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此岸からの風景

<日本灯台紀行 旅日誌>オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです

2020

12/16

Wed.

10:47:35

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 新潟・鶴岡編

<灯台紀行・旅日誌>2020#12 新潟・鶴岡編 復路

車に戻った。隣にあった、黒い乗用車はなかった。ゆっくり着替えなどをした。たしか、軽登山靴も靴下も脱いで、サンダル履きになったと思う。この後は帰るだけだ。それにしても、朝からいったい何度着替えたことだろう。だが、思い出すのも億劫になっていた。最後にまた、公衆便所に寄って、用を足した。公衆便所の汚さと臭いは日本全国共通なのだろう。正面に置いてある、年季の入った背丈ほどの<錨>をちらっと見た。どう考えたって、不釣り合いでしょう。

帰路は、ただただ運転のみだった。山間の低速道路?も、来た時の感動はなく、周りの景色もろくに見なかった。小一時間走って、高速道路に入ってからはなおさらで、前だけを向いて運転に専念した。少し眠くなったものの、頻繁なトイレ休憩でやり過ごした。<五時前にホテル到着>とメモにある。

イオンの平面駐車場には、またしてもすんなり入れず、先頭で待機。時間が悪い。夕方の買い物時間だ。少し待っていると、女性が店舗から出てきて、軽自動車の中に入った。お、出るなと思ったが、なかなか出ない。助手席には、中学生の男の子が乗っているようだ。となれば、女性は、母親なのだろか。なんだか手元で調べている。それが長い!

目の前で待機している車があるにもかかわらず、平気なのだ。出るのを待たれているのがわかれば、自分の場合、こちらの事情は後回しにして、とりあえず、すぐに出ることにしている。鈍感な人間は、男女年齢間関係ないんだ。でもちょっと癪だから、ハンドルに腕をかけて、チラチラ見ていた。と、いい加減経った頃、シートベルトをして出て行った。合図も会釈もなく、まったくのシカとだった。むろん、この程度のことでは、腹も立たないし、イライラもしない。世の中には、もっともっと鈍感で、非常識で、傲慢な人間が五万といるのだ。

ホテルに入る前に、イオンの食料品売り場へ行った。食料の調達だ。おにぎり二個とミニカツ丼、菓子パンなどを買った。店内は、それなりに賑わっていた。レジの接客態度にも、問題はなかった。車に戻り、カメラバックを背負い、トートバックに食料品や飲料水を入れて、ホテルの正面入口に向かった。受付でキーを受け取り部屋に入った。部屋はきれいに清掃されていた。新しいスリッパを袋から取り出して穿いた。そのほか、ベッドメイキング、バスタオル類、アメニティー類もすべて新しいものに交換されていた。これが当たり前なんだよな。気分は良かった。

<五時半夕食>とメモにある。そのあと、昼寝。七時過ぎに起きてシャワー、頭も洗ったような気がする。テレビをつけながら、<メモ>を書き、撮影画像のモニターをしたかもしれない。<九時に寝る>。ほかに、これといって記述することはない。

今日の出費。日本海東北道¥2210×2、飲食¥1290。

お決まりのように、夜中には、一、二時間おきにトイレに起きたのだろう。だが、六時過ぎに目覚めた時、眠気はほとんどなかった。よく眠れた方だ。物音もしなかったような気がする。洗面、朝食・菓子パン二個、牛乳、備え付けのお茶とコーヒー。朝の支度を終え、排便。今日もほとんど出ない。三日目だ。自宅にいる時には、こんなことはありえない。ほぼ毎日決まった時間に、ある程度の量が出る。だが、環境が変わると、すぐに便秘する。神経質なところがあるのだろう。

身支度をした。忘れ物がないか冷蔵庫の中を再度確認して、廊下に出た。エレベーターで下におり、受付カウンターへ行って、キーを返した。その際、手書きの領収書を受け取った。ホテルの男性従業員は、ビジネスライクの応対で、問題はない。外に出た。まだ、さほど暑くはなかった。が、これから暑くなるぞ、といった雰囲気の朝だった。車に乗った。ナビはセットしなかったような気もする。三条燕の高速入口は、頭に入っていたし、そのあとは関越道をひたすら走るだけだ。<七時二十分出発>とメモにあった。

高速は、長岡までは、朝の通勤時間帯なのだろうか、意外に混んでいた。といっても、むろん、渋滞などはしていない。頭がすっきりしていたせいか、運転しながら、周りの景色をちらちら眺めていた。両側に、黄緑の稲田が、延々と見える。そういえば、昨日も、日本海東北道・村上あたりからは、見渡す限りの黄緑稲田だった。何十キロ、こんな光景が続いているのだろうか。いや、百キロ以上かもしれない。

新潟県の面積が大きいのは、何となく知っていた。だが、全国で何番目なのか、そこまでは知らない。今調べたら、五番目らしい。それに<長さ>だ。端から端までは、350キロもあるという。自分が実際に走った<村上から長岡>ですら、約120キロもある。カンが当たったわけだ。そう、100キロ以上、高速の両側が黄緑色の稲田だったのだ。新潟・米どころ、とはよく言ったものだが、見ると聞くとは大違い、とはこのことだった!

前に見える車列は、長岡が近づくにつれ、だんだん少なくなっていった。みな、途中のインターで降りてしまう。そして、関越道に入ると、ほとんど車が走っていない。ガラガラ。なるほど、広いからね、高速で県内を移動しているんだ。唐突に、でもないか、来る時も思ったことで、関越を走ると、きまって、<田中角栄>を思い出す。<列島改造案>だ。新潟県の人にとっては、神様のような存在だったのだろうけれど、マスコミの影響なのだろうか、あまりいい印象はない。

だが、先日、NHKの番組で、<田中角栄>の軍隊時代のエピソードが流された。一兵卒で、要領が悪かったのか?気に障る奴だったのか?上官からしばしば暴行を受けていたのだという。本人は、生前、そのようなことは一切口にしなかったらしい。…<田中角栄>に対する偏見から、少し解放されたような気がした。殴る人間ではなく、殴られる人間の方が、まだましだと思った。

だいぶ走って、関越トンネル手前のパーキングで、トイレ休憩した。広い駐車場に、車は二、三台しか止まっていなかった。何やら、建物の中に入って、トンネル工事の写真やパネルなどを見たと思うのだが、よく思い出せない。来るときは、いやになるほど長くて緊張した、元日本一長いトンネルも、帰るときは、難なくやり過ごした。そのあとの、湯沢あたりの牧歌的な風景にも、ほとんど目を向けなかった。

ただひたすら運転していた。なにかを考えていたのだと思う。だがまったく思い出せない。トンネルを抜けて、一度だけトイレ休憩をしたような気もする。だが、それもよく思い出せない。藤岡を過ぎるあたりから、車が少し混んできた。花園の看板が見えた。連休などではいつも渋滞するところだ。地元の埼玉に戻ってきた。そのあとはあっという間だった。最寄りのインターでおりて、<十一時半帰宅>とメモにある。おおよそ、三時間の高速走行。さほど退屈することもなく、眠くもならなかったし、疲れてもいなかった。

帰宅後、すぐに旅の片付け。車の中の荷物をアトリエなどへ移動。小一時間で終了。埼玉も信じられないような暑さ!汗だく。シャワー。冷たいノンアルビールを飲む。昼寝。六時過ぎに起きて、撮影画像の選択。今回は700枚ほど撮った。夜更かしはせず、夜の十時には寝ていたと思う。

なお、その後、四、五日、何となく、調子がよくなかった。頭がぼうっとしていた。だるいし、眠い。軽い熱中症になっていて、その後遺症だろう。一週間くらい後になって気づいた。給水には、十分気をつけていたんだけどね。やはりジジイだ。あぶない、あぶない。

<新潟・鶴岡旅>2020-8-20(木)21(金)22(土)収支。
宿泊費二泊 ¥6800(Goto割)
高速 ¥14500 
ガソリン 総距離860K÷19K=45L×¥130=¥5900
飲食等 ¥2700
合計 ¥30000
以上。

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