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此岸からの風景

<日本灯台紀行 旅日誌>オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです

2024

01/30

Tue.

11:50:25

<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版 

Category【灯台紀行 網走編

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<日本灯台紀行・旅日誌>2021年度版

11次灯台旅 網走編

2021年10月5.6.7.8日

二日目 #7 能取岬灯台撮影1

2021年10月6日水曜日。午前五時に目が覚めた。北海道網走市の大手ビジネスホテルの一室だ。<六時に起床 朝の支度>。と、その前に、昨晩、ホテルに着いてからのことを少し書き残しておこう。

能取岬灯台から網走の市街地までは、ほんの二十分ほどだ。途中で、コンビニに寄り、食料調達、次に<すき家>で牛丼の特盛を買った。ホテルの駐車場は、思いのほか混んでいて、平面駐車場はほぼいっぱい。立体駐車場に行ってくれと言われたが、係りのおじさんに、無理を言って、平面駐車場の端の方に止めた。駐車しづらい場所が、一台空いていたのだ。

ホテルのフロントには、何人か客がいた。少し待って、黄色の制服を着た女性の応対を受けた。ビジネスライクで問題はない。鍵をもらって、行こうとしたとき、今日は<カレー>のサービスがありますから、と言われた。午後七時に一階のロビーで、先着40食限定、と張り紙にもあった。

部屋に入ると、たばこの臭いがした。禁煙部屋が取れずに、喫煙部屋なのだ。壁のハンガー掛けにぶら下がっていた<消臭剤>のスプレーを、これでもかというほど、部屋中にふりまいた。

省略しよう。特盛牛丼を食べて、<17:30>昼寝。<18:30>に起き、<19:00>ちょっと前に部屋を出て、一階に<カレー>を取りに行く。その際、エレベーターが混んでいて、待たされる。これだけ大きなホテルなのに、エレベーターが一台しかない!しかも、四、五人乗ればいっぱいだ。ま、いい。管理上の問題で、わざと一台にしているのだろう。

夕食は済ませてしまったので、ゲットした<カレー>は明日の昼食用としよう。いったん外に出て、駐車場の車の中に入れた。このとき、たしか、上下グレーのスウェットだったと思う。というのも、ホテルの部屋着は各自、エレベーター横の棚から持っていくシステムになっていて、先ほど部屋に上がる際、取り忘れたのだ。もっとも、ホテルの部屋着で、室外に出るようなことはしない。若い頃、ホテルの廊下やロビーは、街中と同じ、と誰かに聞いたことがあり、そのへんはいまだに、お利口さんだ。あとは、これといったこともなかった。部屋に戻り、テレビをつけ、日誌のメモ書きをした。<9時 ねる 眠りが浅い 物音がうるさい>。

朝になった。洗面、身支度など、すべて終え、少し時間調整して、六時半ちょっと前に、一階に朝食弁当を取りに行く。そうだ、昨晩の<カレー>の配給?の時もそうだったが、朝の弁当の時も多少の列ができて、並んだ。ビジネスホテルの宿命だと、端から諦めてはいるが、なんだか、自分が貧乏人のような気がした。事実、貧乏人ではあるが、たまの旅行で、朝食弁当をもらうために、あさっぱらから、並ばされるほど貧乏だとは思っていないのだ。

<7:30 出発 道をまちがえる>。灯台へ行く道は、もう覚えた、と思ったので、ナビはセットしなかった。コンビニの交差点を左折、突き当りを右折、あとはほぼ一本道だ。しかし、これは思い違いだったわけで、実際は、もう少し複雑で、あと一、二回、右左折を繰り返さなければ、ダメだったのだ。

途中で、方向が違うことに気づいた。なんだか元に戻っている。そのうち、とうとう、さっきのコンビニに戻ってしまった。一瞬、キツネにつままれたようだった。自分の思い違いを了解できず、同じようなコンビニが二軒あるのかな、とさえ思った。急いでナビをセットして、案内を仰いだ。再び、大きな道路を左折し、坂を上っていくと、見覚えのある海沿いの道で出た。一件落着。

朝の八時半過ぎに、能取岬灯台に着いた。ほぼ快晴、いい天気だ。まずは、牧場の出入り口に駐車して、丘の下の灯台を何枚か撮った。ま、これはちょっとした下見だ。能取岬灯台のベストポイントが、晴れた日には、どのような感じになっているのか、見たかったのだ。やはり、最高だった。あとでゆっくり撮りに来よう。

長居はせず、すぐに、下に下りた。駐車場に車を止め、さっそく灯台周りの午前の撮影を開始した。能取岬灯台は、八角形をしている。いま見えているのは、そのうちの三面だが、右側の面に日が当たっている。立体的に見え、実にいい。日差しを受け、広場の緑も、空も、海も、周囲に群生しているクマ笹さえもが、美しい色合いだ。

昨日下見した道順で、歩き撮りを始めた。ただし、まったく同じ道順ではなく、灯台に近寄ったり、遠ざかったりしながら、ベストのポイントを探した。いや、探したというよりは、どういうふうに見えるのか、という好奇心の方が勝っていた。

昨日の曇り空とは違い、いい天気だ。位置取りは同じでも、灯台は、全く別物に見えた。とくに、白黒の縞が、目に鮮やかだった。灯台のすぐ近くまで寄って、太陽を灯台の先端で隠してみた。おなじみの、逆光撮りだ。だが、これは、二匹目の、いや、三匹目のどじょうかな、面白くなかった。いわゆる、自己模倣というやつで、やってはいけないことだ。

灯台の正面辺りを、ゆるゆる撮り歩きしながら、北東側の柵まで来た。昨日はここで引き返した。だが今日は、柵沿いの道を、灯台を背にして、さらに歩いた。遠ざかるにつれて、柵はすこし左にカーブする。と、<能取岬>の側景、というか、側面が見えた。荒々しい光景で<絶景>だ。

灯台はと言えば、この<能取岬>の先端ではなく、やや平坦になった陸地側に立っている。したがって、灯台と岬の断崖絶壁との間にはかなりの距離がある。しかも、断崖際の柵が、画面を真ん中で二分割している。構図的には、実によろしくない。それでも、しつこく撮った。だが、やはり、無理だ。この位置取りは写真にならない。

向き直った。オホーツク海に面した、柵沿いの道は、断崖沿いに、さらに北東方向へとのびていた。素晴らしい景色だが、引き返した。これ以上行ったら、灯台が、広大な空と海と大地の中に溶け込んでしまう。おそらくは、灯台、あるいは、灯台の見える風景、という概念にこだわっているのだろう。

自然の風景に美しさを感じる。だが、それを写真に撮ろうとは思わない。むろん、それを写し取る力量も持ち合わせていないが、自分が撮りたいのは、美しい自然の中に屹立している事物だ。その違和な風景、異質な調和に魅かれる。写真に撮りたいと思う。目の前に見えている<能取岬灯台>が、その一例だ。

もどそう。踵を返し、柵に沿って、灯台の右側面、さらには、背面辺りにまで来た。この辺りは、例の、鉄柱を囲んだステンの柵が、灯台とかぶってしまうので、ほとんど写真にならない場所だ。やや撮影モードが緩んだのだろう、後ろを振り返って、海や断崖をスナップした。これは、ちょっとしたスケベ心で、後々の≪名づけえぬもの≫朗読の際に、背景画像にしようと思っている。

さらに、柵に沿って回り込んでいくと、木製の大きなテーブルが並んでいる。灯台背面から左側面にかけての場所は、昨日の下見でも思ったが、比較的いい位置取りだ。小山になった芝草広場に点在しているベンチがポイントになり、構図的にも安定している。おりしも、背景の青空に、大きな雲が流れてきた。左端には、少しだが、海が見え、鉄柱を囲んだステンの柵も、灯台から離れて、おとなしくなった。ここぞとばかりに、撮りまくった。

だが、そのうちには、雲も流れ、灯台の背後は、青空、というよりは、<青>一色になった。こうなると、どことなく間が抜けて、バランスが悪い。引き上げ時だ。それに、少し疲れたよ。車に戻った。十時半頃だったと思う。二時間ほど、灯台の周りで撮っていたわけだ。休憩しよう。

二日目 #8 能取岬灯台撮影2

早めの昼食だ。運転席で、ホテルでゲットした<カレー>と昨晩コンビニで買ったおにぎりを食べた。そのあと、一息入れて、丘の上に移動した。空も海も牧草地も、日差しを受けて、輝いている。三脚に望遠カメラを装着して、肩に担いだ。標準ズームの方は首にかけた。これだけでもかなり重い。溝を越え、切り株だらけの地面を見ながら、伐採地をゆっくり進んだ。

丘のふちには柵がある。扉が一か所あり、開いている。四方八方、人の姿は見えない。躊躇うことなく、牧草地へ入り込んだ。さてと、どこに三脚を立てるべきか。水平線と灯台が垂直に交差する地点がよろしい。たしか、三脚を適当なところにおいて、といっても、斜面になっているので、そのまま置いては倒れてしまう。三本ある足のうち、二本を少し短くして、三脚を安定させてから、手ぶらで、少し右に移動した。

眼下の灯台と水平線をじっと見た。斜面が尽きる所に白黒だんだら縞の灯台があり、その向こうが海だ。だが、かなり距離がある。はたして、水平線と灯台が垂直に交差しているのか、ちょっと、判断に迷った。完全に、100%垂直ではないような気がした。右に少し動いた。しかし、結果は、さらに悪い。元居た場所に戻った。こっちの方がまだましだ。

望遠カメラ付きの三脚は、離れたところにポツンと取り残されていた。カメラとレンズ、それに三脚で、60万以上した。自分の力量にはそぐわない、プロ仕様の道具だが、後悔はしていない。それどころか、見るたび、触るたびに、ある種の満足感を覚える。その三脚を持ってきて、斜面にしっかり固定し、撮り出した。望遠最大値の400mmで、灯台は、画面いっぱいに入る。だが、それだと、何か面白くない。周囲の風景も入れなければだめだ。最小値の80mmにまで、徐々にレンズを回した。う~ん、判断が難しい。もう一度400mmに戻して、アップ、近景、中景、遠景と、段階的に撮っておいた。

さてと、あとは、空の様子が変わるまで、このまま待機だ。といっても、じっとしていたわけではない。三脚から離れて、さらに、右へ左へと、辺りをぶらついた。北東側には、知床半島が見える。いい景色だ。肩掛けした標準ズーム付きの軽いカメラで、ぱちぱち撮っているうちに、ふと、牧草地を縦に区切っている柵が気になった。柵の両側一メートルほどが、枯れ草で茶色になっていて、小道のように見える。

この小道が牧草地の中をうねうねしていたら、気にはならなかったろう。茶色の小道が牧草地を縦に分断しているのが気になったのだ。つまり、牧草地、海、空という横広がりの画面の中で、縦ラインは灯台だけにしたい。強調したいがためだ。

となれば、この茶色の小道は、画面から除外してしまえばいい。ま、そう極端に考えなくてもいい。左に位置取りを少しかえれば、小道は画面に入らないだろう。実際にやってみた。だが、そうすると、くどいようだが、水平線と灯台との垂直交差が崩れてしまう。元の位置に戻った。こうなったら仕方ない。小道を画角操作で画面から除外した。

そうこうしているうちに、待望の雲が出てきた。といっても、背景の空にではなくて、真上の太陽の辺りだ。緑一色の牧草地が、部分的に黒くなったり、また元に戻ったり、なかなか面白い。流れ雲の影が、濃くなったり薄くなったり、大きくなったり小さくなったり、自在に変化しているのだ。そのうち、一瞬、眼下の牧草地は真っ黒になってしまった。照ったり陰ったり、というのは写真的には面白い現象だが、陰りっぱなし、では写真にならない。だが少し経つと、雲は流れてしまい、牧草地の鮮やかな緑が戻ってきた。

あとは、三脚を立てた位置を起点にして、緑の斜面をまっすぐ下りながら撮った。灯台に少しずつ近づいて行ったわけだから、ほとんど画面の構図は変わらない。ただ、丘の上に居た時は、灯台の先端まで海があった。それが、丘を下るにつれて、海の位置が下がってきた。つまり、灯台の先端が、空と海の境にかかるようになってきた。ちょっと考えた。これも悪くはない、悪くはないが、灯台の背後は海だけのほうがいい。また、三脚の置いてある丘の上へ戻った。

正面を見ると、それまでは真っ青だった空に、左から雲がかかり始めた。これは、期待していたことで、真っ青な空もいいが、少し雲があった方がいい。ねばったかいがあったわけだ。だが、じきに、雲の量が多くなり、灯台の上から青空が消えていった。もっとも、まだ陽射しがあったので、写真は撮れた。

左側、つまり西の空を見たのだと思う。巨大な雲の層が、こちらへ押し寄せてくる。そのうちには、日差しがなくなるだろう。丘の上からの、ベストポイントでの撮影は、ほぼ完了していたし、満足していた。日差しのなくなる前に、灯台周りの午後の撮影をしよう。躊躇うことなく、三脚をたたみ、引き上げた。

車で坂を下った。下りきったところに路駐して、灯台を、牧草地を手前に入れて四、五枚撮った。例の、垂直交差の問題からすれば、ベターではないけれど、違ったアングル、という意味では、撮っておいても無駄にはなるまい。いやいや、<無駄>など、この世に一つもない!あるとすれば、<人間>だけだろう。おっと、うっかり、口が滑ってしまった。

灯台前の駐車場に着いた。先ほどは気づかなかったが、駐車場の端にある歩道からのアングルが意外にいい。目の前に、腰高のクマ笹が自生している。クマ笹と灯台との取り合わせが、いかにも北海道らしい、でしょ。わざわざ、歩道の一番端まで行って、撮り歩きしながら戻ってきた。

灯台広場に入った。午後の撮影開始、と意気込みたいところだが、何やら、空模様が怪しい。広場に踏みこんで、昨日よりは近い位置取りで、灯台を左側面から撮った。さらに、木製のベンチのそばで撮り、背面からも撮った。この間、いくらもたっていないと思うが、刻一刻と、青空が大きな雲の塊に侵食されていった。とはいえ、いまだ多少の日差しがあり、写真的には面白い。

そうだ、日差しの加減で、極端に寒くなったり暑くなったりした。そのたびに、ウォーマーを脱いだり着たりと、難儀した。寒いなら寒いなりに、暑いなら暑いなりに、対処のしようもある。実際、これまでの写真撮影では対処してきたのだ。だが、日差しの如何で、これほど体感温度が変化するのは、今回が初めてだ。風が冷たすぎる。やはり、北海道に来るには、季節が少し遅すぎた。

そのうち、空は大きな灰色の雲に覆われてしまった。少し明るいところもあるが、写真撮影はもう無理でしょ。ま、予報では、三時過ぎからは曇りマークがついている。予期していたこととはいえ、数日前までは、全日晴れマークだったわけで、やや悔しい。雲の押し寄せてくる方向、すなわち、西の空を見た。雲の層はさらに厚くなり、巨大化している。色も灰色から黒くなっている。

ふと思いついて、灯台の右側面に回ってみた。この不穏な雲を背景に、灯台を撮ってみよう。結果は、まあ~、そんなもんでしょう。白黒だんだら縞の灯台には、やはり、青空のほうがよく似合う。空一面の圧倒的な雲軍団の、白から灰色、灰色から黒への諧調が、どれほどか魅力的であっても、写真がモノクロ写真になってしまうのだ。自分の腕では撮ることのできない世界だった。

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2024

01/23

Tue.

08:04:23

<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版 

Category【灯台紀行 網走編

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<日本灯台紀行・旅日誌>2021年度版

11次灯台旅 網走編

2021年10月5.6.7.8日

一日目 #5 地上移動

女満別空港に着陸した。着陸は、離陸に比べて、怖がっている暇もなく、あっという間だった。押し出されるようにして、閑散とした飛行場に降り立ち、ゆっくりと、何の変哲もないコンクリの建物に、吸い寄せられて行った。

あいにくの曇り空だったが、機内の雰囲気は、心持ち熱っぽかった。北海道に着いたぞ、といった感じだな。アナウンスが、前の座席の人から案内するから、そのほかの人は、荷物などは取りださないで、座ってて下さい、と言っているのに、後ろの若いカップルも、斜め前の中年の出張族も、立ち上がって、荷物棚から荷物を取り出しはじめた。すかさず、女性アテンダントが来て、やんわり注意している。なにしろ、最後部には、女性アテンダントが二人いて、機内に目を光らせているのだ。

そのあとは、順番通りだ。狭い通路での小競り合いもなく、粛々と機外に出て、空港内の通路を、さっさと歩いた。エスカレーターを下りると、一階入り口付近に、レンタカー会社の専用カウンターがあった。五、六社あったが、自分の予約していたNレンタカーに、多少、人が集まっている。

カウンターで、名前を言うと、大きな紙の番号札を渡された。<4>と書いてある。つまり、四番目に案内するということだ。ロビーで少し待っていると、出入り口に送迎用ミニバンが来た。運転手に、番号札を渡そうとしたら、営業所で受付するときに出してくださいと言われた。バタバタっとした感じで、車に乗りこむと、車には先客がいて、なんとなくせまっ苦しい。だが、出発すると、すぐにレンタカーの営業所についいた。

営業所のカウンターでは、三人体制で、客に対応していた。番号札が<4>なのだから、先の人の受付が終わるまで少し待った。応対したのは、ほんの若い坊やだった。動物との衝突事故が増えているので注意してくださいとのこと。狐かな、と自分が言うと、いや、鹿もいますと彼は答えた。オプションの<保険>に入らせるための営業トークだと思って聞き流した。とはいえ、これは、本当の話だったようだ。実際、夜道で大きな鹿に出っくわした。それも二晩続けてだ。

カードで支払いを済ませ、サインした。そのあと、四十代くらいの女性に先導されて、レンタカーのそばまで行った。シルバーのホンダのフィットだった。ギアシフトが、初めて触るものだったので、操作の仕方を少したずねた。あと、とりあえず、ナビに<のとりみさき>と設定してくれ、と頼んだ。ところが、読み方がどうのこうのと、手元のタブレットなどを見ていて、要領を得ない。すっと設定できないのだ。

ああ~ん、地元のレンタカー会社の従業員が、観光名所の<能取岬>の正確な読み方を知らない、だと~。もっとも、この時、自分も<のとろみさき>を<のとりみさき>と言っていたのだが。とにかく、名称検索ができないなら、画面上で指示することもできるでしょ。女性に画面を操作させた。灯台のアイコンが出てきた。そこだ、と言っているのに、こっちの言うことは聞かないで、中途半端なポイントで設定している。頼りない上に、謙虚さも欠けている。こりゃ、急ごしらえのパートだな。真面目に聞くことをやめた。あとで自分でちゃんと設定しよう。

エンジン始動、正面を見た。営業所は国道に面している。網走は、右か?と窓越しに、パートの中年女性にたずねた。すると、これまた自信なげに、左だと思いますよ、と答えた。おいおい、かんべんしてくれよ。でも、ま、これは信用した。

北海道の道をレンタカーで走りだした。午後の二時前だったと思う。小一時間で、能取岬灯台には到着できるはずだ。それにしても、どんよりした曇り空だ。今日は、撮影地の灯台の下見だけして、早めに宿に入ろう。ナビと道路標識を確認しながら、とりあえずは網走の市街地へ向かった。

途中、<メルヘンの丘>に寄った。ここは、通りすがりの国道沿いにあり、写真スポットになっている。曇り空で、写真にならないが、一応、広くなった路肩に車を寄せて、外に出た。いや~、さむい!空気がひんやりしている。リックサックから、ヒートテックを取り出し、ジーンズの下に穿いた。長袖シャツの上にも、パーカをきっちり着て、フードもかぶった。

さてと、向き直った。手前は、キャベツ畑だろうか?なだらかな丘の上に、樹木が何本か、間隔をあけて並んでいる。そのはるか向こうには、山が見える。なるほどね、お決まりだけれども、北海道らしい良い景色だ。だが、どんよりした曇り空。帰宅日は晴れるだろうから、その時には真面目に撮ろう。そう思って、四、五回、気のないシャッターを押して、すぐに車に戻った。

辺りを見ながら、60キロくらいで走った。交通量は少なく、走りやすい。要所要所で、大きく右方向に曲がって、網走の市街地に到達した。片側二車線の広い道だ。右側に<すき家>があり、宿泊するTビシネスホテルが見えた。その建物沿いに左折して、すぐに橋を渡り、少し行くと交差点の角に<セブンイレブン>がある。<食>と<住>の調達場所は、来る前にグーグルマップで確認済みだった。

そのうち、海沿いの道に出た。弓なりの砂浜が見え、その先端は岬だ。その岬に寄り添うように、大きなホテルが立っている。さらに走っていくと、ホテルの前あたりで、大勢の人が海に向かって竿を振っている。なにが釣れるのだろう?と思いながら、岬の急な坂を上った。

登り切ると、視界が開け、両側は、少し紅葉した森だった。その中を、道路が一直線に走っている。気持ちがいい。ふと、おやっと思った。道路脇に、赤白だんだら模様の電信柱のようなものが等間隔に立っていて、上の方に下向きの矢印が付いている。お初のモノだ。その矢印の先に視線を落とした。歩道と道路の間にある縁石だ。その瞬間、理解した。積雪したときの注意喚起だ。この矢印の下が、道路と路肩の境界を表している。なるほど、北海道らしい。愉快な気分になった。

備考 この矢印は<矢羽根>という。正式には<固定式視線誘導柱>というらしい。

そのあとも、紅葉を楽しみながらの、快適なドライブだった。と、久しぶりに、ナビの案内があって、道を右折した。少し行くと、正面に、おおっと、海を背にした、白黒灯台が見えた。両脇は森で、要するに、道路の先に灯台の上半分くらいが見えたのだ。

あわてて止まった。車から降りて、道路の真ん中に立って眺めた。写真に撮るには、もう少し先の方がいいかな。また走りだした。だが、この判断は間違いだった。道が波打っていたからで、すぐ下り坂になり、灯台は、道のうねりに邪魔されて、さっきよりも見えにくくなった。

一瞬戻ろうかなと思ったが、走り出すと、ぱっと視界が大きく開けた。緑の丘の下に、オホーツク海を背にした、白黒の<能取岬灯台>の全景が見えた。心の中で、おお~っと声をあげた。

一日目 #6 能取岬灯台下見

能取岬灯台に着いたのは、午後の三時頃だった。残念だが、曇り空。写真にはならない。でも、ま、明日の下見だ。気を取り直して、車から外に出た。寒い!真冬の寒さだ。急いで、ウォーマーを上下着用した。念のため、ネックウォーマーと手袋もした。

さほど広くはない駐車場には、二、三台車が止まっていた。だが、人の姿はどこにも見えない。先程の、丘の上からのすばらしい光景は、事前のネット検索では、見つけ出せなかった。ま、あとでゆっくり見に行くとして、まずは、灯台周りだ。カメラを一台首にかけ、歩き始めた。

灯台へと向かう歩道の前には、鉄のポールが何本か立っていた。つまりは、ここからは徒歩で行きなさい、ということだ。車やバイクは進入禁止!広々した、緑の敷地の中を歩いていくと、木製の大きな看板がある。<網走国定公園 能取岬 CAPE NOTORO >。あれま、<のとろ>とちゃんと書いてあるではないか。帰宅するまで、<のとり>だとばかり思っていた。

磁石を見て、方角を確認した、と思う。たしか、灯台の斜め右後ろが東で、斜め左前が西だ。ということは、登る朝日は後ろの山にさえぎられて拝めない。沈む夕陽は、というと、水平線が分厚い雲に覆われている。今日のところは定かではない。もっとも、灯台と落日方向が離れすぎている。絡めて撮ることは不可能だろう。

とはいえ、海を前にした場合、灯台には、右側から朝日が当たり始め、正午前には正面、そして日没時には左側から夕陽があたるのだろう。それに、周囲は、緑の芝草広場になっていて、どの位置からでも撮影できる。ロケーションとしては、やはり、予想していたとおり、最高だ。

ただし、しつこいようだが、今日のところは曇り空だ。いまにも降り出しそうな暗い、鉛色の空だ。それに、寒い。下見、といっても、イマイチやる気が出ない。それでも、ここまで来た以上は、見て回るしかないだろう。

とりあえずは、足元の悪そうな、緑の広場には踏み込まないで、歩道を、灯台に向かって歩いた。左側には、柵に囲まれた背の高い鉄柱が一本立っている。電波塔なのだろうか?その後ろに少し海が見えるが、ほんの少しだけだ。右側は、広場がゆるやかに傾斜しているからなのか?断崖沿いの柵が、多少波打ってみえる。

灯台の正面に来た。手前にえんじ色の一直線の歩道だ。ま、いわば<レッドカーペット>だな。その10メートルほど先に、灯台の入り口がある。灯台の下の方には、細長い長方形の建物があり、屋根の上には、太陽光パネルが、こっちを向いて、ずらっと並んでいる。<レッドカーペット>の上は歩かないで、そのまま、通り過ぎた。近づきすぎると、灯台の全景がカメラの画面に収まらないからだ。

すぐに広場の行き止まりで、断崖沿いの柵だ。その柵沿いに、つまり、北東方向には遊歩道があり、かなり先に、なにかのモニュメント(オホーツクの像)がみえる。灯台から遠ざかるだけで、行ってもしょうがないだろう、と自分に言い訳して、そっちには行かないで、柵にもたれ、正面の海を眺めた。海も、曇り空の時には、何の面白みもない。が、視線を右に移すと、はるか彼方に山並みが見える。それがどこなのか、あとで知ったのだが、知床半島だった。

柵沿いに、今度は、北西方向に歩き出した。ちょうど、灯台を右横から見る位置取りだ。絵面としては、正面よりも、なお悪い。背景は、多少開けていて、広場の東屋が見え、彼方には、幾重となく重なり合った岬が見える。見えるといっても、あまりに遠すぎて、それが垂れ込めている雲なのか、判別し難い。

さらに、灯台の前面、というか、自分が海を背にして灯台を見る位置取りだが、この辺りは、鉄柱を囲んだステンの柵が、灯台の左横、そのうちには正面にまでに出しゃばってきて、まるっきり絵にならない。写真すら撮らなかった。

なおも、断崖沿いの柵に沿って、回り込んでいくと、四人掛けの大きな木製テーブルと椅子のセットが、柵沿いに続いている。ここまでくると、鉄柱を囲んだステンの柵は、灯台の建物から離れ、絵面的には、まずまずだ。背景も、左に少し海が見え、右側は山並みだ。参考に、いったい何のための参考なのか定かではないが、何枚か撮った。だが、まだ、なにか物足りない。

柵から少し離れて、緑の芝草の中に踏みこんだ。灯台までの距離は、二十メートルほどだ。少し傾斜している広場には、木製のベンチが点在している。なかには崩れかかったものもある。多少、見上げた感じになるからだろうか?それとも、芝草の中にベンチが点在しているからだろうか?どことなく、優しい光景だ。

ここが、今まで見た中では、一番いい風景だと思った。数歩ずつ、前に行ったり、左に行ったり、下がったり、そしてまた右に行ったりと、ベストポイントを探しながら、あたりを撮り歩きした。灯台に近づきすぎてもいけないし、遠ざかりすぎてもいけない、などと真面目に考えたりもした。

そうこうしているうちに、最初の場所に戻ってきた。灯台の周りを360度回ったことになる。単に回っただけだが、それでも、今日の予定、やるべきことは果たしたわけだ。いや、まだだ。さっき、丘の上からちらっと見た、オホーツク海を背にした灯台の景観だ。そう、たしか、丘の上には、車を止める場所があったような気がする。

それは、坂の途中の道路際で、牧場への出入り口だった。車を止め、外へ出て、牧場を見渡した。建物はちゃんとしているが、人も馬も、生き物らしきものは何も見えない。ただ、牧草地は、きれいに刈り込まれていて、青々としている。念のために、牧場の出入り口をたしかめた。ロープが張ってある。しかも、かなり古びた感じで、出入りしている様子はない。たしか看板があり<美岬牧場>と書かれていた。

あの時は、閉鎖されたのだろう、くらいにしか思わなかったが、今ネット検索してみると<網走市営美岬牧場>とちゃんと出てきた。観光牧場らしいが、なぜか、HPは削除されていて、最近の様子はわからない。おもうに、コロナ禍で観光客が激減して、閉鎖されたのかもしれない。

とにかく、牧場への出入り口ではあるが、車の出入りがないのだから、安心して駐車できる。車の後ろに回ってリアドアを開け、中からカメラを一台取り出した。重い望遠カメラの方は、ま、曇り空だしなと言い訳して、持ち出さなかった。

さてと、今度は、灯台の方を眺めた。丘の先端に出れば、眼前に遮るものはなく、ほぼベストポジションだろう。手前は、草深い感じだが、一応除草されている。踏み込めないこともない。それに、都合がいいことに、道路際に柵はなく、溝を渡れば行けそうだ。

だが、いざ踏み込んでみると、かなり歩きづらかった。まずもって、水こそなかったが、溝がけっこう鋭角で深かった。溝から上がると、除草されているとはいえ、低木の幹が、至る所に突き出ていて、足をおろす場所を見つけながら進まなければならなかった。もっとも、丘の先端までは、ほんの二十メートルほどだ。苦労した、というほどでもない。

丘の先端には、なぜか、背丈ほどの木が三本、縦に並んで生えていた。これは、わざと切り残したようにも思われた。ということは、道路と牧場の柵との間の、この20平米ほどくらいの場所は、丘の下の灯台を見るために、誰かが整備したのではないのか?おそらくそうだろう。

また、先端部には、牧場と牧草地とを仕切る長い柵があり、そこから下は、きれいに刈り込まれた芝草の傾斜だ。その緑の傾斜が終わるところに灯台がある。したがって、柵越しに、灯台を見下ろす感じになる。言うまでもないことだが、灯台よりも高い位置取りなので、灯台が、背後の海を背負う形になる。この光景は、なかなか見られるものではない。

灯台よりも高い場所(塔とか展望台、山頂)から、灯台を見ると、これまでの経験によると、だいたいは灯台が小さすぎる。さもなければ、周囲の事物に邪魔されて、見えにくくなる。ところが、能取岬灯台は、違う。なにしろ、肉眼ではっきり見える距離だし、周囲には、空と海と牧草地しかないのだ。現地でこのベストなポジションを見つけた、ということも大きいが、大げさだが、感動していたといってもいい。ただし、だ。曇り空がいただけない。これだけの、いわば<絶景>だが、曇り空では写真にはならないのだ。

それに、今居る場所もベストではない。と、柵沿いに視線を右に移すと、丘の先端部と斜面を区切っている柵が、すぐそこで、開いている。これは、牧舎から馬たちを連れだし、斜面の牧草地へと放牧するための扉なのだろう。馬たちが、いやあるいは、牛かもしれないが、とにかく、彼らがいないのに、扉が開いているのは、ま、不自然だが、こちらにとっては、かなり都合がいい。すんなり、斜面の牧草地に入れるということだ。そここそが、まさに、字義通り、能取岬灯台のベストポジションだろう。

だが、今居る場所を動かなかった。お楽しみは明日だ。明日は午前中から晴れマークがついている。三脚を立てて、じっくり撮ろう。あたりが少し暗くなっていた。腕時計を見たのかもしれない、メモ書きには<16:00 引き上げ>とあった。

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2024

01/16

Tue.

10:10:52

<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版 

Category【灯台紀行 網走編

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<日本灯台紀行・旅日誌>2021年度版

11次灯台旅 網走編

2021年10月5.6.7.8日

一日目 #3 コンテナ搬出作業

窓の外では、飛行機から小型コンテナの搬出作業が行われていた。それが、すぐ目の前だ。作業員の表情が手に取るようにわかる。何気なく見ていると、作業員のひとりが女性だ。作業員は、全員お揃いの紺の作業着に帽子をかぶっているので、よく見ないとわからない。少し興味を持った。どう考えても、女性のするような仕事には思えなかったからだ。

彼女の仕事というのは、飛行機の胴体から運び出された、長方形の小型コンテナを、自身が運転するコンテナ牽引車の六両の荷台に、一つずつ乗せ換え、所定の場所に持っていくことだ。ひとつの荷台の長さは、二メートルほどだが、六両連なっている。まずもって、十トン車並みの長さになっているわけで、回転する際には大きく弧を描く。空港内で、これを縦横無尽に走らせるようになるには、かなりの練習が必要だろう。

むろん、それだけではない。その長いヘビのようなコンテナ牽引車を、仮設コンベアーの真横に、三十センチくらいの間隔をあけて、横付けしなければならい。この作業もかなり難しいとおもう。というのは、横付けする荷台は、前から二番目の、真ん中あたりの右横、と決まっており、運転席からは、かなり離れていて、確認しづらいからだ。

もちろん、そこにぴたりと横付けしなければならない理由があるのだ。小型コンテナは、二台ずつ、飛行機の腹から出てくる。出てくるといっても、自然に出てくるわけではない。タラップの上に作業員がいて、出てきた二台のコンテナを、コンベアーの上を滑らしながら、昇降機へと移動し、なにかのボタンを押して、下におろすのだ。その際、同時にカラになった昇降機が上に登ってくる。エレベーターの原理だな。つぎに、下におろされた二台のコンテナは、地上の仮設コンベアーの上に移される。地上の作業員が、そのコンテナを一台ずつ、人力で押しながら、横付けされたコンテナ牽引車の荷台の横まで移動させる。コンテナの下には滑車がついていて、仮設コンベアーの上を滑らすことができるのだ。

コンテナ牽引車の荷台は、三十センチほどの間隔をあけて、仮設コンベアーと垂直に向かい合っている。と、例の女性が、荷台を人力で90度回転させた。あれっ、動くんだと思った。荷台の向きを変えて、コンベアーと接続しようというわけだ。三十センチの間隔は、そのために必要だったのだ。

それにしても、縦方向の荷台の向きが、横方向に、くるっと変わるとは、よく考えたものだ。だが、問題というものは、いつ何時でも起きるものだ。仮設コンベアーから、横向きになった荷台の上に、たしかにコンテナは移動できた。さて次は、このコンテナの乗った荷台を、元の縦方向に戻す作業だ。

ところが、それが、きちんと元に戻らない。押せども引けども、彼女一人の力では、びくともしない。何かが阻害している。下を覗いても、それが何なのかわからない。見るに見かねて、コンベアー担当の作業員が、手伝いに来た。こちらは男だ。しかし、二人して、押しても引いても、荷台に乗ったコンテナは動かない。

そのうち、タラップに居る昇降機担当の作業員の動きが止まった。飛行機の腹から次々と出てくるコンテナを下へ下せなくなり、見物状態だ。地上では、中途半端にずれてしまったコンテナを荷台の正常な位置に戻そうと必死だ。コンテナ搬出の作業が、この女性の、ちょっとした不手際で、すべてストップしてしまったわけで、これは、かなり焦るだろう。

どうなるのかと、こっちも気が気でない。すると、飛行機の尾翼辺りで、荷物の搬出作業していた作業員が、走って応援に来た。これで、荷台の周りには、三人の作業員がいる。力を合わせて、荷台を正常な位置に戻そうとしている。おそらく、コンテナの滑車が、荷台のレールの上にちゃんと乗っていなかったのだろう。その結果、荷台が不均衡になり、うまく回転しなくなったのだ。

三人の作業員が、力を合わせて、コンテナの端を持ち上げている。と、直方体の、非人間的なジュラルミンは、なんとか、荷台のレールにおさまったようだ。女性の作業員が、応援に来てくれた男の作業員たちに頭を下げている。尾翼の作業員は、また走って、自分の担当部署に戻り、コンベアー担当の作業員も、仮設コンベアーの横に戻った。

小型コンテナが、またコンベアーの上を動き始めた。搬出作業が再開されたのだ。その間、五分くらいあったろうか。しかし、今度は、失敗できないだろう、といらぬ心配をしながら、女性作業員を見ていた。問題は、やはり、くるっと横向きにした牽引車の荷台と仮設コンベアーとの接続だろう。その接続がうまくいけば、コンテナはすんなり牽引車の荷台のレールの上に移動できる。

だが、そこに、隙間があきすぎていたり、牽引車の荷台とコンベアーとが一直線でなかったりしたら、齟齬が起きる。つまりは、一番最初の、コンテナ牽引車の横づけがポイントだ。あの時点で、ぴたりと正確な位置に横付けできていれば、牽引車の荷台とコンベアーの接続は、ほぼ成功したようなものだ。しかし、前に書いたように、それには、かなりの熟練がいるように思える。

プレッシャーの中、果たして、彼女は、今度は、うまくできるのかな。横向きになった牽引車の荷台とコンベアーの間に、少し隙間があるぞ。あれで、コンテナが、すんなり、牽引車の荷台に乗るのかな。だが、あにはからんや、コンテナはガクンと動いて、横向きになった牽引車の荷台に移動した。そして彼女は、その荷台の上のコンテナを、両手で、くるっと90度回転させ、元の位置に戻した。

さらに、コンテナをぐいぐい押して、荷台の一番前まで移動し、固定した。ちなみに、六両編成の荷台は、つながると、いわば一本のレールになり、二番目の荷台を起点にして、コンテナを前にも後ろにも積み込むことができるようになっている。毎回、二番目の荷台を、横にしたり縦にしたりする必要はあるが、ま、すぐれものだ!

そのあとの作業は、順調だった。六個のコンテナを荷台に積み終え、彼女の運転する長いヘビはにょろにょろと、所定の位置に移動した。たしか、ヘビは三匹いた。そうだ、竹細工のヘビのおもちゃのようだと思ったのだ。

そいつは、たしか、緑色していて、目が赤かった。いくつかのみじかい節で接続されていて、ぎこちなく動く。にょろにょろした感じに造形することもできた。面白いような、それでいて、気味が悪いような気もした。誰に、どこで買ってもらったのかは思い出せない。ただ、小学校へ入る前で、三軒長屋のうす暗い納戸の中で、この緑のヘビと遊んだ覚えがあるのだ。

一日目 #4空間移動

羽田発エアドゥー77便は、出発が少し遅れるようだ。空港内の離着陸や清掃作業に手間取っているらしい。緊急事態宣言が全国的に解除されて、乗客の数が一気に増えたからだろう。ふり返ると、出発ロビーには、たくさんの人の頭が見えた。もっとも、遅れるといっても、たかが五分だ。問題はない。

十一時半になると、女満別便の搭乗が始まった。二時間半ほど待ったわけだが、待ちくたびれたという感じはしなかった。まずは、優先搭乗といって、赤ちゃんや小さな子供連れ、それに妊婦などが先に搭乗する。車いすなどもこの部類に入るようだ。その次は、後部座席の窓際の席から案内される。搭乗券に、グループ分けの番号があり、若い番号順に搭乗できる。自分は、1グループだったので、最初に搭乗できた。何事も一番初めというのは気分がいいものだ。

蛇腹の中を通って、機内に入った。中央通路を、キャリーバッグを後ろ手に引いて歩いたが、バッグが何回か、座席の角にぶつかり、歩行が滞った。通路が意外に狭いのだ。もっとも、バッグが縦方向に動けば、すんなり通れるわけだが、自分のキャリーバッグは横方向にしか動かない。四輪のキャリーなら縦方向へも動くが、二輪は横方向にしか動かないのだ。

カメラバックだからと、あえて自在に動く四輪ではなく、安定性のいい二輪にしたのだが、改めて今、押入からキャリーバッグを取り出して、ひっくり返してみた。たしかに車輪は二つで、反対側には、なんというか、細長い大きな手持ちフックのようなものが、底についている。なるほど、これなら、バッグが自立して立っていられるし、両手で持ち上げる時に便利だ。だが、機動性に問題があるとは、購入時には思い至らなかった。

自分の座席を確認して、そのキャリーバッグとリックサックを、頭上の荷物棚に横向きに入れた。ちょっと、重たいと感じだ。と、ちょうど通りかかった女性のアテンダントが、縦向きにできないかと言ってきた。なるほど、その方が荷物はたくさん入るわけだ。荷物の向きをすぐに変えた。そして、大きな蓋を両手で閉めた。出っ張ることはなかった。

その時ふと思った。手荷物の<機内持ち込みサイズ>というのは、おそらく、この荷物棚に収納できるか否かが、基準になっているのだろうな、と。たしか、縦・横・高さ総計が115センチ以内だったかな。それと、個数は二つで、総重量は10キロだ。しかし、自分の場合、重量は多少オーバーしているかもしれない。なにしろ、キャリーバッグが重いのだ。いや、この話はこのへんでやめておこう。ヤブ蛇になるといかん!

平日だが、席は四、五割うまっていたようだ。乗客が全員席に着くかつかないうちに、飛行機が、ゆっくり動き出した。たらたらと空港内を、いいかげん走った後に、大きく旋回して、滑走路に入った、のだろう。そこから、一気にスピードが増した。轟音が響き渡り、車輪のガタガタする音が尋常じゃない。パンクしたまま走っているようにも思えた。

そんなことにはお構いなしに、飛行機は、さらにスピードを増していく。なかなか離陸しない。気のせいか、ガタガタする音が小さくなった。と同時に、機体が浮き上がった。天空へ向け、斜め45度の角度で、有無を言わさず上昇していく。

見る見るうちに、地上の物体が、小さくなっていく。ふと、飛行機事故は離陸時と着陸時に可能性が高いのだ、と思った。それから、自動車の事故は、八十パーセントは交差点で起こる、とも思った。要するに、多少不安になっていたのだ。

窓に額をくっつけて、一心に地上を見下ろしていた。すでに、ちぎれ雲の上にまで到達して、さらに上昇を続けている。もうじたばたしてもしょうがないなと思った。この高さだ、いったん事が起きれば、命はあるまい。少し不安が和らいだ。デジカメを取り出して、窓越しに地上の光景を何枚か撮った。

ほぼ平静になった頃には、飛行機はすでに雲の上に到達していて、このうえもない青空の中を水平飛行していた。眼下には純白な雲の層だ。地上などは全く見えない。それでも、退屈まぎれに、窓の外を見ていた。

自分の席は、ちょうど、右主翼の後ろあたりだった。砲弾型のジェットエンジンと、翼がよく見えた。翼をよくよく見ると、なんだか作りがちゃっちいように思えた。ジュラルミン製なのだろうが、こんなんで、高度一万メートルを飛ぶことができるのか!我ながら、恥ずかしいほどの愚問だ。いま、実際に飛んでいるし、世界中で数えきれない飛行機が飛んでいる。しかも、墜落したという話は、めったに聞かない。

それから、これは、帰りの機内ビデオで知ったことだが、高度一万メートルで飛んでいる飛行機の速度は、時速700キロ以上にも達する、ということだ。にもかかわらず、いや、それゆえにか?飛行機は揺れもしないし、窓外の翼も、微動だにしない。雲の上の、真っ青な空の中で、停止しているかのようだ。

不思議な感覚だった。実際は、空の上を高速移動しているにもかかわらず、体感的には静止している。視覚的にも、高速移動している事象は確認できず、窓外には、翼と雲と青空の静止画が、べったり張り付いたままだ。

唐突に、人間は<偉大>でもあるし<不遜>でもある、と思った。<神の目>でしか見ることのできない光景が、眼前に広がっていた。人間は、限り無く<神>に近づこうとしている。しかし、それは<不遜>なのではないのか。おそらくは、近い将来、この人間の<偉大さ>と<不遜さ>が、人類の滅亡につながるにちがいない、とも思った。

やや哲学的なこと、ま、どうでもいいようなことを夢想しているうちに、眼下の雲の状態が変化してきた。雲の層に多少の凸凹があり、それが陰影を作り、まるで、雪原のようだ。そう、雪原の上を飛んでいるような感じだ。ここはどこなのか?南極か?北極か?はたまた、アラスカなのだろうか?なんだか、愉快な気分だ。感動していたといってもいい。何枚か、デジカメで写真を撮ったが、デジカメ画像と脳内の感動との落差が大きすぎる。すぐに撮るのをやめてしまった。

しばらくは、字義通り、雲の上に居るような気分だった。幸せな時間だったと思う。しかし、毎度おなじみで<しあわせ>などというものは長続きしない。機内アナウンスがあり、じきに降下を始めるとのこと。そうなれば、席から立つことができない。トイレに立った。最後部のトイレまではすぐだ。ドアの前に立つと、中から女性アテンダントが出てきて、鉢合わせになった。なんだか、ばつが悪かった。いや、生々しい現実に引き戻された気がした。

狭い密閉空間で用を足し、席に戻った。いくらもしないうちに、シートベルトの点灯ランプがついた。アナウンスがあり、機体が降下し始めた。といっても、いらいらするほどゆっくりだ。高度一万メートルから、徐々に高度を下げながら、着陸するのだから、当然だろう。

そうだ、言おう言おうを思って忘れていたが、二つ前あたりの座席の上の天井から、小型テレビが吊り下がっていたのだ。こいつは、離陸時にも、天井から降りてきて、緊急時の酸素マスクや救命胴衣の説明ビデオを流していた。今、画面には日本地図があり、その上を飛行機のアイコンが刻一刻、少しずつ移動している。むろんこれは、現在位置を明示しているわけだ。その際、時速とか飛行距離とか到着時間とかの情報が、その都度提供される。アニメーションの質も高く、カット割りなども、よく工夫されていて、なかなか面白い。

高度は、6600メートルほどだったと思う。ちょうど、釧路市辺りから北海道の上空に入り、そのまま北上しながら降下し続け、女満別空港に着陸しようとしている。こうしたことの、ほぼすべてがテレビ画面に、アニメーションで映し出されている。ちなみに、これまで飛んだルートも示されている。羽田空港から八戸までは、太平洋岸の陸地の上を飛んで、そのあとは、太平洋の上を飛んで、北海道に来たのだ。

高度が下がってきた。機体が下に傾いている。そのうち、雲の中に入ったのか、まったく何も見えなくなった。また、やや不安になった。前が見えなくても大丈夫なのか?最低な質問だ。<レーダー>というものがあるだろう。

テレビ画面を見た。高度は3000メートルくらいに下がっていた。日本地図上の、飛行機のアイコンも、釧路市と網走市の真ん中あたりに移動していた。もうすぐだなと思ったとき、たしか、機長のアナウンスがあった。この先、気流の関係で少し揺れるが心配ないとのこと。

そのうち、窓の外が明るくなった。千切れ雲の間から、地上の事物が見えだした。離陸時の首都圏の光景とは全く違っていた。なだらかな丘に緑や茶色の畑が、うねうねと、きれいに並んでいる。その一角に、オレンジ色や青色の屋根だ。かまぼこ型の大きな建物が見える。まわりには、小さな建物が幾つも寄り添っている。

周辺には、まだ林なども残っていた。この100年の間に、人間が原生林を開墾して、食物の取れる畑を作り出したのだろう。その連綿たる労苦!!!ま、とにもかくにも、眼下には北海道の牧歌的な光景が広がっていたのだ。

飛行距離、約1000キロ。1000キロも北に移動したのか、という感じはしない。ほんの数時間、飛行機に乗っただけだ。だが、空の上から、いわば<神の目>で、いろいろ見られたし、なかなか楽しい空の旅だった。

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2024

01/08

Mon.

10:26:52

<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版 

Category【灯台紀行 網走編

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<日本灯台紀行・旅日誌>2021年度版

11次灯台旅 網走編

2021年10月5.6.7.8日

一日目 #1プロローグ

七月の、男鹿半島旅から帰ってきて、三か月ほどたった。入道埼灯台の写真補正や長文の旅日誌は、さほど苦労もせず、八月中に終えた。九月に入ってからは、懸案だったベケットの<マロウンは死ぬ>朗読#1に取りかかり、こちらも、ほぼ一か月で終了した。

その間、首都圏を中心に、<コロナ感染>が爆発的に広がり、緊急事態宣言などが、全国的に発出されていた。とはいえ、ワクチン接種もかなり浸透して来て、自分も八月下旬には二回目の接種を完了した。これで、安心して、どこへでも行けるようになったわけで、気分的にかなり楽になった。

ところで、男鹿半島の入道埼灯台は、自分的にはかなり気に入っている。その主なる理由は、これまでに見たことのない白黒の灯台だったからだろう。雪が降ると、白一色になり、白い灯台は見えなくなってしまうらしい。そこで、白と黒に塗り分けた。たしかに、その方が、海上からは見えやすいのだろう。ちなみに、雪国などには、白と赤に塗り分けられた灯台もかなりある。だが、こちらは、いまいち、<渋さ>に欠ける。好みではないのだ。

ふと、きまぐれに、白黒灯台の画像をネットで検索した。と、その中で、特に目を引いたのが、<能取(のとろ)岬灯台>だった。この灯台は、北海道網走付近の能取岬にあり、大きさ的には中型灯台だが、周囲のロケーションがとてもいい。広々した、緑の芝草広場の中に、八角形の白黒灯台がポツンと立っている。この風景は、かなり好きだ。だが、場所が北海道だ。よくは知らないが、気候的に、遅くとも、十月の中旬までが写真撮影の限界だろう。

<マロウン>朗読#1にケリをつけ、能取岬灯台の下調べを始めたのは、九月の下旬だった。まず、最初に調べたのは、天気だ。最低、中二日晴れなければ、撮影の予定はたたない。なにしろ、場所は北海道だ。はい行きました、はい曇りでした、ではすまないのだ。金も時間も気分も、すべてを台無しにしないためにも、十日間天気予報をしょっちゅう見ていた。

ところがだ、ころころころころ、天気予報が変わる。ひどい時には、半日おきに変わる。これでは、予定が立てられないではないか!とはいえ、そのほかのこと、飛行機とかレンタカーとか宿とかの下調べはした。飛行機は、羽田から女満別まで、エアドゥー。レンタカーは女満別空港でNレンタカー、宿は網走駅付近の大手ビジネスホテル、とまあ、ほぼ決まった。あとは天気なのだ。

十月になった。なぜか、コロナの感染者数が激減したので、緊急事態宣言が全国的に解除されることになった。これはいい、堂々と旅行ができる!それに、天気予報も、なぜか、奇跡的に、晴れマークが並び始めた。当然だろう、だいたい、十月になれば、運動会の季節だ。天気が安定し始める、秋晴れの季節なのだ。

待ってましたとばかりに、飛行機、レンタカー、宿の予約をした。出発は、四日後の週半ば、三泊四日の日程だ。直前に予約があっさり取れたのは、やはり、北海道観光としては、季節が遅すぎるのだろう。でも、まだ、凍えるほどの寒さではないはずだ。

観光としては、いわゆる、オフシーズンに入っている。目星をつけていた、飛行機と宿とがセットになった旅行プランに空きがあり、別々に予約するよりは、一万円ほど安い。それに、これまたなぜか、レンタカーも割安、ま、一気に事が進展したわけだ。

木曜日の深夜に、すべての予約を取った。普通に行くより一万五千円ほど<お得>になった感じで、気分はいい。来週火曜日、午前十一時の羽田発の飛行機だからと、逆算して、明日からの旅行準備の日程を、頭の中で算段した。

あとは、北海道網走方面の、今の時期の気温が気になった。天気予報によれば、旅中の昼間の最高気温は20度前後、最低気温は10度前後だ。さほど心配することはない、と思ったものの、一応、防寒着など、寒さ対策をしていくことにした。

金、土、日で、やりの残したこと、といっても、たいしたことではない、階段や庭の掃除だ。これは、かがむ姿勢がきついので、何回か分けてやっていたのだ。ま、どうでもいいことだが、一応のけじめをつけた。そして、月曜日の午前中には、カメラや衣類のパッキングも終わり、キャリーバッグとリックサックを、玄関先に持って行った。準備完了というわけだ。

あと、今回は、灯台周りの撮影ポジションについては、さほど念入りには調べなかった。なにしろ、灯台の周りは広い広場で、どこが<ベストポジション>なのか、などという問題は、設問自体、意味をなさないような気がした。要するに、現場に行ってみなければ、確定できる問題ではないのだ。

それに、灯台の立っている岬の左右に、でっぱりというか、別の岬はないわけで、いわゆる横から撮ることもできない。さらに、灯台は、目のくらむような断崖絶壁のうえに立っているので、下の波打ち際に下りていくことなども到底できない。

以上のことから、現地に入って、灯台の周りを撮り歩きしながら、<ベストポジション>を探るしかない、と結論した。いや、実を言えば、すでに、この<ベストポジション>という考え方は、なかば放棄している。というのは、太陽の位置次第で、<ベストポジション>も変化する、ということを経験したからだ。つまり、<ベストポジション>などというのは、灯台の写真撮影では、まさに机上の空論で、役に立つ概念ではないのである。

それよりは、灯台が目視できる場所を、いわば、ローラ―作戦的に、すべて撮り進めていく方がいいような気がしている。撮影後に、その中から、気にいったものを選べばいい。要するに、<下手な鉄砲数撃ちゃ当たる>といったことか。

全ての準備が終わり、月曜日の午後は、網走付近の観光地を少し調べた。時間があったら、寄ってみようというわけだ。有名なところは<網走監獄>だ。ただ、これは数十年前に一度行ったことがある。今回、あえて行く気にもなれない。あと目ぼしいものは、<メルヘンの丘>。これは、通る道沿いにあるのだから、当然、寄れるでしょう。

<大曲湖畔地、ひまわり畑><フラワーガーデン・はなてんと>というのもあるぞ。ひまわり畑にお花畑か、イマイチ気持ちがうごかない。あと<卯原内サンゴ草群落地><網走海岸>、このふたつは、時間があったら、寄ってもいいなと思った。

さてと、明日は朝の七時前に家を出て、七時十六分の電車に乗る。ということは、六時前に起きる必要がある。いつも通り、夜の六時半頃に夕食を食べ、八時にはベッドに入った。一応、目覚ましをセットした。眠れないと思ったが、消燈すると、すぐに眠ってしまったようだ。

一日目 #2出発

数時間おきに、夜間トイレで目が覚めた。これはいつものことだから、ほとんどストレスは感じない。朝の五時、目覚ましの鳴る前に目が覚めた。あと一時間寝ていてもいいのだが、すでに覚醒している。ベッドでぐずぐずしている理由は何もない。スパッと起きた。

ゆるゆると、時間を気にせずに、洗面、朝食(お茶漬け)をすませ、着替えた。排便は少量。六時過ぎにはすべてが完了していた。予定では、七時十六分の電車に乗ることになっている。だが、七時台からは通勤ラッシュが始まる。それに比べて、六時台の電車は、かなり空いているようだ。昨晩、ふと気になって、ちょっとネット検索したのだ。

重いキャリーバッグと大きなリックサックを背負っている。できれば満員電車に乗りたくなかった。早めに出て、早めに着いて、空港ロビーで、居眠りすればいい。案の定、電車は、まだ空いていた。次の次の駅で、前に座っている人が降りたので、座れたほどだ。その後も、終点まで、混みあうことはなかった。

時間に余裕があったので、気持ち的にも余裕が生まれ、乗り継ぎ駅での、エレベーターやエスカレーターの位置を覚えておこうと思った。なにしろ、カメラ二台の入っているキャリーバッグが重い。それを片手で持って、駅の長い階段を登るのが、やや負担なのだ。今回覚えてしまえば、この先、さらに体力がなくなっても、羽田空港への電車移動は、それほど苦にはなるまい。

山手線外回りの電車も、さほど混んでいなかった。そして、最後の乗り換え駅、浜松町のモノレール乗り場の改札を通ったのは、午前八時過ぎだった。エスカレーターに乗ってホームまで行くと、電車(モノレール)待ちの長い行列だ。この時間帯、こんなに混んでいるのかと思った。ま、満員になるほどではないが、座席はそこそこうまってしまった。

電車(モノレール)の中央には、腰高の荷物置き場がある。そこに重いキャリーバッグとリックをおろした。周りを見回した。座れないこともない。が、荷物置き場の横に立っていた。ここまで、ずっと電車で座ってきたのだ。座るのにも多少飽きている。それに、モノレールの座席は窮屈そうだ。

モノレールは多少揺れていた。手すりにつかまりながら、立っていたので、窓外の写真は撮らなかった。いや、出雲旅の際に一度撮っているので、撮る気になれなかった。何度も撮るような景色ではないのだ。

羽田空港に着いた。まだ八時半だった。出発まで三時間ほどある。早すぎるな、と一瞬思ったが、空いている電車で、のんびり来られたのだから、やはりこの方が正解だろう。だだっ広い出発ロビーを見回した。おそらく、エアドゥーの搭乗口は、一番左端で、ここからはよく見えない程遠い。念のためというか、すぐ横に案内所があったので、そこの若い女性に、搭乗に必要なQRコードのコピーを見せた。彼女は、丁寧に案内してくれた。搭乗口は、思った通り、一番左端だった。

向き直って、正面左端の搭乗口カウンターへ行き、改めて、QRコードを見せた。名前と座席の確認をされ、保安検査へと進んだ。キャリーバッグとリックサックを、それぞれ、平べったいプラのかごに入れた。ポシェットはリックの上に重ねた。これは、そのあとすぐに、係員によって直された。すなわち、ポシェットは別のかごに入れられた。

金属感知器の前に進んだときに、腕時計はいいんですかと、脇に立っていた職員に、間抜けな質問をしてしまった。にべもなく、大丈夫ですと言われて、そうだ、前回も大丈夫だったのだと思った。

そのまま進んで、コンベアーの先端まで行き、流れて来るであろう荷物を待った。黒いゴムのような仕切り板の中から、まずキャリーバッグが出てきた。それを下におろし、続いて出てきた、リックとポシェットをその場で身につけた。その際、出口のところで、黒っぽい若い奴が、係の女性から、何か言われていて、持ち物検査をされていた。バールのようなものが、金属探知機に察知されたようだ。脇には、警官がいた。ちらっと見た感じでは、アウトドア用の小さな万能ナイフのようなものだった。

さあてと、エアドゥーの二番搭乗口はと言えば、これまた、一番左端にあるらしい。途中、ところどころ<動く歩道>があるものの、かなり歩かされた。<エアドゥー>が<ANA>より格下なのは知っていたが、これほど冷遇されているとは思わなかった。

これまで、と言っても二度ほどだが、格安航空は使わないで、<ANA>と<JAL>を使ってきた。<格安航空>という言葉に、何となく不安を覚えたのだ。しかし、今回、女満別までの直行便は、<エアドゥー>しかないのだ。いやこれは思い違いだ。<JAL>にも女満別行きの直行便はある。今ネットで確かめた。ではなぜ、<JAL>を使わなかったのか?出発時間や料金の問題なのだろうか?ま、いい、忘れてしまった。

九時前には、エアドゥーの搭乗口前のロビーに着いた。ほとんど人はいなかった。出発時間までには、まだ二時間半くらいある。ゆっくりしよう。自販機で、ボトルの缶コーヒーを買って、窓際の席に陣取った。着くのが早すぎたことについては、反省も後悔もない。なにしろ、時間ギリギリで、いらいらすることが、一番嫌いなのだ。それに、時間は、とりあえず、山ほどある。

それにしても、早すぎるな。あと一時間くらい遅くても問題はない。と思ったそばから、電車が遅延したらどうするのだ、という不安がよぎった。そんな時に対処するためにも、このくらいの余裕があった方がいい。利用している私鉄は、しょっちゅう人身事故で不通になっているではないか!

小心で、臆病で、用心深い。不安神経症的な性格が、年を経て、さらに鮮明になってきた。いや、受け入れられるようになった、と言っておこう。

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2024

01/02

Tue.

17:28:07

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Category【灯台紀行 男鹿半島編

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<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島編

#10 三日目(2) 2021年7月16日

帰路1

帰路2

二泊三日の男鹿半島の旅は、もはや、実質的には終了していた。レンタカーを返すまでの時間調整で寄った<道の駅おが=なまはげの里オガーレ>の駐車場は、カンカン照りで、いや~、暑いのなんのって、車の中に入った瞬間、汗が噴き出した。すぐにエアコン全開、運転席側のドアを半開きにした。さ~てと、帰るか。<12:00 出発>、男鹿市を後にした。

すでに、完全に、帰宅モードになっていた。途中、コンビニで、コーラとあんパンを買って、車の中で食した。あとは、秋田市の市街地に入り、セルフで給油をした。レシートを見ると、¥2200ほどだった。リッター¥154で、14Lほど入れたわけだ。ということは、三日間で、どのくらい走ったんだ?車の燃費が、リッター17キロくらいだから、ま、200キロ以上は走ったわけだ。

レンタカー代が約¥13000、ガソリンが約¥2000、合計で¥15000。新幹線が往復で約¥30000、よって、交通費の合計は¥45000。妥当だなと思った。旅の余韻を楽しむのではなく、<せこい>カネ勘定をしながら、秋田駅のNレンタカーへ向かった。

途中、深い緑色の、小高い丘の上に、小さな天守閣のようなものが見えた。秋田にもお城があったのか、とその時は思った。今調べてみると、それは、<千秋公園>内の<久保田城 御隅櫓>を復元したものだった。ちなみに、<久保田城>は、家康に改易された佐竹義宣が築城した、天守も石垣もない平城だ。秋田県は江戸幕府開府以来<久保田藩=秋田藩>であり、禄高二十万石の大名、佐竹氏が統治していた国だった。この歳になって、ちょっとした<うんちく>を仕入れたわけだ。

さてと、Nレンタカーに到着した。時間的には、13時半前だったと思う。若くて元気な、小柄な女性が応対してくれた。なにやら、現金で¥650 、返金してくれるようだ。それと、東北で今年いっぱい使える、Nレンタカーのクーポン券¥500分をくれた。返却時間がはやかったので、当初の契約をいったん解約して、その後に清算したらしい。とにかく、少し安くなったので、文句はない。

女性の元気な声に送られて、営業所を後にした。いやはや、なんという暑さだ!秋田駅に着いたのは、午後の二時前だった。帰りの新幹線は<16:12分 こまち38号>、まだ、二時間以上もある。時間調整だな。新幹線の改札口の前で、辺りを見回した。東口と西口を繋ぐ、駅構内の広い通路の真ん中に、太い柱が何本か間隔を置いて並んでいて、その下部にはドーナツ状のベンチがある。改札の向かい側は店舗で、ずらっと並んでいる。

そこに、観光案内所のような待合室のような場所があった。これ幸いと、キャスター付きのカメラバックを、ゴロゴロ引きながら中に入った。意外に混んでいる。教室ひとつ分くらいの広さだ。幅広のソファーが並んでいて、窓際はカウンター席、透明の仕切り版がついている。立ち止まった。座る席がないことはない。というのは、<コロナ>を警戒して、ソファー席は、みな、ひとつ置きに座っているからだ。

一方、カウンター席の方は、びっしり埋まっている。若いやつらが、飲み物をそばにおいて、パソコンやらスマホやらをいじっている。今風の光景ではあるが、奴らが列車や新幹線を待っているようには見えない。駅の待合室を喫茶店代わりにしているんだ。少し迷ったが、突っ立っていてもしょうがない。通路際の空いているソファーに腰かけた。

ふ~、まあまあ涼しい。だが、目の前に自動ドアがあり、開いたり閉まったり、人の出入りが激しい。それに、斜め後ろの、中年の太った男が、でかい声でスマホで話し始めた。すぐ終わるのかと思いきや、延々と話している。どういう神経をしているのか!うるさくて、ゆっくりできない。チェッ、舌打ちこそしなかったが、立ち上がって待合室を出た。左手には、階段があり、降りたあたりに<スターバックス>があった。外から店内を覗いてみた。ま、座れないこともない。だが、そうだ、<スタバ>の腰掛は窮屈なんだ。それに、コーヒーを飲みたいわけでもない。引き返した。

階段を登って、先程、ちらっと見た、通路のドーナツ状のベンチに近づいた。幸い、誰も座っていないベンチがあった。ただ、腰かけるところが、木製なので、座り心地はよくない。むろん背もたれもない。が、真ん中のぶっといコンクリの柱に木片が巻き付けられている。寄りかかれないこともない。それに、通路が広いので、そばを人が通ることはない。待合室より静かだし、解放空間だから<コロナ>の心配もない。

軽登山靴を脱ぎ、靴下も脱いだ。両足を投げ出し、くつろいだ気分で、回りを見ることもなく見ていた。すぐ目の前には、立ち食い蕎麦屋があった。匂いがしてきたので、食べたいような気もした。が、いましがた脱いだ靴をまた履くのが億劫だった。首を垂れ、目を閉じていると、しだいに、体の力が抜けていくのがわかった。

ふと気づくと、右横背後で、何やら話し声が聞こえた。ドーナツベンチだから、ふり返らないと、誰なのか見えない。姿勢をかえるフリをして、ふり返った。婆さんが三人いた。手荷物が床に置いてあるので、列車待ち、新幹線待ちだなと思った。場所移動するのも面倒なので、先ほどの体勢に戻って、目を閉じた。

婆さんたちは、たがいに、ひっきりなしに話していた。だが、話し声が気に障るほど大きくはない。聞くともなく聞いていた。と、ああ~、これが秋田弁なのか?いわゆる<ズーズー弁>ではなく、どことなく、品がある。とはいえ、話している内容が、ほとんど理解できないので、話し声を<音>として聞いていた。

補注:<ズーズー弁>は、東北方言の俗称らしい。ただし、差別的な意味合いがあり、いわゆる<差別用語>だ。たしかに、東北六県の方言を<ズーズー弁>の一語で括るのは、乱暴だろう。青森と福島とでは、言葉の聞こえ方がかなり違う。おそらく、これは、都市民の地方民への根拠のない優越感や差別意識が根っこにあるような気がする。

婆さん三人が、すぐ隣、というか後ろで話しているにもかかわらず、うとうとしてしまった。・・・初めてのひとり旅。若い頃だ。夜行列車で上野から青森、さらに、陸奥まで行った。目的地は、<恐山>。季節は二月の半ば、真冬だった。・・・<恐山>行きのバスは運行中止になっていた。このまま帰るわけにもいかず、予定を変更して、当時のバス路線の終点<佐井>まで行くことにした。・・・朝の八時頃だったのだろうか、蒸気で濛々としている駅の待合室だ。木のベンチに腰掛け、うとうとしながらバスを待っていた。・・・ほっかぶりした婆が多い。しかも、喋っている言葉が、まったく理解できない。興味半分に、そばに座っている婆の顔を覗いた。婆じゃない!色白のふくよかな中年女性だ。唇がうっすら赤い。厳しい自然と辺境の生活が、女性をすぐに婆にかえてしまうのだ。

意識が遠のいていた。いい気持ちだった。窮屈な姿勢なので座りなおした。と、婆さんたちが立ち上がって、あいさつを交わしている。荷物を手に持って、改札口のほうへ向かっていく。なるほど、新幹線待ちではなく、列車待ちだったのだ。

秋田駅からは、能代・五所川原、弘前・青森へ行ける。あるいは、南下して、酒田・鶴岡、さらには村上・新発田・新潟にまで行ける。秋田駅は、いわば、日本の豪雪地帯の交通の要なのだろう。はたして、三人の婆さんたちは、それぞれ、どこへ向かうのだろうかと、一瞬間、思った。

帰路2

婆さんたちが立ち去った後も、なおしばらく、ベンチに座っていた。だが、目をつぶっても、頭がはっきりしている。腕時計を見たのか、改札口の時刻表示板を見のか、まだ三時過ぎだった。三時半になったら、新幹線のホームへ行こう。そのあいだ、通路を行き交う人間たちを眺めていた。

若いおしゃれな女性が多い。グループの女子高生なども、どことなくあか抜けている。むろん、観光客もいたが、こっちは、老若男女、みな観光スタイルだ。あとは、ワイシャツ姿の出張族だな。と、先ほど、スタバに入って行った男女が、何か話しながら、また、目の前を通り過ぎて行った。男はやや太り気味の中年の上司で、女は二十代の部下だろう。多少、情が通い合っているようにも思える。ま、すべからく、見ていて楽しいのは、人間の女性だ。本能なのだろう。

さてと、時間だ。新幹線の改札を通った。階段を下りて、ホームの先端の方へ歩きながら、座るところを探した。人間はほとんどいない。乗車口番号を確認して、そのすぐ近くのベンチに腰をおろした。靴と靴下を脱いで、くつろいだ。吹き抜けていく風が涼しくて、気持ちがいい。

目の前の、線路際の道沿いには、駐車場あり、時々、車が出入りしている。おそらく、右手の大きなビルの駐車場だろう。目の端にちらっと、ジグザグに上昇する非常階段、その踊り場に、ワイシャツ姿の人間が見えたような気もする。

静かだった。旅が終わった、という感傷よりは、今回も無事に旅を終えられた、という安堵感の方が強かった。それに、日常生活に戻るのが嫌でもなかった。涼しい風が足元を流れていく。また、うとうとしたようだ。

ホームのアナウンスが、はっきり聞こえた。そろそろ出発の時間だ。靴を履いていると、階段の方から、ワイシャツ姿の出張族が、四、五人、やってきた。がやがやしながら、陽のあたる、ホームの先端の方へと歩いて行った。立ち上がってバックを背負った。じきに<16:12分 こまち38号>がすうっとホームに入ってきた。

座席番号<14号2番D>をたしかめ、窓際の席に着いた。通路を、乗客が通り過ぎていく。意外にたくさん乗ってくる。なるほど、金曜日の遅い午後だから、出張族が都会に戻るんだ。途中、大曲駅でも、けっこう乗ってきた。人間が隣に来なければいいなと思っていると、真後ろに爺が座ってしまった。気が弱いので、座席のリクライニングを戻した。うしろから、なにか声が聞こえたが、口ごもってしまい、ちゃんとした返事は返さなかった。

爺には、何人か仲間いて、それぞれ、窓際の席に陣取っているようだ。そのうち、後ろでガサガサ、ガサガサ、音が聞こえる。駅弁でも食べているのか、それとも、新聞でも読んでいるのか、やけに長い。

かなりの時間がたち、やっと静かになった。座席のリクライニングを戻したので、やや窮屈な感じがしてきた。とはいえ、また下げるわけにもいかず、我慢していた。と、携帯の着信音が列車内に響き渡る。ああ~ん!うしろの爺だ。大きな声でしゃべり始めた。ちょっと、こみ入った内容だ。すこし声を潜めたが、ほとんど筒抜けだ。しかも、これまた、くどくどと長い。相手も年寄りなのだろう。

ようするに、仲間の一人が、部屋から何も言わずに出て行った、とか何とかで、グループ内でのいざこざだな。聞きたくもない、他人の痴話話を聞かされている。まったく!と思いながらも、じっと耳をすませていた。そのうち、やっとのことで長電話が終わった。やれやれ。と、おもむろに、爺が立ち上がった。こんどは、通路に突っ立って、後ろの連れに、話の内容、事の顛末を、これまた、くどくど話し聞かせている。もう勘弁してくれよ。無視して、目をつぶっていた。そのうち、さすがに遠慮したのか、二人して、トイレのある連結部の方へ行ってしまった。列車内は静かになり、新幹線の走行音しか聞こえなくなった。

その後は、窓の外の、流れる景色をぼうっと眺めていた。途中、何度かうとうとしたのかもしれない。まもなく盛岡駅に着いた。一時間半かかっているはずだが、気分的には、あっという間だった。盛岡では、何人かが降り、何人かが乗ってきた。

走りだすと、これまでとは比べ物にならないほどのスピードだ。<こまち>の最大速度に近い、時速300キロくらい、出ているのかもしれない。陽はしだいに傾き始め、山並みの上に、巨大な積乱雲が現れた。その雲が、オレンジ色に少し染まっている。だが、<こまち>は、恐ろしいほどの速さで、巨大雲たちを次々と追い越していく。

少し赤みを帯びた太陽が、少しずつ少しずつ、山の端に近づいてきた。そのあたりが、きれいに染まっている。お~、車窓から、夕陽が眺められる。初めての体験かもしれない。はじめのうちは、夕陽は、窓枠の中央にあった。時速300キロだ。しだいしだいに、夕陽は窓枠の右側に移動していく。一緒に、首も右にまわっていく。

見た目には、地球の動きをはるかに超絶した速度だ。だが、なにか、引っかかった。このスピードは、手放しで感動できない。むしろ、うしろめたい、ような気もした。地球の表面に生息している以上、地球の動きは、生存の大前提だろう。だが、人間だけが、その大前提を踏み越えている。その行き着く先は、もはや明白だ。といっても、自分も人間だ。どうしようもないではないか!諦念と憤怒。<時速300キロ>で移動しながら、ちと哲学的になった。

すでに窓枠の中に夕陽はなかった。態勢をかえて、後ろを振り返った。夕陽が、まさに、山並みに沈む瞬間だった。旅が終わった、と思った。

2021-14.15.16日、二泊三日 男鹿半島旅の収支。

新幹線往復¥29160 Nレンタカー¥12738
男鹿XXXX閣¥21700 ガソリン・走行距離約230キロ・¥2200
観光¥300 お土産¥770 飲食等¥2130
総支出¥69000

以上。

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