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此岸からの風景

<日本灯台紀行 旅日誌>オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです

2019

12/01

Sun.

13:50:21

第二次入間川写真紀行2019 

Category【第二次入間川写真紀行

2019/11/6(水)晴れ。<入間川写真紀行2-5>。

今日は十日、要するに、この<心の覚書>をなかなか書けないでいた。でも今日こそは、仕上げなければならない。別に誰かに強いられているわけではない。単に、自分自身で決めたことだ。だが、今週の水曜日には、また入間川に出る。そうなれば、記憶が上書きされ、さらに薄くなり、なにも書けなくなってしまうだろう。

さてと、いつものように、ほぼ十一時過ぎに出発。入間方面へは、日高県道経由で行くのが距離的には近いが、交通量が多く、信号などもあり、意外に時間がかかる。なので、裏道を通って、サイボクの少し手前あたりに出て、少し走って、407号の田木の交差点を左折した。長い坂を下っていくと根岸橋。渡たり終えたら、前回同様、左逆Vを切って、橋の下の河川敷に到着。およそ35分13キロくらいの行程だった。

車からチャリを下し、豊水橋を渡る。橋からの景色とか、魚道などが気になったが、いちおう、前回撮ったので素通りする。左岸の入間狭山自転車道を、下流の広瀬橋へ向かっている。案内板をちらっと見ると、自転車道の終点は、上尾との境にある入間川大橋で、およそ25キロくらいだ。

ま、そんなことはどうでもいいが、この自転車道の右下は、河川敷運動公園になっていて、野球場とかサッカー場が、流れに沿った狭い河原に、縦長に連なっている。昔、一、二回、歩いたことがあり、その時の記憶がよみがえる。少年サッカーの試合、大興奮している母親たち、少年野球の、子供たちを大声で罵倒しているコーチ、女子のソフトボールチームの練習、土手下には河川敷耕作地?ならぬ、家庭菜園のようなものがあり、ヘチマの黄色の花が咲いていた。…ふと目をやると、どうやら、先日の大雨、濁流に洗われ、運動施設はすべて使用中止になっている。静かなもんだ!

チャリだとあっという間、広瀬橋が目前だ。と、そうだ、河原に入る道がある。いつもは、広瀬の交差点を突っ切り、少し行って歩行者信号を左折、細い道をうねうね行くと、土手にぶつかり、その低い土手を乗り越えて河原に入ったものだ。砂利道だが、チャリで降りたみた。

右手は、河川敷公園になっていて、遊具などがある。…遊具、…公園の遊具などを撮っていた。写真を撮り始めたころで、誰かの影響だな。人間のために造られた、ごくありふれた物なのに、いや、それゆえに、そこに人間がいないとなると、何か空っぽな感じがしておもしろかった。それにしても、思い込みばかりでろくな写真ではなかった。

…朱色がさめてしまって、さえない感じの広瀬橋。上流側の景色が好きだ。流れの真ん中に、大きな砂州がある。橋の歩道を歩きながら、位置を変え何枚も撮った。

橋を渡り終えたところには、野球場のフェンス、その向こうの建物が中学校だ。いつぞや、プールの脇を通り過ぎただけなのに、変質者に間違われ、教師に詰問されたことがある。平日にカメラをぶら下げていたのが、誤解の原因だったようで、その教師たちと興奮して言い合った。嫌な思い出だ。それ以来、あの辺には近づかないことに決めた。

道路を渡った。右岸土手は通行禁止だったはずだが、鉄柵が取り外され、何やら工事中だ。というわけで、橋の下の河川敷には車がたくさん止まっている。岸辺に散見するのは、釣り人の車だろう。が、土手を降りたところに、きれいに横一列に車が並んでいるのは、これは、右手の小学校の先生たちの車なのか、それにしても、ざっと三十台くらい、数が多すぎないか?

右岸広瀬橋の下に入り込むには、以前は、この小学校の敷地を抜ける必要があった。そんなことは許されないのだが、実際には、車が入り込んでいるであり、自分もきょろきょろしながら、何回も通り抜け、右岸土手に出たものだ。

ま、いい。今日はチャリだ。土手を降りて、遊歩道を、少し下流の堰の方へ向かった。・・・この堰は、たしか、田島屋堰だったろうか?今調べて確認した。茶色の遊歩道は、堰の脇辺りで陥没していて、本冨士見橋方向へは行けない。濁流に洗われた下草を踏みしめ、恐る恐る、というのも、マムシが潜んでいるかもしれないからな、と思ったのだからよほどの小心者だ!堰の付近まで行って、下流の景色を入れて、何枚か撮った。…だいたい、この辺は鬱蒼としていて、以前は近づけなかった場所だ。だから、このアングルはかなり新鮮だった。

水際の護岸、釣り人の後ろを通って戻った。広瀬橋の下を抜ける遊歩道があり、チャリなので迷うことなく、右岸を遡上した。これといった景色もなく、霞川の合流点近くで行き止まり。そのまま引き返す。撮影的には、ほとんど意味はないが、チャリで初めて通る道、ということに満足した。

それと、護岸沿いの水辺に、変な木が何本も刺さっている。ここは以前からカワセミの撮影ポイントで、アマチュアカメラマンたちが、人工的な止まり木を作って、カワセミをおびき寄せ、撮ろうというわけだ。性懲りもなく、あの濁流の後に、わざわざ設置したものだろうが、今日は、カワセミどころか、でかいカメラを持ったジジイたちの姿も見えない。…釣り人は静かで単独、それに比べ、カワセミ撮りのジジイたちは、なんか、ざわざわした感じで好きになれない。だいたい百万以上もする大砲のようなレンズをずらっと並べて、カワセミの、どんな写真が撮りたいのか?ロクな奴らじゃない。

また橋の上を歩いた。再度左岸側にわたって、一段と高くなった自転車道を田島屋堰へ向かった。左側は民家、いろいろなお花が咲いている。驚いたことには、堰の付近、自転車道の脇に、ベンチが設置され、そこで、何やら昼寝をしている男もいる。確かに、景色のいいところだから、さっき調べた行政の<川のまるごと再生プロジェクト>の一環なのだろうか?悪い気はしないが、なんだか以前に比べて、人の姿が多い。この辺もちょっと雰囲気が変わったな。

急な砂利道を降りて河川敷に入った。そこにあったお花畑も、濁流で壊滅状態。ここでよくお花の写真を撮ったものだ。ちょっと無残な気持ちになった。チャリを止めて、堰に近づいた。こぶし大の石で敷きつけた護岸?に、ところどころ丸い筒のよう物が刺さっている。雨水を流すだろう、と、なかを覗く。ギョギョ!蛇がとぐろを巻いていた。うわ~~、写真どころではない!という気持ちになったこともある。蛇は気味が悪い、嫌いだな。

田島屋堰、逆光に、流れる水がきらきら光っている。モロ逆光だから、俺の腕では、写真にはならないだろう。とはいえ、何枚か撮った。遠い夏の日、おそらく精神薄弱なのだろう、身体の立派な少年が、堰の中で遊んでいた。俺が、堰に打ち上げられた大きな鯉の死骸を撮り終えると、彼は、その腐った鯉を、大事そうに白いレジ袋に入れた。写真に撮っていたから、何か大事で価値のあるものだと思ったのか、その得意そうな顔を見て、汚いから捨てなさい、と言ったつもりの言葉が、ほとんど自分にも聞こえないほど小さくなっていった。

さあ、帰ろう。右岸の護岸沿いの遊歩道を遡上した。途中、何回かふり向いて、流れの奥にある広瀬橋を見た。写真も撮ったが、ほとんど絵にならない。それよりも、と、対岸の鬱蒼とした崖を見た。あの木立の中には、ホームレスの住処があったはずだ。中に、少し踏み込んだだけで、あまりの不穏さにすぐ引き返したのだ。…ついでだな、チャリだし、行ってみようか。

遊歩道を、あっという間に、豊水橋まで戻り、右岸側の土手、というか崖の上に出た。ここも完全に河岸段丘だな。右側には健全な感じのテニス場や野球場。左側が、問題の不穏な木立。中に何本か小道があり、水辺まで下りていくこともできる。釣り場になっている。そうだ、思いだした。が、さらに行くと、鬱蒼とした木立の間から、物置のようなものが、たくさん見える。のみならず、緑色のフェンスもある。いったい何なのか?誰の持ち物なのか?そんな思いで、木立の中に踏み込むと、ホームレスの住処に行き当たった。生活用品が雑然と取り散らかっている。見てはならないものを見てしまった、そんな感じがして、すぐに引き返した。これは、昔のことだ。

今回は、踏み込む気になれず、チャリに乗ったまま、横眼で見ながら、道の突き当りまで行った。そこは、少し広くなった駐車スペースのようなところで、霞川の低い土手が見えた。霞川は入間川の支流で、先日の大雨では、たしか氾濫危険水位を超えてしまい、レベル4になったところだ。少し上流には、おそらく、高校時代の友だちの家があったはずだ。

狭い土手にチャリを引きあげ、数十メートル行くと、入間川との合流点だ。堰になっていて、流れの真ん中に、複雑な形をした、おそらく水流止めだろう、大掛かりなコンクリの構造物がある。その上に、アオサギ?が身動きもしない。と、正面の青空にジェット機が飛来。慌ててシャッターを切った。

そのジェット機の向かむところは、すぐ近くの、いわゆる狭山丘陵の上にある、自衛隊の入間基地。昔は米軍のジョンソン基地といっていた。離陸するのも、着陸するのも、必ず、入間川を横断する。河原で軍事的な飛行機を見るたびに、幸せな散歩が中断される。騒音とともに、いつも現実に引き戻される。これは、いわば、負の異化効果?なのだろうか、ほとんど反射的にカメラを向けてしまう。

・・・いや、ちがうな。それらの飛行物体に、いまでも、ある種の魅力を感じている。…それは、小学生のころに、戦艦や戦闘機のプラモデルを作って喜んでいたのと同質の感性だ。人を殺すための機械であり、人間と人間の社会を蹂躙し破壊する戦争の道具だという認識が、いまだ血肉化していないのだ。自分も、結局は、そこら辺の人間と同じだ。恥知らずにも、むなしさすら感じなくなっていたが、それでも、青空を切り裂くジェット機の行き先を、心の中で思ったような気もする。

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