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此岸からの風景

<日本灯台紀行 旅日誌>オヤジの灯台巡り一人旅 長~い呟きです

2022

11/07

Mon.

08:52:26

<灯台紀行 旅日誌>2020年度版 

Category【灯台紀行 愛知編

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<灯台紀行・旅日誌>2020年度版 愛知編#9
伊良湖岬灯台撮影1

海沿いの広い石畳の道を歩いていくと、ススキの生えた崖の横から、伊良湖岬灯台が、突如として現れる。なるほどこれが、と一瞬立ち止まり、さらに少し歩いて、よく見える場所まで移動した。意外に小ぶりで、こじんまりしている。防波堤灯台よりは大きいが、巨大な沿岸灯台の三分の一くらいしかない。しかも、丸っこいから、可愛い感じがする。ただ、長い間、強い海風や雨に晒されてきたのだろう、全体的に少し汚れている。手すりや扉などの錆が流れて、シミになっている箇所もある。

真っ白な灯台は、むろん好きである。とはいえ、多少経年変化している灯台は、それにもまして好きだ。やはり、画像よりは実物の方がはるかにいい。これはと思い、一気に撮影モードに入った。下調べの段階では、撮影ポイントは二つ、東西の側面からで、まずは、西側の腰高の石塀に登った。少し高い所から、目の前に広がる<灯台のある風景>を見回した。

伊良湖岬灯台は、まさに、波打ち際に立っていた。といっても、人間の背丈くらいの、コンクリの土台の上にあるから、直接波を受けることは少ないだろう。灯台の背後には水平線が見えた。ただ、今いる位置からだと、灯台も水平線も、傾いているように見える。つまり、灯台を垂直に見立てると、水平線がもっと傾き、水平線の水平を確保すると、灯台がさらに傾いでしまう、というおなじみのジレンマに直面した。

補正作業の、最近の傾向としては、<灯台の垂直>が最優先で、<水平線の水平>は、そのためには多少妥協する、という感じになっている。ま、それにしても、灯台と水平線が十字クロスする地点がベストポイントなわけで、その場所を探すべく、腰高石塀から海側の大きな波消し石の上に飛び移った。むろん、波消し石は、その上に、人間が都合よくのれるよう形をしているわけでもなく、配置されているわけでもなかった。

となれば、<沢登り歩行>を選択せざるを得まい。足を置ける場所を、目であらかじめ選択して、一歩一歩移動することになった。ただし、今回は、その選択がなかなか難しい。というのも、ランダムに置かれている波消し石の間には、大きな隙間がある場合もあり、飛び移るのに危険を感じることがあった。もちろん、その場合、たとえ足をのせる場所があっても、その石は選択から除外せざるを得ない。

しかも、波消し石のほとんどが、一抱えするほどの大きさだ。なので、行きたい方向に存在する石の数が少ない。いきおい、足場を選択できる場所も少なくなり、行きたい方へ行けないこともしばしばだった。その時は、迂回するしかない。しかし、迂回したとて、当初に目指した方向へ行けるとは限らない。むしろ、これまた、行けないことの方が多く、さらなる迂回を強いられた。ときどき、石の上に斜めに立って、周りを見まわした。だが、目指していた方向には、なかなか近づけなかった。

いまこの瞬間、あの時の自分の行動を思い返してみると、なんだか、かわいそうな気もするし、滑稽な感じでもある。というのも、あの膨大な波消し石たちは、全体としては、多少の傾斜を伴って、波打ち際のテトラポットへ向かって配置されていたわけで、要するに自分は、おおむね斜めに敷き詰められた、大きな石の間を登ったり下りたり、飛び移ったり、飛び下りたり、さらには、へっぴり腰で、四つん這になって、這い上がったりしていたことになる。<この世は舞台、人間は、そこで右往左往する役者だ>。まいったね。

話しを戻そう。目指した所へ、正確にはたどり着けなかったかもしれない。だが、目指す方向へは、おおよそ近づけた。しかも、迂回に次ぐ迂回で、写真的には、膨大な波消し石たちの、どの場所がだめで、どこがより有効なのかが理解できた。ま、いわば、足で稼いだわけだ。もっとも、灯台と水平線が十字クロスする地点は存在せず、あくまでも、その近似値で満足するほかなかった。ま、多少は補正ができるので、問題はない。

西側からの、ベストポジションを、おおむね確定できたので、その場所の石の形とか、全体の布置を記憶した。今日の午後、そして明日の撮影のためだ。いましがたの作業、大きな波消し石の間を飛び歩くことなど、もうやりたくなかった。そう、肝心の灯台の写真だが、波消し石の間を移動する際、その都度こまめに撮っていたので、枚数的にも、構図的にも、不安はなかった。一枚や二枚、気に入った写真が撮れているはずだ。

腰高の石塀から、下の石畳の道に下りた。その際、一気に飛び下りることはしなかった。あぶないでしょ。まず、塀の上に尻をつき、腰かけるようにして、両足を下に垂らした。ちなみに、腰高塀の上は、五十センチ幅くらいあった。それから、片手を尻の脇について、その手のひらを支点にして、ひょいと体を浮かせ、足を石畳におろした。そこでまた、灯台に向き直った。構図としては、右側に石畳の道が大きく入り込んでしまう。やや人工的な感じがして、気に入らない。ま、それでも、撮り歩きしながら、灯台に近づいていった。

灯台の正面、ちょっと手前の石畳の道が、山側に少し広くなっている。土留め石に(おしゃれなことに石塀などと同じ質感の大きな石だった)体をあずけながら、カメラを灯台に向けた。レンズの最大広角24ミリで、ぎりぎり、画面におさまる。とはいえ、画面の中での灯台が大きすぎる。大きく写し込んでも、かならずしも、被写体が際立つということにはならない。逆に、圧迫感が生じて、しつこい感じになることもある。撮影画像の選択作業の中で、最近得た知見だ。先に進もう。

灯台の正面に来た。と、山側にコンクリの階段がある。見上げると、もう少し高い所まで行けそうだ。気持ちが動いた。下調べでは見つけられなかったポイントだった。数段上がっては振り向き、その都度、構図を決めて写真を撮った。背景に大きく海が広がっていて、すごくいい。この階段は、幅は1メートルほどで、三階くらいの高さだったと思う。登りきったところは、いわゆる、踊り場で、一息つける。この一番高い位置からだと、水平目線が灯台の頭とぶつかる。灯台の高さも、やはり三階くらいだったわけだ。

踊り場の左手には、かなり急なコンクリ階段が続いていた。幅は人間ひとりが通れるほどで、しかも、中央に金属の手すりがついている。階段が、手すりで縦に二分割されているので、歩ける幅はさらに狭くなり、かなり歩きづらい。もっとも、手すりは下りる時の滑落防止、および、登るときの補助としてちゃんと機能していた。実際に上り下りしてみると、歩きづらさを補ってあまりあるほどの効果があった。

手すりにつかまって、階段を登り始めると、灯台は死角になる。しかも、両脇は鬱蒼たる樹木で、左右の視界も全くない。階段は、おそらく三階ほどの高さだが、半端なく急なので、途中で一息ついたほどだ。上りきったところは、開けていた。山側を見上げると、さらに一段と高い所に、レーダー塔(伊勢湾海上交通センター)のようなものが見える。ただし、海側は樹木で覆われ、展望はない。

さらに見回すと、何やら、歌碑もある。右手には舗装路が見え、どうやら、ここが行き止まりらしい。だだし、正面の崖、というか山の斜面を登って、レーダー塔まで行けそうだ。とはいえ、ネット検索した限りでは、施設の中には入れそうにもない。それに、なんだか疲れていたのだろう、全然行く気になれなかった。歌碑にもちょっと近寄ってみたが、名前の知らない歌人で、案内板も読む気になれなかった。灯台は見えないし、レーダー塔へ行くには大変だ。無駄足だった。

急な階段を、手すりにつかまって下りた。金属の手すりがありがたかった。踊り場で立ち止まり、右を向くと、目の前に灯台があった。階段を下りながら、1メートル間隔で、灯台の写真を撮った。むろん、その都度モニターしたが、どの場所がベストポイントなのか、やや決めかねた。どの構図の写真にも、海を背景にした灯台の、何と言うか、優しい佇まいが写っていたのだ。もっとも、ちゃんと決める必要もなかった。短い階段だし、全部撮っておけばいいんだ。大した手間じゃない。

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2022

09/17

Sat.

06:04:47

<灯台紀行 旅日誌>2020年度版 

Category【灯台紀行 愛知編

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<灯台紀行 旅日誌>2020年度版 愛知編 #8
赤羽根防波堤灯台~伊良湖岬

渥美半島の太平洋岸、赤羽根海岸に着いたのは、<11:00>頃だったと思う。正確には、<道の駅あかばね ロコステーション>の駐車場に入ったわけだ。まず、そのアカぬけた施設のトイレで用を足した。自販機で缶コーヒーを買って飲んだような気もする。見回すと、あった。防波堤の先端に、もろ、逆光の中、お目当ての赤羽根防波堤灯台が見えた。だが、かなり遠いぞ。車を海岸沿いの駐車場へと移動した。ほんの二百メートルほどだが、灯台までの距離を稼いだことになる。ジジイの習性だ。

周辺は、芝生広場になっていて、整備されていた。トイレの建物も、公衆便所とは呼べない感じで、凝ったデザインだ。いまネットで調べて知ったのだが、この辺りは、<太平洋のロングビーチ>と言って、サーフィンの名所だそうな。外に出た。あまり気乗りしなかった。というもの、逆光なのだ。どう考えたって、きれいには撮れないでしょう。それに、遠すぎないか!

ぶつぶつ言ってもだめだ。ここまで来て、撮らないで帰るわけにはいかないだろう。防波堤灯台へ向かって歩き始めた。何やら工事をやっている。さらに近づくと、防波堤は立ち入り禁止、工事用のバリケートで仕切られていた。だが、簡易的な可動式のバリケートを並べているだけだから、簡単に突破できる。それに、灯台の近くには釣り人が何人かいる。立ち入り禁止など、まったく関係ない。ほとんど、何の罪悪感も感じないで、バリケートをまたいだ。

灯台に近づくにつれ、逆光よりも、その根本あたりにいる釣り人が気になってきた。なぜって、画面に、もろ入り込んでしまうのだ。赤羽根防波堤灯台は、よくよく見ると、赤羽根港の右岸側の先端にある。つまり、カタカナの<コ>の字の、下の横線の左側の先端に位置しているのだ。むろん、<コ>の字の開いている方に海があり太陽がある。いま自分はその<コ>の字の下の横線上にいて、左に向かって歩いている。先端に灯台があり、その手前に釣り人いる。邪魔なのだが、どうしようもないではないか。

だが、さらによくよく見ると、その<コ>の字の下の横線の、左側先端から、真下に少しだけ防波堤がある。つまりどういうことか、釣り人を少しかわして、灯台を横から撮ることができるということだ。ま、その位置取りに一縷の望みを託して、とりあえずは、強風の中、危ないからなるべく防波堤の真ん中に寄り、撮り歩きしながら先端に近づいた。灯台の根本に着くと、その周りを、ぐるっと360度回った。柵があるわけでもなく、すぐ後ろは海だ。突風が来て、よろよろっと、そのまま海の中へドブン、という可能性がなくもない。強風だったが、幸いにも、突風は来なかった。

先端の赤い灯台は、防波堤灯台とは言え、自分の背丈の三倍以上はあった。その根元に居るのだから、魚眼レンズでも使用しない限り、その全体は撮れない。要するに、写真が撮れる位置取りではない。したがって、灯台の周りをまわる必要もなかった。回ったところで、面白くもおかしくもなかった。だが、ここまで来た記念だ。灯台の、赤いぶっとい胴体をアップで撮った。

一応は、被写体に可能な限り近づき、その周りを360度回って撮影ポイントを探す、という写真撮影に関しての、自分なりの流儀を貫いたわけだ。だが、この時は、まったく意味のないことだった。<流儀>などよりも、身の安全や体力の温存を優先すべきだ。同じような過ちを、これまで、幾度となく繰り返してきたような気がした。

防波堤に座って釣りをしている爺を見た。こちらの思惑など、千に一つも理解していないだろう。ま、いい。逆光だし、この位置取りでは、灯台の見栄えもさほど良くない。いまだ可能性が残っている短い防波堤の方へ行った。ま、たしかに、多少はいい。だが、逆光も釣り人の爺も、さほどかわすことはできず、灯台のフォルムもイマイチだ。無駄足だった。苦労して、ここまで歩いてきた自分が、もう自分でも理解できなかった。

戻った。はるか彼方に、車を止めた駐車場が見えた。あそこまでまた歩くのかと思って、うんざりした。とはいえ、辺りの景色は素晴らしかった。とくに、弧を描いた砂浜がきれいで、波打ち際がエメラルド、海の色はマリンブルーだった。人影がほとんどないのに、もの悲しい感じはせず、南の島のような雰囲気だ。自分にはそぐわないが、いやではなかった。

<11:45 出発>とメモにある。と、これ以前の出来事をひとつふたつ付け加えておこう。駐車場に戻って、着替えをして、こじゃれたトイレで用を足した。着替えに関して言えば、寒いのに、歩き出すと背中にだけ汗をかく。この現象は、カメラバックなどを背負っていればなおさらで、背中だけが、なぜこれほどまでに蒸れるのだろうかと、今更ながら思った。こじゃれたトイレに関しては、野次馬根性というか、冷やかし半分、中がどんな感じか見てみたかったのだ。ワンコが片足を高く上げて、電信柱にオシッコをひっかける、マーキングに似ていないこともない。

<12時30分 伊良湖 着>。八時ころ出発したのだから、四時間半たっていた。途中、赤羽根灯台で小一時間引っかかっていたのだから、実質、三時間半かかった。ま、予定通りだな。と、気まぐれだ、少し時間を戻そう。赤羽根海岸を後にして、伊良湖岬へ向かっていくと、じきに、見上げるような岬のてっぺんに白い大きなホテルが見える。なるほど、あれが<伊良湖ビューホテル>か。旅に出る前、一度予約に成功したホテルだ。値段的には、<Goto割り>適用で、確か一泊素泊まりで¥10000ほどだった。下を通り過ぎながら、泊まってみたかったなと思った。ちなみに、キャンセルしたのは、日程上の問題で、致し方なかったのだ。

さてと、伊良湖岬に着いた。灯台へ行くには、<恋路ヶ浜駐車場>に車を止めて、海岸沿いの遊歩道を10分ほど歩いていくしかない。駐車場は無料、広くて、トイレもあり、ちゃんと管理されている。土産物店などが五、六軒、敷地の外に並んでいて、食事もできる。外に出て、まず、太陽の位置を確認した。正面の海の上、冬だから、角度的にはさほど高くない。きれいな写真が撮れる位置にある。

おそらくは、カメラ二台を肩にかけ、三脚を手に持って、歩き始めたのだと思う。砂浜沿いの遊歩道は、途中、ちょっとだけ砂で覆われていて歩きづらかったが、おおむね石畳の道で、問題はない。うしろを振り返ると、きれいな砂浜が弧を描いていて、断崖の上、岬のてっぺんに伊良湖ビューホテルが見える。右側は、崖で、山が迫っている。五分ほど歩くと、左側の砂浜が切れて岩場になる。だが、岩場が続くわけでもなく、波打ち際は、じきにテトラポットでガードされるようになる。

波打ち際と遊歩道との高低差、ないしは、距離は十メートルくらいある。テトラが波際の最前線で、二重、三重の防御だ。さらに本隊は、大きな石たちで、遊歩道の縁まで段々に積み上げられている。が、いま思えば、この大きな石たちは、波際対策のみならず、景観を配慮しての配置だったようにも思える。というのも、かなり広い遊歩道の左側、すなわち海側には、腰高の大きな石を並べて作った塀があり、狭いながらも、その上を歩こうと思えば歩けるほどだ。

要するに、かなり金のかかった、凝った造りともいえる。その石塀のすぐ外側に、無機質なテトラポットが積み上げられていたら、これはもう興ざめだろう。波際最前線のテトラは、致し方ないとしても、目の届く範囲は、やはり、石塀や石畳と同じ材質の石を配置して、全体的な統一感を演出する必要がある。つまり、この遊歩道は、単なる遊歩道ではなく、ある一つのコンセプトに基づいて制作された芸術作品だったのかもしれない。

だが、この遊歩道は、よいことばかりでもなかった。灯台に近づくにつれ、なにかが刻字されている石が目立ち始めた。近寄ってよく見ると、俳句らしきものが刻字されている。それも、一つや二つではない。軒並みだ。大きな石の表面を削って平らにし、そこに、俳句を彫り込んでいるのだ。俳句に興味がなく、鑑賞できない者にとっては、ほとんど無視するほかあるまい。だが、ためしに、一つの石に近寄って、刻字されている俳句を眼で追った。やはり、何のことかよくわからない。むろん説明もない。お手上げだった。

いま調べてわかったことなのだが、遊歩道の石に刻字されていたのは、江戸時代後期の、渥美半島の漁夫歌人<糟谷磯丸>の<まじない歌>だったらしい。そして、この石畳の道は、別名<いのりの磯道>=<磯丸歌碑の道>というそうな。てっきり、伊良湖岬に関係する俳句や和歌だと思っていたが、ああ、勘違いでした。

とはいえ、句碑、歌碑が多すぎないか?ありていに言えば、いくら地元の有名な歌人とはいえ、石塀の表面に、軒並み俳句や和歌を刻字して並べるのは、あまりに心無い。もう少し、配列の美しさ、読みやすさへの配慮があってもよかったのではないか。たとえば、数を減らして、石塀の石とは別個の石に刻字し、歌碑、句碑とすることもできたろう。そもそも、和歌や俳句は、石にではなく、心の中に刻字されてしかるべきものだ。無筆の歌人<糟谷磯丸>も、観光客がふと立ち止まって、自分の歌を心の中で反芻することを、望んでいるのではなかろうか。

広い石畳の道、巨石を並べた腰高の長い石塀、膨大な波消し石、それに波の音、海、空。伊良湖岬灯台への道は、清々しい。それだけに、句碑、歌碑の設置、展示方法の齟齬が残念だった。

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2022

08/26

Fri.

14:43:15

<灯台紀行 旅日誌>2020年度版 

Category【灯台紀行 愛知編

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<灯台紀行・旅日誌>2020 愛知編#7 宿~移動

漆黒の闇に佇む灯台は、たしかに魅力的であるにはちがいない。だが、頭部が見えないことで、魅力は半減どころか、ほとんどなくなってしまった。灯台の全体像、機能美の極致ともいうべき、その造形に魅かれていたことが、はからずも理解できたわけだ。もういいだろう、引き上げよう。

暗い砂浜を、ヘッドランプの光で照らしながら、広場に上がった。周囲は、街灯などの明かりで、意外に明るかった。正面から、灯台をちらっと見た。頭がうっすら見える。おやっと思って、肩に担いだ三脚をおろし、何枚か撮った。だが、露出差の関係で、頭部は真っ黒だった。それよりも、下からのライトを受けた胴体の窓などが、目だの口だのに見える。ちょうど、シャンプーハットをつけた、縦に目が二つ並んだお化けのような感じで面白い。すでに、灯台は不可思議なオブジェと化していた。

時計を見た、と思う。五時半は過ぎていたような気がする。六時二十分が夕食の時間だ。受付の女性にもらったメモを財布から取り出して確認した。10分あれば宿にはつける。十分に間に合う。陽は完全に落ちて、外は真っ暗、街灯や車のヘッドライトが眩しい。どことなく、夕方のせわしなさを感じたが、気持ち的には余裕があった。すぐ近くの国道沿いにガソリンスタンドがある。昨日来た時にインプットされていた。<地域クーポン券>が使えれば、ベストな消化方法だ。寄ってみるか。車を出した。正面の、ライトアップされた灯台が目に入った。お化けが、バイバイしているように見えた。ハンドルを右に切って、国道に出た。ちょっと名残惜しかった。

ガソリンスタンドはすぐだった。ハンドルを左に切って、中に入ると、おじさんが誘導してくれた。やや、つっけんどんな感じ。窓を開けて、<地域クーポン券>使える?とたずねた。使えるよ、とおじさんの声が聞こえた。そのあと、なんかごちゃごちゃ言っているが、聞き流して、¥2000分いれて、と言って券を渡したような気がする。

車を給油位置につけ、給油口をあけて、外に出た。制服を着た従業員が一人いて、彼が、ガソリンを入れている。となると、おじさんは、バイトかな?いや、あの口の利き方は、経営者かも知れない。私服だしな。そのおじさんが、<川越か>とこっちに聞こえるように言った。その後、給油が終わるまでの数分間、立ち話をした。駐車場のおばさんも<川越>のことは知っていたようだし、<川越>も有名になったもんだと思った。

宿についたのは六時頃だった。夕食まではあと二十分しかない。受付で部屋のキーを受け取り、狭いロビー内に併設されている、縦長の売店でお土産品を物色した。何しろ、クーポン券がまだ¥3000もあるんだ。品ぞろえは悪くないが、これといったものがない。と、一番端の棚に、<招き猫>が数種類ならんでいた。おっ、と思い、立ち止まった。大きな物はいらない。中くらいの物を手に取り、値段を見た。¥4000。意外に高いな。入り口に座っていた係の女性に声をかけ、そばまで来てもらった。

質問事項は二つ。ひとつ目は、本物?の<常滑焼>なのか?ふたつ目は、右手を上げているのと、左手を上げているのがあるが、その違いは?ひとつ目の答え、間違いなく<常滑焼>です。ふたつ目の答え、右手を上げているのはお金を招く、左手を上げているのは人を招く、とのこと。この答えには感心した。そういう意味があったとは、今のいままで知らなかった。ふと、壁に貼ってある、観光案内ポスターを見た。招き猫が、左手をあげている。なるほど、と二度感心した。

結局、招き猫は<中の中>の大きさの¥3000の物を買った。あとついでに、焼き海苔も買った。海苔は、宿の前の海で養殖されているのを見て、食べてみたくなったのだ。それに夕食に出た<岩のり>の小鉢が、淡い味付けでおいしかった。だが、帰宅後、この焼き海苔は失敗したと思った。常食しているスーパーの佐賀県産の物より、かなり味が落ちる。ともに¥500前後だが、愛知産の方は、量が倍くらいあった。その分、質が落ちるのかもしれない。一方、招き猫の方は、大正解だった。大きさ的にはちょうど、ベッドの頭の上に置けるくらいで、しかも、ニャンコの骨壺と並べると、ぴったりだ。三毛の招き猫には、ニャンコのお友達になってもらおう。

<地域クーポン券>¥5000分を、かなり有効に消化したので気分がよかった。部屋に入って、すぐ浴衣と丹前に着替えて、食堂へ向かった。その際、アメニティーの手ぬぐいを一本手にした。食事終わりに、温泉に入ろうというわけだ。予約してあった時間、すなわち六時二十分、少し前に食堂の入り口に立った。昨晩と同じ席に案内され、昨晩と同じように、食前の飲み物は断り、さっと食べて、さっと引き上げた。二日目の夕食は、多少目先が変わったものの、味が同じなので、さほどうまいとも思わなかった。むろん、この宿でおいしいものが食べられるとは思っていないので、不満はない。

温泉は、それに比べて、今日もグッドだった。入っているあいだ、誰一人姿を見せず、広い、きれいな温泉を独り占めした。透明で少しぬるっとした温泉は、肌に優しく、臭いもほとんどない。ちょうどいい温度で、縁に背中をつけ、両足を前に伸ばして、ゆっくりくつろいだ。十分満足して、気分良く部屋に戻った。その後は、冷えたノンアルビールを飲んだのだろうが、よく覚えていない。メモ書きが残っているから、メモだけは、しかたなく書いたような気もする。おそらく、八時すぎには寝ていたにちがいない。

三日目
<6:00 起きる ほぼ一時間おきにトイレ 眠りが浅い>とメモにある。その通りなのだろう。ちなみに、<眠りが浅い>のは物音のせいではない。ホテルは、やはりというべきか、朝の六時すぎまでは、しんと静まり返っていた。朝食の予約時間は、七時だった。それまでに、宿を引き払う支度を済ませたのだと思う。朝食は、昨日と同じで、納豆以外はすべて完食。うまい、まずいは関係ない。今日一日のエネルギー補給の意味でがっつり食べた。ただ、小さなプラ容器に入っていた納豆は、まずすぎて食べられなかった。そもそも、納豆は嫌いなのだ。だが、発酵食品でもあるし、体のためを思って、スーパーのプライベートブランドで、三個ワンパック¥80の格安納豆?を毎朝常食にしているのだ。それよりも、はるかにまずかったのだから、食品ロスになるとはいえ、お引き取り願うのは、致し方のない話だ。

<7:45 出発>。ナビを伊良湖岬灯台手前の、赤羽根防波堤灯台にセットした。この灯台は、ネットで見る限り、周囲のロケーションが素晴らしいので、寄ることにしていた。それと、ルート選択で<高速優先>を選んだ。というのも、三河湾沿いの一般道を走っていくルートもあるからだ。高速代¥2000をケチって、およそ140キロ、三時間半もの道のりを、一般道でたらたら行けないでしょう。もっとも、高速を使っても三時間半くらいはかかる。だが、半分以上は高速走行だ。疲労度が全然違う。目的地に着いた後には、ジジイには過酷な?写真撮影が待っている。移動で体力を消耗するわけにはいかないのだ。

最寄りの美浜インターから南知多半島道路に入り、伊勢湾岸道を北上。豊田ジャンクションで東名に入り、音羽蒲郡インターで降りて、知多半島の一般道を南下する。というナビの示したルートを眼で確認して、出発した。ところが、楽勝と思っていたこの移動は、朝からとんでもない緊張を強いられる結果となった。

まずもって、時間帯が悪かった。ちょうど、通勤時間帯とかさなってしまった。ということは、車の量が多いうえに、みんな急いでいるということだ。県民性云々の話はしたくないのだが、名古屋、豊田ナンバー、運転が荒い!さして広くもない片側二車線の有料道路を、自分としては、左側を謙虚に90キロくらいで走っていた。なのに、バックミラーに、黒いワンボックス車が迫ってくる。運転している若い女性の表情まで、手に取るように見える。と、その瞬間、女性の顔が消えて、今度はすぐ横を黒い物体が走りぬけていく。

おいおい、あさっぱらから勘弁してくれよ。ところが、彼女だけではなかった。次から次へ、あとからあとから車が迫ってくる。もうバックミラーで相手の顔を確認する余裕もない。何しろ、90キロ前後で走っている自分の車をさっと交わし、ほとんど車間距離もとらず、みなして車列を組んで?右車線を100キロ以上ですっ飛ばしている。自動車の種類とか性能とか関係ない。おそらく、性別年齢も関係ないと思う。何しろ、おとなしく左車線を走っているのは、タンクローリーと<川越>ナンバーだけなのだ。

名古屋、豊田ナンバーたちは、よそ者の川越ナンバーに、嫌がらせをしているわけでもあるまい。みんな通勤で急いでいるのだ。それはわかる。ただ、だあ~~~と、車間を詰めてくるのはやめてもらいたいものだ。朝っぱらから、血圧が上がってしまった。おかげで、標識を見間違え、降りてはいけないところで、高速を降りてしまった。

最初は、少し焦ったが、ま、そのあとは、腹を決めて、片側四車線の、高速道路が頭上に入り組んでいる、国道を走った。思いのほか道が広いので、一般道にもかかわらず、みな、70、80キロで走っている。といっても、適度の車間距離を保っているので問題はない。肩の力が抜けて、少しホッとしたのを覚えている。そのうち、この道が、国道一号線だということに気がついた。おそらく、名古屋の中心地を走っていたのだろう。なるほど、都心の道と遜色ない。広くて立派だ。だが、トラックが多いせいだろうか、排ガスが充満しているようにも感じた。

周囲はほとんど名古屋ナンバーだった。だが、あおるような運転をしている車は一台もないし、車間距離をつめられこともなかった。あの、悪夢のような、知多半島有料道路の、朝っぱらの三十分間は何だったんだ。ちょっと、キツネにつままれたような気がした。そのうち、大きな標識に導かれ、豊明インターから東名高速に復帰した。岡崎をすぎ、音羽蒲郡インターで降りた。

その後も、ナビを全面的に信じて、その指示に従った。交通量の多い一般道を走ったが、いつもの自分の運転で、ほとんど神経を使うことはなかった。知多半島を南下し始めたのが、ナビの画面でわかった。交通量が少なくなり、片側一車線の地方道だ。田原街道からそれて、半島の南岸?の道に入った。とたんに、道の両側にはビニールハウス、そのうち、一面のキャベツ畑だとか、なぜか、この時期に菜の花畑も見える。知多半島は房総半島のように温暖な気候なんだ、と思った。念願の、というか、多少因縁のある、伊良湖岬灯台に、かなり近づいていた。

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2022

07/19

Tue.

09:10:32

<灯台紀行 旅日誌>2020年度版 

Category【灯台紀行 愛知編

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<灯台紀行 旅日誌>2020年度版 愛知編#6
野間埼灯台撮影5

装備を整え、野間埼灯台の最終撮影に出発した。ちょっと大袈裟かな。今回は、カメラバックに三脚を装着した。というのも、夕景、さらには夜景の撮影に、三脚は必須なのだ。遅ればせながら、先ほど、灯台の根本にライトがあることに気づいた。気づくのが遅すぎるだろう!今日は、灯台がライトアップされる瞬間も撮ろうというわけだ。

まずは、道路を渡って広場に入り、灯台の正面に出た。太陽は、すでに灯台の頭の辺りにまで降下していた。しかし、まだまだ、光が強い。目に危険なので、ファインダーはほとんど見ないようにして、いわば、ほぼ<ノーファインダー>でシャッターを押した。いま思えば、カメラにも危険なのではないか!どうせ、モノにならない写真なんだ、今後は慎もう。その後は、左右の砂浜を行ったり来たりしながら、刻一刻と変化する、空の様子や、灯台の様子を写真におさめた。撮影二日目なので、気持ちに余裕があり、この時間帯、昨日はゆっくり撮れなかったポイントでじっくり撮った。

再度、広場に上がった時には、太陽はさらに下降し、灯台の胴体の真ん中あたりで、最後の輝きを見せていた。そろそろ陽が落ちるなと思った。地上の色も明らかに赤っぽくなり、落日が近づいている。と、先ほどから、目の端で気になっている点景がある。それは、若い女の子で、小さなコンデジを手に持って、浜を行ったり来たり、あるいは、例の幅の狭い防潮堤に登ったりして、陽が沈む位置を確認している。灯台を見に来たついでに写真を撮っているという感じでない。

画面に何度も何度も入り込んでしまうので、なんとはなしに観察していた。小柄でベージュのコートを着ていて、地味な感じだ。表情に少し影があるような気もする。見たところ、連れはいない。少し、心が動いた。まだ二十歳そこそこの女の子が、一人で夕陽を撮りに来た。余計なお世話だが、何か悲しいことでもあったのか、とついつい考えてしまう。

いつもの自分なら、話しかけることはしなかったろう。ただ、今回の旅は、なぜか気安い感じのおじさんになっていた。昨日も髭の濃い青年に話しかけたばかりだ。すれ違いざまに、サングラスを外して<夕日の沈む場所を探しているの>と声をかけた。少し警戒した目でじっと見られたが、<絆の鐘>の辺りに沈むよ、と言葉を続けた。さらに、昨日もそこで撮ったんだ、と言うと、彼女は目を輝かせて、写真を見せてください、と元気よく応じてきた。警戒心が解けたようだ。その後、五、六分立ち話をした。

いまさっき撮った、コンデジの写真も見せてくれた。アンダーな感じだ。本人もスマホの方がきれいに撮れる、と言っている。ちょっと考えて、コンデジを<夜景>モードにすることを教えた。ためしにと、彼女はすぐに、目の前の夕景を撮った。画像はスマホ並みに明るく、きれいになった。彼女の、驚いたような、うれしそうな声が聞こえた。

さらに<絆の鐘>付近の、落日ポイントまで連れて行き、ベストな構図を教えてあげた。あとで考えると、これは余計なお世話だった。おそらく、この時の彼女の心情は、<絆の鐘>とは正反対なものだったに違いないからだ。いや、これもおじさんの妄想だろう。そのあと<それじゃ、頑張って>と言って別れた。<ありがとうございました>と応じた彼女の表情が、少し明るくなったような気がした。

そうこうしているうちに、穏やかになった太陽が、水平線にかかりはじめた。と思ったが、なんだか様子が変だ。水平線近くに、雲がたなびいていて、太陽は、その雲の中に落下しつつある。昼間は雲一つない快晴だったのに、まいったな。完全な意味での日没は拝めない。昨日のような完璧な日没は、僥倖だったわけで、撮れてよかったと思った。

こうなった以上は、水平線に沈む太陽、いや違った、水平線近くの雲間に隠れる太陽に執着する必要もあるまい。価値があるのは、水平線にかかる、線香花の火の玉のような太陽なのだ。これも思い込みだな。ま、とにかく、<絆の鐘>付近からの写真はあきらめて、昨日撮れなかった<ブルーアワー>時の西の空を撮るべく、東側の浜へと移動した。

広場を通過する際、思いのほか人がいるのにちょっと驚いた。平日の月曜日、午後四時二十分頃、灯台の向こうの海に太陽が沈む、というそのことだけで、人間が集まってくる。日の出、日没が好きなのは、日本人特有のことなのか、いやそうでもなさそうだぞ。外国の写真にも、朝日や夕日が主題になっているものが多い。これは、500pxという、世界中のアマチュア写真家が投稿してくる画像サイトでも感じることだ。

この500pxには、自分も、数年前から投稿している。ただし、<花写真>のみである。というのも、とくに、風景写真はレベルが高くて、いまでも、とてもじゃないが太刀打ちできない。<花写真>に関して言えば、これは、まあ、互角に勝負できる。と、自惚れているので、投稿を続けている。<太刀打ち>とか<勝負>とか言っているは、大袈裟だが、自分の写真が、あまりに見劣りするのは、気分がよくないものだ。

ちなみに、ポートレイトやヌードの写真なども、驚くほどレベルが高い。プロの予備軍といった感じだ。総体的に見て、<花写真>は、それらの写真に比べると、かなりレベルが落ちる。理由は、明瞭だ。カネになる写真か、そうでないかの違いだろう。風景、ポートレイト、ヌードは、500pxの、その先にプロの世界がある。だれが、どう考えたって、お花の写真でカネと名声が得られるとは思えないのだ。

話しを戻そう。東側の浜へ着いた後も、太陽は、水平線の少し上の雲間で、ぐずぐずしていた。だが、正確な意味での、日没ではないが、雰囲気的にはすでに日没で、急速に暗くなり始めた。空の様子は、下の方の雲が青灰色になり、その少し上の空が淡いオレンジ色、上に行くにしたがって、これまた淡い水色に諧調していく。その真ん中に、やや無表情の、多少しらけた感じで灯台が立っていた。

全体的には、もの静かな雰囲気で、何と言うか、日暮れの、敬虔な祈りの時間といった感じだった。もっとも、カップルが一組、それに、若い女の子の二人連れが、画面に入り込んでいた。ほとんど点景に近いから、さほど気にはならなかったが、それでも、やはり居ない方がいいに決まってる。もっとも、この値千金の時間、立ち去る様子もないわけで、致し方ないのだ。

あとは、カップルが、灯台の手前の大きな流木の上に、肩寄せあって座っている姿は、ほほえましいが、写真的には排除したいところだ。とはいえ、うまく消去できないかもしれない。少しじりじりしていたのかもしれない。このあと西側の浜へ移動して、灯台のライトアップに備えなければならないのだ。

カメラを装着したままの三脚を肩に担いだ。カップルが立ち去らないのを確認して、西側の浜に戻った。砂浜と岩場が、混在する場所に三脚を立てた。灯台からは、二十メートルくらい離れていただろうか。要するに、近すぎず、遠すぎずで、余裕をもって、灯台全体を、画面におさめられる位置取りだ。ファインダーを覗くと、画面の雰囲気は劇的に変化していた。全体がうす紫色。よくよく見ると、水平線近くの雲は青灰色で、その上の空がきれいなオレンジ色に染まっている。さらに、上に行くにしたがって、オレンジ色はうす紫色へと微妙に変化していく。美しい、というほかに、言葉が見当たらない。

その光景にうっとりしながら、いや、夢中になりながらも、リモートボタンを慎重に押し続けた。と、一瞬、ぱっと目の前が明るくなった。真白な灯台が、うす暗い海岸に浮かび上がった。ライトアップだ。してやったり、と思った。ほぼイメージしていた通りの光景が、目の前にあった。ただし、灯台の頭の方がやや暗い。この事態は想定していなかった。

そのあと、さらにあたりが暗くなり、うす紫の、敬虔な祈りの時間、<ブルーアワー>も終わった。その時はじめて、事態の深刻さ?に気づいた。どういうことなのか、つまり、灯台の胴体と頭とのつなぎ目?が、嵩張っていて、人間で言えば首の部分だろうか、下からのライトを遮っているのだ。結果、頭の方には光が当たらず、真っ暗なのだ。

その嵩張りは、ピエロが首のまわりにつけている蛇腹のひらひらしたものをイメージしていただきたいのだが、むろん、デザインとしては、一分の隙もない、灯台の、素晴らしい造形の一部だ。昼間は、所与のものとして、当たり前だった、この灯台の形が、下からのライトアップで、はからずも、頭のない、胴体が長くて白い、異様な建造物に見えてしまったわけだ。

さらに悪いことに、側面からの仰角、つまり、灯台を横から仰ぎ見ているので、頭の方が小さくなり、見えづらくなっていた。結果、灯台の命とでもいうべき、目からの光線も見えず、目=レンズが光っていることさえ、はっきり目視できなかった。

それでも一応、辺りが漆黒の闇になるまで、その場にとどまり、ライトアップされている灯台の写真を撮った。これは、写真的には、到底納得できるものではなかったが、状況証拠、というか記念写真として撮っておくべきだと思ったのだ。

無駄で、意味のない行為ではあったが、真っ暗になった砂浜でたった一人、額にへッドランプをつけ、灯台の夜間撮影をしている人間が、それほどバカにも思えなかった。自宅から400キロ離れた海岸で、誰にも知られず、灯台などを撮っていることが、わけもなく愉快だったからだ。人生の、時間の、自分というものの桎梏の中で、せめて、あがいてみせる、くらいのことはしているつもりだった。

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2022

06/22

Wed.

11:08:15

<灯台紀行・旅日誌>2020年度版 

Category【灯台紀行 愛知編


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<灯台紀行・旅日誌>2020年度版 愛知編 #5
野間埼灯台撮影4

二日目の朝は、<6:30 起床 8時朝食 8時30分出発>とメモにある。朝食の時間は、コロナ対策で、受付であらかじめ決めさせられていたわけで、そう、八時しかなかったのだ。撮影に出るにはやや遅い。したがって、朝食前に支度を全て済ませて、食べたらすぐに出られるようにしておいた。もっとも、野間埼灯台に関しては、山が邪魔して朝日は望めない、と駐車場のおばさんから聞いていたので、さほど早く出る必要もなかった。とはいえ、午前の明かりでの撮影は必須で、明日は移動日だから、今朝しかないのだ。のんびりはしていられない。

九時前に、野間埼灯台前の駐車場についた。小屋は閉まっていて、二トン車が一台駐車している。運転席に人影が見えたので、休憩しているのだと思った。車は、昨日とほぼ同じ場所に止めた。真正面に灯台が見える。装備を整え、歩き出した。途端に、横からガタガタの白い軽トラが来た。すぐ横で止まり、運転席側の窓から、おばさんが話しかけてきた。今日は小屋をあけないので受け取れない、と言って千円札を一枚渡してきた。昨夕、自分が先払いした分だ。

いちおう、遠慮したが、向うの意志が固いので、すぐに受け取って、ポケットにしまった。それから、五、六分、世間話をした。灯台の向こうの海には、小さな漁船が行ったり来たりしていた。親類の船だ、とおばさんが言った。なにが捕れるのですかと聞くと、タコが捕れると答えた。おばさんの服装は、作業着に変わっていた。明らかに、漁港か畑へ行って、仕事をする雰囲気だ。その後、ちょっと話が途絶えたのをきっかけに、今朝も、心からの挨拶を交わして別れた。<お気をつけて><ありがとうございました>、と。

快晴だった。文字通り雲一つない青空だ。灯台正面の広場に、人影はない。平日月曜日の、朝九時だ。してやったりと思った。人がいて、昨日は撮れなかった位置から、灯台の正面写真をゆっくり撮った。何とか一枚くらいは、モノになりそうだ。あとは、東西の浜を、端から端まで移動して、撮り歩きした。昨日みつけたポイントで立ち止まり、再度、構図を確認した。同じ絵面でも、明かりや空の様子が違うので、灯台が新鮮に感じられた。それに、画面に人影が入らない。観光客がいないからね。風もなく、暑くも寒くもない。良い天気だった。

午前の撮影が一通り終わった。時計を見たのだろう、十一時だった。九時から撮り始めたのだから、二時間たっている。あっという間だった。休憩方々、隣の漁港へ移動しよう。国道をホテルの方へ少し戻ったところに漁港への出入り口がある。昨日来るときに確認していた。それに、防波堤が見えるということは、あそこから、灯台も見えるわけだ。漁港だから防波堤灯台もある筈だ。

注釈 この漁港は<冨具崎漁港>という釣りの名所。国道は、247号線で、常滑街道ともいう。

国道を左折して、漁港に入っていくと、左手に広い駐車場があり、車がたくさん止まっていた。釣り人だろうなと思いながら、適当なところに駐車して、外に出た。<名古屋>とか<豊田>とか愛知県ナンバーが多い。防波堤に沿って、細長い芝生広場があり、さらに、その防波堤には、何か所か上にあがる階段がついている。要するに、この一角は、駐車場、芝生広場、防波堤とをひっくるめた公園なのだ。

防波堤の上にあがった。もろ、逆光の中、野間埼灯台が小さく見えた。望遠で狙ったが、空の色が飛んでしまう。写真的には、さほど期待できない。とはいえ、きらきら光っている海、彼方に大きな船も見える。いい景色だ。灯台が眺められる場所はすべて回る、という自分の撮影流儀に従って行動している。この位置取りから、灯台を見たということが重要なのだ。無駄足を、意味ある行為だと思いたかった。

少し行くと、防波堤は右直角に曲がっている。右下が係船岸壁で、小さな漁船が数珠なりだ。灯台に背を向けて、さらに行くと、小さな防波堤灯台らしきものが見えた。赤と白だ。ただし、何と言うか、機能的には灯台なのだろうが、フォルム的には、単なる円筒形の物体で、ロケットのような形だ。上の方に、太陽光蓄電池がついていて、頭のてっぺんが、ランプになっている。ま、いわば、安価な<灯台ロボット>だ。

それでも、夜の港では、ぴかぴかぴかぴか光って、漁船の安全を確保している。機能一点張りの物体だが、彼らとて、一応は灯台の範疇に入るのだろう。それに、ここまで歩いてきて、一枚も撮らないで帰るのもシャクだし、何よりも、彼らに失礼ではないか。一応は記念写真だ。望遠カメラをしっかり構えて、何枚か撮った。

そうだ、書き込むのを忘れたことが、二つある。一つは、若い女の子二人連れが、派手な肩掛けで寒さをしのぎながら、防波堤で釣りをしていたことだ。男の連れがいたとは思えなかったので、なんだかおもしろい感じがした。自分がガキの頃には、釣りと言えば男の子の遊びで、女の子は、怖がって、エサもつけられなかった。それが、半世紀以上たった今、<釣り女子>が普通の光景になった。

もう一つは、小太りの父子が、変な色のタコを釣り上げた瞬間にでっくわしたことだ。ぽっちゃりした顔の父親が、人に聞こえるような声で、<なんか変な色だな>と言っている。そばで、体形も服装も、ほぼ相似形の息子が、少し引いた感じで見ている。通りすがりに、ちらっと、防波堤にべったり張り付いている手のひら大のタコを見た。やや透明で黒い筋が入っている。形はタコだが、タコらしくない。父親が、いたずらっぽい目で見上げて、そのあと、ニヤッとした。童顔だった。こんな人懐っこい釣り人には、初めて出会ったような気がする。

野間埼灯台に再度戻ったのは、十二時すぎだった。メモに書いてある。正面、それから左右の砂浜を行き来して、側面の撮影ポイントで丹念に写真を撮った。同じ場所で、同じような写真を、何度も何度も撮っているが、やはり明かりと空の様子が違うからだろう、飽きはしなかった。だが、おのずと、撮影ポイントが絞られてきて、一回りする時間が短くなったような気がする。

おそらく、少し疲れたのだろう。一時半過ぎに、砂浜から上がって、駐車場の隣のカフェレストランに入ったようだ。夕方の撮影にはまだ時間があったし、コーヒータイムだな。それに、どんなところか、一度は入ってみたかった。入り口で、コーヒーだけでもいいですかと聞いた。大丈夫です、ということで中に入った。店内は、わりと広く、ゆったりしている。それに客もまばらだったので、ゆっくりできそうだ。壁に、アフリカの仮面などが飾ってあり、まずまずの雰囲気の店だった。

ホットコーヒーを頼んだ後で、アイスコーヒーにすればよかったと思った。季節的には十二月上旬だが、服装的には真冬仕様なので、少し暑くなり、のどが渇いたのだ。ま、いい。テーブルの下で靴を脱いだ。さすがに靴下まで脱ごうとは思わなかった。それほどには暑くない。窓際の席には、二組先客がいた。話し声はほとんど聞こえない。こちらは、通路を挟んだ、壁際の長いソファー席に一人で座っている。ぼうっとしていてもしようがないので、カメラのモニターを始めた。

そのうち、窓際の一組が出て行った。店内はさらに静かになった。ところが、その静寂も長続きしなかった。入れ替わるようにして、おばさん四人組が入ってきて、窓際の席に陣取った。自分からは、斜め前方になる。なんで、おばさん連中というのは話声が大きいのだろうか!それに、あることないこと、次から次へと話題が尽きない。店内に、いわば、おばさんたちの話し声が響き渡っている。しばらくは我慢して、カメラのモニターを続けていた。だが、もうコーヒーも飲んでしまったことだし、限界だ。席を立った。ま、それでも、二十分くらいは店に居たようだ。

その後は、車に戻り、後ろの仮眠スペースに滑り込んで、少し横になっていた。車の中は、窓を閉め切った状態でも、さほど暑くなかった。そのうち、隣に黒っぽい車が入ってきた。ドアの開け閉めの音や人の話し声がうるさい。起き上がった。そのあと、お菓子を少し食べたような気がする。そして、再度時計を見たのだろう、<2:00~昼寝 2時30分 撮影>とメモにある。三十分ほどは車の中に居たことになる。

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2022

04/18

Mon.

09:56:05

<灯台紀行・旅日誌>2020年度版 

Category【灯台紀行 愛知編

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<灯台紀行・旅日誌>2020年度版 愛知編#4
野間埼灯台撮影3~宿

灯台広場は、依然として観光客でごった返していた。とはいえ、何十人いようが、関係ない。日没前後になれば、みなシルエットになってしまうのだ。広場の敷地をまたいで西側の浜へ踏みこんだ。波打ち際には下りないで、道路との境、幅の狭い、腰高のコンクリ塀のそばに立った。ま、これは、防潮堤の一種と考えてもよろしい。この位置取りは、灯台を斜め後ろから見ているわけで、画面の左側には、<絆の鐘>とか椰子の木などが見える。しかも、灯台は水平線と垂直していない。言ってみれば、構図的には、難がありすぎるが、灯台と夕日を絡めようとするならば、致し方のない、ベストポジションなのだ。

太陽は、水平線に徐々に近づきつつある。だが、いまだ光が強すぎて、画像的には白飛びしてしまい、その円形の姿は捉えられない。水平線ぎりぎりになって、はじめて、線香花火の火の玉のような夕日が、画像に定着できるのだ。要するに、まだ少し時間がある。ほかに、もっといい場所はないのかと思い、砂浜を、切り立った岩場の方へ移動した。

岩場の前まで来た時に、その陰から、黒っぽいコートを着た三十代くらいの青年が現れた。大きめの黒いカメラバッグを肩にかけ、その手には、一眼レフが握られていた。あきらかに、灯台と夕日を撮りに来たアマチュアカメラマンだ。すれ違いざま、ちらっと顔を見たが、向こうは目を合わせない。思い切って、話しかけた。<夕陽が撮れる場所はどのへんでしょうか>と。というのも、この期に及んで、砂浜を歩き回って、灯台に夕日が絡む、そのベストポジションを探し出すのは、自分だけでは、ほぼ不可能だと思ったからだ。

色白で、髭が濃い、おとなしい、どちらかと言えば、オタクっぽい青年は、すぐに話に乗ってきてくれた。尊大な感じはみじんもなく、言葉も丁寧だ。二、三分か、五、六分か、立ち話した。だが、その間にも、太陽は、刻一刻と、水平線に近づいている。実のところ、お互い、気が気ではない。そのうち<向う側の浜を見てくるので、いいところがあったら、伝えにきます>と言って、去って行った。

これで、少しの間、バタバタせずに、今いる西側の浜で、ゆっくり写真が撮れる。再度、午前中に目星をつけておいた撮影ポイントを回って、写真を撮った。むろん、構図はほぼ同じだが、明かりの具合が全然違うので、撮っても無駄、意味がないとは思わなかった。ただ、切り立った岩場の上、つまり、廃業したリゾート施設に行こうとは思わなかった。景観的には、水平線が見える分、多少いいが、うす暗くなっていたし、時間的にも無理だろう。それに何よりも、またサル山の猿にはなりたくなかった。

そうこうしているうちに、髭の濃い彼が、黒いコートの前をなびかせて、こっちに向かってきた。戻ってこないんじゃないかな、と頭の隅でひそかに思ったことを少し恥じた。やはり、律儀で、誠実な、いい奴なのだ。彼の報告によれば、向こう側の、道路際の防潮堤の上がいいらしい。カメラのモニターを見せてくれた。なるほど、画面の右端に灯台、左端に夕日が写っている。といっても、夕日は白飛びして、中心が白色の黄色っぽい大きな同心円になっていた。

この時も、二、三分か、四、五分話して、別れた。彼は、灯台の根本の岩場の方へ行き、見上げながら、写真を撮っていた。一方自分は、東側の砂浜と道路との境になっている、幅の狭い防潮堤の上を歩いて、彼の話していた場所で止まり、カメラを構えた。しかし、残念なことに、夕日は、最大限の広角にしても、画面にはおさまらなかった。おそらく、彼のカメラは、自分より広角なのだろう。とはいえ、灯台と夕日が、画面におさまる位置取りの限界はわかったわけで、その後は、そこから、灯台付近までの数メートルの範囲で、ベストポジションを探しながら、時間も、暑さ寒さも忘れて撮りまくった。

そして、まさに、太陽が、燃え尽きて、水平線にかかる刹那、西側の浜に戻って、広場の椰子の木や<絆の鐘>を写し込んだ、自分だけのベストポジションで、最後の時を楽しんだ。

夕日は、いつも思うのだが、水平線にかかると、あっという間に沈んでしまう。その間、どのくらいの時間なのだろうか?計ったことはないし、計ろうとも思わないが、とにかく、短いことだけは確かだ。そうそう、案の定、この日没の瞬間には、文字通り広場は人間でごった返していたようだ。しかし、画像には、黒いシルエットが、端に少し映り込んでいただけだ。自然の美しさに感動する、人間の謙虚な姿、と思えないこともない。

落日。急に辺りがしらけた感じになる。とはいえ、これからの数十分が<ブルーアワー>だ。陽が落ちた後も、広場や灯台周辺の人影が消えないのは、劇的な落日とは好対照の、かそけなく美しい夕空を見たいからなのだろうか。今一度、いや、今三度くらいかな、七色に染まる夕景を撮るために、波打ち際の方へ行った。言わば、今日一日の、最後の最後の仕事だ。そう、なぜか、水平線の近くがオレンジ色で、上にあがるにしたがって、徐々に淡い水色に変わっていく。これまで、気づきもしなかった、静かな美しさだ。その真ん中に、灯台が立っていた。

引き上げる前に、反対側の浜に行った。撮影場所を教えてくれた律儀な青年に、一言、声をかけたかった。彼は、狭い防潮堤の上で、写真を撮っていた。またしても、二、三分、いや、五六分、立ち話をした。ニコンのD750という本格的な一眼レフカメラを持っていたので、なにか、SNSでもやっているのか、と聞くと、以前はやっていたが、最近はほとんどアップしていないとのこと。

カメラ一台で給料が吹っ飛ぶ、とも言っていたので、独身のサラリーマンなのだろう。昨日はセントリアで撮っていて、今日は、夕日を年賀状に載せるために撮りに来たとも言っていた。<セントリア>?と聞き返した。中部国際空港のことらしい。なるほど、昨日は土曜日、飛行機で来たんだ。<ありがとうね>とちょっと手をあげて別れた。いい青年だった。

駐車場へ戻った。小屋の明かりがついていたので、ちょっと寄って、おばさんと話した。明日も早朝から来るので、駐車代¥1000を先払いしておきたかったのだ。マスクをしていたから、たしかなことは言えないけど、小柄だが、しっかりした顔立ちの美人だった。年は、六十前後で、おそらく漁師の女将さんなのだろう。だが、話しぶりが知的だった。そういえば、昼間、小屋に居た爺さんも、話し方が穏やかでちゃんとしていた。

愛知県知多半島、名古屋弁は関係ないのだろうか、言葉の抑揚、アクセントなどにも、まったく違和感がなかった。おばさんと、心からの挨拶を交わして、小屋を後にした。<お気をつけて><ありがとうございました>。辺りはほぼ暗くなっていた。疲労感はなく、心がやや軽い感じだった。さあ、引き上げだ。

宿にはすぐについた。灯台から四、五キロのところにあるので、ものの十分とかからなかった。国道からはそれて、海の方へ細い道をうねうね行くのだが、曲がり角ごとに、案内板がある。ナビに従わなくても、間違えることはなかった。

半官半民のような組織が全国的に持っている宿泊施設の一つで、建物はしっかりしている。手入れもよく、きれいだった。一泊二食付きで¥12000だから、食事はさほど豪華なものではないが、特筆すべきは、温泉が広くて、きれいで、しかも、ほぼ貸し切り状態だったので、非常に良かった。

コロナ対策も万全で、バリアフリーも完備。従業員は、ほとんどが六十代以下の女性で、顔立ちのしっかりした都会的な人が多かった。応対も、それなりに丁寧で問題はない。それどころか、翌朝の、朝食終わりで、コーヒーを飲みながら、窓の外の海を眺めていたら、若い、しかも美人の従業員が<今日はいい天気ですね>と、声をかけてきた。その後、二、三分、言葉を交わした。こんなことは、これまで七回の灯台旅で初めてだ。広い食堂で、五、六組、食事をしていたが、一人で食べていたのは、自分一人だった。後姿に、ジジイの悲哀が漂っていたのかもしれない。

部屋はベッドが二つ並んでいるツインで、設備、調度品もみなきれいで、新しい。食堂で夕食を済ませたあとは、ちょこっとメモ書きして、おそらく、すぐに寝てしまったようだ。何しろ、今日は、朝の三時半に起きて、400キロの道のりを六時間半運転して、その後も手を抜くことなく、陽が沈んだ後までみっちり写真撮影だ。ま、それでも、初回の、犬吠埼旅のような、身も蓋もない疲労感はなく、元気だ。撮影旅に慣れてきたのだろう。

そうそう、もう一つ、書き記しておこう。それは、例の<地域クーポン券>のことで、ここでは、二泊分でなんと¥4000!ゲットした。のみならず、なぜか、宿の売店だけで使える¥1000券もくれた。正規で泊まれば、二泊で¥24000だが<Goto割り>もあり、クーポン¥5000分を差し引くと、実質一泊¥7500くらいで泊まれたことになる。廃墟のような安ホテルでも素泊まり一泊¥5000取る今日日、これは安いだろ。しかも、お食事つきですからね!

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2022

04/04

Mon.

10:55:38

<灯台紀行・旅日誌>2020年度版 

Category【灯台紀行 愛知編

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<灯台紀行・旅日誌>2020 愛知編#3 野間埼灯台撮影2

小高い岩場での、至福の時間が終わった。灯台に向かって歩き始めた。今度は、波打ち際ではなく、砂浜の奥の方、つまり、高さ五、六メートルほどの切り立った防潮堤?のそばまで行った。ちなみに、この防潮堤の外側が道路になっている。往路とは違った角度で、灯台を見てみたかったのだが、案の定、灯台の垂直が確保できない。灯台を斜め後ろから見ていることになるので、灯台の先にある岩場との平行関係も崩れてしまう。灯台の垂直を無理に確保すれば、むろん、天地の水平が確保できない。無理して撮る必要のないアングルなのだ。

ま、でも、一応確認しておく必要がある。何しろ、基本は?灯台の周りを、できうる限り回って、その中からベストポジションを見つけることなのだ。見なくてわかることでも、しっかり見ておけば、あとで後悔することもない。

砂浜をぶらぶら撮り歩きしながら、灯台の真下にまで来た。正面に、コンクリ階段が、五、六段あり、その上が広場だ。たしか、この時だと思う。若造がドローンを飛ばしている。広場の上空を飛び回っている。なんでこんなところで飛ばしているんだ、とちょっと眉をひそめて、若造の顔を見たような気がする。だがすぐに気分を変えて、性懲りもなく、灯台正面から何枚か撮った。まるっきりの逆光で、眩しくて、灯台がよく見えなかった。

さらに今度は西側?の砂浜に下りた。こっちは、半逆光。灯台の右側の縁が、少し光っている。明かり的には、イマイチだ。ただし、先ほどの東側?の砂浜と同じで、灯台の垂直も、水平線の水平も確保されている。カメラの性能がアップしたのと、補正の腕が多少上がったのとで、半逆光、いや、逆光の写真でも、構図さえしっかりしていれば、最近はモノにできるようになっていた。しっかり構図を決めて慎重にシャッターを押した。

西側の砂浜は、東側に比べて、極端に狭い。すぐに断崖で遮られてしまう。もっとも、断崖沿いに、岩場を伝い、さらに行くこともできるが、灯台が見切れてしまう。それに、波しぶきをかぶった岩場は濡れていて、なんだか危なっかしいぞ。写真を撮りながら、引き返した。

あと残るのは、海側からの灯台だ。灯台の前は、うまい具合に岩場になっているので、灯台を背景に自撮りができる。観光客がひっきりなしだ。しかし、岩場といっても、それほど海に突き出ているわけでもない。灯台全体を画面に入れるとするならば、かなりの広角撮影になる。それに、背景がよくない。至近距離に特徴のない山がせまっているし、巨大な灯台の胴体には、窓一つなく、のっぺり感がきつい。要するに、野間埼灯台は、正面も背面も、写真にはならない。となれば、左右、というか東西からの側面からの写真で勝負するしかないだろう。

ふと思って、岩場からは早々に引き上げ、砂浜を横切り、上の道路に出た。ガードレールはあるものの、歩道としては狭すぎる。ま、いい。狙いは、少し先にある、道路沿いの施設だ。廃業しているようで無人。その施設に歩道から登りあがった。年甲斐もなく、なぜそんなことを!要するに、一段と高くなった、海を見渡せるその施設の敷地、いや、断崖の縁から灯台を撮ろうというわけだ。

何と記述すればいいのだろう。海を臨んで、こ洒落たバンガローのような建物が、間隔を置いて、幾棟も並んでいる。その一坪ほどの建物の前には、日光浴用の木製の長いすがあり、大きなパラソルが差してある。要するに、日帰りのリゾート施設だろうな。だが、設備もまだそう古くのないのに、廃業だ。素人考えだが、この場所に、セレブっぽいリゾート客を呼び込むのは、無理なのではないか。ここは、知多半島の先端、最果て感はないものの、ややさびれた観光地といった雰囲気なのだ。

話しを戻そう。その、海に突き出た、断崖上のリゾート施設の縁に陣取って、灯台を撮った。もっとも、先ほど、この真下で写真を撮っているので、構図的には、ほぼ変わらない。とはいえ、高い分、水平線がよく見える。景観的にはこちらの方がよろしい。それに、下界を?見下ろす感じなので、気分はいい。カメラをしっかり構えて、ここでも慎重にシャッターを押した。そのあとは少しの間、断崖の縁に腰かけて、ぼうっとしていた。朝っぱらから動き回っていて、少し疲れたのかもしれない。灯台の背後の海が、きらきら光っていた。ふと、いま、大地震が来たら、と思った。この場所は瞬時に崩落するだろう。うしろ手に囲い石をつかみながら、下をこわごわ見た。そうだ、高い所は苦手だったんだ。

この高みの見物も、自分がサル山の猿のような気がしてきて、じきに興ざめしてしまった。夕景の撮影までには、まだ時間があった。車に戻って、バナナでも食べよう。腹は空いていなかったが、栄養補給だ。もっとも、今日の宿は食事つきだ。なんとなく、気が楽だった。駐車場に戻り、トイレで用を足した。出てくると、係のおばさんに声をかけられた。<コーヒーでも飲んでいかない、インスタントだけど>。

係のおばさんと思っていた女性は、この有料駐車場を取り仕切っている、ま、いわば所有者だった。売店らしき雑然とした小屋に入っていくと、カウンターらしきものがあり、おばさんがコーヒーを作ってくれた。砂糖とミルクは自分で、その辺にあった瓶から入れた。どこから来たの、とか雑談していると、小柄な爺が入ってきて、おばさんにコーヒーを作らせている。旦那なのか、身内なのか、定かではない。が、おばさんとはかなり気安い間柄なのが話しぶりでわかる。物静かな漁師といった雰囲気を漂わせていた。そして、しばし、三人で<川越>とか<翔んで埼玉>などの話をして盛り上がっていた。

と、そこに、さっきのドローンの若造がやってきて、目の前の台に、ドローンを置いて、おばさんと気安く話し出した。知り合いなのか?黙って聞いていると、何やら、先生とか言っている。え、と思って、腰パンっぽいジャージーにパーカの若造をちょっと見た。どうやら、何回もここにきて、ドローンを飛ばしているらしい。今日の朝は、カワウの群れを撮ったとか話している。

自分としては、めずらしく気分がよかったのだろう。若造にドローンのことを少し聞いた。その時、マスクの上の目を見た。やや知的な感じがした。おばさんが言うには、歯医者さんらしい。しかし、その後の話ぶりや内容が、どうもうさん臭さかった。今使っているのはと、台の上に載せたドローンをいじりながら、16万のドローンで、8万も出せば、性能のいいものが買える。自分の知り合いも、カメラからドローンに転向した。操作方法は簡単で一日でマスターできる。自分が教えた。広告収入が30万ほどあり、それがこれだ。とスマホを見せてくれた。

なるほど、ユーチューブに、かなりたくさんの作品をアップしているようだ。内容的には、いろいろで、うける感じのものを狙っている。アカウント名を聞いた。<LL>とか言ったが、言葉を濁した。見ればわかるとか言っている。話しぶりが、やや尊大で、これ以上話していると嫌な気持ちになりそうなので、おばさんに、ごちそうさまと言って、小屋を出た。歯医者か!話しかけたのが間違いだった。

車に戻った。バックドアーを開け、車体に腰かけ、持参したバナナを一本食べた。おそらく給水もしたと思う。それから、夕景撮影のことを少し考えた。おばさんが言うには、<絆の鐘>の右横あたりに陽は沈むらしい。となれば、撮影ポイントは、広場に隣接する西側の砂浜で、しかも、道路に近い所だろう。時計を見たに違いない、三時半を回っていた。陽は大きく傾き、地上の事物がかなり赤っぽくなっていた。日没は四時半だ。さあ行くか、靴の紐をしめなおした。

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2022

02/14

Mon.

10:10:01

<灯台紀行・旅日誌>2020年度版 

Category【灯台紀行 愛知編

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<灯台紀行・旅日誌>2020 愛知編#2 野間埼灯台撮影1

野間埼灯台は、国道沿いの海岸に立っていた。その対面、道路左側に有料駐車場があり、車を入れた。すぐに係のおばさんが寄ってきた。出たり入ったりするつもりだったので、一日分¥1000を払った。隣にもレストランの駐車場があった。むろん利用者専用だろうから、むやみに止めることはできない。もっとも、この有料駐車場は、灯台のほぼ真ん前にあり、道路を渡れば、海側にせり出した広場へとすぐに行ける。位置的には、ベストと言っていい。

装備を整え、といっても、カメラ二台を、それぞれ斜め掛けと肩掛けしただけだが、気分的には撮影モードに入った。真っ白な灯台の胴体が、すでに目の前に見えていて、写真を撮れる位置取りになっている。だが、余計なものがありすぎる。まずは電線だ。それに、道路と横断歩道、さらには、広場に立っている大きな椰子の木やベンチなどで、どう見ても、灯台写真が撮れるような状況ではない。

道路を渡って、海にせり出した広場へ足を踏み入れた。言うまでもなく、この広場は、灯台を眺めるための場所だが、たいして広くもないのに、いろいろな物体がひしめいている。大きな椰子の木が三、四本あり、ベンチも五、六脚ある。右の方には<絆の鐘>があり、南京錠を取り付けるモニュメントもある。さらには、立派な石の記念碑などもあり、まさに、所狭しといった塩梅なのに、観光客が、あとからあとから押し寄せてくる。変な話、物だけでなく人間も<蜜>な状態になっている。

ま、それでも、この正面ロケーションの中で、ベストポジションを探しながら、狭い広場をうろうろしていた。歩道沿いのベンチが一番いいだろうなと思ったが、カップルがどっかと座っていて、なかなかどかない。仕方ないので、その後ろで、一応、カメラを構えてみた。だが、普通の記念写真にすらならない。大きな椰子の木に挟まれた灯台、その左右には、<絆の鐘>だの、石の記念碑だの、ベンチに座っている人間だので、まったく絵になりまへん!

まあいい、まあいい。ここで写真を撮ろうとしたのが間違いだ。と思い直して、今一度道路を渡り、道の向こう側から、カップルの座っているベンチを手前に入れて、何枚か、適当にシャッターを押した。どんな絵面にしろ、記念写真くらいは撮っておきたいと思ったからだ。意味のないことだとわかってはいるが、このままやり過ごせば、あとになって、何か忘れ物をしたような気がするに決まっている。

広場の横から、砂浜に下りた。灯台の全体が見えた。下の方が、なぜかステン?の柵でぐるっと囲まれている。灯台に直接触れられないようになっている。景観的にはよろしくない。あの時にはそれがやや不満だった。が、いま思えば、灯台を不埒な連中から防御しているわけで、灯台に落書きされるよりはましかもしれない。ところが、いまネットで調べると、この柵に南京錠をつける恋愛ジンクスが広まり、なんと、その重みで柵が倒壊したことがあるそうな。世の中、何が起きるかわかったもんじゃない。

この教訓を生かしたのだろうか、その後、南京錠をつけるモニュメントができたので、今現在は、柵に南京錠はついていない。もっとも、注意書きがあったような気がする。柵に南京錠をつけてもすぐに撤去する、と。これは、効果てきめんだろう。恋愛成就を願ってつけた鍵が、そのうち切り取られてしまうのなら、いくらなんでも、そこに鍵をつけることはしないだろう。ましてや、正規?に鍵をぶら下げておくモニュメントがあるのだから。

しっかし、おじさんの感想を述べさせてもらうのなら、南京錠で結びつけておく男女の仲や、家族や友人の絆とは、いったいどういったものなのだろう。本当は、結び付けておくことができない、と思っているからこそ、南京錠という手段に出るのではないか。だとするならば、海風に晒され、風化していく南京錠たちは、人間のはかない希望を形象化しているオブジェと見ることもできそうだ。

深く考えもしないで、ちょっとした洒落のつもりで、南京錠を柵に取り付け、その後、何年かして、錆びついた南京錠を目の当たりにしたとき、人間は、何を思うのか。ましてや、恋愛が成就されず、家族や友人の絆がほどけてしまったのなら、これはもう、まともに見ることすらできないだろう。そんな悲しみを直感する想像力を、灯台のそばに座って、波音に耳を傾けながら、取り戻してほしいと思うばかりだ。

ところで、唐突だが、灯台の正面とは、やはり、扉のある方なのだろうか。扉は、ほとんどの場合、陸地側にある。当たり前だ。人が出入りするわけで、陸地側にある方が合理的だ。だが、いつも思うことなのだが、灯台の機能面から考えると、海側が正面なのではないか。光を海に投げかけているのだからね。となれば、扉は、玄関口というよりは勝手口になるわけだ。

なんでこんなことを言い出したのか?というのも、野間埼灯台は扉のある方、つまり勝手口の方が、景観的には優れているからだ。つまり、正面であるはずの海側の胴体には窓もなく、のっぺりした感じなのに、背面であるはずの陸側の胴体には、ちゃんと窓がついていて、明らかに見栄えがいい。玄関口が勝手口よりも立派なのは常識だろう。したがって、こと、野間埼灯台に限って言えば、扉のある方、いわば勝手口が玄関口になっているようなのだ。

広場から砂浜に下りて、灯台を横から俯瞰する位置に立つと、そのことがよくわかった。つまり、側面ゆえに、灯台の窓はほとんど見えなくなってしまうわけで、胴体ののっぺり感が際立ってしまう。だが幸いなことに、この位置取りは、砂浜や海や空などのロケーションが素晴らしいのと、下の方が柵に囲まれているものの、灯台の全体像が俯瞰できるので、その立ち姿、というか、美しい構造が、のっぺり感を相殺してくれる。ま、それにしても、側面に、窓がひとつでもあれば、とないものねだりをしながら、撮り歩きを始めた。

波打ち際を五、六歩進んでは振り向き、灯台を主役にした構図を瞬時に見つけてシャッターを押した。砂浜に打ち寄せる波や、広場に聳え立つ椰子の木なども、画面に取り込もうとした。そのうち、岩場が露出してくる。波しぶきを受けている岩場には近寄らないで、渇いている岩場に登って、標準、望遠、二台のカメラでかわるがわる、少し遠目だが、真白な灯台を撮りまくった。もう、胴体ののっぺり感などは、ほとんど気にならなかった。ただし、観光客が、次から次へと来るので、画面に、人影が写り込んでしまう。これは致し方ない。十二月だというのに、さほど寒くもない、素晴らしい天気の日曜日なのだ。

灯台の垂直や、水平線の傾きなども、さして気にならなかった。というのも、野間埼灯台は、岬の先端でもなく、さりとて、海に突き出た岩場でもなく、そのずっと手前の、極端に言えば、砂浜に立っているような感じなのだ。したがって、自分の立っている波打ち際と、ほぼ平行関係にあるわけで、灯台の垂直はあらかじめ担保されている。それと、水平線は岩場に隠れてしまい、少ししか見えない。こちらも、多少の傾きは気にならない。

問題は、右端にある、少し高台になっている広場の椰子の木やモニュメント、ベンチ、その他もろもろだ。できれば、灯台写真は、海と空と灯台だけで完結したい。だがそうもいくまい。苦肉の策として、一番大きな椰子の木を、画面の右端に取り込むことで、構図全体のバランスを取った。ただし、広場の土留めコンクリが少し入ってしまう。なんとなく釈然としない。それに、海側にせり出してくる、背景の山が、なんか変なのだ。灯台の垂直や水平線とは<ねじれ>?の関係にあるようで、画面に取り入れるとあきらかに不自然だ。結局、背景の山と、広場の大部分は、画面から立ち退いてもらうことにした。

さらに、岩場と砂場が混在する砂浜を行けるところまで行った。これ以上行くと、灯台が見切れてしまうその場所に、少し小高い岩場があった。迷うことなく、よじり登った。みると、今歩いてきた海岸全体が見渡せる。灯台はさらに遠目になったが、ここは望遠カメラの出番だ。灯台を画面のほぼ真ん中に位置して、まさに、灯台そのものを撮った。だが、手前に観光客がいる。砂浜で子供が遊んでいて、親たちが座りこんでいる。それに、灯台の前を横切って、岩場の先端に行こうとする観光客があとを絶たない。

望遠400ミリの精度の高いレンズだ。表情までが、手に取るように見える。だがいまは、そんなことを面白がっている場合じゃない。人間が点景なら、風景写真的には、さほど気にならない。いや、致命傷にはならないだろう。しかし、表情までもがはっきり見えていたら、これはもう写真以前の問題だ。つまり、肖像権の問題で、ぼかすとか何らかの処理をしなければ、たとえアマチュアでも、発表することはできないだろう。と、ここでふと思った。SNSなどに写真をアップすることが、写真行為の必須条件になっている。

撮った写真を、自分一人で眺めるだけでは、もはや満足できない。そもそも、写真を撮ること自体に、撮った写真を人に見てもらいたい、見せたいという欲求が内在している。大袈裟に言えば、いわば、自分を世界に開示したいのだ。とはいえ、だから、どうだというのだ。頭の片隅で、人間がこれほど大きく映り込んでいては、補正で消すこともできないなと思った。それでも、真っ青な冬空を背景に、一分の揺らぎもなく垂直する、真白な灯台を撮り続けていた。モノになるか、ならないか、そんなことはこの際、どうでもいいような気がした。

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2022

01/21

Fri.

11:51:39

<灯台紀行・旅日誌>2020年度版 

Category【灯台紀行 愛知編

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愛知県知多半島 野間埼灯台 2020-12-6 11:34

<灯台紀行・旅日誌>2020 愛知編#1プロローグ~往路

時間を戻そう。今は、2020年12月4日、金曜日だ。おそらく、十日間天気予報を見たのだろう。というのも、14日の月曜日は伊良湖ビューホテル、15日16日17日は、三重県鳥羽磯部付近のビジネスホテルをすでに予約してあったからだ。前回の<福島・茨城旅>の旅日誌をやっと書き上げた直後で、次回七回目の<灯台巡り>を、愛知県渥美半島の伊良湖岬灯台、三重県紀伊半島の安乗埼灯台、大王埼灯台などに照準していたのだ。

四泊五日の旅日程も、ほぼ頭の中で確定、あとは、出発までの時間で<福島・茨城旅>の撮影画像の補正を終わらせるつもりだった。ところが、この夜、晴れマークがついていた14日の天気が怪しくなってきた。せっかく<伊良湖ビューホテル>の予約が取れていたのに、しかたない、キャンセルだ。むろん、その後の鳥羽のビジネスホテルもキャンセルし、旅の日程を再考した。

十二月の前半から全国的に晴れが続いていた。<灯台巡り>をするには絶好の日和だ。だが、自分に課した、旅日誌の執筆と撮影画像の補正を終わらせなければ、旅には出られない。と、思い込んでいる。しかし、今回は、自分で決めた約束を破った。6日7日8日9日と、愛知県には四日連続で晴れマークがついている。この日程をやり過ごしたら、十二月の灯台旅は流れてしまうかもしれない。

おおよそ、十二月の中盤までは、寒さもそう厳しくない。だが、後半、クリスマス前後には、毎年寒波がやってきて、寒い思いをしている。したがって、中盤がだめなら、前半に行くしかないだろう。それに晴れマークもついている。四日の金曜日の夜も更けて、日付が五日に変わっていたと思う。つまり、六日から宿泊するのなら、前日予約になってしまう。いまから、ホテルは予約できるのか?

<楽天トラベル>でさっそく調べ出した。調べているうちに、気持ちが変わって、予定を変更した。つまり、フェリーで三重県側には行かないで、巡る灯台は、愛知県の野間埼灯台と伊良湖岬灯台だけにした。初日に一気に知多半島へ移動し、その先端に位置する野間埼灯台へ行く。そこで二泊して、そのあと、戻る感じでぐるっと回り込み、渥美半島の伊良湖岬灯台へ移動する。突然の予定変更の理由には、いまだ確実な下準備ができていない三重県側の灯台たちを、この期に及んで、調べなおすのが億劫になった、ということもある。

伊良湖岬灯台と野間埼灯台は、それぞれ、愛知県の渥美半島と知多半島の先端にあり、普通なら、セットにして巡るべきだろう。ところが、移動が大変なのだ。距離にして150キロ、時間にして三時間半もかかる。少し前までは、半島間にフェリーがあったのが、今は廃止されている。そうした理由で、伊良湖岬から出ているフェリーで三重県側にわたり、渡航時間は小一時間ほどらしい、紀伊半島の南西部の灯台たちを見て回ろうという気になったわけだ。その方が効率的だと思ったような気がする。

灯台巡り、とくに灯台写真を撮るには、下調べが大切だと思い知らされている。事前に、撮影の位置取りを、ほぼ確実に頭に入れておいても、現場では右往左往することが多い。下調べもせず、手ぶらで行くのは愚の骨頂だろう。一応、伊良湖岬灯台の下調べは終わっている。それに、新たな照準とした、野間埼灯台もネットで検索する限り、さして難しいロケーションではない。それに、今回は、一つの灯台に二日かけることにしたので、極端に綿密な下調べは必要ないのだ。

野間埼灯台も、伊良湖岬灯台と同様、夕日がきれいな所らしい。これまでの経験から、灯台に夕日や朝日を絡めて撮るには、とにもかくにも、灯台に近い宿に泊まるのがよろしい。ま、近いといっても、四、五キロ離れていても問題はない。というわけで、該当する宿を探し、日程に合わせる作業を、夜中の三時頃までやった。

頑張った、というか、夢中になっていた。その甲斐あって?まあまあ、満足のいく結果を得られた。すなわち、野間埼付近の、食事つきの旅館を二泊、伊良湖岬のすぐ近くのビジネスホテルを二泊、予約した。前者の食事つきは、これまでの慣例に反するが、一泊二食付きで12000円、その上<Goto割り>で安くなるので問題ない。とにもかくにも、灯台に近い宿がいいのだ。

旅の前日、五日の土曜日の朝は、前の晩、夜更かしたにもかかわらず、眠気はなかったと思う。それよりも、旅の準備を頭の中で、ざっと思い浮かべ、直ちに実行していった。慣れたもので、車への荷物の積み込みなど、午後の二時前にはすべて完了していた。ゆっくりくつろいで、早めの夕食、夜の八時すぎには寝ていたと思う。もっとも、いつものように、夜間トイレで一、二時間おきに起きている。だが、興奮して眠れないということはなかった。

出発の日、六日の日曜日は、午前三時半に、目覚ましが鳴る前に目が覚めた。頭も覚めていて、ためらうことなく起床、ゆっくりと自分のペースで出発の準備をした。お茶づけなどを食べ、便意を催促したが、いつもの排便時間よりは、そうとう早い。うんこは出なかった。玄関ドアを出る前に、お決まりのように、虚空のニャンコに向かって、行ってくるよ、と声をかけた。一瞬、もうこの家に帰ってこられないかもしれない、という不安を感じた。いや、ちょっと、思ってみただけだ。

午前五時出発。まだ真っ暗だった。最寄りの圏央道のインターから入り、六時には、厚木に到達していた。青梅からの断続的なトンネル走行は、トンネル内が外より明るいので、むしろ外よりも走りやすかった。そのあと、東名、第二東名と乗り継いだ。たしか御殿場あたりだっただろうか、富士山が右手に見えた。それも、なんというか薄赤紫色の幻想的な富士だった。

左側の稜線がものすごく急で、北斎の<赤富士>を想起した。頭に少し冠雪している程度で、赤土色の斜面に朝日があたっている。その周辺に、雲なのか靄なのか、白いもやもやしたものが漂っている。幽玄を感じた。北斎の<凱風快晴>の稜線は、やや誇張しているなと思っていたが、まさに、その通りの、切り立った稜線が、目の前に見える。というか、横に見える。第二東名を走っているわけで、現地点はほぼ山の中だ。北斎がこの位置から富士を見たとも思えないが、この近辺だったことに間違いないだろう。

北斎は、どこで朝日のあたる富士を見たのだろうか。数百年の間<赤富士>を超える富士は出現していない。そして、今後も出てこないだろう、とひそかに思った。

・・・理由はない。単なるミスだ。ナビに従って、高速から降りてしまった。古いナビだから、第二東名が貫通していることを知らないのだ。<第二東名 豊田方面>の標識がちらっと見えたが、後の祭りだった。ま、いい。高速走行にも飽きていた。気分転換に一般道を走るのもいいだろう。というわけで、次の高速入口までたらたら走って、また高速に乗った。その後は、伊勢湾岸道路に乗り、一気に、知多半島を南下した。野間埼灯台に着いたのは、午前十一時半頃だったと思う。およそ400キロ、六時間半かかった。だが、さほど疲れてもいなかった。


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2022

01/08

Sat.

09:39:53

<灯台紀行・旅日誌>2020年度版 

Category【灯台紀行 福島・茨城編

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2020-11-10 6:26 茨城県日立市 日立灯台

<灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#15
日立灯台撮影4

真っ暗な中、車に乗り込んだ。灯台はすぐ近くだが、一応ナビをセットした。道順は頭に入っていないのだ。それから、日の出前、すごく冷えていたので、ウォーマーをはいて、上はダウンパーカを着た。これで、防寒対策はばっちりだ。ついでに、ネックウォーマーもしたような気がする。

公園の駐車場には、時間制限があり、たしか、チェーンが外れているのは八時から六時ころまでだったと思う。昨日確かめておいた。ということは、今の時間、横の道に路駐するしかない。早朝だから、大丈夫だろう。あっという間に、公園についた。まだ暗かった。周りは住宅街だ。そろそろと駐車して、音を立てないようにして外に出た。公園の中に入って、太陽の位置を確認した。目の前の海から昇ってくる感じだ。ところが、水平線に、雲がかかっていて、朝日を隠している。残念!海から昇る朝日は拝めない。

ま、それでも、水平線付近は、少し朱色に染まり始めた。何と言うか、朝日を隠している雲は、横にたなびいているわけで、もう少し時間がたてば、その雲の上に朝日が出てくるだろうと思った。たしか、軽いカメラを三脚に装着して、望遠の方は右肩から斜め掛けしていたように思う。カメラバックを背負わない、今回の旅で味をしめたスタイルだ。

朝夕の撮影に、三脚は必須だが、露出設定などは、全く頭から飛んでいた。したがって、ピンボケだけは防止できるかもしれないが、それ以上の写真は期待できないだろう。なので、ろくにモニターもしなかった。もっとも、三脚に装着したカメラの、しかも、暗い時のモニターは手間がかかり、面倒なのだ。しかし今思えば、面倒とか、そういうことを言っている場合ではなかった。日立灯台の早朝撮影は、おそらく、これが最初で最後になるだろうと予感していたのだから。

三脚を担いで、公園内をうろうろ、撮り歩いているうちに、待望の朝日が顔を見せてくれた。まだ、半分くらい、たなびく雲に隠れている。だが、それでも十分に朱色だ。いや、みかん色、と言った方がいいかもしれない。どこか温かみがある色合いなのだ。夕日の撮影と違って、朝日の場合は、刻一刻と明るくなっていくので、なにか、気分的にも明るくなっていく。

昨日下調べした、撮影ポイントは、まったく参考にならなかった。何しろ、太陽の位置が全然違う。今は、真正面の海の、少し上あたりにあって、灯台を真横から照らしている感じだ。期待していた、朝日がもろ灯台にあたる状況にはなっている。だが、イマイチ、感動がない。思うに、周りが明るすぎる。空の色も、すでにきれいな水色になっている。事物は地上に長い影を引き、芝生や樹木の緑色は、みかん色に中和され、変な色合いなっている。画面全体が、期待していた灯台も、スカッと抜けたみかん色に染まるわけではなく、なんとなく、ぼうっとしていて冴えない。それでも、撮らないわけにはいかないだろう。全エネルギーを傾注して、公園内をバタバタ移動しながら、撮りまくった。

かなりの時間がたって、犬のお散歩などで公園を訪れる人が多くなった。朝日は、あっという間に成長して、もうすでに立派な太陽になっていた。見晴らし用の小山に行く前に、太陽を灯台の胴体で隠して撮る、逆光写真を撮った。<番所灯台>に続いて、いわゆる、二匹目のドジョウを狙ったわけだ。だが、全然よくない。理由は、灯台の胴体が巨大な分、その影はもっと巨大になり、したがって、画面に占める割合が多すぎて、目障りなのだ。それに、辺りが明るくなってきたので、人影が気になってきた。なかには、公園の縁をぐるぐる歩いているおじさんもいる。朝の日課なのだろうけど、白い上着を着ているので、画面に入り込んだときに、目立つんだ。まあまあ、世界は君一人の物じゃないんだよ。

夜明けから、小一時間たっていた。撮影モードが解除され、アドレナリンが引いてきたのだろう、周りのことが少し見えてきた。まず、自分の車の前に黒い車が路駐している。撮影中にもちらっと眼に入った光景だ。その黒い車を、いま改めて見ると<ポルシェ>だった。早朝の公園と<ポルシェ>の取り合わせが、ちょっと面白かった。公園内の誰かの持ち物には違いないが、それが誰なのか、よくわからなかった。というのも、犬の散歩などで、けっこう人がいるのだ。

それから、でかいバイクの若い男だ。彼の存在にもかなり前から気づいてはいた。大柄で、黒い革ジャンを着ている。スマホで、盛んに朝日に絡めて灯台を撮っている。要するに、インスタか何かにアップする写真を撮っているのだ。最大限近づいた時に、と言っても二十メートルくらいはあったかな、顔をちらっと見た。やや長髪で、角ばった感じの顔だ。人懐っこさや、如才なさはなく、無表情、いかにもバイク野郎という感じだった。こっちから、声をかけてもよかったのだが、シカとした。というのも、まだ、見晴らし用の、小山からの撮影が残っていたし、明かりの具合も、刻一刻と変化している最中だった。立ち話をしている暇はない。こっちのそんな雰囲気を察知したのか、彼も話しかけてこなかった。そのうち、ポルシェの前に止めた、大きなバイクの方へ行ってしまった。

そういえば、前回の<爪木埼灯台>でも、陽が落ちる直前に、どこからともなくバイク野郎が来たっけ。年齢も同じくらいだ。二十代後半の若者だ。すんなり就職しなかったのだろうか、それとも、就職できなかったのだろうか、あるいは、会社勤めにうんざりして、退職届を上司にたたきつけ、バイクに乗って、旅に出たのだろうか、いずれにしても、朝日や夕日に染まる灯台を、スマホ撮影とはいえ、きっちりその時刻に撮りに来るからには、それなりの理由があるのだろう。バイクのエンジン音が、轟いた。あるいは、これから、バイトに行くのかもしれない。旅をしている割には、荷物がなかったな。いや、荷物は、自分と同じで、まだ宿に置いてあるのかもしれない。

小山に上がった。灯台が水平線にクロスする、お気に入りのベストポジションだ。海から出てきた太陽は、あっという間に灯台より高い所に昇ってしまった。要するに、明かりの具合は、斜光だ。早朝の厳粛な雰囲気は霧散して、辺りには、朝の生気が漲り、人間や生き物の気配がする。地上に描かれた、事物の黒い影は、しだいに薄くなり、その長さも、刻一刻と短くなるだろう。空の様子はと言えば、紫雲たなびく、というか、静かで、美しい瑠璃色だ。どこかで見たような、やさしい浮雲が漂っている。

天空はやすらぎの空間で、地上には生気が満ち満ちている。その真ん中に、灯台が立っている。わずかに、右側が光っている。光ることによって、その輪郭が、ますます確信できる。ローソク型の白い灯台は、もはや、地上の事物ではなく、かといって、天空に回収されもしない。ただただ、天地の間に佇立しているだけだ。写真を撮りながら、目の前に広がる光景に感動していたのだろう。

立ち去りがたくはなかった。十二分に撮ったような気がした。時計を見たのだろう。七時過ぎだった。いま撮影画像で確認した。引き上げるつもりで、小山を下りて、車へ向かった。と、灯台の前に来た時に、ふと立ち止まった。なにか、先ほど撮った同じ位置なのに、灯台が、というか公園全体の雰囲気が、違って見えた。なるほど、明かりの具合が変わっていたわけで、これはもう撮るしかないでしょう。構図的には同じだが、明らかに、今の方が、写真としてはきれいに撮れると思った。

そうこうしているうちに、画面の前を、犬を連れた老年の夫婦連れが、<ポルシェ>の方へ歩いていく。あ~、公園の周りをぐるぐる回っていた爺さんだ。なるほどね、長時間止まっている訳がわかったよ。朝の日課、公園の周りを小一時間歩く。その間、奥さんは、犬のお散歩をしながら待っている、というわけだ。見るともなく見ていると、二人とも、車の周りで、ぐずぐずしていて、なかなか出て行かない。が、二人の姿が消えた。やっと車に乗ったのだ。少しあって、腹に響くような、野太いエンジン音が響き渡った。さすが<ポルシェ>だ、エンジンの音からして、ちがう。ただね~、爺さんに<ポルシェ>って、どうなんだろう?おそらく、金持ちで、車が好きなんだろう。例えば、俺が金持ちで、車好きで、なおかつ<ポルシェ>が好きなら、やはり、爺になっても、<ポルシェ>に乗っているかもしれない。<ポルシェ>か~、貧乏人の僻みだ。自分には、やはり、<灯台巡り>の方があっているような気がした。

<福島・茨城旅>2020-11-7(土)8(日)9(月)10(火)収支。

宿泊費三泊 ¥12100(Goto割)
高速 ¥13400 
ガソリン 総距離720K÷19K=38L×¥130=¥4900
飲食等 ¥4100
合計¥34500

<灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#1~#15
2020-12-11 脱稿。

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2021

12/31

Fri.

10:37:46

<灯台紀行・旅日誌>2020年度版 

Category【灯台紀行 福島・茨城編


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2020-11-9 16:29 茨城県日立市 日立灯台

<灯台紀行・旅日誌>2020 福島・茨城編#14 安ホテル

ひと仕事終えたような気分だった。午前、午後、夕方と、変化する灯台の姿を写真に撮り終えたのだ。これだけの時間をかけ、これだけのエネルギーを使い、これだけの数の写真を撮ったのだから、二枚や三枚は、気に入った写真が撮れた筈だ、と信じたかった。さらに、体力にも気力にも、まだ余裕があったのだろうか、明日の朝、朝日を受けた灯台を撮り来ようとさえ思った。思った瞬間に、朝五時起きすれば、五時半までには、公園に来られるなと算段した。今の時期、日の出は五時半なのだ。

辺りは暗くなっていた。車のライトが自動点灯していたと思う。安ホテルはすぐ近くにあった。駐車場がわからなくて、入り口付近に路駐し、受付のおばさんにたずねた。要領を得ないので、繰り返し聞いた。おばさんの方も、なぜ聞き返されているのか、わからない感じだ。一緒に外まで来て、指さしながら教えてくれた。

駐車場は、100m位離れた道沿いだった。さほど遠くはない。だが、ほぼ満車状態で、トラックなども止まっていた。いつものように、カメラバックを背負い、トートバックに食料、飲料水を入れて、ホテルに入った。出入り口付近には、何台かの駐車スペースがあったが、すべて満車。まだ五時すぎなのに、<入り>が早いなと思った。

受付には、品のいい小柄な、年齢的には、<おばさん>と<ばあさん>の間くらいの初老の女性が、先客のチェックイン対応をしていた。丁寧なのだが、まどろっこしい。なかなか終わらない。と、先ほど、駐車場を案内してくれたおばさんが、受付カウンターの斜め前あたりで、コピーを取っている。それも何枚も。やっと番が来て、今度は自分が、施設使用などについての、バカ丁寧な説明を延々と聞かされている。

そのうち、受付カウンターの中から、長身の浅黒い男が出てきて、コピーおばさんに、それほど険悪な感じではないが、<コピーは一枚取ってくれって言ったんです、こんなに何十枚もとっちゃって、どうするんです>と言っている。コピーおばさんの方は、自分のミスを謝ることもせず、なにか言い返している。息子が怒っているのに、まるで意に介さない母親のような感じだ。

チェックイン対応も最終段階になり、支払いも済ませ、<地域クーポン券>の話になった。¥1000分の券をもらった。どこで使えるのかと、受付の初老の女性に聞くと、なんだか、要領を得ない。すぐさま、近くいた、さきほどコピーおばさんを叱責していた、背の高い、顔立ちのいいインド人が、悠長な日本語で説明してくれた。なるほど、彼の話はすぐに分かった。同時に、おばさんたちと彼の関係も理解できた。おばさん二人はパートだ。顔立ちのいいインド人は、純粋な日本人か、さもなければ日本で育ったインド人で、というのも、その日本語から確信したのだが、ホテルの従業員だろう。

ここ何回か遭遇した、安ホテルで働く高齢者たちは、人手不足の折、パートで採用された人たちなのだろう。受付の応対に、それぞれの人生経験が色濃く反映してしまうのは、面白いといえば面白いし、致し方ないといえば致し方ないことなのだ。そんなことを思いながら、エレベーターに乗り、部屋に入った。値段相応の設備と内装だ。だが、埃だらけということはなかった。掃除は、パートの律儀な高齢者が、手抜きせずにやっているのだろう。

<17:00 ホテル 弁当 フロ ノンアルビール 日誌>とメモにあった。その通りで、ほかに何かあるかと言えば、なにも思い浮かばない。物音もせず、静かに眠れたのだろう。そうだ、おそらく、朝の五時に目覚ましをセットしたのだと思う。朝日を受けた灯台を撮る。やる気十分だった。それに、明日は帰宅日だが、朝撮り?しても、日立からなら三時間くらいで帰れるはずだ。高速走行も、今回で六回目になる。三時間くらいなら、ほとんど苦にならなくなっていた。

翌朝は、目覚ましが鳴る前に起きたと思う。窓の外は、まだ真っ暗。洗面も食事も排便も、要するに朝の支度は何もせず、着替えて、すぐに部屋を出た。出入り口の自動ドアが開かないので、明かりのついていた食堂を覗くと、賄いの優しそうなお婆さんが居て、裏口を教えてくれた。鍵はかけてないから、帰って来た時もそこから入っていい。それから、自動ドアは手でこじ開ければ開くとも言っていた。たしか、鍵をお婆さんに預けたと思う。

唐突だが、ここで、時間をワープしよう。この旅日誌は、一応、現実の時間軸にそって書いているのだが、構成上というか、枚数的にというか、要するに、この<安ホテル>の章を完結させるには、ここであと一、二枚、紙数を埋める必要があるのだ。なんでそんなことになったのか?以下、理由を説明しておく。

旅日誌も、今回で六回目になり、おのずと、構成が決まってきた。それは、ブログ形式で発表するという条件に、大きく影響を受けた。つまり、ブログ一回の分量が、あまりに多すぎても、読みづらいだろう。ということが次第にわかってきたので、適当な分量でおさめようと思ったのである。では、<適当な分量>とはどのくらいの量のことかといえば、およそ、今書いている紙数で五枚程度、400字詰め原稿用紙に換算すれば、10枚くらいだろうと考えた。

そこで当初の、字数制限なし、見出しなしで、延々と書き流していくスタイルを改め、見出しをつけ、章分けして書いていくことにした。つまり、読み物としての体裁を、多少整えたのである。というか、自分にとっても、書きやすく、読みやすくしたつもりである。

というわけで、時間的には、次の章の最後の方に出てくる、ホテルの従業員の態度についての記述を、内容的にはこの章にいれてもおかしくないな、と<我田引水>的に考え、枚数的な均衡を保とうとした。要するに、体裁の問題で、どうでもいいことなのだが、一応言い訳しておく。

…朝の撮影終え、ホテルに帰って来た。八時ころだったと思う。すでに、駐車場の車は、半分くらいになっていた。カメラバックを背負った。ホテルは道路の斜め向かい側にあった。さっき出た<従業員用の出入り口>と、少し遠い正面玄関、どちらから入ろうかと一瞬考えた。少し近い前者を選択した。賄いのお婆さんも出入りしていいと言っていたしな。あとから考えれば、この選択が間違いだったのだ。

<従業員出入り口>からホテルの中に入った。食堂を覗いて、中のお婆さんに一声かけて、受付カウンターへ行った。誰もいないので、呼び出しベルを押した。すぐに、奥から男が顔を出した。名前と部屋番号を言って、鍵を受け取った。その瞬間、怪訝そうな顔をした男が言った。いま、あっちから入ってきましたよね、と<従業員出入り口>を指さした。監視カメラで見ていたのだろうか?ええ、おばあさんが・・・と言いかけたのに、その男は、にこりともしないで、<あっちは、従業員出入り口なので使わないでください>とぐっと睨みながら言い放った。頭ごなしのこの言葉と、威圧的な態度にイラっとしたが、自分の迂闊さにも気づかされた。

ホテルの防犯上の問題もあるわけで、部外者が立ち入ってはいけないところに平気で立ち入ったわけだ。四十代くらいの黒っぽい男は、ホテルの従業員というよりは、ガラの悪い麻雀屋の店員といった感じだが、安ホテルを仕切っているのかもしれない。でなければ、客に対して、あんな横柄で、威圧的な態度が取れるはずがない。

部屋に上がった後も、この一件で心が動揺していた。なんて野郎だ!安ホテルに泊まったがゆえの代償なのか。今もって、思い出すと不愉快になる。この安ホテルにはもう二度と泊まらない、と心に決めた。

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2021

12/17

Fri.

09:41:31

<灯台紀行・旅日誌>2020年度版 

Category【灯台紀行 福島・茨城編

<灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#12
日立灯台撮影2

車に戻った。次は、<久慈浜>から岬の灯台を狙う。こっちからの画像は、ネットにも多少上げられている。<久慈浜>は海水浴場として有名らしいが、今年は、コロナ禍で閉鎖されたようだ。もっとも、今は秋、時期的には関係のない話で、浜に海水浴客はいない。ゆっくり撮影できそうだ。駐車場を出た。海沿いの広い道に出て、少し行って信号を左折。日立港の中に入って行く。すぐ左折して、今度は漁港の中を走る。突き当りが<久慈浜>だ。

砂浜沿いの広い駐車場には、何台か車が止まっていた。目ですぐ数えられるほどだ。日陰はない。ということは、どこに止めても同じだ。ならばと、砂浜に一番近いところに止めた。カメラ二台を、一台の軽い方は右肩から斜め掛け、もう一台の重い方は、右肩にショルダー掛けで、撮り歩きを始めた。これからの旅では、このスタイルが定着しそうだ。車が目の前にあるのなら、ほかの物は必要ない。着替えにしろ、水にしろ、三脚にしろ、カメラバックに入れて背負う必要はないのだ。身軽だし、このスタイルは、何よりも、望遠カメラを多用できるという利点がある。

砂浜に下り、岬の方を見た。灯台が、半分くらいしか見えない。しかも、岬の先端にではなく、中ほどに突き出ていて、バランスが悪い。断崖は、むき出しの岩壁でもなく、かといって、すべてが樹木に覆われているわけでもない、なんだか、中途半端な風景だ。魅力がない。位置取りが悪いのかと思って、水たまりのできている砂浜を、岬の方へ向かって歩いた。だが、岬と灯台の布置は変わらず、これ以上近づいたら、もっと悪くなるような気がした。

と、水たまりに、灯台が写っている。文句なしに、このような光景が好きだ。なので、かなりしつこく撮った。だが、やはり、実像がよくないと、ダメなようだ。水に写る灯台を見て、人の目は必ず、その上の本物の灯台を見る。そのとき、灯台が美しいのなら、その美しさは、水の上の、いわば虚像の灯台にもバウンドする。光景全体が何か印象深いものとなる。そんな、ちょっとした奇跡は起こらなかった。そもそもが、岬の中ほどに、中途半端な形で突き出ている灯台に、<美>を印象しなかったのだ。こっち側からもモノにならない。それに、岬と灯台を、横から撮る構図そのものに、少し飽きが来ていた。どの灯台も遠目で、似通っていて、同じような写真になってしまうのだ。

少し重い足取りで、砂浜から車へと戻った。昼寝をするために、車を、崖際に移動した。いくら秋になったとはいえ、フロントガラス越しに太陽と対面していては、暑くてしょうがないだろう。メモには<12:30 限界 すこしうとうとする>とある。だが、この時は、仮眠スペースに入ったもの、ちゃんと横になって寝なかったような気がする。積み上げている蒲団に背中をもたせ、膝を少し曲げたままの態勢で、目をつぶった。散乱している荷物を脇に寄せ、横になるスペースを作るのがめんどくさかったような気もする。それほど疲れていたとも思えないが。

<1:30 赤い防波堤灯台をとりにいく>。とメモにある。要するに、小一時間、窮屈な態勢のまま、 うとうとしたようだ。少し元気が回復していた。先ほど、公園の見晴らし台から見えた、日立港の赤い防波堤灯台が気になっていた。というか、見えた時から撮りにいくつもりでいた。時間もちょうどいいではないか。つまり、この後の予定としては、三時頃に、公園に戻って、西日を受けている日立灯台を撮る。そのうち、陽が沈むだろうから、うまくいけば、夕陽に染まる灯台も撮れるかもしない。というわけで、それまでの時間が有効に使えるわけだ。

駐車場を後にした。その際、男女がイチャついていた崖の前を通った。むろん、車は止まっていなかった。何の感情もイメージも出てこなかった。閑散とした漁港の中を、係船岸壁沿いにゆっくり走りながら、赤い防波堤灯台に近づいていった。じきに、プレジャーボートがずらっと並んでいる岸壁の行き止まりに、赤い灯台が見えた。周りに、けっこう釣り人がいる。

広めの岸壁で、空いているところに駐車した。軽いカメラを一台だけ、肩に斜め掛けして、防波堤に掛けられた、五、六段の、木の頑丈そうな梯子を登った。灯台は目の前にあった。だが、モロ逆光で、まぶしくてよく見えない。ただうまいことに、灯台で行き止まりにはならず、左方向へ突き出る感じで防波堤が少し伸びている。つまり、逆光を避け、灯台を横から撮ることができるのだ。ただし、なかば、海を背中に背負うことになり、灯台の背景には、対岸の建物や重機などが映り込んでしまう。むろん、灯台付近の釣り人もだ。

雑駁な感じの画面だ。だが、ほとんど気にならなかった。というのも、写真としてモノにしたい、という野心?は端から薄い。あの赤い防波堤灯台、どんな感じになっているのかな?いわば、近くで見たいという無垢な好奇心があるだけだ。うまく撮れればそれに越したことはない。だが、写真として撮れなくても、現物を見ただけですでに十分満足なのだ。

とはいえ、写真は慎重に何枚も撮った。しかも、そのうち、今いる防波堤の反対側からも撮ることができる、ということに気づいた。つまり、係船岸壁は、アルファベットの<C>を逆にしたような形をしていて、その口の開いたもう一つの地点が、すぐそこに見えるのだ。しかも、岸壁に車も見える。行けるなと思った。

戻り際、太陽を灯台の胴体で遮った、逆光写真を何枚か撮った。今朝、小名浜の番所灯台で試した構図だ。けっこう、カッコいいと思っている。防波堤の梯子を慎重に下りて、岸壁に降り立った。陽はすでに傾き始めていて、明かりの具合が、なんとなく、オレンジ色っぽい。見ると、岸壁の向こう、はるか彼方、岬に立つ、真白な日立灯台が見えた。なぜか灯台は、先ほど浜辺で見た時よりも、背丈がぐんと伸びていている。あれ~と思いながら、写真を撮った。遠目ではあるが、なかなか美しいのだ。

今いる場所が、さっきの砂浜より遠いのに、砂浜で見た時よりも、灯台がよく見えていることが、ちょっと不思議だった。むろん、距離的には遠目だが、全体像としては、こっちのほうがはるかにいい。要するに、岬に近づきすぎて、灯台が、断崖の影に隠れてしまい、よく見えなくなったわけだ。この逆説が、面白かった。ただし、よく見えているとはいえ、物理的には離れているのだから、超望遠でない限り、今見えている灯台をモノにすることはできない。いずれにしても、写真にはできないわけで、無駄に不思議がり、無駄に面白がってしまった。

漁港の中をぐるっと左回りに走って、向かい側の岸壁に来た。向い側というのは、先ほど、写真を撮っていた防波堤灯台から見て、海を挟んで向かい側なのだ。ま、いい。縦長の直方体に円筒が接続している、よく見る形の、赤い防波堤灯台の付近には、釣り人の姿がかなり目立つ。先ほどより増えたのか?そうではなくて、防波堤で死角になっていた、岸壁の釣り人達が、見えているだけだ。防波堤の向かい側の岸壁に来ているのだからね。

岸壁に立って、カメラを赤い防波堤灯台に向けた。釣り人が、かなりの数、画面に入っている。これは致し方ない。かまわず撮っていると、釣り人がこちらに気づいて、中にはチラチラ見ている奴もいる。たしかに、写真はNGの人間だっているはずだ。これは失礼!それに、赤い灯台も、風景も、執着するほどのこともない。バシャバシャと撮って、すっと引き上げた。

世界が、というか、辺りがなんとなくオレンジっぽい色に包まれ始めた。時計を見たと思う。三時過ぎていた。日立灯台の夕景を撮る時間だ。と、その前に、忘れるところだったよ。港をいったん出て、すぐの交差点沿いにあるセブンで、食料の調達をした。宿は日立灯台のすぐそばだったが、近くにコンビニがあるのか、どこにあるのか、調べていなかった。だから、気づいた時点で、早めに処理しておけば、世話なしだ。したがって、弁当は、食べるまでにはまだ時間があった。だが、一応あたためてもらった。

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2021

12/10

Fri.

09:46:25

<灯台紀行・旅日誌>2020年度版 

Category【灯台紀行 福島・茨城編

<灯台紀行・旅日誌>2020 福島・茨城編#11
日立灯台撮影1

岬を下りた。小名浜の市街地を抜け、常磐道いわき湯本インターへ向かった。むろんナビの指示に従ってだ。この間、二、三十分かかったのだろうか、高速に入るまでが長かったような気がする。あとは、日立北を過ぎてからの、断続的なトンネル走行だ。少し気を使ったし、難工事だったのだろうな、などとも思った。<どこまで行っても日立>という言葉も頭に浮かんできて、走りながら、思い出し笑いしていた。

若い頃、生活のために、軽トラの運転手をやっていた。時々、日立や北茨城へ行く仕事が回ってきた。行きは、荷主が高速代を負担してくれる。だが、帰りは出ない。したがって、のんびり一般道を走って帰ってくる。当時、常磐道は、日立南太田あたりまでだったと思う。あとは、6号線を行くしかない。ナビなどない時代、地図を見ながら走っている。日立という文字が出てくると、着地がそろそろだなと思う。ところが、そこからが長い!日立の市街地は、六号線沿いに、延々と続いている。<どこまで行っても日立>の所以だ。

配車センターでの、退屈まぎれの雑談で、この話になると、運転手はみな経験しているから、中には、面白おかしく、この言葉に抑揚をつけて、おどけて見せる奴もいる。狭い部屋が、どっと笑いに包まれる。もっとも、首都圏から日立辺りまでの仕事なら、御の字で、帰りの高速代が出ないとしても、悪い仕事ではない。むろん、運転手たちはそれを承知しているから、笑いの種にもできるわけだ。もっとシビアな仕事なら、その方が多いのだが、冗談も出ないし、話題にさえしたくない。

常磐道下りを、日立南太田で降りた。たしか¥1500くらいだったと思う。運転手をやっていたころは、料金所で払う高速代が、いちいち気になっていた。だが、今は、ほとんど気にもならない。と、どこかで見たような光景が目の前に広がっていた。正面に海が見える。日立灯台は、もう間近で、何回もマップシュミレーションした道路を実際に走っている。海沿いの広い道から、普通なら見落としてしまうような狭い道へと、当たり前のように右折した。さらに右折すると、お目当ての公園の駐車場が見えた。

日立灯台は、古房地(こぼうち)公園の中に立っている。ここは、断崖沿いの、縦長の公園で、きれいに整備されている。付近が住宅地なので、七、八台は止められる駐車場がありがたい。さっそく駐車して、装備を整え、撮影開始。と、その前に、駐車場の横にある公衆便所で、用を足した。それなりの臭いはした。

まずは、灯台の周りを、360度、左回りに回りながら、撮り歩きした。敷地が広いので、灯台付近にあるテーブルやベンチ、遊具などは、さほど気にならない。ただ、北側が狭く、しかも、松の木や街灯などがあり、全景写真がやや難しい。あとは、公園を囲っている柵が低木に覆われているうえに、多少の高さがあるので、海が見えない。

もっとも、北側の柵越しに、海が少し見えるところもある。自分としては、できれば、灯台写真には、海を入れたいので、少し残念な気持ちになったわけだ。だが、その後すぐに、駐車場の後ろにある、見晴らし用の小山から、海が少し入ることがわかった。ま、この時は、知らなかったのだ。さらに、公園の北西側には道路があり、道沿いに住宅が並んでいる。この辺りからは、松の木や遊具が多少邪魔になる。

いちおうひと回りして、撮影ポイントを、三、四か所、頭の中に入れた。そこで、公園に背中を向けて、下調べしてあった、南側の<久慈浜>の方へ行った。その時に、駐車場の後ろにあった、見晴らし用の小山を見つけて登ったわけだ。唯一、日立灯台が水平線とクロスする場所で、しかも、小山の上には、コンクリの正方形のテーブルとベンチが置かれていた。三脚を立てて、ゆっくり撮れる場所だ。カメラバックをおろして、一息入れたような気もするが、どうだろう、そのまま通り過ぎ、公園を出て、広い道路の歩道から、ふり返って、岬の中ほどから飛び出ている灯台を試写したのかもしれない。

もっとも、その前に、公園を出たところに、下の浜へと下りる階段があった。覗きこむと、かなりの高さの断崖で、階段も長い。下りるのは簡単だが、登ってくるはしんどいなと思った。それに、あとで、車で回りこんで、下の砂浜沿いの駐車場へ行くつもりだった。今下りることもない。それに、岬全体をアングルした場合、主役の灯台が小さすぎる。この構図にこだわることもあるまい。来た道を戻った。

ふと真下を見た。断崖の下は、砂浜に併設された駐車場になっている。ほとんど車などないのだが、黒っぽい車が二台止まっている。普通の乗用車だ。と、車と車の間で、男女が、今まさに抱き合い、キスをしようとしている。いや、べったり抱き合ってキスをしている。背後は高い壁、左右は車、前方は人のいない砂浜だ。要するに、本人たちは、死角だと思っているのだろう。まさか、上から見られているとは思っていない。平日の、まだ午前中だったと思う。はっきり顔は見えないが、男女とも三、四十代だろう。あきらかに<不倫>の匂いがする。

いや、<不倫>が悪いと言ってるんじゃない。それに、見ず知らずの赤の他人が、自分に危害を加えない限りは、別に何をしようが関係ない。ただこの時、自分が、でかい望遠のカメラを肩にかけていたので、なんだか、浮気調査を依頼された探偵のような気に、一瞬なったのかもしれない。まあ~、それよりも、真昼の情事?を、はからずも目撃してしまい、柄にもなくどぎまぎしている。何かいけないことを見てしまった小学生のような心持だ。テレビや映画で男女の色事を見るのは、慣れっこになっているが、実際となると、少し違った興奮があるものだ。

しかし、すぐに冷静になった。なぜ、車の中で情事をしないのか?わざわざ、外に出て、イチャイチャ、抱き合ったり、キスをしたり。と、ここで思い至った。まだ、そういう関係ではないのかもしれない。いや、ちがうだろう。お互い仕事中で、時間がない。けれども会いたい、イチャイチャしたい。ま、恋愛中の男女の心情だな。わからないこともない。おそらく、そうだろう。でもね~、くだらん、じつにくだらん!と思いながら、当人たちに気づかれないように、また、崖の下を覗き見た。まだ、イチャイチャしているよ!

公園に戻ってきた。見晴らし用の小山にのぼった。備え付けのテーブルにカメラバックをおろし、少し汗をかいたロンTを脱いだような気がする。そのあと、休憩方々、上半身裸でベンチに座り、水平線と灯台がクロスする風景を眺めていた。崖の下の男女のことは、きれいさっぱり忘れていた。清い心?で<灯台のある風景>を何枚か写真に撮った。撮りながら、ここに陣取って、灯台の夕景を撮ろうと思った。磁石を見て、西を確認した。うまいことに、背後が西だ。ということは、灯台に、もろ西日が当たるということだ。

四角いテーブルの上に干したロンTを着た。まだ湿っているが、脱ぐ前よりはましだ。すぐそばに車があるのだから、新しいロンTを取りに行くという手もあったはずだ。それをしなかったのだから、さほど汗はかかなかったのだろう。暑いとはいえ、真夏のような暑さではなかったのだ。

さてと、先ほど下見した、公園内の灯台撮影ポイントを回りながら、写真を撮り、北側のはずれまで行った。というのも、今度は、北側から公園を出て、広い道路沿いの歩道から、岬の灯台を狙おうという腹だ。このアングルは、マップシュミレーションで発見したもので、一度は確認しておきたい撮影ポイントだった。

公園の北のはずれは狭まっていた。そのうえ、松が密集している。灯台は、すぐに見えなくなった。海側の柵にも木々が繁茂していて視界がない。だが、すぐに、住宅が連なる道路沿いにレストランが見え、少し下り坂になっているのだろうか、広い道路が見えた。ただ、なにか、工事中で、歩道が切れている。どうも立ち入り禁止のようだ。様子を窺がいながら歩いていくと、工事現場から作業員たちが全員引き上げていく。その後ろ姿が、小さく見える。はは~ん、昼休みだな。そういえば、レストランにも人影が見えた。

無人になった崖っぷちの工事現場に入り込んだ。長い巨大なコの字型の鉄板が積まれている。歩道の改修工事なのだろうか。ま、そんなことよりも、ふり返って、岬を見た。灯台も見えたが、小さい。それに、なんというか、岬と正対できず、斜めから見ているので、構図的によろしくない。岬の下に砂浜も見えるが、テトラポットなどが連なっていて、雑然としている。まるっきり、写真にならない。無駄足だったわけで、来た道を、そろそろと引き返した。南も北も、歩道沿いからの写真は無理だ。だが、これで撮影ポイントを絞れたわけで、ま、一概に無駄足だったとは言えまい。むしろ、気分的にはすっきりしたわけで、徒労感はなかった。

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2021

12/03

Fri.

09:34:18

<灯台紀行・旅日誌>2020年度版 

Category【灯台紀行 福島・茨城編

<灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#10
番所(ばんどころ)灯台

<5:30 起床 1時間おきにトイレなど 物音は無>。翌日、つまり、2020年11月9日(月)のメモ書きの第一行目だ。少し付け加えよう。

そもそもが、五時半に起きるつもりはなかったのだ。ま、せめて六時までは、ベッドに居るつもりだった。だが、何の因果か、頻繁な夜間トイレの最後が、五時すぎだった。ということは、白々と夜が明けてくる時間帯だ。よせばいいのに、カーテンをちらっとめくって、外を見た。夜明け前の静けさが漂っている。そのまま、ベッドに戻ったが、早めに寝ている、さほど眠くはない。目がさえてしまった、というほどではないが、腕くみしながら横になっていた。

このまま、うとうとしてしまえば、それはそれでいい。朝方の、意地汚い眠りにしがみつくだけだ。だが、この時は違っていた。カーテンの隙間から、しだいにオレンジの光が差し染め始めた。日の出が五時半ということは、事前に調べていた。夕日は撮ったことがある。だが、朝日に染まる灯台を撮ったことはない。早朝は苦手なんだ。ベッドの中でイジイジしていた。寝返りを打つたびに、朝日が気にかかる。耐えかねて、すくっと起き上がった。窓際へ行き、カーテンをあけ放った。市街地に朝日が差し込んでいる。なんとも美しい、厳粛な光景だ。いったんは、ベッドに戻った。だが、もう無理だった。朝日に染まる灯台を撮りに行こう。今この瞬間しかない!

決断してからの行動は早かった。洗面、食事、排便は、なぜか普通に出た。着替え、部屋の写真撮影、ざっと部屋の整頓、エレベーターで下に降り、受付でチェックアウト。外に出て、歩いて、道路の向かい側のファミマへ行き、<地域クーポン券¥1000>を消化。鮭缶などを買う。車に戻り、ナビに番所灯台と打ち込む。出発。

朝まだきの小名浜の市街地を突っ切り、岬へと向かう。三崎公園の<みさき>は岬の<みさき>なんだ。くだらないことに感心しながら、あっという間に、その岬に到着。坂を上る。途中、朝日を受けている港が見える。防波堤灯台や<キリン>なども見える。ちなみに、<キリン>とは、本物の麒麟ではなく、港などに並んでいるクレーンのことで、今調べたら、正式には<ガントリークレーン>というらしい。なぜか、自分にとっては気になる存在で、ま、好きなんだな。

戻そう。ナビに従って、くねくねと坂道を登っていくと、なんとなく頂上近くになり、木立の間に駐車場があった。ナビの案内もここで終了。ほかに車は一台もない。外に出た。道はあるものの、灯台らしきものは見えない。少し歩き始めて、思い直した。車に戻り、ナビの画面を拡大してみた。なるほど、ここよりも灯台に近い駐車場がありそうだ。ナビの画面を見ながら、ゆっくり車を動かした。

なんだかよくわからないまま、木立の間を走っていくと、身障者用の駐車スペースが二台あった。ナビをじっと見ると、灯台はすぐ目の前だ。路面に描かれた車いすのマークが気になったが、誰もいないことだし、ということで駐車した。

装備を整えていると、どこからともなく、少し小さめなトラ猫が姿を見せた。おいでおいで、と手を出すと、怪訝そうな目で見て、茂みに隠れてしまった。と、そこに、ほかの猫がいたようで、威嚇しあっている。ちょっとたって、トラ猫が、ぱっと茂みから出てくると、その後を追うようにして、大きな茶トラが出てきた。こちらは、人に慣れているようで、ふてぶてしい感じだ。ま、いい。灯台の話に戻そう。

木立の間を少し歩いていくと、突き当りに、番所灯台が見えた。そこは、こじんまりした公園になっていて、小さなマウンドの上に、デザインチックな東屋があった。海側は金網の柵できっちり仕切られていて、灯台は、朝日を受けた逆光の中、その前に立っていた。真っ白な、角ばった(六角形の)とっくり型で、表面は、四角に切った石を組み上げているようにも見えた。おしゃれな感じがして、ひと目で気に入った。

…今、番所灯台を記述するにあたって、ちょっとネット検索した。そもそも名前の読みかたからして、間違っていた。番所=ばんどころ、と読むらしい。それに、自分の撮った灯台は二代目で、昭和三年初点灯の一代目は、無念にも<東日本大震災>で亀裂が入り、六、七年前に、建て替えらえたようだ。どおりで、おしゃれで、きれいなわけだ。

灯台の姿形も気に入ったが、五時起きしてきた甲斐があって、海からの朝日をもろに受けた灯台を、初めて、間近で見た。少し興奮していたと思う。一気に撮影モードに突入。灯台の周りを180度、回りながら撮り歩きした。これは、いわば下見で、灯台の全景が写真に収まる、すべての地点を逐一見て回るのだ。それが終わると、今度は、頭に残った、写真になりそうな撮影ポイントを、重点的に撮る。さらに最後には、ベストポイントを決めて、しつこく、しつこく、撮る。撮影画像を調べてみると、109枚、四十五分ほどかかっていた。ま、撮りっぱなし、という感覚なのだが、枚数的には意外に少ない。

この間、幸いなことに、この<公園内公園>には、誰も来なかった。おそらく、昼間の時間帯なら、散歩などで、必ずや人が来るだろうから、撮影は、こんなに早く終えられなかったろう。なにしろ、狭い公園なのだ。人が来れば、灯台とカメラの間に、人影が入ってしまう。中断せざるを得ない。

もっとも、朝の七時台、街中の公園なら、人の来る確率は非常に高い。だがここは、市街地からは離れた、岬の上の、さらに奥まった公園だ。オレンジ色の神々しい朝日が、辺り一面、贅沢なほどだった。逆光の中に佇む、黒いシルエットになった灯台を仰ぎ見た。立ち去りがたかった。後退しながら、木々の葉で、灯台が見えなくなる所まで来た。そこでやっと、写真を撮るのをやめた。

なんだか、朝っぱらから充実した時間を過ごしてしまったな。眠気もなし、気分良く、車に戻ってきた。と、また、どこからともなく、トラ猫がでてきた。こいつは、同じトラでも、さっきのトラ猫ではなくて、体の大きい、ふてくされた面相だ。鳴きながら足元に近づいてきた。あげる物はないんだよ、などと声をかけながら、カメラバックを車に積み込んでいると、今度は、先ほどの小さなトラも出てきた。ついでに、茶トラも、どっからか現れて、大きなトラとひと悶着起こしている。喧嘩なんかするんじゃないよ、と声掛けしていると、脇を、体操姿の婆さん二人連れが、朝の散歩なのか、大きな声で話しながら、通り過ぎていく。

小さなトラの姿が見えないので、車の下を覗いてみた。案の定、居た。こっちを見て、さっと茂みの方へ逃げ出した。ふと、仏心が出て、食べ物をあげたくなった。その辺に、空き缶が置いてあったのは、誰かが、エサをあげているのだろう。そういえば、三匹とも、きれいで、比較的太っている。かわいそうに、捨てられたんだろう。そう思ったら、余計かわいそうになった。

ちょっと考えた。ニャンコにあげるような食べ物は持っていないよな。いや、と思い返して、トートバックの中を引っ掻き回した。たしか、食べ残したブドウパンがある筈だ。ニャンコが、ブドウパンを食べるとも思えなかったが、他に何もないのだから、しょうがない。ニャンコたちも、死ぬほどおなかがすいたら、食べるかもしれない。そう思って、小さなトラが逃げ込んだ茂みの方へ行き、ブドウパンをちぎって、その辺にばらまいた。隠れていた小さなトラが出てきて、ちょっと口をつけた。でも、食べなかったようだ。

いま、俺にできることは、その程度なんだよ。岬を下りた。その際、小名浜港だろう、朝日に照らされた港が見えた。防波堤灯台もいくつか見えた。そして、その向こうにはキリンだ。また、ゆっくり来たいと思った。<いわき>なら、そんなに遠くない。またいつか来られるかもしれない。

ニャンコたちのことは、もう忘れていた。いや、その時思い出した。<地域クーポン券>で、鯖缶や鮭缶を買ったんだ!車は、すでに岬を下りかけていた。ニャンコたちのところへ戻りたいと思ったのかもしれない。だが、戻らなかった。鯖缶や鮭缶は人間の食べ物だろう。それに、次の撮影場所、日立灯台へ早く行きたかった。いま思えば、どちらも、自分に対する言い訳だ。わざわざ戻って、ニャンコたちに缶詰をあげれば、立ち去るのが、なお一層辛くなるだろう。それが嫌だったんだ。

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2021

11/26

Fri.

10:40:45

<灯台紀行・旅日誌>2020年度版 

Category【灯台紀行 福島・茨城編

<灯台紀行・旅日誌>2020福島・茨城編#9
ホテルに宿泊

辺りはうす暗くなっていた。車に乗り込んで、ナビを、今晩泊まるホテルにセットしたと思う。小名浜の市街地だ。走りだして、燃料メーターが、短くなっていることに気づいた。たしかに、昨日今日だけで400キロ以上走っている。帰宅する前に、どこかで給油しないわけにはいかない。それに、コンビニで食料の調達だ。

塩屋埼灯台や海辺からも遠ざかって、小名浜へと向かう広い道路に入った。ガソリンスタンドがあれば、値段的なことは考慮しないで、入れるつもりだった。むろん、地元の埼玉より高いのは決まっている。だが、高速のスタンドよりはましだろう。と、長い下りの坂道だ。フロントガラスの向こうには、市街地の明かりが見える。うまいことに、左手にスタンドが見えた。リッター¥139の看板も出ている。

すっと車をスタンドの中に入れた。給油位置に寄せると、日に焼けた短髪のあんちゃんが、誘導してくれた。<セルフ>ではないのだ。窓を開けて、ちょっと考えて、満タンで、と言った。そのあと、何となく車の外に出た。アンちゃんが、窓を拭いてもいいですかと言いながら、室内拭きを渡してくれた。ニコニコしている。バンパーにくっついている虫の死骸などを拭いていると、高速走って来たんですか、と気安く声をかけてきた。そのあと、少し会話した。

自分が車で観光していることを知ると、あんちゃんは、羨ましそうに、いいですね~と言った。その顔に、まだあどけなさが残っていた。この先にコンビニはあるかと聞くと、丁寧に教えてくれた。純朴で、親切だ。最近は、めったに出会うことのなくなった若者のタイプで、気持ちが和んだ。

坂を下り終わると、小名浜の市街地に入った。なるほど、コンビニが目の前にあった。車を止めて中に入った。弁当や菓子パンなどを買って、レジに行った。レジ袋は、と言われたので、車から取ってくるといって、その場を離れた。その際、お弁当はあたためますか、とレジの女の子がきいてきた。どことなく伏目勝ちの、まじめそうな、額の秀でた、大柄な女の子だった。言葉遣いには、優しさがあり、親切な感じがした。

そういえば、昨日のコンビニの女の子もそうだった。一見愛想がないように見えるが、そうではなく、奥ゆかしさというか、東北人特有の、いや、それに加えて、若い女性にありがちな<はにかみ>なのではないのだろうか。なんとも言えない上質な色気=エロスを感じる。幾つになっても、スケベな爺さんだ!何となく得をしたような気分になって、店を出た。

ホテルには暗くなる前に着いた。片側二車線の広い道路に面していて、出入り口前に、車が数台止められるようになっている。幸い、空いていたので、何回が切り返しして駐車した。外に出て、なんとなく見まわすと、隣が平場の駐車場になっているような感じ。それに、道路のはす向かいに、コンビニがあった。

車の中に身をかがめ、ぐずぐずと、部屋へ持っていく荷物などを整理した。疲れているのだろうか、行動が遅い、動作が鈍い。よいしょとカメラバックを背負い、受付へ行った。狭いロビーで、受付カウンターも小さめ。黒い服を着た若い女性が二人いて、そのうちの一人が応対してくれた。ま、ビジネスライクで、一通りの説明だ。コロナ関連の書面に署名して、支払いをした。その際、車はどこに止めたのかと聞かれた。出入り口の向こうを指さした。すると、駐車代が¥500かかりますと言われた。ええっと思ったが、<Goto割り>で、それでも一泊¥4434だった。

駅に近いビジネスホテルでは、立地の関係なのだろう、駐車料金を取ることがよくある。だが、ここは駅前ではないし、解せぬことではあるが、楽天トラベルでのネット予約の際、その旨記載されていた。文句を言う筋合いではない。はいはいと言って、鍵だったか、カードだったか忘れたが、受け取って、受付を済ませた。最後に、受付の横の棚を示され、パジャマを持って部屋へ上がるように言われた。

実を言うと、昨日応対してくれたホテルの受付の女の子と、今日の受付の女の子の顔が、というか印象がごちゃごちゃになっていて、分別できない。どちらも、黒い服を着て、アクリル板の向こうに居たし、口調も似通っていて、説明内容もほぼ同じだった。共通項が多すぎるということもあるが、この時間帯、こっちは疲労の限界にあり、注意が散漫になっていたのだろう。ま、それにしても、双方ともに、そっけない応対ではあったが、嫌な感じは全然しなかった。

部屋に入った。狭苦しい感じだ。サンダルを脱いで、アメニティーの、使い捨ての白いふにゃふにゃスリッパを探した。あるはずだと思い込んでいる。たが、ない。ないわけはないのだからと、少し考えた。そうか、パジャマ置き場の棚だ。自分で持ってこなければならなかったわけだ。ま、取りに行くのも面倒だな。靴下を脱いだ後は、はだしのままでいた。

その後は、着替え、荷物整理、弁当を食べ、風呂。ノンアルビールを飲みながら、ノートにメモ書き。撮影写真のモニター。それから、明日の予定をちょっと考えた。六時起床、七時出発。高速に乗って、日立灯台へ向かう。ここから、一時間くらいだろう。…何か、忘れ物をしたような感じだった。はっと、思い出した。そうだ、小名浜にもう一つ撮るべき予定をしていた灯台があったのだ。

とっさに、名前が出てこなかった。スマホでガチャガチャ調べだした。小名浜港の北東に岬があり、その一帯が公園になっていて、<いわきマリンタワー>などもある。その三崎公園の中に、<番所灯台>がある。そうだ、思い出した、番所(ばんどころ)灯台だ!

とはいえ、日程的に調整できるのか?明日の午前中は、<番所灯台>を撮って、移動、午後からは日立灯台を撮る。そして、翌日の帰宅日に、午前の日立灯台を撮る、という手がある。こうなると家に帰るのは午後遅くになる。帰宅日は<帰るだけ>、となんとなく決めていたので、ちょっと引っかかる。あるいは、<番所灯台>はパス、明朝、即移動して、午前中から日立灯台を撮る、という手もある。

<番所灯台>?今一度スマホで、画像検索した。まあ~難しいところだ。というのも、ついでにちょこっと寄れるのならば、当然、お寄りさせていただく灯台クンだ。だが、わざわざ、あるいは、日程を変更してまで、撮りに行くべきなのか、決断がつかない。ロケーションがイマイチなのだ。それに、そもそも、当初の予定は、どうだったのだ?いや、当初から、三日目の午前中に撮る予定だったのではないか?なんだか、よくわからなくなってきた。

疲れていたんだろう、<番所灯台>は次の機会にしよう、ということに何となく決着したようだ。いや、メモ書きは<7時すぎにはねるつもり 備 小名浜 マリンブリッジ 番所灯台>で終わっている。何のための備考なのか?やはり、番所灯台へ行くつもりだったのか、今となっては、推測することさえできない。

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