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<灯台紀行・旅日誌>&<花撮り物語>

<灯台>と<花>のフォトエッセー

2021

01/10

Sun.

11:09:12

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 南房総編

<灯台紀行・旅日誌>2020南房総編#7 野島埼灯台撮影2

二日目
たしか、朝の五時か六時ころ、トイレに起きたついでに窓へ行き、カーテンを少しめくって、外の景色を見たような気がする。曇り空で、朝日は見えない。ちょっとがっかりした。また横になり、すこしうとうとして、七時に起きた。洗面、食事、排便、身支度。朝食はブドウパンとあんパン、それに牛乳。ブドウパンはまずかった。一枚食べるのがやっと。排便、小、少し出た。八時ころに、エレベーターで下に下り、受付で、出かけてきますといって鍵を渡した。

晴れマークがついているはずなのに、雲が多い。ナビを、洲埼灯台にセットして出発した。途中、東側から野島埼灯台が撮れる場所に立ち寄った。道沿いに駐車場があり、公園のような感じになっている。昨日、横を通り過ぎた時に、目星をつけておいたのだ。遠目なので、望遠カメラも三脚も持った。朝から、ずっしり重かった。

駐車場の向こうは海だった。手前が芝生広場で、浜辺沿いにちょっとした遊歩道がある。ベンチなども置かれている。灯台の垂直、正対という観点からして、なるべく、海にせり出した所がよい。見回すと、遊歩道は左へと、弓なりに続いている。その遊歩道の終点が何やら、展望スペースになっている感じ。柵もちゃんとある。まあ~、あそこしかないなと思った。迷わず歩き出した。

時間は八時半ちょっと前だったようだ。行き止まりの展望スペースに着いた。脇に、大きな碑が立っていた。海難供養だと思う。正直言って、興味がなく、記念写真すら撮らなかった。それに、さしたる理由もなしに、朝っぱらから、供養碑にカメラを向けるのも、失礼だろう。重いカメラバッグをおろした。三脚を組み立て、柵の前に立てた。肩の高さほどの柵だった。望遠カメラを、彼方の野島岬に向けた。白い灯台が立っている。だが、雲が多い。日差しはほとんどない。全体的に暗い感じだ。スマホを取り出し、天気予報を見た。たしか、九時から晴れマークがついていた。日差しが出るまで、少し、粘ることにした。

昨日の午後の撮影で、風が少し冷たかった。念のためにと、今朝は厚手のパーカを着こんでいる。辺りを見回した。一組か二組、朝の散歩だろう、老人とワンコが見えた。空は、ほぼ雲に覆われていた。写真的には、露出が足らない。暗い。でも、風はなく、静かだ。ファインダーを何度も覗きこみ、これしかないという構図を探しあて、陽射しを待った。その間、柵に肘をかけ、沖を眺めたりした。そういえば、待ちの撮影は、初回の犬吠埼旅以来だ。なんとなく、ほっとしたような気分だ。久しぶりに、撮り歩きの緊張から解放されたのだ。

とはいえ、なかなか陽射しが来ない。やや焦れてきた。海を眺めるのにも飽きて、今度は陸の方を眺めた。砂浜沿いにホテルがあり、海沿いの道にも、大きなホテルが何軒か見える。そのうちの一軒は廃業している。そういえば、今回泊まっているホテルも、名前が変わっている。経営者が変わり、世慣れた、賃金の安い初老の従業員を雇ったのだろう。あり得ることだ。

九時近くになった。ほんのすこし、陽が差し込んだ。だが、写真的には不十分だ。露出が足らない。今一度、空全体を見回した。雲が切れる気配はない。これ以上は無理だろう。ふと思って、スマホで明日の天気予報を見た。朝の八時、九時には曇りマークがついていた。今回は、東側からの写真は、あきらめるほかなかった。むろん、曇り空でもそれなりには撮れた。帰宅後の補正で何とかなるかもしれない。望遠カメラを三脚から外して、バックにしまった。

駐車場に戻った。ちょっと先の、野島埼灯台に寄るつもりで車を出した。道沿いの、船溜に面した駐車場は空いていた。昨日は、日曜日だから混んでたんだ。外に出た。カメラ一台を首に掛け、軽装備で歩き出した。船溜の縁をぐるっと回る感じで、遊歩道に入った。遊覧船乗り場の脇を抜けると、赤い鳥居があり、飛び魚のモニュメントや、石の立派な案内板があった。観光気分で、一枚ずつスナップした。見ると、西の雲が切れて、ところどころに青空が見える。なんと、陽射しが出てきたのだ。

野島埼灯台を、歩き撮りするコースはほぼ決まっていた。昨日、同じ場所を二度歩いている。だが、今日は人がいない。静かでいい。それに、何か、空の様子が不安定で、巨大な積乱雲が、灯台の背後にかかり始めた。ま、千載一遇のチャンスなわけで、ここぞとばかり撮りまくった。しかし、いくらもたたないうちに、どこからか、灰色の大きな雲が流れてきて、陽射しは遮られる。

改めて思った。白い灯台に陽射しが当たるか、当たらないかは、灯台写真の良し悪しを決定する、と。ま、そのために、晴れた日を選んで撮りに来たのだ。まさに、原則に立ち戻って、陽が陰れば撮るのをやめ、陽が差せばまた撮るという、やや焦れったい<撮り歩き>をしながら、ベストポジションの岩場に登りあがった。

昨日は行列のできた<朝日と夕日の見えるベンチ>に、一人、悠々と腰かけ、野島埼灯台を、心ゆくまで撮った。背後の雲の様子といい、陽の当たり具合といい、八角形の、真っ白な、背の高い灯台は、神々しく見えた。しかも、観光客は一人もいない。ベンチを早々に立ち去る必要はない。真っ青な、きらきら光る海をスナップしては、ため息をつき、また灯台に向かう。雲が流れて、空の様子が変わっている。

二人用のベンチに、一人で腰かけていた。だが、寂しさは感じなかった。強がってはいない。360度見渡せる、絶景を独り占めしている。寂しいはずがないし、悲しいはずもない。なぜって、念願がかなっているじゃないか。すっからかんの自由だ。やるべきことからも、やらなければならないことからも解放されている。風と光と灯台と、海と空と無限大の眼差し。これだけで十分だろう。地球上の、ある一点に、今在ることを実感した。ここに来たこと、ここに居ることが、間違いでないと確信した。

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