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<灯台紀行・旅日誌>&<花撮り物語>

<灯台>と<花>のフォトエッセー

2020

10/28

Wed.

10:21:27

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 新潟・鶴岡編

<灯台紀行・旅日誌>新潟・鶴岡編2020#2 往路

八月二十日(木曜日)、一日目。
四時ちょっと前に目が覚める。外はまだ暗い。目覚ましが鳴る前に、スイッチを切った。昨晩は、九時ころ消燈し、夜中の十二時ころにいったん起きて、お菓子などを食べた。夜間飲食は、悪い習慣だ。だが、最近、どうもやめられない。無性に食べたい。これは、ストレスから来るものだ、と何となく了解しているのだが。

昨晩は、旅前日の興奮も、わくわく感もなく、比較的平静だった。よく眠れたのだろう、今朝は眠くはなかった。整頓、洗面、かるい朝食。排便は、ほとんど出なかった。着替え、部屋の確認など、ゆっくりこなした。玄関へ行き、外へ出る前に、一応、振り向いて<行ってくるね>とニャンコに呼びかけた。切なさは全然なかった。習慣的な感じだ。外は明るくなっていた。

車の運転席に座り、ETCカードを機械に飲ませ、ナビを角田岬灯台にセットした。午前五時八分だった。最寄りのインターまで、見知った道を走り、高速に入った。平日のせいか、大きなトラックが目に付く。横からの朝日が眩しかった。むろんサングラスはしているが、百均で買ったサンバイザーも額につけた。朝日というものは、いいもんだ。生理的にも何がしかの効用が認められている。

習慣になっている、朝のコーヒーを、今朝は飲んでいない。標識のコーヒーカップが目に付く。ま、一時間は走ろう。渋滞情報で有名な<花園インター>付近までは、あっという間だった。次に藤岡ジャンクション、高崎、前橋の文字が出てくる。…高崎、前橋の文字を見ると、時として思い浮かんでくるのは、遠い昔、高校生時代の思い出の一片だ。

勉強もせず、深夜放送をよく聞いていた。群馬県の高崎高校と前橋高校は、ともに県内有数の進学校で、互いにライバル校だった。そこの生徒たちが、深夜放送へ投稿してくる。よくは覚えていないが、互いの悪口などを、面白おかしく書いてくるのだ。バスケ部で一緒の同級生も、その番組を聞いているらしく、教室でよくその話をして面白がった。

夜中の電波を通じて、今まで全く知らなかった、県外の、似たような進学校の生徒たちの、軽い話を聞いて、何か、親近感のようなものを感じた。たしか、パーソナリティーは<キンキン>だった。愛川欽也の軽妙な語り口もよかった。ただ、この思い出は、これだけでは終わらず、想念は、バスケ部の同級生にまで及んでいく。詳しくは、思い出したくない。ただ、彼は、若くして交通事故にあい、寝たきりになり、その後亡くなった、と誰かに聞かされた。

…前橋を通過すると、次は伊香保だ。なんでだろう、関越道下り方面には、思い出がたくさんある。地の利があり、夏や冬に遊びに行く場所なのだ。キャンプやスキー、旅行。それらの思い出には、人との関わりがあった。それゆえだろうか、どこか切なく、陽炎のような感じだ。自分も若かったし、関わった人たちも若かった。

おっと、長い上り坂だ。アクセルを少し踏み込んだ。かれこれ、一時間運転している。次のパーキングまで、少し運転に集中して、車を走らせた。赤城高原SAは、その名の通り、高いところにあった。かなり登ってきたのだ。駐車場は、さほど混んでもいない。トイレで用を足し、自販機でコーヒーボトルを買い、眺めのいい展望広場のようなところへ行った。家族連れなどが、ベンチを占領していて、朝っぱらから、子供たちが騒いでいる。

少し離れたベンチに陣取り、コーヒーを飲みながら、体の屈伸などをした。暑くはない。半袖の腕が少し涼しいほどだ。そうこうしているうちに、家族連れがいなくなった。柵際へ行って、一帯を眺めた。連なる山並み。案内板があり、その山々の名前が記してある。案内板と、本物の山々を見比べた。中で、気になったのは<武尊山>。よく見かける名前で、ぶそんやま、と読むのだろうか?なるほど、ほたかやま、と読むそうで、標高も2000m以上ある。日本武尊=ヤマトタケルノミコトの、武尊、という漢字が頭に残っていたのだろう。ちなみに、武尊山の山頂には、ヤマトタケルノミコトの像があるそうな。

時計を見たのだろう。六時半になっていた。一時間以上は走ったのだ。駐車場を後にして、坂を下ったような気もするが、そのうち、また、かなりきつい上り坂になった。月夜野、水上、谷川岳が近い。要するに、群馬と新潟の県境だ。トンネルの前に、チェーンの装着場があった。ふと記憶がよみがえった。そうだ、ここでチェーンをつけたことがある。難儀したよな。トンネルは、いやというほど、これでもかというほど長かった。もっとも、この時はこのトンネルが、あの関越トンネルだということを失念していたのだが。

トンネル走行には、細心の注意を払った。目線を真っすぐ、前方の車の、赤いテールランプを見続けていると、なんだか、頭がくらくらしてくる。このまま突っ込みそうだ。これはいつもの経験なので、目線を、トンネル右側についているオレンジ色のライトに、少しそらせて走ることにした。頭のくらくらは、少し収まった。

我慢の時間が続いた。トンネルを脱出?したあとは、長い下りで、その間、短いトンネルと幾つもくぐった。と、視界が開ける。湯沢だ。スキー場で有名な観光地だ。長いトンネル走行の後だけに、気分がいい。山の斜面が、ところどころ緑になっていて、リフトが見える。ホテルのような建物も見える。ここを通過するときにはいつも、スイスのようだ、と思う。とはいえ、むろんスイスに行ったことなどない。写真か何かで見たスイスの風景を思い出すのだろう。

この牧歌的な景色がしばらく続く。石打、六日町、と、この<六日町>だ。幼い娘たちを連れて、家族でスキーに行ったことがある。スキー自体は、初めてだったので、面白いどころか、不安で怖かった。ただ、家族でスキーという常識的な娯楽に関しては、さほどいやでもなかった。自分が、子供のころに経験できなかったことを、娘たちにしてあげられることに、何か意味があるような気がしていた。きっといい思い出になる、と。果たしてそうだったのか、今に至るまで娘たちに聞いたことはない。

…二時間以上走っている。二回目のトイレ休憩。たしか大和Pだったと思う。トイレだけの、小さなパーキングだ。車外に出ると、極端に蒸し暑い。日差しも強い。撮影用のロンTに着替え、顔と手の甲、指先に日焼け止めを塗った。時刻は七時半、とメモしてある。トイレで用を足し、すぐに出発。地形が変わって、高速道路の両脇には、緑の稲田が広がっている。それも延々と、きりがない。小出、小千谷と看板が出て来て、じきに長岡ジャンクション。関越道はここで終わり、北陸道に接続する。新潟方面へと、さらにひたすら走る。八時半、三回目のトイレ休憩。たしか三条燕のちょっと前の小さなパーキングだったと思う。ほぼついたな、と少しホッとしたような気もする。

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