此岸からの風景
<日本灯台紀行 旅日誌>オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです
2021
02/14
Sun.
10:54:01
<灯台紀行・旅日誌>2020
Category【灯台紀行 南伊豆編】
<灯台紀行・旅日誌>2020南伊豆編#4
移動~爪木埼灯台撮影1
神社の物品販売所のすぐ横が通路になっている。五、六歩行くと賽銭箱がある。奥は神殿だ。色の褪めた太い紐が二本垂れさがっていて、視線を上に向けると、変色した大きな鈴が見える。財布を出し、中にあった一円玉と五円玉を投げ入れた。紐をひっぱって鈴を鳴らそうとしたが、うまくいかず、間抜けな音しかしなかった。
ところで、この神社のロケーションについて一言だけ記述しておこう。何と言うか、絶壁の途中の、大きな窪みの中に建っている。いわば、巨大な岩の中に象嵌されている。見た目、なんでわざわざ、と思ったが、深くは考えなかった。というのも、絶壁とか岩の窪みとかにある神社は、これまで何回か写真で見ているし、実際に見たこともある。もっとも場所や名前は正確に思い出せないが。とにかく、信心の薄い者にとっては、野次馬的興味があるだけで、由来や謂れを頭に刻み付けておこうとまでは思わないのだ。今回もそうだ。むろん記念写真は撮った。撮るには撮ったが、やはり感動の薄い事物に対しては、案の定、写真もおざなりだった。
神社を後にして、まさに<観音崎>の先端の岩場に来た。断崖絶壁で強風。まあ、ゆっくり太平洋を眺めるというわけには行かなかった。それに、観光客が次から次に来るので落ち着かない。岩場を一周する通路も狭くて、立ち止まっていると邪魔。まじめに写真を撮る気にはなれない。気のないシャッターを数回切って、急き立てられるように岩場を後にした。
また、灯台の敷地に戻ってきた。ベストポジションは、コンクリの残骸に背中をべったり付けて立つ、中途半端な所だ。幸い、人波みは去って、敷地内の人影はまばらになった。そうか、さっきの混雑は、あの大型バスの観光客だったんだ、と思った。無駄なシャッターを切りながら、人影が完全に消える瞬間を待った。その時が訪れた。気合が入って集中して、連続的に何枚も撮った。写真的にはイマイチな構図ではあるが、この瞬間にベストを尽くしたことに満足した。
大きな石の鳥居をくぐった。正面にフードコートの建物が見えた。テラス越しに行けば、中を通らなくてもいいことに気づいた。でも、半自動ドアのタッチスイッチ?を手の甲でチョンと押して中に入った。ソフトクリームでも食べたい気分だったのだ。カウンターの横を通りながら、メニューなどをちらっと見た。だが、シンプルなソフトクリームはなく、何かごてごてと飾り付けたスイーツまがいのものばかりだった。食べるのをやめて、出入口付近の案内コーナーに立ち寄った。ざっと見まわした。見るべきものもないので、置いてあるパンフフレットなどをチラッと見て、車に戻った。
駐車場を出た。突き当りを大きく右折した。その後、どこをどう走ったのか、ほとんど記憶にない。記憶が戻るのは、ナビの指示で、国道の信号を左折して<爪木崎>に入ったあたりからだ。坂を登った。途中に介護施設があったような気がする。視界が開けて、目の前に駐車場の料金所が見えた。助手席に置いてあった、先ほどもらった<駐車場整理券>なる紙切れを手に取った。
料金所に横づけすると、例の土産物屋の主人が、いや、顔の濃い係の男性の上半身が見えた。手にした紙きれを、彼に見える位置でひらひらさせながら、こう言った。<朝来たんだけど、また払わなくちゃまずいかな?>。<いいですよ>と土産物屋の主人は言った。が、その声音には、しょうがない、といったニュアンスも含まれていた。朝の時と比べて、声がちょっとうわずっていたからな。
駐車場には、ほとんど車がなかった。ただ、端の方に、青みがかった軽のバンが止まっていた。朝来た時にもあったから、<土産物屋の主人>のものだろう。車から出て、カメラバックを背負った。暗緑色の岬の上に、白い爪木埼灯台が、ちょこんと飛び出ている。お、陽が当たっている!灯台の胴体、縦半分くらいが真っ白だ。時間は、<13:07>、と午後一発目の爪木埼灯台の写真に記録されていた。ちなみに、午前中最後の石廊埼灯台の写真は<12:12>だった。ま、どうでもいいか。
灯台へ向かった。通路沿い群生している、大柄な<アロエ>さんたちに、ちょっと目配せしながら、今回は、浜へは行かないで、岬へと、いきなり登る道を選んだ。多少急だ。だが、週三回ジムへ行っている。この程度では息も切れない。これは年寄り発言で、自分が爺だと認めたようなものだ。
撮るべき撮影ポイントは、ほぼ把握していた。灯台正面のススキの横、それに、東屋付近の柵の辺だろう。この二か所を、そうだな、距離にして100メートルくらいかな、三、四十分おきに、行ったり来たりしながら、午後の撮影を楽しんだ。何しろ、狙い通り、右横から、灯台に陽が当たっている。見た目で言えば、胴体の右半分が真っ白で、左半分が少し暗くなっている。
と、今思えば、この午後の時間に、灯台の胴体に陽が当たっていることには、何の疑問も持たなかった。というのも、午後はトップライトになるわけで、おそらく見た目では、灯台のてっぺん辺りにだけしか陽が当たらず、胴体は暗いのだ。<犬吠埼灯台>しかり、<観音埼灯台>しかり、<鼠ヶ関灯台>しかりだ。だから、午後は休憩して、三時ころまで待って、太陽が傾き始めてから、また撮りだしていたのだ。
その貴重な経験が、いい意味で反故になっている。要するに、自然的条件により、灯台にあたる陽の具合は、日々刻々と変化しているのである。つまり、太陽の位置だ。夏場は高く、冬場は低い。また、日の出、日の入りの時間も影響している。さらには、人為的条件、すなわち、灯台の立地場所、撮影場所も、大きな要因になるだろう。だから一概に、午後はダメ、とは言えないのだ。
極端な話、同じ時刻であっても、365日、灯台にあたる陽の具合は違うのだ。灯台一つ一つに、撮影のベストポジションがあるように、明かりのベスト時間?もあるわけで、こう考えると、一つの灯台に、一年間張り付いていないと、文字通りのベストな写真は撮れないわけだ。いや、太陽の光には、地球温暖化とか、その他の気象条件も影響しているのだから、一年単位じゃない。十年、いや~百年単位で考えねばなるまい。なるほど、一つの灯台に、100年間張り付いて、写真を撮り続ければ、ベストな写真が撮れるかもしれない。






移動~爪木埼灯台撮影1
神社の物品販売所のすぐ横が通路になっている。五、六歩行くと賽銭箱がある。奥は神殿だ。色の褪めた太い紐が二本垂れさがっていて、視線を上に向けると、変色した大きな鈴が見える。財布を出し、中にあった一円玉と五円玉を投げ入れた。紐をひっぱって鈴を鳴らそうとしたが、うまくいかず、間抜けな音しかしなかった。
ところで、この神社のロケーションについて一言だけ記述しておこう。何と言うか、絶壁の途中の、大きな窪みの中に建っている。いわば、巨大な岩の中に象嵌されている。見た目、なんでわざわざ、と思ったが、深くは考えなかった。というのも、絶壁とか岩の窪みとかにある神社は、これまで何回か写真で見ているし、実際に見たこともある。もっとも場所や名前は正確に思い出せないが。とにかく、信心の薄い者にとっては、野次馬的興味があるだけで、由来や謂れを頭に刻み付けておこうとまでは思わないのだ。今回もそうだ。むろん記念写真は撮った。撮るには撮ったが、やはり感動の薄い事物に対しては、案の定、写真もおざなりだった。
神社を後にして、まさに<観音崎>の先端の岩場に来た。断崖絶壁で強風。まあ、ゆっくり太平洋を眺めるというわけには行かなかった。それに、観光客が次から次に来るので落ち着かない。岩場を一周する通路も狭くて、立ち止まっていると邪魔。まじめに写真を撮る気にはなれない。気のないシャッターを数回切って、急き立てられるように岩場を後にした。
また、灯台の敷地に戻ってきた。ベストポジションは、コンクリの残骸に背中をべったり付けて立つ、中途半端な所だ。幸い、人波みは去って、敷地内の人影はまばらになった。そうか、さっきの混雑は、あの大型バスの観光客だったんだ、と思った。無駄なシャッターを切りながら、人影が完全に消える瞬間を待った。その時が訪れた。気合が入って集中して、連続的に何枚も撮った。写真的にはイマイチな構図ではあるが、この瞬間にベストを尽くしたことに満足した。
大きな石の鳥居をくぐった。正面にフードコートの建物が見えた。テラス越しに行けば、中を通らなくてもいいことに気づいた。でも、半自動ドアのタッチスイッチ?を手の甲でチョンと押して中に入った。ソフトクリームでも食べたい気分だったのだ。カウンターの横を通りながら、メニューなどをちらっと見た。だが、シンプルなソフトクリームはなく、何かごてごてと飾り付けたスイーツまがいのものばかりだった。食べるのをやめて、出入口付近の案内コーナーに立ち寄った。ざっと見まわした。見るべきものもないので、置いてあるパンフフレットなどをチラッと見て、車に戻った。
駐車場を出た。突き当りを大きく右折した。その後、どこをどう走ったのか、ほとんど記憶にない。記憶が戻るのは、ナビの指示で、国道の信号を左折して<爪木崎>に入ったあたりからだ。坂を登った。途中に介護施設があったような気がする。視界が開けて、目の前に駐車場の料金所が見えた。助手席に置いてあった、先ほどもらった<駐車場整理券>なる紙切れを手に取った。
料金所に横づけすると、例の土産物屋の主人が、いや、顔の濃い係の男性の上半身が見えた。手にした紙きれを、彼に見える位置でひらひらさせながら、こう言った。<朝来たんだけど、また払わなくちゃまずいかな?>。<いいですよ>と土産物屋の主人は言った。が、その声音には、しょうがない、といったニュアンスも含まれていた。朝の時と比べて、声がちょっとうわずっていたからな。
駐車場には、ほとんど車がなかった。ただ、端の方に、青みがかった軽のバンが止まっていた。朝来た時にもあったから、<土産物屋の主人>のものだろう。車から出て、カメラバックを背負った。暗緑色の岬の上に、白い爪木埼灯台が、ちょこんと飛び出ている。お、陽が当たっている!灯台の胴体、縦半分くらいが真っ白だ。時間は、<13:07>、と午後一発目の爪木埼灯台の写真に記録されていた。ちなみに、午前中最後の石廊埼灯台の写真は<12:12>だった。ま、どうでもいいか。
灯台へ向かった。通路沿い群生している、大柄な<アロエ>さんたちに、ちょっと目配せしながら、今回は、浜へは行かないで、岬へと、いきなり登る道を選んだ。多少急だ。だが、週三回ジムへ行っている。この程度では息も切れない。これは年寄り発言で、自分が爺だと認めたようなものだ。
撮るべき撮影ポイントは、ほぼ把握していた。灯台正面のススキの横、それに、東屋付近の柵の辺だろう。この二か所を、そうだな、距離にして100メートルくらいかな、三、四十分おきに、行ったり来たりしながら、午後の撮影を楽しんだ。何しろ、狙い通り、右横から、灯台に陽が当たっている。見た目で言えば、胴体の右半分が真っ白で、左半分が少し暗くなっている。
と、今思えば、この午後の時間に、灯台の胴体に陽が当たっていることには、何の疑問も持たなかった。というのも、午後はトップライトになるわけで、おそらく見た目では、灯台のてっぺん辺りにだけしか陽が当たらず、胴体は暗いのだ。<犬吠埼灯台>しかり、<観音埼灯台>しかり、<鼠ヶ関灯台>しかりだ。だから、午後は休憩して、三時ころまで待って、太陽が傾き始めてから、また撮りだしていたのだ。
その貴重な経験が、いい意味で反故になっている。要するに、自然的条件により、灯台にあたる陽の具合は、日々刻々と変化しているのである。つまり、太陽の位置だ。夏場は高く、冬場は低い。また、日の出、日の入りの時間も影響している。さらには、人為的条件、すなわち、灯台の立地場所、撮影場所も、大きな要因になるだろう。だから一概に、午後はダメ、とは言えないのだ。
極端な話、同じ時刻であっても、365日、灯台にあたる陽の具合は違うのだ。灯台一つ一つに、撮影のベストポジションがあるように、明かりのベスト時間?もあるわけで、こう考えると、一つの灯台に、一年間張り付いていないと、文字通りのベストな写真は撮れないわけだ。いや、太陽の光には、地球温暖化とか、その他の気象条件も影響しているのだから、一年単位じゃない。十年、いや~百年単位で考えねばなるまい。なるほど、一つの灯台に、100年間張り付いて、写真を撮り続ければ、ベストな写真が撮れるかもしれない。






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