がった。左側は海=日本海、緑の断崖絶壁と大きな奇石が連なっている。トンネルをくぐる前に、断崖に白い灯台がちらっと見えた。あれだな。
トンネルを抜けて、海沿いの一般道を左折、角田浜に入った。何回もマップシュミレーションしているので、初めての感じがしない。コロナ禍で今年は海水浴場が閉鎖なのだろう、人影がまばら。空いていて気持ちがいい。もっとも、砂浜沿いに海の家というか、民宿が何件か並んでいて、景観的にはイマイチだ。
車から降りた。とんでもなく暑い!一応、汚い公衆便所で用を足した。ま、公衆便所に入れば、その観光地の格がわかるというものだ。左手断崖の角田岬灯台を見た。遠目過ぎて写真にならない。ま、いい、期待していた場所でもない。すぐ車に乗って、浜沿いに少し走り、断崖の下の駐車場に車を止めた。目の前には、休業中の年季の入った民宿がある。見上げると、白い灯台の頭が少し見えた。何枚か、記念写真として撮った。
灯台へ登る階段は、海沿いにある。とんでもなく急なことは、マップシュミレーションで了解していた。と、左側に、何やらトンネル。つまり、目の前の断崖の下をくり抜いて、向こう側の海へ抜けられる。これはと思い、近づいていくと、何やら看板。<名勝 判官舟かくし>。…いま改めてネット検索すると、要するに、義経伝説の一つで、奥州平泉に逃げる際に、この断崖の下にある洞窟に舟を隠して、追っ手をやり過ごしたそうな。
トンネルの中は涼しかった。足場が多少濡れていたものの、軽登山靴を履いているので、全然問題なし。そうそう、今回からは、足の甲の、日焼け湿疹の対策として、愛用の<ダナー>の軽登山靴を履いている。思えば、とんでもなく暑かったのに、足元はさほど暑さを感じなかった。思惑が、見事に当たった。ただし、薄手の靴下だったので、靴の中で足が動いてしまい、歩きづらかった。もう少し厚手の靴下を履き、きちっと紐を締めなければだめだ。
二十メートルほどの真っ暗なトンネルを抜けると、断崖に沿った遊歩道がある。柵はなく、目の前は海。要するに、断崖を削り取った遊歩道だ。幅は1メートル強、さほど広くもないし狭くもない。海が穏やかだったせいか、波しぶきはかからない。灯台に背を向け、ある程度歩いて、ふり返る。灯台が断崖の上に見える。ただし、あまりいい位置取りではない。でも一応写真は撮る。うねうねと、さらに行く。と、行き止まり。腰丈の柵がある。すり抜けることも出るが、そうすると、灯台は巨大な岩の死角に入る。これ以上行っても意味がない。イマイチだな~と思いながら、ここでも何枚か写真を撮った。引き返そう。義経伝説か、昭和の観光地の匂いがした。
遊歩道は渇いていた。足元にさほど注意もせず戻った。といっても途中までだ。そこに、灯台へ登る階段がある。ほぼ真っすぐ、灯台へ向かっている。さすがに、この断崖の階段には柵がついていた。暑かった!急な階段の途中で何回も立ち止まった。その都度灯台を見上げながら、写真を撮った。斜めに落ちる緑の断崖、その中ほどに、白い灯台が垂直に立っている。海も空も真っ青。モノになるかもしれないと思った。
息を切らせながら、灯台に到着した。一休みだ。灯台は立派で、見上げると巨大だ。だが、敷地がほとんどない。灯台の胴体すれすれに歩いて、正面に回り込む。階段を二、三段あがると、三畳ほどのコンクリの平場。そこが、唯一バックをおろせる場所だ。多少の日陰もあり、ほっとした。汗びっしょりのロンTを脱ぎ捨て、給水。上半身裸のまま、下の海水浴場、角田浜をもっとよく見ようと、反対側の柵際まで行った。景色はいい。
替えのロンTを着た。濡れたロンTは、バッグに巻き付けた。こうして背負って歩けば、自然に乾くというものだ。ほんとは、もう少しゆっくりしたかった。だが、この灯台は、ハイキングコースの終点になっているらしい。断崖の上の方から、あるいは下からも、けっこう人が来る。おちおち休んでもいられない。
灯台を背にして、断崖の登山道を登り始めた。ハイキングコースになっているとはいえ、ひどい悪路。岩がぼこぼこ出ている。歩きづらい。しかも、幅は、人がやっと通れるほど。少し登って、ふり返った。幸いにも、明かりは順光。灯台の白が眩しい。だが、電信柱が邪魔だ。まるっきり、灯台に重なっている。誰かが灯台の景観に嫉妬して、わざと邪魔させている、と疑いたいほどだ。どう考えたって、この構図は無理でしょう。
位置をずらせばいいのだが、右手は低木が生い茂っている。柵などもあり、踏みこめない。左手は断崖。柵はないので、一歩、いや半歩くらいなら、登山道からそれることができる。だが、かなり危なっかしい。足を滑らせたら転落だ。それに、半歩それても、依然として電柱は灯台に重なったままだ。構図的には、むしろ、ますますよろしくない。
ご想像願えるだろうか。つまり、少し高いところから、白い灯台を見下ろしている。背景は真っ青な空と海。灯台は緑の断崖に立っているわけで、素晴らしい景観だ。ところが、その灯台の真正面に、無粋な灰色の電柱が立っているのだ!
何とか、位置取りをずらして、灯台と電柱が重ならない場所を見つけなければならない。と、ほんの一歩だけ、登山道からはみ出た場所がある。バックをおろすこともできない、狭い岩場だ。それでも、電柱君は、灯台のかなり右側に移動した。というか、すれすれで、横に並んでいる。邪魔だけど、贅沢言ってられない。慎重に、何枚も撮った。
さらに登ると、登山道から右へ分岐する道がある。下り階段で、海側に柵もある。下って行くと、海沿いの一般道へ出られる。その歩道から、灯台が見える。要するに、横から撮れるわけだ。マップシュミレーションして見つけた場所で、当然行くつもりだった。が、念のため、もう少し、登ってみようと思った。電柱君が、灯台さんから離れる位置が見つかるかもしれない。
登山道は、灯台から、ほぼ一直線に頂上へ向かっている。そこは、角田山というらしい。急な悪路を、文字通り、一歩一歩、登って行った。暑い、なんてものじゃない。それに、足元がおぼつかない。軽登山靴の中で足が動いてしまい、なんだか踏ん張れない。薄手の靴下を穿いていたので、スカスカなのだ。こんな本格的な登山なら、靴も、本格的な登山靴を履いて来ればよかった、と少し悔やんだりもした。
と、登山道の右側、つまり海側に少し広い岩場があった。といっても、一メートル四方だが、どこか、人工的に踏み固められたような形跡がある。これはいい。登山道から外れて、眼下の灯台にカメラを向けた。例の電柱君が、灯台さんから、少し距離をあけていた。これまでで、最高の距離の開け方だ。ま、何とか、写真になる。かなり慎重に、念には念を入れながら、何枚も撮った。
この位置からが、ほぼ、ベストショットだろう。撮り終わって、一息入れた。バックをおろして、座りこみたいところだった。だが、岩場は、ごつごつしていて、しかも狭い。肩からバックだけおろして、給水した。そうか、ここでみんなが写真を撮るんだな、と思った。
念のために、撮影画像のモニターなどしていると、上から軽装の若い男が二人下りてきた。<こんちわ>と軽く会釈すると、<日本語>らしからぬ発音で<こんにちは>と返された。中国人か、いや東南アジア系だな、と思った。それと、この猫の額ほどの岩場は、写真を撮る場所、というよりは、すれちがう登山者の待機場所だろう、と考えを改めた。灯台を撮りに来る人より、ハイキングをしに来る人の方が、おそらく圧倒的に多いにちがいない。
バックを背負った。グーグルマップによれば、さらにこの上に、もう一か所。撮影ポイントがあるようなのだ。とはいえ、登山道はさらに急になり、足場も非常に悪い。しかも、海側も低木で遮られ、視界がない。むろん、ふり返れば灯台は見える。しかし、かなり遠目。写真的には、もうこの辺が限界。立ち止まって、左側に樹木を入れて、何枚か撮った。
上を見上げた。緑のトンネル、急な上り坂。死ぬほど暑いし、膝もガクガクしている。山登りは、もううんざりだ。それに、この上の撮影ポイントは、木々の間に灯台が見える、という感じで、是が非でも撮りたいというほどでもない。言い訳だ。苦労して登るのが嫌になったのだ。
もういいだろう。引き返した。下りは、上りより楽だ。だが、滑って転ばないようにと神経を使った。すぐに先ほどの、猫の額ほどの岩場だ。いくらも登らなかったのだ。立ち止まり、一息入れた。明かりの具合が少し変わったかもしれない。美しい灯台の景観を、性懲りもなく、同じような構図で何枚も撮った。

高速出口料金は、六千円ほどだったと思う。さすがに、ここまでくると高い。一般道に下りた。ナビの指示に従って走る。道は、平日の朝だけど、田舎だ。さすがに空いている。そのうち、マップシュミレーションでみた風景が目の前に広がった。左側は海=日本海、緑の断崖絶壁と大きな奇石が連なっている。トンネルをくぐる前に、断崖に白い灯台がちらっと見えた。あれだな。
トンネルを抜けて、海沿いの一般道を左折、角田浜に入った。何回もマップシュミレーションしているので、初めての感じがしない。コロナ禍で今年は海水浴場が閉鎖なのだろう、人影がまばら。空いていて気持ちがいい。もっとも、砂浜沿いに海の家というか、民宿が何件か並んでいて、景観的にはイマイチだ。
車から降りた。とんでもなく暑い!一応、汚い公衆便所で用を足した。ま、公衆便所に入れば、その観光地の格がわかるというものだ。左手断崖の角田岬灯台を見た。遠目過ぎて写真にならない。ま、いい、期待していた場所でもない。すぐ車に乗って、浜沿いに少し走り、断崖の下の駐車場に車を止めた。目の前には、休業中の年季の入った民宿がある。見上げると、白い灯台の頭が少し見えた。何枚か、記念写真として撮った。
灯台へ登る階段は、海沿いにある。とんでもなく急なことは、マップシュミレーションで了解していた。と、左側に、何やらトンネル。つまり、目の前の断崖の下をくり抜いて、向こう側の海へ抜けられる。これはと思い、近づいていくと、何やら看板。<名勝 判官舟かくし>。…いま改めてネット検索すると、要するに、義経伝説の一つで、奥州平泉に逃げる際に、この断崖の下にある洞窟に舟を隠して、追っ手をやり過ごしたそうな。
トンネルの中は涼しかった。足場が多少濡れていたものの、軽登山靴を履いているので、全然問題なし。そうそう、今回からは、足の甲の、日焼け湿疹の対策として、愛用の<ダナー>の軽登山靴を履いている。思えば、とんでもなく暑かったのに、足元はさほど暑さを感じなかった。思惑が、見事に当たった。ただし、薄手の靴下だったので、靴の中で足が動いてしまい、歩きづらかった。もう少し厚手の靴下を履き、きちっと紐を締めなければだめだ。
二十メートルほどの真っ暗なトンネルを抜けると、断崖に沿った遊歩道がある。柵はなく、目の前は海。要するに、断崖を削り取った遊歩道だ。幅は1メートル強、さほど広くもないし狭くもない。海が穏やかだったせいか、波しぶきはかからない。灯台に背を向け、ある程度歩いて、ふり返る。灯台が断崖の上に見える。ただし、あまりいい位置取りではない。でも一応写真は撮る。うねうねと、さらに行く。と、行き止まり。腰丈の柵がある。すり抜けることも出るが、そうすると、灯台は巨大な岩の死角に入る。これ以上行っても意味がない。イマイチだな~と思いながら、ここでも何枚か写真を撮った。引き返そう。義経伝説か、昭和の観光地の匂いがした。
遊歩道は渇いていた。足元にさほど注意もせず戻った。といっても途中までだ。そこに、灯台へ登る階段がある。ほぼ真っすぐ、灯台へ向かっている。さすがに、この断崖の階段には柵がついていた。暑かった!急な階段の途中で何回も立ち止まった。その都度灯台を見上げながら、写真を撮った。斜めに落ちる緑の断崖、その中ほどに、白い灯台が垂直に立っている。海も空も真っ青。モノになるかもしれないと思った。
息を切らせながら、灯台に到着した。一休みだ。灯台は立派で、見上げると巨大だ。だが、敷地がほとんどない。灯台の胴体すれすれに歩いて、正面に回り込む。階段を二、三段あがると、三畳ほどのコンクリの平場。そこが、唯一バックをおろせる場所だ。多少の日陰もあり、ほっとした。汗びっしょりのロンTを脱ぎ捨て、給水。上半身裸のまま、下の海水浴場、角田浜をもっとよく見ようと、反対側の柵際まで行った。景色はいい。
替えのロンTを着た。濡れたロンTは、バッグに巻き付けた。こうして背負って歩けば、自然に乾くというものだ。ほんとは、もう少しゆっくりしたかった。だが、この灯台は、ハイキングコースの終点になっているらしい。断崖の上の方から、あるいは下からも、けっこう人が来る。おちおち休んでもいられない。
灯台を背にして、断崖の登山道を登り始めた。ハイキングコースになっているとはいえ、ひどい悪路。岩がぼこぼこ出ている。歩きづらい。しかも、幅は、人がやっと通れるほど。少し登って、ふり返った。幸いにも、明かりは順光。灯台の白が眩しい。だが、電信柱が邪魔だ。まるっきり、灯台に重なっている。誰かが灯台の景観に嫉妬して、わざと邪魔させている、と疑いたいほどだ。どう考えたって、この構図は無理でしょう。
位置をずらせばいいのだが、右手は低木が生い茂っている。柵などもあり、踏みこめない。左手は断崖。柵はないので、一歩、いや半歩くらいなら、登山道からそれることができる。だが、かなり危なっかしい。足を滑らせたら転落だ。それに、半歩それても、依然として電柱は灯台に重なったままだ。構図的には、むしろ、ますますよろしくない。
ご想像願えるだろうか。つまり、少し高いところから、白い灯台を見下ろしている。背景は真っ青な空と海。灯台は緑の断崖に立っているわけで、素晴らしい景観だ。ところが、その灯台の真正面に、無粋な灰色の電柱が立っているのだ!
何とか、位置取りをずらして、灯台と電柱が重ならない場所を見つけなければならない。と、ほんの一歩だけ、登山道からはみ出た場所がある。バックをおろすこともできない、狭い岩場だ。それでも、電柱君は、灯台のかなり右側に移動した。というか、すれすれで、横に並んでいる。邪魔だけど、贅沢言ってられない。慎重に、何枚も撮った。
さらに登ると、登山道から右へ分岐する道がある。下り階段で、海側に柵もある。下って行くと、海沿いの一般道へ出られる。その歩道から、灯台が見える。要するに、横から撮れるわけだ。マップシュミレーションして見つけた場所で、当然行くつもりだった。が、念のため、もう少し、登ってみようと思った。電柱君が、灯台さんから離れる位置が見つかるかもしれない。
登山道は、灯台から、ほぼ一直線に頂上へ向かっている。そこは、角田山というらしい。急な悪路を、文字通り、一歩一歩、登って行った。暑い、なんてものじゃない。それに、足元がおぼつかない。軽登山靴の中で足が動いてしまい、なんだか踏ん張れない。薄手の靴下を穿いていたので、スカスカなのだ。こんな本格的な登山なら、靴も、本格的な登山靴を履いて来ればよかった、と少し悔やんだりもした。
と、登山道の右側、つまり海側に少し広い岩場があった。といっても、一メートル四方だが、どこか、人工的に踏み固められたような形跡がある。これはいい。登山道から外れて、眼下の灯台にカメラを向けた。例の電柱君が、灯台さんから、少し距離をあけていた。これまでで、最高の距離の開け方だ。ま、何とか、写真になる。かなり慎重に、念には念を入れながら、何枚も撮った。
この位置からが、ほぼ、ベストショットだろう。撮り終わって、一息入れた。バックをおろして、座りこみたいところだった。だが、岩場は、ごつごつしていて、しかも狭い。肩からバックだけおろして、給水した。そうか、ここでみんなが写真を撮るんだな、と思った。
念のために、撮影画像のモニターなどしていると、上から軽装の若い男が二人下りてきた。<こんちわ>と軽く会釈すると、<日本語>らしからぬ発音で<こんにちは>と返された。中国人か、いや東南アジア系だな、と思った。それと、この猫の額ほどの岩場は、写真を撮る場所、というよりは、すれちがう登山者の待機場所だろう、と考えを改めた。灯台を撮りに来る人より、ハイキングをしに来る人の方が、おそらく圧倒的に多いにちがいない。
バックを背負った。グーグルマップによれば、さらにこの上に、もう一か所。撮影ポイントがあるようなのだ。とはいえ、登山道はさらに急になり、足場も非常に悪い。しかも、海側も低木で遮られ、視界がない。むろん、ふり返れば灯台は見える。しかし、かなり遠目。写真的には、もうこの辺が限界。立ち止まって、左側に樹木を入れて、何枚か撮った。
上を見上げた。緑のトンネル、急な上り坂。死ぬほど暑いし、膝もガクガクしている。山登りは、もううんざりだ。それに、この上の撮影ポイントは、木々の間に灯台が見える、という感じで、是が非でも撮りたいというほどでもない。言い訳だ。苦労して登るのが嫌になったのだ。
もういいだろう。引き返した。下りは、上りより楽だ。だが、滑って転ばないようにと神経を使った。すぐに先ほどの、猫の額ほどの岩場だ。いくらも登らなかったのだ。立ち止まり、一息入れた。明かりの具合が少し変わったかもしれない。美しい灯台の景観を、性懲りもなく、同じような構図で何枚も撮った。

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