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此岸からの風景

<日本灯台紀行 旅日誌>オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです

2021

08/11

Wed.

10:20:10

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 福島・茨城編

<灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#4
鵜ノ尾埼灯台撮影3~ホテル

悪路、というか、人間の歩行の限界を試しているかような場所から、やっとのことで、滑りも転びもせず、砂浜にたどり着いた。陽が少し西に傾いている。海の中にいるサーファーの数も減っていた。週三日のジム通いで、年寄りなりに、足腰は鍛えているつもりだったが、その根拠のない自信はもろくも崩れていた。膝がガクガクなのだ。

だが、もうひと頑張りだ。いや頑張ろうとすら思わなかった。あたりまえのように、また、<鵜ノ尾岬灯台>へ向かった。漁港を出て、先ほど浜辺から見た短いトンネルをくぐった。今日二回目の灯台下の駐車場だ。車がけっこう止まっている。たしか、カメラ二台だけ持って岬を登り始めたのだと思う。いや、忘れた。カメラバックに三脚は取りつけず、中に飲料水だけを入れて背負っていたのかもしれない。

残念なことに、雲が出てきた。午前中と同じ道順で、灯台を撮りながら、岬を巡った。家族連れに何組か遭遇した。印象に残っているのは、<へりおす>の碑から、とって返した時、向こうから来た、老年夫婦と会釈して、二言三言、言葉を交わしたことだ。はじめ、十メートルくらい先に、旦那が見えた。勘違いかも知れないが、こちらに何度も、会釈しているように見えた。そのあと互いに近づいて、すれ違いざまに、<こんにちは>と言葉を交わした。腰の低い、純朴で穏やかな旦那だった。

さらに、旦那の少し後ろの方にいた奥さんが、<どちらから来たんですか>と話しかけてきた。<埼玉からです><そうですか>。気弱な旦那を支えている、気丈な農家の母ちゃん、という感じがした。自分としては珍しく<今日は、風もなくていい天気ですね>とお愛想を言った。

老夫婦が柵沿いに並んで、岬の灯台を見ている。立ち去りながら、その姿を背中で感じた。よい人たちに出会ったと仄かに思った。

一度、正確には二度、灯台の周りを巡っているので、今回で三度目だ。撮影ポイントは、おおよそわかっていたから、あせることもなく、余裕をもって撮り歩いた。午前の撮影と違い、雲が出てきて、明かりの具合がよくない。そのうち、これ以上撮っても無駄、と判断した。そのあとは、少し観光気分になって、写真撮影を楽しんだ。

引き上げ際、岬の中ほどの山道で立ち止まった。眼下の<松川浦>がオレンジ色に染まりかけている。静かな湖面に、規則正しく細い棒のようなものが並んでいる。あとで知ったが、海苔の養殖をしているようだ。ただ、その中の浮島には、枝だけになった樹木たちのシルエットが見えた。<大津波>に襲われ、生き残った樹木たちだと思った。さらに、ほかにも、やや大きめな浮島がいくつかある。じいっと見た。コンクリで周囲を修繕してある。景観的にどうのこうの、というよりは、なにか無残な感じがした。と同時に、郷土の美しい景観を愛し、懸命に保存しようとしている人間の心を感じた。

さらに、岬を下りたあたり、断崖の窪みに、比較的新しいお地蔵さんたちが、いっぱい並んでいた。案内板を斜め読みしたが、頭に入ってこなかった。幸い写真に撮っておいたので、帰宅後に読むことができた。一度目は戦争、二度目は<大震災>で荒廃してしまった地蔵尊を、その都度、地元の有志が再興してきたようだ。最果ての岬に、ひっそりたたずむ石仏たちには、人間の祈りが込められていたのだ。

静かで、美しい夕景だった。最後に、もう一度、漁港に入って、防波堤から、岬に立つ灯台を狙った。もしかしたら、雲間からの夕陽が、白い灯台をオレンジ色に染め上げるかもしれない、と期待した。ま、そんな奇跡は起きなかった。時間は、午後の三時過ぎだったと思うが、空は、雲に覆われ、ややうす暗くなっていた。防波堤の下では、サーファーたちが帰り支度をしていた。

さあ、引き上げよう。ナビに宿泊するホテル名を読み込ませた。今日は、朝の三時前から動き始めて、車の運転と写真撮影、ほぼ十二時間活動したわけだ。われながら、この歳で、よくやれたと思った。というか、さほど疲れていない。昼の小一時間の仮眠がきいたなと思った。ただ、下っ腹が張っていて、やや不快。ホテルの温水便座で排便したかった。

相馬駅近くのホテルまでは、すぐだった。どこをどう走ったのか、途中でセブンに寄って食料も調達したのだが、ほぼその一切の記憶が飛んでいる。ホテルの受付には、黒いスーツを着た若い女性が二人いた。いや、まだ女の子といった方がいいかもしれない。コロナ関連の書面に署名して、説明を受けた。その説明が、たどたどしくて、客慣れしていない。ちょっと前までは、地元の高校生だったのだろう。前金で一泊¥4147だった。そうそう、それから最後に<地域クーポン券>¥1000分を受け取った。

エレベーターに乗って、部屋へ行った。やや狭いが、こぎれいな感じで、備品などはきちんとそろっている。念のため、冷蔵庫の中に手を入れてみると、ややヒヤッとした。大丈夫だ、冷えている。おそらく、その次には、ユニットバスの中に入って、温水便座で排便したのだと思う。どのくらい出たのか、確認はしなかったが、下っ腹がすっきりしたような覚えがある。

その後、ホテルのパジャマに着替えて、荷物整理。と、空気清浄機が床と細長い机の上に、それぞれ一台ずつあった。さらに、その机の上には、コーヒードリップのような器具もあったが、ひと目見た感じでは、使い方が理解できなかった。あとで見てみよう。それよりも、先にメシだな。保冷バックで冷やしておいた、ノンアルビールの栓を指で開け、セブンで買ったハンバーグ弁当を食べた。あたためてもらったので、まだ少し暖かくて、まずくはなかった。そのあとは、<昼寝 5時>、とメモにあった。

<7時頃おきる 少し体力が回復 風呂・頭を洗う 日誌をつける モニターなど 九時すぎにはねるつもり>。ノートに記したメモである。比較的マメに書いている。ボールペンで文字を書く習慣がなくなって久しいが、灯台旅を始めて、日誌をつけるにあたり、メモ書きの必要に迫られたわけで、少し慣れてきたのだろう。何しろ、記憶力が弱っている。まったく思い出せないことが多々あるのだ。そんな時、メモ書きを読むと、思い出せることもある。

ところで、少しつけ加えよう。旅先、それも初日にホテルの風呂場で頭を洗う、などとは、自分の常識にはないことだった。だが、何というか、融通が利かなくなったのだろう、火木土はジムの日で、その日は頭を洗う、という習慣が身に沁み込んでしまっているのだ。もっとも、一日おきの洗髪は、最近の習慣で、これは、自分の加齢臭にうんざりして、決めたことだ。頭をかいた指先を鼻に持っていくと、独特の臭いがする。この臭い、加齢臭は、洗髪を二日あけると、強烈になる。一日おきが限界だ。世間や他人が、問題なのではない。年寄りくさい臭いのする、自分が嫌なのだ。

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