此岸からの風景
<日本灯台紀行 旅日誌>オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです
2023
06/27
Tue.
09:51:16
<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版
Category【灯台紀行 紀伊半島編】

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編
#7 四日目(3) 2021年3月23(火)
潮岬灯台撮影2
移動。灯台の敷地を出て、東側の展望スペースの方へ行く。途中、道沿いに、浜に下りる坂がある。舗装されていて、車が通れるようになっている。車で行けないこともないなと思った。だが、レンタカーだったし、浜の状態なども不明だったので、歩いていくしかないだろう。ちなみに、この浜は、潮岬灯台の立っている岬と、展望スペースのある岬に挟まれていて、岩だらけ、砂利だらけの、プライベートな感じのする砂利浜だ。
坂の降り口に<密漁がどうのこうのというような看板があった>。私有地じゃないだろうな、と少し用心しながら坂の真ん中を歩いた。道が、急角度で右に曲がる。正面に、岬の上に立つ潮岬灯台が見えた。パチリと一枚撮った。だが、遠目過ぎる。ここからは、お得意の?撮り歩きだ。数メートル行っては立ち止ってパチリ、多少左右に動いて、右側から突きでている岬と、左側の水平線との並行関係を調整した。
坂を下りきると、左側に係船岸壁がある。細い入り江になっていて、小型船なら、着岸できるだろう。その手前に、乗用車が四、五台止まっている。釣り人の車だろうと直感した。ということは、ここから釣り船に乗って、海に出ているというわけだ。だが、ひとの気配は全くしなかった。
さらに、撮り歩きしながら前進した。砂利浜は、歩きづらかった。多少よろけもした。軽登山靴を履いていたが、一歩進むごとに、石の中に足の力が吸い取られるようだった。いい天気だったので、多少汗ばんだ。と、なぜか、砂利浜の真ん中に、巨大な岩が佇立している。違和感がある。立ち止まって、つくづく見た、と思う。波打ち際には、大きな岩がごろごろしているのに、ようするに、君は取り残されたわけか?
灯台の立っている岬は、もう目の前に迫っていた。これ以上近づくと、画面から海が消えてしまい、岬だけになってしまう。<灯台の見える風景>としては<不可>となる。前進するのをやめた。立ち止まって、改めて、周りを見回した。漁具の残骸などもあった。人間が立ち去ってから、かなりの年月が経っているのだろう。明るくて、静かだった。
それにしても、岬に立つ灯台を、横から撮るという構図は、いささか飽きたし、マンネリだな。百歩譲って、構図はいいとしても、周辺の、たとえば、海とか空とか雲とか夕陽とか、そうした美しい自然事象を、臨機応変に画面に取り込んで、演出するしかないんだろう。波打ち際の岩場へ歩き始めた。大きな岩に砕ける波しぶきを、画面に取り入れようと思ったのだ。
だが、この思いつきの実現は、おもいのほか難しかった。なにしろ、波しぶきを撮るにしても、波しぶきは、浴びないようにしなければならない。カメラを濡らすわけにはいかないのだ。この段階で、すでに腰が引けている。波しぶきがかからないところで、波しぶきを撮っても、臨場感がない。波しぶきのディテールは撮れない。かといって、ズームでよれば、肝心の岬の灯台が、ぼけてしまう。波しぶきが主題ではないのだ。
あとは、位置取りの問題もある。波しぶきは、横から撮るのがベストだろう。だが、それだと、足場の悪い岩場に入り込み、姿勢を低くしなければならない。こうした態勢も年寄りには堪える。良い波しぶきが来るまで、待つのも辛い。ようするに、気力的にも、技術的にも、体力的にも、灯台に波しぶきを絡めて撮るのは無理、なのだ。
ならばと、往生際が悪いじじいだ、でかい岩がごろごろしている、この波打ち際を前景にして、岬に立つ灯台を撮ろう。この目論見は、ま、身体的には楽で、実現可能だった。ただ、当初の、<波しぶき>の発想から比べると、はるかに保守的で、ダイナミックさに欠ける。それでも、多少の工夫はしたわけで、この枠組みの範囲内では、かなり集中して写真を撮ったつもりである。
何事にしても、集中するということはいいことだ。時間を忘れられるし、成果が得られていなくても、ある種の充足感が得られる。この時もそうだった。タバコをやめていなかったら、間違いなく、この瞬間、タバコに火をつけて、海に向かって、煙を吹き出していただろう。ふ~~、酒も飲んでいないのに、自分に酔っている。
<行きはよいよい 帰りはこわい 長い急な坂を一歩一歩ゆっくり登った 息も切れず といっても 登り切った時にはぜいぜいしていた 足が重いということはなかった 運動公園での 軽ジョギングとウォーキングを想った やはり有効だった>。
<駐車場にもどった 2時すぎだった ちょっと考えた ホテルに戻り 仮眠をとる 3時前にホテル着 きれいに掃除してあった 小一時間仮眠 四時過ぎに目がさめ 四時半に(部屋を)出る 狭い通路 エレベーター前に老年夫婦が出てくる 奥さんの方が マスクをしていない と自分の顔を手でおおう 旦那は いったんは車の中にあると言ったものの こっちに向かってマスクしてなくてすいません と声に出した ていねいに言葉をかえす>。
<5時前に(潮岬灯台の)駐車場(につく) じいさんはいない 駐車場は空 風が強く 寒い 冬支度 完全装備で 東側展望スペースへ行く 昨日と同じ場所に三脚を二本立てる 5時すぎ 陽が傾きはじめる 雲ひとつない夕空 水平線に沈む夕陽が見えるはずだ また きのうのバイクの爺がくるのかと思っていると 爺はこない>。
そのうち<老若男女 いろいろな人間が夕陽の落ちるのをながめにきた 6時すぎ 日没後(の) ブルーアワー イマイチな感じ 灯台点灯 きのうよりは 空が赤く染まる さらに (灯台からの)横一文字の光線を撮るためにねばる そのかいあって 撮影成功 7時引きあげ>。
この時の、夜の撮影について、少し付け加えておこう。水平線に、オレンジ色の火の玉が、今、まさに沈まんとするとき、なぜか、その時間を知っていたかのように、おそらくは、付近に泊まっていた観光客が、展望スペースの柵沿いに、何人も並んでいる。その光景を、写真を撮りながら、ちらっと見た。まるで、映画で見たような、UFOの到来を仰ぎ見ている人間たちだ。なるほどね、落日というものは、なぜか人間を引き付ける。妙な納得の仕方をして、撮影に集中しなおした。
灯台の目から放たれる<横一文字の光線>を撮り終え、引き上げる時のことだ。忘れ物はないかと、ヘッドランプで辺りを照らした。ランプの明かりが、意外に暗くて、よく見えん。それに、三脚二本に、カメラが二台だ。荷物が多い上に、冬場の防寒着で、体が膨れ上がっている。何度も、腰をかがめて、忘れ物はないかとたしかめた。爺の習性だ。
それでも安心はできなかったが、これ以上の長居は無用だ。展望スペースから、道路に出るために、階段状の段差を登った。その登り切ったところあたりで、右足だったか、左足だったか、忘れたが、なにしろ、靴の下でぬるっとした。この感触は、何回か経験している。そうだ、嫌な予感が的中した。犬の糞を踏んでしまったのだ。おいおい、勘弁してくれよ!
迂闊だった、とは言えないだろう。なにしろ、真っ暗で、足元は見えない。見えないことはないが、ヘッドランプの明かりだから、はっきりは見えていない。それに、よりによって、人が歩くところに、犬のウンコを見捨てるものなのか!誰だか知らないけど、かなり頭にきたぜ。道路に出て、靴裏を見ようと、片足立ちになった。だが、手一杯の荷物と着ぶくれで、すぐによろけてしまった。
だが、これは確かめなくても、まちがい、犬の糞だ。靴裏を何度も何度も、道路のアスファルトにこすりつけた。それでも、気が済まないので、再び、展望スペースに足を踏み入れ、地面に足裏をこすりつけた。気分が台無しだ。暗い道をそくそくと車に戻って、すぐに靴を脱いだ。よせばいいのに、匂いを嗅いだ。間違いなかった。
さて、そのあとは、ティッシュで、入念に拭きとった。とはいえ、穿いていたのは軽登山靴だ。裏は、不規則な深い溝が刻まれている。その溝の中に、おぞましいものが入り込んで、なかなか拭き取れないのだ。・・・あ~~、もうやめよう。書いているうちに<臭い>がしてきた。
なんの因果か、落日の崇高な光景ではなく、犬の糞を踏んだという与太話になると、すらすらと言葉が出てくる。おそらくは、そう望んでいるにもかかわらず、人間が、芸術的でも文学的でもない。畢竟<崇高>にはできていないんだ。
<7時引き上げ >。たしか昨日の夜も寄ったファミマで、今晩も夕食の弁当を買った。ホテルに着いてからは、おそらく、先に弁当を食べて、そのあとに風呂に入ったのだろう。なにしろ、朝から、ほぼ飲まず食わずだ。腹が空いていたはずだ。そしてメモ書きの最後には<9時日誌 10時消燈>とある。小一時間も日誌を書いたわけだ。だが、最後の方は疲れてしまい、かなりいい加減になっている。そのことが、あからさまに、文章や筆跡にあらわれていた。
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2023
06/19
Mon.
07:38:30
<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版
Category【灯台紀行 紀伊半島編】

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編
#6 四日目(2) 2021年3月23(火)
寄り道 潮岬タワー1 灯台参観
紀伊半島旅、四日目は、樫野埼灯台の撮影を午前中に終えて、ちょっと寄り道をしてから、灯台の根元、潮岬タワーなど、潮岬灯台の撮影ポイントを回った。
<11時30(分) 岬をおりる。串本大橋のたもとに駐車スペースとトイレがある 海のなかに(も)灯台が二つある。遠目から撮る。昼どき、昼食を食べにきた若い男二人 ネコが何匹も どこからともでてきて 鳴いている エサをねだっているようだ ほかにも熟年夫婦 漁師など あっというまに狭い駐車場がいっぱいになる>。
この情景は比較的よく覚えている。付け加えよう。串本大橋のたもとの駐車スペースは、先ほど<樫野埼灯台>へ行くとき、車の中から見えたので、帰りに寄ってみようと思っていた。車は五、六台しか止められないが、トイレがあり、東屋らしきものもあった。
・・・日陰の急な坂道を下りきったところに駐車場があった。まさに橋のたもとだ。この時は、ほかに車は止まっていなかった、と思う。軽い方のカメラを肩にかけ、まずはトイレで用を足した。そのあと、ちょっと周りを見まわし、すぐに見晴らしのよさそうな東屋へ行った。
はるか沖合の海が、眼に痛いほどキラキラしていた。岩礁(鵜島)には、小さな灯台が立っていた。むろん、遠目過ぎてよくは見えない。眼下、右側にも灯台があった。串本大橋の下から突き出ている岩場(苗我島)の上に立っているもので、ま、これは肉眼でも見える。今調べると、前者は<鵜島灯台>、後者は<苗我島灯台>といって、ちゃんとした名前がある。間違っても<名もなき灯台>などと口走ってはいけない。
眼下の灯台はいいとしても、沖合の灯台は、やはり望遠カメラで撮る必要がある。というか、ちょっと撮ってみたくなった。逆光の中、灯台の横を漁船が通りぬけていく。白くて長い波筋が海面に描かれる。開放的で、明るくて、どことなく長閑な、自分にはほとんど縁のない海景だ。それに、岩礁に立つ灯台の形を、この目ではっきり見たかった。
で、車に戻って、望遠カメラを持ち出し、東屋の断崖沿いの柵際で、盛んに撮っていた。しばらくすると、うしろで何やら話し声が聞こえた。ちょっと振り返ると、若い男が二人、東屋のベンチに腰かけて、弁当を食べ始めた。たしか、駐車場の方には、清掃車のような車が止まっていた。邪魔だとばかり、すぐに引き上げるのも、バツが悪いので、柵際を少し右に移動して、眼下の灯台を、ちょうど、彼らにはお尻を向けて撮っていた。
じきに、集中力も切れた。撮影モードが解けて、少し周りのことが見えてきた。<・・・猫が何匹もどこからともなく出てきて 鳴いている (弁当を食べている男たちに)エサをねだっているようだ>。一人の男が、無造作に、箸につまんだおかずを猫の方へ放り投げている。猫たちが、ぱっと、エサに飛びつく。ふ~ん、猫たちはここでエサがもらえると思って、集まって来たわけか。黒シャツのたくましい男は、猫が好きなのかもしれない。
ただ、ちょっと、割り切れないものが残った。野良猫たちに、気の向いた時に、弁当のお裾分けをするのは、さほど咎めるべきことでもない。猫たちも、欲しがっているのだからね。だが、このあと、猫たちは、どうやって生きていくのだろう。野良猫の生き死にまで頓着していられない。けれども、猫好きな自分は、ついそんなことまで考えてしまう。いや、ちらっと思っただけだ。
引き上げよう。車に戻ろうとしたら、駐車場が、なんだか急に騒がしくなっている。熟年の夫婦づれが車から降りてきて、大きな声で会話している。都会風の、多少あか抜けた格好をしている。車も、大衆車ではなかったと思う。 かと思えば、軽トラが入ってきて、小柄な爺の漁師が荷台を整理している。狭い駐車場だから、もういっぱいだよ。
そくそくと駐車場を出た。橋を渡り、潮岬へ向かった。途中、鄙びた漁港の脇を通り過ぎた。岩礁の上に立つ灯台がふと目に入った。これは、あきらかに、さっきの展望スペース(くしもと大橋ポケットパーク)から見た、海の中の灯台だ。あれ~と思いながら、適当なところに車を止め、見に行った。
見る位置取りが90度ちがう。展望スペースから見た位置を基準にすれば、三時の方向だ、つまり、真横から見ているから、同じ灯台だとは思えなかった。それに、すぐ目の前にある。写真としては、入り組んだ岩礁の奥にあり、手前には防波堤や漁船などがある。ちゃんとは見えない。ロケーションが非常に悪い。ま、いいだろう。ムラサキダイコンの花が崩れた岸壁に咲いていた。画面の一番下に入れて、彩を添えた。記念写真だ。
<橋を渡り 潮岬に向かう 潮岬タワー(¥300)にのぼる 強風 しかも寒い 撮影にならず すぐにおりる 受付の若い女性の応対がつっけんどんだ>。付け加えよう。串本大橋から潮岬までは、ほんの十分ほどだったと思う。灯台前の駐車場をやり過ごして、左カーブすると、道路左側に、かなり巨大な<潮岬タワー>が見える。道路際が、広い駐車場になっていて、けっこう車が止まっている。雰囲気的には、昭和の観光地といった感じだが、このタワーは、潮岬灯台を、見下ろせる唯一の場所だろう。
いちおう、望遠カメラと三脚をもって、エレベーターで展望室まで上がった。円形の展望室はガラス張りだった。だが、やはり、ベランダに出ないことには、写真は撮れない。しかしながら、ドアが外側に開かないほどの強風だ。それでも、むろん出たが、今度は風が冷たくて寒い。肝心の、潮岬灯台はと言えば、手前に建物などがあって、構図的には、やや期待外れだった。ただ、天気はよかった。見渡す限りの海。素晴らしい海景であることに間違いはない。
まあ~、こんな状態では、ゆっくり写真も撮れないので、下見程度で、引き上げることにした。まだ、明日一日ある。そうそう<受付の若い女性の応対がつっけんどんだ>というのは、たしか、再入場できるかと聞いた時、やや納得のいきかねる説明をされて断られたからだろう。今となっては、その時の具体的なやり取りは思い出せない。肉付きのいい、世慣れた感じの、男好きするようなタイプの女性だったような気がする。
さてと、タワーの駐車場の端にあったトイレで用を足し、灯台前の駐車場に移動した。<潮岬灯台 駐車場着 ¥300払って 再入場できるか じいさんに聞く 大丈夫だという 歩いて灯台へ向かう 観光客がひっきりなし (ここでも)¥300とられる ただし ここも 敷地がせまく 引きがとれない 写真にならない>。
潮岬灯台は<登れる灯台>ではあるが、この時も、自分は登らなかった。灯台に登らない理由は、以前にも書いた。灯台に登ってしまえば、灯台は撮れないのだ。屁理屈だよな~。いま思うと、灯台に登らないで、狭い敷地の中をちょっと回っただけで、¥300は高い!むろん、灯台に登らないのは、こっちの都合だが。
それと屁理屈ついでに言ってしまおう。そもそも、灯台の入場料を<参観寄付金>というのが解せない。理由はいろいろあるらしいが、イマイチすっきりしない。<寄付金>なら、果たして、払わなくてもいいのだろうか?良くも悪くも、日本人特有の<曖昧>さだ。何事にも白黒をはっきりさせないのは、世界的に見れば、それも一つの見識なのだろう。たが、それにしても<参観寄付金>というのがひっかかる。
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2023
06/07
Wed.
10:10:56
<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版
Category【灯台紀行 紀伊半島編】

<日本灯台紀行 旅日誌>紀伊半島編
#5 四日目(1) 2021年3月23(火)
樫野埼灯台撮影1
紀伊半島旅、四日目の朝は、半島の先端、串本町の駅前ビジネスホテルで目を覚ました。
<6時前後に目がさめる 1、2時間おきにトイレ ひと晩中眠りが浅い>。さてと、昨日は<(夜の)7:00 引き上げ 途中ファミマで夕食調達 7:30 ホテル着 ざっと風呂 食事 日誌 9:15 このあとモニターしてねる>。要するに、記述する事柄はほとんどなかったようだ。先に進もう。
<6時半起床 朝の支度 朝食・パン 赤飯にぎり 牛乳など ウンコはでない 7時半出発 樫野埼灯台(へ向かう) 30分くらいかかる。駐車場からけっこう歩く。疲労を感じる。灯台はおもった通り ほとんど撮影ポイントがない。360度周囲を歩く>。
<帰り(戻り)道 トルコ(の)みやげ物屋による 絵皿を見ていると 奥から主人がでてくる。大きなもので1万以上 中ぐらいのものでも7、8千円する。きれいな色合いが、なんだかふ(腑)におちない 主人に製作(方法)などを聞く 答えはあいまいな感じ 値段のことを言うと つぎたし(継ぎ足し)た皿なら2000円ほどだと見せてくれたが、そもそも商品ではないだろう ていよくことわり(店を)出る それにしても朝から徒労。トルコの海難事故とか 天皇が見にきたとか そんなことはどうでもいいのだ>(そのようなことにはさほど関心がないのだ、と読み換えていただきたい)。
<灯台は個性的な形(をしていた) なんと形容していいのかわからない>。まったくもって、情景描写は苦手だ。だが、撮った写真がある。それを参考にして、この時の撮影情況を多少なりとも思い出してみよう。
立派な橋(串本大橋)を通過して、島(紀伊大島)に渡った。大きな島で、森の中をかなり走った。その行き止まりに、駐車場がある。トイレやちょっとしたカフェもあり、定期バスの停留所もあった。駐車場の先は、車両進入禁止の道路で、カメラを一台、肩から斜め掛けして、ぶらぶら歩きだした。たしか軽い方のカメラだったと思う、望遠カメラも三脚も必要ない、と事前の下調べで判断していた。
広々した道の両側には、大きな碑や土産物店が点在していた。そうだ、たしか、桜の木があって、満開だった。道の行きつくところは、広い芝生広場になっていて、二百メートル位先に<樫野埼灯台>が見えた。見えたと言っても、灯台の敷地は背丈ほどの塀にがっちり囲まれている。灯台の頭が少し見えた程度だ。
芝生広場の入口左側にトイレがあった。たしか、大きな案内板もあった。念のために用を足す。というか、公衆トイレを見ると、尿意がなくても、なんとなく入ってしまう。いわば、ワンちゃんの<マーキング>に似ていないこともない。
灯台へと続く、この芝生広場の小道の両側にも、碑や銅像などが点在していた。観光地の雰囲気だな、と思った。ま、いい。目指す灯台は、すぐ目の前だ。灯台の敷地の前で立ち止まった。<樫野埼灯台>と墨守された大きな木の表札?が、門柱の左側にかかっていた。
敷地に足を踏み入れると、右側にガラス張りの資料館のような建物があった。係員の姿は見えず、建物には入れない。ということは、敷地内は入場無料ということだな。向き直ると、思った通り、というか下調べしたとおり、ロケーションが非常に悪い。二階建てくらいの高さの灯台だが、手前左側には大きな木があり、右側には案内板がある。灯台の全景を撮るとすれば、この樹木と案内板が、どうしても画面に入ってしまう。右に振っても、左に振っても、敷地が狭いので、いかんともしがたい。
それに、灯台の左横に、かなり大きな、筒状の螺旋階段が併設されている。灯台の首のあたりまで登れるようだが、こんなに大きな構造物を灯台の横にわざわざ作って、歴史的にも価値のある、美しい灯台の景観を台無しにしている。
とはいえ、登れるのなら登ってみよう。タダだしね。高い所に登りたいのは、自分だけでもあるまい。鉄製の白い螺旋階段を登る。たしかに、見晴らしがいい。観光客にとっては、日本最古の石造り灯台より、太平洋を一望できるこの光景の方が<ごちそう>だろう。気分がいい。
眼下、右手下には、資料館の黒っぽい瓦屋根が見える。瓦の継ぎ目がところどころ白い漆喰?で補修されているのだろうか。いま写真で見ると、その補修跡が幾何学模様になっている。屋根のデザインだったのか?ともかく、なぜか<沖縄の民家>を想起した。<南国>を感じた。さらに、視線を飛ばすと、遥か彼方に岬があって、あっちからもこっちが見えるような位置取りだ。なるほど、あそこが<海金剛>だな。右側面から、樫野埼灯台の全貌が見える唯一の場所だ。下調べで見つけた景勝地で、この後、当然ながら、寄ることになっている。
その前に、いちおう、灯台の周りを360度回ってみた。海側の塀の前には、一つ二つ、崩れかかった木のベンチ置いてあった。灯台は、かろうじて画面におさまるものの、新緑の低木などに邪魔され、ほとんど写真にならない。要するに、この灯台は、前からも後ろからも、むろん左右からも、写真はあきまへん!
灯台の敷地を出た。今一度、門柱の<樫野埼灯台>の表札を見た。その表札を画面左にいれて、敷地の奥にちらっと見える灯台を撮った。灯台写真というよりは、記念写真だね。それから、念のために、塀の外回りを歩いた。樹木が繁茂していて、鉄柵のある断崖からは、ほとんど何も見えなかった。
ただ、西側からは、塀越しに灯台が多少見える。海も少し見える。とはいえ、このアングルだと、灯台よりは、塀の方が主役になってしまう。黒ずんだ、長方形の大きな石を積み上げた塀は、その重厚さ、堅牢さにより、<時代>を<昔>を強く感じさせる。存在感がある。写真を撮り始めた。位置取りを変え、かなりしつこく撮った。ま、絵になる構図だったのだ。
無駄足だったな。駐車場までの長い道を、たらたら歩いて戻った。途中、ひやかしで、トルコの土産物屋に寄ったり、銅像に近づいて、案内板に目をやったりした。やや観光気分だった。
駐車場のトイレで用を足して、車に乗り込んだ。すぐそばの定期バスの停留所に、若い女性がいた。サングラス越しにちらっと見たような気もする。ナビの画面で一応は確認して、<海金剛>へ向かった。分かれ道に案内板があり、すぐに着いた。途中、道の両側に民家並んでいたが、人の姿はなかった。多少広めの駐車場で、トイレがあり、資料館(日米修好資料館)のような建物が正面にあった。
樹木が覆いかぶさった、アーケード状の遊歩道をぷらぷら行くと、海側に凹んだ、人一人が展望できるようなスペースがあった。三脚を担いだまま、二、三歩、踏み込んだ。下は断崖絶壁だが、柵があるので安全だ。なるほど、ここの海景は素晴らしい。三角形の岩が、いくつも海から突き出ている。あとで撮りに来よう。この時は、一枚だけ撮って、遊歩道に戻った。
さらに少し行くと、視界が開けた。展望スペースらしき場所に出た。一段高くなったところには東屋もあった。ちなみに、遊歩道に覆いかぶさっていた樹木は椿だ。一、二輪咲いていたので、あっと思ってよくみると、幹がすべすべだ。椿のアーチとはオツなものだ。帰りに何枚か写真を撮った。
さてと、展望スペースからは、遥か彼方、岬の先端に<樫野埼灯台>が豆粒くらいに見えた。望遠カメラを持ってきたから、早速、断崖際の柵沿いに三脚を立てて撮り始めた。明かりの状態もまずまず、素晴らしい展望である。が、いかんせん、距離がありすぎる。400ミリの望遠では、勝負にならない。
ま、それでも、柵沿いに移動しながら、ベストのアングルを探しながら撮っていた。だが、ここにも観光客だ。見晴らしのいい柵沿いの展望スペースは、ほんの七、八メートルしかない。夫婦連れが、自分のすぐ隣にまで来て、そこをどかんかい!といった雰囲気だ。遠慮という概念を持ち合わせていないらしい。
となれば、移動せざるを得まい。先ほどちょっと寄った、遊歩道沿いの、極小の展望スペースへ移動して、観光客をやり過ごした。だがしかし、そのあとも、観光客が入れ替わり立ち代わりやって来る。そのたびに、重い三脚を担いで、極小展望スペースへ退避したり、後ろの東屋のあたりへ行って、反対側の海景などを眺めたりした。
天気はいいし、明かりの具合もいい。最高の海景だった。だが、肝心要の、灯台写真が撮れたような気はしなかった。あまりにも遠い。樫野埼灯台が小さすぎる。デジカメの800mm超望遠でも撮ったが、解像度が粗くて、写真にならない。あきらめきれない。明日、もう一度来てみよう、と折り合いをつけた。まったくもって、きりもない話だ。
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