此岸からの風景
<日本灯台紀行 旅日誌>オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです
2021
07/21
Wed.
09:38:34
<灯台紀行・旅日誌>2020
Category【灯台紀行 福島・茨城編】
<灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#2
鵜ノ尾埼灯台撮影1
常磐道相馬インターで降りた。料金は休日割りで¥5500くらいだったと思う。一般道に出ると、そこには、見慣れた光景が広がっていた。車が忙しく行き交い、人の姿が見え、大きな看板が連なっている。目の前には自転車に乗った高校生だ。日常だ!肩の力が抜け、心が軽くなったような気がした。ナビに従い、市街地を抜けた。
相馬港が見えてきた。その向こうの岬、断崖の上に白い灯台が小さく見えた。あれだな、と思った。港に沿って、広い道路を走り、短いトンネルをくぐった。出てすぐ左側に駐車場があり、車を止めて、とりあえず外へ出た。時計を見たのだろう。まだ九時前だった。五時間はかからなかったわけだ。
反り返った、真新しい防潮堤の前に立った。目の前は、日本海。灯台は、左手の断崖の上にあり、ここからは見えない。右手は、ずうっと開けていて、広い道路が海と湖を隔てているような感じ。あとでわかったのだが、道路になっているところは、砂州だったらしい。むろん<大津波>で流されてしまったようだが。
風が冷たく感じた。岬の上はもっと寒いだろう。念のために、ジーンズの上にウォーマーをはき、パーカの上にダウンパーカを着た。真冬の装備だ。しかし、これは間違いだった。小さな神社の前から、急な坂道を、いくらも登らないうちに、汗がどっと出た。迷わず、ダウンパーカは脱いで、わきに抱えた。正確には、カメラバッグの肩紐に引っ掛けて落ちないようにした。ただ、ウォーマーの方は、脱ぐのが面倒なので、そのままにした。だいたいにおいて、汗のかくところは上半身なのだ。
神社の脇を抜けて、そのまま登ると、すぐに突きあたり。案内板がある。左矢印は展望台、右矢印は<へりおす>?と書いてある。<へりおす>何のことかわからなかったが、気まぐれで、そっちへ行った。と、いくらもしないうちに、平場に出た。枯れ果てた大きな松だろうか、くねくねしたのが何本もある。岬の上で、周りは柵で囲まれていた。左方向には、お目当ての灯台、正面には、大きな碑が見えた。
まずは、対岸?の岬に立つ灯台を撮り始めた。やや遠目。それに、あろうことか、ひょろひょろした背の高い、上の方にだけ葉のついた樹木が一本、灯台の前にある。柵の前をゆっくり歩きながら、撮り歩きした。だが、どうしても、このひょろひょろの木が灯台と重なってしまう。見た目、よろしくない。灯台の立っている岬を、よくよく見ると、至る所に、同じようなひょろひょろ君が立っている。それに、なぜか斜面がえぐられた感じで、そこに、苗木が植林されている。枯れ果てた樹木の残骸も目に付く。
何が原因で、このような地形、状況になってしまったのか?はじめは、能天気にも<大津波>が押し寄せたのだろうと思った。だが、断崖はかなり高く、ここまで津波が押し寄せたとは思えない。あと考えられるのは、過酷な気象条件しかないだろう。その証拠に、柵際にも、枯れ果て、途中で折れてしまった樹木がたくさんあった。いま思うに、強い海風にあおられた結果の、塩害なのかもしれない。
ともかく、朝の三時に起きて、高速を五時間突っ走ってきたんだ。しかも、放射能に汚染された区域を通過して!もう、撮るしかないだろ。気持ちを切り替えて、撮影に集中した。柵沿いを、そろそろと歩き撮りしながら、大きな碑の横にまで来た。さらには岬の先端にまで行った。要するに、灯台が見えるすべてのアングルを網羅した。ひょろひょろ君のことは、ま、既成の事実として受け入れた。それよりも、右端に、海を入れることができたので、多少は写真になったと思った。
一息ついた。大きな碑の裏側だった。そこに説明文が刻み込まれていた。概要としては、1986年6月16日、海洋調査船<へりおす>は、処女航海として、清水港から羽幌港へ向かう途中、福島沖で悪天候に遭遇、遭難、沈没。九名の乗組員は全員死亡、みな20~30代の若者だった。痛ましい海難事故が、すぐ目の前の海で起きていたのだ。まったく知らなかったこととはいえ、厳粛な気持ちになった。ちなみに、事故の原因は、船体の欠陥との説もある。
移動。大きな碑と、曲がりくねった松に背を向け、歩き出した。灯台正面へと至る道は、すぐ見つかった。ただし、両脇は背の高い樹木。松だろうな。灯台をサンドイッチしている。小道の先に五、六段のコンクリ階段が見えた。この辺が限度だ。これ以上先に進むと、灯台の全景がカメラにおさまらない。
ま、いい。灯台の敷地に入った。ほとんど引きがないので、むろん全景写真は無理だ。<鵜ノ尾埼灯台>は、四角柱に近いが、何とも記述しがたい形で、写真を見てもらうしかない。自分的には美しいフォルムだと思う。ただ、どことなくうす汚れている。、正面裏側?の、扉周辺の壁の塗料が剥げかけていて、毛羽立っている。大切にされているとは言い難い状態で、ちょっと残念な気持ちになった。その塗料の剥げかけた、灯台の胴体をスナップした。いま思えば、半ば無意識の、誰に対してでもない、無言の抗議だったのだろうか。
灯台を左回りにぐっと回って、敷地の外に出た。北側?の柵沿いの小道は鬱蒼としていて、樹木の間から、かすかに相馬港が見えるといった感じだ。少し行って、柵を左側にして、ふり返る。たしか、ネットで見たベストポジションはここだろう。だがしかし、樹木が生い茂っていて、灯台をほとんど隠している。ネット写真では、樹木が枯れ果てていて、その隙間から灯台が見えていたはずだ。…今調べた。幻覚、というか幻視だったのか、いや、単純に勘違いだろう。そのような画像は見当たらない。いや、たしかに見たのだ!とにかく、この位置取りからはまるっきり写真にならなかった。
柵沿い、樹木の隙間から、漁港が見える。おそらく相馬港だろう。いの一番目についたのが、海の中にある防波堤で、白い、豆粒ほどの防波堤灯台が立っている。ほとんど反射的に、何枚か撮って、先に進んだ。と、木製の小さな展望台があった。あ~、さっきの案内板にあった<展望台>とはこれだな。
トントントンと、五、六段階段を登った。展望台、というよりは、展望スペースだな。広さが二畳ほどで、高さが1mほど。ま、たしかに展望はいい。カメラバックをおろし、一息入れた。ついでだ、望遠カメラを取り出した。柵に肘をつけ、カメラを固定して、性懲りもなく、豆粒大の防波堤灯台を撮った。あまりに遠目で、写真にならないのはわかり切っていた。だが、なぜか、撮らずにはいられなかった。いい景色なのだ。この時、眼下の相馬港にも、あの<大津波>が押し寄せたのだ、ということはまったく忘れていた。
…おそらく、理由はこうだ。上半身、とくに背中の辺が汗だくで、かなり不快だった。パーカを脱げばいいのだが、どっこい、冷たい風に、湿った身体がさらに冷やされ、なおさら不快だ。夏場と違い、汗で湿った衣類の乾きが遅く、体の体温を奪う。うまく対処しないと、風邪をひく。早く車に戻って、着替えよう。などと考えていたのだろう。そくそくと展望台を後にした。ただ、念のために、ベストポジションであろう、<へりおす>の碑があるところに戻った。今一度、この場所での、最良のポジションで、ということは、右側に海を入れて、何枚か撮った。念には念を、というわけだ。
車に戻った。さっそく着替えた。上半身裸になって、長い綿マフラーで背中をふいた。と、そばに、ハーレーのようなバイクが止まっている。なんとなく、アメリカの白バイ仕様だ。あれっと、ふり返ると、高い防潮堤に、白髪、サングラスの爺が座りこんでいて、こちらを見るともなく見ている感じ。にこやかな雰囲気で、友好的だ。こちらから、挨拶してもよかったのだが、どうも、体調がよくない。それもそのはず、いくらも寝ていないうえに、五時間の高速走行、その後、重いカメラバックを背負い、大汗かいての写真撮影だ。だいたい、朝のウンコもしていない。下っ腹が張っているし、眠いし、頭が重い。人と話す気分じゃない。シカとして、駐車場を出た。
鵜ノ尾埼灯台撮影1
常磐道相馬インターで降りた。料金は休日割りで¥5500くらいだったと思う。一般道に出ると、そこには、見慣れた光景が広がっていた。車が忙しく行き交い、人の姿が見え、大きな看板が連なっている。目の前には自転車に乗った高校生だ。日常だ!肩の力が抜け、心が軽くなったような気がした。ナビに従い、市街地を抜けた。
相馬港が見えてきた。その向こうの岬、断崖の上に白い灯台が小さく見えた。あれだな、と思った。港に沿って、広い道路を走り、短いトンネルをくぐった。出てすぐ左側に駐車場があり、車を止めて、とりあえず外へ出た。時計を見たのだろう。まだ九時前だった。五時間はかからなかったわけだ。
反り返った、真新しい防潮堤の前に立った。目の前は、日本海。灯台は、左手の断崖の上にあり、ここからは見えない。右手は、ずうっと開けていて、広い道路が海と湖を隔てているような感じ。あとでわかったのだが、道路になっているところは、砂州だったらしい。むろん<大津波>で流されてしまったようだが。
風が冷たく感じた。岬の上はもっと寒いだろう。念のために、ジーンズの上にウォーマーをはき、パーカの上にダウンパーカを着た。真冬の装備だ。しかし、これは間違いだった。小さな神社の前から、急な坂道を、いくらも登らないうちに、汗がどっと出た。迷わず、ダウンパーカは脱いで、わきに抱えた。正確には、カメラバッグの肩紐に引っ掛けて落ちないようにした。ただ、ウォーマーの方は、脱ぐのが面倒なので、そのままにした。だいたいにおいて、汗のかくところは上半身なのだ。
神社の脇を抜けて、そのまま登ると、すぐに突きあたり。案内板がある。左矢印は展望台、右矢印は<へりおす>?と書いてある。<へりおす>何のことかわからなかったが、気まぐれで、そっちへ行った。と、いくらもしないうちに、平場に出た。枯れ果てた大きな松だろうか、くねくねしたのが何本もある。岬の上で、周りは柵で囲まれていた。左方向には、お目当ての灯台、正面には、大きな碑が見えた。
まずは、対岸?の岬に立つ灯台を撮り始めた。やや遠目。それに、あろうことか、ひょろひょろした背の高い、上の方にだけ葉のついた樹木が一本、灯台の前にある。柵の前をゆっくり歩きながら、撮り歩きした。だが、どうしても、このひょろひょろの木が灯台と重なってしまう。見た目、よろしくない。灯台の立っている岬を、よくよく見ると、至る所に、同じようなひょろひょろ君が立っている。それに、なぜか斜面がえぐられた感じで、そこに、苗木が植林されている。枯れ果てた樹木の残骸も目に付く。
何が原因で、このような地形、状況になってしまったのか?はじめは、能天気にも<大津波>が押し寄せたのだろうと思った。だが、断崖はかなり高く、ここまで津波が押し寄せたとは思えない。あと考えられるのは、過酷な気象条件しかないだろう。その証拠に、柵際にも、枯れ果て、途中で折れてしまった樹木がたくさんあった。いま思うに、強い海風にあおられた結果の、塩害なのかもしれない。
ともかく、朝の三時に起きて、高速を五時間突っ走ってきたんだ。しかも、放射能に汚染された区域を通過して!もう、撮るしかないだろ。気持ちを切り替えて、撮影に集中した。柵沿いを、そろそろと歩き撮りしながら、大きな碑の横にまで来た。さらには岬の先端にまで行った。要するに、灯台が見えるすべてのアングルを網羅した。ひょろひょろ君のことは、ま、既成の事実として受け入れた。それよりも、右端に、海を入れることができたので、多少は写真になったと思った。
一息ついた。大きな碑の裏側だった。そこに説明文が刻み込まれていた。概要としては、1986年6月16日、海洋調査船<へりおす>は、処女航海として、清水港から羽幌港へ向かう途中、福島沖で悪天候に遭遇、遭難、沈没。九名の乗組員は全員死亡、みな20~30代の若者だった。痛ましい海難事故が、すぐ目の前の海で起きていたのだ。まったく知らなかったこととはいえ、厳粛な気持ちになった。ちなみに、事故の原因は、船体の欠陥との説もある。
移動。大きな碑と、曲がりくねった松に背を向け、歩き出した。灯台正面へと至る道は、すぐ見つかった。ただし、両脇は背の高い樹木。松だろうな。灯台をサンドイッチしている。小道の先に五、六段のコンクリ階段が見えた。この辺が限度だ。これ以上先に進むと、灯台の全景がカメラにおさまらない。
ま、いい。灯台の敷地に入った。ほとんど引きがないので、むろん全景写真は無理だ。<鵜ノ尾埼灯台>は、四角柱に近いが、何とも記述しがたい形で、写真を見てもらうしかない。自分的には美しいフォルムだと思う。ただ、どことなくうす汚れている。、正面裏側?の、扉周辺の壁の塗料が剥げかけていて、毛羽立っている。大切にされているとは言い難い状態で、ちょっと残念な気持ちになった。その塗料の剥げかけた、灯台の胴体をスナップした。いま思えば、半ば無意識の、誰に対してでもない、無言の抗議だったのだろうか。
灯台を左回りにぐっと回って、敷地の外に出た。北側?の柵沿いの小道は鬱蒼としていて、樹木の間から、かすかに相馬港が見えるといった感じだ。少し行って、柵を左側にして、ふり返る。たしか、ネットで見たベストポジションはここだろう。だがしかし、樹木が生い茂っていて、灯台をほとんど隠している。ネット写真では、樹木が枯れ果てていて、その隙間から灯台が見えていたはずだ。…今調べた。幻覚、というか幻視だったのか、いや、単純に勘違いだろう。そのような画像は見当たらない。いや、たしかに見たのだ!とにかく、この位置取りからはまるっきり写真にならなかった。
柵沿い、樹木の隙間から、漁港が見える。おそらく相馬港だろう。いの一番目についたのが、海の中にある防波堤で、白い、豆粒ほどの防波堤灯台が立っている。ほとんど反射的に、何枚か撮って、先に進んだ。と、木製の小さな展望台があった。あ~、さっきの案内板にあった<展望台>とはこれだな。
トントントンと、五、六段階段を登った。展望台、というよりは、展望スペースだな。広さが二畳ほどで、高さが1mほど。ま、たしかに展望はいい。カメラバックをおろし、一息入れた。ついでだ、望遠カメラを取り出した。柵に肘をつけ、カメラを固定して、性懲りもなく、豆粒大の防波堤灯台を撮った。あまりに遠目で、写真にならないのはわかり切っていた。だが、なぜか、撮らずにはいられなかった。いい景色なのだ。この時、眼下の相馬港にも、あの<大津波>が押し寄せたのだ、ということはまったく忘れていた。
…おそらく、理由はこうだ。上半身、とくに背中の辺が汗だくで、かなり不快だった。パーカを脱げばいいのだが、どっこい、冷たい風に、湿った身体がさらに冷やされ、なおさら不快だ。夏場と違い、汗で湿った衣類の乾きが遅く、体の体温を奪う。うまく対処しないと、風邪をひく。早く車に戻って、着替えよう。などと考えていたのだろう。そくそくと展望台を後にした。ただ、念のために、ベストポジションであろう、<へりおす>の碑があるところに戻った。今一度、この場所での、最良のポジションで、ということは、右側に海を入れて、何枚か撮った。念には念を、というわけだ。
車に戻った。さっそく着替えた。上半身裸になって、長い綿マフラーで背中をふいた。と、そばに、ハーレーのようなバイクが止まっている。なんとなく、アメリカの白バイ仕様だ。あれっと、ふり返ると、高い防潮堤に、白髪、サングラスの爺が座りこんでいて、こちらを見るともなく見ている感じ。にこやかな雰囲気で、友好的だ。こちらから、挨拶してもよかったのだが、どうも、体調がよくない。それもそのはず、いくらも寝ていないうえに、五時間の高速走行、その後、重いカメラバックを背負い、大汗かいての写真撮影だ。だいたい、朝のウンコもしていない。下っ腹が張っているし、眠いし、頭が重い。人と話す気分じゃない。シカとして、駐車場を出た。
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