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此岸からの風景

<日本灯台紀行 旅日誌>オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです

2020

11/04

Wed.

10:45:06

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 新潟・鶴岡編

<灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#4 角田岬灯台撮影2

さらに少し下ると、分かれ道。まっすぐ行けば灯台。左側に逆Vを切って回り込む。断崖に斜めにかかる階段だ。たらたらと、二、三歩下りては振り向いて、写真を撮った。ちょうど、斜めに落ちる緑の断崖の途中に白い灯台が見える。空も海も真っ青。人影はない。涼しい風でも吹いていたら、立ち止まって、この景色を頭に焼き付けておきたいほどだ。しかし、現実は甘くない。風どころか、きびしい日射に晒されている。感傷に浸る状況じゃない。

階段を中ほどまで下りると、灯台は、断崖の上にちょこんと見える程度になる。それに遠目過ぎて、もう写真にはならない。そのまま振り向きもせず、真っすぐ下りて、一般道の歩道に出た。すぐ左手は短いトンネル。向こうが見える。そっちにはいかないで、手すりのある歩道を行く。断崖の灯台を横から見られる位置だ。カメラを構えた。何枚か撮ったが、どうもよくない。

歩道の手すりをすりぬけ、中に入った。そこは見晴らしのいい、少しひろい場所で、そばに巨大な岩がある。柵のない断崖の上で、危ないから、歩道から入れないようにしているわけだ。ま、危険は承知だ。なるべく、崖っぷちには近づかないで、草ぼうぼうの中を、そろそろ歩いた。見ると、今下りて来た階段の全貌が見える。断崖の上には白い灯台、下には、波打ち際の、断崖を削った遊歩道。義経が舟を隠したという、洞窟も見える。空には、うっすら雲がかかり、海は青のグラデーション。何とも、壮大で、美しい光景だ。でもやはり、この大風景の中で、主役は灯台だろう。もし灯台がなかったら、たんなる自然景観であり、わざわざ撮りに来ることもなかったのだ。

灯台は、ある種の象徴なのだろうか。断崖の白い灯台、人間はそれを見て何を思うのか?いや、自分は何を思い、感じているのか?定かではない。自分の人生や存在を、灯台に投影しているのだろうか。あるいは、男根の象徴として、半ば無意識のうちに魅かれているのだろうか。性懲りもなく、若さや生命力を渇望しているのだろうか。わからない。ただ、真っ青な海と空のなかに、屹立する白い灯台が、美しいと思うのだ。

ここぞと思い、何枚も何枚も、同じような構図で写真を撮った。これ以上撮っても無駄だな、と思うまで撮った。ベストを尽くしたような気もするし、撮り損ねているのではないかとも思った。暑かった。限界を超えた暑さだった。巨大な岩の下が、少しだけ日陰になっている。一息入れたい。だが、草ぼうぼうで、腰をおろすことはできない。バックを背負ったまま、モニターした。大丈夫だろうと思った。いや、頭がぼうっとしていて、正確な判断はできなかったようだ。

引き上げよう。歩道に戻った。少し歩いて、灯台へ向かう階段の前に来た。バックをおろして、給水したような気がする。そして、手すりにつかまりながら、ゆっくり階段を登って行った。途中、何度か止まり、カメラを灯台に向けた。今さっき撮った構図だから、感動はなく、なおざなりにシャッターを押した。灯台に着いた。最後は少し足取りが重かった。本来なら、ここでもう一度休んで、ゆっくり辺りを眺めたいところだ。だが、暑すぎた。早く車に戻りたかった。涼しいのは車の中だけなのだ。

灯台の狭い敷地を右に回り込むと、浜へと降りる階段がある。その階段が、急なうえに、非常に狭い。人一人通るのがやっとという感じ。すれ違いなど、到底できないし、待機場所もない。いやな予感がしていたら、案の定、下から、爺さんが登ってきた。目が合った段階で、爺さんは止まった。どう考えたって、自分がいる以上、上には行けないのだ。なんとか、互いに体を横に向けて、やり過ごした。すいませんと小さな声で言った。だが、愛想のない爺さんで、ちゃんとした返事は返ってこなかった。

これほど急で狭い階段は、経験したことがない。昭和の作りなのだろうな、などと思いながら、浜に降り立った。灯台の上り下りも、死ぬほど暑かった。が、浜辺は、何か種類の違う暑さだった。要するに、むっとする暑さだ。それに、日射が半端なくきつい。脇目もふらず、車へ向かった。幸いなことに、わが愛車はすぐそこに止まっていた。白い車体が眩しかった。

車の中は、蒸し風呂状態だった。月並みの言い方だ。実態を正確に記述していない。蒸し風呂状態どころか、それ以上の暑さだった。焼けるような暑さだ。いやこれは、修飾過多だろう。とにかく、暑くてすぐには入れないような状態だった。エアコンを全開にして、しばらく、ドアを開けておいた。

外で着替えをした。上半身に日射が当たり、痛いように感じた。ただ、足の甲はなんでもなかった。軽登山靴が日射を防いでくれたのだろう、日焼け湿疹はできなかった。車の中に入った。すべての窓にシールドを張り、後ろの仮眠スペースに滑り込んだ。むろん、靴下もジーンズも脱いだ。涼しい風が来る。

ほっとして、横になった。少し頬が熱い、それに軽い頭痛。保冷剤入りバックに入っているペットボトルの水を飲んだ。冷たかった。軽い熱中症かも知れない。少し眠ろう。念のため、耳栓もした。目を閉じて、この後の行動日程を考えた。十一時半頃だったとおもう。九時から撮り始めたのだから、二時間くらい灯台を撮っていたことになる。ま、限界だな。ふっと、意識が遠のいた。

なにか、いろいろ考えていたような気もするが、時計を見たら十二時半を過ぎていた。小一時間横になっていたわけだ。元気が回復していて、気分もよくなった。だが、横になったまま、しばらく考えていた。…この後の予定、浜辺から断崖の灯台を撮る。そのあとどうしようか。宿に入るには早すぎるし、だいいち時間がもったいないだろう。ふと思いついたのは、観光だ。近くに、弥彦がある。

弥彦、という言葉は、小学生の頃から知っている。<国定公園記念切手>の中に、佐渡弥彦、という切手があったからだ。当時としては、きれいなカラーの切手で、金持ちの同級生が、そのシリーズを全部持っているのが羨ましかった。もっとも、当時も今も<弥彦>の実態は知らない。なんで有名なのかも知らない。山があって、神社があって、とその程度の知識だ。だが、その弥彦が目の前にある。

そう、今日の朝、高速を降りて、角田岬へ向かう途中、ふと不思議に思ったことがある。周りは、一面青々とした稲田。なのに、海の方に山が見える。大きな塊が二つあって、右側が目的地の角田岬。その隣が、おそらく弥彦だろう。平野の中に、いきなりそこだけが山なのだ。しかもその向こうは海だ。普通は、山があって平野があって海になる。だが、順番がおかしい。目の前に広がる光景は、平野があって山があって、その向こうに海だ。要するに、平野の中に、ぼこぼこっと大きな山並みが二つある。あまり見たことのない地形だなと思った。

今ネットでちょっと調べた。地形に関しては、海底火山が隆起したものなのか、ほかの理由なのか、詳しく研究されていないとのこと。まいったね!弥彦神社に関しては、越後一の宮と言われ、信仰の中心地だったらしい。現在はロープウェイなどもあり、新潟県有数の観光地でもある。なるほど、関東で言えば、御岳山とか高尾山とか、そういった感じの場所だったんだ。

ま、とにかく、景色も良さそうなので、午後はゆっくり弥彦観光だな、と心づもりして身支度をした。ちらっと、角田岬灯台の夕景を撮ろうかな、と思った。何しろ、夕日のきれいなところなのだ。だが、夕方、暗くなって、あの急な登山道を上がるのかと思うと、気持ちが萎えた。それに、まだ暑いだろう。宿のチェックインは六時になっているし、暗くなって、車を運転するのも嫌だった。要するに、何もかも、体力的なことが絡んでいて、それがやる気をすべて殺いでいる。実存とはこうしたものだ。快に流れてしまうことに、さほど抵抗はなかった。

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