此岸からの風景
<日本灯台紀行 旅日誌>オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです
2019
11/24
Sun.
12:44:55
第二次入間川写真紀行2019
Category【第二次入間川写真紀行】
2019/10/30(水)晴れ。<入間川写真紀行2-4>
十時半出発。安比奈新道経由、柏原住宅団地を通り抜け、入間川左岸を遡上。根岸の交差点を直進して、一つ目か二つ目の歩行者用信号を左折。すぐに突き当りになり、笹井の堰が目の前に見える。脇に小さな公園などもあり、車を止めるスペースもある。
この堰は、笹井ダムともいうが、高さ二メートルほどの、少し反り返ったコンクリたちが、川の流れをせき止めている。もっとも、そのコンクリの間とか、監視塔の下とかに、魚道が整備されていて、多少は環境への配慮がなされているようだ。
せき止めた水は、農業用水に利用されていたようだが、今はどうなっているのか?そもそも、この堰は、いつごろできたものなのか?ネットで調べても、正確な情報が出てこない。入間市に資料があるようだが、わざわざ調べなくてもいいだろう。コンクリの風化具合からして、ざっくりした話、五、六十年前の建造物ではないだろうか?
ちなみに、ついでのネット知見だが、この堰の少し上流で<アケボノゾウ>や<メタセコイヤ>の化石が出たそうな。これまた、おおざっぱな話だが、100万年も前のものだという。気の遠くなる話だ。
そんなこんな、きれっぱしの情報を見ながら、ふと思い出したのが、この堰の上流にある崖のことだ。この崖は河岸段丘だろうと思うのだが、十数メートル以上もあり、辺りはうっそうとしている。ホームレスっぽい、いや、地元のオヤジかもしれないが、釣り場のような感じになっている。というのも、汚いベンチや椅子が散見され、台の上にはタオルやペットボトル、むろん、釣り竿も何本も見えたからだ。
部外者が入り込めないような、ちょっと不穏な雰囲気が漂っている。とはいえ、一応、狭いながらも河原なので、かまうものか、カメラをぶら下げて探索したことがある。ま、いろいろあって、俺もかなり捨て鉢の気分になっていたころだ。そのころは、入間川の河原を逐一歩いていて、しょっちゅうホームレスに出っくわしていた。
崖の下に、風体の悪い奴を発見して、ちょっとギクッとしたが、何食わぬ顔で通り過ぎ、狭い河原の切れるところまで行って、下流の堰などをぼんやり眺めた。ついでに写真も撮って、引き返しと、真夏だというのに、焚火をしている。目の端に、エロ雑誌のグラビア、年増の豊満な乳房、悩ましい表情が燃え上がり、みるみる黒い灰になっていく。
そいつは、ちらっと俺のほうを向いて、卑しい照れ笑いをした。下劣な野郎だ!なんだか、とっても嫌な気分になった。言ってみれば、どす黒い衝動が、うっそうとした崖の下に渦巻いていたのだ。
今はもう、その場所に行く気にはなれない。ただ思い出しただけだ。笹井の堰と豊水橋を、今日は撮りに来たのだ。…あの時に比べ、カメラの性能もよくなり、写真の腕も上がった。それに、何よりも心配事がなくなった。いやちがうな、両親二人を看取って、気持ちが軽くなっている。さばさばした感じで、妙に心が静かだ。川の流れ、堰にとどろく水しぶき、河原に生い茂る雑草、見捨てられたような、それでいて、存在感のある古い構造物、そういったものを眺め、写真に収めたいと思っているのだ。
軽登山靴に履き替え、堰の周辺を歩きながら写真を撮った。お昼前後、左岸側はちょうど逆光。先日の台風、大雨などにより水は濁っている。水量も多い。材木や河原の木々が監視塔に引っかかっていて、濁流の凄まじさが想起される。
護岸沿いには遊歩道がある。これは以前にはなかったが、表面に敷かれていたアスファルトが、濁流に流されてしまったのだろう、あちらこちらに、その残骸が散らばっている。遊歩道は、そうだな、およそ100メートルほど壊滅状態。ところどころに、大きな穴が開いている。
台風、大雨の影響は、かなり甚大で、この場所も、以前のような静かなたたずまいを取り戻すには、かなりの時間がかかるだろう。そんなことを思いながら、車に戻った。途中、河原への入り口に、キバナコスモスなどが、少し咲いていた。センダングサなども、斜面のわずかな場所で繁茂している。荒れた感じの、茶色の河原に、植物たちの緑が目に優しかった。
来た道を戻って、根岸の交差点を右折、豊水橋を渡ったところで逆Vを切って、河川敷に入る。ここは、橋の下の広場のような感じで、かなり広い駐車スペースになっている。上流側が、大きな運動公園になっていて、野球場やテニスコートなどがある。豊水橋は、左岸側には駐車スペースがないので、いつもここに車を止めて、橋の上に上がる。
上流側の眺めはいい。目を凝らすと、先ほどの笹井ダムが見える。その向こうには、山並み。一方、下流側の景色は、あまりぱっとしない。が、堰を見下ろせるし、そこには魚道がある。魚道というのは、魚が上流にのぼれるようにしている構造物のことで、笹井の堰にもあったが、豊水橋の魚道は立派なもので、来るたびに、そばまで行って眺めている。
というわけで、橋を渡り、右岸側に出て、急な護岸を斜めに下った。こういう時に軽登山靴が役に立つわけだ。このとき、必ず目に入るのが、豊水橋(とよみず)の下にあるホームレスの住居だ。橋の横幅が広いうえに、高さが地面すれすれ、といっても二、三メートルはあるが、とにかく、野営するには都合がいいのだろう。
橋の真下には、車が何台も止まっていて、その周りに生活用品などが取り散らかっている。かなり広い感じで、生息していたのは、一人や二人ではなさそうだ。ここも、以前は昼間から、酒盛りしているような不穏な雰囲気があった。脇を通り過ぎるときは、なすべく眼を合わすまいとしたものだ。
でもまあ、先日来の台風、大雨、濁流を何とかしのいだのだろうか?冠水した衣類などがその辺に干してある。住居と命は大丈夫だったのか?来るたびに、忌々しく感じていたホームレス軍団だが、今日は、ふと仏心が出た。
堰の狭いコンクリの上を歩いていくと、魚道がある。そこに、爺さんが釣り糸をたらしている。ちょっと会釈して、よけるような形で脇を抜けた。魚道は、濁った水でゴーゴー音を立てていた。この激しい水流に逆らって、魚たちは、上流へ行けるのだろうか?今、そう思った。
いつもは、急こう配の、三十センチ幅の魚道の縁を、そろそろ歩いて下まで行く。が、今日は無理だろう、何しろ水流が多いし、万が一にも、足を踏み外さないとも限らない。そうなったら、カメラがおじゃんだ。いや、カメラどころの話ではない。…歳を取るということは、こういうことか、危ないマネには、自然と抑制が働く。
車に戻った。折り畳みチャリを下した。右岸側の運動公園を遡上して、笹井のダムへ向かった。途中、川の向こう側、左岸の岸辺に釣り人が結構いる。あの辺にも、ジジイたちのたまり場があったような気がする。が、今日は平日だというのに、比較的若めの奴が多い。あんな濁った水の中に、魚などいるのだろうか?
チャリは快適だった。風を切って走っていると、気持ちが軽くなっているのが感じられた。運動公園が終わり、堰へ行くには、
そこから護岸の縁を伝わっていくしかない。いつぞや、テントを張ってカワセミを撮っている男と遭遇したところだ。まさに、その護岸の縁に、変な小男がいる。ジジイだ。いったい何をやっているのか?不審な感じ、チャリも古びているし、普通に散歩に来た感じではない。
ま、いい。縁を、チャリを引いて、護岸が尽きるところまで行った。チャリに鍵をかけて、荒れた河原に下りた。誰も来ないだろうけど、万が一、眼を離したすきに盗まれるとも限らない、振り返って、緑色の真新しいチャリを見た。小心者には、うんざりだよ。
笹井ダムの左岸側は、鬱蒼とした感じで、撮影ポイントもあまりない。ましてや、今日は水量も多く、反り返ったダムのコンクリには近づけない。もっとも、この先、さらに行こうと思えば、いけないこともない。崖に斜めに建っている、崩れかかった監視小屋の横を抜けていくと、一般道に出られる。
要するに、川に沿った道で、ダムを見下ろせる。そして、さらに道を行くと、なぜか?浄水場のような自衛隊の施設がある。そして、その脇から河原へ降りると、そこにも、なんだかわけのわからない、水深計のような構造物があった。
直径二メートルほどの、コンクリの台座に載っている、この銀色の計器のようなものに魅かれて、何度となく、写真を撮りに行ったものだ。だが、行くたびに、その構造物は荒らされ、汚らしい廃棄物と化していった。そのうち、近くに人がいる気配がして、おそらく河原のホームレスの憩いの場であったのだろう、それ以来、行くこともなくなった。…そうだ、近いうちに、また、探検に行ってみようか。
さあ、今日の目いっぱいの予定は、すべて終了した。今来た道を戻った。例の、ジジイの小男がまだいる。すれ違いざまに、ちらっと観察した。護岸際の茂みが、何やら平らになっている。ああ、そうか、ここは、こいつの憩いの場だったんだな。増水で流されてしまい、また再建しようというわけか?手にしたレジ袋、古びたチャリに視線を走らせた。間違いない、こいつはホームレスだ。今回の濁流、増水にもめげず、何とか生き延びたわけだ。
…なんでまあ、こうホームレスのことばかり書かなくちゃならないだ。これほどの年月が過ぎても、気になるものが、変わっていないのは、どういうことなのだろう?もっとも、あの時も<モロイ>を思っていたし、今は<モロイ>の朗読をしている。≪モロイ≫は、いわば浮浪者、ホームレスだったよな。



















十時半出発。安比奈新道経由、柏原住宅団地を通り抜け、入間川左岸を遡上。根岸の交差点を直進して、一つ目か二つ目の歩行者用信号を左折。すぐに突き当りになり、笹井の堰が目の前に見える。脇に小さな公園などもあり、車を止めるスペースもある。
この堰は、笹井ダムともいうが、高さ二メートルほどの、少し反り返ったコンクリたちが、川の流れをせき止めている。もっとも、そのコンクリの間とか、監視塔の下とかに、魚道が整備されていて、多少は環境への配慮がなされているようだ。
せき止めた水は、農業用水に利用されていたようだが、今はどうなっているのか?そもそも、この堰は、いつごろできたものなのか?ネットで調べても、正確な情報が出てこない。入間市に資料があるようだが、わざわざ調べなくてもいいだろう。コンクリの風化具合からして、ざっくりした話、五、六十年前の建造物ではないだろうか?
ちなみに、ついでのネット知見だが、この堰の少し上流で<アケボノゾウ>や<メタセコイヤ>の化石が出たそうな。これまた、おおざっぱな話だが、100万年も前のものだという。気の遠くなる話だ。
そんなこんな、きれっぱしの情報を見ながら、ふと思い出したのが、この堰の上流にある崖のことだ。この崖は河岸段丘だろうと思うのだが、十数メートル以上もあり、辺りはうっそうとしている。ホームレスっぽい、いや、地元のオヤジかもしれないが、釣り場のような感じになっている。というのも、汚いベンチや椅子が散見され、台の上にはタオルやペットボトル、むろん、釣り竿も何本も見えたからだ。
部外者が入り込めないような、ちょっと不穏な雰囲気が漂っている。とはいえ、一応、狭いながらも河原なので、かまうものか、カメラをぶら下げて探索したことがある。ま、いろいろあって、俺もかなり捨て鉢の気分になっていたころだ。そのころは、入間川の河原を逐一歩いていて、しょっちゅうホームレスに出っくわしていた。
崖の下に、風体の悪い奴を発見して、ちょっとギクッとしたが、何食わぬ顔で通り過ぎ、狭い河原の切れるところまで行って、下流の堰などをぼんやり眺めた。ついでに写真も撮って、引き返しと、真夏だというのに、焚火をしている。目の端に、エロ雑誌のグラビア、年増の豊満な乳房、悩ましい表情が燃え上がり、みるみる黒い灰になっていく。
そいつは、ちらっと俺のほうを向いて、卑しい照れ笑いをした。下劣な野郎だ!なんだか、とっても嫌な気分になった。言ってみれば、どす黒い衝動が、うっそうとした崖の下に渦巻いていたのだ。
今はもう、その場所に行く気にはなれない。ただ思い出しただけだ。笹井の堰と豊水橋を、今日は撮りに来たのだ。…あの時に比べ、カメラの性能もよくなり、写真の腕も上がった。それに、何よりも心配事がなくなった。いやちがうな、両親二人を看取って、気持ちが軽くなっている。さばさばした感じで、妙に心が静かだ。川の流れ、堰にとどろく水しぶき、河原に生い茂る雑草、見捨てられたような、それでいて、存在感のある古い構造物、そういったものを眺め、写真に収めたいと思っているのだ。
軽登山靴に履き替え、堰の周辺を歩きながら写真を撮った。お昼前後、左岸側はちょうど逆光。先日の台風、大雨などにより水は濁っている。水量も多い。材木や河原の木々が監視塔に引っかかっていて、濁流の凄まじさが想起される。
護岸沿いには遊歩道がある。これは以前にはなかったが、表面に敷かれていたアスファルトが、濁流に流されてしまったのだろう、あちらこちらに、その残骸が散らばっている。遊歩道は、そうだな、およそ100メートルほど壊滅状態。ところどころに、大きな穴が開いている。
台風、大雨の影響は、かなり甚大で、この場所も、以前のような静かなたたずまいを取り戻すには、かなりの時間がかかるだろう。そんなことを思いながら、車に戻った。途中、河原への入り口に、キバナコスモスなどが、少し咲いていた。センダングサなども、斜面のわずかな場所で繁茂している。荒れた感じの、茶色の河原に、植物たちの緑が目に優しかった。
来た道を戻って、根岸の交差点を右折、豊水橋を渡ったところで逆Vを切って、河川敷に入る。ここは、橋の下の広場のような感じで、かなり広い駐車スペースになっている。上流側が、大きな運動公園になっていて、野球場やテニスコートなどがある。豊水橋は、左岸側には駐車スペースがないので、いつもここに車を止めて、橋の上に上がる。
上流側の眺めはいい。目を凝らすと、先ほどの笹井ダムが見える。その向こうには、山並み。一方、下流側の景色は、あまりぱっとしない。が、堰を見下ろせるし、そこには魚道がある。魚道というのは、魚が上流にのぼれるようにしている構造物のことで、笹井の堰にもあったが、豊水橋の魚道は立派なもので、来るたびに、そばまで行って眺めている。
というわけで、橋を渡り、右岸側に出て、急な護岸を斜めに下った。こういう時に軽登山靴が役に立つわけだ。このとき、必ず目に入るのが、豊水橋(とよみず)の下にあるホームレスの住居だ。橋の横幅が広いうえに、高さが地面すれすれ、といっても二、三メートルはあるが、とにかく、野営するには都合がいいのだろう。
橋の真下には、車が何台も止まっていて、その周りに生活用品などが取り散らかっている。かなり広い感じで、生息していたのは、一人や二人ではなさそうだ。ここも、以前は昼間から、酒盛りしているような不穏な雰囲気があった。脇を通り過ぎるときは、なすべく眼を合わすまいとしたものだ。
でもまあ、先日来の台風、大雨、濁流を何とかしのいだのだろうか?冠水した衣類などがその辺に干してある。住居と命は大丈夫だったのか?来るたびに、忌々しく感じていたホームレス軍団だが、今日は、ふと仏心が出た。
堰の狭いコンクリの上を歩いていくと、魚道がある。そこに、爺さんが釣り糸をたらしている。ちょっと会釈して、よけるような形で脇を抜けた。魚道は、濁った水でゴーゴー音を立てていた。この激しい水流に逆らって、魚たちは、上流へ行けるのだろうか?今、そう思った。
いつもは、急こう配の、三十センチ幅の魚道の縁を、そろそろ歩いて下まで行く。が、今日は無理だろう、何しろ水流が多いし、万が一にも、足を踏み外さないとも限らない。そうなったら、カメラがおじゃんだ。いや、カメラどころの話ではない。…歳を取るということは、こういうことか、危ないマネには、自然と抑制が働く。
車に戻った。折り畳みチャリを下した。右岸側の運動公園を遡上して、笹井のダムへ向かった。途中、川の向こう側、左岸の岸辺に釣り人が結構いる。あの辺にも、ジジイたちのたまり場があったような気がする。が、今日は平日だというのに、比較的若めの奴が多い。あんな濁った水の中に、魚などいるのだろうか?
チャリは快適だった。風を切って走っていると、気持ちが軽くなっているのが感じられた。運動公園が終わり、堰へ行くには、
そこから護岸の縁を伝わっていくしかない。いつぞや、テントを張ってカワセミを撮っている男と遭遇したところだ。まさに、その護岸の縁に、変な小男がいる。ジジイだ。いったい何をやっているのか?不審な感じ、チャリも古びているし、普通に散歩に来た感じではない。
ま、いい。縁を、チャリを引いて、護岸が尽きるところまで行った。チャリに鍵をかけて、荒れた河原に下りた。誰も来ないだろうけど、万が一、眼を離したすきに盗まれるとも限らない、振り返って、緑色の真新しいチャリを見た。小心者には、うんざりだよ。
笹井ダムの左岸側は、鬱蒼とした感じで、撮影ポイントもあまりない。ましてや、今日は水量も多く、反り返ったダムのコンクリには近づけない。もっとも、この先、さらに行こうと思えば、いけないこともない。崖に斜めに建っている、崩れかかった監視小屋の横を抜けていくと、一般道に出られる。
要するに、川に沿った道で、ダムを見下ろせる。そして、さらに道を行くと、なぜか?浄水場のような自衛隊の施設がある。そして、その脇から河原へ降りると、そこにも、なんだかわけのわからない、水深計のような構造物があった。
直径二メートルほどの、コンクリの台座に載っている、この銀色の計器のようなものに魅かれて、何度となく、写真を撮りに行ったものだ。だが、行くたびに、その構造物は荒らされ、汚らしい廃棄物と化していった。そのうち、近くに人がいる気配がして、おそらく河原のホームレスの憩いの場であったのだろう、それ以来、行くこともなくなった。…そうだ、近いうちに、また、探検に行ってみようか。
さあ、今日の目いっぱいの予定は、すべて終了した。今来た道を戻った。例の、ジジイの小男がまだいる。すれ違いざまに、ちらっと観察した。護岸際の茂みが、何やら平らになっている。ああ、そうか、ここは、こいつの憩いの場だったんだな。増水で流されてしまい、また再建しようというわけか?手にしたレジ袋、古びたチャリに視線を走らせた。間違いない、こいつはホームレスだ。今回の濁流、増水にもめげず、何とか生き延びたわけだ。
…なんでまあ、こうホームレスのことばかり書かなくちゃならないだ。これほどの年月が過ぎても、気になるものが、変わっていないのは、どういうことなのだろう?もっとも、あの時も<モロイ>を思っていたし、今は<モロイ>の朗読をしている。≪モロイ≫は、いわば浮浪者、ホームレスだったよな。



















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