此岸からの風景
<日本灯台紀行 旅日誌>オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです
2020
08/23
Sun.
10:07:02
<灯台紀行・旅日誌>2020
Category【灯台紀行 犬吠埼灯台編】
<灯台紀行・旅日誌>2020#19 犬吠埼灯台編
お決まりのようにナビをセットして、銚子市内のビジネスホテルへ向かった。暗い夜道を、どこをどう走ったのか、じきに広々とした市街地に出た。銚子市のメインストリートみたいだ。
ご丁寧なことに、ホテル近くのコンビニもナビで調べていた。道沿いにあるのですぐに分かった。おにぎり三個、唐揚げ、牛乳、ブドウパンなどを買った。ホテルの駐車場は、有料パーキングのようになっていた。出入り口にはバーがあったが、通行フリーになっている。バーは上がったまま。建物が大きい割には、車はさほど止まっていない。
明るい、きれいな入口。受付には若い女性が二人いて、ビジネスライクな応対、前金で\7700払って、カードもらい、エレベーターに乗った。部屋は二階、廊下も広い。
連泊した宿とは、何もかもが違う。キーじゃなくてカードだ。ま、今日日、当たり前だろう。そのカートをドアノブの下に当て、部屋に入る。明かりをつけようとして、壁際のスイッチを押したが反応がない。…なるほど、壁にカードを差し込むポケットがある。
電気がついた。きれいだ、それに広い。喫煙ルームだったのだろうか、空機清浄機があり、つけると、こもっていたタバコの臭いが消えた。テレビもでかい。ベッドに横になりながら、見られる配置になっている。コロナ対策もされているようで、コップは紙で包まれていた。ま、これも当たり前だけどね。
値段だけのことはあるな、と思った。すぐに着替えて、広めの、きれいなユニットバスでシャワーを浴びた。むろん、温水便座だ。最初に入ったときに確認している。こうでなくちゃな、少し常識的な気分になった。
唐揚げをつまみに、ノンアルビールを飲んだ。おにぎりも三個食べた。おにぎりの味がした。名前を出してもいいだろう、街中のセブンだから、品物の回転が速く、その分、おいしいのだ、と納得した。
そのあと、ノートにメモを取った。要するに、何時に起きて、何をしたか、という程度のことだが、それだけでも、帰宅後の日誌にはずいぶん役立つ。細かい、数字的なことがまったく思い出せないことがしばしばあるのだ。
三十分くらいメモっていたら、なんだか眠くなってきた。八時過ぎにチェックインしたことは、間違いない。が、何時に寝たのかは定かではない。メモにも書いていない。ま、十時前には、確実に寝てしまったのだろうと思う。
そうそう、車に積んであったノートPCは一度も持ち出すことがなかった。何しろ、パソコンに向かう気に全然なれなかったのだ。それどころか、いつもの撮影旅行なら、宿での画像モニターは決まり事なのに、バックからカメラを取り出すことすらしなかった。かなり疲れていたんだろうな。
ベッドに体を斜めにして横になり、テレビ画面を眺めていたような気がする。むろん、テレビなんか見ていない。うす暗くなった広い室内を見回し、ここを定宿にして、また撮りに来よう。春夏秋冬、季節ごとに同じ場所から撮る。犬吠埼灯台のロケーションは、予想をはるかに超えて、素晴しかった。
夜中に、何回がトイレに起きた。ジジイの習性だ。もう慣れっこになっている。はっきりと目が覚めたのは、朝の五時だった。茶色の分厚いカーテンを開けると、なんと曇り空!昨日の予報では、午前中は晴れマークがついていた。ため息をつきながら、空の様子をうかがった。雲は厚く、どう考えても晴れるような気がしなかった。
となれば、今日の撮影は無理だろ。もう少し寝ていようかな。いったんはベッドに戻った。だが、完全に覚醒していて眠くない。ままよ、さっと起きて朝の支度。洗面、食事、排便。六時には、フロントにカードキーを返していた。もっとも、朝早いせいか、受付は、黒っぽい背広の中年男性だった。やはり、ここは、若い女性の<ありがとうございました>の声が聞きたかった。
車に乗り込んだ。心づもりはできていた。つまり、君ヶ浜の散策だ。撮影場所が、今回の二か所以外にはないのか、例えば、弓なりになっている浜辺の中間点はどうなのか?ナビをセットして、浜へ向かった。道はガラガラで、ほとんど貸し切り状態だった。
浜のほぼ中間地点に、道路を挟んで、広めの駐車場がある。車が何台か止まっている。空の様子は、いまにも降り出しそうな鉛色。写真は全く無理。だが、いちおう下見だ。カメラを首にかけて、浜へ向かった。
朝早いのに、それも天気が良くないのに、浜の遊歩道には、ちらほら人影が見える。ふ~ん、朝の散歩かな。護岸のコンクリ段々で立ち止まり、一息ついて、じっくり辺りを見回した。ふむ、眼の先、少し右側、そこだけ岩場になっていて、海に突き出ている。
近づいていくと、自然の岩場ではなくて、人工的なものだとわかった。なぜこんなところに?防波堤としては小さすぎるだろう。意味をなさない。そのうち、これは灯台を眺めたり、記念写真を撮ったりするための場所だ、ということがわかった。
その証拠に、三脚に都合のいい平な場所を探したり、大きな石が乱雑に積み重ねられているような場所なのだ、しゃがみ込みこんで灯台の写真をスナップしたり、要するに撮影の下見を終えた後に、おそらく退くのを待っていたのだろう、若い女性が二人、今さっきまで自分のいた場所で、灯台を背に記念写真などを楽しそうに撮っていたのだ。
灯台との正対、ということに関しては、この人工岩場は、かなりグッドだ。というのも、弓なりになっている浜の中間地点ではあるが、海に数メートル突き出ている分、少なくとも、西側の第一撮影場所、二日目・三日目と粘った場所よりも、灯台の傾度が修正されるはずだ。
ただし、構図としては第二撮影場所、つまり浜の反対側と同じで、画面の下半分、ないしは三分の一は海になってしまう。ま、構図的には、波打ち際が入る、第一撮影場がベターなわけだ。だが、何事にも一長一短はある。この場所を第三の撮影場と決めよう。
砂浜を少し歩いた。予想外に疲れる。歩くたびに、足の力が砂地に吸い取られるようだ。時計を見た。七時前だった。ほぼ一時間、撮影の下見をしている。急にぐったりした感じで、足が重い、体が重い。しかも眠い。駐車場へ向かいながら、この状態では運転できんな、と思った。
考えるまでもなく、すぐに車の窓にシールドを張り、仮眠スペースに滑り込んだ。車の出入りもなく、静かな駐車場だ。が、念のため耳栓もした。横になった途端、ふうっと、意識が遠のいた。旅の五日目、朝っぱら頑張りすぎたのだ。
うとうと、少し眠ったようだ。時計を見ると、九時ちょっとすぎていたと思う。う~ん、一時間以上眠ったわけだ。窓のシールドなどを外しのだろう、車の外に出たのかもしれない。ともかく、思った以上に元気が回復していた。これなら、一気に帰れそうだ。
お決まりのように、ナビをセットした。到着地を自宅にしないで、東関道の大栄インターにした。つまり、圏央道が途切れている古いナビなので、来た道とは別の道を案内されてしまうからだ。ま、用心のためだったが、これが、ちょっとした失敗を招いた。
一般道をナビどおりに一時間ほど、うねうね走った。単調で、いささか飽きた。料金所のない元有料道路を過ぎ、そろそろ高速だ。広い道に出て少し行くと、左側に大栄インターの緑がかった看板、あれと思った。ナビは無言。
ナビが大栄インターまで導いてくれるものだと思い込んでいた。だから、まだ高速に乗り損ねたとは思っていない。が、少し行って、広い道から山の方へと続く狭い道に左折させられた。はは~ん、Uターンするのか、いやちがった。だんだんだんだん、道は細くなっていく。疑いながらも、ナビの音声に従った。
そしてついに、行き止まり!<目的地に到着、案内を終わります>だって!なるほどそうか、やっと事の次第を理解した。到着地に指定したつもりの場所は、実は大栄インターではなく、その付近の山里だったのだ。…タッチパネルで操作したのがまずかった。ちゃんと文字で入力して確認すべきだった。
あとの祭り、とはこのことだ。少し坂になったところで身動きできない。このままバックで、Uターンできるところまで戻るしかない。車幅ぎりぎりの、少しカーブしている坂道、こういうのが、いちばん苦手なんだよ!緊張した、こんなところで脱輪するわけにはいかない。傷もつけたくない。慎重に、何回か切り返しながら、坂道をおりた。
単調な道の運転で、少しぼうっとしていたようだ。だが、これで目が覚めた。少し広くなった場所を利用してUターン、今来た道を戻った。やはりあの看板が正解なのだ。
山里から、のこのこ出てきた。目の前には、さっきの広い道路。むろん右折すれば、高速に入れるはずだ。幸い信号があり、青になるのを待った。長い信号だ。走り出すと、予想どおり、すぐに高速入口の緑の看板。ほっとした。・・・今回の旅で、道を間違えたのはこの一回だけ。帰路、少し気が緩んだのかな。
高速に入ってしまえば、こっちのもんだ。もう、ナビなんかいらない。おとなしくしてもらった。来た時の教訓を生かして、律儀にパーキングごとに休憩をとった。東関道の大栄パーキング、圏央道に入って江戸崎パーイング、だが、ここからが長い。この先小一時間、パーキングはない。
とはいえ、100キロ未満の、のんびり高速走行。おかげさまで?眠くなることもなく、それほど疲れもせず、すんなり菖蒲サービスエリアに到着。県を二つまたいで、地元の埼玉だ。
菖蒲サービスエリアには、コロナ自粛中とはいえ、たくさんの車が止まっていた。トイレ、それに少し体の屈伸。見回すと、ほとんどが埼玉県ナンバー。無事に戻ってきたわけだ。当たり前だ。たかだか、千葉の銚子までだ。これしきの旅で、参る筈がない。いや、まだ参るわけには行かないだろう。
すこし気持ちを引き締めた。最後の数十キロの高速走行。今日は、一つ手前のインターで降りよう。出口での料金が、少しだけ安くなっていた。そう、初日こそ出費について書いたが、そのあと、ほとんどカネの出入りについて触れていない。気にも留めなくなっていたのだ。
高速を降りた。見知った一般道だ。自宅はもうすぐそこだ。時計を見た、一時を少し回っていた。仮眠した犬吠埼の駐車場を九時半ころ出発したのだから、四時間半かかっている。ま、何時間かかろうが、問題はない。疲労困憊していたわけでもないし、運転が苦行になっていたわけでもない。ちゃんと帰って来たのだ。
一時半には、自宅に戻った。玄関ドアを開けたとき、<帰ってきたよ、ただいま>と、もうお迎えすることも、足元でゴロゴロすることもなくなったニャンコに呼びかけた。
室内は変化なし。当たり前だろう。ベッドの背もたれに置いてある、ニャンコの白い骨壺に向かって、もう一度<ただいま>と言った。骨壺についている白いふさふさを、眉間をなでてやるように、軽く、やさしく撫でた。
やっぱり疲れた!後片付けは、明日だ。カメラバックと手に持てるだけの荷物は部屋に入れた。ベッドに倒れこんだ。だが、後ろをふり返って、もう一度、骨になったニャンコが入っている、白い骨壺をなでた。寂しい気持ちと自由な気持ちとがないまぜになった。
そのあと、口の中で<おやすみ>とつぶやいて、すぐに寝入ってしまったようだ。目が覚めた時には、もうあたりが暗くなっていた。

お決まりのようにナビをセットして、銚子市内のビジネスホテルへ向かった。暗い夜道を、どこをどう走ったのか、じきに広々とした市街地に出た。銚子市のメインストリートみたいだ。
ご丁寧なことに、ホテル近くのコンビニもナビで調べていた。道沿いにあるのですぐに分かった。おにぎり三個、唐揚げ、牛乳、ブドウパンなどを買った。ホテルの駐車場は、有料パーキングのようになっていた。出入り口にはバーがあったが、通行フリーになっている。バーは上がったまま。建物が大きい割には、車はさほど止まっていない。
明るい、きれいな入口。受付には若い女性が二人いて、ビジネスライクな応対、前金で\7700払って、カードもらい、エレベーターに乗った。部屋は二階、廊下も広い。
連泊した宿とは、何もかもが違う。キーじゃなくてカードだ。ま、今日日、当たり前だろう。そのカートをドアノブの下に当て、部屋に入る。明かりをつけようとして、壁際のスイッチを押したが反応がない。…なるほど、壁にカードを差し込むポケットがある。
電気がついた。きれいだ、それに広い。喫煙ルームだったのだろうか、空機清浄機があり、つけると、こもっていたタバコの臭いが消えた。テレビもでかい。ベッドに横になりながら、見られる配置になっている。コロナ対策もされているようで、コップは紙で包まれていた。ま、これも当たり前だけどね。
値段だけのことはあるな、と思った。すぐに着替えて、広めの、きれいなユニットバスでシャワーを浴びた。むろん、温水便座だ。最初に入ったときに確認している。こうでなくちゃな、少し常識的な気分になった。
唐揚げをつまみに、ノンアルビールを飲んだ。おにぎりも三個食べた。おにぎりの味がした。名前を出してもいいだろう、街中のセブンだから、品物の回転が速く、その分、おいしいのだ、と納得した。
そのあと、ノートにメモを取った。要するに、何時に起きて、何をしたか、という程度のことだが、それだけでも、帰宅後の日誌にはずいぶん役立つ。細かい、数字的なことがまったく思い出せないことがしばしばあるのだ。
三十分くらいメモっていたら、なんだか眠くなってきた。八時過ぎにチェックインしたことは、間違いない。が、何時に寝たのかは定かではない。メモにも書いていない。ま、十時前には、確実に寝てしまったのだろうと思う。
そうそう、車に積んであったノートPCは一度も持ち出すことがなかった。何しろ、パソコンに向かう気に全然なれなかったのだ。それどころか、いつもの撮影旅行なら、宿での画像モニターは決まり事なのに、バックからカメラを取り出すことすらしなかった。かなり疲れていたんだろうな。
ベッドに体を斜めにして横になり、テレビ画面を眺めていたような気がする。むろん、テレビなんか見ていない。うす暗くなった広い室内を見回し、ここを定宿にして、また撮りに来よう。春夏秋冬、季節ごとに同じ場所から撮る。犬吠埼灯台のロケーションは、予想をはるかに超えて、素晴しかった。
夜中に、何回がトイレに起きた。ジジイの習性だ。もう慣れっこになっている。はっきりと目が覚めたのは、朝の五時だった。茶色の分厚いカーテンを開けると、なんと曇り空!昨日の予報では、午前中は晴れマークがついていた。ため息をつきながら、空の様子をうかがった。雲は厚く、どう考えても晴れるような気がしなかった。
となれば、今日の撮影は無理だろ。もう少し寝ていようかな。いったんはベッドに戻った。だが、完全に覚醒していて眠くない。ままよ、さっと起きて朝の支度。洗面、食事、排便。六時には、フロントにカードキーを返していた。もっとも、朝早いせいか、受付は、黒っぽい背広の中年男性だった。やはり、ここは、若い女性の<ありがとうございました>の声が聞きたかった。
車に乗り込んだ。心づもりはできていた。つまり、君ヶ浜の散策だ。撮影場所が、今回の二か所以外にはないのか、例えば、弓なりになっている浜辺の中間点はどうなのか?ナビをセットして、浜へ向かった。道はガラガラで、ほとんど貸し切り状態だった。
浜のほぼ中間地点に、道路を挟んで、広めの駐車場がある。車が何台か止まっている。空の様子は、いまにも降り出しそうな鉛色。写真は全く無理。だが、いちおう下見だ。カメラを首にかけて、浜へ向かった。
朝早いのに、それも天気が良くないのに、浜の遊歩道には、ちらほら人影が見える。ふ~ん、朝の散歩かな。護岸のコンクリ段々で立ち止まり、一息ついて、じっくり辺りを見回した。ふむ、眼の先、少し右側、そこだけ岩場になっていて、海に突き出ている。
近づいていくと、自然の岩場ではなくて、人工的なものだとわかった。なぜこんなところに?防波堤としては小さすぎるだろう。意味をなさない。そのうち、これは灯台を眺めたり、記念写真を撮ったりするための場所だ、ということがわかった。
その証拠に、三脚に都合のいい平な場所を探したり、大きな石が乱雑に積み重ねられているような場所なのだ、しゃがみ込みこんで灯台の写真をスナップしたり、要するに撮影の下見を終えた後に、おそらく退くのを待っていたのだろう、若い女性が二人、今さっきまで自分のいた場所で、灯台を背に記念写真などを楽しそうに撮っていたのだ。
灯台との正対、ということに関しては、この人工岩場は、かなりグッドだ。というのも、弓なりになっている浜の中間地点ではあるが、海に数メートル突き出ている分、少なくとも、西側の第一撮影場所、二日目・三日目と粘った場所よりも、灯台の傾度が修正されるはずだ。
ただし、構図としては第二撮影場所、つまり浜の反対側と同じで、画面の下半分、ないしは三分の一は海になってしまう。ま、構図的には、波打ち際が入る、第一撮影場がベターなわけだ。だが、何事にも一長一短はある。この場所を第三の撮影場と決めよう。
砂浜を少し歩いた。予想外に疲れる。歩くたびに、足の力が砂地に吸い取られるようだ。時計を見た。七時前だった。ほぼ一時間、撮影の下見をしている。急にぐったりした感じで、足が重い、体が重い。しかも眠い。駐車場へ向かいながら、この状態では運転できんな、と思った。
考えるまでもなく、すぐに車の窓にシールドを張り、仮眠スペースに滑り込んだ。車の出入りもなく、静かな駐車場だ。が、念のため耳栓もした。横になった途端、ふうっと、意識が遠のいた。旅の五日目、朝っぱら頑張りすぎたのだ。
うとうと、少し眠ったようだ。時計を見ると、九時ちょっとすぎていたと思う。う~ん、一時間以上眠ったわけだ。窓のシールドなどを外しのだろう、車の外に出たのかもしれない。ともかく、思った以上に元気が回復していた。これなら、一気に帰れそうだ。
お決まりのように、ナビをセットした。到着地を自宅にしないで、東関道の大栄インターにした。つまり、圏央道が途切れている古いナビなので、来た道とは別の道を案内されてしまうからだ。ま、用心のためだったが、これが、ちょっとした失敗を招いた。
一般道をナビどおりに一時間ほど、うねうね走った。単調で、いささか飽きた。料金所のない元有料道路を過ぎ、そろそろ高速だ。広い道に出て少し行くと、左側に大栄インターの緑がかった看板、あれと思った。ナビは無言。
ナビが大栄インターまで導いてくれるものだと思い込んでいた。だから、まだ高速に乗り損ねたとは思っていない。が、少し行って、広い道から山の方へと続く狭い道に左折させられた。はは~ん、Uターンするのか、いやちがった。だんだんだんだん、道は細くなっていく。疑いながらも、ナビの音声に従った。
そしてついに、行き止まり!<目的地に到着、案内を終わります>だって!なるほどそうか、やっと事の次第を理解した。到着地に指定したつもりの場所は、実は大栄インターではなく、その付近の山里だったのだ。…タッチパネルで操作したのがまずかった。ちゃんと文字で入力して確認すべきだった。
あとの祭り、とはこのことだ。少し坂になったところで身動きできない。このままバックで、Uターンできるところまで戻るしかない。車幅ぎりぎりの、少しカーブしている坂道、こういうのが、いちばん苦手なんだよ!緊張した、こんなところで脱輪するわけにはいかない。傷もつけたくない。慎重に、何回か切り返しながら、坂道をおりた。
単調な道の運転で、少しぼうっとしていたようだ。だが、これで目が覚めた。少し広くなった場所を利用してUターン、今来た道を戻った。やはりあの看板が正解なのだ。
山里から、のこのこ出てきた。目の前には、さっきの広い道路。むろん右折すれば、高速に入れるはずだ。幸い信号があり、青になるのを待った。長い信号だ。走り出すと、予想どおり、すぐに高速入口の緑の看板。ほっとした。・・・今回の旅で、道を間違えたのはこの一回だけ。帰路、少し気が緩んだのかな。
高速に入ってしまえば、こっちのもんだ。もう、ナビなんかいらない。おとなしくしてもらった。来た時の教訓を生かして、律儀にパーキングごとに休憩をとった。東関道の大栄パーキング、圏央道に入って江戸崎パーイング、だが、ここからが長い。この先小一時間、パーキングはない。
とはいえ、100キロ未満の、のんびり高速走行。おかげさまで?眠くなることもなく、それほど疲れもせず、すんなり菖蒲サービスエリアに到着。県を二つまたいで、地元の埼玉だ。
菖蒲サービスエリアには、コロナ自粛中とはいえ、たくさんの車が止まっていた。トイレ、それに少し体の屈伸。見回すと、ほとんどが埼玉県ナンバー。無事に戻ってきたわけだ。当たり前だ。たかだか、千葉の銚子までだ。これしきの旅で、参る筈がない。いや、まだ参るわけには行かないだろう。
すこし気持ちを引き締めた。最後の数十キロの高速走行。今日は、一つ手前のインターで降りよう。出口での料金が、少しだけ安くなっていた。そう、初日こそ出費について書いたが、そのあと、ほとんどカネの出入りについて触れていない。気にも留めなくなっていたのだ。
高速を降りた。見知った一般道だ。自宅はもうすぐそこだ。時計を見た、一時を少し回っていた。仮眠した犬吠埼の駐車場を九時半ころ出発したのだから、四時間半かかっている。ま、何時間かかろうが、問題はない。疲労困憊していたわけでもないし、運転が苦行になっていたわけでもない。ちゃんと帰って来たのだ。
一時半には、自宅に戻った。玄関ドアを開けたとき、<帰ってきたよ、ただいま>と、もうお迎えすることも、足元でゴロゴロすることもなくなったニャンコに呼びかけた。
室内は変化なし。当たり前だろう。ベッドの背もたれに置いてある、ニャンコの白い骨壺に向かって、もう一度<ただいま>と言った。骨壺についている白いふさふさを、眉間をなでてやるように、軽く、やさしく撫でた。
やっぱり疲れた!後片付けは、明日だ。カメラバックと手に持てるだけの荷物は部屋に入れた。ベッドに倒れこんだ。だが、後ろをふり返って、もう一度、骨になったニャンコが入っている、白い骨壺をなでた。寂しい気持ちと自由な気持ちとがないまぜになった。
そのあと、口の中で<おやすみ>とつぶやいて、すぐに寝入ってしまったようだ。目が覚めた時には、もうあたりが暗くなっていた。

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