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<灯台紀行・旅日誌>&<花撮り物語>&<第二次入間川写真紀行>

<灯台><花><入間川>などのフォトエッセー

2020

08/12

Wed.

10:19:36

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

<灯台紀行・旅日誌>2020#18 犬吠埼灯台編
あっさり、犬吠埼灯台はあきらめて、展望室をぐるっとひと回りした。銚子漁港とか、古い船とか、いい眺めだ。それと、西側の方に、防波堤灯台などがいくつか見える。なかでも、その時は名前を失念していたが<銚子港一の島灯台>というのが、小ぶりながら存在感がある。

…再度、今調べてみると、灯台マニアのサイトには、地上からの写真もある。丁寧なサイトで撮影場所まで明記してあった。それに、出所は忘れたが、この灯台が大波を受けている写真があったはずだ。いい写真で印象に残っている。

というわけで、時間もあるし、この灯台と、そばにある防波堤灯台なども撮ろうと、ガラス越しに三脚を立てた。ところがだ、その位置取りの後ろにはベンチのような腰掛があり、ま、それはそれでバックなどを置くには便利なのだが、通路が狭くなってしまい来場者の邪魔になる。

不運?は重なるもので、さほど混んでもいなかったのに、にわかに、次から次へと人が通り過ぎる。そのたびに道をあけたり、場所移動したりした。おちおち写真など撮っていられない。いま思えば、夕日に海が染まるのを期待して、インターバル撮影を試みたが、しょせん、場所的にも時間的にも無理があった。

ま、その時は、そのことには気づかないで、子供連れの家族が大声で話しながら、二回も巡ってきたことに、やや不機嫌になった。しかも、あろうことか、三脚の横にある、有料で遠くを見る双眼鏡を子供が覗きたがり、駄々をこねているのだ!

ま、いい。話を灯台のことに戻そう。まさに高みからの見物撮影だが、写真的には、これもあとで思ったことだが、あまりよろしくない。端的に言って、平板になる。今回の場合、望遠という要素も加わるので、ちなみに望遠レンズでは画像が圧縮され距離感がなくなる、より一層奥行き感のない、のっぺりした写真になる。

これは、遠近感が重要な、風景写真では致命的だろう。理想は35ミリくらいで、被写体に近づけるだけ近づいて撮ることだ。誰の言葉か、どこで読んだのか忘れたが、奥行き感ということに関して言えば、35ミリ前後が、自分の貧しい経験からしても、一番有効だと思う。

ま、それはさておき、こう人が多くちゃ、三脚なんか立てていられない。いうわけで、そばにある赤い防波堤灯台や、その隣の白い突堤灯台なども、手持ちで撮り出した。撮れているのか撮れていないのか、なんだか、かなりでたらめな、乱暴な撮影になってしまった。

・・・その<一の島灯台>の後方、というか斜め右上から、一台のモーターボートが現れた。海の上を疾走している。灯台を横切る瞬間、少し左側に行ったところなどでシャッターを切った。ありきたりの構図だ。

・・・<荒川>を撮っていた時も、よくモーターボートを見かけた。モーターボートに乗ったことは一度もないし、乗りたいと思ったこともない。が、ふと、ああいう乗り物に乗っている人間のことを思ったことがある。金持ちなのだろうか?それとも遊び人なのか?いずれにしても、自分とは違う種族だ。とはいえ、心の底では羨望と嫉妬が微かにうごめいていた、というのが正直なところだ。だが今日は、疾走するモーターボートを見て、アホやな、とは思わなかった。低俗な人間にはなりたくないが、現に低俗な自分がここにいるのだ。

さあ、時間だ。引き上げよう。エレベーターに乗って下まで降りた。車に乗り込んだ。五時前だった。これから、夕方の撮影が始まる。念のため、ナビを犬吠埼灯台にセットして出発した。

途中、道沿いの、海の見える、ちょっとした駐車スペースに車を止めた。なにをしたんだっけ?夜の寒さに備えて、ヒートテックでも着込んだのか、それとも、腹ごしらえに、何か持参していたお菓子でも食べたのか、しかとは思い出せない。ただ、フロントガラスの向こうに広がる、少し暗くなった海を見て、一瞬、こんな光景、前にも見たことがあるな、と思った。

君ヶ浜の東側駐車場に戻ってきた。辺りは少し暗くなっていた。車が数台止まっている。朝方の撮影の際に現れた、耐えがたい騒音の、族っぽい二台のバイクが、またやってきた。朝方は、狭い砂地の駐車場を我が物顔で走り回っていたが、今回は、あっさり、すぐに行ってしまった。うるせいなあ~と思ったが、ひょっとしたら、奴らの縄張りだったのかもしれない。

撮影機材を車からおろして、護岸の切れたところから、浜辺に入った。午前の撮影同様、岩場と砂浜の境あたりに三脚を立てようと思ったが、気が変わった。

護岸の下は、コンクリの段々になっている。そこに腰をおろして、三脚を短めにセットした。要するに、段々に腰かけたまま、撮影しようというわけだ。立ったり座ったりする必要もないから、これは楽だ。もっとも、ずっと腰かけてもいられないので、インターバル撮影の合間に、立ち上がったりもした。

それはともかく、カメラを構える位置が、灯台から少し右にずれた。灯台の垂直だとか正対だとか、厳密にいえば、位置取りが甘くなったが、暗くなってきた辺りの景色同様、頭の中も暗くなっていたのだろう。

ただ、よく覚えていることは、灯台からの光線を写真に撮ること。メモしてきたことはほぼ無効で、完全な真横一文字は望むべくもないが、何とか工夫して、光線をモノにしようという、ある種の意気込みだ。朝五時に起きて、一日中動き回り、それでもなお元気だった。完全にハイになっていた。

それはともかく、五時半過ぎから撮影したのだから、あっという間に暗くなってきて、灯台に明かりが灯った。ちらちらと、光線が見え始めた。じきに辺りは真っ暗。持参したヘッドランプを頭に装着した。こうしていれば、暗がりでごそごそしていても、他人に怪しまれることはないだろう。小心者!よけいなことを考えすぎだな。

バタバタと、カメラ操作などしているうちに、ついには漆黒の闇。下からの照明を受けた灯台が、ぼうっと浮かび上がっている。その明かりの影が、暗い夜の海を微かに照らしている。時々、灯台正面の駐車場に出入りする、車の赤いテールランプが点滅する。

どう考えても、一秒では、光線はとらえきれない。ためしにと、十五分の一秒、続いて三十分の一秒、さらには五十分の一秒とした。お、かすかに写っている。調子に乗って、八十分の一秒にする。やや物足りない。なるほど、五十分の一秒か。ホントなのか?

しかし、これでは光線が短すぎる。イメージとしては、灯台の目から暗闇へと、長い光線が欲しいのだ。でもね~、そんな光線は目視できない。だからこそ、何か特別な方法が必要なのだろう。それが技術というものだ。

だが、ありていに言えば、その技術を習得するには、あまりに年を取りすぎてはいないか?いや、年など関係ない。是が非でも、という強い気持ちがあるなら、やれるはずだ。きれいごとじゃないのかな?

とここまできて、灯台からの、真横一文字光線が是が非でも必要だとは思えなくなってきた。つまり、光線は一種の絵面でもあるわけだ。問題は絵面ではなく、心意気が欲しいのだ!カッコよすぎる、言葉に酔っている。いまの段階では、光線は撮れない。それだけでいい。

変な納得の仕方だったが、気持ち的にはすっきりした。今やれることはやったのだ。何と言われようと、ま、後悔はない。こうして四日目の夜の撮影が終わった。灯台からの、少しばかりの光線が撮れたことに、十分満足していた。

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