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<灯台紀行・旅日誌>&<花撮り物語>

<灯台>と<花>のフォトエッセー

2021

01/10

Sun.

11:09:12

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 南房総編

<灯台紀行・旅日誌>2020南房総編#7 野島埼灯台撮影2

二日目
たしか、朝の五時か六時ころ、トイレに起きたついでに窓へ行き、カーテンを少しめくって、外の景色を見たような気がする。曇り空で、朝日は見えない。ちょっとがっかりした。また横になり、すこしうとうとして、七時に起きた。洗面、食事、排便、身支度。朝食はブドウパンとあんパン、それに牛乳。ブドウパンはまずかった。一枚食べるのがやっと。排便、小、少し出た。八時ころに、エレベーターで下に下り、受付で、出かけてきますといって鍵を渡した。

晴れマークがついているはずなのに、雲が多い。ナビを、洲埼灯台にセットして出発した。途中、東側から野島埼灯台が撮れる場所に立ち寄った。道沿いに駐車場があり、公園のような感じになっている。昨日、横を通り過ぎた時に、目星をつけておいたのだ。遠目なので、望遠カメラも三脚も持った。朝から、ずっしり重かった。

駐車場の向こうは海だった。手前が芝生広場で、浜辺沿いにちょっとした遊歩道がある。ベンチなども置かれている。灯台の垂直、正対という観点からして、なるべく、海にせり出した所がよい。見回すと、遊歩道は左へと、弓なりに続いている。その遊歩道の終点が何やら、展望スペースになっている感じ。柵もちゃんとある。まあ~、あそこしかないなと思った。迷わず歩き出した。

時間は八時半ちょっと前だったようだ。行き止まりの展望スペースに着いた。脇に、大きな碑が立っていた。海難供養だと思う。正直言って、興味がなく、記念写真すら撮らなかった。それに、さしたる理由もなしに、朝っぱらから、供養碑にカメラを向けるのも、失礼だろう。重いカメラバッグをおろした。三脚を組み立て、柵の前に立てた。肩の高さほどの柵だった。望遠カメラを、彼方の野島岬に向けた。白い灯台が立っている。だが、雲が多い。日差しはほとんどない。全体的に暗い感じだ。スマホを取り出し、天気予報を見た。たしか、九時から晴れマークがついていた。日差しが出るまで、少し、粘ることにした。

昨日の午後の撮影で、風が少し冷たかった。念のためにと、今朝は厚手のパーカを着こんでいる。辺りを見回した。一組か二組、朝の散歩だろう、老人とワンコが見えた。空は、ほぼ雲に覆われていた。写真的には、露出が足らない。暗い。でも、風はなく、静かだ。ファインダーを何度も覗きこみ、これしかないという構図を探しあて、陽射しを待った。その間、柵に肘をかけ、沖を眺めたりした。そういえば、待ちの撮影は、初回の犬吠埼旅以来だ。なんとなく、ほっとしたような気分だ。久しぶりに、撮り歩きの緊張から解放されたのだ。

とはいえ、なかなか陽射しが来ない。やや焦れてきた。海を眺めるのにも飽きて、今度は陸の方を眺めた。砂浜沿いにホテルがあり、海沿いの道にも、大きなホテルが何軒か見える。そのうちの一軒は廃業している。そういえば、今回泊まっているホテルも、名前が変わっている。経営者が変わり、世慣れた、賃金の安い初老の従業員を雇ったのだろう。あり得ることだ。

九時近くになった。ほんのすこし、陽が差し込んだ。だが、写真的には不十分だ。露出が足らない。今一度、空全体を見回した。雲が切れる気配はない。これ以上は無理だろう。ふと思って、スマホで明日の天気予報を見た。朝の八時、九時には曇りマークがついていた。今回は、東側からの写真は、あきらめるほかなかった。むろん、曇り空でもそれなりには撮れた。帰宅後の補正で何とかなるかもしれない。望遠カメラを三脚から外して、バックにしまった。

駐車場に戻った。ちょっと先の、野島埼灯台に寄るつもりで車を出した。道沿いの、船溜に面した駐車場は空いていた。昨日は、日曜日だから混んでたんだ。外に出た。カメラ一台を首に掛け、軽装備で歩き出した。船溜の縁をぐるっと回る感じで、遊歩道に入った。遊覧船乗り場の脇を抜けると、赤い鳥居があり、飛び魚のモニュメントや、石の立派な案内板があった。観光気分で、一枚ずつスナップした。見ると、西の雲が切れて、ところどころに青空が見える。なんと、陽射しが出てきたのだ。

野島埼灯台を、歩き撮りするコースはほぼ決まっていた。昨日、同じ場所を二度歩いている。だが、今日は人がいない。静かでいい。それに、何か、空の様子が不安定で、巨大な積乱雲が、灯台の背後にかかり始めた。ま、千載一遇のチャンスなわけで、ここぞとばかり撮りまくった。しかし、いくらもたたないうちに、どこからか、灰色の大きな雲が流れてきて、陽射しは遮られる。

改めて思った。白い灯台に陽射しが当たるか、当たらないかは、灯台写真の良し悪しを決定する、と。ま、そのために、晴れた日を選んで撮りに来たのだ。まさに、原則に立ち戻って、陽が陰れば撮るのをやめ、陽が差せばまた撮るという、やや焦れったい<撮り歩き>をしながら、ベストポジションの岩場に登りあがった。

昨日は行列のできた<朝日と夕日の見えるベンチ>に、一人、悠々と腰かけ、野島埼灯台を、心ゆくまで撮った。背後の雲の様子といい、陽の当たり具合といい、八角形の、真っ白な、背の高い灯台は、神々しく見えた。しかも、観光客は一人もいない。ベンチを早々に立ち去る必要はない。真っ青な、きらきら光る海をスナップしては、ため息をつき、また灯台に向かう。雲が流れて、空の様子が変わっている。

二人用のベンチに、一人で腰かけていた。だが、寂しさは感じなかった。強がってはいない。360度見渡せる、絶景を独り占めしている。寂しいはずがないし、悲しいはずもない。なぜって、念願がかなっているじゃないか。すっからかんの自由だ。やるべきことからも、やらなければならないことからも解放されている。風と光と灯台と、海と空と無限大の眼差し。これだけで十分だろう。地球上の、ある一点に、今在ることを実感した。ここに来たこと、ここに居ることが、間違いでないと確信した。

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2021

01/06

Wed.

12:43:00

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 南房総編

<灯台紀行・旅日誌>南房総編2020#6 ホテル 

車に戻った。何回か切り返して、Uターンした。海沿いの悪路を戻った。依然として、車が道沿いに三台止まっている。人影はない。雲が厚く、うす暗い。だが、時間はまだ三時過ぎだった。

宿にはすぐ着いた。十階建ての白いホテルで、外観はまずまず。駐車場も空いていた。トートバックに、着替え、食料、水、洗面用具などを入れた。カメラバックを背負い、重いトードバックを肩にかけた。入り口で、手の消毒を促され、手首で検温を受けた。初老の男性だ。受付カウンターでは、これまた初老の女性から、丁寧な説明を受けた。そのあと、コロナ関連の書面に署名した。その際、身分証の提示を求められた。何の疑問も持たないで、免許証を財布から出して渡した。料金は、と聞くと、チェックアウトの時だという。あれっと思った。というのも、これまで泊まったホテルは、すべて前金だった。いま思えば、身分証の提示を求められたのも、今回が初めてだった。なるほどね、無銭宿泊はできないのだ。

お掃除はどうしますか、と聞かれたので、しなくていいと答えた。ありがとうございます、と受付の女性が小声で言った。そして、タオルや浴衣などは、廊下に出しておいてください、と付け加えた。さらに、浴衣はそこの棚にありますから、好きなものを持って行って下さい。ふ~ん、促す方向を見た。大きな棚だ。受付を終えて、壁際の棚の前へ行った。柄やサイズの違った浴衣が、整然と収納されている。Lサイズの青っぽい柄の浴衣を選んだ。帯は部屋にあるそうだ。

そうそう、鍵は、細長いプラについた奴だった。エレベーターに乗った。張り紙がしてあった。ひとグループずつで乗りましょう、だったかな、内容的には間違いないと思う。少し感心した。たしかに狭いエレベーターで、赤の他人との同乗は、よろしくない。<三蜜>を避ける、ホテル側の対策だ。九階で降りた。さほど広くもないフロアーなのに、部屋の場所がわからず、少しうろうろした。ま、いい。

部屋に入った。和室だ。ホテルというよりは安旅館の雰囲気だ。調度品なども古い。だが、埃だらけということもなく、そこそこに、掃除はしてあった。臭いもない。値段相応だ。とはいえ、いわゆる<オーシャンビュー>で、窓からの眺めは良かった。しかも、ちょっと前に撮った。乙浜漁港の赤い防波堤灯台が、豆粒大に見える。いまは曇り空だが、天気予報では、四時過ぎから夕方にかけて晴れマークがついている。方向的にも、ちょうど真正面に日が沈む感じだ。部屋の中から、ラクして夕陽が撮れるかもしれない。少し楽しい気分になった。

狭いユニットバスの洗面台で、手の甲と顔を、備え付けのボディーソープで念入りに洗った。日焼け止めがなかなか落ちないような気がしたのだ。そのあと、衣服を脱ぎ、一応、クローゼット?にあった木のハンガーにかけ、鴨居につるした。いや、その前に押し入れから、敷布団と掛布団と枕を出したのかもしれない。座卓を少し移動して、敷布団には洗い立ての敷布をかけ、テレビの前で寝られるようにした。服を脱いだのも、顔を洗う前だったかもしれない。いまとなっては、もう思いだすことができない。

ま、とにかく、浴衣に着替えて、念のため、備え付けの金庫に、財布などの入っているポーチを入れて鍵をかけた。金庫の鍵は、部屋の鍵と一緒に細長いプラ棒についていた。エレベーターに乗り<B>のボタンを押した。地下一階が温泉なのだ。ところが、ささやかな期待は、すぐに裏切られた。脱衣所が狭い。人がいっぱい居た。のみならず、湯船も洗い場も狭い。そこにも人がいっぱい居た。

少し距離を取りながら、湯船につかっていると、同僚なのか仲間なのか、至近距離で日焼けした男たちが話をしている。長居しないで、さっと出た。ところが、不幸は重なるもので、浴衣を入れたロッカーの鍵が開かなくなる。あたふたしていると、あとから来た男に、早くどけといわんばかりの、無言の圧力をかけられた。少し脇によって、男と小さな娘をやり過ごし、また、調子の悪い、小さなロッカーのカギをいじくった。さいわい、なぜか、鍵はあいた。一瞬、脱衣場に電話などないし、素っ裸なのに、どうしようかと途方にくれた。ま、よかった!

早々に部屋に戻った。おそらく、テレビをつけ、脇に寄せた座卓の上で、ノンアルビールを飲み、おにぎりと唐揚げを食べたのだ。唐揚げはまだ、少し暖かくてうまかった。そうそう、この宿の冷蔵庫は、型は古いが効き目はよかった。というか、部屋に入った際に、冷蔵庫の温度を<10>にしておいたのだ。ビールは保冷剤入りのバックに入れて来たから、それだけでも冷えていたのに、さらに冷蔵庫で冷やされ、おかげで、自宅で飲むような冷たさになっていた。うまかったと思う。

メモによると、もっとも今回は<メモ>ですらない走り書きだが、午後四時にホテルに到着したことになっている。だが、窓から望遠で撮った写真の時刻が、17時になっていた。到着して、受付、部屋に入って着替え洗顔、カスタマイズ?温泉、食事。ま~、これだけのことを一時間でやってのけたとは到底思えない。そうだ、食事の途中で、漁港が夕陽に染め上げられたので、写真を撮ったのかもしれない。とはいえ、手持ち望遠で、ピントが危うい。一枚だけ撮ってすぐにあきらめ、また食事を続けた。これなら話が合う。いや、おそらくそうだったのだろう。その際、横着して三脚をもって部屋に入らなかったことを、少し後悔したのを覚えている。

その後、食事を終え、撮影画像のモニターをした、と思う。だが、そのうち、六時ころ、少し寝てしまった。さすがに、朝の三時から動き回っていたのだから、疲れたのだろう。とはいえ、八時ころに起きて、持参したお菓子などを食べたような気がする。もっともまたすぐ、寝てしまった。

夜中に、何回か、トイレに起きたはずだ。その際、窓の外の夜景を見た。右半分は海で真っ暗。ただし、赤いランプが三つ点滅している。うち一つは、間隔が短く、しかも光量が強い。すぐ近くの防波堤に設置されているのだろう。ただし、防波堤灯台でない。なぜなら、いま窓から見える範囲にある防波堤灯台は、乙浜漁港の、海の中の赤い防波堤灯台だけだからである。眼下の海っぺりは今日の午後、この目で見て回ったのだ。

その、手前の光量の強い赤い点滅と、その奥の、やや小さな赤い点滅の間に、鮮やかな緑が点滅している。最近仕入れた知識が役になった。すなわち、防波堤灯台の陸へ向かって右側の赤い灯台は、赤い光を点滅し、左側の白い灯台は緑の光を点滅する。つまり、奥の赤い点滅は、乙浜防波堤灯台に間違いない。とはいえ、緑の点滅は、何なのだ?それらしき灯台は見当たらなかったが。もっとも、左奥には、もう一つ赤い点滅が見える。これも何なのか、よくわからない。

ところで、いま一度、サッシ窓から見える夜景を見直した。右半分は暗い海、三つの赤い点滅と、一つの緑の点滅が見える。正面には、高層のマンションが建っている。階段や部屋の明かりが点々としている。明るい。ま、景観的には邪魔だが。左側は、おそらくは新興の住居地で、民家の光がまばら。その間をぬって生活道路の街灯が点々としている。さびしくもなく、にぎやかでもなく、普通の住居地の穏やかな夜景だ。

要するに、正面、左半分は、さほど興味がないわけだ。重いサッシの窓を開けたのだろうか。少し冷たい海風、波音がはっきり聞こえる。視線を、暗い海に戻した。魅かれたのは、緑の点滅だ。これまで、一度も見たことない光景だった。しかも、その緑の意味を理解していた。むろん、その奥の、というか上の、赤い微かな点滅も気になった。真っ暗な海へ向かって、一晩中、ペアになって、赤と緑の点滅を繰り返すのだ。

静かにサッシ窓を閉めた。遮光カーテンもしっかり閉めたと思う。朝日が眩しいはずだ。横になった。波音が微かに聞こえた。幸いなことに、物音はほとんどしなかった。いや、一度くらい、寝かかったときに、びくっとしたかもしれない。明日の予定を思った。七時ころまで寝ていようかな。七時起床、八時出発。波音が一段と高まった、ような気もする。

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2021

01/03

Sun.

13:39:50

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 南房総編

<灯台紀行・旅日誌>南房総編2020#5
移動~安房白浜港灯台撮影1

車に戻った。ナビを野島埼灯台にセットした。復路は<房総フラワーライン>を通らず、館山の市街地を突っ切り、山越えの道を選んだ。ナビの指示だ。野島埼―洲埼―船形と、来るときは、三角形の二辺を走り、戻りは、残りの船形―野島埼の一辺を走ったことになる。当然距離は短くなり、時間もかからなかった。ただし、見通しのない退屈な道だ。朝来た時に一度走っているから、なおさらそう感じたのかもしれない。

山道を下りきったところの信号を右折すると、セブンイレブンが見えた。野島埼灯台の周辺に、コンビニはここしかない。来る前にグーグルマップで下見済みだ。まだ午後の一時台だったようだ。少し気が早いと思ったものの、夕食などの食料を買い込んだ。おにぎり三個、内一個は赤飯握り。あとは菓子パン類二個、500mmパック牛乳。それに唐揚げ。

唐揚げは、レジのおじさん、というか爺さんに、いくつですかと聞かれた。二つ、と答えると、爺さんが揚げ物のケースを見て、おたおたしている。と、そばにいたおばさんが、すかさず、ちょっと待ってくれればすぐに用意します、とこちらに顔を向けた。爺さんも、一瞬、おばさんの方を見た。それから向き直り、商品のレジ打ち?を始めた。その手つきが、頼りない。あきらかに、間違えまいと努力している。入ったばかりのアルバイトだろう。

店内は、日曜日の昼時だからか、意外に混んでいた。レジは三つあり、次から次へと客が並んだ。すぐに、おばさんから、爺さんへと箱入りの唐揚げが手渡された。爺さんは<唐揚げ、五個>と言いながら、目の前のレジ画面を慎重に指で触れた。可もなく不可もなく、会社を定年まで勤め上げたのだろうか。物腰の柔らかい、少し禿げ上がった、白髪頭の爺さんだった。

はやっているコンビニには、さっきのような、テキパキおばさんがいることが多いような気がする。アルバイトの学生や若い女性、それに外国籍の店員などの、不愛想なレジ応対に慣れているので、こういう店に入ると、なにか、得をしたような気がする。おそらく、誰しもが感じていることで、はやっている店には、それなりの理由があるのだ。車を走らせながら、ふと思った。

野島埼灯台の、道沿いの駐車場に着いた。あれま、満車だ。ほかに駐車場はない。となれば、灯台前の一方通行のロータリーに路駐するほかない。なるほど、土産物屋などの店先に、ぐるっと車が止まっている。どれどれ、とゆっくり走っていく。さいわい、ロータリーの出口付近に、一台だけ止めるスペースがあった。

車から出た。雲の多い空模様ではあるが、ちょうど、陽が差してきた。暑かった。遊歩道を歩きながら、見上げるような感じで灯台を撮った。ベストポジションの<朝日と夕日が見えるベンチ>の辺りは、やや混雑している。観光客が多い。じっくり写真を撮るような雰囲気じゃない。早々に引き上げ。午後の二時ちょっと前だったようだ。

さてと、本日最後の撮影場所、安房白浜港港灯台にナビをセットした。海沿いの道を十五分も走れば着くだろう。走り始めるとすぐ、目の前に、赤い小さな防波堤灯台が見えた。何やら、漁港の奥だ。時間もまだ早い。見に行こう。係船岸壁をゆるゆる走る。片側にずらっと車が駐車している。見ると、正面は行き止まり。車列の空いているところに車を止めて、外に出た。

何やら、奥が深い。岸壁が広がっている。釣り場になっているらしく、釣り人がかなりいる。右手の、やや高い堤防に、踏み石を利用して登りあがった。堤防を歩いて、赤い防波堤灯台に近づいた。突端に、釣り人が何人もいる。なんとなく、そばまで行く気になれず、少し手前で止まって、何枚か撮った。赤い防波堤灯台は、海の中の防波堤に立っていた。防波堤は波消しブロックにがっちり守られている。歩いて行くことはできない。だが、全体のロケーションがイマイチで、見えている灯台の形にも、さほど魅力を感じなかった。正式の名前は、乙浜港南防波堤灯台、今調べた。

引き返した。車に乗った。漁港を出て右折。すぐ左手に、今日と明日泊まるホテルが見えた。さあ、ここからが問題で、次に行く安房白浜港灯台の付近には、駐車スペースがない。下調べした段階では、片側一車線のさして広くない、海沿いの道路に路駐するか、あるいは、砂浜沿いの道なき道を行くか、の二つだ。しかも、その道なき道の先が、どのような状態なのか、グーグルマップでは確認できない。

どうしようか、と思っているうちに、マップシュミレーションした光景が広がってきた。やはり、路駐は気が進まない。気になって、じっくり撮影ができない。と、右手に浜へと入る道。あわてて右折。悪路に入る。すぐに突き当り。木立があって海への視界はさえぎられている。灯台は右方向。そろそろ行くと、左手に海が見えた。道が少し広くなっていて、車が三台止まっている。人影はない。釣りに来ているのだろう。そんなことより、スペースがいっぱいで、止められない。

前に進むしかないだろう。いざという時は、バックで戻ってくればいい。ガタガタの水たまりの悪路を行く。タイヤまわりが汚れることが少し気になった。だが、今はそんなことにこだわっている時ではない。と、家が数軒見えた。こんなところになんで?と思いながら、ゆっくり脇を通り過ぎる。人影はない。悪路はさらに細くなる。停止してちょっと考えた。別荘だな。いや、それよりも、この先は無理だろう。道が細すぎる。それに、悪路が極まっている。

道の真ん中に車を止めて、外に出た。お目当ての灯台が、海辺に見えた。見ると、悪路の左側に少し広くなったところがある。車一台分くらいはある。シカとしてここにぶっ止めようか。あたりの様子をうかがった。要するに、どん詰まりの別荘地だったのだ。悪路にT字する形で、右手に道があり、その両側に家が建っている。伸びあがってみると、どうやら、その道も行き止まり。さっき通った海沿いの道路には抜けられない。

別荘の私道が砂浜沿いの悪路にぶつかるところが、少し広くなっている。おそらく、車の切り返しのためだろう、だとすれば、駐車はまずいだろう。と思ったが、辺りに人の気配は全くない。五、六軒ある別荘の雨戸はみな閉ざされている。物騒だな、コロナの影響かな、そんなことはどうでもいい。車を脇に寄せた。一、二回、切り返し、寄せるだけ寄せた。これなら、万が一にも、ほかの車が来ても通れるだろう。撮影中に、クラクションを鳴らされるほど、嫌なことはない。

カメラバックは車に置いていこう。軽い方のカメラを首にかけ、悪路を歩き始めた。凸凹、深い水たまり、その上、車一台通るのがやっと、こんな道はできれば走りたくない。もっとも、以前乗っていたジムニーなら、迷わず突っ込んでいっただろう。ただし、高速を走ってここまで来ることはできない。やっぱ、<軽>じゃ高速は無理だよな。いや、無理ではないが、疲労感がひどい。と、視界が開けた。行き止まりではあるが、少し広くなっている。Uターンできるかもしれない。なあ~んだと思った。

海の方へ向き直った。なるほど、波打ち際の岩場に、その灯台はポツンと立っていた。中ほどやや上が少しくびれた、<とっくり>に形が似ていないこともない。優しいフォルムだ。それにロケーションは最高。ただし、空の様子がよろしくない。ところどころに青空はあるものも、全体的には曇りで、暗い。とくに、灯台の背景は鉛色の曇り空だ。だが、ここまで来た以上、晴れていようが、曇っていようが、撮るしかないのだ。

滑って転ばないように、慎重に岩場に上がった。岩場は、非常に複雑な形をしていた。単に凸凹だけでない。ノコギリの歯を横に並べた感じだ。幾層にも重なる、その歯の上を飛び歩きしながら、灯台に近づいていった。灯台は、陸続きの岩場ではなく、海の中の岩場に立っている。むろん、岩場の最先端まで行った。目の前は海だ。これ以上は近寄れない。灯台の扉が正面に見える。この位置がベストポジションのような気もした。

しかし、わからんだろう?灯台を中心点にして、右へ、左へと、ノコギリの歯の上を移動した。ただし、深追い?はしなかった。というのも、明かりの具合がよろしくない。背景も鉛色の空だ。きれいに撮れているはずがない。まだ、三時過ぎだったが、明日の天気に期待しようと思った。早めにホテルに入って、温泉にでも入ろう。何しろ、今日は、朝の三時から動きまわっているんだ。岩場から上がった。今一度、行き止まりの広さを目で確認した。ま、ここなら、Uターンできそうだ。

水たまりを避けながら、悪路を歩き出した。脇に、オレンジ色のユリのような花が数本、浜風に揺れている。カンゾウだと思う。その場にしゃがみこんで、お花たちを画面に入れた。灯台とお花のマッチングに、いつもながら心が和んだ。

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2020

12/30

Wed.

12:31:02

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 南房総編

<灯台紀行・旅日誌>南房総編 2020#4
休憩・移動~洲崎灯台・船形漁港

灯台横の芝生広場に戻ってきた。東屋に人影はなかった。休憩しよう。広さ的には六畳くらいあるものの、縁の腰掛の幅が狭い。横になることは不可能だ。というのも、少し眠い。時間は、九時半ころだったと思う。上半身裸になって、ロンTを二枚、腰高の仕切り壁に干した。裸足になり、浅く腰かけた。足を投げ出し、目をつぶった。頭の上の方で、ぴ~ひょろひょろと聞こえた。トンビかなと思った。

ほんの数分で、姿勢を変えた。どうも座りがよくない。とてもじゃないが、眠れるような場所じゃない。でも、せめて、あと三十分くらいは、休んでいよう。これからの予定を考えた。房総半島の先端を海沿いに西へ移動。洲埼(すのさき)灯台へ行く。時間はここから三十分くらい。そのあとは、北上。また三十分くらい走って、船形平島灯台を撮りに行く。一通り撮り終えたら、すぐ戻ってくる。一時間ほどかかるだろう。野島埼灯台に戻って、海沿いの道を東へ走る。二十分ほどで安房白浜灯台に到着。明かりの具合がよければ、落日まで粘る。盛りだくさんだ。予定通りに行動できるだろうか。

とここまで考えて、頭も体もしゃんとしてきた。さほど暑くないことが幸いしていた。午前三時から動き出しているにもかかわらず、体力的にも、気力的にも、まだ全然大丈夫だった。身支度をしていると、観光客が二組、東屋にやってきた。ちらっと見た。老年の夫婦連れに、親子だろうか女性の二人連れ。人間には全く興味がなくて、印象が薄い。去り際に振り返ると、女性二人連れの若い方が、腰掛に二十センチくらいの人形を置いて、スマホで撮影している。やはり娘だったのか。一人前の女性に見えたが、無邪気なもんだ。

車に戻った。ナビを洲埼(すのさき)灯台にセットして、海沿いの道<房総フラワーライン>を走った。たしかに、道の両側にオレンジや黄色のマリーゴールドが植えてある。背の高い椰子の木も見えた。ま、それよりも目についたのは、ところどこにあった、深紅のカンナだった。気持ちのいい道だ。と、ナビに促されて、左折。マップシュミレーションで見た光景が広がった。もう着いたのか、という感じだった。

左折するとすぐ左手に、公衆便所がある。比較的きれいで、駐車スペースも二台分ある。黒い軽のバンが止まっている。運転手はいない。用を足して、ふと見ると、岬の上に灯台が見える。車からカメラを取りだして、何枚か撮る。写真的にはイマイだな。

民家が立ち並ぶ狭い道をさらに行く。<灯台下駐車場>の看板。¥200らしい。灯台入口の脇に商店がある。私設駐車場の管理者だろう。手前の駐車場がいっぱいなので、奥の商店母屋の庭のようなところに車を止めた。なぜか、住宅の工事をしている、その前だ。

商店の主らしき爺さんが出てきた。自分の後に、駐車場に入って来た車に、なにやら止め方の指図をしている。かまわず、窓から、¥200を手渡した。愛想が悪いというほどでもない。車から出た。望遠カメラ、三脚は置いていくことにした。灯台の敷地が狭いことは下調べしてあった。カメラ一台を首から下げ、いざ出発。

商店横の階段を登った。登り始めてすぐに、商店母屋の屋根の上に、ブルーの土嚢がたくさん置いてあるのが見えた。ちょっとピンとこなかった。両脇は木立、だが、すぐに灯台が見えた。と、上の方に何人か、階段で待機している。要するに、すれ違い出来ないので、自分のことを待ってくれているわけだ。脇を通る際<すいません>と声をかけた。

灯台の敷地に入った。目の前の灯台がある。その横を、というか前をすり抜けると、ちょっとした広場になる。緑の芝生が鮮やかだ。もっとも、さほど広くはない。かろうじて、灯台が写真の画面におさまるくらいの広さだ。それよりも、予想以上に人が多い。たしかに、東側以外は、ぐるっと海に囲まれていて、展望はいい。それに日曜日ということもある。だが、これほどまでに観光客が絶えないのは、なぜなのか。ちょっと首をかしげた。

敷地の端に、二畳ほどの木製バルコニーがある。方角の案内板も設置されている。灯台見物に来た人は、必ず、そこに上がって、周りを見回す。バルコニーは広場をはさんで、灯台と正対している。記念写真を撮るにはよい場所だ。自分も最初は、そこで撮った。だが、行き帰りの観光客が、灯台の前でけっこう長居する。おちおち撮っていられない。狭いバルコニーをいつまでも占拠しているわけにもいかず、しかたなく、ほかの観光客に場所を譲った。

洲埼灯台と、先日行った剱埼灯台はペア灯台らしい。つまり、東京湾の入り口を、それぞれ房総半島と三浦半島から照らしているわけだ。頭の中で関東地方の地図を思い浮かべた。なるほどと思った。だが、現地では、どうも方向がよくわからなかった。バルコニーの方角案内板で富士山の方向を確かめた。目を凝らすと、何やらそれらしいものが見えた。いや、雲だったのかもしれない。ま、とにかく、富士山が見えるということは、こっちが西側かな?なんだか、ますますわからなくなった。

相変わらず、観光客は絶え間ない。ほとんどのみなさんが、長時間の滞在はしないのだけれど、あとからあとからなので、まったく撮影にならない。空模様もイマイチで、陰る時間帯の方が多い。撮影画像で、滞在時間を調べたら、それでも四十分くらい居たことになる。まあ~、粘った方だ。明日もあるということで、灯台を後にした。

階段を下ったときに、また、屋根の上のブルーの土嚢袋が目に入った。・・・昨年の台風で被害を受けたのだ。それが、一年近くたっても修繕されず、応急処置のままなのだろう。経済的な問題なのか、それとも修理業者が足りないのか、いずれにしても、また台風の季節になる。自分だったら、気が気ではない。

駐車場に戻った。依然として、あとからあとから、観光客が来る。ちょっと走って、さっき寄った公衆トイレの駐車場に車を止めめ、用を足した。ナビを船形平島灯台にセットして、また走りだした。道は、一応<房総フラワーライン>なのだが、民家が立て込んできて、さほどよろしくない。ただし、左手が海岸なので、見通しはいい。

そのうち館山の市街地に入った。海岸沿いの道に広い駐車場がいくつもある。観光地になっている。館山の駅にも近いようだ。波が穏やかなので、サーフィンではなく、ジェットスキーのスポットらしい。それ用のトレーラーをくっ付けている車が多い。ナビの画面から推測して、左カーブしている砂浜の向こうに、目指す灯台がありそうだ。

にぎやか場所を通り過ぎると、じきに<船形>の信号。左折して、漁港に入って行った。ナビの案内はここで終了。ゆっくり走りながら、漁港の中を覗きこんだ。比較的広々していて、人影はない。立ち入り禁止の看板もなく、ロープも張っていない。小山になった巻き網が、係船岸壁沿いに並んでいる。その手前に、車が何台か距離をあけて止まっている。釣り人の車だろう。大丈夫そうだ。空いているところに、適当に車を止めて、外に出た。

撮影画像で確認したところ、船形漁港の防波堤灯台を撮り始めたのは、十二時ころだった。雲は多いものの、日ざしはあった。ただ、トップライトの、逆光になっていて、写真的には、きれいに撮れない。時間がよくないな。だが、日が傾くまで待つわけにもいかない。頭の中で、明日の予定を算段した。もう少し早い時間に来れば、今日よりはきれいに撮れるかもしれない。

撮るのあっさり諦めた。戻ろう。引き上げ際に、漁港の右端にある、二本の大きなクレーンが目にとまった。造船所なのか。なぜかそこだけが青空だった。寂れかけた感じがいい。迷わず、一枚だけ撮った。

ちなみに、正式には、海に向かって左側の、真ん中のくびれた赤い方が、船形港東防波堤灯台、右側の角ばった白い方が船形港西灯台だった。だがこの時、何を勘違いしていたのか、赤い方の防波堤灯台を船形平島灯台だと思い込んでいた。あとで勘違いに気づいて、がっくりした。そういえば、学校のテストでも、同じようなことをよくしていた。思い込みが強くて、失敗したり、痛い目を見たことが、思えば、多々あったような気がする。

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2020

12/26

Sat.

10:59:41

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 南房総編

<灯台紀行・旅日誌>南房総編 2020#3 野島埼灯台撮影1

千葉県南房総市白浜、野島埼灯台の撮影ポイントは、おそらく二か所しかない。グーグルの画像検索を見る限りでは、ま、その二か所も、絶景とは言いかねる。ただし、景観であることに間違いはない。もっとも、灯台が見える地点をすべて見て回るのが、自分なりの撮影流儀だ。いまだ余人が、見落としているポイントがあるかもしれない。しかしこれは、あくまでも可能性の問題であって、実際のところ、画像検索でヒットした場所以外には、これといった撮影ポイントが見つかったためしはない。

撮影の原則は、被写体の周りを可能な限り360度回りながら撮ることだ。もっとも、灯台の場合は、立地的に、海に面していることが多いので、海上から撮ることは、最初から考慮していない。また、断崖に立っていることが多く、敷地も狭い。したがって、ヒキが浅くなり、左右からの撮影も難しい。となれば、正面しかない。しかしこれとて、敷地が広くて、灯台との距離がある程度取れればの話である。あとは、灯台の立っている岬の両側に、浜辺や山などがある場合、遠目ながらも、この横から見た位置取りが有効な場合もある。要するに、灯台は、きれいに撮れる場所が非常に限られているわけだ。

ちなみに、最近はやりの<ドローン>での撮影なら、これらの制約を越えて、これまで人間が見たことのない灯台の景色が見られるはずだ。だが、ドローンを操作して、空中から灯台を撮影するという技術は、生きているあいだに習得できそうもない。いや、その気もない。今のところ、ドローン撮影は、写真とは別物と考えて、その長所短所に関しても口を慎もう。

話を戻そう。撮影ポイントは二か所しかないと書いた。一つ目は正面から、二つ目は西側の浜辺、というか浜辺沿いの道からだろう。そこから撮影したであろう画像の何枚かは、頭に入っている。ただし、運良く、その場所を見つけられたとしても、空の様子、明かりの具合が問題になる。チョロっと行って、ベストの写真が撮れるほど風景写真は甘くない。

撮りながら、歩き始めた。はじめの一枚目は、七時三十九分だった。日が昇り始めていて、逆光だ。写真というよりはスナップだな。駐車場の下は、船溜まりのような感じになっていた。釣りをしている人がたくさんいる。小型の遊覧船も止まっている。灯台への入り口はすぐに見つかった。神社の参道と並行している薄暗い道だ。少し登り坂。目の先に、樹木などに両脇を挟まれた、白い灯台が見えた。

ゆっくり登っていくと、左手から人の声。植え込みの間から、神社の社が見える。何やら、おしゃべりしながら境内を掃除している年寄りたちだ。いま思えば、日曜日の朝だった。神社の清掃の日なのだろう。灯台の正面に出た。見上げるほど巨大。だが、近すぎる。フォルムの全体像が見えない。案内板を見た。三浦半島の観音埼灯台とペアの灯台で、東京湾の入り口を房総半島側から照らしている。設計者も同じでフランス人の<ヴェルニー>だった。

なるほど、どおりで形が似ている。どちらも、八角形の背の高い立派な灯台で、灯台50選にも選ばれている。ちなみに、観音埼灯台が、わが国最初の洋式灯台で、野島埼灯台は二番目らしい。もっとも、両方とも、初代は関東大震災で倒壊している。いまある灯台は、震災後に再建されたらしい。ま、それにしても、およそ百年近くたっているわけだ。

<ヴェルニー>の設計した、初代の灯台は、白い煉瓦製の八角形だったらしい。したがって、いま現在の灯台は、そのフォルムを継承したのだろう。だが、二代目の設計者の名前が、容易にネット検索できない。よく調べれば、出てくるだろう。なにせ、百年たっても健在、なおかつ、美しい灯台の設計者なのだ。たぶん、名のある人なのだろう。こちらが知らないだけだ。

時計を見た。まだ八時前だった。休日は八時半から、平日は九時から灯台に登れる、と案内板にある。まだ早い。後でもう一度寄ろうか、どうしようか、ちょっと迷った。というのも、一つは体力的なことだ。つまり、灯台内部の急な螺旋階段を登るのが億劫に感じた。二つ目は、たとえ上に上がったところで、確かに眺めはいいのだろうが、それだけだ。これまでの経験で多少利口になっている。灯台の写真を撮ることが目的で、灯台見物は二の次だろう。

灯台に背を向けた。坂を下りて行くと、左側に階段があった。なるほど、いま来た道を戻る必要はない。ここを下れば、灯台前の広場に出られるわけだ。ちなみに、野島埼灯台は、海っぺりの断崖に立っているのではない。断崖の上ではあるが、その下は海ではなく、おそらく岩場をうまく利用したのだろう、遊歩道や彫刻作品などが設置された、芝生のきれいな公園になっている。つまり、海を背にして、かなりの距離を取って灯台を見ることができる。珍しいロケーションだ。

灯台の背後には海がある、という概念がかるく裏切られた。背後には山が見える。しかし、どうも、灯台と山の取り合わせが、ピンとこない。アンマッチな気がする。お互い背の高い者同士だからね。とはいえ、灯台の背後には海が広がっている、という勝手な思い込み、幻想によって、目が曇っているのかもしれない。山並みに突き出ている白い灯台も、美しいではないか。

ところで、日曜日の朝、ということを忘れていた。ぼちぼち人が出てきた。観光客だ。面倒なので、どのような人たちなのか、いちいち見なかった。若い人もいれば年寄りもいた、とだけ言っておこう。それよりも、こちらの関心は、撮影ポイントに関することだ。灯台の前が広々とした公園なので、ベストポイントを探し出すためには、辺り一面くまなく歩き回らなければならない。より正確に言うと、灯台を中心点にした、大きさの違ういくつかの同心円の円周上を渡り歩きながら、一番絵面のいい地点を探すのだ。その一点がベストポイント、というわけだ。

ま、この作業は、嫌いではない。むしろ、写真撮影の中では、楽しい部類に入る。何しろ、自分の感覚と感性だけで、任意の一点を探し出すのだから、いわば<宝探し>に似ていないこともない。もっとも、多少の経験があるので、雲をつかむような話でもない。今回も、さほど苦労はせずに、ベストではなく、ベターな場所を見つけた。つまり、灯台が垂直に見え、なおかつ天地も水平になっている場所だ。

問題は、灯台の周りにある構造物とか、手前の芝生広場にある、彫刻とか記念碑とかベンチなどだ。要するに、目障りなわけだ。それらのものが、なるべく目立たないようにするには、カメラの画角を狭めるという手がある。ただし、狭め過ぎてもよくない。灯台だけをクローズアップしても面白くないのだ。心づもりしているのは、<灯台の見える風景>あるいは<灯台のある風景>というコンセプトではない。灯台が風景の中で屹立している感じが好きなのだ。灯台を際立てたいのだ。

極端なことを言えば、灯台周りには、海と空だけでいい。ところがそうはいかない。周りにいろいろなものがある。だから、こちらにできることは、なるべくそれらの物体を目立たなくすることだけだ。ま、ある意味、それが写真の面白さでもある。とにかく、ベターな地点は見つけたので、今度は、その範囲内で、ベストな地点を見つけようとした。

その場で<回れ右>をして、灯台に背を向けた。後退していく方向を確かめた。遊歩道を踏み越えると、一段と高い岩場がある。そのてっぺんに、白い塗装の剥げたひじ掛けベンチがひとつ、海に向かっている。房総半島最南端<朝日と夕日が見えるベンチ>だそうで、灯台より人気がある。なんと、観光客が数珠なりだ。

なるほど、あの小高い岩場のベンチが、ベストポイントなんだな。いま一度<回れ右>をして、灯台を見た。そのまま、少しずつ後退しながら撮った。芝生広場の縁を回っている遊歩道に到着。うしろでは、ベンチに座ろうとしている観光客が、岩場の上に斜めに立って、並んでいる。写真は無理だな。あきらめて、目の前の黒光りしているモニュメントなどを、ちらっと眺めて、海沿いの遊歩道を歩き始めた。

ベターな地点からは、はずれてしまった。だが一応、灯台が見える地点でのスナップは続けた。しかし、だんだん灯台から離れ行く。断崖の木立で灯台そのものが見えない。遊歩道がどこまで続くのか、少し気になったものの、引き返した。と、脇に入る道がある。五、六歩踏みこむと、何やら建物がある。看板に<白浜海洋美術館>とあった。伸びあがって、奥の方を見る。普通の民家のような感じ、しかもシーンとしている。

そっちには行かないで、さらに踏み込んでいくと、芝生の何もない広場に出た。人の気配がしない。日当たりのいい、お屋敷の庭のような雰囲気だ。私有地に迷い込んでしまったかのような、バツの悪さを感じた。早々にいま来た遊歩道に戻った。

たしか、遊歩道の柵沿いで休憩したような気がする。給水、着替えだ。日向だが、さほど暑くもなく、日射も厳しくなかった。そうだ、照ったり陰ったりの天気だった。おりしも、雲間から太陽が出てきた。柵に尻を押し付けながら、目の前の真っ白な灯台を撮った。空はきれいに撮れたものの、遠近感がなく、満足できる写真ではなかった。

カメラバックを背負った。ぶらぶら歩いていま来た道を戻った。岩場のベンチ付近には、さらに人影が増えた。また曇ってきた。それでも、灯台の垂直が感じられる間は、歩きながら写真を撮ったような気がする。

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2020

12/23

Wed.

10:53:36

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 南房総編

<灯台紀行・旅日誌>南房総編 2020#2 往路

九月十二日土曜日、寝たのは夜の九時過ぎだった。翌午前四時起きとはいえ、前回、寝るのが早すぎて、中途半端な時間に起きてしまい、失敗している。ところが、今回も、予定通りにはいかなかった。というのも、三時過ぎに目覚めてしまったのだ。もう、眠れない。首都高の件で、緊張していたのだろう。なるべく空いているうちに通過したいと思っていたわけだ。

迷わずに起きた。外はまだ真っ暗。お決まりのように、洗面、食事(豆腐、梅干し入りのお茶漬け、牛乳)、身支度、排便。ウンコは、まったく出なかった。トートバックに、枕、目覚まし、シェーバー、携帯充電器、ノート、保冷剤入りバック、ペットボトルの水四本、ノンアルビール、バナナ二本を入れた。忘れそうになったが、ニャンコの骨壺に<行ってきます>と声をかけた。

玄関を出た。車に乗った。ナビを<野島埼灯台>にセットした。よくみると、やはり、首都高・山手トンネル経由になっている。と、首都高に入ってからのトイレ休憩が気になった。パーキングがちょっと思いつかない。もっとも、アクアラインの<海ほたる>には寄るつもりだ。だが、そこまで何時間かかるか定かではない。一応、関越の三芳パーキングで用を足していこう。


午前四時出発。真っ暗の中、関越道の最寄りインターへ向かった。すぐに三芳パーキング。まだ、出てから二十分もたっていない。出るかなと思ったが、便器の前に立つと、ちょろちょろと少し出た。ま、多少でも出しておけばな。だが、念のために、朝の缶コーヒーは控えた。カフェインの利尿作用なのか、おしっこが出たくなるからだ。

大泉ジャンクションを左方向、圏央道に入る。さらに、美女木ジャンクションを右折、面白いことに、この地点には高速道路にもかかわらず信号がある。長い信号だった。直角に曲がって、首都高大宮線、五号線を走る。空いている。さらに、熊野町ジャンクションを右方向、中央環状二号線になる。ここからは、ずうっとトンネル。一番いやなところだ。とはいえ、空いている。怖さは全く感じない。案ずるよりも生むがやすし、か。山手トンネルを抜けると、空が少し白み始めていた。まだ朝の五時半過ぎだったと思う。空いているわけだ。三時起きして正解!気分は良かった。

東京湾アクアライン<海ほたる>に入ったのは、午前六時前だった。というのも、スナップ用に持ってきたD200の、一枚目の写真の時刻が、五時五十二分になっているからだ。駐車場は空いていた。どこでも好きなところに止められるくらいだ。外へ出た。海風が予想以上に冷たかった。少し寒いほどだ。半袖を着ていたからな。まずトイレで用を足し、冷たい缶コーヒーを買って飲んだ。

D200を取りだし、駐車場の仕切り壁沿いに、ぐるっと回りながら、東京湾の海景をスナップした。大好きな<スカイツリー>が見えた。白い煙をモクモク出している煙突もあった。おそらく東側だろう、今まさに朝日が昇りかけていた。海が金色に染まっている。思わずシャッターを押した。だが、きれいな色には撮れていなかった。ま、写真などはどうでもいい、いくらか観光気分になっていた。

車に乗り込んだ。バックして出ようとした。と、隣に白い大きなワンボックスカーが入ってきた。見ると、助手席に女の子、運転席の男の子も、おそらく大学生だろう。朝の六時に<海ほたる>でデート。いや、この時間にここにいるということは、デートというよりは旅行かな?二人とも、横顔が笑っている。さわやかな感じがした。

<海ほたる>、名前だけは以前から知っていた。一度行きたいと思っていた。だが、首都高がネックになっていた。今回は、否応なしに通過する場所だったので、ラッキーだった。とはいえ、好奇心が満たされしてしまい、何かのついででなければ、もう来ることもあるまい。いや、帰りにまた寄るつもりだ。その時は、上の階へ行って、東京湾の写真を撮ろう。

そうそう、<アクアライン>は東京と千葉を結ぶ海底トンネルなのだが、山手トンネルからの続きになっているわけで、海の下を走っている実感はほとんどなかった。ま、トンネルだから、当たり前のことだ。とはいえ、<海下57m>という標識を見た時に、ちょっとだけ、今走っているところが海の下だということを想像してみた。もし仮に、トンネルが崩壊すれば、海水があふれてくる。ありうることかもしれない。想像すると、恐ろしくもあり、多少愉快でもあった。

<海ほたる>を出て、木更津方面へ向かう。まさに、東京湾を突っ切っているわけだ。360度の海。少しスピード落として、周りを見ながら走った。海上の道の終わりには、料金所。¥800円くらいとられた。アクララインは別料金らしい。さらに行って、館山自動車道に入る。千葉県に入った。運転の山場は過ぎ、あとは、房総半島の西側を南下するだけだ。車もガラガラ。さらに、気持ちが楽になった。

六時三十九分、君津のパーキングでトイレ休憩。時刻が、D200で撮った写真に記されている。<海ほたる>から三十分足らずだ。ま、用を足すというよりは、日焼け対策だ。ロンTに着がえたり、日焼け止めを顔と指さきに塗ったりした。確実に言えることは、出発時とは、明らかに気分が変わっていた。要するに、運転モードから撮影モードになってきたのだ。

君津、富津、鋸南、冨浦と、次第にトンネルが増えた。さほど長いトンネルではないし、車はほとんど走っていない。緊張するほどでもない。富津館山道路を、冨浦で降りた。そのあとの道も、片側二車線の広い道で、両側に背の高い椰子の木が並んでいる。どこか南国ムードで、気持ちが和んだ

館山の市街地を抜けると、道は一車線になり、やや上りになる。見通しのない山中を走り、狭いトンネルを抜けると、長い下り坂だ。依然として、道はガラガラ。下りきったところのT字路を右折、さらにすぐ左折。と、海沿いの道にでた。灯台は、もうすぐそこだ。そう、この辺りからは、マップシュミレーションしていて、初めて見る景色ではなかった。

白い灯台の上半分が見えた。グーグルマップで何度も見ている、海沿いの駐車場に車を止めた。さほど広い駐車場ではない。車が五、六台止まっていた。たしか七時半過ぎだったと思う。自宅から、三時間半ほどで着いた。トイレ休憩とか<海ほたるで>で写真も撮ったのだから、実質、三時間くらいかもしれない。わりと近かったな。運転もさほど苦にならなかったし、全然疲れていない。

サンダルを軽登山靴に履き替えた。装備を整え、いざ出発。ただし、空の様子がイマイチ、雲が多い。晴れの予報だったはずだがと、携帯で天気予報を確かめた。いちおう晴れマークがついている。まあ~、灯台は目の前だ。晴れだろうが、曇りだろうが、雨だろうが、もう撮るしかないだろう。

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2020

12/20

Sun.

11:34:43

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 南房総編

<灯台紀行・旅日誌>南房総編 2020#1 プロローグ

今日は、2020-9-16日、水曜日。昨日の昼頃、南房総・灯台旅から帰ってきた。これから、旅日誌と撮影画像の選択、補正の作業に取りかかる。と、その前に、二、三書き記しておこう。

八月二十二日に<新潟・鶴岡旅>から帰って来た。そのあと、お決まりのように、撮影画像の選択、補正。それから、旅日誌を書いた。画像編集作業は、枚数が少ないせいもあり、比較的あっさり終了。楽しくできた。一方、旅日誌の方は、かなり難儀した。というのも、少し方針を変更して<旅日誌>以上のものを書こうとしたからだ。少し自分を開示しようとしたので、肩に力が入ったのだろう。筆が進まない。

さらに、なんでもかんでも、手当たり次第に書きまくった一回目、二回目の旅日誌とちがい、文章構成に関する、いろいろな考えが出てきた。ようするに、全体的な構成やバランスを考慮しだした。だが、本来、そういう、頭を使う書き方は苦手なのだ。考えれば考えるほど、一行も書けなくなる。小学生の時の<作文>だ。あの恐怖体験?が<作文トラウマ>となって、その後三十過ぎまで、まともな文章が書けなかった。何しろ、先生からは<作文>の書き方を、具体的には教わらなかったし、教えてもくれなかったのだ。

ま、いい。<旅>という時間軸にそって、あることないこと書いていく<無手勝流>ではなく、文章の質を上げようとか、体裁を整えようとか、常識的なことを考え始めたのがよくなかった。<旅日誌>を書くことが、楽しみではなく、いわば苦行となった。何しろ、どこで何をしたのか、その時何を思ったのか、感じたのか、それを逐一書いていこうとしたんだからな。むろん、そんなことは実行できなかったし、でっちあげるのに、さらなる時間がかった。しかも、一日のノルマが原稿用紙で九枚もある。もちろん、ノルマも達成できなかった。

旅日誌<新潟・鶴岡編>は、完成までにおよそ二週間、61時間かかり、原稿用紙にして95枚書いた。一日平均、四時間強、パソコンに向かっていたことになる。楽しい時間もあったが、そうでない時間の方が多かったような気がする。つまり、紙数を埋めるために、あれこれ調べて書いたこともあった。だが、今思えば、なぜそんなことをしているのか、自分でもよくわからなかったし、ありていに言えば、誰のために、何のために書いているのか、その肝心要のポイントがずれていたようなのだ。

だから、今回の<南房総旅日誌>は、そうした常識的な文章の体裁や作法にとらわれないで、つまりは<無手勝流>に戻って、書いている時間が楽しいと思えるようにしたい。それが、<旅日誌>の唯一の意味であるような気もする。もっとも、ある程度の作戦はある。あえて思い出そうとしなくても、頭に焼き付いているイメージや、明瞭に記憶している事物や事柄を中心にして書いていく。書くことの取捨選択は、もうあらかじめできているはずなのだ。あとは、言葉に置き換えていくだけ。それゆえに<旅日誌>なのだろう。

難渋した<新潟・鶴岡旅日誌>を書き終えたのが、九月の九日前後だったと思う。次なる四回目の灯台旅へと、やっと気持ちが切り替わった。候補は、三か所あった。<日立灯台・塩屋埼灯台>、<爪木埼灯台・石廊埼灯台など>、<野島埼灯台・安房白浜灯台など>。それぞれの十日間天気予報や、宿の確認などをした。宿の方は、ま、どこも空いている。問題は天気だった。曇り、ないしは雨マークが多い。

旅に出るには、最低でも二日間の晴れマークが必要だ。日差しのない時に撮ってもろくなことはない。なので、その基準を満たす場所、すなわち<野島埼灯台・安房白浜灯台など>のある南房総に照準を合わせ、下調べしてあった宿を二泊予約した。ところが、コロコロコロコロ天気予報が変わる。キャンセルを二回も三回もして、とうとう、二日前予約になった。もう変更はきかない

金曜日には、ほぼ準備完了。慣れてきたので、準備は一時間くらいで終わった。旅前日の土曜日は、荷物を車に積み込むだけ。ゆっくりして、夕方シャワー、頭を洗って、夜の九時には寝る。翌日曜日は四時起床、五時に出発しよう。

とその前に、今一度、南房総白浜、野島埼灯台への道順を調べた。都内を縦断するほかないないのだが、グーグルマップの方では、首都高中央環状一号線から羽田へ抜けるルートだった。ところが、ナビの方は、中央環状二号線、いわゆる山手トンネルを抜けていくルートになっている。どちらも、できれば走りたくないルートだ。つまり首都高は、狭いのにスピードは出すわ、合流は難しいわ、混んでるわの三重苦なのだ。でも、ここはナビに従うほかあるまい。圏央道を使って、都内を迂回するルートもあるが、遠回り過ぎる。

軽トラの運転手をやっていた頃でも、首都高はやはり緊張した。すでに二十年以上経っているうえに、ジジイになっている。正直言って、運転がやや怖い。だが、そんなことも言ってられないだろう。座して死を待つようなタイプじゃない。その時はその時だ、寿命だと思ってあきらめるさ。

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2020

12/16

Wed.

10:47:35

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 新潟・鶴岡編

<灯台紀行・旅日誌>2020#12 新潟・鶴岡編 復路

車に戻った。隣にあった、黒い乗用車はなかった。ゆっくり着替えなどをした。たしか、軽登山靴も靴下も脱いで、サンダル履きになったと思う。この後は帰るだけだ。それにしても、朝からいったい何度着替えたことだろう。だが、思い出すのも億劫になっていた。最後にまた、公衆便所に寄って、用を足した。公衆便所の汚さと臭いは日本全国共通なのだろう。正面に置いてある、年季の入った背丈ほどの<錨>をちらっと見た。どう考えたって、不釣り合いでしょう。

帰路は、ただただ運転のみだった。山間の低速道路?も、来た時の感動はなく、周りの景色もろくに見なかった。小一時間走って、高速道路に入ってからはなおさらで、前だけを向いて運転に専念した。少し眠くなったものの、頻繁なトイレ休憩でやり過ごした。<五時前にホテル到着>とメモにある。

イオンの平面駐車場には、またしてもすんなり入れず、先頭で待機。時間が悪い。夕方の買い物時間だ。少し待っていると、女性が店舗から出てきて、軽自動車の中に入った。お、出るなと思ったが、なかなか出ない。助手席には、中学生の男の子が乗っているようだ。となれば、女性は、母親なのだろか。なんだか手元で調べている。それが長い!

目の前で待機している車があるにもかかわらず、平気なのだ。出るのを待たれているのがわかれば、自分の場合、こちらの事情は後回しにして、とりあえず、すぐに出ることにしている。鈍感な人間は、男女年齢間関係ないんだ。でもちょっと癪だから、ハンドルに腕をかけて、チラチラ見ていた。と、いい加減経った頃、シートベルトをして出て行った。合図も会釈もなく、まったくのシカとだった。むろん、この程度のことでは、腹も立たないし、イライラもしない。世の中には、もっともっと鈍感で、非常識で、傲慢な人間が五万といるのだ。

ホテルに入る前に、イオンの食料品売り場へ行った。食料の調達だ。おにぎり二個とミニカツ丼、菓子パンなどを買った。店内は、それなりに賑わっていた。レジの接客態度にも、問題はなかった。車に戻り、カメラバックを背負い、トートバックに食料品や飲料水を入れて、ホテルの正面入口に向かった。受付でキーを受け取り部屋に入った。部屋はきれいに清掃されていた。新しいスリッパを袋から取り出して穿いた。そのほか、ベッドメイキング、バスタオル類、アメニティー類もすべて新しいものに交換されていた。これが当たり前なんだよな。気分は良かった。

<五時半夕食>とメモにある。そのあと、昼寝。七時過ぎに起きてシャワー、頭も洗ったような気がする。テレビをつけながら、<メモ>を書き、撮影画像のモニターをしたかもしれない。<九時に寝る>。ほかに、これといって記述することはない。

今日の出費。日本海東北道¥2210×2、飲食¥1290。

お決まりのように、夜中には、一、二時間おきにトイレに起きたのだろう。だが、六時過ぎに目覚めた時、眠気はほとんどなかった。よく眠れた方だ。物音もしなかったような気がする。洗面、朝食・菓子パン二個、牛乳、備え付けのお茶とコーヒー。朝の支度を終え、排便。今日もほとんど出ない。三日目だ。自宅にいる時には、こんなことはありえない。ほぼ毎日決まった時間に、ある程度の量が出る。だが、環境が変わると、すぐに便秘する。神経質なところがあるのだろう。

身支度をした。忘れ物がないか冷蔵庫の中を再度確認して、廊下に出た。エレベーターで下におり、受付カウンターへ行って、キーを返した。その際、手書きの領収書を受け取った。ホテルの男性従業員は、ビジネスライクの応対で、問題はない。外に出た。まだ、さほど暑くはなかった。が、これから暑くなるぞ、といった雰囲気の朝だった。車に乗った。ナビはセットしなかったような気もする。三条燕の高速入口は、頭に入っていたし、そのあとは関越道をひたすら走るだけだ。<七時二十分出発>とメモにあった。

高速は、長岡までは、朝の通勤時間帯なのだろうか、意外に混んでいた。といっても、むろん、渋滞などはしていない。頭がすっきりしていたせいか、運転しながら、周りの景色をちらちら眺めていた。両側に、黄緑の稲田が、延々と見える。そういえば、昨日も、日本海東北道・村上あたりからは、見渡す限りの黄緑稲田だった。何十キロ、こんな光景が続いているのだろうか。いや、百キロ以上かもしれない。

新潟県の面積が大きいのは、何となく知っていた。だが、全国で何番目なのか、そこまでは知らない。今調べたら、五番目らしい。それに<長さ>だ。端から端までは、350キロもあるという。自分が実際に走った<村上から長岡>ですら、約120キロもある。カンが当たったわけだ。そう、100キロ以上、高速の両側が黄緑色の稲田だったのだ。新潟・米どころ、とはよく言ったものだが、見ると聞くとは大違い、とはこのことだった!

前に見える車列は、長岡が近づくにつれ、だんだん少なくなっていった。みな、途中のインターで降りてしまう。そして、関越道に入ると、ほとんど車が走っていない。ガラガラ。なるほど、広いからね、高速で県内を移動しているんだ。唐突に、でもないか、来る時も思ったことで、関越を走ると、きまって、<田中角栄>を思い出す。<列島改造案>だ。新潟県の人にとっては、神様のような存在だったのだろうけれど、マスコミの影響なのだろうか、あまりいい印象はない。

だが、先日、NHKの番組で、<田中角栄>の軍隊時代のエピソードが流された。一兵卒で、要領が悪かったのか?気に障る奴だったのか?上官からしばしば暴行を受けていたのだという。本人は、生前、そのようなことは一切口にしなかったらしい。…<田中角栄>に対する偏見から、少し解放されたような気がした。殴る人間ではなく、殴られる人間の方が、まだましだと思った。

だいぶ走って、関越トンネル手前のパーキングで、トイレ休憩した。広い駐車場に、車は二、三台しか止まっていなかった。何やら、建物の中に入って、トンネル工事の写真やパネルなどを見たと思うのだが、よく思い出せない。来るときは、いやになるほど長くて緊張した、元日本一長いトンネルも、帰るときは、難なくやり過ごした。そのあとの、湯沢あたりの牧歌的な風景にも、ほとんど目を向けなかった。

ただひたすら運転していた。なにかを考えていたのだと思う。だがまったく思い出せない。トンネルを抜けて、一度だけトイレ休憩をしたような気もする。だが、それもよく思い出せない。藤岡を過ぎるあたりから、車が少し混んできた。花園の看板が見えた。連休などではいつも渋滞するところだ。地元の埼玉に戻ってきた。そのあとはあっという間だった。最寄りのインターでおりて、<十一時半帰宅>とメモにある。おおよそ、三時間の高速走行。さほど退屈することもなく、眠くもならなかったし、疲れてもいなかった。

帰宅後、すぐに旅の片付け。車の中の荷物をアトリエなどへ移動。小一時間で終了。埼玉も信じられないような暑さ!汗だく。シャワー。冷たいノンアルビールを飲む。昼寝。六時過ぎに起きて、撮影画像の選択。今回は700枚ほど撮った。夜更かしはせず、夜の十時には寝ていたと思う。

なお、その後、四、五日、何となく、調子がよくなかった。頭がぼうっとしていた。だるいし、眠い。軽い熱中症になっていて、その後遺症だろう。一週間くらい後になって気づいた。給水には、十分気をつけていたんだけどね。やはりジジイだ。あぶない、あぶない。

<新潟・鶴岡旅>2020-8-20(木)21(金)22(土)収支。
宿泊費二泊 ¥6800(Goto割)
高速 ¥14500 
ガソリン 総距離860K÷19K=45L×¥130=¥5900
飲食等 ¥2700
合計 ¥30000
以上。

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2020

12/02

Wed.

11:05:55

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 新潟・鶴岡編

<灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#11
鼠ヶ関灯台撮影4

車に戻った。あまりに暑いので、バックドアを開け放して、着替えなどをした。駐車場には、三、四台車が止まっていた。あと二、三台で満車だ。と、目の前の土留めコンクリに、何やら警告文が張ってある。要するに、ごみは持ち帰れ、とくに、磯釣りに来た人間のマナーがよくない、とのこと。駐車場が、どこの管轄で、誰が管理しているのか、むろん知る由もない。だが、業を煮やしたのだろう。<警告文>に怒りが出ている。

旅中に出たごみは、自分の場合、だいたいはパーキングのごみ箱に捨てるようにしている。だが、海、山、川、観光地、道路や駐車場など、平気でごみを捨てていく輩も多い。どういう神経をしているのだろう。一種の嫌がらせなのか、理解できないことの一つだ。

車の中に入った。蒸し風呂のようだ、なんてもう書きたくない。暑いのは、当たり前になっていた。すぐエアコンをつけ、窓にシールドを張り、仮眠スペースに滑り込んだ。少し眠るつもりでいた。耳栓もちゃんとした。だが、何となく眠れない。

起き上がって、胡坐をかいた。カメラを引き寄せ、撮影画像のモニターなどをした。まずまずだなと思った。また、横になった。駐車場はすこし傾いていた。したがって、車も傾いていた。寝る時に頭の位置が下がっているのは、生理的に受け付けない。いきおい、頭の位置が運転席の後ろになった。車が水平なときは、バックドアーの隅に枕を置いて寝ている。いつもとは反対側に寝ているわけで、何となく落ち着かない。それでも、しばらくは、じっとしていた。

だが、うとうとしかけると、車の出入りとか、人の声とかで意識が引き戻される。それに、エアコンは効いているものの、なんだかむし暑い感じで不快。第一、この駐車場の立地がよくない、道路に面しているし、ときどき車の出入りもある。そうだ、展望台のベンチで横になろう。あそこなら日陰で、それに風も吹いていた。車外に出た。日除けシールドは、運転席側の窓だけを外して、そのままにした。隣には、平台のガタガタな軽トラが止まっていた。運転席の窓が少し開いている。が、人は乗っていない。明らかに、何かの作業に使っている車だ。

便所の脇を通って、浜辺に出た。左手の展望台には、なんと、人がいた。まったく予想していなかったことだ。というのも、午前中に休んだ時には、誰一人来なかったし、静かな場所だったのだ。ちらっと横目で、ベンチに座っている人間を見た。一瞬で、軽トラの作業員であることがわかった。中年の、くすんだ色の開襟シャツを着た男だった。ちょうど昼時、休憩しているんだ。

ま、この辺り一帯、日陰などほとんどない。致し方ないことだ。すごすごと車に戻った。おそらく、十二時半過ぎだったと思う。シールドのおかげで、車内は、さほど暑くなかった。一定の効果はあるなと思った。さてと、この炎天下、行く当てもない。また横になって静かにしていた。というか、涼んでいた。

と、いくらもたたないうちに、隣の軽トラが出て行った。昼休み終了。このあとまた仕事だ。どんな作業をしているのか、想像することもしなかった。俺だって、生活のために、それなりの苦労はしてきたんだ。炎天下の作業員に同情する立場の人間じゃない。むしろ、同類に近い。もっとも、今はそうした苦労からは解放されている。だがそのかわり、歳を取って、ジジイになってしまった。

少し、意識が遠のいた。何を考えていたのだろうか?夕日に染まる鼠ヶ関灯台!やっぱり夕方まで粘ろうかな、などと決着のついた問題を蒸し返していたのかもしれない。くどいぞ、セキネ!うるさいな、いや、隣で車のドアの開け閉め、子供の声、親の声。眠りかけの時は、外界の音が、ことさら、大きく聞こえる時があるものだ。むくっと起き上がり、シールドを少しめくって、外を見た。黒っぽい乗用車。家族連れの観光客だな。午後の一時半になっていた。

そうだ、海辺と平野では、最高気温になる時間が違う。と、テレビで見たような気がする。ウソかホントか、定かではない話だ。普通は、午後の二時前後が一番暑い。だが、海辺はそれより二時間ほどピークが早い。ということは、ここは海辺、暑さのピークは過ぎたわけだ。ま、いい。眠気も覚めていた。浜辺があまりに暑いようなら、展望台で休憩だ。

装備を整え、浜へ出た。横着して三脚は持って行かなかった。と、またしても、展望台に人。若い。一人は女子高生。格子柄のスカートは制服だろう。もう一人は十代の男の子。白っぽいワイシャツ姿。日陰になっているテーブルで、向かい合って座っている。ふ~ん。そのうち引き上げるだろう。浜沿いの緩やかなコンクリ段々に少し下りて、灯台にカメラを向けた。駄目だ。もろ、逆光。海も空も、灯台も断崖も三角岩山も、すべてが紫外線でぼうっとしている。

午前中に、撮っておいてよかったよ。振り返った、高校生のカップルはまだいた。時間つぶし方々、砂浜沿いに歩いた。要するに、灯台からは遠ざかっているわけで、まだ撮っていない位置取りだ。と、何と言うか、休憩所のようなものがあった。コンクリの柱が四方にあり、天井にこれまたコンクリの梁が渡してある。したがって、日陰にはならない。柱に囲まれた中に、テーブルと腰かけがあるものの、強い日射が当たっている。座って休憩などできない。

また、展望台の方を見た。高校生たちは、日陰で涼しそうな顔をしている。こっちは、すでに汗だく。写真を撮る気力も失せていた。なおのこと、余計に暑い!辺りを見回した。日陰は全くない。しようがない。カメラバッグをテーブルにおろし、装備を解除した。つまり、カメラやポーチなどを首から外し、汗びっしょりのロンTを脱ぎ捨てた。

上半身裸になると、ほんの少しだけ涼しい。それに、柱の影に隠れれば、日射を多少防げる。給水して、望遠カメラを手に取った。柱に身体を押し付け、カメラをしっかり構えた。ぶれないようにして、逆光の灯台を撮った。まあ、これは高校生カップルが立ち去るまでの言い訳だ。裸で、ぼうっと突っ立っているわけにもいかないでしょ。何としても、日陰の、海風が吹き抜ける展望台で、ゆっくりしたかったのだ。

ところが、待てど暮らせど、高校生たちは立ち去らなかった。もう限界。身支度を整え、未練たらたら、辺りを散策した。公園のような感じの場所だったのだ。いま、撮った写真で確認すると、公園正面のモニュメントには<マリンパーク 鼠ヶ関>とあった。立派な台座の上に大きな錨が鎮座している。たしか、近くまで行って、本物なのかオブジェなのか確かめたような気がする。だが、写真で確認しても、どちらなのか判然としない。それにしても、たかだが数時間のうちに、大小三つの錨を見たわけで、何か特別な意味があるのだろうか?と、今になって思った。

伸びあがって、またしつこく展望台を見た。まだ居ます。時計を見たのだろうか、メモには<二時半引き上げ>とある。宿へ戻るのに二時間半かかるのだから、いい頃合いだ。展望台の下を通ったときに、ちらっと上を見上げた。清楚な感じの女子高生、なかなかの美人だ。男の子の方も、さわやかな感じで賢そうだ。いまだに、対面座り。海辺の展望台でデートしているわけか。まだ清い関係だと思った。いやらしいジジイだねえ~。

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2020

11/29

Sun.

10:52:23

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 新潟・鶴岡編

<灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#10
鼠ヶ関灯台撮影3

小高くなった、灯台周りの狭い敷地から、陸地側を見た。目の下には<恋のいす>があった。赤い鳥居も見える。漁港とか三角の岩山とか、なかば逆光だが、いいロケーションだ。と思ったのだろう、パチリと一枚撮った。お遊びで、ブログに載せようとも思った。灯台の敷地から降りた。案内板のあたりで、コンクリ通路が二股になる。右側が、先ほど、海から登ってきた道。左側は、どこへ行くのだろう?三角岩山(=弁天島)の縁沿いに続いている。まあ、行ってみるか。灯台に背を向けて歩き出した。少し行って振り返り、写真を撮った。太陽が、真上近くにあり、斜め逆光、きれいには撮れない。この位置取りも、午前中に撮っておくべきだったな。

コンクリ通路は、緩やかな下りだった。と、向こうから、年配の夫婦がやってきた。いわゆる、後期高齢者だろう。その旦那と奥さんの距離の置き方が、ややおかしい。つまり、旦那の方は、通路の下の岩場を歩いて灯台へ向かっている。一方、奥さんは、歩きやすいコンクリ通路にいる。サングラスにサンバイザーを被っていたからなのか、二人の顔はよく見えなかった。いや、よく見なかった。

ただすれ違いざまに、左下にいる旦那の表情をちらっと見た。なんだか、苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。ものすごく暑い、ということもある。それにしても、互いに老い先短い夫婦が観光に来ているわけで、もう少し表情を崩してもいいだろう。余計なお世話だが。

三角岩山の影に入った。日陰だ。振り返って、灯台の方を見た。もう、かなり遠くて、写真にはならない。同時に、例の老夫婦の姿も目に入った。旦那は、岩場から、背丈以上高い、コンクリの通路へよじ登ろうとしている。奥さんの方は、コンクリ通路の上から、何か言っている。ようするに、旦那は、意固地になって道なき道を進んで、危険を冒している。奥さんが諌めているわけだ。

と、ふと思った。そうか、コンクリ通路ができる前は、波打ち際の岩場を伝わって灯台を見に行っていたんだ。旦那がよじ登ろうとしている場所には、おそらく、ロープか鎖が架かっていたのだろう。いわば、灯台への、昔の通路で、ひょっとしたら、旦那は、以前、今の奥さんではない、別の女性と一緒に歩いたのかもしれない。その記憶が、あの意固地さの由来だったのだ。おそらく間違いない!

日陰ということもあり、小休止方々、なおも、老夫婦の行方を眺めていた。旦那は、老体に鞭打って、あぶなかっしい感じで、何とか、通路に這い上がった。奥さんの諦め顔が目に浮かぶ。そのあと二人は、やはり少し距離を置いて、灯台の敷地に上がっていった。ふむ、<恋のいす>には腰掛けなかった。日向だからな。

そのあと、二人して、金毘羅様などをちらっと見て、灯台の根本へ行った。さっき自分が休憩していた、日陰だ。奥に旦那のシルエット、手前に奥さんのシルエットが見える。と、旦那のシルエットが半分になった。おそらく<愛のいす>に腰かけたのではないか。そして振り向いて、こっちに来い、と奥さんに呼びかけたのかもしれない。だが、奥さんのシルエットはそのままで、少したって、灯台の縁に腰かけた。シルエットは離れたままで、肩寄せ合って並ぶことはなかった。ま、あの旦那、奥さんに声はかけなかったかもしれない。

もういいだろう。灯台に背を向けた。三角岩山の裏側、というか表側に来た。見上げてみたものの、登れるような道も階段もなかった。それよりも、左手の漁港の向こうに、小さく、白い防波堤灯台が見える。いま思えば、灯台の根本から撮った、赤い防波堤灯台のペア灯台ということになる。近づくには、コンクリ通路からそれて、目の前の防波堤に登り、その上を百メートル以上歩いていかねばならない。

大した高さでもない、いちおう、防波堤に登った。辺りを見回した。炎天下の漁港に人影はない。ところが、防波堤は意外に高くて、幅も狭い。ちょっと危険を感じた。そのうえ、暑くてかなわん!ま、いいか、ということになり、コンクリ通路に戻った。灯台は、完全に三角岩山に隠れて見えなくなった。

少し行くと、朝来た時にUターンした場所に出た。立派な神社が目の前にある。日章旗が掲げてあったかな?目障りな感じがしないでもなかった。とはいえ、観光気分で、鳥居をくぐった。本殿の前に行って、財布から小銭を取りだし、賽銭箱に投げ込んだ。一応、手を合わせ、垂れ下がった太い紐を引っ張って、鈴を鳴らした。さえない音色だった。それと、賽銭箱の前に<おみくじ>があった。一瞬、引いてみようかと思った。だが自制した。意味がないだろう。

そうそう、書き記すのを忘れていたことを思い出した。灯台を去るときに、例の<しあわせの鐘>を、面白半分に鳴らしたのだ。意外に大きな音で、海に響き渡った。と、むかいの防波堤の影から、真っ白なプレジャーボートが、ものすごい勢いで、こっちに突進してくる。一瞬、あれ~まさかと思った。いたずらが発覚したような気持になった。そんなはずはない。なにしろ、ちょっと前、若いカップルが鳴らしていたのを、この耳で聞いているのだ。むろん、勘違いだった。白い波を立て、プレジャーボートは目の前を横切って行った。

どうでもいいことだが、鈴とか鐘とかがあると、意味もなく、鳴らしてみたい衝動に駆られるようなのだ。なぜだかわからない。これまで幾多の神社仏閣で、賽銭箱に小銭を入れたのは、鈴や鐘を鳴らしたいがための手続きだったような気がする。タダで鳴らすには気が引けたのだ。

なお、この<厳島神社>には、面白いものがあった。巨大な錨で、それも三基、形よく並べてあった。何しろ、くっついている鎖の(錨鎖=びょうさ、と言うらしい)一個が、手のひらサイズの大きさだ。なぜ、ここに置いてあるのか、案内板はなかったような気がする。まじめに?何枚かスナップした。ちなみに、この巨大錨は、先ほど書いた、トイレ正面の、背丈ほどの錨の数倍はあった。

これで、午前の撮影は終わり。十二時頃になっていた。鳥居を背にして、ぐるっと辺りを見回した。左手は、漁港。先ほど、その上から見た、防波堤下の道は、関係者以外立ち入り禁止だった。依然として、人影はない。なるほど、漁港全体が工事中なのだ。小さな立て看板を見たような気もする。と、真新しい灰色の防波堤の向こうに、白い防波堤灯台が見えた。道から、立ち入り禁止の漁港に少し入り込む。カメラを構えた。電線が邪魔だ。それに、工事中だけあって、付近が雑然としている。気のないシャッターを押した。

向き直って、駐車場へ向かった。その時、一台の軽自動車がやってきた。なかから、険悪な表情をした爺が出てきた。なぜか、こちらを睨んでいる。ちょっと体が不自由なようだ。その表情は、言ってみれば、激高した人間のそれで、怒りと嫌悪に満ち満ちている。何か、悪いことでもしたのかな、と自分を顧みた。あるとすれば、コロナ禍の中、旅行していることだ。もっとも、それとて<自粛要請>が出ているわけでもない。

ま、シカとして、自販機でスポーツ飲料を買った。と、爺が、道の向こうから、わざわざ自販機のそばまで、不自由な体を引きずってきた。相変わらず、激高した表情で、こちらを睨みつけている。あの体で運転して来たのか?いや、軽自動車から、息子のような、介護者のような、貧相な中年男が、爺のもとへ駆け寄ってきた。今や、二人は自販機の前にいる。

自分は五、六歩離れて、ふり返る。依然として爺が、こちらを睨みつけている。貧相な男が爺の腕を抱えて、無言で、なだめているようにみえた。なんだかよくわからない。自分の風体が気に障ったのだろうか?でかいカメラをぶら下げているのだから、写真を撮りに来た観光客であることは、誰が見ても一目瞭然だ。だが、じいっと何回も睨まれた。意味が分からない。釈然としなかった。

歩き始めると、右側の土産物店から、香ばしい匂いがしてきた。いや、もっと前から匂いには気づいていた。暗い店の中から、シルエットのおばさんが、<いらっしゃいませ>と声をかけてきた。軽く会釈して通り過ぎた。見ると、日向になっている道の方には、ずらっと台が置かれていて、その上に、イカとか魚とかが干してある。みな<ひらき>になった状態で、アウトドアで使う青い乾燥用ネットや、金網の中できれいに並んでいる。エイリアンみたいな形のものもあった。

土産物屋は二軒しかなかった。公衆便所に近い方の店では、二人のおばさんが、何か話しながら仕事をしていた。そばを通り過ぎても、何の反応もない。そのあと、便所で用を足した時、その店の、横壁の剥げかけた看板を見た。<・・・生産組合弁天販売所>とあった。二軒の土産物屋の、おばさんの愛想の違いが、理解できたような気がした。いま調べると、正確には<鼠ヶ関水産加工生産組合弁天販売店>だった。愛想のいい方は<弁天茶屋>。おそらく昔からの土産物屋なのだろう。前者は、漁師のおかみさんたちで、後者は茶屋の女将だったのだ。

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2020

11/25

Wed.

11:29:41

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 新潟・鶴岡編

<灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#9
鼠ヶ関灯台撮影2

灯台に、これ以上近づくと、写真にはならない。被写体がでかすぎて画面におさまらないのだ。いや、縦位置なら入る。でも<縦位置>は禁じ手にしている。何が何でも<横位置>で撮ることにしている。理由は、灯台を風景の中に開放したいのだ。正確ではない。わかりやすく言えば、灯台のある風景が好きなのだ。横位置の画面は、横への広がりがあり、当たり前だ<横位置>なんだから、風景写真に適している、と思っている。

とにかく、近すぎて灯台はもう撮れない。だが、行けるところまで行く。近づけるところまで近づく、というのが信条だ。<信条>という言葉は大袈裟すぎないか?ま、いい。鮮やかな赤い鳥居をくぐって、灯台の根本まで行った。笑っちゃいけないんだけれども、座面に<恋のいす>と書かれた、背なしの木製ベンチあった。<恋>は赤色、<のいす>は青色になっている。設置したばかりなのだろう、真新しい感じだ。カンカン照りの炎天下でなければ、面白半分に腰かけたかも知れない。

さらに、灯台に近づいた。と、その前に、左手にある<金毘羅様>を見た。もっとも、この時は<金毘羅様>だとは思っていない。赤い鳥居をくぐった先にあるのだから、<神様>を祭っていることくらい気づいてもよさそうなものだ。だが、くすんだステンの柵に囲まれた、石の小さな社を、何かの冗談かなと思ったような気もする。何しろ、背後の高いところに、ジングルベルの鐘がぶら下がっているし、脇には金属製の細いポールが立っていて、てっぺんにピンクの布切れがひらひらしているのだ。おそらく、ちゃんとは見ていない。何しろ、暑くて、早く日陰で休みたかったのだ。

<燈台もと暗し>とはよく言ったものだ。誰が言い出したことなのか、まったく知らないけれど、面白い比喩だ。その<灯台のもと>、根本に近づいたのは、<信条>だけではなく、生理的な欲求も絡んでいた。つまり、灯台の根本には、必ず日陰になっている場所があり、そこで一息入れたいのだ。

鼠ヶ関灯台の正面?灯台本体への入り口のドアは、なんだかにぎやかだった。一番上に赤系統の浮き輪がレイアウトしてある。撮った写真で確認すると、その下は灯台の案内や説明のパンフなどが貼りつけてあるような感じだ。ま、とにかく、レイアウトの色合いがきれいだなと思った。

灯台の根本は、ぐるっと腰かけられるようになっていた。ご丁寧なことに、コンクリ細工の小さな座布団までしつらえてある。思った通り、日陰があり、うれしいことに、涼しい海風が吹いている。とまた、海に向かって、この狭い場所に木製の背なしベンチがある。座面に<愛のいす>とある。仕様は<恋のいす>と全く同じ。<恋>という文字が<愛>に変わっているだけ。まいったな、と苦笑いした。汗びっしょりのロンTを脱ぎ捨て、給水。上半身裸、靴下も脱いで裸足になり、一息入れた。<十時半灯台で休憩>とメモにあった。

八時から撮り始めたのだから、二時間も、炎天下の中で写真を撮っていたことになる。その間、さほど暑いとも、疲れたとも感じなかった。だが、今は、さすがにぐったりだ。涼しい海風も吹いている。ここで、小一時間休んでいこう。背筋を伸ばして、座りなおした。というのも、灯台根本の縁のような腰掛の幅が狭くて、背筋を緩めた楽な姿勢では座れないのだ。つまり、灯台本体に背筋をぴたっとつけて真っすぐに座る方が、まだ楽だ。背中が灯台の冷たさを感じた。首や手足の筋肉を緩めた。頭を垂れた感じで姿勢よく座っている。さいわい、灯台見物の観光客は来なかった。目を軽く閉じて、この後の予定を考えた。微かに波音が聞こえたような気もする。何しろ、さほど高くはないが、断崖の先端に居たのだから。

明かりは、この後、日が昇るにつれて、ますますトップライトだ。灯台はもとより、海も空も断崖も、きれいには撮れないだろう。もっとも、無理して撮ることもない。午前中の、最高の明かりで、写真は五万と撮っている。あれ以上の写真が撮れるとは思えない。とはいえ、午後の明かりはどうだろう。灯台が、また違った姿を見せてくれるかもしれない。

姿勢を変えた。狭い縁の腰掛に、肘を枕にして横になろうとした。だが、これは無理だった。縁の腰掛は、灯台の胴体に沿っているわけで、緩やかにカーブしている。うまく横になれない。その上、心づかいのコンクリ細工の座布団が、腰に当たって痛いのだ。そばにあった、着替え用のロンTを当てがったものの、寝心地の悪さは改善しなかった。

少し我慢していたが、そのうち起き上がった。先ほどよりは、多少緩やかな姿勢で座りなおした。足は曲げずに、投げ出すように前に伸ばした。足先が少し、日陰から外に出た。多少引っ込め、そのまま頭を垂れた。夕陽までは、さすがに待てないよな。日没がおそらく、六時半、それから夜道を二時間半走って、宿に戻る。いや、三条のホテルには戻らず、鶴岡に宿をとる、という手もある。その辺の民宿という手もあるが、これはやはり却下だな。それにしても、ここから、鶴岡市街までどのくらいあるのだろう。

座りなおした。少し頭がはっきりしていた。携帯で、鶴岡までの距離やホテルの予約状況などを調べた。距離は約40キロ、一時間強。ビジネスホテルはたくさんあり、当日予約もできなくはない。だが、翌日の帰路が大変になる。自宅まで、おそらく400キロ以上走らねばならない。あ~、来る前にさんざん考えたことだ。日程的に、夕景の撮影は無理なのだ。また、いつかそのうち、撮りに来ることもあるだろう。自分の気持ちをなだめた。

さてと、なんだか、目が覚めてしまった。といっても、まだ十一時過ぎだ。この暑さ、どう考えたって、二時過ぎまで、撮影は無理でしょう。もう少し、ここでゆっくりしよう。改めて、辺りを見回した。なるほど、いい景色だ。望遠カメラを取りだした。裸足のまま、数歩歩いて、例の<愛のいす>に近づいた。ほとんど何のためらいもなく、座った。目の前には、そう、真っ青な日本海が広がっていた。

眼下の岩場には、カモメのような鳥が一羽、波しぶきを受けながらも、一か所にとどまっている。魚を狙っているんだなと思った。望遠でのぞくと、何やら、目が鋭くて、怖い表情だ。なるほど<ウミネコ>だ。向こうを向いたりして、なかなか表情がちゃんと撮れない。周りに仲間はいない。まさに一匹狼?の、はぐれ鳥だろう。少しの間、岩場にとまっている<ウミネコ>を眺めていた。自分より強いな、と思ったような気もする。

<愛のいす>から立ち上がった。いったんカメラをおさめて、今度は、海岸寄りの、海の中にある赤い防波堤灯台を、柵越しに眺めた。よく見ると、灯台の立っている防波堤は、波消しブロックで全面ガードされている。だから、その赤い物体は、波消しブロックの上に立っているようにも見える。遠目とはいえ、空も海も真っ青、小さいが、紅一点が目立つ。形は、昨日新潟で撮ったものとほぼ同型。だが、ロケーションが違うせいか、別物に見える。どこか、雄々しい感じがする。これはこれでいいなあ~と思った。

十一時半を過ぎていたのだろうか。引き上げだ。灯台の日向側に干したロンTを取りに行った。日射をもろに浴びた。暑いな~!ロンTはすっかり渇いていた。ふと、眼下の岩場を見た。<ウミネコ>はいなかった。いや、海の方へ飛び立っていく姿を見たような気もする。それに、休憩の最後の方に、若いカップルがすぐ近くまで来たような気もする。自分の前を通って、<愛のいす>に二人して腰かけたのだろうか。それとも<恋のいす>に肩寄せ合って座っている姿を見たのだろうか。定かではない。夢、幻か。

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2020

11/22

Sun.

11:01:44

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 新潟・鶴岡編

<灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#8
鼠ケ関灯台撮影1

さてと、車から出た。これは、と思うほど蒸し暑い。もちろん陽射しも強い。だが、ここまで来た以上、暑いの寒いのと言っていられない。カメラバックを背負った。横にあった、公衆便所で用を足した。それなりの臭いがした。便所の正面には、自分の背丈以上の錆びた錨が、どんと置いてあった。なんじゃらほいと思いながら、記念写真をパチリと一枚撮った。

便所の横を回って、浜に出た。緩やかなコンクリの段々があり、背後には一段と高くなった、小さな展望台があった。屋根があるから、多少の日陰になっている。あとで、あそこからも撮ろうと思った。向き直ると、弓なりの浜の向こうに、なぜか、そこだけ凹っと、三角の岩山がある。てっぺんの方に松が密集して生えている。そのまま視線を左に移動すると、鳥居が見え、さらにその先の断崖に灯台が見えた。

浜からは、ちょっと遠目、灯台の垂直もイマイチよくない。だが、左手に、海の中に突き出た防波堤がある。撮るならあっちだなと思いながら、近づいて行った。長い距離ではない。が、そこまで行くにも、二、三歩行っては、カメラを灯台の方へ向けてシャッターを押した。念のためというよりは、できることなら、灯台を全方向から撮りたいのだ。その中からベストのものを選ぶ。

むろん、海側からは撮れないし、今回の場合は灯台の向こう側の浜からも撮れない。砂浜が、ずうっと陸地へ後退しているからだ。それでも、全方向から撮る、という原則は貫きたかった。もっとも、最近は<ドローン撮影>というものがあって、字義通り、全方向から撮ることも可能だ。灯台に関しても、<ドローン撮影>をした動画がユーチューブにたくさんアップされている。空からの、見たこともないアングルだから、面白い。

<ドローン>か!少し食指が動いて、ネットで調べてみた。結果、<ドローン>撮影を請け負う会社があるくらいで、素人が、ちょこっと撮影できるようなものではない、ということが判明した。もちろん、趣味で、小さなドローンを、ちょうど、ラジコン飛行機のように飛ばすことはできるだろう。だが、こっちの目的は、巨大な灯台を、海側から、あるいは、背後から撮るという壮大なもの?で、どう考えても、高度な技術とかなりの金が必要だ。ま、俺に野心があったなら、ドローン技術を習得して、誰も見たことのないアングルで、灯台を撮ることができるかも知れない、などと一瞬アホな夢想をした。

山形県鶴岡市の、鼠ヶ関灯台の撮影に戻ろう。風景撮影は午前中が鉄則、と何かで読んだ覚えがある。別に、それに従ったわけでもないが、午前中の、よい光の中で撮影ができた。つまり、運良く、灯台に光が当たっていたのだ。それもほどよく!思えば、昨日の角田岬灯台にも、光が当たっていた。やはり午前中だ。主要被写体の灯台に光が当たっていないと、何となくさえない写真になってしまう。犬吠埼灯台で経験済みだった。今回は、ある意味、千載一遇のチャンスかもしれない。防波堤を隅から隅まで歩いて、できうる限り、慎重に撮った。

一息入れよう。撮りながら戻り、先ほどの展望台に上がった。といっても、浜よりほんの少し高い程度だが。コンクリのテーブルが二つあり、それぞれに腰掛が左右一つずつある。なるほど、対面して、灯台や夕日が眺められるわけだ。案内板には、海の向こうに夕日が落ちる写真も印刷されている。

一つのテーブルには、横からの日射が当たっている。日陰になっている方に陣取り、まずは着替えた。びっしょりになったロンTを、その、陽の当たっているテーブルの上に広げた。上半身裸のまま、ベンチに腰かけて、給水。一息入れて、バックから、望遠カメラを撮りだした。横着して、三脚は持ってこなかった。すぐそばの車の中にはある。が、取りに行くのが面倒だ。それに、この位置からだと、灯台の垂直がイマイチよくない。必要ないだろう。しゃがみこんで、柵の上にカメラを乗せ、何枚かは撮った。

ろくにモニターもせず、二台のカメラをテーブルの上に載せたまま、海の方を眺めた。上半身裸のままだ。靴下も脱いでいたと思う。夕日がきれいだとは聞いていた。目の前の光景を、頭の中で夕景に変換した。なるほど、確かに海に沈む夕日はきれいだろう。ただし、灯台も岬もシルエットだ。是が非でも撮りたいとは思わなかった。それに、日程的に無理だろう。二時間半かけて、三条まで帰らなくてはならないのだ。

多少の心残りを感じながら、身支度をした。展望台を下りて、辺りを見回した。弓なりの砂浜沿いに、背丈ほどの、頑丈そうなコンクリの防潮堤がある。その下が遊歩道になっていて、灯台の方へ続いている。あそこを歩いてくのが一番楽だ。だが、灯台の垂直を考えるならば、波打ち際を歩きながら撮るのがベストだ。それに、浜が切れたところに、波消しブロックに守られた防波堤がる。あれに登って、先端まで行けば、灯台の垂直はほぼ確保できるだろう。

砂浜を歩き始めた。きれいな砂浜ではない。プラごみなども散乱している。とはいえ、海水は透き通るほどきれいで、断崖に立つ灯台は真っ白、神々しいほどに美しい。近寄れば近寄るほど、そばにある鳥居の赤が目にも鮮やかだ。青空にうっすら雲がたなびき、かすかに波が押し寄せている。これで、海風が心地よかったら、最高だろうなと思った。実際は、歩き始めるとすぐ汗だく、陽が高くなり始めていて、これは危険な暑さでしょう。

砂浜は波消しブロックで終わっていた。その波けしブロックをよじ登って、防波堤に上がった。凹凸のある表面で歩きづらい。とはいえ、灯台は目の前だ。水平線と灯台の垂直が両立している。大小二本の鳥居もはっきり見える。もっとも、灯台見物に来た観光客の姿もはっきり見えた。さいわいにも、人数的には少なくて、若いカップル、爺ちゃんコミの家族、若者一人、若い母親と子供、確かそのくらいだった。煩はしいというほどでもなかった。さすがに最果ての灯台だ。防波堤を行ったり来たりしながら、ゆっくり楽しみながら撮った。

さてと、いよいよ灯台のある断崖に上陸だ。砂浜から上がって、断崖にかかる急な階段を登った。その階段の手すりが、ちゃっちい感じで、半分壊れかけている。見ると、断崖の岩盤に、直接ぶっといフックのようなものが打ち込まれている。なるほど、以前は、この階段すらなくて、フックにロープか鎖を通していたんだ。それを手にして断崖をよじ登る。山の急な岩場などを登るときの仕掛けだ。一、二度経験したことがある。その方が面白かったなと思った。

登るまでは、大した高さの断崖じゃないと思っていた。だが、実際登ってみると、息が切れた。いや、こっちが疲れていたんだろう。それに、もうジジイなんだ。色の塗ってない、しらっ茶けた、大きな木の鳥居をくぐった。と、断崖の上に到着。平場になっていて、コンクリの通路が灯台へと続いている。なんだか、雑然とした感じがしないでもない。

そもそも、自然の岩場、断崖の上に、コンクリの通路があるのが、おかしいでしょう。それに、赤い鳥居、ま、これはきれいだから許せるとしても、その奥の、灯台の真横にある、小さな、ちゃっちい社(失礼!金毘羅様が祭られているらしい)、それに鐘撞台だ。いや、今調べたら、鐘撞台じゃない、<幸せの鐘>というらしい。最近設置されたようだ。とにかく、灯台の周りが、多少ごちゃごちゃしているような気がした。とはいえ、さすがに、コンクリ通路の両側には、ちゃんとした柵があった。何しろ断崖の上なのだ。

案内板を見た。付近が、ちょっと広くなっている。なるほど、ここが、写真の画面に灯台がおさまる限界なのだろう。ネットでも、この辺りから撮ったであろう画像がたくさんあった。ま、文句はない。正面から灯台を撮るには、ここしかないのだ。赤い鳥居を入れて、気合を入れて何枚も撮った。狭い断崖の上を、右に左にと移動して、粘るだけ粘った。もう限界だろう。<金毘羅様>も<幸せの鐘>も<コンクリの通路>も、この際関係ないような気がした。気にならなくなっていた。

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2020

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Wed.

11:08:37

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 新潟・鶴岡編

<灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#7
鼠ヶ関灯台撮影プロローグ

二日目
昨晩は、六時に寝て、九時頃いったん起きたようだ。おそらく、テレビをつけて、持参したカップ麺などを食べたような気がする。小一時間して、また寝たのだろう。いつものように、一、二時間おきに夜間トイレ。物音に煩わされることはなかった。

五時起床。洗面、パンと牛乳で軽く朝食。便意がなく、排便なし。身支度。出る前にちょこっと部屋の整頓をした。エレベーターで一階に下りて、受付にキーを預ける。外に出ると、朝からもう暑い。駐車場には、二、三台車が止まっている。ということは、この大きなホテルに、二、三人しか宿泊しなかったということなのか?もっとも、巨大な立体駐車場もあるから、そっちに止めたのかもしれない。とはいえ、昨晩の感じからして、宿泊客は少なかったに違いない。部屋に出入りする音がほとんどしなかった。こっちはゆっくり眠れてよかったのだが。

六時出発。その前に、お決まりの行動。ナビを鼠ヶ関灯台にセットした。駐車場を出て、ぐるっと右に回り込むような感じで、すぐに高速の入り口。北陸自動車道、三条燕だ。早朝だというのに、意外に車が走っている。しばらく走って、新潟辺りに差しかかると、道が分岐。むろん真っすぐだ。ちなみに右方向は、磐越自動車道、会津の方へ伸びている。さらに行くと、日本海東北道の文字が見える。<日本海東北道>?そんなのがあったのか、初めて知った。いつの間にか、片側一車線になっている。

タンクローリーや、軽自動車が前にいると、途端に車列ができる。とはいえ、インターの出入り口付近になると、追い越し車線が追加される。ここぞとばかり、後続の車が追い越しをかける。ま、自分もその一台だ。そんなこんなで走っていくと、料金所があった。ETCだから、現金は払わない。料金表示板に\2210、とあった。わりと高いなと思った。

目的地の鼠ヶ関灯台までは約140キロ。うち高速走行は100キロ、時間にして一時間半はかからない。だが、長く感じた。とくに料金所を過ぎてからは、退屈だった。片側一車線、車の数も少ない。車間距離をあけて走っていればいいわけで、おのずと、周りの景色などが目に入ってきた。黄緑の稲田の中を、高速道路が突っ切っている。左右には低い山並みが見える。延々と、この景色が続いている。

だが、いい加減飽きた頃、終点になった。<朝日まほろば>というインターで、日本海東北道は終わっていた。要するに、未完成の高速で、おそらく、いずれは、秋田を抜け青森まで伸びるのだろう。それにしても<まほろば>という聞きなれない言葉に、少し惹かれた。あまり聞いたことのない日本語だ。いまネットで調べたら<すばらしい場所>という意味の古語らしい。となると<朝日まほろば>とは、朝日が素晴らしい場所、ということになる。なるほどね~、語音が奥ゆかしい。

その<朝日まほろば>で高速を降りて、一般道をこれから40キロも走らなくてはならない。そうだ、書き忘れたが、高速を下りる前にトイレ休憩した。パーキングの名前はよく憶えていない。一般道40キロ、市街地なら二時間かかるところだが、おそらくは田舎道だ。一時間で走破できるだろう。その準備としてのトイレ休憩だった。要するに、少し気合を入れなおしたのだ。

地図上では、国道7号線だ。山形県へ向けて北上した。道は片側一車線。すぐに山間を走ることになる。ただし、道幅が広く、しかも、信号がほとんどない。走りやすい。60キロ前後で、ずうっと行く。道の両側には、民家が点在している。比較的大きめな、板塀の日本家屋だ。どこか懐かしい。

育った板橋の長屋も板塀だったし、通った小学校の校舎も板塀だった。板塀のくすんだこげ茶色に、昭和を感じた。雪国の厳しい風土も感じだ。おそらくは、日本の近・現代化から切り捨てられた過疎地だろうとも思った。ただよく見ると、玄関口をサッシ窓で取り囲んで、寒気を防いでいる。そういう家が多々ある。人影は全くなかったが、生活の気配はする。小さな製材所も見えた。林業で生計を立てているのだろうか。よけいなお世話だ。ふと<常民>という言葉が脳裏をよぎった。自分の知らないところで知らない人間たちが生息している。どうでもいいことだと思いながらも、いやな感じはしなかった。

そのうち、完全に山の中だ。上ったり下ったり、トンネルをくぐったり、<洞門>と呼ばれる、片側がコンクリの格子になっているトンネルなどもくぐった。県境はどこでも険しい山なんだ、と思った。と、視界が開けた。左側に海。彼方の岬に灯台が小さく見える。ナビの指示に従って、七号線から右にそれて、灯台の見える方へ向かった。やっと着いた。

小さな港に入った。鼠ヶ関灯台は観光地になっているものの、下調べの段階では、付近に駐車場などはない。ま、その時は、港の空いているところに止めてしまおう、とアバウトに考えていた。なにせ、最果ての観光地という感じなのだ。案の定、閑散としている。もっとも、まだ八時二十分だった。メモに記してあった。二時間半くらいかかると思っていたから、少し早かったなと思った。

ゆっくり、辺りを見回しながら、鳥居の見える方へ、車を動かした。なるほど、左側に、五、六台車を止めるスペースがある。公衆便所も横にある。止めるならあそこだな。どん詰まりの神社の前で回転、その道路沿いの駐車スペースに、車を頭から突っ込んだ。二、三台、車が止まっていた。だが、駐車スペースはおろか、港のどこにも人影は見えない。

ちなみに、今ネットで、この鼠ケ関についてちょっと調べてみた。この場所は、義経が、追っ手を逃れて奥州平泉へ落ち延びる際に上陸した地で、そのあと、現在の七号線のあたりにあった、奥羽三大関所の一つ、鼠ヶ関を弁慶の奇計をもって通過したらしい。ま、歴史的にも地理的にも、由緒あるところだね。

それと、鼠ヶ関灯台の手前にあるぼこっとした山は、名勝弁天島といい、昔は、海の中にあったようだ。その付近の小島をつなげて、今では陸続きになっている。なるほど、灯台も絡めて、観光地化したわけだ。さらに、手前の神社は厳島神社といい、弁財天と金毘羅様を祭っているとのこと。夕日が美しいことでも有名らしい。

鼠ヶ関灯台の初点灯が大正14年。その時には、おそらく、陸続きになっていたのだろう。名勝弁天島、義経伝説、厳島神社、灯台、夕日、海産物。とまあ~、観光地の条件はそろっている。古代、中世、近世、近代と、長い間、人々が行き交ってきた場所なのだろう。とはいえ、今現在の雰囲気は、やや寂しい。廃れた感じがしないでもない。もっとも、自分的には、その方が好きだ。

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2020

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Sun.

10:18:42

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 新潟・鶴岡編

<灯台紀行・旅日誌>2020新潟・鶴岡編#6 弥彦観光~ホテル

ナビに従い、弥彦へ向かっていた。いくらも行かないうちに、海沿いの道からそれて、いよいよ山登りだ。といっても、登るのは、わが愛車だが。軽登山靴を脱いで、素足にサンダル履きで運転していたと思う。エアコンの風向きを、顔と足元にしていたので、涼しい風がほてった足先に当たって、気持ちよかった、ような気がする。と、なんだか、狭い、いわゆるヘアピンカーブの連続だ。ちょっと、想定外だった。こんなに急なのか!

…ジムニーで秩父の山々を走り回ったことを、瞬間的に想起した。あの時は、車が小さかったし、悪路用の車だ。だが、今は普通の乗用車。一応今流行りのSUVとはいえ、街中を走る車だ。山道は得意ではないだろう。いや、こんなに急な山道は初めてなので、得意なのか苦手なのかもよくわからない。ちらっと、ナビの画面を眺めた。くねくねくねくね、まるで蛇だ。おいおい嘘だろう!まだまだずっとヘアピンカーブだ。

真面目に?運転に集中した。幸いなことに、対向車にはほとんど出くわさなかった。というのも、曲がる瞬間は、上からの車が見えない。道端が狭いのだから、スピードを出していれば、あるいは、細心の注意を払っていなければ、おそらく、正面衝突は避けられまい。そんな、ヒヤッとした瞬間を何度も経験している。ある意味、対向車も、自分と同じようにスピードを落として、慎重に運転している、と思わない限りは、こんな山道は、こわくて走れないわけだ。いわば、運を天に任せている。

…軽トラの運転手で生活費を稼いでいたころ、時々ふと、運転することが怖くなったことがある。万が一にも、大型トラックがセンターラインをオーバーしてきたら、それでお終いだ。実際、そういう状況で昇天してしまった、顔見知りがいる。しかし、この恐怖は、生活に迫られてではあるが、克服した。つまり、死ぬかもしれない、いや死んでもいいや、と思うことにした。びくびくしながら運転するより、その時はその時だと、穴をまくったのである。ま、まだ若くて、血気盛んだったころの話だ。

まだかまだかと、慎重に運転しているうちに、少し目が回り始めた。いかんいかん、と視点を動かし、さらにゆっくり走った。ナビをちらっと見た。目的地の弥彦山頂は目の前だった。道が平らになった。お~、やっと着いた。ナビの声も消えた。山頂に何か施設のようなものがあるとばかり思っていた。が、何もない。道路際に仮設の駐車スペースがあるだけだ。車が何台も止まっている。半信半疑で、そこに駐車して、外に出た。

弥彦からは佐渡がよく見える、と思っていた。スマホからの情報だろう。たしかに、佐渡は見えた。ただし、逆光の中、ぼうっとしている。目の前には、柵があり、案内板がある。右手には、見上げるような山。草ぼうぼうの中、細い登山道が上へと伸びている。ちらっと見ただけだ。登る気はしなかった。暑い中、あの急な山道を登ったところで、佐渡島は霞んでいるんだ。ま、今思ったことだけれども、あの山のてっぺんが、実質的には、弥彦の山頂だったのだろう。

車に戻った。今日の予定は終了。宿へ行こう。ナビをセットして、走り出した。と、何やら、巨大な展望タワーが立っている。今調べると<弥彦パノラマタワー>というらしい。ガラス張りの、ドーナツ型の展望席がぐるぐる回りながら、細長い塔の上まで上昇していくのだ。たしかに、あの高さなら、展望は抜群だ。一瞬、乗ってみようかなと思った。広い駐車場をそろそろ走り、入口近くまで行った。時間は四時だった。また、体力的なことで、行動が消極的になった。何しろ、今日は、朝の四時から動いているんだ。それにまだ暑いし、山登りもして来たんだ。佐渡島だって、きっと霞んでいるに決まっている。帰ろう!

回転して、駐車場を出た。おそらく、もう二度と訪れることもないだろう、とふと思って、かすかに気持ちが揺れるのを感じた。弥彦山を下りた。下りは、比較的道端も広く、さほど急でもなかった。対向車に出くわすこともほとんどなく、あっという間に下界に下りた。要するに、観光用のルートだったわけで、走りやすいように道を整備したのだろう。わざわざ急な山道を登ってしまった自分がトンマだったのだ。

燕三条のビジネスホテルまでは、30分もあれば着くだろう。一面黄緑色の稲田の中を市街地へ向かっていった。途中、ナビのいく方向が、工事で通行止め。ぐるっと回り道。要するに、本来左折するところを、直進させられ、その後左、左、右と曲がって、本来行くべき道に戻るわけだ。しかし、その迂回路が、信じられないほど長かった。とはいえ、黄緑色の中をぐるぐる走れたのは、面白い経験だった。極端に広い農道、稲田一枚の面積もかなり大きい。埼玉とは、規模が全然違う。異なる風土を感じた。これも旅の面白さの一つなのだろう。

市街地に入る前に、給油した。セルフで値段も埼玉と変わらなかった。ナビで事前に調べたあったコンビニに寄った。比較的感じのいいセブンイレブンで、おにぎり三個、牛乳、菓子パン、唐揚げを買った。全部で千円ほどだ。宿はもう目の前だった。マップシュミレーション通り、ホテルの入口に一番近い駐車場に入った。だが、並んでいる。駐車待ちだ。なるほど、ここはイオンの平面駐車場で、誰もが止めたいわけだ。大きな立体駐車場もあるが、売り場に遠くなる。ちなみに、ホテルはイオンと接続していて、駐車場も兼用なのだ。五分くらい待って、駐車した。

一応、サンダルをウォーキングシューズに履き替えた。カメラバックの重さはさほど気にならなかったものの、飲料水や食料、多少の着替えなどを入れたべージュのトートバックは、かなり重かった。閑散とした<サイゼリア>の横を通り、広い道路に面した、ホテルの正面玄関から入った。あれ、受付が見えない。左手は<銀座>という名のレストラン、右手はロビー。比較的きれいで高級な感じ。受付の文字を見つけて、右手に少し行くと、受付カウンターがあった。

三十代くらいの若い男。対応はビジネスライク。問題はない。コロナ関連や<Go tooキャンペーン>関連なのだろう、書面にチェックして、署名した。そのあと、現金で¥6760払った。二泊でこの値段、安い!だが、いつも冷ややかな眼で見ている日本政府から恩恵なわけで、心の底からは喜べない。領収証は、と聞かれた。欲しいというとチェックアウト時に渡すという。ま、別にどうでもいいことだ。

カードキーではなく、プラ棒についている鍵を渡された。エレベーターに乗り、部屋に入った。まずまずきれい。こんなもんでしょう。とはいえ、気になったのは冷蔵庫。すぐ開けてみた。う~ん、少し冷えている。前回のホテルよりはましだろう。荷物整理して、テレビをつけた、その後シャワー。ま、気持ちよかった。出てきて、お決まりのノンアルビール。今回は、保冷剤をいれた小さな保冷バックに入れきた。冷えている。グラスの紙カバーを外して、注いだ。うまかったと思う。

おにぎり、唐揚げをたいらげ、ベッドに横になった。ふと思って、カメラを取りだし、モニターした。撮れていても撮れていなくても、あとの祭りではあるが、今日の成果を確認して、満足したかったのだ。まずまずだった。天気がよかったからね。ひと安心した。そうだ、まだやることが残っていた。メモだ。テーブルに向かって座りなおした。出発してからのことを、時間軸にそって、思い出そうとした。何時にパーキングに寄ったとか、灯台に何時に着いたとか、昼寝の時間とか、ホテルに何時に入ったとか、ある意味些末なことだ。だが、メモしておかないと、日誌を書くときに苦労する。時間に関しては、まったく思い出せないことがしばしばあるのだ。

今だって、正確には思い出せない。行動の節目節目に、腕時計をちゃんと見て、時刻を記憶しているわけではないのだ。時計なんか、ちらっと見る時もあれば、見ないときもある。だから、前後関係で、類推してメモっている。したがって、やや時間がかかるし、頭を使うのだろう。眠くなってきた。何時頃だったろう、夕方の六時ころかな、メモには<六時ねる>と記してある、一応書き終えて、部屋を暗くした。エアコンは自動から27度にセットし直した。横になった途端、眠っていたと思う。

今日の出費。
宿代二泊¥6760、高速¥5950、ガソリン¥2355、飲食¥1147。

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2020

11/11

Wed.

09:09:01

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行 新潟・鶴岡編

<灯台紀行・旅日誌>2020#5 新潟・鶴岡編 間瀬港西防波堤灯台

窓のシールドを外して、車を移動した。角田浜の北のはずれまで行った。というのも、浜沿いに民宿が並んでいて、容易には、浜へ出られない感じなのだ。つまり、民宿の敷地を通って行かないと砂浜に出られない。やや不満だった。なぜって、公共の浜辺を民宿が占有しているわけだ。日本全国、やや大袈裟かな、かような現象が多々あるような気がする。むろん、行政に許可をもらっているのだろうが、なんか、釈然としないのだ。

というわけで、民宿の切れた、浜の外れに来た。広い砂地の駐車場だ。外に出ると、これまた、極端に暑い。暑いと思わないことにして、護岸下の、緩やかなコンクリの段々に立った。でかい望遠カメラで灯台を狙った。遠目過ぎる。それに、垂直が取れない。しようがない。浜に下りて、波打ち際まで進攻した。ま、それでもだめだ。というのも、ほぼ逆光の上に、トップライト。紫外線でぼうっとしていて、写真にならない。

それに、海の中には、三々五々、水着姿の人がいる。むろん、砂浜にもいる。男はどうでもいいのだけれど、女性もいる。水着だ。でかいカメラを向けたら、怪しまれるだろう。盗撮してるんじゃないかと。それでなくたって、怪しい格好のオヤジだ。灯台を撮っていることを、無言でアピールしながら撮った。むろん、長居はできない。それに、この暑さだ。粘って撮るような風景でもない。撮影終了。まったくの無駄足だった。

車に戻った。さてと、今日の撮影は終わり!ちらっと、角田岬灯台の夕景を想像した。だが、暑くて薄暗い中、あの急な登山道をまた登るのかと思うと、気持ちが萎えた。体力もあり、時間的にも余裕のある時、しかも季節のいいときに、また撮りにくればいい。とはいえ、少し後ろ髪を引かれた。

ナビを弥彦の山頂にセットした。と、その前に、さっき浜で見た北側の防波堤灯台を見に行こう。ナビで拡大表示すると<巻漁港>らしい。すぐ近くだ。角田浜から出て左折。五分で到着。どん詰まりで、開店休業のような鮮魚販売店があり、その前が割と広い駐車場。かまわず止めて、外に出た。なるほど、奥の方に、確かに白い防波堤灯台がある。ただし、関係者立ち入り禁止の看板が立っている。要するに、漁港の中なのだ。釣り人が入り込んでいるものの、それまでして撮りに行く灯台じゃない。あっさり諦めた。

来た道を戻った。右手が海だ。角田浜を通り過ぎる際、キャンプ場、の文字が見えた。ちょっとした木立に囲まれた狭い場所に、二、三、テントも見えた。でも、だいぶ浜からは離れている。海水浴場は閉鎖されているのに、キャンプ場はやっているんだ。ま、規模が小さいからな。…その後は、うねうねと、海岸沿いを走った。と、海の中に、赤い防波堤灯台が見えた。あとで調べると、間瀬港西防波堤灯台、という立派名前がついていた。逆光ではあるが、海と空は真っ青、その中に一点の深紅。よく目立つ。うまいことに、手前に大きな民宿があり、その前が広い駐車場だ。入るところに公衆電話のボックスがあり、中に緑の電話機が見えた。珍しいなと思った。

民宿の専用駐車場でもないような感じだったので、堂々と駐車して外に出た。一時半頃だった、とメモにある。強い日射をもろに浴びて、うわあっと眉をしかめたような気もする。だが、何かに引かれるように、海の中の、その紅一点に近づいていった。砂浜に下り、波けしブロックを乗り越え、さらには、立ち入り禁止の柵をすりぬけ、人影のない防波堤の下を歩いた。とはいえ、目の前の背丈より高い防波堤を乗り越えないと、紅一点には会えない。

無理かな、と思っていると、なんと、防波堤の先端にアルミの梯子がかかっている。防波堤の上に上がれるのだ。誰が、何のために、わざわざ梯子をかけたのか?ま、そんなことはどうでもいい。細い、頼りないその梯子を数段、踏み外さないように慎重に上った。と、見えました!お目当ての紅一点は、すぐ目の前。海の中の防波堤に立っていた。運のいいことに、角度的にも、美人。だが、モロ逆光というか、トップライトだ。撮れなくてもともと、という気持ちで、ほぼ同じ構図で何枚か撮った。正直言って、ある意味極限的な状況の中で、大げさだな、紅一点にたどり着いた、ということでほぼ満足していた。

引き上げ際に、周りを見回した。自分のいる防波堤に、変な形のものがある。コンクリのしっかりした台座の上に、白い塗装の剥げた、それほど太くない円柱だ。高さ的には小男。その上に、頭の白いライトがついている。それだけではない。円柱には、大小、二つの輪っかが溶接されていて、下の方の径が小さい。いま撮った写真で確認すると、上の輪っかは、太陽電池パネルを支える台座の役割を果たしている。一方、下の輪っかの役割は、ちょっと見わからない。ま、とにかく、こやつも、一応灯台なのだろう。

ところで、防波堤灯台にはルールがあるらしい。ざっくり言うと、港へ向かって、右舷は赤、灯色も赤。左舷は白、灯色は緑。つまり、防波堤灯台は、ペアになっているわけだ。今一度撮った写真をつくづく見る。と、そうかと思った。配置からして、こやつは、紅一点さんのペア灯台、左舷の白い防波堤灯台だったのだ。

変な形になってしまったのは、おそらく、外観が何らかの理由ではく奪されてしまい、骨組みだけが残ったのだろう。下についている小さな輪っかが、その証拠だ。となれば、紅一点さんは、未亡人ということになる。いや、骨組みだけとはいえ、やけに背丈が小さいぞ。間違っているかもしれない。それに、緑の明かりを毎晩灯しているわけで、死んではいない。未亡人は、言い過ぎだろう。ま、それにしても、こう考えると、真夏の真っ青な空と海の中、紅一点さんの寂しげな姿が、ますます鮮明になる。

引き上げよう。堤防にかかっている、小さな梯子を下りた。登るときよりも、危なかった。というのも、軽登山靴は嵩が張っているのに、梯子の段々の幅は狭く、しかも、細い。へっぴり腰で、手を突いて何とか無事に下りた。来た道を戻った。しつこいようだが、暑かった。砂浜で、ふり返り、今一度赤い防波堤灯台を撮った。逆光で、よく見えなかった。遠くに、断崖と海が見えた。手前の浜に、二、三、人影もある。静かだった。いや、心地よい静寂じゃない。炎天下の、うわ~んと唸っている海辺だった。

車に戻った。民宿の前に、黒っぽいオヤジがうろちょろしている。ちらっと見ると、向こうもこっちをちらっと見た。見慣れぬ観光客に対する興味と猜疑心だろう。そんな視線は慣れっこだ。知らん顔して車を出した。三時頃だったと思う。メモで確かめた。さ、弥彦観光だ。

ま、それにしても、予定外の防波堤灯台を撮ることができてよかった。防波堤灯台は、みな似たり寄ったりのフォルムで、ロケーションも似通っている。灯台としては、ほとんど無名で、灯台オタク以外、わざわざ見に来る人もいない。だが、素晴らしい海と空に恵まれれば、孤高の姿が際立ち、感動的ですらあり得る。もっとも、感動しているのは自分だけかもしれない。いや、ネットにたくさんの画像がアップされているのだから、ある種の人間にとっては感動的なのだろう。ある種とは?どういう種類の人間なのか?そのうちゆっくり考えてみよう。

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