此岸からの風景
<日本灯台紀行 旅日誌>オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです
2021
12/31
Fri.
10:37:46
<灯台紀行・旅日誌>2020年度版
Category【灯台紀行 福島・茨城編】

2020-11-9 16:29 茨城県日立市 日立灯台
<灯台紀行・旅日誌>2020 福島・茨城編#14 安ホテル
ひと仕事終えたような気分だった。午前、午後、夕方と、変化する灯台の姿を写真に撮り終えたのだ。これだけの時間をかけ、これだけのエネルギーを使い、これだけの数の写真を撮ったのだから、二枚や三枚は、気に入った写真が撮れた筈だ、と信じたかった。さらに、体力にも気力にも、まだ余裕があったのだろうか、明日の朝、朝日を受けた灯台を撮り来ようとさえ思った。思った瞬間に、朝五時起きすれば、五時半までには、公園に来られるなと算段した。今の時期、日の出は五時半なのだ。
辺りは暗くなっていた。車のライトが自動点灯していたと思う。安ホテルはすぐ近くにあった。駐車場がわからなくて、入り口付近に路駐し、受付のおばさんにたずねた。要領を得ないので、繰り返し聞いた。おばさんの方も、なぜ聞き返されているのか、わからない感じだ。一緒に外まで来て、指さしながら教えてくれた。
駐車場は、100m位離れた道沿いだった。さほど遠くはない。だが、ほぼ満車状態で、トラックなども止まっていた。いつものように、カメラバックを背負い、トートバックに食料、飲料水を入れて、ホテルに入った。出入り口付近には、何台かの駐車スペースがあったが、すべて満車。まだ五時すぎなのに、<入り>が早いなと思った。
受付には、品のいい小柄な、年齢的には、<おばさん>と<ばあさん>の間くらいの初老の女性が、先客のチェックイン対応をしていた。丁寧なのだが、まどろっこしい。なかなか終わらない。と、先ほど、駐車場を案内してくれたおばさんが、受付カウンターの斜め前あたりで、コピーを取っている。それも何枚も。やっと番が来て、今度は自分が、施設使用などについての、バカ丁寧な説明を延々と聞かされている。
そのうち、受付カウンターの中から、長身の浅黒い男が出てきて、コピーおばさんに、それほど険悪な感じではないが、<コピーは一枚取ってくれって言ったんです、こんなに何十枚もとっちゃって、どうするんです>と言っている。コピーおばさんの方は、自分のミスを謝ることもせず、なにか言い返している。息子が怒っているのに、まるで意に介さない母親のような感じだ。
チェックイン対応も最終段階になり、支払いも済ませ、<地域クーポン券>の話になった。¥1000分の券をもらった。どこで使えるのかと、受付の初老の女性に聞くと、なんだか、要領を得ない。すぐさま、近くいた、さきほどコピーおばさんを叱責していた、背の高い、顔立ちのいいインド人が、悠長な日本語で説明してくれた。なるほど、彼の話はすぐに分かった。同時に、おばさんたちと彼の関係も理解できた。おばさん二人はパートだ。顔立ちのいいインド人は、純粋な日本人か、さもなければ日本で育ったインド人で、というのも、その日本語から確信したのだが、ホテルの従業員だろう。
ここ何回か遭遇した、安ホテルで働く高齢者たちは、人手不足の折、パートで採用された人たちなのだろう。受付の応対に、それぞれの人生経験が色濃く反映してしまうのは、面白いといえば面白いし、致し方ないといえば致し方ないことなのだ。そんなことを思いながら、エレベーターに乗り、部屋に入った。値段相応の設備と内装だ。だが、埃だらけということはなかった。掃除は、パートの律儀な高齢者が、手抜きせずにやっているのだろう。
<17:00 ホテル 弁当 フロ ノンアルビール 日誌>とメモにあった。その通りで、ほかに何かあるかと言えば、なにも思い浮かばない。物音もせず、静かに眠れたのだろう。そうだ、おそらく、朝の五時に目覚ましをセットしたのだと思う。朝日を受けた灯台を撮る。やる気十分だった。それに、明日は帰宅日だが、朝撮り?しても、日立からなら三時間くらいで帰れるはずだ。高速走行も、今回で六回目になる。三時間くらいなら、ほとんど苦にならなくなっていた。
翌朝は、目覚ましが鳴る前に起きたと思う。窓の外は、まだ真っ暗。洗面も食事も排便も、要するに朝の支度は何もせず、着替えて、すぐに部屋を出た。出入り口の自動ドアが開かないので、明かりのついていた食堂を覗くと、賄いの優しそうなお婆さんが居て、裏口を教えてくれた。鍵はかけてないから、帰って来た時もそこから入っていい。それから、自動ドアは手でこじ開ければ開くとも言っていた。たしか、鍵をお婆さんに預けたと思う。
唐突だが、ここで、時間をワープしよう。この旅日誌は、一応、現実の時間軸にそって書いているのだが、構成上というか、枚数的にというか、要するに、この<安ホテル>の章を完結させるには、ここであと一、二枚、紙数を埋める必要があるのだ。なんでそんなことになったのか?以下、理由を説明しておく。
旅日誌も、今回で六回目になり、おのずと、構成が決まってきた。それは、ブログ形式で発表するという条件に、大きく影響を受けた。つまり、ブログ一回の分量が、あまりに多すぎても、読みづらいだろう。ということが次第にわかってきたので、適当な分量でおさめようと思ったのである。では、<適当な分量>とはどのくらいの量のことかといえば、およそ、今書いている紙数で五枚程度、400字詰め原稿用紙に換算すれば、10枚くらいだろうと考えた。
そこで当初の、字数制限なし、見出しなしで、延々と書き流していくスタイルを改め、見出しをつけ、章分けして書いていくことにした。つまり、読み物としての体裁を、多少整えたのである。というか、自分にとっても、書きやすく、読みやすくしたつもりである。
というわけで、時間的には、次の章の最後の方に出てくる、ホテルの従業員の態度についての記述を、内容的にはこの章にいれてもおかしくないな、と<我田引水>的に考え、枚数的な均衡を保とうとした。要するに、体裁の問題で、どうでもいいことなのだが、一応言い訳しておく。
…朝の撮影終え、ホテルに帰って来た。八時ころだったと思う。すでに、駐車場の車は、半分くらいになっていた。カメラバックを背負った。ホテルは道路の斜め向かい側にあった。さっき出た<従業員用の出入り口>と、少し遠い正面玄関、どちらから入ろうかと一瞬考えた。少し近い前者を選択した。賄いのお婆さんも出入りしていいと言っていたしな。あとから考えれば、この選択が間違いだったのだ。
<従業員出入り口>からホテルの中に入った。食堂を覗いて、中のお婆さんに一声かけて、受付カウンターへ行った。誰もいないので、呼び出しベルを押した。すぐに、奥から男が顔を出した。名前と部屋番号を言って、鍵を受け取った。その瞬間、怪訝そうな顔をした男が言った。いま、あっちから入ってきましたよね、と<従業員出入り口>を指さした。監視カメラで見ていたのだろうか?ええ、おばあさんが・・・と言いかけたのに、その男は、にこりともしないで、<あっちは、従業員出入り口なので使わないでください>とぐっと睨みながら言い放った。頭ごなしのこの言葉と、威圧的な態度にイラっとしたが、自分の迂闊さにも気づかされた。
ホテルの防犯上の問題もあるわけで、部外者が立ち入ってはいけないところに平気で立ち入ったわけだ。四十代くらいの黒っぽい男は、ホテルの従業員というよりは、ガラの悪い麻雀屋の店員といった感じだが、安ホテルを仕切っているのかもしれない。でなければ、客に対して、あんな横柄で、威圧的な態度が取れるはずがない。
部屋に上がった後も、この一件で心が動揺していた。なんて野郎だ!安ホテルに泊まったがゆえの代償なのか。今もって、思い出すと不愉快になる。この安ホテルにはもう二度と泊まらない、と心に決めた。
[edit]
2021
12/17
Fri.
09:41:31
<灯台紀行・旅日誌>2020年度版
Category【灯台紀行 福島・茨城編】
<灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#12
日立灯台撮影2
車に戻った。次は、<久慈浜>から岬の灯台を狙う。こっちからの画像は、ネットにも多少上げられている。<久慈浜>は海水浴場として有名らしいが、今年は、コロナ禍で閉鎖されたようだ。もっとも、今は秋、時期的には関係のない話で、浜に海水浴客はいない。ゆっくり撮影できそうだ。駐車場を出た。海沿いの広い道に出て、少し行って信号を左折。日立港の中に入って行く。すぐ左折して、今度は漁港の中を走る。突き当りが<久慈浜>だ。
砂浜沿いの広い駐車場には、何台か車が止まっていた。目ですぐ数えられるほどだ。日陰はない。ということは、どこに止めても同じだ。ならばと、砂浜に一番近いところに止めた。カメラ二台を、一台の軽い方は右肩から斜め掛け、もう一台の重い方は、右肩にショルダー掛けで、撮り歩きを始めた。これからの旅では、このスタイルが定着しそうだ。車が目の前にあるのなら、ほかの物は必要ない。着替えにしろ、水にしろ、三脚にしろ、カメラバックに入れて背負う必要はないのだ。身軽だし、このスタイルは、何よりも、望遠カメラを多用できるという利点がある。
砂浜に下り、岬の方を見た。灯台が、半分くらいしか見えない。しかも、岬の先端にではなく、中ほどに突き出ていて、バランスが悪い。断崖は、むき出しの岩壁でもなく、かといって、すべてが樹木に覆われているわけでもない、なんだか、中途半端な風景だ。魅力がない。位置取りが悪いのかと思って、水たまりのできている砂浜を、岬の方へ向かって歩いた。だが、岬と灯台の布置は変わらず、これ以上近づいたら、もっと悪くなるような気がした。
と、水たまりに、灯台が写っている。文句なしに、このような光景が好きだ。なので、かなりしつこく撮った。だが、やはり、実像がよくないと、ダメなようだ。水に写る灯台を見て、人の目は必ず、その上の本物の灯台を見る。そのとき、灯台が美しいのなら、その美しさは、水の上の、いわば虚像の灯台にもバウンドする。光景全体が何か印象深いものとなる。そんな、ちょっとした奇跡は起こらなかった。そもそもが、岬の中ほどに、中途半端な形で突き出ている灯台に、<美>を印象しなかったのだ。こっち側からもモノにならない。それに、岬と灯台を、横から撮る構図そのものに、少し飽きが来ていた。どの灯台も遠目で、似通っていて、同じような写真になってしまうのだ。
少し重い足取りで、砂浜から車へと戻った。昼寝をするために、車を、崖際に移動した。いくら秋になったとはいえ、フロントガラス越しに太陽と対面していては、暑くてしょうがないだろう。メモには<12:30 限界 すこしうとうとする>とある。だが、この時は、仮眠スペースに入ったもの、ちゃんと横になって寝なかったような気がする。積み上げている蒲団に背中をもたせ、膝を少し曲げたままの態勢で、目をつぶった。散乱している荷物を脇に寄せ、横になるスペースを作るのがめんどくさかったような気もする。それほど疲れていたとも思えないが。
<1:30 赤い防波堤灯台をとりにいく>。とメモにある。要するに、小一時間、窮屈な態勢のまま、 うとうとしたようだ。少し元気が回復していた。先ほど、公園の見晴らし台から見えた、日立港の赤い防波堤灯台が気になっていた。というか、見えた時から撮りにいくつもりでいた。時間もちょうどいいではないか。つまり、この後の予定としては、三時頃に、公園に戻って、西日を受けている日立灯台を撮る。そのうち、陽が沈むだろうから、うまくいけば、夕陽に染まる灯台も撮れるかもしない。というわけで、それまでの時間が有効に使えるわけだ。
駐車場を後にした。その際、男女がイチャついていた崖の前を通った。むろん、車は止まっていなかった。何の感情もイメージも出てこなかった。閑散とした漁港の中を、係船岸壁沿いにゆっくり走りながら、赤い防波堤灯台に近づいていった。じきに、プレジャーボートがずらっと並んでいる岸壁の行き止まりに、赤い灯台が見えた。周りに、けっこう釣り人がいる。
広めの岸壁で、空いているところに駐車した。軽いカメラを一台だけ、肩に斜め掛けして、防波堤に掛けられた、五、六段の、木の頑丈そうな梯子を登った。灯台は目の前にあった。だが、モロ逆光で、まぶしくてよく見えない。ただうまいことに、灯台で行き止まりにはならず、左方向へ突き出る感じで防波堤が少し伸びている。つまり、逆光を避け、灯台を横から撮ることができるのだ。ただし、なかば、海を背中に背負うことになり、灯台の背景には、対岸の建物や重機などが映り込んでしまう。むろん、灯台付近の釣り人もだ。
雑駁な感じの画面だ。だが、ほとんど気にならなかった。というのも、写真としてモノにしたい、という野心?は端から薄い。あの赤い防波堤灯台、どんな感じになっているのかな?いわば、近くで見たいという無垢な好奇心があるだけだ。うまく撮れればそれに越したことはない。だが、写真として撮れなくても、現物を見ただけですでに十分満足なのだ。
とはいえ、写真は慎重に何枚も撮った。しかも、そのうち、今いる防波堤の反対側からも撮ることができる、ということに気づいた。つまり、係船岸壁は、アルファベットの<C>を逆にしたような形をしていて、その口の開いたもう一つの地点が、すぐそこに見えるのだ。しかも、岸壁に車も見える。行けるなと思った。
戻り際、太陽を灯台の胴体で遮った、逆光写真を何枚か撮った。今朝、小名浜の番所灯台で試した構図だ。けっこう、カッコいいと思っている。防波堤の梯子を慎重に下りて、岸壁に降り立った。陽はすでに傾き始めていて、明かりの具合が、なんとなく、オレンジ色っぽい。見ると、岸壁の向こう、はるか彼方、岬に立つ、真白な日立灯台が見えた。なぜか灯台は、先ほど浜辺で見た時よりも、背丈がぐんと伸びていている。あれ~と思いながら、写真を撮った。遠目ではあるが、なかなか美しいのだ。
今いる場所が、さっきの砂浜より遠いのに、砂浜で見た時よりも、灯台がよく見えていることが、ちょっと不思議だった。むろん、距離的には遠目だが、全体像としては、こっちのほうがはるかにいい。要するに、岬に近づきすぎて、灯台が、断崖の影に隠れてしまい、よく見えなくなったわけだ。この逆説が、面白かった。ただし、よく見えているとはいえ、物理的には離れているのだから、超望遠でない限り、今見えている灯台をモノにすることはできない。いずれにしても、写真にはできないわけで、無駄に不思議がり、無駄に面白がってしまった。
漁港の中をぐるっと左回りに走って、向かい側の岸壁に来た。向い側というのは、先ほど、写真を撮っていた防波堤灯台から見て、海を挟んで向かい側なのだ。ま、いい。縦長の直方体に円筒が接続している、よく見る形の、赤い防波堤灯台の付近には、釣り人の姿がかなり目立つ。先ほどより増えたのか?そうではなくて、防波堤で死角になっていた、岸壁の釣り人達が、見えているだけだ。防波堤の向かい側の岸壁に来ているのだからね。
岸壁に立って、カメラを赤い防波堤灯台に向けた。釣り人が、かなりの数、画面に入っている。これは致し方ない。かまわず撮っていると、釣り人がこちらに気づいて、中にはチラチラ見ている奴もいる。たしかに、写真はNGの人間だっているはずだ。これは失礼!それに、赤い灯台も、風景も、執着するほどのこともない。バシャバシャと撮って、すっと引き上げた。
世界が、というか、辺りがなんとなくオレンジっぽい色に包まれ始めた。時計を見たと思う。三時過ぎていた。日立灯台の夕景を撮る時間だ。と、その前に、忘れるところだったよ。港をいったん出て、すぐの交差点沿いにあるセブンで、食料の調達をした。宿は日立灯台のすぐそばだったが、近くにコンビニがあるのか、どこにあるのか、調べていなかった。だから、気づいた時点で、早めに処理しておけば、世話なしだ。したがって、弁当は、食べるまでにはまだ時間があった。だが、一応あたためてもらった。
日立灯台撮影2
車に戻った。次は、<久慈浜>から岬の灯台を狙う。こっちからの画像は、ネットにも多少上げられている。<久慈浜>は海水浴場として有名らしいが、今年は、コロナ禍で閉鎖されたようだ。もっとも、今は秋、時期的には関係のない話で、浜に海水浴客はいない。ゆっくり撮影できそうだ。駐車場を出た。海沿いの広い道に出て、少し行って信号を左折。日立港の中に入って行く。すぐ左折して、今度は漁港の中を走る。突き当りが<久慈浜>だ。
砂浜沿いの広い駐車場には、何台か車が止まっていた。目ですぐ数えられるほどだ。日陰はない。ということは、どこに止めても同じだ。ならばと、砂浜に一番近いところに止めた。カメラ二台を、一台の軽い方は右肩から斜め掛け、もう一台の重い方は、右肩にショルダー掛けで、撮り歩きを始めた。これからの旅では、このスタイルが定着しそうだ。車が目の前にあるのなら、ほかの物は必要ない。着替えにしろ、水にしろ、三脚にしろ、カメラバックに入れて背負う必要はないのだ。身軽だし、このスタイルは、何よりも、望遠カメラを多用できるという利点がある。
砂浜に下り、岬の方を見た。灯台が、半分くらいしか見えない。しかも、岬の先端にではなく、中ほどに突き出ていて、バランスが悪い。断崖は、むき出しの岩壁でもなく、かといって、すべてが樹木に覆われているわけでもない、なんだか、中途半端な風景だ。魅力がない。位置取りが悪いのかと思って、水たまりのできている砂浜を、岬の方へ向かって歩いた。だが、岬と灯台の布置は変わらず、これ以上近づいたら、もっと悪くなるような気がした。
と、水たまりに、灯台が写っている。文句なしに、このような光景が好きだ。なので、かなりしつこく撮った。だが、やはり、実像がよくないと、ダメなようだ。水に写る灯台を見て、人の目は必ず、その上の本物の灯台を見る。そのとき、灯台が美しいのなら、その美しさは、水の上の、いわば虚像の灯台にもバウンドする。光景全体が何か印象深いものとなる。そんな、ちょっとした奇跡は起こらなかった。そもそもが、岬の中ほどに、中途半端な形で突き出ている灯台に、<美>を印象しなかったのだ。こっち側からもモノにならない。それに、岬と灯台を、横から撮る構図そのものに、少し飽きが来ていた。どの灯台も遠目で、似通っていて、同じような写真になってしまうのだ。
少し重い足取りで、砂浜から車へと戻った。昼寝をするために、車を、崖際に移動した。いくら秋になったとはいえ、フロントガラス越しに太陽と対面していては、暑くてしょうがないだろう。メモには<12:30 限界 すこしうとうとする>とある。だが、この時は、仮眠スペースに入ったもの、ちゃんと横になって寝なかったような気がする。積み上げている蒲団に背中をもたせ、膝を少し曲げたままの態勢で、目をつぶった。散乱している荷物を脇に寄せ、横になるスペースを作るのがめんどくさかったような気もする。それほど疲れていたとも思えないが。
<1:30 赤い防波堤灯台をとりにいく>。とメモにある。要するに、小一時間、窮屈な態勢のまま、 うとうとしたようだ。少し元気が回復していた。先ほど、公園の見晴らし台から見えた、日立港の赤い防波堤灯台が気になっていた。というか、見えた時から撮りにいくつもりでいた。時間もちょうどいいではないか。つまり、この後の予定としては、三時頃に、公園に戻って、西日を受けている日立灯台を撮る。そのうち、陽が沈むだろうから、うまくいけば、夕陽に染まる灯台も撮れるかもしない。というわけで、それまでの時間が有効に使えるわけだ。
駐車場を後にした。その際、男女がイチャついていた崖の前を通った。むろん、車は止まっていなかった。何の感情もイメージも出てこなかった。閑散とした漁港の中を、係船岸壁沿いにゆっくり走りながら、赤い防波堤灯台に近づいていった。じきに、プレジャーボートがずらっと並んでいる岸壁の行き止まりに、赤い灯台が見えた。周りに、けっこう釣り人がいる。
広めの岸壁で、空いているところに駐車した。軽いカメラを一台だけ、肩に斜め掛けして、防波堤に掛けられた、五、六段の、木の頑丈そうな梯子を登った。灯台は目の前にあった。だが、モロ逆光で、まぶしくてよく見えない。ただうまいことに、灯台で行き止まりにはならず、左方向へ突き出る感じで防波堤が少し伸びている。つまり、逆光を避け、灯台を横から撮ることができるのだ。ただし、なかば、海を背中に背負うことになり、灯台の背景には、対岸の建物や重機などが映り込んでしまう。むろん、灯台付近の釣り人もだ。
雑駁な感じの画面だ。だが、ほとんど気にならなかった。というのも、写真としてモノにしたい、という野心?は端から薄い。あの赤い防波堤灯台、どんな感じになっているのかな?いわば、近くで見たいという無垢な好奇心があるだけだ。うまく撮れればそれに越したことはない。だが、写真として撮れなくても、現物を見ただけですでに十分満足なのだ。
とはいえ、写真は慎重に何枚も撮った。しかも、そのうち、今いる防波堤の反対側からも撮ることができる、ということに気づいた。つまり、係船岸壁は、アルファベットの<C>を逆にしたような形をしていて、その口の開いたもう一つの地点が、すぐそこに見えるのだ。しかも、岸壁に車も見える。行けるなと思った。
戻り際、太陽を灯台の胴体で遮った、逆光写真を何枚か撮った。今朝、小名浜の番所灯台で試した構図だ。けっこう、カッコいいと思っている。防波堤の梯子を慎重に下りて、岸壁に降り立った。陽はすでに傾き始めていて、明かりの具合が、なんとなく、オレンジ色っぽい。見ると、岸壁の向こう、はるか彼方、岬に立つ、真白な日立灯台が見えた。なぜか灯台は、先ほど浜辺で見た時よりも、背丈がぐんと伸びていている。あれ~と思いながら、写真を撮った。遠目ではあるが、なかなか美しいのだ。
今いる場所が、さっきの砂浜より遠いのに、砂浜で見た時よりも、灯台がよく見えていることが、ちょっと不思議だった。むろん、距離的には遠目だが、全体像としては、こっちのほうがはるかにいい。要するに、岬に近づきすぎて、灯台が、断崖の影に隠れてしまい、よく見えなくなったわけだ。この逆説が、面白かった。ただし、よく見えているとはいえ、物理的には離れているのだから、超望遠でない限り、今見えている灯台をモノにすることはできない。いずれにしても、写真にはできないわけで、無駄に不思議がり、無駄に面白がってしまった。
漁港の中をぐるっと左回りに走って、向かい側の岸壁に来た。向い側というのは、先ほど、写真を撮っていた防波堤灯台から見て、海を挟んで向かい側なのだ。ま、いい。縦長の直方体に円筒が接続している、よく見る形の、赤い防波堤灯台の付近には、釣り人の姿がかなり目立つ。先ほどより増えたのか?そうではなくて、防波堤で死角になっていた、岸壁の釣り人達が、見えているだけだ。防波堤の向かい側の岸壁に来ているのだからね。
岸壁に立って、カメラを赤い防波堤灯台に向けた。釣り人が、かなりの数、画面に入っている。これは致し方ない。かまわず撮っていると、釣り人がこちらに気づいて、中にはチラチラ見ている奴もいる。たしかに、写真はNGの人間だっているはずだ。これは失礼!それに、赤い灯台も、風景も、執着するほどのこともない。バシャバシャと撮って、すっと引き上げた。
世界が、というか、辺りがなんとなくオレンジっぽい色に包まれ始めた。時計を見たと思う。三時過ぎていた。日立灯台の夕景を撮る時間だ。と、その前に、忘れるところだったよ。港をいったん出て、すぐの交差点沿いにあるセブンで、食料の調達をした。宿は日立灯台のすぐそばだったが、近くにコンビニがあるのか、どこにあるのか、調べていなかった。だから、気づいた時点で、早めに処理しておけば、世話なしだ。したがって、弁当は、食べるまでにはまだ時間があった。だが、一応あたためてもらった。
[edit]
2021
12/10
Fri.
09:46:25
<灯台紀行・旅日誌>2020年度版
Category【灯台紀行 福島・茨城編】
<灯台紀行・旅日誌>2020 福島・茨城編#11
日立灯台撮影1
岬を下りた。小名浜の市街地を抜け、常磐道いわき湯本インターへ向かった。むろんナビの指示に従ってだ。この間、二、三十分かかったのだろうか、高速に入るまでが長かったような気がする。あとは、日立北を過ぎてからの、断続的なトンネル走行だ。少し気を使ったし、難工事だったのだろうな、などとも思った。<どこまで行っても日立>という言葉も頭に浮かんできて、走りながら、思い出し笑いしていた。
若い頃、生活のために、軽トラの運転手をやっていた。時々、日立や北茨城へ行く仕事が回ってきた。行きは、荷主が高速代を負担してくれる。だが、帰りは出ない。したがって、のんびり一般道を走って帰ってくる。当時、常磐道は、日立南太田あたりまでだったと思う。あとは、6号線を行くしかない。ナビなどない時代、地図を見ながら走っている。日立という文字が出てくると、着地がそろそろだなと思う。ところが、そこからが長い!日立の市街地は、六号線沿いに、延々と続いている。<どこまで行っても日立>の所以だ。
配車センターでの、退屈まぎれの雑談で、この話になると、運転手はみな経験しているから、中には、面白おかしく、この言葉に抑揚をつけて、おどけて見せる奴もいる。狭い部屋が、どっと笑いに包まれる。もっとも、首都圏から日立辺りまでの仕事なら、御の字で、帰りの高速代が出ないとしても、悪い仕事ではない。むろん、運転手たちはそれを承知しているから、笑いの種にもできるわけだ。もっとシビアな仕事なら、その方が多いのだが、冗談も出ないし、話題にさえしたくない。
常磐道下りを、日立南太田で降りた。たしか¥1500くらいだったと思う。運転手をやっていたころは、料金所で払う高速代が、いちいち気になっていた。だが、今は、ほとんど気にもならない。と、どこかで見たような光景が目の前に広がっていた。正面に海が見える。日立灯台は、もう間近で、何回もマップシュミレーションした道路を実際に走っている。海沿いの広い道から、普通なら見落としてしまうような狭い道へと、当たり前のように右折した。さらに右折すると、お目当ての公園の駐車場が見えた。
日立灯台は、古房地(こぼうち)公園の中に立っている。ここは、断崖沿いの、縦長の公園で、きれいに整備されている。付近が住宅地なので、七、八台は止められる駐車場がありがたい。さっそく駐車して、装備を整え、撮影開始。と、その前に、駐車場の横にある公衆便所で、用を足した。それなりの臭いはした。
まずは、灯台の周りを、360度、左回りに回りながら、撮り歩きした。敷地が広いので、灯台付近にあるテーブルやベンチ、遊具などは、さほど気にならない。ただ、北側が狭く、しかも、松の木や街灯などがあり、全景写真がやや難しい。あとは、公園を囲っている柵が低木に覆われているうえに、多少の高さがあるので、海が見えない。
もっとも、北側の柵越しに、海が少し見えるところもある。自分としては、できれば、灯台写真には、海を入れたいので、少し残念な気持ちになったわけだ。だが、その後すぐに、駐車場の後ろにある、見晴らし用の小山から、海が少し入ることがわかった。ま、この時は、知らなかったのだ。さらに、公園の北西側には道路があり、道沿いに住宅が並んでいる。この辺りからは、松の木や遊具が多少邪魔になる。
いちおうひと回りして、撮影ポイントを、三、四か所、頭の中に入れた。そこで、公園に背中を向けて、下調べしてあった、南側の<久慈浜>の方へ行った。その時に、駐車場の後ろにあった、見晴らし用の小山を見つけて登ったわけだ。唯一、日立灯台が水平線とクロスする場所で、しかも、小山の上には、コンクリの正方形のテーブルとベンチが置かれていた。三脚を立てて、ゆっくり撮れる場所だ。カメラバックをおろして、一息入れたような気もするが、どうだろう、そのまま通り過ぎ、公園を出て、広い道路の歩道から、ふり返って、岬の中ほどから飛び出ている灯台を試写したのかもしれない。
もっとも、その前に、公園を出たところに、下の浜へと下りる階段があった。覗きこむと、かなりの高さの断崖で、階段も長い。下りるのは簡単だが、登ってくるはしんどいなと思った。それに、あとで、車で回りこんで、下の砂浜沿いの駐車場へ行くつもりだった。今下りることもない。それに、岬全体をアングルした場合、主役の灯台が小さすぎる。この構図にこだわることもあるまい。来た道を戻った。
ふと真下を見た。断崖の下は、砂浜に併設された駐車場になっている。ほとんど車などないのだが、黒っぽい車が二台止まっている。普通の乗用車だ。と、車と車の間で、男女が、今まさに抱き合い、キスをしようとしている。いや、べったり抱き合ってキスをしている。背後は高い壁、左右は車、前方は人のいない砂浜だ。要するに、本人たちは、死角だと思っているのだろう。まさか、上から見られているとは思っていない。平日の、まだ午前中だったと思う。はっきり顔は見えないが、男女とも三、四十代だろう。あきらかに<不倫>の匂いがする。
いや、<不倫>が悪いと言ってるんじゃない。それに、見ず知らずの赤の他人が、自分に危害を加えない限りは、別に何をしようが関係ない。ただこの時、自分が、でかい望遠のカメラを肩にかけていたので、なんだか、浮気調査を依頼された探偵のような気に、一瞬なったのかもしれない。まあ~、それよりも、真昼の情事?を、はからずも目撃してしまい、柄にもなくどぎまぎしている。何かいけないことを見てしまった小学生のような心持だ。テレビや映画で男女の色事を見るのは、慣れっこになっているが、実際となると、少し違った興奮があるものだ。
しかし、すぐに冷静になった。なぜ、車の中で情事をしないのか?わざわざ、外に出て、イチャイチャ、抱き合ったり、キスをしたり。と、ここで思い至った。まだ、そういう関係ではないのかもしれない。いや、ちがうだろう。お互い仕事中で、時間がない。けれども会いたい、イチャイチャしたい。ま、恋愛中の男女の心情だな。わからないこともない。おそらく、そうだろう。でもね~、くだらん、じつにくだらん!と思いながら、当人たちに気づかれないように、また、崖の下を覗き見た。まだ、イチャイチャしているよ!
公園に戻ってきた。見晴らし用の小山にのぼった。備え付けのテーブルにカメラバックをおろし、少し汗をかいたロンTを脱いだような気がする。そのあと、休憩方々、上半身裸でベンチに座り、水平線と灯台がクロスする風景を眺めていた。崖の下の男女のことは、きれいさっぱり忘れていた。清い心?で<灯台のある風景>を何枚か写真に撮った。撮りながら、ここに陣取って、灯台の夕景を撮ろうと思った。磁石を見て、西を確認した。うまいことに、背後が西だ。ということは、灯台に、もろ西日が当たるということだ。
四角いテーブルの上に干したロンTを着た。まだ湿っているが、脱ぐ前よりはましだ。すぐそばに車があるのだから、新しいロンTを取りに行くという手もあったはずだ。それをしなかったのだから、さほど汗はかかなかったのだろう。暑いとはいえ、真夏のような暑さではなかったのだ。
さてと、先ほど下見した、公園内の灯台撮影ポイントを回りながら、写真を撮り、北側のはずれまで行った。というのも、今度は、北側から公園を出て、広い道路沿いの歩道から、岬の灯台を狙おうという腹だ。このアングルは、マップシュミレーションで発見したもので、一度は確認しておきたい撮影ポイントだった。
公園の北のはずれは狭まっていた。そのうえ、松が密集している。灯台は、すぐに見えなくなった。海側の柵にも木々が繁茂していて視界がない。だが、すぐに、住宅が連なる道路沿いにレストランが見え、少し下り坂になっているのだろうか、広い道路が見えた。ただ、なにか、工事中で、歩道が切れている。どうも立ち入り禁止のようだ。様子を窺がいながら歩いていくと、工事現場から作業員たちが全員引き上げていく。その後ろ姿が、小さく見える。はは~ん、昼休みだな。そういえば、レストランにも人影が見えた。
無人になった崖っぷちの工事現場に入り込んだ。長い巨大なコの字型の鉄板が積まれている。歩道の改修工事なのだろうか。ま、そんなことよりも、ふり返って、岬を見た。灯台も見えたが、小さい。それに、なんというか、岬と正対できず、斜めから見ているので、構図的によろしくない。岬の下に砂浜も見えるが、テトラポットなどが連なっていて、雑然としている。まるっきり、写真にならない。無駄足だったわけで、来た道を、そろそろと引き返した。南も北も、歩道沿いからの写真は無理だ。だが、これで撮影ポイントを絞れたわけで、ま、一概に無駄足だったとは言えまい。むしろ、気分的にはすっきりしたわけで、徒労感はなかった。
日立灯台撮影1
岬を下りた。小名浜の市街地を抜け、常磐道いわき湯本インターへ向かった。むろんナビの指示に従ってだ。この間、二、三十分かかったのだろうか、高速に入るまでが長かったような気がする。あとは、日立北を過ぎてからの、断続的なトンネル走行だ。少し気を使ったし、難工事だったのだろうな、などとも思った。<どこまで行っても日立>という言葉も頭に浮かんできて、走りながら、思い出し笑いしていた。
若い頃、生活のために、軽トラの運転手をやっていた。時々、日立や北茨城へ行く仕事が回ってきた。行きは、荷主が高速代を負担してくれる。だが、帰りは出ない。したがって、のんびり一般道を走って帰ってくる。当時、常磐道は、日立南太田あたりまでだったと思う。あとは、6号線を行くしかない。ナビなどない時代、地図を見ながら走っている。日立という文字が出てくると、着地がそろそろだなと思う。ところが、そこからが長い!日立の市街地は、六号線沿いに、延々と続いている。<どこまで行っても日立>の所以だ。
配車センターでの、退屈まぎれの雑談で、この話になると、運転手はみな経験しているから、中には、面白おかしく、この言葉に抑揚をつけて、おどけて見せる奴もいる。狭い部屋が、どっと笑いに包まれる。もっとも、首都圏から日立辺りまでの仕事なら、御の字で、帰りの高速代が出ないとしても、悪い仕事ではない。むろん、運転手たちはそれを承知しているから、笑いの種にもできるわけだ。もっとシビアな仕事なら、その方が多いのだが、冗談も出ないし、話題にさえしたくない。
常磐道下りを、日立南太田で降りた。たしか¥1500くらいだったと思う。運転手をやっていたころは、料金所で払う高速代が、いちいち気になっていた。だが、今は、ほとんど気にもならない。と、どこかで見たような光景が目の前に広がっていた。正面に海が見える。日立灯台は、もう間近で、何回もマップシュミレーションした道路を実際に走っている。海沿いの広い道から、普通なら見落としてしまうような狭い道へと、当たり前のように右折した。さらに右折すると、お目当ての公園の駐車場が見えた。
日立灯台は、古房地(こぼうち)公園の中に立っている。ここは、断崖沿いの、縦長の公園で、きれいに整備されている。付近が住宅地なので、七、八台は止められる駐車場がありがたい。さっそく駐車して、装備を整え、撮影開始。と、その前に、駐車場の横にある公衆便所で、用を足した。それなりの臭いはした。
まずは、灯台の周りを、360度、左回りに回りながら、撮り歩きした。敷地が広いので、灯台付近にあるテーブルやベンチ、遊具などは、さほど気にならない。ただ、北側が狭く、しかも、松の木や街灯などがあり、全景写真がやや難しい。あとは、公園を囲っている柵が低木に覆われているうえに、多少の高さがあるので、海が見えない。
もっとも、北側の柵越しに、海が少し見えるところもある。自分としては、できれば、灯台写真には、海を入れたいので、少し残念な気持ちになったわけだ。だが、その後すぐに、駐車場の後ろにある、見晴らし用の小山から、海が少し入ることがわかった。ま、この時は、知らなかったのだ。さらに、公園の北西側には道路があり、道沿いに住宅が並んでいる。この辺りからは、松の木や遊具が多少邪魔になる。
いちおうひと回りして、撮影ポイントを、三、四か所、頭の中に入れた。そこで、公園に背中を向けて、下調べしてあった、南側の<久慈浜>の方へ行った。その時に、駐車場の後ろにあった、見晴らし用の小山を見つけて登ったわけだ。唯一、日立灯台が水平線とクロスする場所で、しかも、小山の上には、コンクリの正方形のテーブルとベンチが置かれていた。三脚を立てて、ゆっくり撮れる場所だ。カメラバックをおろして、一息入れたような気もするが、どうだろう、そのまま通り過ぎ、公園を出て、広い道路の歩道から、ふり返って、岬の中ほどから飛び出ている灯台を試写したのかもしれない。
もっとも、その前に、公園を出たところに、下の浜へと下りる階段があった。覗きこむと、かなりの高さの断崖で、階段も長い。下りるのは簡単だが、登ってくるはしんどいなと思った。それに、あとで、車で回りこんで、下の砂浜沿いの駐車場へ行くつもりだった。今下りることもない。それに、岬全体をアングルした場合、主役の灯台が小さすぎる。この構図にこだわることもあるまい。来た道を戻った。
ふと真下を見た。断崖の下は、砂浜に併設された駐車場になっている。ほとんど車などないのだが、黒っぽい車が二台止まっている。普通の乗用車だ。と、車と車の間で、男女が、今まさに抱き合い、キスをしようとしている。いや、べったり抱き合ってキスをしている。背後は高い壁、左右は車、前方は人のいない砂浜だ。要するに、本人たちは、死角だと思っているのだろう。まさか、上から見られているとは思っていない。平日の、まだ午前中だったと思う。はっきり顔は見えないが、男女とも三、四十代だろう。あきらかに<不倫>の匂いがする。
いや、<不倫>が悪いと言ってるんじゃない。それに、見ず知らずの赤の他人が、自分に危害を加えない限りは、別に何をしようが関係ない。ただこの時、自分が、でかい望遠のカメラを肩にかけていたので、なんだか、浮気調査を依頼された探偵のような気に、一瞬なったのかもしれない。まあ~、それよりも、真昼の情事?を、はからずも目撃してしまい、柄にもなくどぎまぎしている。何かいけないことを見てしまった小学生のような心持だ。テレビや映画で男女の色事を見るのは、慣れっこになっているが、実際となると、少し違った興奮があるものだ。
しかし、すぐに冷静になった。なぜ、車の中で情事をしないのか?わざわざ、外に出て、イチャイチャ、抱き合ったり、キスをしたり。と、ここで思い至った。まだ、そういう関係ではないのかもしれない。いや、ちがうだろう。お互い仕事中で、時間がない。けれども会いたい、イチャイチャしたい。ま、恋愛中の男女の心情だな。わからないこともない。おそらく、そうだろう。でもね~、くだらん、じつにくだらん!と思いながら、当人たちに気づかれないように、また、崖の下を覗き見た。まだ、イチャイチャしているよ!
公園に戻ってきた。見晴らし用の小山にのぼった。備え付けのテーブルにカメラバックをおろし、少し汗をかいたロンTを脱いだような気がする。そのあと、休憩方々、上半身裸でベンチに座り、水平線と灯台がクロスする風景を眺めていた。崖の下の男女のことは、きれいさっぱり忘れていた。清い心?で<灯台のある風景>を何枚か写真に撮った。撮りながら、ここに陣取って、灯台の夕景を撮ろうと思った。磁石を見て、西を確認した。うまいことに、背後が西だ。ということは、灯台に、もろ西日が当たるということだ。
四角いテーブルの上に干したロンTを着た。まだ湿っているが、脱ぐ前よりはましだ。すぐそばに車があるのだから、新しいロンTを取りに行くという手もあったはずだ。それをしなかったのだから、さほど汗はかかなかったのだろう。暑いとはいえ、真夏のような暑さではなかったのだ。
さてと、先ほど下見した、公園内の灯台撮影ポイントを回りながら、写真を撮り、北側のはずれまで行った。というのも、今度は、北側から公園を出て、広い道路沿いの歩道から、岬の灯台を狙おうという腹だ。このアングルは、マップシュミレーションで発見したもので、一度は確認しておきたい撮影ポイントだった。
公園の北のはずれは狭まっていた。そのうえ、松が密集している。灯台は、すぐに見えなくなった。海側の柵にも木々が繁茂していて視界がない。だが、すぐに、住宅が連なる道路沿いにレストランが見え、少し下り坂になっているのだろうか、広い道路が見えた。ただ、なにか、工事中で、歩道が切れている。どうも立ち入り禁止のようだ。様子を窺がいながら歩いていくと、工事現場から作業員たちが全員引き上げていく。その後ろ姿が、小さく見える。はは~ん、昼休みだな。そういえば、レストランにも人影が見えた。
無人になった崖っぷちの工事現場に入り込んだ。長い巨大なコの字型の鉄板が積まれている。歩道の改修工事なのだろうか。ま、そんなことよりも、ふり返って、岬を見た。灯台も見えたが、小さい。それに、なんというか、岬と正対できず、斜めから見ているので、構図的によろしくない。岬の下に砂浜も見えるが、テトラポットなどが連なっていて、雑然としている。まるっきり、写真にならない。無駄足だったわけで、来た道を、そろそろと引き返した。南も北も、歩道沿いからの写真は無理だ。だが、これで撮影ポイントを絞れたわけで、ま、一概に無駄足だったとは言えまい。むしろ、気分的にはすっきりしたわけで、徒労感はなかった。
[edit]
2021
12/03
Fri.
09:34:18
<灯台紀行・旅日誌>2020年度版
Category【灯台紀行 福島・茨城編】
<灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#10
番所(ばんどころ)灯台
<5:30 起床 1時間おきにトイレなど 物音は無>。翌日、つまり、2020年11月9日(月)のメモ書きの第一行目だ。少し付け加えよう。
そもそもが、五時半に起きるつもりはなかったのだ。ま、せめて六時までは、ベッドに居るつもりだった。だが、何の因果か、頻繁な夜間トイレの最後が、五時すぎだった。ということは、白々と夜が明けてくる時間帯だ。よせばいいのに、カーテンをちらっとめくって、外を見た。夜明け前の静けさが漂っている。そのまま、ベッドに戻ったが、早めに寝ている、さほど眠くはない。目がさえてしまった、というほどではないが、腕くみしながら横になっていた。
このまま、うとうとしてしまえば、それはそれでいい。朝方の、意地汚い眠りにしがみつくだけだ。だが、この時は違っていた。カーテンの隙間から、しだいにオレンジの光が差し染め始めた。日の出が五時半ということは、事前に調べていた。夕日は撮ったことがある。だが、朝日に染まる灯台を撮ったことはない。早朝は苦手なんだ。ベッドの中でイジイジしていた。寝返りを打つたびに、朝日が気にかかる。耐えかねて、すくっと起き上がった。窓際へ行き、カーテンをあけ放った。市街地に朝日が差し込んでいる。なんとも美しい、厳粛な光景だ。いったんは、ベッドに戻った。だが、もう無理だった。朝日に染まる灯台を撮りに行こう。今この瞬間しかない!
決断してからの行動は早かった。洗面、食事、排便は、なぜか普通に出た。着替え、部屋の写真撮影、ざっと部屋の整頓、エレベーターで下に降り、受付でチェックアウト。外に出て、歩いて、道路の向かい側のファミマへ行き、<地域クーポン券¥1000>を消化。鮭缶などを買う。車に戻り、ナビに番所灯台と打ち込む。出発。
朝まだきの小名浜の市街地を突っ切り、岬へと向かう。三崎公園の<みさき>は岬の<みさき>なんだ。くだらないことに感心しながら、あっという間に、その岬に到着。坂を上る。途中、朝日を受けている港が見える。防波堤灯台や<キリン>なども見える。ちなみに、<キリン>とは、本物の麒麟ではなく、港などに並んでいるクレーンのことで、今調べたら、正式には<ガントリークレーン>というらしい。なぜか、自分にとっては気になる存在で、ま、好きなんだな。
戻そう。ナビに従って、くねくねと坂道を登っていくと、なんとなく頂上近くになり、木立の間に駐車場があった。ナビの案内もここで終了。ほかに車は一台もない。外に出た。道はあるものの、灯台らしきものは見えない。少し歩き始めて、思い直した。車に戻り、ナビの画面を拡大してみた。なるほど、ここよりも灯台に近い駐車場がありそうだ。ナビの画面を見ながら、ゆっくり車を動かした。
なんだかよくわからないまま、木立の間を走っていくと、身障者用の駐車スペースが二台あった。ナビをじっと見ると、灯台はすぐ目の前だ。路面に描かれた車いすのマークが気になったが、誰もいないことだし、ということで駐車した。
装備を整えていると、どこからともなく、少し小さめなトラ猫が姿を見せた。おいでおいで、と手を出すと、怪訝そうな目で見て、茂みに隠れてしまった。と、そこに、ほかの猫がいたようで、威嚇しあっている。ちょっとたって、トラ猫が、ぱっと茂みから出てくると、その後を追うようにして、大きな茶トラが出てきた。こちらは、人に慣れているようで、ふてぶてしい感じだ。ま、いい。灯台の話に戻そう。
木立の間を少し歩いていくと、突き当りに、番所灯台が見えた。そこは、こじんまりした公園になっていて、小さなマウンドの上に、デザインチックな東屋があった。海側は金網の柵できっちり仕切られていて、灯台は、朝日を受けた逆光の中、その前に立っていた。真っ白な、角ばった(六角形の)とっくり型で、表面は、四角に切った石を組み上げているようにも見えた。おしゃれな感じがして、ひと目で気に入った。
…今、番所灯台を記述するにあたって、ちょっとネット検索した。そもそも名前の読みかたからして、間違っていた。番所=ばんどころ、と読むらしい。それに、自分の撮った灯台は二代目で、昭和三年初点灯の一代目は、無念にも<東日本大震災>で亀裂が入り、六、七年前に、建て替えらえたようだ。どおりで、おしゃれで、きれいなわけだ。
灯台の姿形も気に入ったが、五時起きしてきた甲斐があって、海からの朝日をもろに受けた灯台を、初めて、間近で見た。少し興奮していたと思う。一気に撮影モードに突入。灯台の周りを180度、回りながら撮り歩きした。これは、いわば下見で、灯台の全景が写真に収まる、すべての地点を逐一見て回るのだ。それが終わると、今度は、頭に残った、写真になりそうな撮影ポイントを、重点的に撮る。さらに最後には、ベストポイントを決めて、しつこく、しつこく、撮る。撮影画像を調べてみると、109枚、四十五分ほどかかっていた。ま、撮りっぱなし、という感覚なのだが、枚数的には意外に少ない。
この間、幸いなことに、この<公園内公園>には、誰も来なかった。おそらく、昼間の時間帯なら、散歩などで、必ずや人が来るだろうから、撮影は、こんなに早く終えられなかったろう。なにしろ、狭い公園なのだ。人が来れば、灯台とカメラの間に、人影が入ってしまう。中断せざるを得ない。
もっとも、朝の七時台、街中の公園なら、人の来る確率は非常に高い。だがここは、市街地からは離れた、岬の上の、さらに奥まった公園だ。オレンジ色の神々しい朝日が、辺り一面、贅沢なほどだった。逆光の中に佇む、黒いシルエットになった灯台を仰ぎ見た。立ち去りがたかった。後退しながら、木々の葉で、灯台が見えなくなる所まで来た。そこでやっと、写真を撮るのをやめた。
なんだか、朝っぱらから充実した時間を過ごしてしまったな。眠気もなし、気分良く、車に戻ってきた。と、また、どこからともなく、トラ猫がでてきた。こいつは、同じトラでも、さっきのトラ猫ではなくて、体の大きい、ふてくされた面相だ。鳴きながら足元に近づいてきた。あげる物はないんだよ、などと声をかけながら、カメラバックを車に積み込んでいると、今度は、先ほどの小さなトラも出てきた。ついでに、茶トラも、どっからか現れて、大きなトラとひと悶着起こしている。喧嘩なんかするんじゃないよ、と声掛けしていると、脇を、体操姿の婆さん二人連れが、朝の散歩なのか、大きな声で話しながら、通り過ぎていく。
小さなトラの姿が見えないので、車の下を覗いてみた。案の定、居た。こっちを見て、さっと茂みの方へ逃げ出した。ふと、仏心が出て、食べ物をあげたくなった。その辺に、空き缶が置いてあったのは、誰かが、エサをあげているのだろう。そういえば、三匹とも、きれいで、比較的太っている。かわいそうに、捨てられたんだろう。そう思ったら、余計かわいそうになった。
ちょっと考えた。ニャンコにあげるような食べ物は持っていないよな。いや、と思い返して、トートバックの中を引っ掻き回した。たしか、食べ残したブドウパンがある筈だ。ニャンコが、ブドウパンを食べるとも思えなかったが、他に何もないのだから、しょうがない。ニャンコたちも、死ぬほどおなかがすいたら、食べるかもしれない。そう思って、小さなトラが逃げ込んだ茂みの方へ行き、ブドウパンをちぎって、その辺にばらまいた。隠れていた小さなトラが出てきて、ちょっと口をつけた。でも、食べなかったようだ。
いま、俺にできることは、その程度なんだよ。岬を下りた。その際、小名浜港だろう、朝日に照らされた港が見えた。防波堤灯台もいくつか見えた。そして、その向こうにはキリンだ。また、ゆっくり来たいと思った。<いわき>なら、そんなに遠くない。またいつか来られるかもしれない。
ニャンコたちのことは、もう忘れていた。いや、その時思い出した。<地域クーポン券>で、鯖缶や鮭缶を買ったんだ!車は、すでに岬を下りかけていた。ニャンコたちのところへ戻りたいと思ったのかもしれない。だが、戻らなかった。鯖缶や鮭缶は人間の食べ物だろう。それに、次の撮影場所、日立灯台へ早く行きたかった。いま思えば、どちらも、自分に対する言い訳だ。わざわざ戻って、ニャンコたちに缶詰をあげれば、立ち去るのが、なお一層辛くなるだろう。それが嫌だったんだ。
番所(ばんどころ)灯台
<5:30 起床 1時間おきにトイレなど 物音は無>。翌日、つまり、2020年11月9日(月)のメモ書きの第一行目だ。少し付け加えよう。
そもそもが、五時半に起きるつもりはなかったのだ。ま、せめて六時までは、ベッドに居るつもりだった。だが、何の因果か、頻繁な夜間トイレの最後が、五時すぎだった。ということは、白々と夜が明けてくる時間帯だ。よせばいいのに、カーテンをちらっとめくって、外を見た。夜明け前の静けさが漂っている。そのまま、ベッドに戻ったが、早めに寝ている、さほど眠くはない。目がさえてしまった、というほどではないが、腕くみしながら横になっていた。
このまま、うとうとしてしまえば、それはそれでいい。朝方の、意地汚い眠りにしがみつくだけだ。だが、この時は違っていた。カーテンの隙間から、しだいにオレンジの光が差し染め始めた。日の出が五時半ということは、事前に調べていた。夕日は撮ったことがある。だが、朝日に染まる灯台を撮ったことはない。早朝は苦手なんだ。ベッドの中でイジイジしていた。寝返りを打つたびに、朝日が気にかかる。耐えかねて、すくっと起き上がった。窓際へ行き、カーテンをあけ放った。市街地に朝日が差し込んでいる。なんとも美しい、厳粛な光景だ。いったんは、ベッドに戻った。だが、もう無理だった。朝日に染まる灯台を撮りに行こう。今この瞬間しかない!
決断してからの行動は早かった。洗面、食事、排便は、なぜか普通に出た。着替え、部屋の写真撮影、ざっと部屋の整頓、エレベーターで下に降り、受付でチェックアウト。外に出て、歩いて、道路の向かい側のファミマへ行き、<地域クーポン券¥1000>を消化。鮭缶などを買う。車に戻り、ナビに番所灯台と打ち込む。出発。
朝まだきの小名浜の市街地を突っ切り、岬へと向かう。三崎公園の<みさき>は岬の<みさき>なんだ。くだらないことに感心しながら、あっという間に、その岬に到着。坂を上る。途中、朝日を受けている港が見える。防波堤灯台や<キリン>なども見える。ちなみに、<キリン>とは、本物の麒麟ではなく、港などに並んでいるクレーンのことで、今調べたら、正式には<ガントリークレーン>というらしい。なぜか、自分にとっては気になる存在で、ま、好きなんだな。
戻そう。ナビに従って、くねくねと坂道を登っていくと、なんとなく頂上近くになり、木立の間に駐車場があった。ナビの案内もここで終了。ほかに車は一台もない。外に出た。道はあるものの、灯台らしきものは見えない。少し歩き始めて、思い直した。車に戻り、ナビの画面を拡大してみた。なるほど、ここよりも灯台に近い駐車場がありそうだ。ナビの画面を見ながら、ゆっくり車を動かした。
なんだかよくわからないまま、木立の間を走っていくと、身障者用の駐車スペースが二台あった。ナビをじっと見ると、灯台はすぐ目の前だ。路面に描かれた車いすのマークが気になったが、誰もいないことだし、ということで駐車した。
装備を整えていると、どこからともなく、少し小さめなトラ猫が姿を見せた。おいでおいで、と手を出すと、怪訝そうな目で見て、茂みに隠れてしまった。と、そこに、ほかの猫がいたようで、威嚇しあっている。ちょっとたって、トラ猫が、ぱっと茂みから出てくると、その後を追うようにして、大きな茶トラが出てきた。こちらは、人に慣れているようで、ふてぶてしい感じだ。ま、いい。灯台の話に戻そう。
木立の間を少し歩いていくと、突き当りに、番所灯台が見えた。そこは、こじんまりした公園になっていて、小さなマウンドの上に、デザインチックな東屋があった。海側は金網の柵できっちり仕切られていて、灯台は、朝日を受けた逆光の中、その前に立っていた。真っ白な、角ばった(六角形の)とっくり型で、表面は、四角に切った石を組み上げているようにも見えた。おしゃれな感じがして、ひと目で気に入った。
…今、番所灯台を記述するにあたって、ちょっとネット検索した。そもそも名前の読みかたからして、間違っていた。番所=ばんどころ、と読むらしい。それに、自分の撮った灯台は二代目で、昭和三年初点灯の一代目は、無念にも<東日本大震災>で亀裂が入り、六、七年前に、建て替えらえたようだ。どおりで、おしゃれで、きれいなわけだ。
灯台の姿形も気に入ったが、五時起きしてきた甲斐があって、海からの朝日をもろに受けた灯台を、初めて、間近で見た。少し興奮していたと思う。一気に撮影モードに突入。灯台の周りを180度、回りながら撮り歩きした。これは、いわば下見で、灯台の全景が写真に収まる、すべての地点を逐一見て回るのだ。それが終わると、今度は、頭に残った、写真になりそうな撮影ポイントを、重点的に撮る。さらに最後には、ベストポイントを決めて、しつこく、しつこく、撮る。撮影画像を調べてみると、109枚、四十五分ほどかかっていた。ま、撮りっぱなし、という感覚なのだが、枚数的には意外に少ない。
この間、幸いなことに、この<公園内公園>には、誰も来なかった。おそらく、昼間の時間帯なら、散歩などで、必ずや人が来るだろうから、撮影は、こんなに早く終えられなかったろう。なにしろ、狭い公園なのだ。人が来れば、灯台とカメラの間に、人影が入ってしまう。中断せざるを得ない。
もっとも、朝の七時台、街中の公園なら、人の来る確率は非常に高い。だがここは、市街地からは離れた、岬の上の、さらに奥まった公園だ。オレンジ色の神々しい朝日が、辺り一面、贅沢なほどだった。逆光の中に佇む、黒いシルエットになった灯台を仰ぎ見た。立ち去りがたかった。後退しながら、木々の葉で、灯台が見えなくなる所まで来た。そこでやっと、写真を撮るのをやめた。
なんだか、朝っぱらから充実した時間を過ごしてしまったな。眠気もなし、気分良く、車に戻ってきた。と、また、どこからともなく、トラ猫がでてきた。こいつは、同じトラでも、さっきのトラ猫ではなくて、体の大きい、ふてくされた面相だ。鳴きながら足元に近づいてきた。あげる物はないんだよ、などと声をかけながら、カメラバックを車に積み込んでいると、今度は、先ほどの小さなトラも出てきた。ついでに、茶トラも、どっからか現れて、大きなトラとひと悶着起こしている。喧嘩なんかするんじゃないよ、と声掛けしていると、脇を、体操姿の婆さん二人連れが、朝の散歩なのか、大きな声で話しながら、通り過ぎていく。
小さなトラの姿が見えないので、車の下を覗いてみた。案の定、居た。こっちを見て、さっと茂みの方へ逃げ出した。ふと、仏心が出て、食べ物をあげたくなった。その辺に、空き缶が置いてあったのは、誰かが、エサをあげているのだろう。そういえば、三匹とも、きれいで、比較的太っている。かわいそうに、捨てられたんだろう。そう思ったら、余計かわいそうになった。
ちょっと考えた。ニャンコにあげるような食べ物は持っていないよな。いや、と思い返して、トートバックの中を引っ掻き回した。たしか、食べ残したブドウパンがある筈だ。ニャンコが、ブドウパンを食べるとも思えなかったが、他に何もないのだから、しょうがない。ニャンコたちも、死ぬほどおなかがすいたら、食べるかもしれない。そう思って、小さなトラが逃げ込んだ茂みの方へ行き、ブドウパンをちぎって、その辺にばらまいた。隠れていた小さなトラが出てきて、ちょっと口をつけた。でも、食べなかったようだ。
いま、俺にできることは、その程度なんだよ。岬を下りた。その際、小名浜港だろう、朝日に照らされた港が見えた。防波堤灯台もいくつか見えた。そして、その向こうにはキリンだ。また、ゆっくり来たいと思った。<いわき>なら、そんなに遠くない。またいつか来られるかもしれない。
ニャンコたちのことは、もう忘れていた。いや、その時思い出した。<地域クーポン券>で、鯖缶や鮭缶を買ったんだ!車は、すでに岬を下りかけていた。ニャンコたちのところへ戻りたいと思ったのかもしれない。だが、戻らなかった。鯖缶や鮭缶は人間の食べ物だろう。それに、次の撮影場所、日立灯台へ早く行きたかった。いま思えば、どちらも、自分に対する言い訳だ。わざわざ戻って、ニャンコたちに缶詰をあげれば、立ち去るのが、なお一層辛くなるだろう。それが嫌だったんだ。
[edit]
| h o m e |