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<灯台紀行・旅日誌>&<花撮り物語>&<第二次入間川写真紀行>

<灯台><花><入間川>などのフォトエッセー

2020

07/14

Tue.

19:03:18

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

<灯台紀行・旅日誌>#12
夜道を宿へ向かった。三十分ほどで、さしたる疲労も感じないで現着。途中、昨晩も寄ったコンビニで食料を調達。朝食用に、ブドウパンと牛乳、夕食用には、おにぎり三個とからあげクンを買った。部屋に入ってすぐに着替えて、温泉に入った。麦茶を煮込んだような色の、ぬるぬるの温泉だ。湯船は一つで、三畳ほどの広さ、四方がジャグジーになっている。ゆっくりと腰をほぐした。

独特の匂いが立ちこめていたが、道路側のサッシの窓を開けると、涼しい風が入ってきて心地よかった。脱衣場、その他いろいろなことには目をつぶって、この貸し切り温泉を楽しんだ。そう、湯船に入るとき、足の甲、手の甲が染みた。見ると、真っ赤になっている。顔も焼けた。とくに鼻が赤くなっていた。

部屋に戻って、持参して冷蔵庫に入れておいた、冷えたノンアルビールを飲んだ。うまかったとおもう。というのも、何しろ疲れていたので、いや疲れていたのだろう、そのまま倒れこむように寝てしまった。夕食のおにぎりを食べたのも、よく記憶していない。九時前に着到して、十時すぎにはもう寝ていたと思う。幸い、周りは静かで、物音で目が覚めることもなかった。二、三回、夜間トイレで起きたような気もするが、よく眠れた方だ。

今日の出費、食品・飲み物¥980。

三日目。
朝の四時過ぎに目が覚めた。朝日に照らされて、オレンジ色に染まった障子がまぶしかった。十時に寝たのだから六時間は寝たわけか、と思ったような気もする。すっと起きて、障子をあけ、ついでに重いサッシ窓も開けた。目の前には飯岡漁港、釣りの名所らしく、防波堤の手前に車がたくさん止まっている。

その向こうには刑部岬・ぎょうぶみさきと読むらしい。絶壁になっていて、その上に飯岡灯台と展望台のシルエットが見える。こちらからは逆光だが、輪郭が朝日に照らされ、ほんのり朱色に染まっている。絶壁の中ほどまで、うっすら霧が立ち込めていて、早朝の神々しい光景が広がっていた。写真には撮らなかったが、というのも、埃だらけのベランダに出るが嫌だったし、だいいち、そんな余裕も時間もなかった。

日の出は撮れないとしても、朝日を浴びている、犬吠埼灯台の前に一刻も早く行きたかった。さっと身支度をして、胃の中に、ブドウパンを牛乳で流し込み、部屋を出た。その際、スーパーで使うような黄色のプラかごに、使用済みのバスタオルなどを入れ、小さなごみ箱と一緒に廊下に出した。

これが、この宿における連泊者の唯一の義務らしい。帰ってくると、ドアの横にそのかごが置いてあり、中に新しいタオルと歯ブラシセットが入っている。連泊者の部屋の掃除などは論外というわけか!ま、三日くらいだから問題はないが、これが一週間とか、長期間になったら、どうするのだろう。受付に言えばやってくれるのかもしないが、ま、どうもいいことだ。こっちは忙しいんだ。

ドアの鍵を閉めた。もっとも、鍵のくっついているプラの透明な棒を触るのも、ドアノブも、エレベーターのボタンも、なんか嫌な感じがした。コロナ菌がついていないだろうか?そういうことに関しては、かなり神経質らしい。一階の薄暗い受付には誰もいなかった。半自動ドアの玄関は、24時間開いているそうだから、その点は便利だ。いや、考えようによっては不用心だろう。

車に乗り込んだ。なぜか、少しホッとした。この中にはコロナ菌などいない。それが、安心の多少の理由になっていたのかもしれない。時計を見た。四時に起きたのに、もう五時すぎだ。一応、念のため、ナビを<犬吠埼灯台>にセットした。

道は空いていた。当たり前だ、まだ早朝の五時すぎだ。ほとんど貸し切り状態で、多少見知った、今日で三回目の道を気分良く走った。途中、屏風ヶ浦の高台に差しかかると、長い下り坂の直線道路が、上下に波打っていて、朝日に照らされている。右側にはちらちらと海が見え、左側には巨大風車の林立。飯岡灯台の展望台から見た、東総台地を走っているわけだ。なんだか自分が映画の主人公になった気分だった。

五時半過ぎに、犬吠埼灯台の商業施設、テラステラスの裏側の駐車場についたはずだ。ここは、昨日車を止めた、道路沿いの駐車場よりは一段と高くなっている。浜への上り下りがすこし大変になる。いや、大した距離じゃない。ここを選んだのは、今日の午後、正確には十一時半から二時半までだが、車の中で仮眠をするためだ。こっちの駐車場の端っこが、比較的静かだろうと思ったのだ。真昼間の浜辺の暑さと日射には懲りていた。

誰もいないかな、と思いきや、その、浜が見下ろせる駐車スペースには先客がいた。黒っぽい車で県外ナンバーだったかな、窓に日よけなどをしている。ちらっと車内で仮眠している姿が見えた。一瞬で、日の出を撮りに来たアマチュアの、しかもオヤジカメラマンだなと思った。ま、別にいいさ、目くじらを立てることもない。一台あけて、柵際の狙っていたスペースに車を止めた。

装備をととのえ、浜へ下りた。昨日の教訓を生かして、薄手のパーカ、薄手の靴下、ペットボトルの水も二本持った。とはいえ、昨日来の疲れが残っていたのだろう、カメラバックが肩に重かったし、トートバックも腕に食い込んで痛かった。

少し砂地を歩いて、お決まりの撮影場所についた。カメラを三脚にセットした。昨日と同じ場所に、というのも小石で目印をつけておいたのだが、どうもよろしくない。下が砂地で三脚の足が食い込んでいる。同じアングルが作れない。・・・なにか、三脚の足に敷くものを用意するべきだなと思った。

時計を見た、六時を回っていた。下の浜では、十代の男女が数人、海に入って戯れている。早朝の誰もいない浜辺で、大きな声を出して騒いでいる。どういうつもりなのか。カメラと灯台の間にいるので、否応なく、画面に入ってしまう。ま、いいか。変化があって。

二台のカメラのうち、望遠の方は、海に向けた。ちょうど、朝日が昇ってくる方向だが、いまはもう、立派な?太陽になっていて、その光を受けた海面がきらきらしている。まともに見てしまっては、眼がやられる。

そうそう、今朝は雲一つない快晴だ。こりゃ~暑くなるな、と思ったが、実際には、浜風が強く、直射日光をもろに浴びてはいるものの、さほどの暑さは感じない。もっともまだ朝の六時台だ。それよりも、特記すべきは快晴、雲一つない青空。天気予報を検討して、この二日しかないと決断して出てきた撮影行だが、まさにどんピシャリで、昨日は多少の雲があり、照ったり陰ったりの空。今日は、朝からおそらく終日、100%の快晴!

ま、野外撮影に、青空があることは、それだけでOKだが、欲を言えば、多少雲が流れている方が絵になる。そんな贅沢は言ってられないだろう。晴れただけでも感謝するべきだ。年間、字義通り、雲ひとつない青空が、何日あると思う。正確には知る由もないが、経験で、いや、カンで、いや、あてずっぽうで言えば、二十日以下だと思う。月に一回あるかないか、そんな感じだろう。

…今ネットで調べた。快晴率。快晴とは、雲が青空に占める割合が0%~15%くらいの状態と定義される。全国平均すれば、驚いたことに28日前後だった。もっとも、かなりの開きがあり、埼玉県などは全国最高の61日!ま、どうでもいいことだ。快晴だからといって、必ずしもいい写真が撮れるわけではない。率は高いけどね。ちなみに、千葉県は年間で20日だった!

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2020

07/10

Fri.

11:15:06

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

<灯台紀行・旅日誌>#11
三脚を立て、カメラをセットしかかったとき、後方から、マウンテンバイクに乗った若者が数名、大きな声で話しながらやってきた。あれ~、と思っていると、自分から四メートルくらい離れた柵のところで、釣りを始めた。ほぼ等間隔に並んで、四人ほど、かがみこんで釣り針にえさをつけ、海へ向かって、大きく竿を振っている。

薄暗がりだったが、話声と顔つきで、外国人、それも中国人でも韓国人でもなく、東南アジア系の若者だとすぐにわかった。嫌なことに、その中でも体格の一番いい奴が、俺の隣にいる。ふと、集団で、あるいは、あいつらに襲われたら勝てないなと思った。だが、状況から判断して、いちゃもんをつけられる可能性は低い。シカとして、五分間インターバル撮影を続けた。とはいえ、若造に、根拠もなく、びくびくしている自分が情けなかった。

次第にあたりが暗くなった。灯台の胴体の真ん中あたりが、下からの照明で照らされ、そこだけが楕円形に明るくなった。用意してきた、アウトドア用のヘッドランプを頭に巻いて、ほとんど初めての夜間撮影に挑戦した。アジア系の若者たちは、予想に反して、暗くなっても立ち去らなかった。それどころか、懐中電灯を持参していて、手元を照らしながら、盛んにエサを交換しては、大きく竿を振っている。夜釣りに来たんだ!浜風の中、何語なのかな?タイとかベトナムとか、そんな感じの語音が飛び交っていた。

インターバル撮影の合間、若者たちの行動を横目でちらちら追いながらも、刻一刻と表情を変えていく、灯台周辺の光景を全身で感得していた。午後の、あの暑さと比べて、いまはかなり心地よい。むしろ、寒いほどだ。ヒートテックのモモシキをはき、長めのダウンパーカを羽織った。これでちょうどいい。ビスケットを少し齧り、水を飲んだ。腹の調子も少し良くなっていた。この時間に、こんなところで、写真を撮っている。念願がかなっている。世界の前に立っている。自分の人生を生きていると思った。

空と海が、漆黒の闇に覆われ、灯台が光を発し始めた。そう、問題は、あの光線を写真に撮ることだ。ネットで、犬吠埼灯台の写真を、いやというほど検索したが、左真横、一直線の光線をとらえた写真は、わずか一枚にすぎない。しかも、その写真は、<写真素材>として、有料で貸し出されていた。

天と海の間の暗闇を、一直線に走る灯台の光線。なんとまあ、ロマンがあるではないか!前に言った<作品>というのは、この五分インターバルで撮った写真群を、編集してスライドショーにする心づもりだったわけで、ラストは、いや、ラス前あたりに、この一直線の灯台の光線が、ぜひとも欲しいものだ。

ところが、丹念な検索の結果にもかかわらず、灯台の光線を撮る方法は、見つけられなかった。星空とか、夜景とか、それから、光線を多重撮影して、灯台の周りにぐるっとめぐらす方法はあったが、もっとも、多重撮影は自分の頭と腕がついていかないわけで、はなから試すことすらしていない。というよりも、灯台から光線が放射状に出ているというのは、いかにも、作り物の感じがして、いささか趣に欠ける。

だが、いちおう、灯台の光線を撮る方法を、自分なりに調べ上げ、メモしていた。手順はこうだ、モードはM、f値2.8、ss1秒から二分の一秒、ISO8000、いや、ほかにもメモがある。シャッタースピードssが長ければ長いほど光跡の幅が広がるとか、光線がカメラレンズに向かないタイミングをはかるとか、要するに、切れ端のネット知識だ。

実際はすべて役に立たなかった。これらのやり方では、むろんその場でいろいろ試したが、光線は撮れなかった。そもそも、何秒かおきに、ぐるぐる回っている光線を、左真一文字に来た時に写し撮ろうとするならば、シャッタースピードは、かなり早いものでなければなるまい。そんな瞬間は、あっという間に過ぎてしまうのだ。

今思ったのだが、光線が動かず、不動のまま、海を照らしているならば、上記の方法は有効なのかもしれない。いや、これも試していないので、わからない。要するに何もかもわからず、いや、今日の段階では、光線は撮れないのだ、ということがわかったわけだ。得心して、気持ちが覚めた。引き上げよう。カメラを三脚から外し、バックに収納した。

少し前に、二、三人仲間が加わった、アジア系の若者たちは、その後もまじめに?釣りを楽しんでいた。新たに加わった連中は、柵を乗り越え、三メートルほど下の、波消しブロックに降り立ち、座りこみ、釣り糸をたらしている。自分の隣の大柄な若者は、なかでも、釣りがうまいのか、何匹も釣り上げていた。

彼らが、どこから来たのか、何をしているのか、すぐには思いつかなかった。食いつめたような様子もないし、みな立派なマウンテンバイクを持っている。留学生なのかもしれない、あまり深くは考えなかった。考える必要もなかった。ただ、いちゃもんをつけられるのではないかと、最初、びくびくした自分を少し恥じた。

カメラバックを背負う前に、柵に両肘をついて、暗闇に浮かぶ灯台をつくづく眺めた。たしかに、光線は出ている。ある間隔をおき、右の方から光り始め、こちらに向かってピカリ、そのあとは、例の左真一文字の光線を、茫漠とした闇の中に放って、左うしろに消える。この循環を、一晩中続けているわけだ。

ただねぇ~、その闇に放たれる、左一文字の光線は、すごく薄くて、かすかに見える程度のものだ。しかも一瞬!あれを写真に撮ることなど、土台無理なのではないか、自分がネットで見た写真は、何か細工したものではないのかとさえ疑った。ま、いい、光線は撮れなくても、写真はたくさん撮った。撮れたはずだ!

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2020

07/08

Wed.

12:22:17

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

<灯台紀行・旅日誌>#10
浜辺から、長い階段を登って、駐車場へ戻った。足が重い、しんどかったような気もする。車の中は、蒸し風呂!すぐにエアコン全開、窓にシールド。パーカやズボンを脱いで、倒れこむように横になった。ちなみに、後部座席を倒して、仮眠できる状態に、車内はカスタマイズされている。ご丁寧に、布団も枕も持ち込んでいた。

来る前にシュミレーションしたように、耳栓をした。犬吠テラステラスの裏側の、この駐車場は一般道に面していたが、なんと正面は老人ホームだった!車の出入り、騒音は、ほとんど気にならなかった。耳栓のおかげか、それとも体が参っていたせいか、すぐに、寝ているとも覚めているともつかないような状態に陥った。エアコンの温度や、車内の不愉快な暑さなどを意識しながらも、ひたすら、だと思うが、体の回復を願っていたような気もする。

ひと眠りしたのだろうか、夢うつつの状態から覚めた。たしか、四時半少し前だったような気もするが、はっきりとは覚えていない。

うん、少し気分がよくなったような気がする。身支度をして、サンダル履きで、そう、カメラも首にかけ、というのは、2020年5月28日4時46分に、西日の当たっている灯台を、広場右側から撮った写真が残っているからだが、その前に、午前中同様、トイレ、そうだ、トイレにも行ったのだ。観光地のトイレとしては、比較的キレイだったが、コロナ感染を意識して、すぐに出てきた。

そのトイレの向かいの、閉まっている土産物屋の赤い自販機で、午前中と同じ、アルミボトルの缶コーヒーを買って、歩き飲みした。まずくはなかった。たしか¥130、安いなと思った。朝、貧しい朝食をとったきりで、その後、ビスケットを少し齧った程度だったが、腹は空いていなかった。

右側は海だった。大げさに言えば、太平洋だ。1枚撮った。あとは、灯台の正面辺りを、観光客気分でぶらついて、これみよがしに写真などを撮ったのだろう。もっとも、コロナ感染の自粛は続いていて、いまだ県をまたいだ移動は制限されていた。かまうものかとシカとして、川越ナンバーで千葉県に乗り込んだものの、灯台付近の観光客の車は、ほとんどが千葉ナンバーだった。まあ、いちゃもんをつけられることもないだろうが、そうなったら、すぐに<すいません>と謙虚に謝ってしまおう。生意気なくせに、小心で臆病な性格が、年を取れば取るほど際立ってきた。

灯台前にある、テラステラスというこぎれいな施設に、このとき入ったのか、よく記憶はしていないが、きれいなトイレで、しかも温水便座で排便して、さらに気分がよくなったような気もする。その後、この施設には旅の3日目、4日目にも立ち寄って、カレーを食べ、トイレにも必ず寄って、気持ちよく排便した。

気分がよくなった。頭がすっきりした。これなら夜の撮影ができそうだ。そう思いながら、車に戻った。装備をととのえ、といっても、午後の不覚を教訓にして、薄手のパーカ、薄手の靴下、トートバックには、ペットボトルの水、ビスケット、念のためにダウンパ―カ、それにおしっこ缶、それだけだ。

…おしっこ缶というのは、車内や撮影中、トイレに行くのがめんどくさいので、アルミのやや口径の大きめなボトル缶のことで、これは何本か持参してきた。つまり、したくなったら、イチモツのさきっちょをその中に突っ込んで、用を足すわけだ。イチモツ、などと大きな口をたたいているが、息子の頭は小ぶりだから、ちょうどいい。ま、どうでもいいことだ。

あとはカメラバックに三脚二本。こっちは、かなりの重さではあるが、苦にはならなかった。もっとも、下り階段だ。浜に下りると、辺りは薄暗くなっていた。午後の五時半を回っていた。まっすぐ、例の撮影場所へ向かった。海風が心地よかった。

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2020

07/06

Mon.

10:47:49

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

<灯台紀行・旅日誌>#9
駐車場に戻った。布の大きめなトートバックに、飲料水などを放り込み、重いカメラバックを背負った。長い階段を下って浜へおりた。もう暑くなり始めていた。下見しておいた場所へ一直線に向かい、石の腰掛に荷物を置いた。柵沿いに三脚を二本立て、犬吠埼灯台にカメラを向けた。

三脚は二本持参している。一本はジッツオの使いやすいもの。もう一本はベルボンの、やや使い勝手が悪いもの。それぞれに望遠ズーム、標準ズームつけて撮影するつもりだ。要するに、柵沿いに三脚を二本並べ、近めと遠目で撮るわけだ。

が、いざ実際、二台のカメラで灯台をモニターすると、ベストアングルというものは、ほぼ一か所なので、当たり前だ≪ベスト≫なのだから、多少の近い遠いはあるものの、画面は似たり寄ったりだった。それよりも、正面の海。空があって、雲が流れて、水平線があって、たゆたゆと波が押し寄せている。この風景を撮らないということはない!!!

というわけで、三脚は一本にして、望遠を手持ちで、浅はかにも、海と、ちょっと遠めの灯台を撮ることにした。そして、五分間隔のインターバル撮影を来る前から計画していたので、その手順に従った。

時計を見た。五分経った。三脚につけているカメラのファインダー覗いて、リモコンのボタンを慎重に押す。取って返して、望遠カメラを、後ろの石の上に置いてあるトートバックから取り出す。ぶれないように、柵に肘をしっかりつけて、まず、海を撮り、ほぼそのままの姿勢で、少し体を右にひねり、灯台を撮った。

この作業を、十一時半から、およそ二時半まで続けた。本当は、体力と気力が続いたのならば、日没後までやるつもりでいた。ところがどっこい、そうはいかない。久しぶりのアウトドア、しかも海岸だ。

セッティング作業のうちは、暑さをそれほど感じなかった。太陽の位置を、手のひらを天にかざして確かめ、ほぼ真上だな、などと思った。まだ余裕があった。

ところが、作業がひと段落して、一息ついたら、いきなり息苦しいほどの暑さを感じた。まず、足の甲が、焼けるように熱い。厚手の靴下をはいていたのだ。薄手の物に替えたかったが、車の中だ!!!パーカも厚手の物で、これにも参ったが、薄手は車の中だ!!!

…サンダルは車の中にあるが、この強烈な紫外線、直射日光を、直接浴びることになる。どうしようか?海辺にフードのついたパーカは必須、だが絶対、薄手での物でなければだめだ。撮影の手順を正確に守りながら、次回の教訓だな、などと思った。

何しろ、フードですっぽり、頬の真ん中まで覆い、サングラス、そのうえマスクだ。自分の風体を気にする余裕もなかったが、あとで、夕方になり、車のウィンドーガラスで見たのだが、これではまるでコンビニ強盗だろう!!!どうりで、後ろの遊歩道を頻繁に行き来する人から、話しかけられなかったわけだ。怪しすぎる!!!

…正直いって、海辺の暑さ、要するに紫外線と直射日光は、老人には、自分では老人とは思っていないが、かなりきつくて長時間の滞在は無理だ。もっとも、日陰で寝ているなら話は別だが、自分の場合は、五分ごとに、写真を撮らねばならず、悪いことに、その際には、サングラスを外さざるを得ないという不幸?も重なった。

だが、眼をやられたら最後だろう。二十年前の失明に瀕した時のことを、ちらっと思った。あの時以来、サングラスを手放したことはなく、外出する際には、財布と鍵と同様、必ず身につけている。念のため、今回も、替えのサングラスを用意してきたほどだ。

話を戻そう。カメラのファインダーをのぞく際には、どうしても、サングラスを外さなければならず、その時の紫外線が、やりきれないほど、きつい。こんな体験は今までになく、ほとんど苦行だ。でも、これはまずいだろう!!!何しろ目を守らねばならない。

と、あろうことか、サングラスを掛けたまま、ファインダーを見た。ま、窮すれば何とやらで、むろん、色が変わって見えるが、一発撮りとは違い、ほぼどんな感じに撮れているかは、了解済みだ。空や雲や波が、五分間で、どの程度変化しているかを確かめるだけでいい、のではないか。

眼は、これでだいぶ楽になった。熱中症を警戒して、頻繁に持参した水を、ペットボトルから飲んだ。また、手のひらを太陽にかざした。真ん中より少し西に傾き始めた。足の甲は、撮影中は、柵の陰に置くようにした。休憩中は、靴を脱いで、自分の体の影に入れるようにした。

御影の石に腰かけて、うつむいて、楽しい撮影どころではない、苦行にも似た時間を、じっと全身で受け止めた。五分ごとの撮影が、なんだかなおざり、モニターもしっかり確認していなかったぞ。それに四、六時中、パーカの背中が、焼けるように熱い。なんだか頭がすこし痛い。水はたくさん飲んでいるはずだが、少し気分も悪い、むかむかする。

ぼうっとした頭で、明日もあるぞ、ここで体調を崩すわけには行かないぞ。そうだよな、もう、限界だろう。そう思ったら、急に弱気になった。時計を見た。二時半だった。三時間頑張ったわけだ。迷うことなく、撮影を中止した。

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2020

07/03

Fri.

17:52:16

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

<灯台紀行・旅日誌>#8
初陣の夜間撮影を夢中でやっていると、展望台前のちょっとした広場で、何やらうるさい物音が聞こえる。カメラから目を放して、ちょっと見に行くと、はは~~ん、若者がスケボーで遊んでいる。わざわざこんなところで、しかもこんな時間に、といってもまだ夜の七時だが、なんなんだ!!!ま、そのうちやめるだろう。

三脚に戻り、ほとんどわけもわからないまま、カメラをいじくりまわして、その都度モニターした。ま、勉強だな。時間のたつのも忘れ、頭の片隅では、スケボーがうるさいと思いながらも、これ以上はもう、うまく撮れないと思えるまで粘った。

ふ~と一息ついた。周りを見回した。展望台などの人影を確認して、その場を後にした。ちなみに、スケボーの若者も、どういうわけか、一緒に終了。目で追うと、端の方に止めてあった、白い軽のバンに乗り込んだ。仕事帰りか、時間調整か、ま、もうどうでもいい。車に乗り込み、高台の灯台から、坂を下った。バックミラーに、ヘッドライトが見える。灯台の駐車場はどんづまりだから、灯台にいた車であることは間違いない。ひょっとしたらスケボー野郎かも知れない。帰りまでご一緒だ!!!

・・・名前は伏せる。宿泊したビジネスホテルだ。なぜかというと、文句しか出てこないし、それを書けば、営業妨害になるやもしれぬからだ。そこまでの恨みはない。とはいえ、一言だけ言い添えておこう。汚かった!!!一泊¥4500、安いとはいえ、これはないよな、という感じだった。畳が擦り切れていたのだから、あとはご想像にお任せする。

それからもう一つ。食料調達したコンビニのおにぎりが、これほどまずいのかと思うほどだった。もっとも、食欲がまるっきりなくて、さほど腹は立たなかった。とはいえ、朝食用に買ったブドウパンは、まあまあ食べられた。一晩冷蔵庫に入れたにもかかわらずだ。・・・疲れた。かなり疲れた。もう寝よう。宿に八時過ぎについて、十時には布団の中に入った。

一日目の出費・高速¥3820、食事等\1200、宿泊三日分\12900。

二日目。四時過ぎに目が覚める。西側の障子が明るくなり、寝ていられない感じ。それでも、もう少し眠ろう、ということで六時前まで布団の中でぐずぐずする。

六時起床、洗面、朝食・昨晩買ったおにぎり、持参したカップ麺。食欲がないせいか、どっちも、うんざりするほどまずい!!!排便・小。むろん、ぼろホテルには温水便座などはない。…痔持ちの自分にとって、温水便座は必須だが、ま、非常時ということで、流水で肛門をさっと洗う。

身支度をして、八時前に出発。ナビを犬吠埼灯台にセット。途中、長崎鼻のぬぼっとした照射塔を何枚か撮り、さらに、海沿いの道に路駐して、東側から、遠方の犬吠埼灯台を狙った。

胸の高さほどのコンクリの護岸、その上に、重い望遠レンズを置いての撮影。要するに、三脚を立てるほどの景色ではないものの、VRを利かせたところで、手持ちではブレてしまうからだ。とはいえ、あまりに遠目過ぎる。それに、空の色もさえない。今日は朝から晴れの予報なのだが、チェ!!!

ほとんど貸し切り状態の、そのうち右側に海が見えて来る、景色の良い道。気持ちよく、九時前に犬吠埼灯台に到着。駐車場に車を止め、灯台周りの散策。一応、正面、周囲、それから海岸沿いの遊歩道など、スナップしながらぶらつく。

撮影ポイントは二つ、正面やや右側、灯台の窓が少し左側に見えるあたりがいい。もう一つは、遊歩道の終点、白いホテルへ通じる道に上がる鉄階段の踊り場。ただし、画面左下に青い電線がぶら下がってしまう。

この場所には、どう考えても三脚は立てられない。とはいえ、遠目だが、緑の断崖にちょこんと頭を見せている白い灯台、望遠なら何とか絵にできるかもしれない。横着して、望遠レンズを持ってこなかったことを少し悔やんだ。

帰路は、遊歩道を戻らなかった。可能な場合は、復路は、往路とは違う道を歩くことにしている。それに今回の場合、特に、遊歩道の途中の辛気臭いトンネルが嫌だったし、違った道を歩けば、違った景色に出会える可能性も高い。

海岸沿いに建つ白いホテルをちらっと眺めた。場所的に最高だが、オヤジのひとり旅、しかも撮影旅行には不向きだ。むろん宿泊費も高い。豪華な夕食など必要ないし、素泊まりで\10000はいくら何でも高すぎるだろう。

だらだらと坂をのぼった。すこし息切らせながら、海の見える高台に上がった。灯台は一般道の正面に見える。右側は、大げさに言えば太平洋だ。柵のある歩道を少し行くと、なんだか、陶芸店のようなものがあり、さらにその先には、一抱えもする大きな菱形の石に、何やら文字が見える。

立ち止まって、じっくり眺めた。高浜虚子の句碑らしい。<犬吠の 今宵の朧 待つとせん>。最後の<待つとせん>が読めなかったが、案内板があり、了解。口の中で何回か唱え、覚えようとした。おそらくは、例の海岸沿いのホテルに泊まって、部屋からぼうっと霞んだ灯台の明かりを見たのかもしれない。向き直って、太平洋の水平線を見た。すこしばかり、文学っぽい気分になった。

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2020

07/01

Wed.

10:42:15

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

<灯台紀行・旅日誌>#7
五時すぎに、再度飯岡灯台、現着。陽は西に傾き始めていたが、まだまだ明るい。フル装備で、展望台の階段を上る。ふと振り返ると、東側の台地―下総台地に巨大風車が林立している。望遠400mmで何枚か撮った。

さらに、海の中にも風車が一基ある・これは銚子市が東電と組んだ、洋上風力発電の実証実験だそうだ・・・世界に飛び出すと、まあ~~いろんなことに出っくわすものだ!冷やかし半分に、パチリと、こやつも一枚撮った。

階段を登りきると、まずまずきれいな展望室。窓があるわけでもなく、ダイレクトに南西側の海が眺められる。要するにベランダ仕様だ。ぐるっと見回して、灯台君を見下ろす位置に三脚を立てた。ところがどっこい、仕切り壁から乗り出さないと、灯台と防波堤が画面におさまらない。

う~ん、しかたない。手持ちでベストポジションを確認、何枚か、かなり慎重に撮った。ちなみに、このポジションは、ネットで見た写真の中では最高のもので、多くの人が撮っている場所だ。むろん、同じ場所から撮ったとしても、自分がそれ以上の写真が撮れるとは、正直思わないが、ま、この場所しかないのだ。

さてと、そうこうしているうちに、ますます陽は傾き、空の色が徐々に変わり始めた。写真の世界でいうところの<ゴールアワー>だ。どの場所がいいのか、うかつにも、夕景のベストポジションは調べていない。

とりあえず、灯台正面に出た。西側の空を眺めると、まさに夕日が落ちつつある。あ~、そうだ、ここは夕日がきれいなところだったんだ。われながら、マヌケな感想だ。問題は、灯台と夕日を画面におさめることだ。

あたふたしながら、三脚を立て、さあ、予行演習してきた、日没の撮影だ。え~~~と、マニュルモード、F値8、ほぼ無限大にピント、ISOオート、ホワイトバランスオート、シャッタースピードの調整で、露出を沈む前は三分の二アンダー、沈んだら適正にする、だったかな???なんだか、頭が真っ白になっていた。おぼつかない。

おりしも、まさに<ゴールデンアワー>、なんだか人影が一気に増えてきた。だれもが夕陽を見に来たわけか!なかでも、若いカップルが多いような気がする。ま、そんなことはどうでもいい、集中だ。ファインダーをのぞきながら、ほぼ初めての夕景の撮影を開始した。

その時は、気分が高揚していて、モニターなどもろくにしないで、リモコンのシャッター音に酔っていた。もっとも、辺りが暗くなってきて、モニターそのものがかなり難しい。そしてついに日没。おっと、灯台の頭にあるライトがうっすら点灯。今度は<ブルーアワー>だ。

シャッタースピードを落として、カメラ内のインジケーターを、適性のゼロに合わせる。辺りは、ほぼ暗い。それでも、かなりの人影。<ブルーアワー>とは日没後の数十分のこと、こっちの方が、空がきれい撮れているように感じた。気持ち的に、少し余裕が出てきたので、ホワイトバランスをいろいろ試してみた。晴れマークのところが一番きれいだな、と判断できるようになった。

そのうち、陽は完全に沈んで、空の色は紺碧から漆黒へと変わっていった。とはいえ、周辺を見回すと、展望台の照明などでさほど暗くはない。と、灯台の頭にある照明が点灯したままで動かない。おやっと思ったが、すぐに得心した。この灯台の役目は、飯岡港に入ってくる漁船の目印だ。光線をぐるぐるさせる必要はない。

ちなみに、灯台のレンズには<閃光レンズ>と<不動レンズ>があるようだ。閃光の方は、レンズが回っていて、結果、光線がぐるぐる回っているように見える。一方、不動の方は、ついたり消えたりするだけらしい。飯岡灯台の仕様は、<不動フランネル式300㎜・明三秒・暗三秒>ということになっていた。

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2020

06/29

Mon.

10:13:04

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

<灯台紀行・旅日誌>#6
...飯岡灯台下見。小ぶりな、白いタイル張りの灯台で、正面からはどうにも写真にならない。下調べしたように、撮影ポイントは一か所だけ。すなわち、無料の展望台から、手前に灯台を入れ、右側に飯岡漁港の防波堤などを斜めに入れる構図だ。

ま、いい。灯台敷地の柵によりかかりながら、眼下の飯岡漁港を眺めた。つい二、三日前、飯岡漁港に押し寄せる、あの大震災の大津波をユーチューブで見た。おそらく、撮影者が位置していたであろう所に、いま自分が立っている。津波が白い波しぶきを立て、沖から押し寄せてくる。あっというまに防波堤を越え、船溜まりの漁船をいとも簡単に押し流していく。その光景がまざまざとよみがえった。自然は美しく、かつ残酷だ。厳粛な気持ちになった。

気分を変えよう。灯台の周りをぶらぶら歩きながら、写真を撮った。灯台の横の方に、海を臨んだ、漫画チックな<力石徹>の石像があった。飯岡は<ちばてつや>が、戦後すぐに大陸から引き揚げてきたころに生活したところらしい。なぜかちょっと意外な気がした。<あしたのジョー>を夢中で読んだのは、もう半世紀以上前のことだ。

それからもう一つ、飯岡、と聞いて、ふと思い浮かんだのは、<飯岡助五郎>だ。記憶があいまいで、いまネットで調べてみた。あ~~~、思った通り、講談の<天保水滸伝>によれば、笹川繁蔵を闇討ちにした悪親分?だったわけだ。

…子供のころ、なんで聞き知ったのか、映画なのか?よくわからないが、その後、演劇青年をやっていたころ、三鷹で<黒テント>の<チャンバラ>という芝居を見た。その時に<しげぞおぉぉぉ~~~~>という役者の絶叫、突如、過去の記憶が呼び覚まされた。不思議な体験が、いまだに体に宿っている。そうだ、やくざの親分、飯岡助五郎と笹川繁蔵、それに用心棒の平手造酒。面白おかしく尾ひれをつけて、やくざの抗争を講釈師が語っていたのだろう。その、飯岡助五郎の墓が、この近くにあるらしい。…ちょっと行ってもよかったのだが、いまは灯台熱が高じている。いつか、またそのうちだ。

三、四十分ぶらついて、飯岡灯台を後にした。ナビを犬吠埼灯台にセット。目指すは、君ヶ浜の灯台寄りの駐車場だ。ところが、現着してみると、コロナで閉鎖中!!!これには参ったが、すぐに気分を取り直して、灯台下の駐車場へ行く。

車を止め、まずは灯台正面辺りをぶらついて、写真を撮る。犬吠埼灯台は登れる灯台だが、むろんコロナで閉鎖中。ま、こちらはどうでもいい。灯台に登ってしまっては、灯台が撮れないからだ。…昼もだいぶ過ぎている。なのに、腹が空かない。缶コーヒーなどを飲んでやり過ごす。

車に戻り、機材を背負い、浜へ下りた。ちょっとしんどい。撮影ポイントを探しながら、砂浜沿いの護岸縁を歩く。ちょうど、白っぽい腰掛石が五個、等間隔に並んでいるところ。背後には、遊歩道があるものの、ゆったり、誰にも邪魔されず、三脚を立てられる。灯台の垂直を出すにも、まずまずの好位置。何枚か試写して引き上げる。

車の中で時計を見ると、三時半を回っている。飯岡灯台へ戻ろう。日没前の<ゴールデンアワー>、それから明かりのついた灯台の夜間撮影。これが初日の、本気を出す撮影だ...

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2020

06/26

Fri.

10:13:49

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

<灯台紀行・旅日誌>#5
…かなり前から、日本全国の有名な灯台をネット検索していた。そのなかで<日本の灯台>というサイトが、質量とも充実していて大いに参考になった。いや~、これだけの灯台巡り、すごい!写真も説明も丁寧、語り口も謙虚、なにしろ<灯台熱>が半端ない。

ま、それはそれとして、自分の体力を考えると、車で片道200キロ前後の場所までが限界だろう。しかも、ロケーションが素晴らしいところがいい。という基準で、最初に浮かび上がり、二重丸がついたのは、犬吠埼灯台だった。ここは日本灯台50選、世界灯台百選にも選ばれている。それにすぐ近くの飯岡灯台もいい。灯台旅の一発目は、ここしかない!!!

泊る場所は、灯台に近ければ近いほどいい。だが、いろいろと条件がある。旅館やペンションなどは、お一人様で泊まることができそうにもないし、素泊まりでも一万円以上する。民宿には懲りているし、となれば、ビジネスホテルしかない。

最初は、日程も決まらないまま、銚子市内のちょっとお高いビジネスホテルを、念のためのコロナ対策ということで、六月後半に二泊予約した。だが、五月二十五日、急に<緊急事態宣言>が解除になった。そこで、ビジネスホテルを急遽キャンセルして、飯岡漁港近くの安めの宿に三泊することにしたのだ。

・・・話しがなかなか先に進まないな。とにかく、当日は、朝八時に出発、ナビにかなり遠回りさせられ、少しイラついたが、30分ほどで最寄りの圏央道坂戸インターに滑り込んだ。平日だったが道は空いている。ガラガラ!いや、貸し切り状態といってもいい。

すぐに菖蒲パーキング、走り始めたばかりで休憩する気にもなれず、そのまま時速90キロ前後で気持ちよく走る。ただ、次の江戸崎パーキングまでが長かった。いま調べたら、菖蒲からは約80キロ近くもあり、小一時間かかる。すでに三、四十分走っているわけで、ここはやはり、菖蒲パーキングで一息入れておくべきだった。ま、次からの教訓だな。

江戸崎パーキングには、十一時前に着いた。トイレと自販機があるだけの小さなパーキング。人もあまりいない。端っこの方へ行って、体をほぐす。そうそう、トイレ入口の天井近くに、ツバメの巣があり、ヒナたちの黄色の口が見えた。施設内の誰かが大切にしているのだろう。気持ちのこもった張り紙などもあり、気が和む。鳥や花を大切にする人間に悪い奴はいない、というのが持論だ!!!

パーキングで20分ほど休んで、疲労回復。そのあとは、あっという間に大栄インター。東関道の下りに入り、大栄パーキングを横眼で眺めながら、というのも、いざといときには、ここで車中泊しようという腹だ、帰りに寄ってみよう。

東関道大栄で降りた。料金は\3800ほど。自宅からここまで約120キロ、所要時間は二時間。その後はナビに導かれ、東総有料道路に入る。まったくの貸し切り状態、前後に車なし!有料道路だというのだが料金所もなく、気分良く一般道に入る。

地方の県道なのか国道なのか、ほとんどノンストップ状態で旭市の市街地。ここはさすがに、郊外型の大型店が両側にびっしり。ヤマダ、ニトリ、イオンモールなどなど。大きな交差点を右折すると、また貸し切り状態。あっという間に飯岡灯台に着いた。十二時を少し回っていた。総距離160キロ、三時間の行程。あまり疲れていない。気を張っているせいかな?

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2020

06/24

Wed.

10:54:12

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

<灯台紀行・旅日誌>#4
そこで、再び脳裏に浮かび上がってきたのは、灯台巡り、全国の有名な灯台を撮りに行くという計画だった。この計画は、父親を看取った後に思いついたもので、そのために車を買い替え、実際、原発近くの御前崎ルートインに連泊し、御前崎灯台、掛川灯台、清水灯台などを撮影した。そして三泊四日の旅の帰りは、高速を約280キロ走って一気に帰って来た。もっとも、新しい車に慣れていないということもあり、かなり疲れた。思い出すだけでも、帰路の運転はうんざりだ。

…ま、そんなこともあったのだ。その当時は、旅に行くたびに、ニャンコの世話を誰かに頼まなければならず、それのみか、ニャンコのことが気になってしようがない。さっと用を済ませて、なるべく早く帰ってきたかった、というのが偽らざる本音だ。

それに、そのあともいろいろあって、灯台旅の熱はいったんさめ、ほとんど忘れかけていた。それが今になって再燃したのには、次のような理由がある。

先日、ユーチューブに<荒川写真紀行2018>というスライドショーをアップした。エリックサティーのジムノペディを延々、といっても30分ほどだが、繰り返し流しながら、背景に自分の写真を映し出すという趣向だ。

<荒川写真紀行>の写真は、雲と空と、川の流れなどが主題になっていて、ほぼ三か月間、晴れた日には必ず川に出て撮影したもんだ。その何というか、写真たちとサティが、自分で言うのもなんだが、よくマッチしていて、かなり満足している。

ちなみに、サティを繰り返し流すという趣向は、若かりし頃、影響を受けた太田省吾という演出家が<水の駅>という作品で使っている。当時は、ちょっとルール違反じゃないの、とやや懐疑的だったが、四十年ほどたった今でも、その舞台が脳裏に焼き付いている。やはり、感動していたのだと思う。

太田さんは、たしか六十台で亡くなってしまい、主宰していた前衛劇団<転形劇場>も、ほぼ忘却の彼方だ。だからパクってもいいのか、というわけでもないが、自分が若かりし頃、唯一、入ろうかなと思った劇団の、尊敬する演出家へのオマージュ、ということにして、勘弁してもらおう。

あ~、話がずいぶん脇にそれた。五月二十七日水曜日、旅の当日は六時に目が覚めた。さっと起きて軽く食事。そのあと、なんやかんや、いろいろやって、たとえば、家中のコンセントを全部抜いたり、持ち物表をチェックしたりで、ぐずぐずしてしまい、家を出たのは八時すぎだった。

ニャンコを火葬にしたあとは、ベッドの背もたれの上に、白い骨壺を置いて、時々声をかけたりしながら、じっとコロナ騒動が収まるのを待っていた。足止めを食らっていたのだ。五月中は無理だろうと思っていたが、急に政府の<緊急事態宣言>が解除された。といっても、他県への移動はどういうわけか<自粛>。だがもう我慢の限界を超えていた。ちょうど、木・金と千葉県銚子方面には、晴れマークがついている。ほぼ衝動的に飯岡灯台近くの宿を三泊予約してしまった。

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2020

06/22

Mon.

10:22:18

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

<灯台紀行・旅日誌>2020#3
出発の日
2020/05/27(水)くもり。
とうとうこの日が来た。およそ十五年間一緒に暮らしたニャンコ・べビちゃんを看取ってから約二か月弱、新しいプロジェクトが始まる。名付けて<日本灯台紀行>。また、大きくでたもんだ!!!

重度の慢性腎不全、多臓器不全を起こしている、もう助からないだろうという、ニャンコの約一か月の介護。そして最後の二日間は、それこそ、死ぬ苦しみを味わわせてしまった。絶命時、ニャンと短く鳴いて、息を引き取った。

苦しませてしまったという後悔、それに伴う罪悪感。深い悲しみ、気持ちが沈んだ。何十年かぶりに涙がこぼれた。だが、底の底まで気持ちが落ちたとき、このままではだめだ、という心の声が聞こえた。その声に励まされて旅の準備を始めた。

はじめは、九州の筑豊など、炭鉱跡をめぐり歩く旅を思いついた。かなり綿密に調べ上げ、日程表まで組んだ。例えば、九州国際空港に午後遅く到着して、その日は、近くの東横インに泊り、翌日、近くのニッポンレンタカーで車を借りる。そのあとは、田川、飯塚、直方の炭鉱遺構や記念館を三日かけてゆっくり回る。旅の後半は、大牟田・三池炭鉱跡を見て、佐賀国際空港から帰宅の途につく、というものだ。

グーグルマップでシュミレーション走行したり、炭鉱の歴史をネットで調べたりして、ニャンの辛い介護の日々を耐え忍び、この先訪れるであろう大きな悲しみ、べビちゃんの死を乗り越えようとした。

ところが、大方、旅のプラン、イメージが固まったところで、これが人生最後の、自分のやりたかったことなのか、とふと思った。
何か、ちがうような気がした。無理して頑張っているようなのだ。むろん、そういうことも必要だろう。だが、もういいではないか、自分を許す方向へと気持ちが流れていった。

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2020

06/19

Fri.

10:50:06

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

<灯台紀行・旅日誌>2020#2
2020/03/26十七時。
衝動的に、機内持ち込みのカメラバックを買ってしまった。アマゾンで、ロープロフォトストリームRL150という品物、定価よりもかなり安くなっていた。約二万円ほど。

はじめは、ふつうのキャスター付きのスーツケースを物色していた。値段的には、安いのは\5000、高級なのは\50000以上するのもある。そんなもんは~いらない。かといって、あまりに安い物もいかがなものか。いちおうブランド的に<ACE>とか<無印良品>とか調べてみた。ま、\20000も出せば、いい物が手に入りそうだ。

と、ここで考えた。今回の旅でスーツケースに入れていく物は何か、パソコン、カメラなどだ。要するに、重いもの、壊れ物で、バックパックに入れて行くには心もとないのだ。もっとも、今思い出したが、2015年の沖縄旅では、カメラをバックパックの中に入れて行った。あのときは、三泊四日で、衣類も少なかったし、三脚も持って行かなかった。だが、今回は、旅の期間も長いし、そういうわけにもいくまい。

機内持ち込み用スーツケースとバックパック、それにポーチといういで立ちをイメージした。要するに、キャスター付きスーツケースは必須と考えた。が、待てよ、それなら、カメラバックでいいわけで、検索したら、そういう物が\20000程度である。普通のスーツケースの中にカメラを入れて持ち運ぶより、こっちの方がより安全だ。というわけで、ま、衝動買いだな。

・・・昨日などは、夜遅くまで、福岡県について調べていた。観光スポットでは、平尾台というカースト台地が面白そうだ。あとは筑後川昇開橋、門司港レトロ、福岡観光では屋台ラーメン、それに飯塚・田川・直方などの筑豊炭田の遺構探索などがメインになりそうだ。この後、さらに海岸沿いの風景や灯台についても調べてみるつもりだ。

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2020

06/18

Thu.

21:53:02

<灯台紀行・旅日誌>2020 

Category【灯台紀行・旅日誌

灯台紀行・旅日誌2020#1
プロローグ
2020/03/24.十三時
おそらく、これが最後のひとり旅になるだろう。というのも、あと五年か十年経てば、体力的にも精神的にも、車を運転しての長旅は無理っぽいからだ。いや、わからんけどね。

直接のきっかけは、十五年くらい一緒に暮らしてきたニャンコが、慢性腎不全でいよいよ危なくなってきて、死んでしまう日が迫ってきたことだ。いわゆる<ペットロス>。悲しいことだが、寿命ということか。

・・・旅のことを考えている。このパソコンが使い物になるのか?撮った写真を見ること、日誌をつけること、それにネット検索で情報を得ること。旅中は、おおよそ、この三つだろう。

午後四時、安比奈運動公園・中央駐車場。車中泊のシュミレーション。小一時間、車の中で横になる。今日は比較的快適だった。リアウィンドを少し開け、耳栓、これでだいぶいい。途中、暑くなりエアコンをつける。持参した少し長い棒でブレーキペダルを押し、運転席に身を乗り出しては、指で始動ボタンを押してエンジンをかけた。横着な、楽なことを考えたわけだ。ま、これなら、高速パーキングでの仮眠もいけそうだ。

今日は、不都合が二つ見つかった。ひとつはナビ、2015年版になっていて、圏央道がまだ完成していない。ホンダに問い合わせたら、\22000ほどで更新できるようだ。ただし、時期的に今やるよりは、11月のほうがいい、というわけで、保留。よくよく考えたら、新しい地図も買ったし、古いナビと併用すれば、何とかなるような気がする。更新する必要性もないなと思い直す。

二つ目は、車内ではティファールが使えない。パソコンはちゃんと充電されるのに、なぜかだめだ。自宅の駐車場でもう一度試してみる。例えば、延長コードを使ってみて。…アンペアが絶対的に足りないから使えない、ということがネット検索ですぐに判明。やっぱ、カセットコンロとケトルだな。あと、チェアとテーブルは、グッド。洗面などもしてみたが、こちらもグッド。問題はない。車内での緊急おしっこは、ちょうどいいのがあった。口広のジュース缶で決まりだ。

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2020

06/18

Thu.

20:38:53

第二次入間川写真紀行2019 

Category【第二次入間川写真紀行

2019/11/30(土)晴れ。真冬の寒さ。
<入間川写真紀行2-8>昭代橋から狭山大橋・往復

十時半出発。いつもの小畔川沿いの道を走って、サイボクの交差点を直進、狭い旧道をうねうね走り、昭代橋の先、公園の駐車場に車を止める。

土曜日のせいか、車がたくさん止まっている。芝生広場では、親子連れなどが遊んでいる。チャリを下し、昭代橋の歩道を渡りながら上流の景色を撮る。

といっても、ほぼ逆光で、ほとんどモノにはなるまい。いちおう、カメラの性能を期待して、少しずつ位置をずらしながら、きらきら光っている川面や、端のほうにある富士山なども画面に入れた。

例の、右岸土手の専有物は、ほとんどなくなっている。行政指導されたのだろう、きれいな緑の土手道がいい。とはいえ、土手際に洗濯物干しが見える。通行の邪魔にはならないが、なんか嫌な感じだ。

昭代橋を渡り終え、国道を右折して、少し行って、また右折、民家の間を通り抜け、右岸の遊歩道に出る。先日来たところだ。そこから、チャリで上奥富用水堰まで行く。

途中の景色は、どうということもない。いや、チャリだから、ロクに目に入らない。すぐに堰の脇、遊歩道が崩壊していて、堰には近づけない。とはいえ、水量が多く、魚道も作られている。
気持ちのいい眺めだ。

少し迷ったが、この先、遊歩道でどこまで行けるのか気になり、さらにチャリを走らせた。左側は、鬱蒼とした茂みで、おっと、ホームレスのブルーシートの掘立小屋が、ちらっと見えた。

右側は、運動公園に沿った道路。街路樹なのか、大きな山茶花が四本ほど、間隔をあけて立っている。みな赤いお花をいっぱいつけている。

写真を撮ることもなく、じきに狭山大橋の下に出る。止まって、橋の橋脚などを眺める。その先には川の流れがあるはずだ。以前は、歩きだったから、橋のたもとの水辺には、必ず行ったものだ。正直なところ、今は、ケチな風景には、ほとんど興味がない。

今日だってそうだ。気持ちのいい昭代橋からの眺め、すがすがしい用水堰を見に来たのだ。…何かが変質しているわけだが、とちらっと思ったが、そんなことよりも、この遊歩道がどこまで続くのかが気になった。

さらに行くと、運動公園のはずれ、その先はごみ焼却場だ。遊歩道は、そっちには行かないで、隣接する公園の中、というか、縁を回っていく。その先は、川べりの崖だが、そこで、遊歩道は、見事に下をえぐられ、崩落していた。

止まって、川のほうを見た。以前、このあたりの流れの中に<軍艦のようなコンクリート>があった。が、見つけることもできず、いや、見つけようとする努力もせず、ちらっと見ただけで引き返した。

復路のことを考えた。このまま、今来た道を戻るか。運動公園の中を見ながら、そう、帰りに山茶花を撮ろうと思ったんだ。それとも、狭山大橋を渡って、左岸を遡上しながら、車に戻るか?

あいにく、今日も、腕時計を忘れてしまったが、太陽は少し傾いた程度だ。まだ元気だし、それに左岸側からも、用水堰を見てみたいしな、ということで、辺りを見回した。

というのも、狭山大橋に出るには、以前もそうだったが、いったん河川敷から出て、民家の横から、ぐるっと回りこむ感じになるのだ。確かその時、橋の下に隠れるようにして、ペットボトルかアルミ缶かが、山のように積んであって、脇に軽トラも止まっていた。純然たる?ホームレスではないのかもしれないな、と思ったものだ。

そんなことは、どうでもいい。橋の上に上がった。セコいことに、有料の橋だ。一応、上流側に専用歩道がついている。が、上流も下流も、大した眺めじゃない。西のほうに鉄塔と<おっぱい山>が見えるだけだ。

橋を渡り終えると、料金所。普通車\200というのは高すぎるだろう。それに、ふと見ると、自転車通行は\20ときた。防犯カメラもついているとの警告文もあり、すぐそばに、料金所の係員の姿も見える。仕方なく、財布を取り出し、しかし、五円玉と一円玉二個だけ入れて、さっと脇を通り過ぎた。

横断歩道を渡って、Uターンして、住宅街を通り抜け、左岸の自転車道に出た。すぐに狭山大橋の下。水辺に下りていけるが、チャリで通過。自転車道からそれて、土手下の細い舗装道を行く。ちなみに、自転車道は、土手の上を走っている。

見ると、老夫婦が、二人並んで、歩いている。チャリのスピードを落とし、<すいませ~ん>と声をかけて通過。この道は、以前はジムニーで走ったものだが、今の車じゃ、全然無理だな。そう思いながら、さらに行くと、道が少し広くなり、上流の見通しがよくなる。といっても、この時間モロ逆光で、ほとんど何も見えない。りっぱな柵のある所で止まり、対岸を見回す。

鬱蒼たる崖が続いている中、あったよ、かなり大きめのブルーシートの屋根が。あんな崖際にいて、先日の大雨の時はどうしたんだろう?あるいは、再建したのかな?ふと思った。が、それだけだ。

さらに行く。道が少し上り坂、そのうえ、数メートルおきに、なんというか、段々がある。要するに、スピードを抑制するために路面に凹凸をつけて、走りにくくしているわけだ。その都度、チャリから腰を浮かして、ペダル立ちしてクリアしていった。そう、子供のころにはよくやった、チャリの乗り方だ。

ギアは、一番軽い奴だったが、めげることなく、ゆっくりと、緩い勾配を上り切った。汗だくだった。だが、不快ではなかった。と、道が通行止めになっている。作業着を着たおとなしそうなオヤジが、看板をしつらえている。

なかば崩壊して平らになった護岸にチャリを止め、堰を眺めた。水量は多い。ゴーゴーと音を立て流れている。堰に立ち入り、コンクリの段々に座って、下流の景色を眺めたものだ。今日は立ち入り禁止、引き上げだ。

遊歩道は通行禁止、なので、工事用の網のフェンス沿いに少し行って、急な土手を、といってもほんの五、六メートルだが、力任せにチャリを引いて、登りあがった。あと一歩というところで、ずるっと滑りそうになったが、登山靴が持ちこたえくれた。

あとは、自転車道を遡上し、河川敷公園のところで、駐車場沿いの桜並木の道に迂回、昭代橋の交差点に出た。車に戻って、寒風の中、上半身裸になって、Tシャツの着替え、汗びっしょりだった。

チャリを積み込み、運転席に座って、持参した水と、バナナを一本食した。甘かった。あ~、パンチコヘの誘惑を<私は入間川歩行を選択する>と、何回か口の中で唱えてよかった。・・・これは、失明の危機に瀕したとき、<禁煙>するために使った方法で、それまで三十年間吸っていたタバコを、一か月でやめることができた。

もっとも、その時は、失明を避けるためなら、何でもやれる気になっていたから、この<おまじない>は、その補助的な役割を果たしたに過ぎない。ともあれ、これは<自律訓練法>からの応用だろう、と思った。…<自律訓練法>かなり真剣に取り組んで、ある程度までは習得した。そのことが、今になって役立ったのだろうか?あの時期に費やした膨大な時間、無駄ではなかったのかもしれない。

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2020

06/13

Sat.

12:47:51

第二次入間川写真紀行2019 

Category【第二次入間川写真紀行

2019/11/20(水)晴れ、強風。木枯らし一番だそうな。
<入間川写真紀行2-7>

十時半出発、裏道からサイボクの横に出る。今日はそのまままっすぐ。川沿いの旧道を走る。昭代橋の交差点を過ぎて、すぐ左手、新しくできた駐車場に車を止める。この場所は、桜などを植えて、ずいぶん前から整備していた。駐車場もやっと完成して、憩いの広場の体裁が整ったようだ。一台分の駐車スペースがかなり広い。こんなのは初めてだ。

チャリをおろし、広場を横切り、左岸土手の自転車道にでた。それを、上流の新富士見橋へと遡上する。風が冷たい。手がかじかむほどではないが、ネックウォーマーが必要だ。

すぐに新富士見橋、下流側の歩道、チャリを引きながら歩く。時々チャリを止めて、歩道を行ったり来たりしながら写真を撮る。順光になっているので、空も川の水も青くて美しい。流れの中には、白いコサギなども見える。

橋を渡り終えると、16号の交差点。横断歩道を渡って、今度は、上流側の歩道に出る。この歩道は、車道とは別個のもので、要するに、新富士見橋に並行して作られた歩道専用橋だ。橋の方の歩道が狭くて危ないから、あとから作られたのだろう。広くて、安心、ゆっくり写真は撮れるが、斜め逆光でカミの風景はイマイチ。

交差点の歩道橋にちょっと上って、川向うにある、にょきっと出ている10階建てマンションを、山並みを背景にして撮った。以前、丘の上にあがって、このマンションをかすめながら着陸してくるジェット機などを撮ったこともある。背後には自衛隊の入間基地があるわけで、明らかに、ジェット機たちはこのマンションを着陸時の目印にしている。周囲はすべて、二階建ての民家ばかりなのに、このマンションだけがにょきっとしている理由だ。と一人納得した。

…いまでも四か月に一度、お茶の水の眼科クリニックを受診している。その21階から時々見下ろすのが、ビザンチン様式のニコライ聖堂だ。アメリカ軍の空襲を免れた理由は、B29の飛行目印になっていたからだ、と何かで読んだ覚えがある。ありそうな話だが、それはさておき、この入間川べりの、にょきっとしたマンションの住人たちは、気が気ではないだろう。いつ何時、万が一にも、ジェット機が突っ込んでくる可能性が、ゼロではないのだ。小心な俺などは、到底住んでいられない。

新富士見橋からの、上流の景色が好きだ。流れの向こうに、本富士見橋が見え、左手丘の上には建物、はるか遠くに山並みも見える。ただ残念なことに、この景色は、順光で見ることがほとんどできないということだ。西に開けているわけで、順光は早朝しかない。早朝に撮りに行くということは、自分にとっては時間外で、あり得ないことだから、ということは、そこを変えない限り、俺の腕ではきれいに撮れないということだ。

それでも、以前はなんとか写真にしたいと、午前中の早い時間に出張ったこともある。あの当時は、カメラの性能もよくなかったが、そんなことよりも、情熱のほうが勝っていた。だが、いやっていうほど撮ったそれらの写真は、おおむね露出不足で失望を山のように積み重ねた。

今回、カメラもよくなって、補正の腕なども上がったが、やはり、斜め逆光いう条件下では、頭の中で見ている風景を写真に定着できなかった。ま、それはしょうがない。ここは、逆転の発想で、これからは、斜め逆光を生かした絵作りを考えよう、今そう思った。

…新冨士見橋、この名前は、もちろん、この橋から富士山が見えるということだ。たしかに、青くかすんでしまった空の端のほうに、ちょこっとだけ、冠雪している富士山が見えた。ま、どう考えても写真にはならないが、一応、画面に取り込んでおいた。

橋の復路で考えた。チャリを引いて橋の下に出るにはどうするのか?以前は16号沿いの建材屋の脇から橋の下へ出られた。伸びあがって、そのあたりを見ると、今でも行けそうな感じだ。建材屋は廃業したようだが、立派な住宅はそのまま。その横を、チャリを引いてそろそろと河原へ下りた。新冨士見橋の下は、きれいになっていた。遊歩道が整備されたからだろう、以前のような不穏な雰囲気はない。

ちょっと迷ったが、遊歩道を上流へ向かって少し行き、先日見た水門のあたりで引き返し、今度は下流へ向かった。そして新冨士見橋の下を通り抜け、昭代橋まで行って戻ってきた。チャリだと、多少の距離も何ということはない。

以前、なぜか真夏の暑い日が思い出されるが、写真を撮ったところで立ち止まり、物思いにふけった。たくさんの赤い実が目に入った。斜めにかしいだピラカンサスに木の根っこなどが絡まっている。かろうじて生き残ったわけか。たしか、黄色の実もつけていたよな。

あとは、土手の上の、なんというか、土手際に民家が並んでいて、中には、土手に物干しや椅子などを置いて、占有している奴がいた。カメラをぶら下げているとはいえ、なんとなく通りにくい感じで、憤慨したものだ。…一級河川の土手とか河川敷は、国有?だろう?ちょっと上を見上げた。今回は確かめる気にもならなかった。ちなみに、昭代橋付近にあった、河川敷耕作地は、お花畑になっていた。

…まあ、こんなことを書いていたら、際限もないが、脳細胞の活性化にはなる。要するにボケ防止だ。頭に浮かんだことを言葉にすることは、めんどくさいし、イライラすることもある。とはいえ、調子のいいときには、どこからともなく、すらすらと言葉が出てきて、書いているということも忘れて、気持ちがいいもんだ。

…周りを見回しながら、少し考えた。本富士見橋を渡って、左岸の河川敷公園の中を通って、駐車場に戻ろう。チャリを引きて、16号の歩道に出る。少し行くと、左手に神社、清水義高が祭ってある。すぐには誰だか思い出せない、思い出すこともないかと不問に付す。…今調べてみて、記憶がよみがえった。木曽義仲の子で、頼朝の疑いを受け、入間川八丁の渡し付近で殺害されたが、その後無実となり、このあたりに清水八幡宮が造営された。だが、洪水で流され跡形もなくなり、現在の場所に残った石祠を安置したという。

…<古典太平記>を素材にして芝居をやっていたころには、そう、旧鎌倉街道などのことが気になり、調べたことがあった。というのも、新田義貞の鎌倉攻めの際には、入間川周辺でも合戦があったようで、覚えている限りでは、日高の女川、所沢小手指の古戦場などがある。そうした知識があり、この神社の由来を読んだときに、おやっと思った覚えがあるのだ。といっても、<太平記>の前の話だから、さほど気にも留めなかった。年月とともに、薄い記憶は完全に消失してしまったわけだ。・・・歴史とは思い出だ、といったのは小林秀雄だったか?

本富士見橋を渡った。富士山が、斜め逆光の中、うすぼんやりと見えた。渡り終えて左岸側、河川敷に下りた。橋の下には、ベンチがあった。チャリを止めて一休みした。そばに大きな木が二本立っている。おそらく、先日の濁流に耐えたのだろう、が、そんな素振りはみじんも見せず、普通に立っている。…愚痴や弱音を吐くのは人間だけだ。俺の飼っている年老いた猫だって、痛くても辛くても、平然といつも耐えている。決して、他人のせいにすることはない。見習うべきだ、といつも思う。

左岸の、本富士見橋から昭代橋の間の河川敷は、細長い憩いの広場になっている。その中に散歩道ができていて、東屋やベンチなども置かれている。ゲートボール場もあったかな。間隔を置いて、低木の酔芙蓉が植わっており、真夏の暑い時期には、よく撮ったものだ。が、さすがに跡形もない。いや、根っこだけが残っている。時間によって、花弁の色が変わるので酔芙蓉と名づけられた、ピンクの大きな、ふくよかなお花たちを思い出した。

富士見橋の下をさらに行くと、土手際に花壇があった。ミニトマトのような真っ赤な実をつけたものや、小菊類、チェリーセージなども植わっている。これは明らかに、あの増水の後に造られものだ。そういえば、水際にも難を逃れた、比較的大きな木がたくさんあって、青々と葉を広げている。水辺にもソバの白い花、アカツメグ草が咲いている。花を育てる人間の謙虚さ、そして自然の再生力を感じた。

護岸沿いの狭い場所に、砂を撒いているホームレスがいる。畑にして野菜でも作って、自活しようというのか。休み休みしながらやっているから、ジジイだなと思った。が、よくよく見ていると、上下そろいの防寒着を着ている。しかも、そばの東屋の周りには、砂の小山がいくつもあり、チャリにも、何か園芸用の道具類などがたくさん積まれている。ホームレスじゃないな、趣味でやっていた家庭菜園を濁流に持っていかれてしまい、造成しなおしているのかもしれない。

そう納得して、反対側の土手を見上げた。その向こうに車が駐車してあるのだ。急な階段が目に入った。その下辺りで、若い男女が楽しそうにバトミントンをしている。平日なのにと思いながら、ちらっと横目で見て、階段脇の五センチくらいの縁に、チャリのタイヤを置いて、力任せに階段を登り上がった。最後の数メートルは、かなりきつかったが、ジムでの体力強化が役立った。腕っぷしが少し強くなっている。

車に戻った。汗をかいたので、Tシャツの交換。一瞬、上半身裸になる。風が少し冷たかったが、綿マフラーで、背中を洗うように拭いた。爽快だった。

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2020

06/04

Thu.

10:53:43

第二次入間川写真紀行2019 

Category【第二次入間川写真紀行

2019/11/13(水)晴れ。<入間川写真紀行2-6>。

十時半ころ出発。裏道を抜けて、サイボクの脇を右折。直進して、一つ目の信号を左折、智光山公園の駐車場が左側に見える。このまままっすぐ行くと、そうだ、新冨士見橋だ。適当なところで右折して、工業団地の中を抜け、広瀬橋に出る。橋を渡ったところを左折、砂利の土手道に入る。すぐに行き止まり、本冨士見橋で土手が切れている。

車をUターンさせ、駐車。土手脇が少し広くなっているので、うまく回転できる。車が二、三台止まっている。釣り人だな。風が強いので、帽子は被らず、付近を探索。

土手からは、少し上流の田島屋堰の眺めがいい。下流側には本冨士見橋があり、この橋も、来るたびに撮っている。ふと気づいたのだが、この橋の下にも、魚道らしきものがある。以前はなかったような気がする。

護岸沿いに、少し下流へ向かってみた。入間川・狭山三つ子橋の兄貴の二人、新富士見橋、昭代橋が、小さく見える。遊歩道は大雨で冠水して、かなり荒れているが、注意すれば歩けないこともない。

…書く気力がなくなっている。無理している。というのも、この第二次写真紀行を朗読して、ユーチューブにアップしようという計画を思いついて、ちょっと、試験的に音源などを作ってはみたものの、イマイチ、文章が平板で、聞いていて面白くない。やや、うんざりしてしまったのだ。

それに、この企画は、自分の文章とはいえ、実現化するには、かなりのエネルギーが必要になる。ま、片手間に、というわけにはいかないのだ。

それに、そもそも、朗読することに、何か意味があるのか。あるとすれば、アリバイ作りだな。存在確認、あるいは、存在証明、そんなところだろう。

・・・ま、いい。先を続けよう。上流側にも、少し行ってみた。護岸沿いの下草は、大雨で一掃されてしまい、なんとなく清々した感じがした。以前、この辺には雑草が生い茂っていて、鬱蒼としていた。堰に近づくには、護岸の上を歩いていくしかなかった。

その護岸上で、人相の悪いホームレスに、いきなり出っくわしたことがある。どうやら、真夏の太陽を避けて、涼んでいたようだ。ちらっと眼があったが、すぐにそらした。と、茶トラの猫がとびかかってきた。奴が、おもいきり手前に引っ張ったで、ひっかかれずにすんだ。つまり、ニャンコは、ひもでつながれていたわけだ。

河原に掘っ立て小屋などを立てて生息しているホームレスもいる。が、こやつは、ニャンコを連れて、あっちこっち渡り歩いているのだろうか?それにしても、目つきが鋭い、いやな奴だ。

その時は、とりあえず通り過ぎた。堰の前まで行き、写真を撮っている間も、帰りもまた、奴のいる護岸を通らなくちゃならないのか、と考えていた。ほかに道があれば、できれば顔を合わせたくない。

しょうがない、行くしかない。奴は、背の高い雑草を背にして、携帯ラジオを耳に当てている。にゃんこが、その横におとなしく座っている。むろん紐がついている。目を合わさず、奴とニャンコの前を、体を避けるようにして、通り過ぎた。ニャンコがまん丸い眼をして、またとびかかってくる気配だが、奴が、しっかり紐を握っていて、制止している。真夏の、じっとしていても汗が首を伝わってくる、日陰のない河原での出来事だ。

不穏な雰囲気が、至る所にあった入間川だが、これまでのところ、護岸沿いに遊歩道などができて、健康的な雰囲気になっている。いや、自分自身が、そういうところへは、半ば無意識のうちに、足を踏み入れないのだろう。あの時期とは違って、自分もホームレスのようなもんだ、とは思えなくなっていた。

車に戻った。土手道を遡上して、広瀬橋手前の河川敷へ降りた。流れ沿いに、三々五々、釣り人の車が止まっている。先日の、横一列にきれいに並んでいた数十台の車は跡形もない。あれは、何だったんだろうと思いながら、そこに車を止めた。

チャリを車からおろして、広瀬橋に上がり、下流側の歩道を歩いた。せき止められた川の流れが、水鏡になっていて、広々と、豊かな青緑色をしている。先日も撮ったのだが、思わず、シャッターを押した。

橋を渡り終え、左岸の自転車道を行く。対岸の崖の上には、先日書くのを忘れたが、コンクリの円筒形の構造物が二つ、これは浄水場だが、それに、何か細い塔のようなものが見える。こちらは、ド忘れしたので今調べたら、児童館のプラネタリュウムだ。…以前、気になって探索に行ったことがある。どちらも、そばで見ると、なんともない感じで、ちょっとがっかりした覚えがある。遠くから眺めていたほうが良いものもあるんだよ。

じきに本富士見橋に到着。歩道は、上流側にあるが、午後のこの時間、ほぼ逆光。写真はちょっと無理っぽいが、一応、カメラの性能と、自分の補正の腕に希望を託して?何枚も撮ってみた。ついでに、下流側の景色も撮った。こちらは、ほぼ順光状態なので、青空も、川の色も、きれいに撮れそうだ。

初めて、この橋を歩いた時の感動とは、程遠いものがあるが、ま、いいだろう。この橋からの眺めを写真に撮ろうとするならば、もっと早い時間に来なくてはならない。以前思ったことを思い出した。

引き上げ。今来た道を戻った。対岸は、モロ逆光状態、まぶしくてカメラを向ける気にもなれない。途中、田島屋堰を見下ろせる、自転車道がちょっと広くなったところのベンチで小休止。持参したペットボトルの水とバナナを一本食する。正面からの光がまぶしいので、横向きに座り、ふと思った。四国の札所を歩いた時のことだ。

・・・遍路道では、疲れたら、どこでもかまわず座り込んで給水、小休止したものだ。あの時の、なんというか、自由というか、楽しい、解放された気分が一瞬よみがえった。大きく一呼吸した。四国巡礼、残りの四分の三を、こんどは車にチャリを積んで回ってみてもいいかもしれない。求道的な感じじゃなくて、写真を撮りに行くのか?いやいや、ふと思っただけだ。

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